2009年03月05日
「尼僧物語」原作 キャスリン・ヒュウム:著 和田矩衛:訳
今年の“スクリーン”の人気投票では、オードリーは第2位!でした。画像が今までの写真集で使っていたものだったんで、僕は買ってないんですが、欲しい方は本屋さんへGo!
それと、「緑の館」のDVDが、イギリスではとうとう4月に発売されます!日本でももうすぐかな?
アメリカではまだみたいですけど、ヨーロッパと日本先行では「華麗なる相続人」の例もありますし、期待して…いいのかな?(^^;
ずいぶん長くご無沙汰してしまいまして、申し訳ありません。m(_ _;)m
今日は「尼僧物語」の原作本の紹介です。出版は清和書院というところ。奥付を見ると、昭和34年1月10日第一刷発行になってます。明らかに映画の「尼僧物語」公開に合わせてますよね。定価は300円だそうです。表紙には油紙が巻いてあります。
最近のオードリー関連本では「キャサリン・ヒューム」と表記されることが多い原作者ですけど、この本では「キャスリン・ヒュウム」になっています。翻訳者は和田矩衛という方。
今回、このブログに載せるために始めから読み返してみましたが、以前感じたことと同じ、翻訳の点で、最初作品世界に入り込むことが難しかったです。
というのも、普通はカトリックの尼僧に対しては、“シスター”と呼ぶのが普通だと思うのですが、この原作本では“姉”と訳されているので、なんかいちいちそこでひっかかるんですよね。
たとえば“シスター・ルーク”は“ルーク姉”。これに馴染むのに、ちょっと時間がかかりました。(^^;
訳者のあとがきで、“わが国の修道院では何々姉と言わずにシスタア何々と呼ぶが、読者の便宜のため一々訳語を付けてみました。”とあります。いや、あの、それ読者の便宜になってないから。(^^;
内容的には、さすが原作ですね!映画では時間や予算の都合で描けなかったことが色々と出てきます。
たとえば、精神病のサナトリウムでは、シスター・ルークが敬愛していた先輩シスターが殺害されるというエピソードがあります。
また、映画でもリハーサルまで行われ、スチール撮影も済んでいた、コンゴでの増水で人が飲み込まれ、なすすべもないというエピソードも、ここでしっかりわかります。
これって別に、ドラマティックだから、と言う理由だけで書かれているわけじゃないんですよね。実は、その増水の話を聞いた時に勝手に行ってしまい、シスター・オーレリーに譲らなかった、謙譲の心が欠けている、という指摘を受けて苦悩するシスター・ルークのお話というわけ。
また、オードリーの戦争の記憶がよみがえるので、省いたといわれる戦争中のシーンですが、かなり本では詳しく描かれています。イギリスの飛行士をシスター・ルークがドイツ兵に嘘をついてかくまったり、スパイのためにゲシュタポの将校になっているイギリス人の話などが描かれます。
原作では、修道院を出た直後のシスター・ルーク=ガブリエルの話が少しあるんですが、そこで気づかされるのは、尼僧のベールは、視野をかなり制限しているということ!広角レンズのように見える広がった世界に、ガブリエルが戸惑っているシーンがあります。
それと、これはこの本でわかるオマケなんですけど、映画には出てこない人物で、ガブリエルの叔母がガブリエルのことを“ギャビィ”と呼ぶんですよね。あー、ガブリエルの愛称はやっぱりギャビーなんや、って思いましたね。
「パリで一緒に」の脚本家ベンスンが劇中劇のヒロインを決めた時に、現実のガブリエルが“ギャビー!?”って驚きますけど、そんな驚くこととちゃうやん!とかってね。
「尼僧物語」って、最近ではよく晩年のオードリーの活動と近いってことで取り上げられますけど、実は僕はそんな風にはあんまり思ってなくて、いちばん最初にそういう比較の文章を読んだ時、かなりビックリしたんですよね。
「尼僧物語」は、やろうと思うのに、教えに行動の制限を受けることに苦悩する尼僧の話だし、オードリーは別に時間以外は制限なんて受けてないけど、現実の子供たちの状態を見て苦悩してるわけだし、いまいち一致する部分って少ないんじゃないのかな~?と。
むしろオードリーとかぶるとすれば、修道院を出た、よって映画では描かれていない“その後のガブリエル”なんじゃないかなーと。
ハイアムの伝記で、シスター・ルークのモデルになったマリー・ルイーズ・アベの話が出てきますけど、キャスリン・ヒュウムに“あなたは聖者だわ!”と言われた時にあとじさってるんですよね。
だって、尼僧をやめないと出来なかったことをしてる自分に対して、“聖者”といわれたら、誰だってひきますよね。
オードリーの行動も尼僧とは似て非なるもので、オードリーがやっていることは自分が有名で目立つのを利用して、その注目を世界の(生きることすら難しい)子供たちに向けさせること。そして自らその地へ赴いていって、じかに触れ、感じとり、世界に発信すること。
これはこの原作を読むとよくわかるんですけど、個よりも全体を重んじる尼僧では決して出来ないことなんですよね。
以前も「尼僧物語」の2枚組みサントラの時に書きましたけど、決して原作も映画も「尼僧“否定”物語」ではないので、そこのとこを履き違えないでくださいね。そこを間違えると「尼僧物語」はずいぶん小さなお話になる気がします。
オススメ度;★★★★
それと、「緑の館」のDVDが、イギリスではとうとう4月に発売されます!日本でももうすぐかな?
アメリカではまだみたいですけど、ヨーロッパと日本先行では「華麗なる相続人」の例もありますし、期待して…いいのかな?(^^;
今日は「尼僧物語」の原作本の紹介です。出版は清和書院というところ。奥付を見ると、昭和34年1月10日第一刷発行になってます。明らかに映画の「尼僧物語」公開に合わせてますよね。定価は300円だそうです。表紙には油紙が巻いてあります。
最近のオードリー関連本では「キャサリン・ヒューム」と表記されることが多い原作者ですけど、この本では「キャスリン・ヒュウム」になっています。翻訳者は和田矩衛という方。
今回、このブログに載せるために始めから読み返してみましたが、以前感じたことと同じ、翻訳の点で、最初作品世界に入り込むことが難しかったです。
というのも、普通はカトリックの尼僧に対しては、“シスター”と呼ぶのが普通だと思うのですが、この原作本では“姉”と訳されているので、なんかいちいちそこでひっかかるんですよね。
たとえば“シスター・ルーク”は“ルーク姉”。これに馴染むのに、ちょっと時間がかかりました。(^^;
訳者のあとがきで、“わが国の修道院では何々姉と言わずにシスタア何々と呼ぶが、読者の便宜のため一々訳語を付けてみました。”とあります。いや、あの、それ読者の便宜になってないから。(^^;
内容的には、さすが原作ですね!映画では時間や予算の都合で描けなかったことが色々と出てきます。
たとえば、精神病のサナトリウムでは、シスター・ルークが敬愛していた先輩シスターが殺害されるというエピソードがあります。
また、映画でもリハーサルまで行われ、スチール撮影も済んでいた、コンゴでの増水で人が飲み込まれ、なすすべもないというエピソードも、ここでしっかりわかります。
これって別に、ドラマティックだから、と言う理由だけで書かれているわけじゃないんですよね。実は、その増水の話を聞いた時に勝手に行ってしまい、シスター・オーレリーに譲らなかった、謙譲の心が欠けている、という指摘を受けて苦悩するシスター・ルークのお話というわけ。
また、オードリーの戦争の記憶がよみがえるので、省いたといわれる戦争中のシーンですが、かなり本では詳しく描かれています。イギリスの飛行士をシスター・ルークがドイツ兵に嘘をついてかくまったり、スパイのためにゲシュタポの将校になっているイギリス人の話などが描かれます。
原作では、修道院を出た直後のシスター・ルーク=ガブリエルの話が少しあるんですが、そこで気づかされるのは、尼僧のベールは、視野をかなり制限しているということ!広角レンズのように見える広がった世界に、ガブリエルが戸惑っているシーンがあります。
「パリで一緒に」の脚本家ベンスンが劇中劇のヒロインを決めた時に、現実のガブリエルが“ギャビー!?”って驚きますけど、そんな驚くこととちゃうやん!とかってね。
「尼僧物語」って、最近ではよく晩年のオードリーの活動と近いってことで取り上げられますけど、実は僕はそんな風にはあんまり思ってなくて、いちばん最初にそういう比較の文章を読んだ時、かなりビックリしたんですよね。
「尼僧物語」は、やろうと思うのに、教えに行動の制限を受けることに苦悩する尼僧の話だし、オードリーは別に時間以外は制限なんて受けてないけど、現実の子供たちの状態を見て苦悩してるわけだし、いまいち一致する部分って少ないんじゃないのかな~?と。
むしろオードリーとかぶるとすれば、修道院を出た、よって映画では描かれていない“その後のガブリエル”なんじゃないかなーと。
ハイアムの伝記で、シスター・ルークのモデルになったマリー・ルイーズ・アベの話が出てきますけど、キャスリン・ヒュウムに“あなたは聖者だわ!”と言われた時にあとじさってるんですよね。
だって、尼僧をやめないと出来なかったことをしてる自分に対して、“聖者”といわれたら、誰だってひきますよね。
オードリーの行動も尼僧とは似て非なるもので、オードリーがやっていることは自分が有名で目立つのを利用して、その注目を世界の(生きることすら難しい)子供たちに向けさせること。そして自らその地へ赴いていって、じかに触れ、感じとり、世界に発信すること。
これはこの原作を読むとよくわかるんですけど、個よりも全体を重んじる尼僧では決して出来ないことなんですよね。
以前も「尼僧物語」の2枚組みサントラの時に書きましたけど、決して原作も映画も「尼僧“否定”物語」ではないので、そこのとこを履き違えないでくださいね。そこを間違えると「尼僧物語」はずいぶん小さなお話になる気がします。
オススメ度;★★★★
2008年07月07日
「オンディーヌ」ジャン・ジロドゥ 二木麻里 訳の現代語版
「オンディーヌ」の翻訳としては、白水社から「ジロドゥ戯曲全集第5巻」に所収されて2001年に復刊発売(もとは1950年代発売)されているのは知っていたのですが、ちょっと値段が簡単に手が出る物ではなかったんですよねー。
それで延ばし延ばしにしてたら、光文社から文庫が出たのでこっちを買ったというわけ。(^^;
読んでみてですね、感想は、結構面白かったですよ。現代語訳で読みやすかったし。
でもこの現代語訳というのが諸刃の剣。読みやすくはなったけど、なんかオンディーヌが軽薄に見えるんですよね。
で、オンディーヌをオードリーで考えたい僕としては、言葉使いを脳内変換しなければならないところが多々ありました。
この「オンディーヌ」は劇団四季が取り上げているそうなので、今回文庫になったんでしょうが、劇団四季もオードリーの舞台も見ていない僕はこの現代語訳のだけで読んだ感想なんで申し訳ないのですが…。
まず、第1幕はオンディーヌとハンスの出会い。オンディーヌがハンスを“きれい!”と形容した段階で、僕の中でのメル・ファラーの顔に×印が付きました。
こういう設定なのに、メルがオードリーとの舞台にこれを選んで、自分がハンスを演じるなんて図々しい(笑)!
第2幕がとても不思議な展開。水の精の王が化けている奇術師のせいで、時間が何度も早送りされるんですよね。そしてオンディーヌとハンスの結婚式になるのですが、ここでのオンディーヌの言動が、ハンスでなくてもイライラするほどの思慮のなさ。これもきっと現代語のせいで、よりオンディーヌが浅はかに見えるんでしょうねー。
第3幕はハンスとハンスの元の婚約者ベルタとの婚礼、そしてオンディーヌの裁判になるのですが、第2幕でオンディーヌとハンスの深い愛が描かれていないせいか、オンディーヌの軽率さで離婚になったのかと、あまりの唐突な展開に僕はビックリ!それで最後はハンスの死、そして記憶を失うオンディーヌと来るので、感動とか深い悲劇を味わうヒマもありませんでした。(^^;A
う~~ん、オンディーヌとハンスの愛が深く描かれてこそ最後の悲劇が活きるんでしょうけど、ちょっとこれではねー。
もちろん舞台の場合、上演時間の問題もあるし、この戯曲では淡々と描かれてても、舞台では俳優さんが演技で表現するので当然味わいは変わってくるのでしょうけども。
他にも、裁判官が“火あぶりにしたら死んだので水の精だった”とか“水に沈めたら溺れ死んだので火の精だった”とか恐ろしげな魔女裁判的発言も眉をひそめていたのに、これも笑うところだったらしく、全然ツボを突けてない僕は、自分に呆れました。
また、1939年ジロドゥの「オンディーヌ」成立までの図が載っていて、1811年フーケの「ウンディーネ」がベースになっているのがわかるんですが、そういえばこの表にはないけど、僕の好きなチャイコフスキーも1869年に「ウンディーネ」のオペラを作曲したよなーって思いました。
チャイコフスキーは出来が気に入らなかったりすると、よく破棄してしまったので、完全版はこの世に残ってないんですけどもね(もったいない!)。
なお、この本にオードリーのことは全く出てきません。あしからず。
でも今回これを読んで思ったのは、“きれい!”なハンスがメル・ファラーでいいのか?というのはおいといて、メルがオードリーとの最初の共演にこれを選んだのはまさに暗示的!
だって、誰もこの点を指摘してないんですけど、オードリーとメルのその後は、まさにオンディーヌとハンスそのものなんですよ!
ハンスが制御できないオンディーヌは、メルが手の届かない所までスターへの階段を昇ってしまったオードリー!
そして、ハンスが他の女性と結ばれることになった時に、ハンスは死に、オンディーヌは記憶を失うんですが、それはメルが浮気をし続けたために、オードリーがメルへの愛情を完全に失ったことに置き換えることができます。
その後にオードリーとメルが共演する作品は、「戦争と平和」にしろ「マイヤーリング」にしろ、うまく二人が結ばれないお話ばかり。最初にメルはもっとハッピーエンドな作品を選んだ方が良かったかもしれないですねー。
…というわけで、なんかこれでよかったのだろうか?っていう僕の「オンディーヌ」体験だったんですが、今度はもっと文語調であろう白水社版の「オンディーヌ」も読んでみたいと思っています。この作品の真価は両方読んだその時にわかるんじゃないかなーと。
ちなみに別の訳者さんですが、同じ光文社古典新訳文庫での別の本で、誤訳論争が起こっていることも付け加えておきます。
2つ目の画像は「映画ストーリー臨時増刊 オードリー・ヘップバーン」に載っていた画像ですが、「オンディーヌ」の扮装のままでニューヨーク大サーカスのオープニングパレードをするオードリーとメル・ファラー。
このときの映像が残っていて、YouTube に載ってたりするもんでビックリ!よくまあこんな昔の映像が残っていましたね!って。
オススメ度:★★(読みやすいし、今なら入手しやすいので)
2008年06月27日
コレット著作集11「ジジ」 ガブリエル・コレット
もちろんこのブログでコレットというからにはオードリーが舞台で演じた「ジジ」が収録されています。
この著作集は1970年の第1巻の刊行から、最後の第12巻は1980年刊行という、足掛け10年にもわたるものだったようです。
コレットというと断然「青い麦」が有名ですけど、僕は残念ながら読んだことが無いんです。いや、読もうと思ったことはあるんですけどね。(^^;
小学生だか中学生だかの頃、近所の本屋で「青い麦」を買おうかと思ったんですが、横にあった新潮文庫版「牝猫」のいかにも絶版になりそうな佇まいを見てですね、これから先に買おう!と決めて買ったのがいけなかったんでしょうかね。なんか読んでも全然面白くなかったんですよね、僕には。
それで「青い麦」にはたどり着かなかったんですけどもね。ま、「牝猫」は予想通りすぐに絶版になりましたけど。
でもなんだか「青い麦」には最後、仕掛けがあるんですか?なんか面白そうですよね。やっぱ先に「青い麦」を読んでおくべきでしたね~。
さて、そんなコレットとの出会いでしたので、この「ジジ」もオードリーと関連がなかったら、おそらく一生読まなかったであろう作品。入手も難しいし。
この本を手にしてわかった意外なことは、「ジジ」は1冊の長編ではなく、3編の短編集だってこと!
だから実際にはオードリーの演じた「ジジ」は、「ジジ」という短編集の中の「ジジ」というお話なんですよねー。
で、読んでどうだったかと言うとですね、“ふ~ん”って感じ。
僕はレスリー・キャロンがジジを演じた映画「恋の手ほどき」も未見ですが、おそらくオードリーの演じた舞台にしろ、映画にしろ、この短い小説を膨らませているんでしょうけどね。
映画のモーリス・シュバリエにあたる人は出てきません。
それにジジはプラチナ・ブロンドの15才なんですよね、原作では。
これでよくコレットはオードリーを見て、“私のジジがいる!”と言ったなぁ…と。なんかイメージちゃうんですよね、オードリーとは。
コレットが見ていたのは「モンテカルロへ行こう」の撮影中ですから、確かに「モンテカルロへ行こう」の中にはオードリーが金髪のカツラをかぶっているシーンがあるので、そこを見て“私のジジ!”だと思ったのかもしれませんが…。
こうなると、何かの本で、コレットはオードリーだけに“私のジジ!”だと言ったのではなくて、それまでにも何人にも“私のジジ!”発言をしていたというのも、なんとなく信憑性があるような…。
さて原作のジジ、15才だというのに、お酒は軽く飲むわ、タバコ(葉巻?)は喫うわという“純粋なネンネの娘”という設定ですからね~。こういうことを15才がしててもよかったのかなーと実感の無い昔のフランスを思うばかり。(いや、精神的には確かに純粋なんですけどね。)
しかも最後はそれまで何人もの女性を変えたり、高級娼婦(「ティファニーで朝食を」のホリーみたいな)と遊んでいる33才のガストンと結ばれるというんですから、今じゃ犯罪やん、それって!みたいな。
二人の純粋な気持ちはわかるけど、設定は今の時代としては“ついていけない!”かな、やっぱり。(^^;;;
なお「ジジ」の翻訳には、他に1956年創芸新社発行の「コレット選集第2巻」と、映画の公開の頃(1959年)発行された秋元書房のジュニア向け「恋の手ほどき」として訳出されているものがあります。
オススメ度:★(でも、コレットの作品では傑作扱いになってると書いておきます。)
2007年11月30日
「シャレード」ピーター・ストーン著 山田順子訳 ハヤカワ文庫
今日は、話の都合上、「シャレード」のラストシーンまで言及する部分があるので、もし映画をご覧になってない方は、今日は読まないことをオススメします。
まずは映画をご覧になってから読んでみてください。
これは「シャレード」のノヴェライズ本です。訳者あとがきでは“原作”になっていますが、おそらく映画の後に脚本のピーター・ストーンが書き上げたものだと思います。原書の発売も映画の後のようですし。
日本ではハヤカワ文庫NVから1980年に突然発売されました。その時期、オードリーの人気は一番冷え込んでいた時期ですし、何で出たのか今でも不明ですが、そんな時期だっただけに僕は大喜びでしたけどね。
その後長い間絶版でしたが、2000年にこれまた突然復刊されました!
さて、書いたのは脚本も書いたピーター・ストーンとなると、映画とほとんど一緒かと思いますが、かなーり映画とは違います。
まず、季節は夏に設定されています。主人公、レジーナ・ランパートは金褐色の髪の毛だそうです。
で、主人公とアレクサンダー・ダイルはプールに泳ぎに行ったりします!
これがですねー、どうもオードリーのイメージじゃないんですよね。たとえば、「ローマの休日」以前のオードリーが水着を着て海で写真を撮影してるのは見てますし、「いつも2人で」で何着もの水着を着てるのも見てます。「暗くなるまで待って」以降のオードリーがビキニを着ているのも知ってます。
でもですねー、「シャレード」というとオードリーはあのヘアスタイル!「いつも2人で」のくしゃくしゃヘアならともかく、「シャレード」のあのがっちり固めたかのようなヘアスタイルで思いっきり布地の少ないビキニで泳ぐってのは、どうも想像できないんですよねー。どうやっても無理!
皆さんは想像できます??
というわけで、オードリーからは離れて読み進むことになります。しかも細部もかなり映画とは違うし。
まず、三人のオードリーにつきまとう連中のうち、ギデオンは全然映画と違う体格の男として描かれますし、殺される順番も違います。一人は自分の不注意で死んじゃうし。
プロンプターの穴に隠れる人も映画とは違うし、ラストで奈落のレバーを引くのは映画の人ではありません。
オードリー=レジーに付加されていた、“悩み事があるとお腹が空いちゃう!”っていう面白い設定もここにはありませんし、オードリーとケーリー・グラントの軽妙なやりとりもありません。
このように、かなり映画とは変更されているので、原作を読む、と言う感覚ではなく、新たな作品を読む、というつもりで読むことをオススメします。
そうですねー、リメイクされた「シャレード」と思って読んでいただければ…。
オススメ度:★★
まずは映画をご覧になってから読んでみてください。
日本ではハヤカワ文庫NVから1980年に突然発売されました。その時期、オードリーの人気は一番冷え込んでいた時期ですし、何で出たのか今でも不明ですが、そんな時期だっただけに僕は大喜びでしたけどね。
その後長い間絶版でしたが、2000年にこれまた突然復刊されました!
さて、書いたのは脚本も書いたピーター・ストーンとなると、映画とほとんど一緒かと思いますが、かなーり映画とは違います。
まず、季節は夏に設定されています。主人公、レジーナ・ランパートは金褐色の髪の毛だそうです。
で、主人公とアレクサンダー・ダイルはプールに泳ぎに行ったりします!
これがですねー、どうもオードリーのイメージじゃないんですよね。たとえば、「ローマの休日」以前のオードリーが水着を着て海で写真を撮影してるのは見てますし、「いつも2人で」で何着もの水着を着てるのも見てます。「暗くなるまで待って」以降のオードリーがビキニを着ているのも知ってます。
でもですねー、「シャレード」というとオードリーはあのヘアスタイル!「いつも2人で」のくしゃくしゃヘアならともかく、「シャレード」のあのがっちり固めたかのようなヘアスタイルで思いっきり布地の少ないビキニで泳ぐってのは、どうも想像できないんですよねー。どうやっても無理!
皆さんは想像できます??
というわけで、オードリーからは離れて読み進むことになります。しかも細部もかなり映画とは違うし。
まず、三人のオードリーにつきまとう連中のうち、ギデオンは全然映画と違う体格の男として描かれますし、殺される順番も違います。一人は自分の不注意で死んじゃうし。
プロンプターの穴に隠れる人も映画とは違うし、ラストで奈落のレバーを引くのは映画の人ではありません。
オードリー=レジーに付加されていた、“悩み事があるとお腹が空いちゃう!”っていう面白い設定もここにはありませんし、オードリーとケーリー・グラントの軽妙なやりとりもありません。
このように、かなり映画とは変更されているので、原作を読む、と言う感覚ではなく、新たな作品を読む、というつもりで読むことをオススメします。
そうですねー、リメイクされた「シャレード」と思って読んでいただければ…。
オススメ度:★★
2007年11月05日
「麗しのサブリナ」原作戯曲 サミュエル・テイラー著
これは1975年12月に新書館というところから発行されたものですが、「麗しのサブリナ」初公開当時には早川書房から同じ訳で新書版が出ていたそうです。
あとがきには「ロビンとマリアン」が撮影中であることが書いてるので、「ロビンとマリアン」でまたオードリーの人気が盛り上がるのを見越しての発売だと思われます。
訳者は清水俊二さんなんですが、この方映画の字幕もよく担当されてる方で、なんと!「麗しのサブリナ」のDVDも清水俊二さんです!(他に「パリで一緒に」も!)
内容は、同じビリー・ワイルダー監督の「昼下りの情事」でもそうだったんですが、原作とはほとんど共通点なし!
確かに財閥にはライナスがいて、デイヴィッドがいて、で、そのおかかえ運転手の娘にサブリナがいて、ライナスと結ばれるんですが、一緒なのはその設定だけ。
途中の経過はもう全く違うんです!サブリナを駅に迎えに行くのはお父さんだし、豪華パーティもなし。ライナスはデイヴィッドとサブリナの結婚を喜んでるくらいだし、サブリナはあっさりライナスが好き!って認めてる。正直デイヴィッドの存在は薄いです。他にもパリからサブリナを追いかけてくる男も登場します。
一番気になったのはサブリナとデイヴィッドは20代半ば、ライナスはその10才上という設定!
映画ではサブリナは18才くらい、デイヴィッドは30代後半、ライナスは50代後半、って感じに見えるのに!しかも原作はライナスが妙に陽気。
本当の設定で行くと、デイビッドは「緑の館」のアンソニー・パーキンスか「マイ・フェア・レディ」の頃のジェレミー・ブレットってところでしょうか。
ライナスは陽気なので、「麗しのサブリナ」のウイリアム・ホールデン、「おしゃれ泥棒」のピーター・オトゥールあたりがいいかと。
そんな風に違ったキャスティングで読むのもまた一興です。
(以下ネタバレ。この本をこれから読もうと思っている人は飛ばしてください)
サブリナのお父さんは、ライナスのお父さんの代でつぶれそうだった時のララビー財閥の株を買えるだけ買っていたおかげで、100万ドル以上もの財産を持つというララビー財閥の大株主&大金持ち!という設定は面白かったですねー。
お月様に手を伸ばしたつもりが、サブリナもお月様の住人だった、と。
(ネタバレ終わり)
ビリー・ワイルダー監督って、原作から題名と設定だけもらって、すっかり中身を変えて映画的にしてしまうのがお好きなようです。
オススメ度:★★★
この本はアマゾンでは取り扱いがないようですが、ネットの古書店ではわりと見つかるようです。
2007年10月19日
「ピグマリオン」バーナード・ショー著「マイ・フェア・レディ」
こういう、意のままにならないイライザっていうのも非常に興味深いんですが、あんまり面白くはないかな。
たとえ、映画では“なんでこんなヒギンズ教授とくっつくんや!フレディの方が誠実そうやん!”って思ってて、実際コチラではフレディとひっついたとしても。
なんかねー、バーナード・ショーの“その後の2人”みたいなのがあまりにあんまりでね。ショーの皮肉はたっぷりつまってるのかもしれないけど、ちょっとリアルすぎ、みたいな(笑)。
ショーの戯曲って、凄いのかもしれないけど、ヴィヴィアン・リー主演映画の「シーザーとクレオパトラ」を読んだ時も思ったけど、あんまり僕には合わないかもしれない。僕には文章を額面でしか捉えられない能力しかないので、ショー流の皮肉がわかんないから。(^^;
このバーナード・ショーの戯曲であと読んでみたいのは同じくヴィヴィアン・リーが舞台で演じた「医師のジレンマ」かな。映像がないので、それは頭の中でイメージしつつ読めそうだし。
こういう映像があるものは、そっちのイメージがついてて、僕にちょっと…でした。
オススメ度:★
2007年06月21日
「ロビンとマリアン」ノヴェライズ ジェームズ・ゴールドマン著
今日は1975年夏休み期間にたった36日で撮影された「ロビンとマリアン」(オードリー46才)です。
これは「ロビンとマリアン」の脚本家、ジェームズ・ゴールドマンが書いた、「ロビンとマリアン」のノヴェライズ本です。発売元は東宝。オードリーの画像はいきなり裏焼き。
だからこの本を中学の時に取り寄せて買ったとき、表紙を見てかなりオードリーの顔に違和感を覚えたものです。
ある番組で、誰かがオードリーの顔を美人の条件で、ほぼ完璧に左右対称!なんて紹介してたことがありますが、“そんなんウソやん!”って思ってました。
オードリー自身もそれをわかってたからこそ、「パリの恋人」以降のポートレートでは必ずと言っていいほど左側から撮らせてたんですよね。
えーと、脱線しましたが、これノヴェライズと言っても、完全な小説ではなく、
ロビン「~~~~。」
マリアン「~~~。」
って書き方になっているので、小説と戯曲の間のようになっています。
もちろん、小説部分も豊富な画像とともに価値があるのですが、この本で一番面白かったのが、序章にある“皆さんが知りたくても訊けなかった映画脚本のすべて”と言う部分。
「ご質問は?」という魅力的な書き出しで、「ロビンとマリアン」が映画になるまでの過程を書き出してくれてます。
もちろん、著者が書いているように、「オードリー・ヘップバーンは本当はどんな人なんですか?」って質問をしても、それは答えることができないでしょう。
でも、ここではオードリーがどのようにして「ロビンとマリアン」に出演することになったのか、っていういきさつが書かれており、それがとても興味深いのです。
たとえば、このゴールドマンははじめっからオードリーがマリアンを演じることを夢見ていたけれども、当時のオードリーは引退中。
あるときゴールドマンの友人がオードリーを見かけて、「オードリーはやっぱり綺麗だな!」
って言ったので、当時監督の予定だったジョン・フランケンハイマーに相談したところ、「オードリーに台本を送ろう!」と言って実行したこと。
返事が無いので、何ヶ月も経ってからフランケンハイマーがオードリーのエージェントに電話を入れると、「あの方はもう台本をお読みになりません。」とそっけなく言われたこと。
その実オードリーは脚本を読んでいて、マリアン役の依頼が来るのをなんと2年もずっと待っていたこと!
この2年というのがいったいいつからいつまでなのかがわかりませんが、とうとうオードリーがしびれを切らして自分から動いたのか、74年の「ロードショー」には、“オードリーが「ロビンとマリアン」でマリアンを演じたがっている”という記事が出ています。
ということは、最初にゴールドマンの友人がオードリーを見た時って、「ヴァリーエ」の後の72年頃のオードリーだったのかな?
他の役者に関しても決まるまでにいろいろありますし、この作品の話を聞きつけたリチャード・レスターがどうしても自分が監督をしたい!と言った事など、パンフレットにも載っていない、詳しい裏話を知ることが出来て、これだけでも価値は十分!とても読み応えのある内容になってます。
オススメ度:★★★
だからこの本を中学の時に取り寄せて買ったとき、表紙を見てかなりオードリーの顔に違和感を覚えたものです。
ある番組で、誰かがオードリーの顔を美人の条件で、ほぼ完璧に左右対称!なんて紹介してたことがありますが、“そんなんウソやん!”って思ってました。
オードリー自身もそれをわかってたからこそ、「パリの恋人」以降のポートレートでは必ずと言っていいほど左側から撮らせてたんですよね。
えーと、脱線しましたが、これノヴェライズと言っても、完全な小説ではなく、
ロビン「~~~~。」
マリアン「~~~。」
って書き方になっているので、小説と戯曲の間のようになっています。
もちろん、小説部分も豊富な画像とともに価値があるのですが、この本で一番面白かったのが、序章にある“皆さんが知りたくても訊けなかった映画脚本のすべて”と言う部分。
「ご質問は?」という魅力的な書き出しで、「ロビンとマリアン」が映画になるまでの過程を書き出してくれてます。
もちろん、著者が書いているように、「オードリー・ヘップバーンは本当はどんな人なんですか?」って質問をしても、それは答えることができないでしょう。
でも、ここではオードリーがどのようにして「ロビンとマリアン」に出演することになったのか、っていういきさつが書かれており、それがとても興味深いのです。
たとえば、このゴールドマンははじめっからオードリーがマリアンを演じることを夢見ていたけれども、当時のオードリーは引退中。
あるときゴールドマンの友人がオードリーを見かけて、「オードリーはやっぱり綺麗だな!」
って言ったので、当時監督の予定だったジョン・フランケンハイマーに相談したところ、「オードリーに台本を送ろう!」と言って実行したこと。
返事が無いので、何ヶ月も経ってからフランケンハイマーがオードリーのエージェントに電話を入れると、「あの方はもう台本をお読みになりません。」とそっけなく言われたこと。
その実オードリーは脚本を読んでいて、マリアン役の依頼が来るのをなんと2年もずっと待っていたこと!
この2年というのがいったいいつからいつまでなのかがわかりませんが、とうとうオードリーがしびれを切らして自分から動いたのか、74年の「ロードショー」には、“オードリーが「ロビンとマリアン」でマリアンを演じたがっている”という記事が出ています。
ということは、最初にゴールドマンの友人がオードリーを見た時って、「ヴァリーエ」の後の72年頃のオードリーだったのかな?
他の役者に関しても決まるまでにいろいろありますし、この作品の話を聞きつけたリチャード・レスターがどうしても自分が監督をしたい!と言った事など、パンフレットにも載っていない、詳しい裏話を知ることが出来て、これだけでも価値は十分!とても読み応えのある内容になってます。
オススメ度:★★★
2007年06月19日
「いつも2人で」フレデリック・ラファエル 脚本のドイツ語版?
今日は1966年4~8・9月まで撮影された(オードリー36~37才)「いつも2人で」です。
撮影中に37才の誕生日を迎えたオードリーのために、スタッフが用意したケーキと写っているオードリーの画像が残っていたりします。
これ、「いつも2人で」のドイツ語版の「なにか」です。
フレデリック・ラファエルの名前もあるし、最初は原作かとも思ったんですが、中の書き方が小説じゃないんですよね。
たしか原作は「愛情の限界」っていう小説だったはずなので、ここでの
ジョアンナ:~~~!
マーク:~~~~。
ってな戯曲的な書き方は絶対に原作じゃあないんです。だから、最終脚本をそのまま出版したのか、それとも映画のとおりに本にしたのか、その辺はわかんないんですよね。ドイツ語もわかんないし。(^^;;;
出版も公開時の1967年ではなく、1968年になってます。
で、ここではおそらく映画のシーンだと思われる番号がついてるんですけど、普通だったら1,2,3って順番に数字が増えていくだけなのが、なんてったって「いつも2人で」ですから!
だから単純に数字が増えていかないんです。59,59a,59b,59c,59d…って感じでいくつもの派生した番号が割り振られてるんですよね。そのたびに過去に行ったり現在に戻ったりを繰り返してるんでしょうけど。これが「いつも2人で」らしくて面白いですよね。
中には「いつも2人で」のモノクロ画像もあります。裏焼き画像がやたら多いんですけど、珍しい画像も多いので、良しとします。(^^
撮影中に37才の誕生日を迎えたオードリーのために、スタッフが用意したケーキと写っているオードリーの画像が残っていたりします。
フレデリック・ラファエルの名前もあるし、最初は原作かとも思ったんですが、中の書き方が小説じゃないんですよね。
たしか原作は「愛情の限界」っていう小説だったはずなので、ここでの
ジョアンナ:~~~!
マーク:~~~~。
ってな戯曲的な書き方は絶対に原作じゃあないんです。だから、最終脚本をそのまま出版したのか、それとも映画のとおりに本にしたのか、その辺はわかんないんですよね。ドイツ語もわかんないし。(^^;;;
出版も公開時の1967年ではなく、1968年になってます。
で、ここではおそらく映画のシーンだと思われる番号がついてるんですけど、普通だったら1,2,3って順番に数字が増えていくだけなのが、なんてったって「いつも2人で」ですから!
だから単純に数字が増えていかないんです。59,59a,59b,59c,59d…って感じでいくつもの派生した番号が割り振られてるんですよね。そのたびに過去に行ったり現在に戻ったりを繰り返してるんでしょうけど。これが「いつも2人で」らしくて面白いですよね。
中には「いつも2人で」のモノクロ画像もあります。裏焼き画像がやたら多いんですけど、珍しい画像も多いので、良しとします。(^^
2007年06月13日
「ティファニーで朝食を」原作トルーマン・カポーティ著
「ティファニーで朝食を」は1960年秋~初冬にかけて撮影された映画です(オードリー31才)。
この原作はトルーマン・カポーティ著で、新潮文庫刊。
原作はですね、オードリー、全然浮かばないんです。でもそう思っているところがまだまだこの作品に対する認識不足なのかもしれませんが…。やっぱマリリン・モンローの方がいいかも。
でも、カポーティはオードリーが演じたので映画がイヤだったとかよく書かれてますけど、あれって本当なのかな?
だってですね、2004年のオードリー展で、カポーティ本人からオードリーに宛てた手紙が公開されてたんで食い入るように見つめましたけど、カポーティってば、“私のホリー=オードリーへ”だったか“ホリーを演じてくれて嬉しかった!”みたいなことが書いてあって、なんや!全然言われてることとちゃうやん!って思ってました。
演じる前はともかく、カポーティ自身もオードリーのホリーが、原作とは違うけれども別の意味で喜んでたみたい。
この手紙は後にまるで宝箱のような写真集、「the audrey hepburn treasures(オードリー・ヘップバーン・トレジャーズ)」でも収録されていましたが、こんな手紙を書いているのに、少なくとも“イヤだった”なんてことはないでしょう。
全然関係ないですけど、この本で僕が好きなのは、同時収録の「わが家は花ざかり」って小説。
嫁姑の争いや、主人公オティリーのキャラクターが面白くって、子供心ながら強烈に印象に残ったのでした。
そういえば、こないだこの表紙のジヴァンシーのブラックドレスが9800万円で落札されましたけど、なんだかオードリーが実際に着た物じゃなくって、3着同じものがあるうちの1つだそうですね。
そんなのに9800万円も払うなら、本当にオードリーが着た、こないだ落札されたばかりのピンクドレスの2300万円の方が価値があると思うんですけど…。
オススメ度:う~ん、個人的には★。
原作はですね、オードリー、全然浮かばないんです。でもそう思っているところがまだまだこの作品に対する認識不足なのかもしれませんが…。やっぱマリリン・モンローの方がいいかも。
でも、カポーティはオードリーが演じたので映画がイヤだったとかよく書かれてますけど、あれって本当なのかな?
だってですね、2004年のオードリー展で、カポーティ本人からオードリーに宛てた手紙が公開されてたんで食い入るように見つめましたけど、カポーティってば、“私のホリー=オードリーへ”だったか“ホリーを演じてくれて嬉しかった!”みたいなことが書いてあって、なんや!全然言われてることとちゃうやん!って思ってました。
演じる前はともかく、カポーティ自身もオードリーのホリーが、原作とは違うけれども別の意味で喜んでたみたい。
この手紙は後にまるで宝箱のような写真集、「the audrey hepburn treasures(オードリー・ヘップバーン・トレジャーズ)」でも収録されていましたが、こんな手紙を書いているのに、少なくとも“イヤだった”なんてことはないでしょう。
全然関係ないですけど、この本で僕が好きなのは、同時収録の「わが家は花ざかり」って小説。
嫁姑の争いや、主人公オティリーのキャラクターが面白くって、子供心ながら強烈に印象に残ったのでした。
そういえば、こないだこの表紙のジヴァンシーのブラックドレスが9800万円で落札されましたけど、なんだかオードリーが実際に着た物じゃなくって、3着同じものがあるうちの1つだそうですね。
そんなのに9800万円も払うなら、本当にオードリーが着た、こないだ落札されたばかりのピンクドレスの2300万円の方が価値があると思うんですけど…。
オススメ度:う~ん、個人的には★。
2007年06月11日
「緑の館」ウィリアム・ヘンリ・ハドスン著
今日は1958年(オードリー29才)撮影の「緑の館」です。
これは「緑の館」の原作本です。ここで紹介しているのは新潮文庫版。
ただし、これは原作が傑作なので、戦前から何社からも出版されています。子供向けの本も過去に何種か出版されています。
現存する物では岩波文庫の物が手に入れ易いですが、正直オススメできません。
というのも、岩波文庫版は“You”という部分を“あんた”と訳してあるからです。これは致命的な欠陥!!
これではリーマの妖精性が出ません。いくらアマゾンと言っても、女ターザンじゃあないんですから…。
アベルのことを“あんた”呼ばわりする俗っぽいリーマでは、オードリーをイメージするのは到底無理。
こちらで紹介の新潮文庫版はとても上手に訳されています。初版が1958年ですから、映画の「緑の館」に合わせての出版。あとがきでもオードリー・ヘプバーン主演の映画が公開されるので、年少者のために多少読みやすくしてあるとのこと。
アベルのこともちゃんと“あなた”と呼んでくれるので、ずっとオードリー=リーマで読み進められます。
ところが、これはこれで大きな難点が!年少者のために手加減したため、はじめと終わりがカットされた抄訳版になってしまってるんです!
だから主人公は始めの方、ずっと名無しの権兵衛さんだし、最後にリーマのお骨拾いのシーンもなし。
では、古本でどういうのがあるのでしょうか。戦前のものは、正直今と仮名遣いが違うし、漢字も旧漢字や正漢字ばかりで、めっちゃ読みづらいと思うので、止めたほうがいいでしょう。
角川文庫には映画の公開に合わせた出版の物があるし、1997年にはちくま文庫というところから発売されてます。
読んでもいないのにオススメするのはどうかと思いますが、角川文庫やちくま文庫のを買うのがいいんじゃないでしょうか。(^^;;;
“あなた”と訳されていれば文句なし!です。
内容はですね~、すんごくいいですよ!映画ではメルの監督が拙くて描ききれていない部分もしっかり書かれていますし、さすがに傑作と言われるだけのことはあります。新潮文庫版のは中学時代、本当に何度も何度も読みました。
かなり感情移入して読んでしまい、結末でリーマが死んでしまうのがイヤで、ラスト近くでは違う結末を頭の中で考えていました。(^^;;;
それに原作は映画のように原住民に悪いヤツが一人いる、という設定ではなく、本気でみんなリーマを魔女だと思って殺すんです。
それで怒りに駆られたアベルは他の部族をたきつけて、一度はお世話になった部族を皆殺しにしてしまうんですよね。
映画ではたいした役柄でもないんですが、原作で僕の好きなキャラクターにクラクラ婆さん、というかわいいおばあちゃんがいるんですが、皆殺しにされたあと、そのクラクラ婆さんの亡き骸が転がっているシーンは、かわいそうでかわいそうで…。
リーマもクラクラ婆さんも死んでしまう悲しい結末…。別のラストを考えたくなるのはしかたないですよね。(^^;
オススメ度:★★★★★(映画「緑の館」の補完の役目を果たします。これを読んで映画を見れば、頭の中で描き足りない部分を追加できるので、映画がより良く観れます。)
ただし、これは原作が傑作なので、戦前から何社からも出版されています。子供向けの本も過去に何種か出版されています。
現存する物では岩波文庫の物が手に入れ易いですが、正直オススメできません。
というのも、岩波文庫版は“You”という部分を“あんた”と訳してあるからです。これは致命的な欠陥!!
これではリーマの妖精性が出ません。いくらアマゾンと言っても、女ターザンじゃあないんですから…。
アベルのことを“あんた”呼ばわりする俗っぽいリーマでは、オードリーをイメージするのは到底無理。
こちらで紹介の新潮文庫版はとても上手に訳されています。初版が1958年ですから、映画の「緑の館」に合わせての出版。あとがきでもオードリー・ヘプバーン主演の映画が公開されるので、年少者のために多少読みやすくしてあるとのこと。
アベルのこともちゃんと“あなた”と呼んでくれるので、ずっとオードリー=リーマで読み進められます。
ところが、これはこれで大きな難点が!年少者のために手加減したため、はじめと終わりがカットされた抄訳版になってしまってるんです!
だから主人公は始めの方、ずっと名無しの権兵衛さんだし、最後にリーマのお骨拾いのシーンもなし。
では、古本でどういうのがあるのでしょうか。戦前のものは、正直今と仮名遣いが違うし、漢字も旧漢字や正漢字ばかりで、めっちゃ読みづらいと思うので、止めたほうがいいでしょう。
角川文庫には映画の公開に合わせた出版の物があるし、1997年にはちくま文庫というところから発売されてます。
読んでもいないのにオススメするのはどうかと思いますが、角川文庫やちくま文庫のを買うのがいいんじゃないでしょうか。(^^;;;
“あなた”と訳されていれば文句なし!です。
内容はですね~、すんごくいいですよ!映画ではメルの監督が拙くて描ききれていない部分もしっかり書かれていますし、さすがに傑作と言われるだけのことはあります。新潮文庫版のは中学時代、本当に何度も何度も読みました。
かなり感情移入して読んでしまい、結末でリーマが死んでしまうのがイヤで、ラスト近くでは違う結末を頭の中で考えていました。(^^;;;
それに原作は映画のように原住民に悪いヤツが一人いる、という設定ではなく、本気でみんなリーマを魔女だと思って殺すんです。
それで怒りに駆られたアベルは他の部族をたきつけて、一度はお世話になった部族を皆殺しにしてしまうんですよね。
映画ではたいした役柄でもないんですが、原作で僕の好きなキャラクターにクラクラ婆さん、というかわいいおばあちゃんがいるんですが、皆殺しにされたあと、そのクラクラ婆さんの亡き骸が転がっているシーンは、かわいそうでかわいそうで…。
リーマもクラクラ婆さんも死んでしまう悲しい結末…。別のラストを考えたくなるのはしかたないですよね。(^^;
オススメ度:★★★★★(映画「緑の館」の補完の役目を果たします。これを読んで映画を見れば、頭の中で描き足りない部分を追加できるので、映画がより良く観れます。)



