2016年12月03日

「暗くなるまで待って」原作戯曲本 愛育社

 今回は愛育社という会社が出していたフレデリック・ノットの「暗くなるまで待って」の原作戯曲の紹介。

 これ、出てる事は知ってたんですけど、売れた数が少ない&知られてないというので、なかなか入手出来なかったものです。
 わかりにくいことにフレデリック・ノットよりも、浅田寛厚って翻訳者?の方がデカく扱われてるし。

 まあ以前見た時に出版社が愛育社ってことを覚えていたので、ネットで見つけて今年やっと古本で手に入れる事が出来ました!

 でも入手してみてビックリ!
 これ、翻訳物ではなく、英語そのままの “ビデオ英語シリーズ” というものの一つでした。

 どうりで翻訳者ではなく、編注:浅田寛厚ってなってたわけだ…。

 でも “はしがき” “NOTE” “映画(ビデオ)と戯曲の違い” って部分で日本語で解説してくれているし、読む価値はありました(日本語部分を)。
 英語部分は映画のセリフではなく、原作の戯曲のままです。

 「暗くなるまで待って」ってこれが翻訳本だ!とずっと思ってたので、これが違うとなると、原作はいまだ翻訳出版されてないんですね。

 まあ最近までもずっと日本の舞台での上演はありますんで、その脚本が翻訳物っちゃあ翻訳物なのかもしれませんが、出版されてませんしねー。

 それに、そういう脚本は改変が加えられてることもあるでしょうし、完全な原作戯曲はまだ未翻訳ということで…。

 出版は奥付を見ると1987年2月25日になってます。ということは1月くらいに発売かな?

 当時はビデオというものが普及してきており、家庭でも気軽に映画を見れるようになった頃。
 そのためこんな英語の原作本が出版される運びとなったのでしょう。

 ん?でも1987年というともう前年からオードリーブームが始まってますね。
 しかもしかも1987年には「暗くなるまで待って」が本家ワーナーからリバイバルされてます。

 出版のタイミングとしてはベストな時期なんですけど、それでも売れなかったんでしょうねー。

 はしがきでの興味深い文としては、

 ・1966年2月2日ニューヨークの舞台で初演された。500回には及ばなかったが、大好評だった。

 ・1966年7月22日からロンドンの舞台で上演され683回のロングランを記録した。

 ・ニューヨークでは2幕だが、ロンドンでは3幕仕立てで上演されている。

 ・この本はニューヨーク版を底本として、ロンドン版も取り入れている。

ということが書かれています。

 また、ビデオだけではなく、レーザーディスクの話があるのも時代ですねー。
 このあと、1990年くらいがレーザーディスクの全盛期でした。


 最初に舞台の写真と舞台設計図が載っていますが、この舞台の写真!ほとんど映画と同じだと思いませんか?

 これはニューヨーク及びロンドンの舞台装置をデザインしたジョージ・ジェンキンスという人が、映画でも美術監督として参加しているからだそうです。

 違うのは、映画では左手にあった簡易写真室が、舞台では真ん中奥にあるらしき所。

 また、映画では左手奥に寝室やクローゼットもあるのですが、舞台ではそういうのは無しです。

 “映画(ビデオ)と戯曲の違い” では、映画がアパートの1室から外に出る部分はもちろん載っています。

 大きく違うのは、映画ではグロリアがバスターミナルへ出て行った後に電話線が切られている事に気付いてスージーはパニックになり、壊してしまった電球に気付いて1人で電球を壊していきます。

 戯曲ではグロリアと一緒に電気を壊して暗闇になっているか確認してバスターミナルへ送り出すことになっているようです。

 あと、グロリア役の少女はニューヨークの初演でもグロリアを演じていたそうです。

 「暗くなるまで待って」って、舞台で見てももの凄く面白いでしょうねー。

 僕にとってはオードリー映画の中でも「いつも2人で」に次いで、「おしゃれ泥棒」と並んで2番目に好きな作品になっています。  


Posted by みつお at 18:00Comments(0)暗くなるまで待って原作本

2012年04月07日

製作されなかったヒッチコックの「判事に保釈なし」

5月の午前十時の映画祭「シャレード」「麗しのサブリナ」:109シネマズ四日市 三重 、大津アレックスシネマ 滋賀 、ジストシネマ和歌山 です。

 はい、今回はオードリーが契約書にサインまで済ませていたのに、結局製作されなかった「判事に保釈なし」の原作本の紹介です。

 作者はヘンリイ・セシル。イギリスの作家さん。
 翻訳は早川書房のハヤカワ・ポケット・ミステリ、通称ハヤカワ・ポケミスで、訳者は福田陸太郎氏。
 奥付では昭和33年2月28日発行、定価160円になってます。

 現在は絶版なのか品切なのか、少なくともその後重版はしていないようで、手に入るのは古書のみ。
 しかもプレミア付いてて、だいたい3000円前後が相場のようです。

 英国では1952年の出版なのに、日本では1958年発行ということは、映画化がわかってからの翻訳なんでしょうかね?

 「判事に保釈なし」はパラマウント製作、アルフレッド・ヒッチコック監督で、脚本は「麗しのサブリナ」原作者のサミュエル・テイラー、相手役はローレンス・ハーヴェイ、オードリーのお父さん役には「麗しのサブリナ」でもお父さんだったジョン・ウィリアムズというところまで決まっていたようです。

 撮影は1959年6月開始予定。本来「許されざる者」の次に撮るはずでした。
 (ネットで「尼僧物語」の次、なんて書かれてるのありましたけど、時期的にそれは間違い。)
 僕は持ってないんですけど、「5つの銅貨」という作品のパラマウント発行の日本のプレス・ブック(か、特別試写会パンフレット)には、裏表紙に1960年公開予定の作品が載っていて、この「判事に保釈なし」もオードリーの画像と共に予告で掲載されてます。

 でも結局、オードリーは「許されざる者」撮影後に流産してしまい、入院中に脚本を読んだらレイプシーンがあるので、出演を断ってしまったんですよね。
 新たに妊娠したので、何が何でも子供の欲しかったオードリーは大事をとって出演をやめた、という記述があるのもあります。 でもまあどっちにしてもオードリーはレイプシーンをやる気はなかった、ということですね。

 この「判事に保釈なし」はオードリーがオファーを受けて断った作品の中ではかなり有名なもので、オードリーのファンで、どれかの伝記を読んだ人なら誰でも知っているもの。邦訳のある全ての伝記で、この作品に関して言及されています。

 というわけで、ずっと気になってたんですよねー、この「判事に保釈なし」!
 チャールズ・ハイアムの伝記によると、“脚本は素晴らしいできばえだった”と書かれているし、どんな内容か気になるじゃないですか!
 もし製作されていれば、ヒッチコック屈指の傑作になったと書いている人もいますしね。

 で、中古の相場が安くならないかなー、ポケミスで復刊しないかなー、とずっと待ってたんですが、どちらも叶いそうにないので、とうとう買っちゃいました!オードリーはいったいどんな役!?

 読みました!…え?こういう役なんですか?これってオードリーの役は主役ですか?

 ストーリーはおおざっぱにこんな感じです。


 エリザベスの父は判事。判事は裁判所からの帰り道、道路で事故りそうな子供を助ける。その際にちょっと打ちどころが悪かったのか体調がおかしくなり、介抱してもらうためだけに近くにいた売春婦の所に何日か泊まることに。

 5日目、判事がそこへ戻ると彼女はナイフで刺されているのを発見。直後に判事もゴム製の棍棒で殴られて気絶。
 次に気が付いた時には判事はナイフを握らされており、警察も判事を逮捕する。

 聡明で美人なエリザベスは父がやったはずはない!と確信。たまたま家に盗みに来た泥棒の親玉である、青年紳士のロウに頼んで父の無実を証明してもらうよう頼む。


 なんとなく、ここは「おしゃれ泥棒」みたいな感じがしませんか?僕もそういう展開になるのかなーと思いきや、ロウ氏はほとんど単独で動き、エリザベスとの接点ほとんど無し。
 コメディタッチにはならず、ほぼ法廷劇。犯人は早い段階で明かされており、別に推理することはなし。
 話の興味は、どうやって犯人を追い詰めるのか、という点になってきます。

 しかも各伝記で述べられていたような、エリザベスは法廷弁護士でもないし、だから父を弁護する、ということもなく。

 オードリーが出演を断る決め手になったレイプシーンですが…
 そんなのどこにも存在してないやん!!
 わざわざそんなシーンを追加するなんて、伝記でも書いてましたが、ヒッチコックってクールな美人女優を映画で陵辱するのが本当に好きだったんですねー。

 とにかく、オードリーが演じるはずだったエリザベスはあんまり出てこない上に、ほとんど動きがありません!
 ロウ氏にお願いして、お金の件や進捗状況を確かめる時や、公判を延期する際に出てくるくらい。

 結局オードリーに断られたヒッチコックは、この作品を製作しなかったので、本当のところどうだったのかはわからないのですが…。
 脚本で大きく変更されているとはいえ、本当に傑作だったんでしょうか?

 それに原作を読む限りでは、オードリーが演じる必然性が全く無いと思うんですけどっ!

 お飾りのようなエリザベスの役に動きを出すための法廷弁護士(でもこの役も、原作ではほとんど動きなし)であり、レイプシーンなのだとしたら、オードリーはやっぱり出なくて正解!だと思いました。

 もちろん当時のヒッチコック作品は傑作の嵐ですから、名作になった可能性も高いのですけどね。

 でもどんな内容なのかずっと知りたかったので、とりあえず読めてよかった!
 そして、“演じていたらどんなんだったんだろう…”と揺れていた僕の気持ちも、読んだことで、この作品は演じなくてOK!に固まって落ち着きました。
 原作はオードリーらしいけど出番ないし、脚本は全然オードリーらしくないみたいだしね。(^^;

 あと、この作品に関してのオードリーの晩年の反応ですが…

 かなり信頼できる、バリー・パリスの伝記…ロバート・ウォルダーズがオードリーに一度質問したところ、ヒッチコックと一緒に映画を作る話があったことさえ覚えていなかった。

 嘘で埋め尽くされ、訴えられたダイアナ・メイチックの伝記(というかでっちあげ)…“ヒッチコックが送ってくれた脚本はすばらしいものでした。ストーリーはぜったいに忘れられないわ。”とオードリーが言ったと。

 これだけ本当の話と、金目的の嘘つきとの間で差が出るんですね。
 ホンとメイチックってやつは…!

 ところで、1983年まで来日しなかったオードリーですけど、実は1959年5月くらいに「緑の館」宣伝のために来日する予定がありました。
 実際には落馬事故での「許されざる者」の撮影の遅れ、流産、再度の妊娠で来日はかないませんでした。

 でももし落馬もせず妊娠もしてなかったとして、最初の予定通り来日→「判事に保釈なし」撮影だったとしたら、オードリーってこの時期58年1月撮影開始の「尼僧物語」から2年近くほとんど休みなしになりますね。
 いっつも撮影後はへとへとになって、体重も3kgほど落ちるオードリーなので、そんなに体力がもったんだろうか?って思いますけどね。
 なんかオードリーにしてはこの時期、ハードな予定だったんですね。(^^;;;

オススメ度:特になし(古書なのに高価ですし、本当に興味のある方だけどうぞ!)
  

Posted by みつお at 13:00Comments(4)原作本

2011年09月28日

「ティファニーで朝食を」カポーティ 村上春樹:訳

 更新が遅くなってすみません!m(_ _;)m

 「Fifth Avenue, 5 A.M.: Audrey Hepburn, Breakfast at Tiffany's, and the Dawn of the Modern Woman 」の日本語版が中央公論社から出るようです!仮題は「ティファニーで朝食を」ビハインドストーリー。
 うーん、僕としては「Breakfast at Tiffany's: The Official 50th Anniversary Companion」の方が出て欲しい気も…。

 10月の“午前十時の映画祭”は
★青の50本「シャレード」「麗しのサブリナ」:TOHOシネマズ長崎、福岡の天神東宝、TOHOシネマズファボーレ富山
★赤の50本「ローマの休日」「昼下りの情事」:福井の鯖江アレックスシネマ、イオンシネマ金沢フォーラス、長野グランドシネマズ
 です。ぜひご覧になってくださいねー!!(^-^

 これって、オードリー=ホリーでいけるや~ん!

 これが僕がトルーマン・カポーティ「ティファニーで朝食を」の村上春樹訳の新潮文庫、新訳版を読んだ感想。

 うーんとね、村上春樹さんや原作のファンには異論もおありでしょうが、龍口直太郎さんの旧訳よりも、翻訳が変わった分、よっぽどオードリーのホリーらしくなりました。

 原作者トルーマン・カポーティはマリリン・モンローを希望したそうですが、僕の中でのマリリンは、ここでの日本語訳のような“~なんだ。”って言葉遣いはしないんで。

 モンローって、昔はセックス・シンボルだなんていわれて、よっぽど役もそういう色気丸出しの男に媚びる役ばっかりかと思ってたら、全然違ってすんごいかわいい役が多いんですよね。
 50年代のオードリーは高校生~大学生くらいの役なので、ちょっと交換はムリかもしれませんが、オードリーが60年代に演じた、たとえば「シャレード」や「パリで一緒に」だったらマリリンでも演じられたんではないかと思うようなかわいい女性の役が多いんですよね。
 でもマリリンって、オードリーみたいに完全主役ではなく、なんか助演のような役が多いのがもったいないです!

 で、オードリーがホリーに向いてない、という話ですが、僕もプライベートのオードリーとホリーは全然キャラも違うし、合わないと思います!特に50年代のオードリーにホリーを演じるのはムリですね。

 でも、映画での1960年に撮った(製作は1961年になってるけど、撮影は60年)オードリー=ホリーはこの村上春樹さんの訳にもうピッタリ!!

 確かに映画のホリーは原作と違ってウェットなんですよね。特に後半かなりジメジメしてきます。心の苦悩をあからさまに見せたりしてますしね。
 でもそのウェット感を無くして前半のようにずっと演じたら、そう!「シャレード」のレジーのようにカラッと演じたら(天然部分は除いて)、もうホリーにピッタリじゃないですか!

 昔の漫画の話で申し訳ないんですが、「うる星やつら」のラムちゃんが原作はやっぱり飄々としてて好きだったんですよねー。でもアニメのラムちゃんはかなりウェットでちょっと違和感あったんですが、そんな感じなのかな~みたいな。

 オードリーがホリーに向いてないというのは、「ローマの休日」や「麗しのサブリナ」でのイメージですかね?
 大体原作は戦時中の話ですし、原作どおりだと当時の俳優さんというとヴィヴィアン・リーやイングリッド・バーグマン、リタ・ヘイワースってとこですか?でもそんな俳優さんで合うのかな?

 60年当時の他の女優さんを考えても、今見るときっとヘアスタイルやメイクに時代色が色濃く出て、きっと古臭くなってたと思うんですよね。パーティのシーンでの端役の女優さんたちを見てもそうだし。
 なんか、結果的にはホリーはオードリーだったから古くならなかったんじゃないのかなーと思うんですよね。

 あとがきで村上春樹さんは今原作に忠実にリメイクして欲しいって書いてるんですが、オードリー作品のリメイクは主演女優がオードリーに対抗しなければならないということでリスクが高すぎますよね。
 「シャレード」とか「サブリナ」とかテレビ版の「ローマの休日」とか、オードリー作品のリメイクは全然成功してないし。
 「マイ・フェア・レディ」もリメイクするって言われて久しいのに、全然製作が進んでる様子がないのは、やっぱりその辺に問題があるんじゃないかな~。

 「ティファニーで朝食を」もオードリーのホリーを考えたら、大概の女優さんは腰が引けちゃうんじゃないかな~。絶対オードリーと比べられるし。
 普通に考えたら、そんな危険な劣化リメイクに出演して評価が地に落ちるより、全く別の役柄で自分らしい当たり役を出す方が、よっぽど演じる女優さんにとってもプラスになりますよね。

お気に入り度:★★★(訳者の村上春樹さんの意向で映画の画像はなくなりました)


  


2010年06月04日

「マイヤーリング」原作「うたかたの恋」 クロード・アネ:著

 いよいよ“午前十時の映画祭”、大阪にオードリーがやってきます!TOHOシネマズなんばにて、2010/06/12(土)~2010/06/18(金)「ローマの休日」、2010/06/19(土)~2010/06/25(金)「昼下りの情事」です。ぜひぜひご覧になってください!

 これは、オードリー主演&メル・ファーラープロデュースで「暗くなるまで待って」の後に製作されるはずだったのに、カトリーヌ・ドヌーヴ主演になった「うたかたの恋」の原作です。
 オードリーとメルの離婚の原因になったとも言われています。

 というか、オードリー、実際に主演してますよね!
 「昼下りの情事」の後、まだオードリーが若さ溢れる時期である1957年に、アメリカNBCテレビでメルと二人で主演しています。

 作者はクロード・アネ。なんと!「昼下りの情事」の原作と同じです。翻訳も同じ岡田真吉。
 過去に3種類ほど発売されてますが、現在は絶版。

 僕の持っているこの画像は、ドヌーヴ主演映画が公開された1969年に発売された、角川文庫版。オードリーの画像ではないので、写真をちっさくしました。

 内容はオーストリア=ハンガリー帝国の皇太子ルドルフ(30才)と男爵令嬢マリイ・ヴェッツェラ(16才)の有名な心中事件です。

 このマイヤーリング事件は実話なんですが、この原作ではかなりロマンティックに描かれています。
 読み終わって、“ほ~、こんな内容やったんやー!”と思いましたが、詳しく調べてみると、いろいろと出てくるんですね。

 実際にはルドルフはいろんな娼婦と関係があって性病だったとか、実際に好きだったのは別の女性だったとか、死の前の晩はその別の女性と居たとか、二人は暗殺されたとか、色々説があるようです。
 でもこの本では、一般の人が信じている純粋な恋愛の面のみを描いています。

 ま、何度も映画化されるからには、そんなドロドロしたところは描けませんよね。(^^;
 でも、16才だったというマリイは、“恋に恋して”だったんじゃないかなーと思いますよね。

 さて、オードリーが出演したテレビバージョンですが、2010年現在ではマボロシ化しています。全世界でいまだビデオ化もDVD化もなされていません。

 監督は1936年に同じ原作から戦前に「うたかたの戀」を映画化しているアナトール・リトヴァク。
 1957年2月24日20:00~21:30 NBCテレビでカラー放映されました。
 (「マイヤーリング」の特集の載ったアメリカのLIFE誌は2007年04月26日の記事で)

 豪華な衣装(オードリー作品で何度も衣装デザインしているドロシー・ジーキンズ)と豪華なセットで、テレビとしては破格の制作費をかけて作られたそうです。

 さて、このオードリー版「マイヤーリング」、各種伝記ではヨーロッパでは劇場公開された国がある、と書かれています。
 僕も昔はそう信じていましたが、最近ではそれは都市伝説ではないか、と思っています。

 というのも、劇場公開されたなら、ポスターというものが存在したはずなのですが、どの国のポスターでも「マイヤーリング」のものを見たことがありません。

 さて、このブログに来ていただいている方のおかげで、「マイヤーリング」のごく一部の映像を見ることができましたし、権利元も判明しました。

 実は昨年、僕自身がこの「マイヤーリング」がDVD化出来ないかと動きました。(^^;
 権利元とも交渉していただいたのですが、そこでわかったことは、現存するのはカラーではなく、モノクロフィルムである、ということ。

 これは当時出たばかりのVTRが非常に高価で、当時の一般的なテレビの録画技術である、キネスコープ(と言ってもこれも高価)で保存されたため。当時はモノクロしかなかったそうです。

 そういうことも合わせて、“ヨーロッパで劇場公開された”というのはガセじゃないかと思われます。だって、テレビをカラー保存する技術がないですからね~。

 さて、権利元は日本でのオードリーの人気を知っているようで、権利金が非常に高額。DVD化に当たっての制作費を含めると、とてもとても個人では手が出せるような金額では無くなることがわかったので、残念ながら断念しました。
 芦屋に住んでいるような方なら、個人でもお出しになることが出来るんでしょうけれども…。(^^;

 もし出せたら、世界初DVD化で、「エクスラン・ヴァリーエ」と共に幻のオードリーとなっている、若いオードリー主演の作品を見るチャンスだったのですが…。

 本当に、どこかで出して欲しいですよね、オードリーの「マイヤーリング」。見たい気持ちがうたかたで終わらないように願いたいですよね。

オススメ度:★(マリイはオードリーで読めますが、ルドルフのメルというのはちょっと…。69年映画版のドヌーヴやオマー・シャリフは違うと思います。)


  


Posted by みつお at 10:30Comments(6)原作本マイヤーリング

2009年03月05日

「尼僧物語」原作 キャスリン・ヒュウム:著 和田矩衛:訳

 今年の“スクリーン”の人気投票では、オードリーは第2位!でした。画像が今までの写真集で使っていたものだったんで、僕は買ってないんですが、欲しい方は本屋さんへGo!

 それと、「緑の館」のDVDが、イギリスではとうとう4月に発売されます!日本でももうすぐかな?
 アメリカではまだみたいですけど、ヨーロッパと日本先行では「華麗なる相続人」の例もありますし、期待して…いいのかな?(^^;

 ずいぶん長くご無沙汰してしまいまして、申し訳ありません。m(_ _;)m

 今日は「尼僧物語」の原作本の紹介です。出版は清和書院というところ。奥付を見ると、昭和34年1月10日第一刷発行になってます。明らかに映画の「尼僧物語」公開に合わせてますよね。定価は300円だそうです。表紙には油紙が巻いてあります。

 最近のオードリー関連本では「キャサリン・ヒューム」と表記されることが多い原作者ですけど、この本では「キャスリン・ヒュウム」になっています。翻訳者は和田矩衛という方。

 今回、このブログに載せるために始めから読み返してみましたが、以前感じたことと同じ、翻訳の点で、最初作品世界に入り込むことが難しかったです。

 というのも、普通はカトリックの尼僧に対しては、“シスター”と呼ぶのが普通だと思うのですが、この原作本では“姉”と訳されているので、なんかいちいちそこでひっかかるんですよね。
 たとえば“シスター・ルーク”は“ルーク姉”。これに馴染むのに、ちょっと時間がかかりました。(^^;
 訳者のあとがきで、“わが国の修道院では何々姉と言わずにシスタア何々と呼ぶが、読者の便宜のため一々訳語を付けてみました。”とあります。いや、あの、それ読者の便宜になってないから。(^^;

 内容的には、さすが原作ですね!映画では時間や予算の都合で描けなかったことが色々と出てきます。
 たとえば、精神病のサナトリウムでは、シスター・ルークが敬愛していた先輩シスターが殺害されるというエピソードがあります。

 また、映画でもリハーサルまで行われ、スチール撮影も済んでいた、コンゴでの増水で人が飲み込まれ、なすすべもないというエピソードも、ここでしっかりわかります。
 これって別に、ドラマティックだから、と言う理由だけで書かれているわけじゃないんですよね。実は、その増水の話を聞いた時に勝手に行ってしまい、シスター・オーレリーに譲らなかった、謙譲の心が欠けている、という指摘を受けて苦悩するシスター・ルークのお話というわけ。

 また、オードリーの戦争の記憶がよみがえるので、省いたといわれる戦争中のシーンですが、かなり本では詳しく描かれています。イギリスの飛行士をシスター・ルークがドイツ兵に嘘をついてかくまったり、スパイのためにゲシュタポの将校になっているイギリス人の話などが描かれます。

 原作では、修道院を出た直後のシスター・ルーク=ガブリエルの話が少しあるんですが、そこで気づかされるのは、尼僧のベールは、視野をかなり制限しているということ!広角レンズのように見える広がった世界に、ガブリエルが戸惑っているシーンがあります。

 それと、これはこの本でわかるオマケなんですけど、映画には出てこない人物で、ガブリエルの叔母がガブリエルのことを“ギャビィ”と呼ぶんですよね。あー、ガブリエルの愛称はやっぱりギャビーなんや、って思いましたね。
 「パリで一緒に」の脚本家ベンスンが劇中劇のヒロインを決めた時に、現実のガブリエルが“ギャビー!?”って驚きますけど、そんな驚くこととちゃうやん!とかってね。

 「尼僧物語」って、最近ではよく晩年のオードリーの活動と近いってことで取り上げられますけど、実は僕はそんな風にはあんまり思ってなくて、いちばん最初にそういう比較の文章を読んだ時、かなりビックリしたんですよね。
 「尼僧物語」は、やろうと思うのに、教えに行動の制限を受けることに苦悩する尼僧の話だし、オードリーは別に時間以外は制限なんて受けてないけど、現実の子供たちの状態を見て苦悩してるわけだし、いまいち一致する部分って少ないんじゃないのかな~?と。

 むしろオードリーとかぶるとすれば、修道院を出た、よって映画では描かれていない“その後のガブリエル”なんじゃないかなーと。
 ハイアムの伝記で、シスター・ルークのモデルになったマリー・ルイーズ・アベの話が出てきますけど、キャスリン・ヒュウムに“あなたは聖者だわ!”と言われた時にあとじさってるんですよね。
 だって、尼僧をやめないと出来なかったことをしてる自分に対して、“聖者”といわれたら、誰だってひきますよね。

 オードリーの行動も尼僧とは似て非なるもので、オードリーがやっていることは自分が有名で目立つのを利用して、その注目を世界の(生きることすら難しい)子供たちに向けさせること。そして自らその地へ赴いていって、じかに触れ、感じとり、世界に発信すること。
 これはこの原作を読むとよくわかるんですけど、個よりも全体を重んじる尼僧では決して出来ないことなんですよね。

 以前も「尼僧物語」の2枚組みサントラの時に書きましたけど、決して原作も映画も「尼僧“否定”物語」ではないので、そこのとこを履き違えないでくださいね。そこを間違えると「尼僧物語」はずいぶん小さなお話になる気がします。

オススメ度;★★★★


  
タグ :尼僧物語


Posted by みつお at 13:00Comments(2)尼僧物語原作本

2008年07月07日

「オンディーヌ」ジャン・ジロドゥ 二木麻里 訳の現代語版

 これは今年(2008年)3月に光文社古典新訳文庫として発売されたばかりの、ジャン・ジロドゥの戯曲「オンディーヌ」です。

 「オンディーヌ」の翻訳としては、白水社から「ジロドゥ戯曲全集第5巻」に所収されて2001年に復刊発売(もとは1950年代発売)されているのは知っていたのですが、ちょっと値段が簡単に手が出る物ではなかったんですよねー。
 それで延ばし延ばしにしてたら、光文社から文庫が出たのでこっちを買ったというわけ。(^^;

 読んでみてですね、感想は、結構面白かったですよ。現代語訳で読みやすかったし。

 でもこの現代語訳というのが諸刃の剣。読みやすくはなったけど、なんかオンディーヌが軽薄に見えるんですよね。
 で、オンディーヌをオードリーで考えたい僕としては、言葉使いを脳内変換しなければならないところが多々ありました。

 この「オンディーヌ」は劇団四季が取り上げているそうなので、今回文庫になったんでしょうが、劇団四季もオードリーの舞台も見ていない僕はこの現代語訳のだけで読んだ感想なんで申し訳ないのですが…。

 まず、第1幕はオンディーヌとハンスの出会い。オンディーヌがハンスを“きれい!”と形容した段階で、僕の中でのメル・ファラーの顔に×印が付きました。
 こういう設定なのに、メルがオードリーとの舞台にこれを選んで、自分がハンスを演じるなんて図々しい(笑)!

 第2幕がとても不思議な展開。水の精の王が化けている奇術師のせいで、時間が何度も早送りされるんですよね。そしてオンディーヌとハンスの結婚式になるのですが、ここでのオンディーヌの言動が、ハンスでなくてもイライラするほどの思慮のなさ。これもきっと現代語のせいで、よりオンディーヌが浅はかに見えるんでしょうねー。

 第3幕はハンスとハンスの元の婚約者ベルタとの婚礼、そしてオンディーヌの裁判になるのですが、第2幕でオンディーヌとハンスの深い愛が描かれていないせいか、オンディーヌの軽率さで離婚になったのかと、あまりの唐突な展開に僕はビックリ!それで最後はハンスの死、そして記憶を失うオンディーヌと来るので、感動とか深い悲劇を味わうヒマもありませんでした。(^^;A

 う~~ん、オンディーヌとハンスの愛が深く描かれてこそ最後の悲劇が活きるんでしょうけど、ちょっとこれではねー。
 もちろん舞台の場合、上演時間の問題もあるし、この戯曲では淡々と描かれてても、舞台では俳優さんが演技で表現するので当然味わいは変わってくるのでしょうけども。

 長い解説を読むと、この「オンディーヌ」には悲劇性と喜劇性があるそうで、ずっと悲劇だと信じて読んでいた僕は第2幕の軽はずみな言動のオンディーヌの部分が笑うところだったと知ってこれまたビックリ!

 他にも、裁判官が“火あぶりにしたら死んだので水の精だった”とか“水に沈めたら溺れ死んだので火の精だった”とか恐ろしげな魔女裁判的発言も眉をひそめていたのに、これも笑うところだったらしく、全然ツボを突けてない僕は、自分に呆れました。

 また、1939年ジロドゥの「オンディーヌ」成立までの図が載っていて、1811年フーケの「ウンディーネ」がベースになっているのがわかるんですが、そういえばこの表にはないけど、僕の好きなチャイコフスキーも1869年に「ウンディーネ」のオペラを作曲したよなーって思いました。
 チャイコフスキーは出来が気に入らなかったりすると、よく破棄してしまったので、完全版はこの世に残ってないんですけどもね(もったいない!)。

 なお、この本にオードリーのことは全く出てきません。あしからず。

 でも今回これを読んで思ったのは、“きれい!”なハンスがメル・ファラーでいいのか?というのはおいといて、メルがオードリーとの最初の共演にこれを選んだのはまさに暗示的!

 だって、誰もこの点を指摘してないんですけど、オードリーとメルのその後は、まさにオンディーヌとハンスそのものなんですよ!

 ハンスが制御できないオンディーヌは、メルが手の届かない所までスターへの階段を昇ってしまったオードリー!
 そして、ハンスが他の女性と結ばれることになった時に、ハンスは死に、オンディーヌは記憶を失うんですが、それはメルが浮気をし続けたために、オードリーがメルへの愛情を完全に失ったことに置き換えることができます。

 その後にオードリーとメルが共演する作品は、「戦争と平和」にしろ「マイヤーリング」にしろ、うまく二人が結ばれないお話ばかり。最初にメルはもっとハッピーエンドな作品を選んだ方が良かったかもしれないですねー。

 …というわけで、なんかこれでよかったのだろうか?っていう僕の「オンディーヌ」体験だったんですが、今度はもっと文語調であろう白水社版の「オンディーヌ」も読んでみたいと思っています。この作品の真価は両方読んだその時にわかるんじゃないかなーと。

 ちなみに別の訳者さんですが、同じ光文社古典新訳文庫での別の本で、誤訳論争が起こっていることも付け加えておきます。

 2つ目の画像は「映画ストーリー臨時増刊 オードリー・ヘップバーン」に載っていた画像ですが、「オンディーヌ」の扮装のままでニューヨーク大サーカスのオープニングパレードをするオードリーとメル・ファラー。
 このときの映像が残っていて、YouTube に載ってたりするもんでビックリ!よくまあこんな昔の映像が残っていましたね!って。

オススメ度:★★(読みやすいし、今なら入手しやすいので)


  


Posted by みつお at 16:00Comments(0)原作本

2008年06月27日

コレット著作集11「ジジ」 ガブリエル・コレット

 これは1975年年末に二見書房というところから刊行された「コレット著作集」の第11巻です。
 もちろんこのブログでコレットというからにはオードリーが舞台で演じた「ジジ」が収録されています。

 この著作集は1970年の第1巻の刊行から、最後の第12巻は1980年刊行という、足掛け10年にもわたるものだったようです。

 コレットというと断然「青い麦」が有名ですけど、僕は残念ながら読んだことが無いんです。いや、読もうと思ったことはあるんですけどね。(^^;

 小学生だか中学生だかの頃、近所の本屋で「青い麦」を買おうかと思ったんですが、横にあった新潮文庫版「牝猫」のいかにも絶版になりそうな佇まいを見てですね、これから先に買おう!と決めて買ったのがいけなかったんでしょうかね。なんか読んでも全然面白くなかったんですよね、僕には。

 それで「青い麦」にはたどり着かなかったんですけどもね。ま、「牝猫」は予想通りすぐに絶版になりましたけど。
 でもなんだか「青い麦」には最後、仕掛けがあるんですか?なんか面白そうですよね。やっぱ先に「青い麦」を読んでおくべきでしたね~。

 さて、そんなコレットとの出会いでしたので、この「ジジ」もオードリーと関連がなかったら、おそらく一生読まなかったであろう作品。入手も難しいし。

 この本を手にしてわかった意外なことは、「ジジ」は1冊の長編ではなく、3編の短編集だってこと!
 だから実際にはオードリーの演じた「ジジ」は、「ジジ」という短編集の中の「ジジ」というお話なんですよねー。

 で、読んでどうだったかと言うとですね、“ふ~ん”って感じ。
 僕はレスリー・キャロンがジジを演じた映画「恋の手ほどき」も未見ですが、おそらくオードリーの演じた舞台にしろ、映画にしろ、この短い小説を膨らませているんでしょうけどね。
 映画のモーリス・シュバリエにあたる人は出てきません。

 途中何度もジジは話から引っ込むので、ハラハラしました(笑)。本当にジジは主役なんだろうか?って。

 それにジジはプラチナ・ブロンドの15才なんですよね、原作では。
 これでよくコレットはオードリーを見て、“私のジジがいる!”と言ったなぁ…と。なんかイメージちゃうんですよね、オードリーとは。

 コレットが見ていたのは「モンテカルロへ行こう」の撮影中ですから、確かに「モンテカルロへ行こう」の中にはオードリーが金髪のカツラをかぶっているシーンがあるので、そこを見て“私のジジ!”だと思ったのかもしれませんが…。

 こうなると、何かの本で、コレットはオードリーだけに“私のジジ!”だと言ったのではなくて、それまでにも何人にも“私のジジ!”発言をしていたというのも、なんとなく信憑性があるような…。

 さて原作のジジ、15才だというのに、お酒は軽く飲むわ、タバコ(葉巻?)は喫うわという“純粋なネンネの娘”という設定ですからね~。こういうことを15才がしててもよかったのかなーと実感の無い昔のフランスを思うばかり。(いや、精神的には確かに純粋なんですけどね。)

 しかも最後はそれまで何人もの女性を変えたり、高級娼婦(「ティファニーで朝食を」のホリーみたいな)と遊んでいる33才のガストンと結ばれるというんですから、今じゃ犯罪やん、それって!みたいな。
 二人の純粋な気持ちはわかるけど、設定は今の時代としては“ついていけない!”かな、やっぱり。(^^;;;

 なお「ジジ」の翻訳には、他に1956年創芸新社発行の「コレット選集第2巻」と、映画の公開の頃(1959年)発行された秋元書房のジュニア向け「恋の手ほどき」として訳出されているものがあります。

オススメ度:★(でも、コレットの作品では傑作扱いになってると書いておきます。)


  
タグ :ジジ


Posted by みつお at 16:00Comments(4)原作本

2007年11月30日

「シャレード」ピーター・ストーン著 山田順子訳 ハヤカワ文庫

 今日は、話の都合上、「シャレード」のラストシーンまで言及する部分があるので、もし映画をご覧になってない方は、今日は読まないことをオススメします。
 まずは映画をご覧になってから読んでみてください。

 これは「シャレード」のノヴェライズ本です。訳者あとがきでは“原作”になっていますが、おそらく映画の後に脚本のピーター・ストーンが書き上げたものだと思います。原書の発売も映画の後のようですし。

 日本ではハヤカワ文庫NVから1980年に突然発売されました。その時期、オードリーの人気は一番冷え込んでいた時期ですし、何で出たのか今でも不明ですが、そんな時期だっただけに僕は大喜びでしたけどね。

 その後長い間絶版でしたが、2000年にこれまた突然復刊されました!

 さて、書いたのは脚本も書いたピーター・ストーンとなると、映画とほとんど一緒かと思いますが、かなーり映画とは違います。

 まず、季節は夏に設定されています。主人公、レジーナ・ランパートは金褐色の髪の毛だそうです。
 で、主人公とアレクサンダー・ダイルはプールに泳ぎに行ったりします!

 これがですねー、どうもオードリーのイメージじゃないんですよね。たとえば、「ローマの休日」以前のオードリーが水着を着て海で写真を撮影してるのは見てますし、「いつも2人で」で何着もの水着を着てるのも見てます。「暗くなるまで待って」以降のオードリーがビキニを着ているのも知ってます。

 でもですねー、「シャレード」というとオードリーはあのヘアスタイル!「いつも2人で」のくしゃくしゃヘアならともかく、「シャレード」のあのがっちり固めたかのようなヘアスタイルで思いっきり布地の少ないビキニで泳ぐってのは、どうも想像できないんですよねー。どうやっても無理!
 皆さんは想像できます??

 というわけで、オードリーからは離れて読み進むことになります。しかも細部もかなり映画とは違うし。

 まず、三人のオードリーにつきまとう連中のうち、ギデオンは全然映画と違う体格の男として描かれますし、殺される順番も違います。一人は自分の不注意で死んじゃうし。

 プロンプターの穴に隠れる人も映画とは違うし、ラストで奈落のレバーを引くのは映画の人ではありません。

 オードリー=レジーに付加されていた、“悩み事があるとお腹が空いちゃう!”っていう面白い設定もここにはありませんし、オードリーとケーリー・グラントの軽妙なやりとりもありません。

 このように、かなり映画とは変更されているので、原作を読む、と言う感覚ではなく、新たな作品を読む、というつもりで読むことをオススメします。
 そうですねー、リメイクされた「シャレード」と思って読んでいただければ…。

オススメ度:★★


  
タグ :シャレード


Posted by みつお at 15:00Comments(6)シャレード原作本

2007年11月05日

「麗しのサブリナ」原作戯曲 サミュエル・テイラー著

 今日は「麗しのサブリナ」の原作戯曲の紹介です。作者はサミュエル・テイラーで、映画の脚本と同じ。

 これは1975年12月に新書館というところから発行されたものですが、「麗しのサブリナ」初公開当時には早川書房から同じ訳で新書版が出ていたそうです。

 あとがきには「ロビンとマリアン」が撮影中であることが書いてるので、「ロビンとマリアン」でまたオードリーの人気が盛り上がるのを見越しての発売だと思われます。

 訳者は清水俊二さんなんですが、この方映画の字幕もよく担当されてる方で、なんと!「麗しのサブリナ」のDVDも清水俊二さんです!(他に「パリで一緒に」も!)

 内容は、同じビリー・ワイルダー監督の「昼下りの情事」でもそうだったんですが、原作とはほとんど共通点なし!

 確かに財閥にはライナスがいて、デイヴィッドがいて、で、そのおかかえ運転手の娘にサブリナがいて、ライナスと結ばれるんですが、一緒なのはその設定だけ。

 途中の経過はもう全く違うんです!サブリナを駅に迎えに行くのはお父さんだし、豪華パーティもなし。ライナスはデイヴィッドとサブリナの結婚を喜んでるくらいだし、サブリナはあっさりライナスが好き!って認めてる。正直デイヴィッドの存在は薄いです。他にもパリからサブリナを追いかけてくる男も登場します。

 一番気になったのはサブリナとデイヴィッドは20代半ば、ライナスはその10才上という設定!
 映画ではサブリナは18才くらい、デイヴィッドは30代後半、ライナスは50代後半、って感じに見えるのに!しかも原作はライナスが妙に陽気。

 本当の設定で行くと、デイビッドは「緑の館」のアンソニー・パーキンスか「マイ・フェア・レディ」の頃のジェレミー・ブレットってところでしょうか。
 ライナスは陽気なので、「麗しのサブリナ」のウイリアム・ホールデン、「おしゃれ泥棒」のピーター・オトゥールあたりがいいかと。
 そんな風に違ったキャスティングで読むのもまた一興です。

 (以下ネタバレ。この本をこれから読もうと思っている人は飛ばしてください)
 サブリナのお父さんは、ライナスのお父さんの代でつぶれそうだった時のララビー財閥の株を買えるだけ買っていたおかげで、100万ドル以上もの財産を持つというララビー財閥の大株主&大金持ち!という設定は面白かったですねー。
 お月様に手を伸ばしたつもりが、サブリナもお月様の住人だった、と。
 (ネタバレ終わり)

 ビリー・ワイルダー監督って、原作から題名と設定だけもらって、すっかり中身を変えて映画的にしてしまうのがお好きなようです。

オススメ度:★★★

この本はアマゾンでは取り扱いがないようですが、ネットの古書店ではわりと見つかるようです。


  


Posted by みつお at 15:00Comments(0)原作本

2007年10月19日

「ピグマリオン」バーナード・ショー著「マイ・フェア・レディ」

 これ、バーナード・ショー著の「ピグマリオン」です。これが「マイ・フェア・レディ」の原作だっていうのはあまりにも有名ですよね。しかも結末が違うっていうのも。

 こういう、意のままにならないイライザっていうのも非常に興味深いんですが、あんまり面白くはないかな。
 たとえ、映画では“なんでこんなヒギンズ教授とくっつくんや!フレディの方が誠実そうやん!”って思ってて、実際コチラではフレディとひっついたとしても。

 なんかねー、バーナード・ショーの“その後の2人”みたいなのがあまりにあんまりでね。ショーの皮肉はたっぷりつまってるのかもしれないけど、ちょっとリアルすぎ、みたいな(笑)。

 ショーの戯曲って、凄いのかもしれないけど、ヴィヴィアン・リー主演映画の「シーザーとクレオパトラ」を読んだ時も思ったけど、あんまり僕には合わないかもしれない。僕には文章を額面でしか捉えられない能力しかないので、ショー流の皮肉がわかんないから。(^^;

 このバーナード・ショーの戯曲であと読んでみたいのは同じくヴィヴィアン・リーが舞台で演じた「医師のジレンマ」かな。映像がないので、それは頭の中でイメージしつつ読めそうだし。

 こういう映像があるものは、そっちのイメージがついてて、僕にちょっと…でした。

オススメ度:★