2023年06月25日

「スクリーン」1963年8月号

 今回は引き続き「ローマの休日」関連で。

 前にも書きましたが、「ローマの休日」は1963年に初めてのリバイバル公開をしており、今年はそれから60年後になります。

 日本で最も格が高いと言われている東京の銀座・有楽町地区の劇場では日比谷スカラ座にて1963年5月18日〜7月16日に上映されています。
 ちょうど60年前の今頃、スカラ座で上映していたわけですね。

 そしてこの「スクリーン」1963年8月号は6月21日発売ですから、本当に60年前に出たばっかり!ということになります。
 表紙はサンドラ・ディー。

 まずオードリーが登場するのは、カラーページよりも先に登場するモノクログラビアで。
 ここでは「パリで一緒に」の寝姿が載っています。

 「パリで一緒に」は1962年夏の撮影ですから、もうとっくに撮影は済んでるんです。日本の題名も「パリで一緒に」ともう決まっている。



 でもこれがなかなかアメリカでは公開されないんですよね。もうまもなく公開されるだろうと、日本では1963年夏〜秋公開の予定まで立てていた。
 「スクリーン」でも1963年春には「ローマの休日」と組んで特集号まで発売したのに、本国で公開されない。

 結局「パリで一緒に」は公開までもう1年待たないといけなくなったんですよね。

 「パリで一緒に」はオードリーが最も美しかった作品ですけど、この写真はやつれ気味。目の下のクマが目立ちます。
 これの別テイクの写真で、もっと美しく写っているものがあるんですけどねー。こちら

 でもこの映画をご覧になるとわかるんですが、オードリーは映画史上最も美しいナイトガウン&ネグリジェを着て登場しますよね。
 このネグリジェはジバンシィ作のブルーのサテン。それに同色のレースのナイトガウンが付いていて、えーーーっ!て目も醒めるくらいの美しさ!

 「パリで一緒に」はグリーン・オレンジ・ピンクと、目にも鮮やかなシャーベットカラーの衣装で登場しますけど、このブルーのナイトガウンが最高に美しいです!
 リアルでオードリーに恋い焦がれていたウィリアム・ホールデンならずとも、このオードリーを見たら頑張らざるをえませんね。

 この写真はその美しいレースのガウンを脱いでベッドに入るガブリエルのシーン(の宣伝用ポートレート)。

 2番めのオードリーはグリーンのグラビアページ。
 オードリーの一家が「マイ・フェア・レディ」の撮影のためにハリウッドに来たという写真。

 オードリーって、1963年5月16日にハリウッドに到着しているということですから、その日のものですね。

 次が「ローマの休日」関連の本文ページになります。
 「ローマの休日」自体の紹介は以前の号で済んでいたでしょうが、ここでは6ページも使って、「●スクリーン生き方の知恵 肩のこらない男一匹」という題名で文章が綴られます。

 前に「映画の友」で紹介しましたが、60年から始まったリバイバルブームの中で、「ローマの休日」はリバイバルして欲しい作品第1位を獲得しています。
 63年にやっとリバイバルが叶うんですよね。

 なので「スクリーン」でもまだまだ大ヒット上映中の「ローマの休日」をリバイバル作品紹介だけでは済ませずに、こうやって記事で載せてるんですよね。

 ここではよくありがちなアン王女から見た見方や、アン王女を分析するのではなく、ジョーを分析するという観点から文章が載っています。
 これ、意外とこういう見方は無い文章なので、ちょっと新鮮。

 まあ文章的にはそうだよねってことなんですが、なぜアン王女はジョーに惹かれたのか、ということが書かれていて、それが女性に好感を持たれる最大公約数の普通の男であり一般民間人の中にいる好青年の典型である、ということです。

 ではなぜアン王女がそんな平凡な男に惹かれたのかというと、まさにそういう男だから、ということだそうで。

 アン王女は毎日不自由な生活を強いられていて、また周りにいる人間も王女の前で礼を失してはいけないため、常に緊張して取り澄ました顔をしている。

 でもジョーは街で知り合った女性が王女だと知っても恐れ入った気持ちにならない。美男子であることを鼻にかけたり、頭が良いのをひけらかすようなイヤミなタイプでは無い。
 全く気取りのない態度でアン王女に接するし、健全で平凡な男だったからアン王女を愛したし、アン王女からも愛された、ということが書かれています。

 全くその通りですよね。王女に対してのように接するとすぐにバレちゃいそうですもんね。
 普通の女性に接するように接したからこそお互いに惹かれあったということですよね。

 まあそれでも映画なんで、演ずるグレゴリー・ペックは本当は美男子で高身長だし頭も良いと思いますし、オードリーは全く新しいタイプの美人なわけですから、結局美男美女やからじゃないんかーい!と思いますけどもね。

 リバイバルなので、あんまり珍しい画像は無いのですが、4ページ目の大きなオードリーの画像がちょっと珍しめで嬉しい。
 この号では他に「アラバマ物語」の鑑賞手引きも載っていて、グレゴリー・ペックの記事が多めです。

 「スクリーン海外ニュース」というページでは、ブレイク・エドワーズ監督の「大レース」(のちの「グレートレース」)に、オードリー、シャーリー・マクレーン、ナタリー・ウッドが出演交渉を受けている、と書かれていて、オードリーとマクレーンの画像も載っています。

 そして同じページには、「トヴァリッチ」でヴィヴィアン・リーがトニー賞を受けたことも乗っています。

 最後は本文最終ページに載っているポートレート写真の頒布のページで、「シャレード」のものが載っています。

 この時期の映画雑誌って、「パリで一緒に」(パラマウント)・「シャレード」(ユニバーサル)は撮影が終了して公開待ち、「マイ・フェア・レディ」(ワーナー)は撮影開始で、いろんなオードリーを載せないといけないのが大変ですね。オードリーが大渋滞中。

 各映画会社は自分の所の作品をいっぱい載せてもらって宣伝したいだろうし、でも出版社側としてはそんなにオードリーの事ばっかりは載せられないだろうしでページの取り合いみたいになってただろうなーと思うんです。だから載せられない写真とかもあっただろうし、もったいないなーと思います。

 さて、次は28日午前8時に記事がアップになります。お楽しみに!
  


2022年06月04日

72年「パリで一緒に」リバイバル50周年“スクリーン”72年7月号

 ちょっと間が空いてしまって申し訳ありません。
 書きたいことがなかったとか、気に入らないものがあってそれで紹介が遅れている、とかのいつものパターンではなくって、むしろ紹介したいものが多すぎて渋滞してたというわけです。

 今でも紹介するための写真の処理がいっぱいで、記事を書くよりそれがうんざりなんですけど、まあ頑張りますね。

 さて、今年はまだオードリーの没後30年でもないし、正直何もない年なんですけど、なんかオードリー関連のものがめっちゃ多いですよね。

 1月から「戦争と平和」「麗しのサブリナ」「オールウェイズ」とBSプレミアムでの放送が続いてますし、「ローマの休日」は新吹替版がありましたし、「ティファニーで朝食を」もカット版を放映してましたね。

 そしてもちろん午前十時の映画祭12での「いつも2人で」上映に映画「オードリー・ヘプバーン」の上映!

 それに映画「オードリー・ヘプバーン」の上映関連でスター・チャンネルでの「オードリー・ヘプバーン映画祭2022」も6月10日〜12日まで二子玉川でありますし、同じく6月10日からスター・チャンネルで6月10日から「ローマの休日」の6種類吹替&字幕版が一挙に配信するそうです!

 この「ローマの休日」の吹替、72年のゴールデン洋画劇場版(池田昌子さん)、79年の日曜洋画劇場版(池田昌子さん)、1992年の水曜ロードショー版(笠原弘子さん)、1994年のゴールデン洋画劇場版(鈴鹿千春さん)、2004年の金曜ロードショー版(すずきまゆみさん)、それとDVDにも入っている1994年?かのビデオソフト版(池田昌子さん)の6パターンを放送するそうです。カッコ内はオードリーの吹替の声優さんです。

 これはすごいですね!でもネットでも実際の吹替を見ましたが、やっぱりオードリーには池田昌子さんかと。
 他の人だと、ちょっとキツイ物言いのアン王女だったり、高貴感のないアン王女だったりと、なんか違う!んですよね。

 こないだの日テレの「ローマの休日」も偏見なしで見ようと思いましたが、やっぱり違う。今度は声が低めで、アニメファンとかで早見沙織さんのファンには好評だったようですが、オードリーのファンから言わせてもらえば、やっぱり今回も池田昌子さんを超えるのは無理だったかーと思いました。

 「ローマの休日」もなんどもその当時の若い世代のプロデューサーが池田昌子さんじゃない声でチャレンジしたのでしょうが、やっぱり定着しないところを見るとそういうことなんだろうなーと思います。

 なんとか池田昌子さんで「緑の館」「ニューヨークの恋人たち」「おしゃれ泥棒2」などの未収録作品、「暗くなるまで待って」などの音楽差し替えのために今は放映できない作品、「パリで一緒に」「いつも2人で」などのテレビの尺の都合上一部吹替のない部分がある作品の追加録音をお願いしたいところですね。

 さて、僕のこのサイトも「いつも2人で」の上映が始まると来て頂ける方が増えてその後落ち着いて、映画「オードリー・ヘプバーン」が始まるとまた増えてまた落ち着いて、テレビで「ローマの休日」が放送されるとめっちゃ増えて、と訪問して頂ける方の人数が如実に現れるのが凄いなーと思いました。

 今は元に戻ってしまったんですけどね笑。あんまりここはマニアックすぎて魅力が無いのかな?


 さて、本当は6月10日に紹介したかったこちらの紹介。1972年7月号の雑誌“スクリーン”です。発売は5月21日。
 これにはリバイバルの「パリで一緒に」の紹介が載っています。

 10日に紹介したかったというのはもちろん「パリで一緒に」のリバイバルがちょうど50年前の1972年6月10日に始まったから。
 関東だと丸の内松竹、新宿ロマン劇場、横浜ピカデリーなどでリバイバルされました。関西はねー、まだ調べてないんですよ。松竹系の劇場ですよね。

 上映期間は6月10日から30日まで。ちょうど3週間ですよね。おっと!通常作品が4週間上映の時代に、ちょっと少なめですね。
 でもヒットしなかったのかと思いきや、現在の「パリで一緒に」72年リバイバルパンフレットの流通量の多さを考えると、全国的にはわりとヒットしたのでは無いかと。

 72年リバイバルの「パリで一緒に」は何かと凄い!と思っています。僕なんかはオードリーファンになった時には既に72年リバイバルは過去の事実として存在してましたが、よーく考えるとあまり評価の高くなかった「パリで一緒に」をリバイバルするとは凄いこと。

 でもね、1964年の初公開時、「ティファニーで朝食を」よりもヒットした「パリで一緒に」をリバイバルすることは、配給会社からしたらごく当たり前のこと。昔の大ヒットの基準の配給収入1億円を「パリで一緒に」は超えてますからね。

 それに何と言っても72年「パリで一緒に」リバイバルは日本のメイン・ビジュアルがスゴイ!このビジュアルにした人、天才!って思います。

 オードリーって、顔の右から撮られるのがめっちゃ嫌いな人。写真は左側から、というのは晩年まで徹底してましたからね。

 でもその女優時代の中で、右から撮らせている写真があるのが「ティファニーで朝食を」と「パリで一緒に」の時期だけ。
 「ティファニーで朝食を」の時はなぜだかわかりませんが、「パリで一緒に」の時は本当にオードリーが最高に美しかった時期。

 1962年のオードリーには、ファッション誌用のものも含めてなぜか右側から写真を撮ることを許しているものが多いんですよね。
 これはコナン君の写真集 「Audrey Hepburn in Breakfast at Tiffany's and other Photographs 」なんかを見てもそうなので、この時期のオードリーはなんか違うぞ!?と思うわけですよね。

 オードリーはこの時期、よっぽど自信があったのか、あるいは息子ショーンとメル・ファーラーへの愛情で溢れていて、自分の写りなど気にしていなかったのか。
 なんにせよキラキラして愛が溢れている最も美しいオードリーは1962年にトドメを刺しますね。もちろん殺すことじゃ無い使い方ですよ笑。

 72年リバイバルの「パリで一緒に」のメイン・ビジュアルは本当はオードリーとウィリアム・ホールデンが踊ってる宣伝写真のオードリー部分だけを使ってるんですよね。
 そしてこれが右側から撮られたオードリー。

 でもね、オードリーがあまり綺麗に写らない右側からなのに、なぜかこれがめっちゃ美しい!そして白でまとめたポスターやプレスシートなんかは、本当に飾っておきたくなる神々しさ!

 実際イギリスのリール・ポスター・ギャラリーでも72年版のポスターが飾られていましたからね。それだけ世界的に見ても高レベルなビジュアル。
 というか、「パリで一緒に」のビジュアルで、72年リバイバルの日本のものに勝てているものを見たことがありません。

 と、また脱線しましたが、この号の“スクリーン”ではリバイバル作品として紹介されているものとしては3番目の登場。
 「イージー・ライダー」「007/ロシアより愛を込めて」に次いでの紹介です。「パリで一緒に」の後には「草原の輝き」「北京の55日」という名作・大作が続いてますから、会社の期待はそれよりあるということですね。

 でもこの時代ってリバイバルが多いんですね。いまの作品って、ほぼリバイバル無いじゃないですか。1回劇場に掛けたら終わり、みたいな上映の仕方。
 午前十時の映画祭がなければ、ほぼ昔の作品のリバイバルって絶滅状態。超特大ヒットの「アバター」とか「アナと雪の女王」でもリバイバル無いですよね?

 最初はこの「パリで一緒に」の切り抜きだけを紹介しようと思っていたのですが、“スクリーン”のこの号が僕の手持ちに復活してしまったので、本体ごと紹介。

 この“スクリーン”での「パリで一緒に」リバイバル作品紹介で一番大きなオードリーも右側からの写真ですけど、残念ながらこれはあまり美しく撮れていないオードリー。
 やっぱり鼻の形が右側からだとあんまり綺麗じゃないです。これは僕がファンになった頃からオードリーにしてはイマイチな写真だとずっと感じていましたけど、鼻だったわけですね。

 横顔のオードリーは右からでも左からでも本当にキレイ!ラストシーン辺りの2枚の写真のオードリーもかわいいし、「パリで一緒に」は本当に美しさの頂点のオードリーを堪能できます。「パリで一緒に」はメッッチャ好きな作品です!

 さて、これ以外のこの号なんですけど、表紙はトレーシー・ハイドですね。
 日本だけでヒットしたという「小さな恋のメロディ」で人気が爆発中。

 中身はまずは目次に付録2大ポスターとしてスティーヴ・マックイーンとオードリー・ヘプバーンって書いてます。
 もちろんこの号を昔手に入れた時にも、今回でも付録なんかは無かったのですが…持ってる!

 あーっ、めんどくさい!仕舞ってあるポスターを探すのも面倒臭いし、ポスターを撮影するのはヘタなんだよー!って思いながらも引っ張り出して撮影しました。

 持ってるののどれかなーと調べたら「緑の館」のポスターでした。とっても美しくて素敵なオードリー。

 これねー、20年くらい前にヤフオクでオードリーの付録ポスターを3種類くらいまとめて買ってたんです。そのうちの1枚。
 チネアルテさんとオードリーのことでお話ししてたときに、ヤフオクでオードリーの付録のポスターとか売ってるけど、一体誰が買ってるんやろって話になって、僕買ってますよ、って言ったら「あなただったのね!」と「暗くなるまで待って」のスージーばりに言われてしまいました。

 もちろんこれは両方がオードリーのファンで、「暗くなるまで待って」を見倒しているからわかるセリフ笑。
 他にも「暗くなるまで待って」唯一の製作上のミスについて話していた時も、それは「暗くなるまで待って」を相当繰り返し見ていないとわからないことだとお褒めいただきました。

 ていうか、元に戻って「緑の館」をポスターにするという発想は、“若いオードリーを出しとけば大丈夫やろ!”っていう今の貧困な発想しかないオードリー関連のものを出す会社たちには無いものですね。

 別にオードリーの写真やポスターを見るだけなら、オードリーが美しければそれでいいだけの話。ファンからしたらどの作品でもいいでしょうよって思うんですが、最近はどことは言いませんけど、今の会社は若い50年代のオードリーばっかりで若けりゃなんでもいいって感じ。
 だから売ってるものは平凡でいつも同じで、コアなファンからは見向きもされないという。

 でもこんな写真集にも未収録のレアなカラーポスターとか付けてくれたら、これは思わずコアなファンでも買ってしまいますよね!

 で、今回71年72年の“スクリーン”をチェックしていて気づいたんですが、71年にはまだ付録というものが無いんですよね。
 それが72年の途中から付いてる。ということは?

 ははーん、って思いますよね。72年というとライバル誌“ロードショー”が発刊された年。そちらが付録ポスターとか付けてきたから、ライバルの“スクリーン”でも付けざるを得なくなったわけですね。
 ちなみに“ロードショー”創刊号の付録はオードリーのポスター。

 こうしてライバル誌と切磋琢磨してより良いものを出していくという1970年代前半だったわけですけど、この「緑の館」ポスターが縦に長細いのも“ロードショー”のせいでしょうね。70年代半ばには普通のポスターサイズのB2サイズになってましたもんね。

 次のオードリーは「イージー・ライダー」のリバイバルで、ビッグ・スター・アルバムという連載グラビアでフォンダ一家のことが取り上げられていて、その中でヘンリー・フォンダの「戦争と平和」でオードリーが登場。
 “この大作で、フォンダは内省型のピエールをそつなく好演。”と書いてます。

 そういえば、「戦争と平和」のヘンリー・フォンダって撮影時50才なのに、最初のシーンでは20代の青年役なんだそうですね。やっぱり当時は人気の若い男優さんがいなかったんですね。

 エリア・カザンの紹介で「欲望という名の電車」のヴィヴィアン・リーも載ってますが、次のオードリーは本文の“娯楽映画のすべて”の第7回、サスペンス編3の双葉十三郎氏の文章。

 ここでは「密室」という67年の作品と比較して、「暗くなるまで待って」は脚本も演出もぐんとうまい、と書かれています。

 でもね、ここで紹介されている写真が裏焼き。
 「暗くなるまで待って」本編を見るとわかるのですが、オードリーの家の階段は玄関ドアに向かって左側に階段があるんですけど、ここでは裏焼きなので右側に階段になってしまってる。オードリーの髪型も分け目が逆。

 「暗くなるまで待って」初公開から5年が過ぎて、少しずつ写真の管理が疎かになっていってるんでしょうか。
 ここでは反転させた本当の向きの写真も載せておきますね。

 次は最後の方のブルーのページで、テレビフィルム20年という連載でエクスラン・ヴァリーエのオードリーが載ってます。これに付いた文章自体は“オードリー・ヘプバーンかカトリーヌ・ドヌーヴのかつらで変身しなければ美人になれないのだろうか。”というどうでもいい内容。
 でもどうでもいい内容にでもこの写真を使えるってことが1972年の強みですよね。

 でもこの当時、テレビでの映画劇場枠は東京で1週間に12本もあることが書いてあって、今となってはビックリ!(記事では11本って書いてあるのに、書いてある各局の映画劇場を数えたら12本もある!)

 1週間に12本もの映画劇場があったら、そりゃあっという間に放送する映画が枯渇しますよね。1年で625本くらい消化してしまうわけですからね。
 もちろんサイレント長編映画などは基本放映しないでしょうしね。

 この月には5月26日にオードリーの「戦争と平和」後編が放映されるみたいですが、前編のあった前号で紹介されたのだと思うのですが今号では解説などは載っていません。

 あとはレコードコーナーで、新譜のフィリップスのレコードで、ソ連版の「戦争と平和」って書いてるのに、アメリカ版の「戦争と平和」のナターシャのワルツが入っているって書かれています。

 記事はこんなものですが、あとは映画グッズの会社の宣伝にオードリーが出てきます。

 ブロマイド・サービスセンターてっところでは見覚えのある「パリで一緒に」の写真のオードリーが使われていますね。僕もこのオードリーのブロマイドは持ってた!ここで買ったかどうかはわかりませんが。

 ブロマイドやパネルなんかがある中で、定期入れとかも売ってますね。そして送金は切手や為替で、ってのもそうだったそうだった!みたいな。

 昔めっちゃお世話になったFOXスクリーンフレンドは2種も広告出してるんですけど、グラビアページでは知らない豪華大型写真集なるものが発売されています。17cm×25cmの生写真20枚で3000円だそうです。写真はヴィヴィアン・リーですけど、オードリーのもあるそうで、今なら買ってしまうかもです。

 豪華スターバッジというのはオードリーの写真付きで売ってますね。「マイ・フェア・レディ」のもの。カラーで3種あるそうです。見たいー。
 カラー便せんとか絵ハガキもあるみたいです。絵ハガキはあんまり食指が動きませんが、オードリーのももちろんあって、便せんは封筒10枚付きで400円。欲しいー!

 バッジの「マイ・フェア・レディ」写真で大型パネルも作れるそうです。最大53cm×42cmで6000円。「マイ・フェア・レディ」のカラーパネルなんて欲しいー!

 本文ページでの宣伝では八つ切り1枚、キャビネ40枚付いたアルバムが2200円であったみたいです。
 「いつも2人で」「おしゃれ泥棒」「ティファニーで朝食を」「緑の館」「尼僧物語」など、各作品ごとにあるみたいです。えーっ!僕が“スクリーン”買ってた頃は1作品30枚で1組だったので、10枚+大判1枚も多いじゃありませんか!えー、いいないいなー。見てみたいなー。

 それにFOXスクリーンフレンドでは独自に各スターのファンクラブも作っていたみたいで、その中にはオードリーのもあったようなんです!その中で会報のことも書いてあったのですが、今まで見たことなーい!オードリー・ファンクラブの会報、どなたかお持ちじゃないんですかね?

 ブロマイドの春美栄光堂さんは今号は「ローマの休日」の写真ですね。オードリーは100種、ヴィヴィアン・リーは80種になってます。
 これ、いつか買いたいと思ってたんですよね。

 でも今と違ってネットで写真の絵柄とか見れませんから、バラバラ買って同じ絵柄がダブったら嫌なので、まとめて全部買ってやろうと思っていました。
 大人になるとオードリーは120種になってしまったのもあって、買おう買おうと思っているうちに春美栄光堂さん自体が無くなってしまいましたね。
 120種、どんな絵柄だったんでしょうね。珍しいのもきっとあったんでしょうね。

 それ以外にも「ローマの休日」10種って書いてあるんで、各作品ごとのブロマイドもあったんでしょうね。
 でも「ローマの休日」って10種だから「ロミオとジュリエット」や「小さな恋のメロディ」に枚数負けてますね。これも時代ですよねー。
 オードリー作品も「ローマの休日」だけに偏ることなく、満遍なくどの作品も愛されていた時代。羨まし〜い。

 さて、これらのお店ですけど、権利ってどうなっていたんでしょうね。ここで紹介した会社以外に、個人名の会社とかも宣伝してるんですよね。
 最初は20世紀フォックスが経営してたFOXスクリーンフレンドは除いて、絶対に写真の使用の版権とか持ってなかったと思うんですけど、もしかしたら配給会社のOBや知り合いたちが配給会社から画像を横流ししてもらってやっていた、とかでしょうか。

 今なら考えられないことなんでしょうけど、(良い言い方をすると)昔はそれだけおおらかだった、ということでしょうか。

 最後に、読者投稿欄に載っていたジーン・ハックマンが持っていた“スクリーン”の表紙が72年の別の号のオードリーでした。
  


Posted by みつお at 21:00Comments(10)パリで一緒にスクリーン

2020年08月04日

1974〜75年「10年前のスクリーンから」

 今回は1974年と1975年の「スクリーン」からの切り抜きの紹介。

 この辺りの「スクリーン」は僕がオードリーに興味を持った時期の数年前になるため、古本屋で割と簡単に手に入りました。

 そこで愕然としたのが、自分が買っていた「スクリーン」とは違って、その頃は毎号オードリーを(主にカラーグラビアで)取り上げていたこと。
 全然オードリーは活動していないにもかかわらず、です。

 僕の買っていた頃にはもう「ロビンとマリアン」も撮影が終わり、テレビでオードリー映画が放送されるなどがないとオードリーが掲載されていなかったので、ほんの数年前ならいっぱいオードリーが見れたのに!と本当にその落差にがっくりしていました。

 古本屋ではどれくらいオードリーが載っているかで判断して買っていました。まだ子供なので、お金にそんなに自由が利かなかったんですよね。

 さて今回のは1974年1月号、5月号、それと1975年5月号に載っていた「10年前のスクリーンから」というシリーズの切り抜き。

 もちろん毎号オードリーが取り上げられているわけでもないので、オードリーの載っているものだけを切り抜きしています。

 まずは1964年1月号(1973年11月発売)の「シャレード」の新作紹介が載っているページ。

 “今はもうすっかりオジサマになったスターたちが男ざかりの魅力を誇ってました。今月号にリバイバル2度目の紹介の「シャレード」がここでは封切り紹介。オードリーの人気の息の長さには全く驚かされますね。”

 と書いてあります。「シャレード」は1963年、68年、73年、86年、11年、14年と公開されてますから、1973年ということはリバイバルとしてはもう2回目なんですよね。

 73年リバイバル時の「スクリーン」の「シャレード」紹介の記事も、1963年時のここに載っている「シャレード」の新作紹介も切り抜きで持っていますので、またいつか紹介できるかもしれません。

 次は1974年5月号からの1964年5月号の紹介。
 当時の「スクリーン」の5月号というのはもちろん人気投票の結果の発表の号。

 ちなみに1974年5月号でもオードリーは1位、そして10年前の1964年5月号も1位。
 そしてここには、

 “十年前もオードリーは人気のトップ。リズはこの年を最後にベストテンから姿を消した。花の命はみじかいのか、それとも長いと言うべきか…?”

 と書かれています。それまではベストテンの常連だったエリザベス・テイラーも、超大作「クレオパトラ」を最後に若者の心を捉えられなくなってしまったんですね。

 何かの本に、“「クレオパトラ」で性的な熟れ方を見せて以降、人気は下がる一方”と書かれていたのを思い出します。

 この元の64年5月号は持っていないので、ここで見られる「パリで一緒に」の写真が珍しくていいですね!「パリで一緒に」大好きな僕としてはぜひ手に入れたい1冊です。

 最後はその一年後。1965年5月号の人気投票が載った1975年5月号のページ。
 「シャレード」の衣装のようでいて、そうじゃない赤のジャケットを着ていますね。髪の毛も「シャレード」の前髪が崩れたような感じ。

 オードリーは62年〜64年はこのヘアスタイルでしたから、冬服だし一応「シャレード」扱いで僕は切り抜きを保存していますが、もしかしたら違っているかもですね。

 ここでの文章は

 “十年前すでにオードリー・ヘプバーンは人気No.1でした。No.2男優のショーン・コネリーは今年40位内に姿なく、3位だったクラウディア・カルディナーレは34位にかろうじて。8位ミレーヌ・ドモンジョも今は姿を消しました。”

 となっています。ちなみに1975年のオードリーは第2位でした。1位は「いつも2人で」では脇役だったジャクリーン・ビセット。

 1970年代半ばはジャクリーン・ビセットの全盛期でしたね。
 「ブリット」や「アメリカの夜」などがあるものの、“これ!”という代表作が無いようなイメージを持っています。

 この古本を手に入れた当時の僕は、ショーン・コネリーはもちろん「ロビンとマリアン」で知っていましたが、クラウディア・カルディナーレはとっても昔の人の古めかしいイメージ、ミレーヌ・ドモンジョに至っては誰それ?状態でした。

 僕はもともと細い人が好きなので、ミレーヌ・ドモンジョのプクッとしたほっぺたを見て、なんでこんな人が人気あったんやろ。とか失礼なことを考えていたのを白状します。そして今に至るまでミレーヌ・ドモンジョの映画は見たことがありません。

 ここで見られるオードリーが、印刷が濃いのか、肌もかなり黄色く写っており、あまり綺麗ではありません。持ってないのでわかりませんが、元の号はどうなんでしょうねー。
  


2019年04月03日

スタンリー・ドーネン監督追悼 「映画の友」1964年5月号

 記事の更新が遅れてしまってすみません。
 まずは愚痴を…。

 午前十時の映画祭10 FINAL、オードリーは「ローマの休日」だけでした…。

 結局「ローマの休日」は1年おきに上映されてしまって、午前十時の映画祭の “1度、スクリーンで見たかった もう1度スクリーンで見たかった”というコンセプトからは大きく逸脱してしまったかなーと…。

 1回目、2回目、4回目、6回目、8回目、そして10回目のファイナル…。多すぎです!
 正直、こんなに何度も何度も「ローマの休日」ばかり上映されるのではちょっと腹立たしいです。
 こないだの投票は何だったのでしょうね?

 「ローマの休日」が嫌いなのではなく、「ローマの休日」をこんなに粗雑に扱ったことが腹立たしいのです。
 もし1回目、6回目、そしてファイナル…くらいだったらものすごくありがたかったのでしょうが、1年おきなんて、有り難味も何も無いです。

 おそらく今まで2回くらいしか上映されてなかったら、最後の投票でも希望作品の1位になれるくらいだったでしょうが、あんまり上映しすぎるもので希望作品の人気投票での20位にも入ってない有様。でもそれでも上映。

 昔同じように70年代に「ローマの休日」と「マイ・フェア・レディ」ばっかりリバイバルして、すっかり飽きられてた暗い苦い記憶を思い出しました。
 「ローマの休日」70年、73年、77年。「マイ・フェア・レディ」69年〜70年、74年、77年、81年。
 当然後ろになればなるほど動員数が下がっていき、“オードリーではお客さんが呼べない”と映画会社に思われてしまう羽目に…。

 その後は80年代後半に日本ヘラルドが次々といろんなオードリー作品をリバイバルして(トップがオードリー作品で一番ヒットしなかった「噂の二人」!)、しかもそれらが大ヒットを記録していることで、オードリーが悪いのではなく同じ作品ばっかり短期間で上映する映画会社が悪いということがわかりましたが。

 年配の方の3年くらい前って、本当につい最近のことなんですよね。特になかなか映画など見に行けない映画館が遠い地方の人にとってはそんなに同じ映画なんて何度も何度も行かないし行けない。
 「ローマの休日」も73年リバイバルでは大分ではもう全然お客さんが来なかった、と何かで対談しているのを読んだことがあります。
 ましてや午前十時の映画祭では1年おき!本当にこれでお客さんは来るのでしょうか?

 何度も何度も上映するので、公式サイトでもみんなから “「ローマの休日」もういいです” などと言われてしまっているのを読むと、本当に悲しくなります。

 このように「ローマの休日」を観たい!と思わせるより、もう上映しなくていい!と思わせてしまった“午前十時の映画祭”に対しては、最後にガッカリしてしまいました。そりゃ10年間で6回も上映してたら(全作品で一番上映回数が多い)、作品別の動員数ではトップでしょうけど、1回だけの瞬発力では「ティファニーで朝食を」や「マイ・フェア・レディ」の方が上でしたよね。

 オードリーなら「ローマの休日」を上映しとけば文句ないやろ?って選定委員の安易な考えが透けて見えるのがイヤです。
 というわけで今年は最後ですけど「午前十時の映画祭10」を応援する気は全くありませんし、上映の日程も上映館も調べていません。
 
 と、長くなりましたが、今回は今年2月21日に亡くなったスタンリー・ドーネン監督の追悼で「映画の友」1964年5月号を紹介。

 2月7日に「いつも2人で」の共演者アルバート・フィニーが亡くなったばかりなのに、続けて「いつも2人で」の監督だったスタンリー・ドーネン監督もとは!

 スタンリー・ドーネン監督は、「パリの恋人」「シャレード」「いつも2人で」と3本ものオードリー作品を監督。
 これは「ローマの休日」「噂の二人」「おしゃれ泥棒」を監督したウィリアム・ワイラーと同數で最多。
 オードリー以外では「踊る大紐育」「恋愛準決勝戦」「雨に唄えば」「掠奪された七人の花嫁」「無分別」「アラベスク」などを監督。

 オードリーが現役時代から、スタンリー・ドーネン監督はオードリーを最も上手く活かす監督さんだと映画評論家や通のオードリーのファンから言われてましたよね。

 作品を思い浮かべていただくとわかるのですが、ドーネン監督の作品はどれもスタイリッシュ!そして写真集「オードリー玉手箱」でも書かれてましたが、それらの作品でのオードリーは笑顔のはじけ方が違う!本当にドーネン監督はオードリーがのびのび演技できるように計らっていたんだなーとわかりますよね。

 ワイラー監督やビリー・ワイルダー監督、フレッド・ジンネマン監督の作品を思い浮かべればわかるように、それらはあくまでもその監督の個性が色濃く出た作品。

 オードリーはそれらの作品では巨匠と言われる監督の決められた枠組みの中で演技しているのですが、ドーネン監督の作品ではそういう枠組みを超えてオードリーが輝き出しているのが凄いなあ〜!と思います。

 でもそれは裏を返せば監督の主張が希薄、とも観る人には受け止められるわけで、凄い作品をいくつも作りながらも、イマイチ監督が表立たない。
 フィルモグラフィーでも映画史に残る作品を作っているのにもかかわらず、あんまり1流監督と言われている感じがしないし、巨匠と言われることもない。

 「シャレード」はスタンリー・ドーネン監督作品では最もヒットした作品なので、今回その公開後の人気投票の載っている「映画の友」1964年5月号を取り上げました。

 最初は「シャレード」の紹介している切り抜きを紹介しようか…とも考えましたが、結局それではただの「シャレード」の紹介に終わるので、こちらにしました。

 この号は表紙からしていきなりオードリーですね。「パリで一緒に」のオードリー。バリバリ切り抜きですけど。
 まるさんがおっしゃってましたけど、オードリーが最も気に入って長く続けていたロングのアップのヘアスタイルですね。

 「噂の二人」の頃から始まって、この「パリで一緒に」、「シャレード」でも撮影前の宣伝写真ではこのヘアスタイルでした。
 さらに「マイ・フェア・レディ」の時期もこのヘアスタイル。

 結局「噂の二人」撮影開始の61年始めから「おしゃれ泥棒」の撮影が始まる65年夏まで4年以上も基本はこのヘアスタイルだったんですね。

 さて60年代前半は日本でのオードリーの人気が文字通り頂点だった頃。オードリーは50年代に人気があったと思われていますけど、一番人気があったのは実は60年代前半なんですよね。
 この頃は「映画の友」「スクリーン」両誌で他の全俳優さんを抑えてオードリーが何年連続!ってトップを爆走していました。

 この号の中身の最初にオードリーが出てくるのはまず目次。
 “あなたが選んだベスト・テン”という大特集でスティーブ・マックィーンと並んで写真が載っています。もうここで誰が1位なのかはわかってしまいますよね。

 カラーグラビアでは人気投票に選ばれたスターがポートレートや新作のスナップで1人1ページ以上使って紹介。
 せっかく投票してもまとめて何人かで1ページという体たらくの今の「SCREEN」に見習って欲しいです。
 
 オードリーはカラーグラビアの最後に登場!撮影が終わったばかりの「マイ・フェア・レディ」の今となっては貴重なカラー写真。横のページも「マイ・フェア・レディ」。そしてページをめくるといよいよ公開が間近の「パリで一緒に」の4ページにわたる単色グラビア。

 これ、めっちゃもったいない使い方!だと思ってしまいます。

 オードリーって後年には1年1作ペースって言われて、僕もそう信じていましたが、撮影時期がわかると実は案外まとめ撮り的な感じだったんですよね。

 「パリの恋人」と「昼下りの情事」、「尼僧物語」と「緑の館」と「許されざる者」、「ティファニーで朝食を」と「噂の二人」。
 そしてこの時期の「パリで一緒に」「シャレード」もほぼ連続撮影だし、約半年開けて「マイ・フェア・レディ」にも撮影突入。

 こうなると当時の雑誌は大変ですよね。前の作品が公開されてないのに次の作品が撮影に入ってしまって、でも同じスターを紹介するにはページに限りがあるので、紹介されなかった画像も多いんだろうなーと思ってしまいます。あ〜勿体無い!

 62年の夏に「パリで一緒に」を撮って、秋から冬にかけては「シャレード」。63年の夏頃には「パリで一緒に」も公開されると思われてたので、春頃には「パリで一緒に」と「シャレード」が入り乱れてました。

 と思ってたら63年の夏からは「マイ・フェア・レディ」も撮影突入なので、63年秋〜冬になると結局公開されなかった「パリで一緒に」、公開間近の「シャレード」、最新作の「マイ・フェア・レディ」と三つ巴のページ争い。

 これら3つは配給会社も「パリで一緒に」パラマウント、「シャレード」ユニバーサル、「マイ・フェア・レディ」ワーナー・ブラザースと全部違いますしね。
 うーん、本当に1年1作なら紹介しやすかったんでしょうけど、この固め撮りは本当にもったいない!本来なら紹介されるべき写真が埋もれたんでしょうねー。

 この64年5月号(64年3月21日発売)になると、既に「シャレード」は公開されているので(全国で公開中)、ページ争いからは脱落してるのでしょうけど、本来なら「シャレード」が公開された直後なんで、もっと画像があってもいいのにね〜と思います。

 その後もいろんなスターのグラビアが続いた後に“あなたが選んだベストスター”に関して秦早穂子さんと淀川長治さんという映画評論家のお二人の対談。
 そこでのオードリーに関しては

淀川:予想はしておりましたが…あなた…断然…まったく…ヘップバーンでしたよ。
秦:やっぱり、そうですね。
淀川:これでオードリイは六回連続トップ。
秦:何というのでしょう…オードリイというスターは、男の人でも、女の人でもが、抵抗感がなくて受け入れられるその上、プラスアルファのなにか…ほんとうにあこがれ的なのですね。
淀川:もう神サマですよねえ。
秦:それに役どころによって、それぞれに、すっきりとした色気がありますね。「シャレード」だってそうでしょ。オードリイを見ると何か現代のおとぎ話のプリンセスが出てきたみたいに…映画を見る夢を与えてくれるんじゃないかしら。夢のある人。
淀川:「ティファニーで朝食を」のコールガールだって…あんなに。
秦:他の女優さんがやったら見ていられないと思うの。
淀川:えらい個性ですねえ。いつ見ても、開きかけのピンクのバラみたい。
秦:ほんとにそう。
淀川:ところが彼女ことし三十四歳。日本の明治大正ならもう三十四なんてオババですよ。(笑)
秦:私このまえ彼女と初めて逢ったとき、ほんとうはこの人ずいぶん年をとっているのに…そう思ったんです。それなのに…きよらかな少女の匂い、そして女の匂い、…それがミックスされてそのくせいやらしくなくって…やっぱり「スター」だなあ、「女優」だなあと思って感心したんです。
淀川:オヤどこでお逢いになったのです。
秦:パリで。
淀川:その時は何をしていたのです。
秦:「パリで一緒に」のときです。そばにウィリアム・ホールデンもいたんです。ところが、こちらはオードリイとばかり話したいでしょ。だから彼から親切にしてもらってもうわの空で。すると、おれは人気がないのだろう…そんな顔するもんですから、私、エイガノトモ、そう言って話しかけると(中略)ごきげんを取り戻しました。
(中略)
秦:彼女、フランス語もできるでしょう。それでアメリカ人のスタッフが言葉のことで困っていると、通訳なんかもして…落ち着いて、威厳があるの。撮らないときは、片すみでじっとしていて、ちょっと近寄れないんです。
淀川:級長さんみたい。
秦:撮影が終わるとスタジオの中にある自動車のできそこないみたいな…
淀川:トレイラー・ワゴンでしょ。
秦:そう、それみたいなところに行って、そのちょっとの間をジッと寝ているの。インタビューしたいのですがと言うと、ちょっとお待ちください。ちょっと横になって…あと十分でと…そしてほんとうに十分たつと出てくるの。
淀川:まあ。
(後略)※原文のまま。

 文章が多いですねえ。今の「SCREEN」だとほんの数行だけですもんね。
 でもこの文章の中で、オードリーは10分と言ったら、本当にきっちり守って出てきてくれるんですね。さすがですね。

 オードリーの得票は1532票。
 今では全く知られていないスザンヌ・プレシェットが2位で736票ですから、本当にダブルスコア。
 ちなみに男優1位のスティーブ・マックィーンも847票でこれまたほぼダブルスコアですから、いかにオードリーが群を抜いていたかがわかりますよね。

 他ではオードリーと共演した男優さんでは「アラビアのロレンス」が出たピーター・オトゥールが5位、アンソニー・パーキンスが8位、バート・ランカスターが10位、ジョージ・ペパードが11位、グレゴリー・ペックが14位、ヘンリー・フォンダが16位、ケイリー・グラントが18位、ショーン・コネリーが26位、そしてシャーリー・マクレーンが女優の15位です。

 今ではオードリーと共演した俳優さんが「SCREEN」の人気投票で入ることはありませんが、この当時はみんな人気者だったんですね。
 でも「麗しのサブリナ」の頃に1位だったウィリアム・ホールデンはこの時点で、もう30位にも入っていないと淀川長治さんがビックリしています。

 作品では前年に初めてのリバイバルがあった「ローマの休日」が6位、「シャレード」が8位に入っています。

 さて監督のベスト10ですが、「ローマの休日」のリバイバルがあったウィリアム・ワイラーが2位、ビリー・ワイルダーが11位。
 でもスタンリー・ドーネン監督は「シャレード」が有ったにもかかわらず57票、28位。

 作品はとても気に入られているのに、監督の腕はあまり評価されていないんですね。これがスタンリー・ドーネンの弱いところ。
 監督最大のヒットを飛ばした会心の「シャレード」だったのに、やっと28位とは可哀想ですね。

 映画音楽では「シャレード」が7位。1位は「禁じられた恋の島」だそうですが今となっては全く知りません。2位に「アラビアのロレンス」、3位に「大脱走」と現在でも映画音楽の定番曲が入っています。

 その後のページで “アメリカ女優変遷史その5”というページがあって、オードリーは全く関係ないのですが、そこでハッとしたのがポール・ニューマンの奥さんだったジョアン・ウッドワードのところ。

 “どうも彼女は名作に恵まれていないのは気の毒である。「クレオパトラ」なども、最初のプランどおり、彼女が演じていたら”と書かれていました。
 「クレオパトラ」が最初はジョアン・ウッドワードで考えられてたことも驚きですが、それよりも“名作に恵まれていない”というのが一番ハッとしたところ。

 オードリーは当たり前のように代表作・名作を連発・量産していましたが、これは本当に稀有なことだというのに気付かされたんですよね。
 どれかのパンフレットで、オードリーに関して “代表作のリストが増える一方” なんて書かれていましたが、ホントにそうですよね。
 それだからこそ今でも現役のスターたちを抑えて人気投票でも変わらずトップにいられるわけですし。

 でもオードリーの作品の1つでもいいから欲しい!と思ってたスターは本当に多かっただろうなーと思います。
 今じゃオードリー作品ではマイナーな方の「戦争と平和」1本あれば、絶対に普通の女優さんでは最大の代表作でしょうし。

 同時代のエリザベス・テイラーやグレース・ケリーやマリリン・モンローも無駄遣いされている作品が半分くらいあるのに比べると、本当にオードリーって作品にも監督にも愛された、恵まれた俳優だったんですね。

 アカデミー賞のドタバタのページではオードリーはいないものの、「風と共に去りぬ」でオスカーを受け取るヴィヴィアン・リーが。
 なんでも39年のアカデミー賞で最多受賞の「風と共に去りぬ」のスターやスタッフが一堂に並んだ記念写真で、誰も知らない野次馬の男が1人混じっていたそうです。

 そこには1963年度作品のアカデミー賞のノミネート作品も載っています。
 「シャレード」が脚色賞と主題歌賞にしかノミネートされてないのに、映画史上最もお金のかかった駄作(あるいは凡作)として有名な「クレオパトラ」が作品賞はじめ9部門でノミネートされているのがウソでしょ!?と思っちゃいます。
 この号でも公開中の「クレオパトラ」の評価がBになっています。

 さて、「パリで一緒に」のグラビアページにも本文の近況の所でもオードリーがオットー・プレミンジャー監督の「天才(ザ・ジニアス)」という作品が次回作に決まったと書かれています。
 ロケ地は「許されざる者」と同じメキシコとのこと。
 でもこれが撮影されなかったのは皆さんご存知の通り。

 はて。オットー・プレミンジャー監督とオードリーというと「枢機卿」という映画が依頼されていたことは知っていましたが、この号にもう既に「枢機卿」の新作映画紹介が載っているのでそれでは無い。
 オットー・プレミンジャー監督のフィルモグラフィーを見てもそれらしき作品はない。

 結局これはオードリーが蹴ったことによって制作されなかったんでしょうね。60年代終わりから70年代前半にかけて、オードリーが首を縦に振らなかったことによって制作されなかった作品というのはいっぱいありますしね。

 オードリーは「マイ・フェア・レディ」バッシングの後、「おしゃれ泥棒」まで1年8ヶ月くらいお休みしてたんですよね。

 音楽のページでは、「映画音楽への招待」と「S盤アワー」というラジオ番組の最新のベスト10が載っていますが、前者で「シャレード」が1位、後者で2位になっています。

 「映画音楽への招待」はさらに後ろに半ページを使って文章も載っていますが、そこでは“圧倒的な女性間の支持を得てトップの「シャレード」は先月と同じ”と書かれていて、オードリーの写真も載っています。
 本当に当時「シャレード」は音楽も大人気だったんですね。

 最後にオードリーが出てくるのは「映画の友」サービス部のポートレート。「シャレード」のオードリーが販売されています。

 名作場面集というキャビネ3枚1組の作品集では「シャレード」がABCと3タイプもあることがわかります。

 これを上回るのは「荒野の七人」と「ウエストサイド物語」のABCDの4タイプのみ。

 いかに「シャレード」が大好評だったかがわかりますね。「ローマの休日」や「風と共に去りぬ」や「太陽がいっぱい」でもABの2タイプ。「ティファニーで朝食を」はAだけの1タイプのみです。

 でも3枚1組って少なくない?後年FOXスクリーンフレンドでは20枚や30枚1組で売っていたことを考えると(「おしゃれ泥棒」や「いつも2人で」という20世紀フォックスの作品は100枚1組、なんてのもあった)、全然物足りないなーと思ってしまいます。
  


2018年04月01日

「パリで一緒に」宣伝写真 女性自身1963年8月26日号

写真展 “オードリー・ヘプバーン 〜今よみがえる、永遠の妖精〜” の予定です。

大丸京都店 <ファッション編120点のみ>(終了)
大丸心斎橋店 <映画編120点のみ>(終了)
松坂屋名古屋店 <240点の中から抜粋>(終了)
日本橋三越本店 <240点が一挙に展示>(終了)
大丸札幌店 <約150点>(終了)
・大丸神戸店<約150点>(開催中)
 期間:2018年3月21日(水)~ 4月3日(火)
 場所:9階大丸ミュージアム
・そごう横浜店<約150点?>(まもなく終了)
 期間:2018年3月23日(金)~ 4月2日(月)

 公式サイトはこちら

 今回は雑誌“女性自身” 1963年8月26日号の紹介です。

 これは別に表紙はオードリーではないんですが、カラーグラビアにオードリーが載っています。

 “理性と情熱と/ヘップバーンとリズにみる二つの女性像” という題名でオードリーとエリザベス・テイラーのカラーグラビアがあるのですが、最初のページからしてオードリーとリズの扱いの差がありますよね。

 次のページをめくるとさらに扱いの差が歴然!2ページ目の写真は全部オードリーじゃないですよ。右ページ下の小さなのがリズ。残りは全部オードリー。

 これ、次のページにリズがあるんじゃないの?って思いますが、これで終了。
 じゃあリズはいらなかったんじゃあ…と思います。

 この時オードリーには「パリで一緒に」、リズには「予期せぬ出来事」が待機中。
 この2作の共通点は、どちらも主演女優の衣装がジバンシィということ。

 「パリで一緒に」のオードリーの衣装が爽やかで若々しいのに比べて、エリザベス・テイラーが着るとこんなに貫禄が出るんですね。
 ええっと、確か本当はエリザベス・テイラーの方が3才年下のはずですが、全然そうは見えませんね。

 さて、映画というのは大体公開の1年前に撮影が行われているもの。
 この号で紹介されているように、「パリで一緒に」も前年の1962年夏に撮影が行われています。なので撮影時オードリーは33才です。

 こうして宣伝用のカラー画像が紹介されているように、パラマウント日本支社も「パリで一緒に」を1963年秋に公開する予定でした。
 この時期、雑誌“スクリーン”からも「パリで一緒に」とリバイバルの「ローマの休日」を合わせた特集号が出ていましたね。

 でも「パリで一緒に」は製作国のアメリカでの公開も1964年4月までずれ込み、アメリカで公開のめども立っていない「パリで一緒に」を日本で先行公開も出来ずで、結局日本公開は1964年5月にまで延びて、後で撮影した「シャレード」が1963年12月に先に公開されました。

 オードリーをよく知らない人が1964年公開ってとこだけ見て “「パリで一緒に」オードリー35才” なんて書いてますが、本当は33才のオードリーですからね。

 「パリで一緒に」は僕のすっごい好きな作品!作品の出来よりも、オードリーの幸せオーラに圧倒されます。

 撮影当時、オードリーの息子ショーンは1〜2才。かわいい盛りで、旦那メル・ファーラーとも幸せいっぱいの時期。
 恐らくオードリーがメル・ファーラーと一番幸せだったのはここじゃないかと!

 オードリー自身が「パリで一緒に」の撮影は楽しかった!とショーンに述べていましたし、「パリで一緒に」のオードリーは美の頂点を極めています。

 初公開時、「パリで一緒に」も大ヒット!初公開時の配給収入は「ティファニーで朝食を」を上回っています。

 記事では “1位・ヘップバーン、2位・テーラー、編集部のおこなった外国女優の人気調査の結果。このふたりは、圧倒的に他を引き離していた。” と書かれています。

 映画雑誌での人気投票だけではなく、一般誌の人気調査でもオードリーの人気は凄かったんですね。
 オードリーはこの後も延々と人気が続くのですが、リズの方は女性としての成熟を見せて以降人気は下降線。ここら辺が映画雑誌でもベストテンに入った最後でした。

 他には「バターフィールド8」と「ティファニーで朝食を」でそれぞれコールガールを演じているのに、リズは生々しい迫力、オードリーは大人の童話にしてしまう、リズは悪女の魅力、オードリーは妖精の魅力。と書かれています。

 それと、この号の別のページで “パリコレ第1報” というページがあるのですが…

 左端の緑のスーツ!これって「パリで一緒に」のオードリーのパクリですよね!(→)
 髪型まで真似しています。

 これ、パリコレと銘打っていても、パリコレそのままじゃなくって、パリコレ風の衣装を自分で作りましょう!というもの。

 なので裁断用の製図なるものが書いてあります。
 この当時はまだ自分で衣装を作る人が多かったんですね。

 で、問題の緑のスーツですけど、ジャケットがダブルにはなっていますが、帽子といい、受ける印象は「パリで一緒に」のオードリーそのもの!

 でも不思議なことに他の衣装が今見るととっても時代を感じるオバちゃんぽいのですが、この緑のスーツだけは若々しく見えます。

 オードリーとジバンシィの効果、恐るべし!ですね。パクリにしてもこれだけ若々しく見えるとは!

 ちなみにこの時代はまだ若者向けのananなどはなかった時代。この女性自身も購買層・読者層は20代の人たちも多くいたはずです。
 ということで、ここでの洋服は働く若者向けでもある!ということになります。今はそうは見えませんけど。

 なので「シャレード」のオードリーの衣装を“マダム風”と表現するのは間違いですね。あれが当時の20代の人たちの洋服でもあった、ということです。

 他には吉永小百合さんがモノクログラビアに登場しているのですが、若い!この当時18才だそうです。

 でも日本の俳優さんって、この当時1年に10本以上出演なんて当たり前だったんですね。どんな短期間に撮ってるんだよ!と思いますね。今のテレビドラマ並みの制作期間。
 ちょっと粗製乱造な感じがしますね。60年代後半から邦画が斜陽になるのが理解できる感じ…。

 映画雑誌でも、オードリーの1年に1〜2本というのと違って、日本の俳優はかわいそうだとよく比較されています。
  


2016年12月06日

「パリで一緒に」オリジナル・サウンドトラック新盤 2枚組

 今回は、Kritzerland から発売された「パリで一緒に」のサントラCD新盤の紹介。

 今までも2005年に限定版ではない物が、レコードと同じ音源でサントラCD出ていましたが、今回はなんと豪華2枚組!

 Disc1が世界初のフルスコアバージョン、Disc2は別バージョン及び今までのサントラと同じ物を収録。

 よくもまあ音源を探し出してくれました!と感嘆しきり。
 もう「パリで一緒に」は2005年ので終わりだと思っていたので、こんな豪華なので出るとは思っても見ませんでした。

 2005年盤サントラCDはメインタイトルの頭が切れたまま収録されているという残念なものだったので、昔のサントラレコード→CD-R→itunesに落としたもの、がずっと必要でしたが、今回のでやっと不要になりました。

 まず1曲目のプロローグから、“うんうん、これ映画にあったよね!” って嬉しくなりました。「パリで一緒に」の映画世界に入るワクワク感そのままになっています。

 全曲聴くと、なぜ今までのサントラレコードとCDだけで満足していたんだろう?というほど漏れていた曲が多いです。

 なので、聴き進めるごとに嬉しい!とこれまたワクワク。

 効果音だと思っていたスイッチング(現実と空想の入れ替え)のシーンの音も入っていて、これまた映画を思い出して楽しい!

 この映画には往年の大女優マレーネ・ディートリッヒも一瞬だけ特別出演しているんですけど、その音楽も入ってる!

 (ちなみにディートリッヒはこのライナーノートでもど真ん中に見開きで大きく載せられてる!)

 ウィリアム・ホールデンが口述するマイヤハイム・メインタイトルの音楽だって嬉しい!
 
 そうそう、ドラキュラの洞窟のシーン〜追っかけっこの音楽も今までのには無かったよね!

 映画スタジオを逃げ回るシーンも無かった無かった!

 オードリーがバブルバスに入る時の音楽もそう言えば無かった!

 空港へ逃げるシーンの音楽、好きなのに今まで入ってなかったのに全然気付いてなかった!

 などなど、まさに「パリで一緒に」を初めて観た時に思う、“次は何が出てくるんやろ??” っていうびっくり箱のようなワクワク感満載のCDです!

 劇中劇のシーンと現実のシーンと2度出てくるチャチャチャの音楽も、今までは一緒だと思っていたのに、この2枚組CDには別の曲で入ってる!
 確かに聴き比べるとアレンジが違うんですよね。

 こういう、“2回出てきて、今まで一緒だと思ってたけど、実はその2回のアレンジが違ってた!” っていう曲が何曲もあったのが発見でした!

 また、今回今までは別のCDを買わなければ入ってなかったフレッド・アステアの歌う “THAT FACE” も今回サントラに初収録!

 ただし、映画同様最後まで入ってないのが残念!しかも映画とは切り方が違ってフェイドアウト。

 でもこれも映画と同じ効果音(?)付きだし、音は今までのアステアのCDより抜群に良いしで、これもいいよねー!って感じ。
 
 気になるのは “Tango No.1” という曲があるのに、何度見返してもNo.2が無い事。
 他の曲でNo.1があれば、No.2があるのに、これだけなんででしょう??

 もう一つ気になるのは “The Second Waltz” がメドレーと単独とで2回入っているんですけど、違いがわかりません。
 他の2回以上入っている物はバージョンが違うとか効果音抜きとかあるんですけど、これは一緒っぽい。

 もしや“Tango No.2” を入れようとして、間違えて “The Second Waltz” を収録してしまった…ってことはないでしょうね??

 あと、画竜点睛を欠く、というかなんとももったいないのはフランク・シナトラの歌う「エッフェル塔を盗んだ娘」が入ってない事!
 これはマイヤハイム・メインタイトルの途中で歌われるんですけど、そこがインストゥルメンタルのみになってます。

 Disc1は36曲79分以上で収録時間ギリギリなんですけど、Disc2は25曲56分とまだ余裕があります。
 なので、別バージョンとして入れておいて欲しかった!

 シナトラの「エッフェル塔を盗んだ娘」が入っているCDボックスが発売されていますが、それも権利元は同じリプリーズなので、収録は可能だったと思うのですが、シナトラ側がOKを出さなかったんでしょうか…。

 そのシナトラの歌が入っているCDボックスでは、映画そのもののホールデンの声とか手を叩く音とかタイプライターの音が入ってますから、音楽だけでは未収録だったんですよねー。

 シナトラの「エッフェル塔を盗んだ娘」が入る唯一のチャンスだったと思うので、ホントに残念です。
 それが入っていれば、「パリで一緒に」サントラとしては完全無欠だったんですけど…。

 あと、最近のサントラCDでよくあるんですけど、バージョンがいくつかあるものはフィルムバージョンが特典扱いってなんででしょうね。
 フィルムバージョンを最初に全部並べて、特典に別バージョン、というのが平常じゃないかと思うんですけどねー。

 これもメインタイトル、マイヤハイム・メインタイトル、広場のチェイスのフィルムバージョンが特典扱いで Disc2なのが不思議で不思議で…。

 でもトータルではとても気に入ってるんですよ!
 CDの盤面はDisc1が凱旋門辺りの地図、Disc2がエッフェル塔辺りの地図というのも凝ってます。

 2枚目を取り出す際に見えるのはウィリアム・ホールデンのみで残念…(↑の画像)と思いきや、実はケースの“2Disc” と書いてる下に柱の陰からオードリーがお茶目に覗いとうやん!(←神戸弁)

 いや、本当はレイアウトの失敗だと思うんですけど、こんなのも「パリで一緒に」らしいっちゃあらしい。
 1枚目の画像の左端で見えるかな?

 ジャケットも、これはアメリカの「パリで一緒に」ポスターの柄。
 「パリで一緒に」のビジュアルとしては72年リバイバルの日本版を上回る絵柄は世界に存在しないけど、お茶目な作りのこのCDにはこっちの方が合ってるかも。

 ライナーノートがレンガ色みたいなのがメインなのはダメっす。「パリで一緒に」はピンクだと思いますよ、僕は。

 でもまあ次にフィルム版サントラが出るのは「いつも2人で」フィルムバージョンかな?「パリの恋人」完全版かな?などと思っていたので、予想外の所からこのような「パリで一緒に」新盤サントラが、より完璧に近い状態で出てくれたのは嬉しい驚き!

 でもこういう出方の方がこれまたいかにも「パリで一緒に」らしくていいですよね。

 限定1000枚だけの発売です。数年後にはもう無くなっていますので、買おうと思っている方はお早めに!
 日本ではタワレコさんやARK SOUNDTRACK SQUAREさんで売ってます。

 買って損は無いサントラだと思いますよ。
 この盤全体で「パリで一緒に」を表現してる!とついつい笑顔になっちゃいます。

オススメ度:★★★★(今までのサントラよりボリュームも音質も大改善で★1つ増えました。)
  


Posted by みつお at 21:00Comments(6)パリで一緒にサントラCD

2016年10月26日

「パリで一緒に」フルスコア盤2枚組サントラCD、近日発売!



 新しいオードリー映画のサントラ情報が入ってきました!

 KRITZERLAND から、「パリで一緒に」のフルスコア盤オリジナル・サウンドトラックが発売との情報が入ってきました!音楽はもちろんネルソン・リドル。

 今回はなんと2枚組!世界初の発売となるフルスコア盤が1枚目、ボーナストラックと今までサントラとして発売されて来たアルバムが2枚目に収録となっています。

 今までのアルバムでは漏れていたフレッド・アステアの「THAT FACE」なども収録されるようです!
 でも見た所、フランク・シナトラが歌う「エッフェル塔を盗んだ娘」は無いような…。

 「噂の二人」のサントラも出したことのある KRITZERLAND ですが、その時も肝心のクライマックスの音楽が別バージョンしか入ってないという致命的なミスを犯しているので、フルスコアと言いながらも、シナトラは落ちたのか、と…。

 試聴した所、音質はかなり良いようですし、メイン・タイトルだけでもショートバージョン、フィルムバージョン、初期バージョン、アルバムバージョンと4種類も入っているようです。

 全世界で1000枚の限定プレスなので、無くなってしまうとあとはばかみたいに値段が高騰するばかり。
 欲しい方はお急ぎください。

 海外のKRITZERLAND やINTRADA などでも買えますが、多少高くても日本で買いたいと思う方はタワーレコードやARK SOUNDTRACK SQUAREさんで買えます。

 KRITZERLAND での公式サイトはこちら。いくつかの曲が試聴出来ます。

 なお、今回の記事はゲッティイメージズの無料の画像を使ってみました。使い方の記事は「おしゃれ泥棒、オードリー・ヘップバーン!」で。




  


2014年06月02日

「パリで一緒に」公開50周年記念 キャビネ写真 その2

まずは6月のオードリー映画上映案内です。

「いつも2人で」(イオンシネマ“シネパス”)
 グループ1
 北海道 イオンシネマ江別・イオンシネマ小樽・イオンシネマ北見・イオンシネマ釧路
 宮城 イオンシネマ名取・イオンシネマ石巻
 山形 イオンシネマ天童
 新潟 イオンシネマ県央・イオンシネマ新潟西・イオンシネマ新潟南
 群馬 イオンシネマ太田・イオンシネマ高崎

 天童のみ6/14~20、それ以外は6/16~20。

「マイヤーリング」
 下高井戸シネマ 6/28(土)〜7/4(金) 12:25

 さて、今回も引き続き「パリで一緒に」日本初公開50周年記念で、キャビネ写真を紹介します。

 今回も「パリで一緒に」に関する事と写真に関する事で、文章が「パリで一緒に」構造になっています。画像に関する事は(カッコ)付きになってます。

 「パリで一緒に」、公開順では「シャレード」と「マイ・フェア・レディ」というオードリーの2大作品に挟まれて目立たない存在ですけど、オードリーの人気の絶頂期だっただけあって、初公開時にはきちんとヒットしています。

 (今回の1枚めは共演のウィリアム・ホールデン。朝起きて、フレッド・アステアの“THAT FACE”の音楽に合わせてオードリーの顔を見つめるシーン。彼は死ぬまでオードリーに恋してたとか…。
 それにしてもホールデンって老けてますよね。調べたら撮影時はまだ44才!すっかり見た目初老じゃないですかーっ!やっぱりアルコールのせい?それとも昔はみんなそうだったのか…。そういえば「麗しのサブリナ」の時から既に35才くらいに全然見えないほど老けてましたけどね。)

 日本での配給収入(今は単純売り上げの興行収入で計算されていますけど、昔は売り上げから劇場の取り分を差し引いた配給収入で計算されていました。配給収入は、興行収入の約50%くらいだそうです。)も「おしゃれ泥棒」公開後までの成績で1億214万1000円。
 「ティファニーで朝食を」の8770万円よりも上です。
 
 ちなみにこの当時は配給収入が1億円を超えると大ヒットだったそうです。それ以下の「ティファニーで朝食を」は水準成績だそう。

 (2枚めのオードリーは正面からの撮影。これ、オードリーが綺麗なんですが、よく見るとオードリーの鼻の形が左右非対称なのがよくわかる画像になっています。オードリーが写真撮影はなぜ左からにこだわるのかはこの鼻にあるような気がします。)














 確かに、「ティファニーで朝食を」のスカラ座初版パンフレットよりも「パリで一緒に」のスカラ座初版パンフレットの方が入手しやすいですもんね。やはり世の中に出回ってる数が多いのでしょう。

 なので、この「パリで一緒に」もその興行価値を見込んで72年にリバイバルされたんですよね。その後86年くらい(実際は88年か?)にもリバイバルされましたし、ここらでそろそろまたリバイバルをして欲しいところです。

  そういえば、歴代映画興行成績で観客動員数が最近のしか残ってなさそうなのが残念ですね。

 wikiとか見ても、明らかに映画全盛の時代の大ヒット作が全然入ってませんもんね。

 オードリーの「ローマの休日」や「マイ・フェア・レディ」はもちろんのこと、「風と共に去りぬ」「ウエストサイド物語」「サウンド・オブ・ミュージック」「アラビアのロレンス」、それに「マイ・フェア・レディ」でも抜けなかったという、67年当時の史上最高収益の1.2である「007/サンダーボール作戦」「ベン・ハー」などがないのも、資料として不完全なんですよね。

 なので、日本ではアメリカみたいに、インフレを考慮しての歴代順位とかが出せないみたいで…。













 (上左の写真は、珍しくオードリーが自毛のロングヘアをおろしている写真。でもこの映画を最初に見た時から、オードリーってロングヘアよりもアップにしてる方が似合うよなーって思ってました。この画像は綺麗だけどね。右のお風呂に入るオードリーはまたまためっちゃかわいいです。)

 ビデオとレーザーディスクの時代、この「パリで一緒に」はファンの間でもビックリするくらいカラーが鮮やかでした。

 オードリーの着るジバンシィのオレンジやピンクの衣装や、背景のフランス国旗や緑の葉の綺麗だったこと!

 よくここまでいい状態で保存されていたなあ〜と感心してました。これぞテクニカラー!みたいな。おそらくオードリー映画では一番良い状態で見れたのではないかと。

 ところがDVDになってビックリ!なんとビデオ時代よりも画面は濁り、色褪せたような単に古い映画になっていました。書いていませんが、DVD化に当たって、おそらく画質はある程度デジタル調整されてしまったんだろうと思うんですが、現代の流行りの濁った抑えられた色に…。

 (このパーティーでのシーンで、オードリーの夫のメル・ファーラーがドラキュラから狼男になる役で出てますよね。まあこれも、オードリーとメル・ファーラーの共演ということでしょうか…絡んでないけど。
 ピーター・セラーズはチャップリンの扮装で出てるらしいんですが、セラーズを良く知らないので、“そうなのか…”と思うだけで、感激は無いです。
 今の若い人たちにとっては、ディートリッヒもトニー・カーティスも主演のホールデンにさえも何とも思わないんでしょうね。)

 あー、ホンとパラマウントの画質調整担当はなんてことするんだーっ!せっかくの「パリで一緒に」の良さの1つを明らかに殺してしまってます。

 確かに「パリの恋人」や「ティファニーで朝食を」のような代表作ではないかもしれんけど、オードリーのファンはどの作品も大事なんやから、粗雑に扱ってほしくないなーと思いました。

 そうそう池田昌子さんによる「パリで一緒に」や「マイ・フェア・レディ」の完全版吹替も収録してほしいんですけどっ!マジで。


 (このラストでオードリーが着ている服も、DVDで色が抑えられたために、地味なピンクになってます。本当はショッキングピンクみたいな色だったのにね〜…。
 あと、ラストの大騒動で、アイスクリームがベランダのお婆ちゃんの顔やおばちゃんの胸に当たるというベタなところが、子供の頃に見た時は面白かったんですけど、2度め以降に見た時はそんなに面白くなかったかなー。年のせい?残念だなー。)

 ラストシーンの、シャイヨ宮前の広場での花火と噴水のシーンがキレイで大好きです。

 前回と今回の「パリで一緒に」スチール集はいかがでしたか?僕はもう見慣れてしまった画像ばかりで新鮮味が無いのですが、実は珍しい画像も混じっているかもしれませんね。
  


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2014年05月30日

「パリで一緒に」公開50周年記念 キャビネ写真 その1

 いよいよ来月全国のイオンシネマの先陣を切って、シネパスのグループ1で「いつも2人で」がリバイバル上映されます!

★グループ1
 北海道 イオンシネマ江別・イオンシネマ小樽・イオンシネマ北見・イオンシネマ釧路
 宮城 イオンシネマ名取・イオンシネマ石巻
 山形 イオンシネマ天童
 新潟 イオンシネマ県央・イオンシネマ新潟西・イオンシネマ新潟南
 群馬 イオンシネマ太田・イオンシネマ高崎

 天童のみ6/14~20、それ以外は6/16~20。

 色々事情もあるのでしょうが、僕なんかは同じ県はむしろグループを分けた方が、最初の時期は見逃しても、別の時に近所で行けるからいいんじゃないの?って思うんですけどね〜。どうなんでしょう…。

 みなさんこんにちは。今日2014年5月30日は「パリで一緒に」日本初公開からちょうど50年にあたります。
 1964年5月30日に東京のスカラ座で初日が行なわれています。

 なので、今回と次回は「パリで一緒に」のグッズ。昭和の時代に、映画館の入口あたりにガラスのショーウインドウに入って展示されていたキャビネサイズのスチール写真です。
 残念ながら初公開時の物ではなく、1972年リバイバル時の物ですけど。(^^;A

 元々自分が持っていた物と、常楽さんにいただいた画像とがあります。ダブっていた物は常楽さんに頂いた方がプリントの質が高いので、そちらを載せています。「総天然色 パリで一緒に」とプリントに入っている物が常楽さんに頂いた物です。

 ただ残念なのは、ほんっっっとうに綺麗な水色のナイトガウン姿で歩くオードリーの画像が1枚もないこと!それに、そのスチールを見たこともありません。これはスチールカメラマンの大失態ですね。

 そして今回は「パリで一緒に」のように、ここでの文章も二重構造になってます。「パリで一緒に」に対する文章と、画像に対する文章。画像に関する方は(カッコ)付きで書いてます。読みにくいんですが、ご了承ください。m(_ _;)m

 これ、わざとそうしようと思ったんじゃないんですが、「パリで一緒に」の事も書きたいし、画像に関しても書きたいな〜って書いてたら、こうなってしまいました。“「パリで一緒に」みたいな二重構造”というのは後付けです。(^^;;;

 (最初の画像は72年リバイバル時のメインデザイン。ポスタープレスシートチラシパンフレットはみんなこのデザインでした。「パリで一緒に」に関しては、現在でも世界で最も優れたアートワークだと思います。)













 (続いての2枚は、オープニングのシーン。左の画像のメリーゴーラウンドの場所は、次に撮った「シャレード」でも使われていましたね。ライトグリーンのジバンシィのスーツがとても美しく、且つこの時期のオードリーにとても良く似合ってます。そしてどっちの画像もめちゃくちゃオードリーがキレイ!!)

 この時期、63年12月には「シャレード」、64年5月にこの「パリで一緒に」、そして64年12月には「マイ・フェア・レディ」と、オードリーの新作が立て続けに来てます。64年10月には「戦争と平和」の1回めのリバイバルもありましたし、1964年は1年中どこかで何かしらのオードリー映画を上映していたという、夢のようなオードリーイヤーだったんですね。
 
 オードリーって、1年に1本っていうイメージがありますけど、実際に公開初日を調べると、実は何本か固まって公開、1年以上間が空いてまた何本か公開、ってパターンが多いです。

 (これもオードリーがすっごくカワイイ!左の写真は、オードリーのスーツのライト・グリーンと、鳥かごのイエローの組み合わせもステキでした。右のシーンは、実際の映画ではまだスーツの上着を脱いでません。こういうスチール写真って、リハーサル時に撮影されるんでしょうかね。)

 さて「パリで一緒に」、作品の評価はあまり芳しくありません。
 僕はと言うと、最初小学生だか中学生だかにテレビで見た時はめちゃくちゃ面白くて、それまで一番好きだったヴィヴィアン・リーを抜いて、僕の一番好きな女優さんになったという作品です。

 その後長い間見れなくて(昔はビデオとかもないので、自主上映やテレビ放映、運が良ければリバイバルされるまで我慢強く待つしかなかったんです。)、ずっとまた見たいと思ってたんですけど、やっと次に見れたのは大学生の頃。自主上映の大阪ロイヤルホテルでした。

 待ちに待った「パリで一緒に」がまた見れる、しかも初めてのノーカット版!ってんでめっちゃ嬉しくて、高校時代のクラブの男女の友達を何人も引き連れて“僕の一番好きな映画やねん!”って言いまくってから観たんですけど、再度観ると後半が特に“あれ、あれれ?”って感じで、こんなダレた作品やったかなー?ってちょっと評価が落ちてしまいました。マイフェイバリット!って言ったのがちょっと恥ずかしいような、この作品を見に連れてきたことが申し訳ないような…。(^^;;;

 (左のオードリーはやっぱり美しい!右は特別出演のマレーネ・ディートリッヒ。撮影時には60才だったんですが、まだこの美しさ!オードリーとは「麗しのサブリナ」の頃に一緒に写っている画像が残されています。ディートリッヒがオードリーを気に入っていたとか。
 そして、ディートリッヒはこうしてプリントがあるんですが、もっと重要な役で出ていたトニー・カーティスは全くキャビネ写真が無いんです。なんででしょうねー。)

 で、それまで「パリで一緒に」と「いつも2人で」で争っていた僕のベスト1は「いつも2人で」固定になり、そのままずっと現在まで続いてるんですけれども。(^^;;

 作品的には確かにオードリー作品としては下位に置かれる「パリで一緒に」なんでしょうけど、この「パリで一緒に」には監督と脚本のダメダメさを補ってあまりあるオードリーの美しさ&可愛さがありますよね!
 なので、僕の思い入れは非常に大きく、今でも好きなオードリー作品第5位に入ります。

 オードリーだけを観てたら、本当にこの作品は素晴らしい!おそらく美しさの絶頂だと思われるこの時期のオードリー。過去にも書いてますし、「マイヤーリング」パンフレットでも書かせてもらいましたけど、念願の息子ショーンは生まれたばかりで夫メル・ファーラーとの仲も順調という、私生活では一番充実していた頃。

 さらに、出来はともかくキャストやスタッフには恵まれたようで、オードリーはのびのびしてて、本当に撮影が楽しそう!

 伝記ではウィリアム・ホールデンがアルコール中毒で、撮影が大変だったと書かれてて、それを鵜呑みにしてる人もいるみたいですけど、これはオードリーのコアなファンならオードリーを見ているだけでわかるんですよね〜!少なくともオードリーは大変じゃないなって。
 案の定息子ショーンの伝記ではオードリー自身は撮影は楽しかったと言ってたそうだし。

 (こちらは2枚ともオードリーの嫌いな右からの画像…なんですが、左の画像はやっぱりこの時期のオードリーだけあって、72年リバイバルポスターなどのメインイメージになったほどの美しさ&可愛さ!ホントに綺麗〜!)

 メイクも50年代と比べると眉の描き方が物凄くナチュラルになってるし、目も自然。

 髪型はおそらく一番オードリーに似合うんじゃないかという、前髪ありの、トップを盛りに盛ったスタイル。
 実際、このヘアスタイルがオードリーのイメージだった時期もあったしね。

 この時期のオードリーのポートレートやスナップは、どこから撮っても誰が撮っても、美しく撮れています。

 あ、そうそう!「パリで一緒に」の紹介で“ウィリアム・ホールデン3役”なんて書かれてますけど、それ間違いですよ!
 映画を見れば一目瞭然なんですが、ホールデンは2役だっていうのがわかります。“リチャード、リック、フィリップの3役”なんて書いてありますけど、フィリップはトニー・カーティスの役ですってば!

 昔っからパラマウントの公式でもそういう風にアナウンスしてるからたちが悪い!今も「パリで一緒に」の紹介をしている有名な各映画サイトでもみんなそう書いてます。どこも映画観て書いてなくて、コピペしただけの間違い垂れ流しなんだねーみたいな。














 (上の左の画像は、64年日本初公開時にポスターになった画像。右の画像は、馬車に乗って逃げようとするオードリーの変な顔がめっちゃカワイイ!シネアルバムで見る事が出来ます。)

 (今回最後の画像は、最初に書いていた、超絶美しいブルーのナイトガウンのオードリーが寝るシーン。やはりこのオードリーもめちゃくちゃ綺麗です!でも化粧は全然落とさないで寝てるけど…。映画でもほぼ真ん中辺りで、これで前半は終了します。)

ではでは、次回も引き続き50周年の「パリで一緒に」のキャビネ画像でお楽しみください。
  


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2012年09月15日

「パリで一緒に」1972年リバイバルチラシ

 “超絶かわいい!!”
 これが、「おしゃれ泥棒」から、今オードリー作品をどんどん見てもらっている20代女性の「パリで一緒に」を見ての感想でした。“かわいさでは1番!”

 もう一人、見てもらった別の20代女性の感想では、“あのブルーのナイトガウン姿のガブリエル見せられたら、絶対男の人「がんばろう!」って思うよね!”でした。

 “あんまり面白くないかもしれんけど…。”って見てもらった「パリで一緒に」でしたけど、“えー、面白かったよー!”だそうです。
 う~ん、みんなありがとー!!(^-^

 さて、というわけで今回はそんな「パリで一緒に」の1972年リバイバル時のチラシ。

 このオードリーを大きく扱った絵柄というかデザインは、72年リバイバル時の共通のもので、ポスタープレスシートパンフレットもみーんなこれ。
 本当に素晴らしくて、「パリで一緒に」に関するアートワークとしては世界一!だと思っています。
 僕もこのデザインを初めて見たときはあまりの綺麗さにビックリしましたし!

 でも当時はチラシというものの扱いが一番低く見られていたのかなーと思うんですが、他の宣材に比べると、発色が一番きちゃない!
 プレスシートとかで使ったものの使いまわしでしかないみたいで、オードリーの顔色とかえらく濁ってます。
 プレスと比べれば、その質の違いは一目瞭然。

 こういうプレス→チラシでの劣化って、73年リバイバルの「シャレード」や「戦争と平和」でも起こってましたね。
 まだ70年代後半に起こるチラシブーム前だし、タダで大量に映画館に置いて配るだけの物に、品質的にこだわることがあんまりなかったんでしょうね。

 さて、オードリーの各種伝記では “ウィリアム・ホールデンはアル中で、現場は辛かった。” って書かれてた「パリで一緒に」ですけど、残されている「パリで一緒に」の撮影合間のスナップや、宣伝写真を見る限りでは、“このオードリーのまぶしさはなんだっっっ!”っていうくらい輝いているオードリー。

 映画の中でも宣伝材料でもスナップでも、びっくりするくらい「パリで一緒に」のオードリーは美しく、且つかわいい!!です。

 そんなこの作品のオードリーを見るにつけ、“オードリーは現場を辛いと思ってたはずはない!”と感じてましたが、ショーンの書いた伝記でこの疑問は解消。
 オードリーはショーンに、“出来は他のほど良くないけど、現場は楽しかった。”と述べていたそうです。

 1962年の「パリで一緒に」撮影当時、オードリーは33才になったばかりで、ショーンは1~2才。一番かわいい盛りですよね!
 念願のベビーは授かったし、メルとの夫婦仲も円満。大事なフェイマス(一説では既にアッサム)もいるし。

 他にも実のお父さんにも会えたし、「ティファニーで朝食を」でダヴィッド賞の女優賞は受賞したばかりだし、「マイ・フェア・レディ」での念願のイライザ役も決まってるし、仕事もプライベートも順風満帆!

 さらに映画ではドレスも香水もジバンシィ。ずっとオードリーに恋しているホールデンはもちろん、トニー・カーティスも監督のリチャード・クワインもオードリーを大事に扱ってくれるし、オードリーからしたら、“何の不満もございません!”ですよね。

 作品的には評価されてない「パリで一緒に」なので、確かに映画ファンの方にはあってもなくてもいいオードリー作品かもしれません。

 でも、オードリーファンにしたら、人生で最も美しくかわいかったこの時期に、よくぞ映像を残していただきました!っていう大事な大事な、なくてはならない映画!なんですよ!(^-^

 ちなみに、映画初公開時(1964年)はオードリー人気の全盛期。日本では当然のようにヒットしたので、この1972年にもリバイバルされたんですが、その72年時のロードショー館である丸の内松竹での様子が廃刊になった雑誌「ロードショー」に載ってましたので、その貴重な画像を紹介します(←)。

 等身大に近い、看板の鳥かごを持つオードリーや、左上のチラッと見えるストローハット&オレンジドレスのオードリーがいいですねー!

 今のシネコンと違い、昔は1館で1作品を総力をあげて上映しているんだな~ってわかるのがいいですよねー。

 劇場前に飾られている「パリで一緒に」のキャビネ写真を見てから、オードリーの立看を横目に見てオードリーの大看板の下を通り、入口のチケット売り場で「パリで一緒に」だけでデザインされた前売り券をもぎってもらって劇場に入り、半裁ポスターの飾ってあるロビーの売店でまっさらなパンフレットを買う…。

 今はなくなってしまった昭和の映画館でのロードショーの風景ですけど、そんな雰囲気でオードリー映画を見てみたかったですねー。
 まあもっとも、昔の劇場って席は狭いし座り心地は悪いし、前後の席との段差もあまりなかったので、めっちゃ見にくかったんですけどね。(^^;

絵柄のお気に入り度:★★★★(本当は★5つだけど、このチラシは発色悪いので)
  


Posted by みつお at 11:00Comments(6)パリで一緒に