2021年07月21日

「麗しのサブリナ」日本語吹替版VHSジャケット


 「パリの恋人」もかなり紹介してなかったのですが、見てみるとそれ以上に「麗しのサブリナ」を紹介してませんでした。
 2019年の他の作品と一緒くたの“オードリー映画祭”のパンフレット以前は、4年も前の2017年10月まで戻らないといけなかったので、今回は「麗しのサブリナ」にします。

 今回の「麗しのサブリナ」はVHSビデオの日本語吹替版のジャケット紹介。
 ちなみにテープ本体はもう観ないと判断して捨てています。残しているのはこれらだけ。

 VHSテープって、ハイティーンとかの人はそろそろ見たことないって人が多くなってくるんじゃないでしょうか。
 DVDの前にスタンダードだった録画&映像機器。

 テープ式なもんで、一旦進んでしまうと戻すときはテープをキュルキュル!って巻き戻さないといけないんです。
 DVDみたいなチャプターとかもないんで、ちょっと前が見たいってなっても、戻し過ぎてしまったりしてなかなか希望のとこにはたどり着けなかったり。

 映像を見ながら巻き戻す、ってことも出来るようになってましたが、それだとテープと読み取るヘッドが接触してるので、テープは伸びてだんだんと劣化して映像も音声も悪くなってくる、みたいな。

 それに水平解像度っていう画質の指標みたいなのが、VHSだと250本くらいなんですよね。しかもそれのインターレース方式。
 インターレースってのは、250本の映像の半分の125本ずつをものすごく速く交代で映して見た目で250本に見せているというもの。今から考えるとめちゃくちゃ画質悪い。

 当時のブラウン管テレビのアナログ放送では350本のインターレース方式でしたから、それより劣るということですね。

 それがDVDで500本のプログレッシブ(一斉に500本を映す方式)になって、フルハイビジョンやブルーレイでは1920本、4Kでは3840本にもなっていますので、若い方でもどれだけ画質が悪かったかお分かりかと思います。

 2000年にPS2が出て、一気にDVDが普及するので、こういう市販のビデオでもVHSで新作が出たのは2003年の「ローマの休日」デジタル・ニューマスター版が最後あたりだったかと…。

 それ以降は過去にも出ていた「パリで一緒に」とかが数量限定で復刻発売されるくらいでしたかね。
 この「麗しのサブリナ」VHSも書いてあるコピーライトを見ると1997年になってます。




 さて、当時「麗しのサブリナ」自体はもうLD(水平解像度400本のインターレース)で持っていたのですが、なぜこんな画質で劣るVHSなんかを買ったかというと、何と言っても池田昌子さんの吹替版で観れるから!

 VHSって、音声を複数収録することが出来なかったんですよね。なので字幕版は字幕版のみしか収録されていませんでした。
 それでこういう吹替版だけのものが発売されたんですよね。

 対してLD(レーザーディスク)は複数チャンネルを収録可能だったんですが、初期の頃の発売のものには付いていませんでした。
 しかもLDって録画はできないので、VHSよりも普及が進んでおらず、1度プレスしたらなかなか再プレスって無かったんですよね。
 しかも再プレスしても前の仕様のままなので、結局吹替は付かないまま。

 数が出ないので、LDでの吹替版は無いだろうと思って買ったのがこのVHSでした。

 でも吹替って70年代〜90年代の映画のテレビでの放送が全盛だったので、昔の作品の方がテレビで吹替版で馴染んでる人が多かったんですよねー。
 00年代とかはBS放送などでの字幕の方が普通になるみたいですけど。

 でも昔は市販のテープの発売を想定されずにテレビ用の吹替が作られていますから、契約上ビデオやLDで収録するのはなかなか至難の技みたいなんですよね。
 今でも吹替版が収録されないオードリー作品が多いのはそういう事情によるものが多いみたいなんです。あと現存しないとか(「昼下りの情事」の黒沢良さんのバージョン)、「暗くなるまで待って」みたいに別の音楽を使ってるとか、別の問題がある作品もありますけどね。

 今は映画の公開時でも吹替版が上映されたり、DVDやブルーレイに収録されるのを前提で吹替も録られていますし、契約もそうなっているのでしょうから入ってますけどね。

 この「麗しのサブリナ」に関してはテレビ版とは違うみたいなので、このVHS発売に合わせて新たに録音されたのでしょうか?

 でもやっぱりオードリーは池田昌子さん!
 ネットでいろんな吹替版の「ローマの休日」を聞きましたが、やっぱり池田昌子さんの品の良さと甘さが両立しているというのは別格!

 池田昌子さんの場合、叫ぶシーンでもやっぱり品が崩れたりしないのが流石です!そこで声がかすれたり品が無くなったりと地が出てしまうと、“これは声優さん”というのを強く意識してしまうのですが、池田昌子さんにはそういう破綻がないのですよね。そこが凄いし、だからこそ安心して見ていられます。
 
 表のジャケットのデザインは字幕版とは違う、日本の1965年リバイバル時のポスターを元にしたもの。

 1960年代後半〜70年代前半の日本のオードリーのポスターってビックリするくらいレベルが高かったですから、ビデオ時代にはよくビデオジャケットにも採用されてましたよね。
 他には「ローマの休日」「戦争と平和」「パリで一緒に」「おしゃれ泥棒」「暗くなるまで待って」でも日本版ポスターを使ってました。

 でも「麗しのサブリナ」って宣伝用のデザインでこれ!っていうものがないですよね。ここでのデザインもベストだとは思っていませんが、各国のポスターを見てもやっぱりこれ!っていうのは無い。

 むしろ「麗しのサブリナ」は写真1枚で完成しているものが多いですよね。このジャケットにも乗っているジャンパースカートで寝そべっているもの、やはり同じくこのビデオの解説に付いているサブリナ・パンツの一連の写真たち、など。

 なので字幕版のVHSなんかもジャケットは鎧戸の所に佇むオードリーだけの写真になってました。




 さて今のブルーレイやDVDって特別版みたいなのじゃ無いと解説の紙すら入ってなくて、ジャケットの裏にちょこちょこっと短文が書いてあるだけですけど、この時代ってVHSにも解説が別に中に入っているという時代。

 このビデオでも三つ折りの解説が入ってます。めっちゃ小さい字で作品解説、主演3人と監督のプロフィール、それとスタッフ・キャスト、アカデミー賞の受賞・ノミネートまでぎっしり載ってます。文章は映画評論家の日野康一氏。

 テニスコートが屋外と屋内に2面ずつあるのはパラマウントの社長の自宅…ではなく、別宅!!!なんだそうです!めっちゃリッチですよねー。
 こういう現実を知ると、映画スターも売れたらお金持ちになれるけど、やっぱりそれを吸い上げる経営者の方がさらに上を行くんだー!と貧乏人としては思いますよね。

 あと、この作品から名付けられた“サブリナ・パンツ”ですが、当時の短足の日本人には似合わなかったそうです。まあ丈の短いパンツって、ますます足が短く見えますもんね。僕もパンツ(ズボン)の裾を切るときはなるべく長めに切ってもらってます。

 今の若い方達はだいぶ西洋風になってきてるので、男女とも本当に足が長いですよね。街中でもたまにビックリします。
 今の人たちはサブリナ・パンツも楽々着こなせるでしょうね。

 あと、オードリーの作品リストの表組みで、「ローマの休日」から載っているのですが、「ニューヨークの恋人たち」だけ書かれていないのが可哀想…。
 2列組なので、スペースは後1つ空いてるのに…。

 それと、同じく作品リストで共演者も乗っているのですが、「華麗なる相続人」はオマー・シャリフになってます。
 まあベン・ギャザラよりは有名だから…でしょうか?

 こういう解説って、LDにも初期の頃は入ってましたけど、やがて封入されなくなり、DVDにも付かなくなり、今は無いことの方が当たり前ですよね。

 昔「パリで一緒に」のLDが初めて発売されてめっちゃ嬉しくて初日に買ったんですけど、家に帰るまで我慢できなくて解説が読みたくて開けたんです。でも当時の廉価盤LD(3800円)ではない高い7800円だったのに、解説が封入されてなかった時にはめっちゃがっかりしました。当時は廉価盤でなければ解説が入ってるのが普通だったので、読むのも楽しみだったのにね。言ってくれたら僕が書くのに〜!とか思ってました。

 ちなみに、着色か本物かわからない方のために書いておきますが、このジャケットの画像は先ほども言ったように日本で1965年にリバイバルした時のポスター用の着色カラーです。この当時は日本の職人さんが手描きで着色していたんですよね。大きなポスターで見ても崩れないほどって、どれだけ大きく描いてたんでしょうね。すごい技術ですよね。

 本当のカラー写真を「Audrey: The 50s」の表紙で見ると、ドレスの刺繍は黒で、犬についているヒモも黒1色です。

 こういう、「わけあってVHS買いました」ってのは他にもあるんで、またおいおい紹介していきます。
  


2021年02月20日

「ローマの休日」マハラジャ チラシ

 今日はバブル時代の高級ディスコ“MAHARAJA(マハラジャ)”の大阪梅田のD.D.HOUSE店のチラシの紹介。
 片面印刷で、裏は白。コート紙です。

 バブル時代のディスコというと今は“ジュリアナ東京”が一般的には有名かと思いますが、実は“ジュリアナ東京”はバブル崩壊後にできたディスコ。
 リアルでバブル時代に現役で有名だったのは何と言ってもこっちの“マハラジャ”ですね。

 “マハラジャ”はドレスコードがあったり、黒服が居たり、VIPルームがあったりとかってなんか高級なイメージでしたね。
 まあこれは“マハラジャ”本体ではなく、そこでやるパーティーの主催者のチラシのようですが。

 でもなんでそんなところがこんなオードリーを使ったチラシを???って思いますよね。
 チラシを読んでも全然オードリーとは関係ありません。
 しかもどうやら写真は無断で使っている様子。著作権マークが見当たりません。

 日付を調べると1987年のようです。

 この時期というのはバブル寸前の日本が最も活気があってお金もあった頃。
 なのでこういう高級ディスコがあったというのもうなずける話なんですが、この時期はというと僕がこのブログで何度も書いてきたように、実はオードリーの再ブームが起こっていた頃とも合致してるんですよね。

 1985年に始まった日本ヘラルド配給のオードリー作品の続々リバイバルで、急速にオードリーの人気が復活!
 1987年にはハウス食品の清涼飲料水“It's”のCMで「ローマの休日」の一部が使われたり、雑誌“スクリーン”でも人気投票で第7位に5年ぶりにベストテン入りして、当時は若い人にもオードリー人気に火がついて、女性雑誌でも “オードリーを特集すれば売れる!”と言われていた時期でした。

 なので、ワンレン・ボディコンのディスコの雄“マハラジャ”とオードリーが同居しててもおかしくない、という時代だったわけですね。

 ちなみに僕がなんでこんなチラシを持っているかというと、別に僕が“マハラジャ”に通っていたというわけではなく、オールディーズの好きな親友がいたので、他の友人たちと一緒にD.D.HOUSEの中にあった“KENTO'S”というオールディーズのライブハウスの店に何度か行ってたからですね。それでたまたま一緒にあった“マハラジャ”のオードリーのチラシを見つけてもらってきたんでしょう。

 そういえば、“KENTO'S”に行った時はいつもアン・マーグレットの「バイバイ・バーディー」をリクエストしてましたが、1回も歌ってくれませんでした。

 実はその時は僕もその曲すら知らなかったんですけど、どんなんかなーと思ってずっと聞いてみたかった曲でした。
 1960年代半ばはアン・マーグレットの人気がすごかったみたいなんですけど、その人気の元が「バイ・バイ・バーディー」だったみたいなので、めっちゃ期待してたんですよね。

 ある時歌手の女性の人がテーブルにまで回ってきてくれたので、なんで「バイ・バイ・バーディー」を歌ってくれないのか(もしかしたらオールディーズじゃないのかもとか)訊いてみたところ、レパートリーになかったみたいでした。そしたら仕方ないですよね〜。

 のちに「バイバイ・バーディー」のサントラの入ったオールディーズのCDを買いましたが、やっぱり映画音楽だからか、オケ(オーケストラ、演奏者)の規模がそこそこ大きいので、そりゃライブ・ハウス向きじゃないよなーって思いました。

 今は調べたらD.D.HOUSEは現存するものの、“MAHARAJA”も“KENTO'S” もなくなっているようですが…。

 まあその友達のおかげで今でもオールディーズは少し聞きますし、オードリーの「オールウェイズ」が1990年に公開されたときにオールディーズの「煙が目にしみる」が主題歌のように流れていてもすんなり入っていけましたし、のちにはたまにカラオケで歌うほどでしたけどね。
  


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2020年11月23日

ウイング社製日本版B2サイズ オードリー・ヘプバーン カレンダー

 今日はウイング社さんに今年もいただいた、日本版オードリー・ヘプバーン カレンダーの紹介。

 まずはビックリしました!今年はウイング社のこのカレンダーの担当の方からお電話をいただいて、またカレンダーを送っていただけることになったんです!

 以前お話させていただいたときに、カレンダーの契約は2年毎に行われるそうで、売れなければ更新無しになると教えていただいてたので、まずは今年が契約更新の年だったので、今年もオードリー・ヘプバーンのカレンダーが発売されてて良かったです!とお伝えしました。
 これで来年も出ることがほぼ確定ですからね。

 その際にいっぱいお話しさせていただいたのですが、その時に興味深いお話もたくさん聞かせていただきました。

 まず今年は表紙が「ローマの休日」の有名な画像ですが、本当は別の写真を使いたかったのだとか。

 実はブーゲンビリアのカラーを表紙で使いたくて、権利元(ショーンとルカ?)に確認をとったところ、今年はNOとの返事。

 その写真自体は過去に使ったこともあるので、ウイング社の担当の方は海外のカレンダーの表紙で使うのかな?と思ったそうですが、実際には使われてなかったそうです。まあ前に今年のオードリーカレンダーを紹介した時に、中身では使っている海外のカレンダーはありましたが。

 それで急遽この「ローマの休日」になったそうです。でもこれも過去に使ったものだそうで。

 中身はウイング社の担当の方のご意向で今年もオールモノクロ。

 今年一番珍しいのは7.8月のもので、一番嬉しいのは唯一の60年代の5.6月。
 この5.6月の写真はジバンシィのランテルディの宣伝で使った写真の別ショット。63年撮影のものなので、「マイ・フェア・レディ」撮影のちょっと前ですかね。

 でも実はこの写真、何かの写真集に掲載されていたからご存知の方もいらっしゃると思いますが、実はこのオードリーの左側には本当はメル・ファーラーがいます。もちろん権利の問題でメル・ファーラーを載せるわけにはいかないので、綺麗に削除されているそうです。

 11.12月は本来はカラー写真。「デラックスカラーシネアルバム」で超美麗なカラー写真を知っている身からすると、このモノクロ化はめっちゃ残念!この写真の美しさが95%くらい死んでると思います。

 まあでもこの写真の綺麗なポジはレンタル屋さんにあるとは思えないので、カラーで載せても最近の写真集などで掲載されている暗くて汚い画像になってしまったかと思いますが。

 さて、他にもカレンダーについて色々伺ったんですけども、やはり紙ものが衰退している時代なので、もう海外のスターでカレンダーを出しても売れるのはオードリーだけとのこと。
 今や国内版ではオードリー以外の海外スターは全くカレンダーが出ていませんもんね。

 そこで訊いてみたのが海外ではオードリーよりカレンダーの種類の出ているマリリン・モンロー。
 でもお話では日本ではオードリーの1/10くらいしか売れないだろうとのこと。

 むしろグレース・ケリーの方が売れるだろうけど、それでも売れてオードリーの1/5くらいだろうと。

 昔はオードリーと競って出ていたジェームズ・ディーンも今や全く売れないとのこと。

 数年前、仕事上のおつきあいでジェームズ・ディーンのカレンダーを出すことになったそうですが、ウイング社担当の方は“絶対売れませんよ、やめておいた方がいいですよ”と念押ししたとのこと。
 それでもどうしてもということで出すことになったそうですが、売れたのはたったの数百部だけだったとか。

 さてここで印刷の事情のお話ですが、まず印刷は最低1000部印刷して初めてペイできます。
 それ以下の部数だと、今ならオンデマンド印刷の方が安くつきます。

 それに、こういうスターのカレンダーだと写真使用料という権利金が発生しますので、最低ペイラインは3000部だそうです。
 それが数百部しか売れないとどうなるか…。きっとそのゴリ押しでジェームズ・ディーンのカレンダーを作ったところは大赤字だったでしょうね。

 さてそうなると気になるのはオードリーカレンダーの販売部数。そこも伺いましたが、だいたい7500部〜8000部くらいとのこと。1万弱だそうです。
 そこから考えるとグレースケリーで1500部、マリリン・モンローだと750部くらいしか売れないことになりますね。もちろん二人とも赤字。それでは出ないのも当然ですよね。

 そしたら最近のスターはどうでしょう?まず気になったのは、一時期ものすごい勢いがあったジョニー・デップ。
 ジョニーは「パイレーツ・オブ・カリビアン」だと人気があったし、売れたんですが、それ以外の作品だとさっぱり売れないとのこと。今はカレンダー、出てませんよね。

 そして過去に大人気だったレオナルド・ディカプリオに関しても「タイタニック」当時のことを教えてもらいましたが、本当にその時期は大人気で、最大10万部売れていたとか。今や彼のものも出ていませんよね。

 担当の方によると、カレンダーを買うのは40代以上の女性が中心だとか。
 なのでその世代に強いオードリーは売れるのだそうです。

 逆にマリリン・モンローはセクシーイメージで40代以上の女性人気が無いので、やっぱり売れないとのこと。それに比べるとグレース・ケリーはもう少し売れるだろうとのこと。それでも展示会とかが無いと、やはり売るのは厳しいだろうとおっしゃってました。
 それで今や海外スターはオードリーだけに…。

 今年は「鬼滅の刃」が大ブームで、カレンダーも売れているそうですが、それでも行って10万部だろうと業界内の方同士で話し合っていたそうです。
 「昔ならこれほどのブームだったら、100万部は売れていたのにね」と笑い話のように話していたとのこと。やはり紙モノの衰退が著しいですね。


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Posted by みつお at 21:00Comments(0)その他グッズ

2020年10月14日

オードリー・ヘプバーン 2021年カレンダー紹介

 今年ももう2ヶ月を切りました。今年はコロナで1年が明け暮れた年でしたね。そんな中、オードリー・ヘプバーンのカレンダーは今年も出るのかどうか心配でしたが、無事日本も海外でも発売されているようですので、ここで紹介。

 ←まず、今年一番のおすすめカレンダーは、今の所日本では売っていないようです。イギリスのアマゾンで入手可能。

 画像も英国アマゾンからお借りしました。

 使用されている写真はオールモノクロですが、ほとんどがレアなもの!こういうのをファンは求めてるんですがな!

 50年代6枚、60年代6枚とバランスも完璧です。
 これを選んだ人はもしかしてかなりのオードリー通なのでは?と思ってしまいます。

 もしこれが日本で買えたら買うのに!
 どうでもいいオードリー・カレンダーとか売ってたりするのにこれを販売しないとは、輸入業者さんもかなり目がふし穴ですね。

 購入はこちらこちらで。

オススメ度;★★★★

 ↓次はこれでしょうか。



 楽天では売っていませんね(多分)。
 こちらは珍しい画像が5点あります。ぶどうを摘んでるみたいな「パリの恋人」のオードリーが特に珍しいですね。
 あとは本来カラーなのに、モノクロになっているのが2点。これが残念ですね。

オススメ度:★★★(3.2)

 他は正直どっこいどっこいなので、中身を全部見たわけではありませんが、期待を込めてまずこれを紹介。クレヴィス社の国内版カレンダー。↓

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 これはウイークリーカレンダーなので、週ごとに写真が変わります。
 1年は52週あるので、最低でも52枚のオードリーの画像を楽しめる、ということになりますね。

 とりあえず最近は期待の持てる感じになってきているクレヴィス社さんのなので、これを2番目に乗せておきます。

オススメ度:不明。画像が多いので、★★★以上。でも全部平凡な画像だったら…。

 あとは50歩100歩なのでどれから紹介してもいいんですけど…

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 ↑ウイングさんの国内版ですけど、今年は…うーん、もひとつかなぁ。珍しいのは後ろ向きの1つだけだし、1・2月、5・6月、11・12月の本来カラーの画像はやっぱりモノクロになってると魅力半減。カラーだったらずっと飾っておきたいくらい美しかったでしょうにねー。4色刷りなのに、モノクロにしてしまうのはウイングさんの担当の方の意向で。はー、一度オールカラー画像にして欲しい。

オススメ度:★★★(2.6くらい)



 ↑次はこれかなー。輸入物。ホールデンとの「麗しのサブリナ」の画像を見ると下に全部の画像があるのですけど、珍しいのは4月と6月くらいかなと。6月のは僕は見たことありますけど、一般的には珍しいかも。

 でも本来カラーの写真が全部モノクロにされてしまっているのはウイングさんと同じ。1・2・5・9・10・12月が本来カラーの写真。酷いね。

オススメ度:★★★(2.6)



 ↑こちらも輸入物。珍しい画像は1点もないんですけど、本来カラーの画像はカラーで載せてくれているのが嬉しい!
 10月の「おしゃれ泥棒」、12月の「ティファニーで朝食を」が裏焼き。3月の「パリの恋人」写真はよく裏焼きになっているんですけど、今回は正しい向きで載っています。
 あと、4月は着色カラーなのがいただけません。

オススメ度:★★★(2.5、気持ちは2.8)

 ←こちらも日本では売っていないもの。アメリカアマゾンから画像をお借りしました。

 こちらを見ると中身もわかりますが、3月の「ティファニーで朝食を」の頃の宣伝写真が珍しく、5月の「クォ・ヴァディス」のオーディションも嬉しい。

 でもその3月も含めて2月の「ローマの休日」カラー、8月「ティファニーで朝食を」が裏焼き、6月は本来カラーのもの。

オススメ度:★★(1.8)



 ↓ここは表紙を替えるだけで、毎年同じ画像を使い回してカレンダーを製作していた所。ところが今年はわりと画像を変えてきました。
 去年と同じものは2点だけみたいです。なのでかろうじて最低ランクをまぬがれた形。



 でも4月?の「麗しのサブリナ」と11月?の顔のアップは同じ写真ですがな。またいい加減な仕事っぷり。
 そして3月、6月、10月、12月は本来カラー。なので顔が汚い仕上がりに。

 しかも12月のは、本来モノクロ画像に着色したものを、またモノクロにして掲載したというもので、画像が荒れてます。なんじゃいな。

オススメ度:★(1.0)

 最低ランクの使い回しカレンダーに行く前に、毎年同じの万年カレンダーと、今年のクレヴィス社のスケジュール帳を紹介。↓



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 万年カレンダーは去年紹介しています。

 クレヴィス社のスケジュール帳は2018年のものを見ていますし、またアマゾンでの今年の内容を見た限りでは取り立てて欲しいとは思わなさそうです。

オススメ度:万年カレンダー★★★、スケジュール帳不明。アマゾンで見る限りでは★。

 次からは使い回しカレンダー。奇特な人だけどうぞ。僕は要らないです。



 ↑上記2つは表紙もサイズも違いますが、中身で使われている画像は同じもの。毎年表紙だけを替えて、中身の画像はほとんど同じ。今年も去年と10個の画像が被っています。

 中身がわからないので、わかるところを貼りました。↓ スリム型の方はイギリスのアマゾンへ。こちら



 しかも珍しい画像も無し。右端の縦列の下3つは本来カラー。真ん中の縦列の一番下は着色。下から2番目は本来カラー画像もありますが、ここでのものは着色だと思われます。

 こんなのでも買おうと思うオードリーファンがいるのでしょうか。僕には理解できません。

オススメ度:0点

 あとは、毎年毎年中身も全く同じ画像で、表紙も同じ。カレンダー部分だけを変えてきてさサイズ違いを売っているものがあります。オールモノクロ化されていますし、全くピクリとも食指が動かないもの。



 毎年出ていますし、世界の何処かでは需要があるんでしょうかね。

オススメ度:無し。マイナス50点くらい。  
タグ :カレンダー


2020年10月02日

超レア画像のポストカード!

 更新が遅くなってすみません。体調が悪く、入院したりしていました。


 今日はロシアのオードリー・ヘプバーンのファンのリザさんから頂いたポストカードを紹介。
 リザさんは自分のオードリーのサイトもお持ちです。

 というか、まずめちゃめちゃ珍しい画像ですよね!こんなの見たことないですし、オードリーの全写真集にも未収録、しかもカラー!(もちろん着色ではありません!)

 これはリザさんが買ったオリジナルのポジから刷られたもの。
 30枚だけ作ったものの1枚を僕にわざわざ送ってくださった物です。

 オードリーを見ると「戦争と平和」の辺りのもの。衣装もこれでしか見たことの無いものです。凄い、凄すぎる!

 サボテンとオードリーという組み合わせも見たことないですよね。

 スナップ的にフラッシュを焚いてとってますから、必ずしもオードリー的にはベストな撮り方ではないかもしれませんが、オードリーが美しく見える顔の左側からですし、なんといってもめっちゃ可愛い!

 サボテンのトゲにわざわざ触ってるオードリーがお茶目です。
 こんなポジ、一体いくらで買えたんでしょうね。きっと高かっただろうなーと思います。

 画像の権利はリザさん(と写真家の方)がお持ちなので、無断転載は絶対におやめください。

 リザさんのサイトは、

 https://vk.com/timelessaudreyhepburn

 です。
  
タグ :戦争と平和


Posted by みつお at 19:00Comments(8)その他グッズ

2020年09月01日

「マイ・フェア・レディ」1977年リバイバル時 新聞広告


 今回は「マイ・フェア・レディ」が1977年にリバイバルした時の新聞広告を紹介。

 上映館は神戸の新聞会館大劇場です。当時は1200席超えの本当に名前負けしない大劇場でした。
 そんな大劇場だったのに、神戸の東宝系(OSチェーン)では阪急会館(1300席以上)に次ぐ2番手の劇場でした。
 まあ阪急会館と新聞会館大劇場は神戸では遜色無い大劇場だった、ということですね。

 でも「マイ・フェア・レディ」を2番手にした1番手の作品はなんだったんでしょうね。
 東宝の資料室を見てくると、東京と神戸は77年リバイバルは「マイ・フェア・レディ」同時公開。

 77年の東京での「マイ・フェア・レディ」は74年リバイバルと同じスカラ座でしたが、その時の東京は有楽座が「さすらいの航海」、日比谷映画劇場が邦画ですが「人間の証明」。

 今残ってる度でいくと「さすらいの航海」には勝ったやろーと思っていましたが、意外とこれが3ヶ月近く上映というロングラン。キャサリン・ロス、フェイ・ダナウェーなどオールスター・キャストの大作だったみたいですね。
 そして「人間の証明」は松田優作のヒット作。これはしょうがないですね。

 以前同じ77年リバイバルの「ローマの休日」の新聞広告の紹介で書きましたが、当時の興行は4週間が1つの基準みたいになっていました。
 4週だと水準ヒット、それ以下だとヒットしてなくて、それ以上だと大ヒット、みたいな。

 「マイ・フェア・レディ」はこの77年リバイバルは東京で4週上映していますから、まあまあそこそこお客さんは入ったのでしょうね。
 少なくとも1977年のリバイバルに関しては3週間だった「ローマの休日」よりは成績は上だった、と。

 その東京での様子を見て、神戸では「ローマの休日」は「ふたりだけの森」という二本立てで、しかも300席ほどの“スカイシネマ”で、「マイ・フェア・レディ」は1200席超えの“新聞会館大劇場”での上映となったのだと思います。

 初公開時の「ローマの休日」と「マイ・フェア・レディ」の興行成績(配給収入)は、

・「ローマの休日」2億8404万円(当時歴代配給収入1位)、1回目リバイバル(63年)の入らない最終配給収入2億9618万8000円(1965年で19位)、
  63年リバイバルの成績込みで4億7119万3000円(67年歴代13位)。

・「マイ・フェア・レディ」7億8867万4000円(67年歴代第4位)。

ですから、圧倒的に「マイ・フェア・レディ」の勝ちなのですが、「ローマの休日」初公開当時は普通作品は2週で終わり、そこそこヒットで3週みたいな時代で、そこで5週と3日というロングランだったのですから、これはすごいことですよね。「マイ・フェア・レディ」の時代なら、長期ロングランになっていたと思います。

 「マイ・フェア・レディ」の方は、有楽座で294日も上映。
 シネラマという上映形態で、上映作品がほとんど無いのでいつまでも上映していたのは別として、通常作品で長期ロングランが始まったのは1959年の「ベン・ハー」からじゃ無いかと思うのですが、「ウエストサイド物語」や「アラビアのロレンス」という超ロングランを差し置いての当時歴代第4位はこれまた「マイ・フェア・レディ」も凄いですよね。

 初公開時に「マイ・フェア・レディ」より配給収入が多かったのは、10億円超えの「007/サンダーボール作戦」、10億円弱の「ベン・ハー」、9億円の「史上最大の作戦」だけというのが凄いですね。

 ちなみに「マイ・フェア・レディ」の下の5位は「クレオパトラ」(7億7000万円)と書いてるのと、「ウエストサイド物語」(7億8500万円)というのがありますが、どっちでしょうね。

 この77年リバイバルは僕が最初に見た「マイ・フェア・レディ」になります。母親と一緒に行きましたが、映画を観終わって感激していた僕が母親に「すっごい良かったよね?どうやった?」って訊くと「別に」と答えたので、その後何十年も一緒に映画に行くのが途絶えました笑。
 最近になって午前十時の映画祭で数回叔母や近所の母のお友達と一緒に行きましたが。

 この時、観に行った回が悪かったのか、あんまり神戸ではお客さんが入っていない感じでした。もちろん1200席以上の大劇場ですから、相対的に人が少なく見えただけかもしれませんが。

 「マイ・フェア・レディ」は1964年、1969年、1974年、1977年、1981年、1986年、1995年、2015年、2016年と公開されていますから、オードリー作品では「ローマの休日」に次いで日本ではリバイバルが多いです。
  


2020年04月01日

「いつも2人で」キーホルダー

 2017年の伝記本まとめの記事に、2019年クレヴィス社発行のマーティン・ギトリンの伝記の評価も追記しました。もちろん!最低ランクですけどね。

 今回は前回紹介の「昼下りの情事」テレカを探しているときに見つけた「いつも2人で」キーホルダーの紹介。

 正直、今回出てくるまですっかりその存在を忘れていました。普段使ってないから。

 オードリーのものって、汚れたら嫌なんで結局どれも使いません。保存するだけ笑。

 これは公式のグッズではないものなので、2000年の「私のスタイル」展や「timeless audrey」展では絶対に売られてないもの。
 まあおそらく00年代半ばから後半に何回か開かれていたボブ・ウィロビーのオードリー写真展で売られていたものだろうと。

 これを見つけた時は “あっ!「いつも2人で」!!”と思って即買ったのを覚えています。
 「いつも2人で」の写真を使ったものなんてほとんど売ってませんから、見つけたら当然即買いになります。

 プラスチック(アクリル)2枚の間にオードリーの写真が挟み込まれている作りになっています。ちなみに裏も同じ絵柄。

 でもこの絵柄はその時が初めてではありません。
 実はこの画像はその数年前、神戸の元町の高架下(モトコータウン)のお店でこれと全く同じ絵柄で絵葉書が売られているのを見つけていました。

 「いつも2人で」の絵葉書なんて珍しいですよね!?めっちゃ嬉しくてそこにあったの全部(と言っても3枚くらいしか残ってなかったし、角が曲がったりして状態も良くはなかった)買い占めたのを覚えています。

 2000年頃の当時はもちろんまだ僕はブログなどやってなかったし、その頃はMさんのオードリーHP(現存せず)によくおじゃまさせてもらってました。
 管理人のMさんも「いつも2人で」好きだったので、そのうちの1枚を贈ったのを覚えています。

 この画像の別ショットは「スクリーン」に載ってたり、「いつも2人で」の映画パンフレットに載ってたりしてたのでわかりますが、本来この撮影時にはオードリーの髪型にはお下げを輪っかにしたものが二つ頭の後ろについてます(おそらく付け毛)。

 でもこのキーホルダーにはついてませんね。というのもこの画像は切り抜きになっていて、その切り抜きの際に面倒臭い輪っかの切り抜きをやめて、バッサリ切り落としてしまったのでしょう。

 なので「スクリーン」に載っている別ショットの画像ではオードリーは台に座っているはずなのですが、ここでは台がありません。
 このキーホルダーの画像だけ見たら、オードリーは空中に腰掛けているという物凄い難しいポーズを笑顔全開でやっていることになりますね。

 ちなみにこのブルーのサテンの衣装は「いつも2人で」の映画には登場しませんが、こうして宣伝写真には出てきます。
 デザインはジバンシィ。

 2000年の「私のスタイル」展と「timeless Audrey」展の両方でこの衣装の本物が展示されていました。
 鮮やかなライトブルーは経年劣化で少し色褪せていましたが、割と後年の衣装が多く展示されている中で、馴染みのある若い「いつも2人で」の衣装に出会えたことはすっごく嬉しかったですね。

 なお、この衣装もショーンとルカによって2017年のオークションで出品されたので、もう今後展示されることもなくなり、現物を見れなくなってしまいました…。(オークションについてのハーバース・バザーの記事はこちら
  

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2020年03月28日

I'll アイル・オードリー・シアター テレフォンカードと阪神大震災 後編

 今回は前回の続きから、僕の阪神淡路大震災の体験とI'll アイル・オードリー・シアターのテレカのお話。
 こちらのテレカは上部に穴がポツポツと開いていて、使用済みなのがわかりますか?

 今回も僕の体験談が幅をきかせていますので、地震の体験談なんかいらない!という方は、ピンク色の部分は飛ばして読んでください。


 さて実家には坂を登らないといけないのですが、45分以上も全速力で自転車を漕いで来てかなり疲れてきて、また普段その自転車はあまり使っていなかったので(アシスト機能無し)お尻も痛くなってきてたのですが、それよりも早く家に着かなきゃ!という思いでいっぱいでした。
 もし実家が潰れていたら、助けてあげられるのは自分しかいない!と思っていたので。

 その坂を登って、曲がり角を曲がると実家が見えるのですが、曲がる前には実家が潰れていませんように、実家が潰れていませんように、と本当に心で一生懸命祈りました。

 なので、最後の角を曲がったとき、実家が立っていたのを見たときは本当に安心しました。でも近づくと壁が一部剥がれ落ちていたので、自転車を停めると走って家族を呼びながら家に走り込みました。

 するとまず母が出てきて、そして妹や父も出てきて家族全員無傷で無事だったので、本当に脱力してめっちゃ泣きました。嬉し泣きでした。

 ホッとしたのも束の間、実家の隣はお医者さんでしたが、そこにぐったりした子供を連れた両親が車でやってきました。テレビ(当時は重いブラウン管)が子供の身体に落ちてきたとお母さんが半狂乱になりながら説明していました。
 隣のお医者さんは奥さんにすぐに酸素ボンベを持ってくるように叫んで、必死で胸を押して心臓マッサージをしていましたが、やがて時計を見てダメだと告げました。そのお母さんは泣き崩れていました。

 それを見て、今度は神戸の西の方にいる叔母の家族が心配になってきました。叔母の家は実家よりも古くて危なっかしかったからです。
 実家のみんなには叔母の家に行ってくると告げて、今度は自転車に乗って西へ向かいました。

 自分の賃貸マンションのだいぶ近くに行くと、その方向に大きな黒煙が見えました。もしかして自分の部屋が火事!?とも思いましたが、近くなってくるとそれはもっと西だとわかり、自分のマンションは戻らずにそのまま叔母の家を目指しました。

 すると今度は自分のマンションより西はやたら火事が多いことに気づきました。朝はそんなことなかったのに、あちこちが火事になっています。
 あとで多くの家が崩壊して下敷きになった人がいて家族が助けようとしているのに、火の手が迫ってきて「もういいから逃げろ!」と言われて泣く泣くそのままにしてその場を去らなければならない人がいたと知りました。身内がそんなことになったら本当に耐えられません。

 途中、学校もあり、多くの人が避難していました。でもそのすぐ裏手も燃えていたので、大丈夫なんやろか…と思って通り過ぎました。

 叔母の家に今度は実家から1時間以上もかけて到着しましたが、家は無事でしたが、鍵がかかっており、大声で呼んでも誰も出てきませんでした。
 何度も何度も叫んでいると、隣の家の方が出てきて、「学校に家族で避難されてましたよ」と教えてくださって、ホッとしました。
 お礼を言って、今度は残してきた友人も心配ですし、火事が自分のマンションの方に燃え広がってないかも心配でした。

 戻ってみると、火事は大丈夫でしたが、友人が隣の家の状況を教えてくれました。お父さんはダメだったと教えてくれました。
 部屋に戻って二人で倒れた棚を戻し、ある程度リビングを歩けるようにしました。

 その時に気づいたのですが、自分が床に寝ていた頭のところにあった鉄製の大きなオフィス用のデスクが布団の上に倒れていました。もし前日の地震がなければすぐに起きていなかっただろうし、もし石油ストーブを付けてなくて気にせずそのまま横になっていたら頭を押し潰されて今頃死んでたな…とゾッとしました。間一髪助かったんだとわかりました。

 帰りたいという友人を大阪に帰すため、駅に行ってみましたが、もちろんJRは動いてませんでした。駅員さんも状況が掴めてないようでしたが、その時レールはグニャグニャに曲がり一部は垂れ下がり、電車はあちこちで脱線、六甲道駅は崩落と、絶対に来れないのでした。

 駅前のタクシー乗り場は長蛇の列になっていましたが、僕はずっと自転車を漕いで途中の状況を見てきたので、どれだけ待ってもタクシーは来ないということがわかっていました。

 それで友人にはとにかく車があったらヒッチハイクで乗れるとこまで連れてってもらうこと、乗り継いで乗り継いで帰ることと伝えました。
 あとで聞きましたが、友人は結局三宮まで徒歩で行き、その日はあるホテルのロビーで1泊させてもらい、次の日に父親に車で迎えにきてもらったそうです。

 僕は自分のマンションに戻りましたが、火事の黒煙がますます大きくなっています。
 火事の場所を見に行ってみましたが、僕の住んでいたのは1丁目。2丁目から西が燃えていました。風向きが東から西へ吹いていたので、1丁目の方向にはこなかったのです。

 燃えている2丁目の手前の公園でなすすべも無く、多くの人が火事を見つめていました。消防車はいませんでした。

 僕は自分の部屋に戻りましたが、だんだん夕暮れになって行きましたが、ライフラインが全て断たれているので、このまま真っ暗な中を寝るのかなーと思っていましたが、その前に実家に連絡をしようと思いました。

 もちろん当時は携帯は普及しておらず、連絡は固定電話のみ。ところがそれも自分の家のは電気が来てないと電話できないタイプのもの。
 そのため、外に出て公衆電話で電話することに。


 その時に部屋中ぐちゃぐちゃでわからなかった中で見つけられたのがこのカーネーションバージョンの「昼下りの情事」テレカでした。
 本来こういうテレカは使わずに記念品として大事に取っておくもの。

 でも僕の場合はどうせ売るつもりもないし、もし使うならこのタイミングだろう!と思いました。オードリーが僕と家族を繋いでくれたんですね。
 結局実家の方はその日のうちに電気と水道が復活したので(水道はその後また止まる)、実家の方に行くことになりました。と言っても実家も床が抜けてたりするところもあったので、近所の母の知り合いの家に家族揃ってしばらく泊めて頂くことになりましたが。

 その後、電話はこの「昼下りの情事」のテレフォン・カードを使って行なっていました。現金はなるべく使いたくなかったので。
 というのも、電気がダメになっているし銀行が機能していないので、現金を下ろせないのに、支払いは現金のみだったからです。

 日本でキャッシュレスがなかなか普及しないのってここですよね。地震大国なので、いざという時キャッシュレスでは何もできなくなります。電気が断たれた時、やっぱり現金が必要なんですよね。 

 地震の数ヶ月後、しばらく神戸から避難していた津屋さんとも会えましたし、96年には本来95年にする予定だったロイヤルホテルでのオードリーの集いもありました。津屋さんには「オードリーのテレカ、大事に取ってある?」と聞かれた時に、「地震の時に使っちゃいました。」と答えて、「なんで使うのー!」と言われちゃいましたが、「地震の時に使わないでいつ使うんですかー!」と答えて、津屋さんも納得されてました(多分)。

 というわけで、このテレカは使用済みになってしまったんです。でも全く後悔していません。
 今回は長々と自分の体験談で申し訳ありませんでした。
  

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2020年03月24日

I'll アイル・オードリー・シアター テレフォンカードと阪神大震災 前編

 新型コロナがどんどん増えていますけど、みなさん大丈夫ですか?
 外務省の発表で、欧州18カ国とイランに渡航中止勧告という記事が出ていましたので、読むとオードリーのスイスやオランダも全域で入っていました。オードリーが生きていたらとても心痛めたことでしょうね。

 それで逆に海外はどういう対応をしているのか外務省のこちらをみると、世界中のほとんどの国が海外からの入国を禁止して国を封鎖していますね。
 そして数々の世界の大都市でロックダウンをやっているようですね。

 新型コロナ、最初に思っていたよりもなんだかとても悲しく、そして恐ろしくなりました。いったいどのように収拾がつくのでしょうか…。

 今回は、日本航空系列の株式会社ジャルパックが映画配給会社の日本ヘラルドと組んで、1993年に日本全国でオードリー作品を連続上映した「I'll アイル・オードリー・シアター」のテレフォンカード2枚を僕の地震の体験と共に2回に渡って紹介。

 今回は、僕の体験談が主で、オードリーが従になってしまうので、体験談なんかいらないよ!って方は色の違う(ピンクの部分)ところは飛ばしてください。

 この「I'll アイル・オードリー・シアター」の海外ツアー及び映画の連続上映(東京では銀座文化で半年間かけて12本も上映!)の企画を立てたのが、1996年・2013年・2018年とオードリー関連の仕事をいただいた津屋さん。

 1994年に知り合い、オードリーのことで意気投合。その後よく一緒に遊んだりしていましたが、その時にいただいたのが「I'll アイル・オードリー・シアター」の時のパンフレットチラシ・そしてこのテレフォンカードなど。

 テレフォンカードは2枚いただきました。今回紹介する電話をするフランク・フラナガン=ゲーリー・クーパーとそれを見るアリアーヌ・シャバス=オードリーのタイプと、次回紹介するカーネーションの香りを嗅ぐオードリー。

 ええっと、もうテレフォンカードの説明も既に要るような時代になったんですかね?
 携帯が普及していなかった頃、公衆電話でお金を入れずに話せるカードです。

 絵柄によってはプレミアが付いて、500円の額面の物が、何万円、何十万円にもなったものもありました。
 中にはプレミアを狙ってテレカを自作する悪いヤツも世の中にたくさん湧いてきて(絵柄を自由に印刷できた)、今見るとレイアウトとか書体とかとんでもないのに、プレミアが付いてしまったものもたくさんありました。

 さて1995年には津屋さんの発案で1983年来日時にオードリーが泊まった大阪のロイヤルホテルで、JAPAKのオードリーツアーのお客さんだった方達とディナー及び演奏会が開かれる予定でした。

 ところがその1995年にはご存知の通り1月17日に史上初震度7の阪神淡路大震災が起こりました。
 阪神大震災の特徴は、都会の直下型地震だったため、ほかのどの震度7の地震よりも数多くの家が潰れたこと、そして火災が激しかったことです。


 調べていただくとわかるのですが、実は前日の夕方6時頃に軽い前震の地震があって、その時僕は「あっ、地震や!」と思ったのを覚えています。そしてそれが僕を救うことにもなるんですけどね。

 前日の16日は友人と遊んでいて、当時僕が賃貸で住んでいた神戸市長田区のマンション(3階)で寝ました。友人は僕のベッドを貸して、僕はその隣の床に布団をひいて。

 そして朝5時46分、あの地震がやってきました。僕は前日の地震もあったのですぐに起き上がって、寒かったので隣のフローリングの部屋で付けっぱなしで置いておいた石油ストーブが消えるのを布団から見ていました。
 石油ストーブってガスストーブとは違って、振動があるとガシャン!って消火機能が働くようになってるんですよね。

 ストーブが消えると共に真っ暗になりました。あまりの揺れに隣の友人のことを気にかける余裕も無かったのですが、友人の方は僕がベッドの宮台に置いてあった大量の文庫本が頭に落ちてきたそうです。

 地震がおさまってしばらくすると、隣の民家から「誰か助けてー!お父さんとお母さんが!!」という叫びが。
 寝室と隣のフローリングの部屋はあまり何も置いていなかった(フローリングの部屋にテレビとオーディオセットとストーブがあったくらい)ので、友人とベランダに出て隣の民家を上から覗き込みました。

 すると、そこにはあったはずの2階建ての民家がありませんでした。ええっ!と思ってフローリングの部屋からリビングダイニング、そして玄関と出ようと思ったのですが、リビングの部屋へ行く引き戸が開かない!
 あとでわかりましたが、リビングの部屋で棚が倒れて物が散乱しており、それがつっかえになって扉が開かなかったのでした。

 幸い、四角い部屋の作りだったので普段は使わない寝室から直接リビングに出る引き戸を開けると、そちらは開きました。
 ただ、そこは普段使わない戸だったので、電話台が目の前にあって、その上を乗り越えていかないとリビングに行けないようになっていました。

 なんとか友人とそこを越えると、リビングは棚が倒れて本やCDが散乱してるわ、食器は落ちまくるわでものすごいことになっていました。

 玄関は普通に開いたので外に出たのですが、出てビックリ!電柱は倒れて電線が道に垂れ下がっていて、道の向かいの高級マンションはヒビだらけになっていました。そしてたくさんの人がベランダや道にパジャマのまま出てきて呆然としていました。

 元々隣の家に救援に行くつもりでしたが、ここで実家が急激に心配になって、友人に「ごめん、実家に行ってくる!」と告げて、友人を残し自分の部屋に引き返しました。

 真っ暗で何も見えないので、「暗くなるまで待って」のスージーのように、手触りだけでそれが何かを判断して大急ぎでパジャマから洋服に着替えて、自転車に乗って実家のある東の方へ夢中で漕いで行きました。

 途中は本当に目を疑うような光景でした。
 大開通という片側5車線ずつ、10車線の道は地下の大開駅の上の道が陥没して2台の車が落ち込んでいるし、新開地ではパンケーキ・クラッシュとして有名な三菱銀行の惨状、途中に数えきれないほどの家の崩壊。神戸の中心地三宮まで辿り着くと神戸で1番の大劇場、阪急会館のある阪急三宮駅が崩壊して道は瓦礫の山となっており、そこは自転車を担いで瓦礫を乗り越えて踏んで通らないと通れませんでした。

 そして三宮の東ではまたもやパンケーキのように崩れたビル、大きなマンションでは火災警報器が鳴り続けていました。道路は裂けて段差が凄いことになっているところも多々あり、自転車でないと通れないという部分もめっちゃ多かったです。

 悲惨な神戸の街を見続けて自転車を飛ばしていると、ますます実家が大丈夫なのか不安になりました。古い家は軒並み崩壊していたからです。(次回へ)
  

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2020年02月01日

「ローマの休日」巡り 日本旅行 “忘れえぬヨーロッパの休日”パンフレット

 今回は1994年11月〜1995年3月出発だった、日本旅行 “忘れえぬヨーロッパの休日”の改訂版パンフレットの紹介。ちなみに大阪出発です。

 サイズはA4の三つ折り。紙はコート紙の110kgで厚みもあり、かなりしっかりしています。

 別のタイプも持っていたんですが、以前からずっと探しているのに見当たらないんで、今回はこちらだけで。また見つかったらおいおい紹介しますね。
 ちなみに別タイプの方はオードリーがグレゴリー・ペックの胸に飛び込んでいるところの画像でした(サンタンジェロのダンスの時か真実の口の時)。いったいどこに隠れてるんでしょねー。

 さてこちらの表紙はラストシーンで最後に振り返る時のアン王女のシーン。
 “1995年日本旅行は創立90周年”って右下に金色に見せかけた薄い茶色で書いてあります。あー、そういえば「ローマの休日」で着ていた街着のフレアースカートの本当の色もこんな色でしたね。

 右上隅には日本旅行のロゴ、そのちょっと左には “きっと、出会える…。”というキャッチコピー、左下には “ロマンス香るA.ヘプバーンの世界へ 忘れえぬヨーロッパの休日”って書いてあります。

 もちろんこの当時は「ローマの休日」の権利も切れてパブリック・ドメインになったりしていませんし、普通の会社なら当然権利元のパラマウントから権利を買っていますよね。それに加えてこのパンフレットには権利元として他にオードリー・ヘプバーン・エステートと東北新社がクレジットされています。

 日本旅行自体JR西日本の系列なので、このパンフレットもJR三ノ宮の駅に置いてありました。


 この時期のオードリー・ヘプバーン旅行としては1993年にJALPAKの “I'll SPECIALオードリーに愛をこめて”という企画がありましたよね。
 あちらが50万〜60万、高級クラスだと100万円かかるセレブ狙いなのに比べて、こちらは12万8000円〜15万8000円とリーズナブル(出発日で最大27万8000円、オプショナルツアー除く)。

 ただ、JALPAKはオードリーの生前から立てられていた企画で、オードリーのガンの発見〜死去が早くて結果的には追悼旅行になってしまいましたが、こちらは旅行期間から考えても明らかにオードリーが亡くなってから企画が立てられていますね。

 それと、JALPAKがさすが津屋さんが立てられた企画だけあって、「ローマの休日」巡りだけではなく、ローマではオードリーが「尼僧物語」時に宿泊していたホテル・ハスラーでの夕食、トロシュナでお墓参り、「昼下りの情事」のリヨン駅、「シャレード」のバトゥ・ムーシュなどなどオードリーゆかりの地が盛り沢山でしたけど、こちらはほぼ「ローマの休日」巡りだけのようなツアーで物足りない感じです。きっとそんなにオードリーを知らない方が、オードリーの死去に便乗して急いで企画を立てたんだろうなーと。

 それとこのパンフを見た時にも思いましたし、今でも思いますけど、やっぱりせっかくローマに行くなら「ローマの休日」巡りだけじゃなく、オードリーが
実際にアンドレア・ドッティと暮らした家に行きたい!って思ってしまうんですよね。

 まあ当時は僕もドッティと暮らした家しかわからず、もしツアーに行ってたとしてもその向かいにあるというドッティと別居後に暮らしていた家(現在ルカ在住)があったとは知らなかったので、重要な別居後の家を見落としていた可能性が高いですけどね。


 こちらの日本旅行のツアーは、どの都市も中1日ずつしか無いんですよね。どうせ行くならちょっと物足りないかな。
 一番長い10日間のツアーでもロンドン・ローマ・パリ・ジュネーブなんですけど、「ローマの休日」巡りを除くと、オードリー関連ではあとはロンドンの「マイ・フェア・レディ」ゆかりのコベントガーデン巡りのみ。しかもそこロケしてないし。

 パリとかはこのパンフレットでも作品名は載っているんですが、ノートルダム寺院で中に入るものの、エッフェル塔やコンコルド広場は見るだけ、オペラ座・凱旋門・シャンゼリゼはバスの中から通るだけ、とオードリーに関連するところはほとんどなく、オプショナルツアーもベルサイユ宮殿、ルーブル美術館とオードリーはまるで関係ない初心者コースになっています。企画した人は「ローマの休日」しか知らなさそうですね。

 ジュネーブまで行くにもかかわらずオードリーのお墓参りもなしで、オプショナル・ツアーもモンブラン観光とかミート・フォンデュ・ディナーとかばかり。

 まあこのツアーは「ローマの休日」+ヨーロッパの初心者ツアーというところで、コアなオードリーファンの僕としてはうーん…って感じです。

 でもこのツアーにも頑張ってるところがあります。最初の舞踏会が開かれていたブランカッチョ宮殿でフルコースのディナーが食べられたり、ラストシーンのコロンナ宮殿に一般公開されてない日に特別公開。きっとじっくり見れるでしょうね。あと、オプショナルツアーではバチカンと祈りの壁というのもあります。

 ただね、この出発日からして94年にJRの駅や旅行会社に置かれていたと思うし、神戸や阪神間からもきっと申し込みが多数あったと思うんです。

 でもご存知のようにちょうど25年前の95年1月17日には阪神・淡路大震災がありましたので、帰ってきた直後に地震に巻き込まれた人、行きたくても行けなくなった人、行ってる最中に地震があったことを知って家族の安否が気になって旅行どころではなくなった人など、このツアーにはいろんな思いを抱く人が多いんだろうなーと複雑な心境になってしまいます…。