2020年04月25日

オードリー・ヘプバーン 1959年に来日予定の記事

 オードリー・ヘプバーンは1983年にジバンシィの30周年のショーでやっと初来日しましたが、実はそれまでも来日の予定は何回かありました。
 今回はそんな記事を紹介。

 見出しは “五月初旬に来日予定のオードリイ”となっています。
 短い記事なのに、重要な事柄が4つも載っています。

 1つめは “オードリイ・ヘプバアンは落馬事故の負傷が癒って「許されざる者」の撮影を再開した”ということ。

 「許されざる者」は今年公開60周年ですが、撮影は1959年1月〜4月。オードリーは1月に落馬して脊椎骨折をしてしばらく撮影から離れています。やっと戻ってきたのは3月。これは3月の記事だということがわかりますね。

 2つめは“次回作品としてアルフレッド・ヒッチコックの「判事に保釈なし」に出演することになっている”ということ。

 「判事に保釈なし」はオードリーが断った作品の中でも「家族の肖像」と並んで有名なもの。オードリーの伝記の全てに書かれています。
 でもヒッチコックが原作にないレイプシーンを入れてしまったことで、オードリー側(オードリー本人か、エージェントかは不明)が契約まで済ませていた出演をキャンセルしてしまいました。

 ヒッチコックはめっちゃ怒ったらしいですね。怒り過ぎて映画の製作自体を取りやめてしまいます。

 後年、オードリーの最後のパートナーのロバート・ウォルダーズにもインタビューして書き上げたバリー・パリスの伝記では、オードリーはヒッチコック映画がそんなに好きではなかったと書かれています。ちょっとシニカル過ぎるんだそうです。

 確かに女性の扱いがひどいという批評はよく見かけますね。「鳥」とか。そして現実ではヒッチコックが相手にされない、ブロンド美女を映画の中で陵辱するのが好き、という変わった嗜好の持ち主である、ということも。

 もしオードリーが「判事に保釈なし」に出演していたら、オードリーの髪もブロンドに染めさせるつもりだったとか書かれていますね。

 「判事に保釈なし」の脚本は凄い出来栄えだったとチャールズ・ハイアムの伝記で書かれています。でもやはり後年、ロバート・ウォルダーズがオードリーに「判事に保釈なし」のことを尋ねたら、そんな話があったことさえ覚えてなかった、とバリー・パリスの伝記に書かれていました。

 撮影した映画でも、プレミアの後では見返さないオードリーですから、ましてや撮影すらしなかった作品なんて…ですよね。

 でも、オードリーにインタビューしただのと偽って “オードリー公認の伝記”というデマで売ったダイアナ・メイチックの自称:伝記のトンデモ本では「脚本を忘れられないわ!」と言ったことになっています。

 また調べもしないでメイチックをベースに書かれた本があります。「幻に終わった傑作映画たち」という本です。最低ですね。
 内容はここで無料で読めます。

 3つめが “ヘプバアンと夫君のメル・ファラァ監督は「緑の館」公開の挨拶を兼ねて五月初旬初来日する模様”という部分。

 オードリーは1983年まで結局来日しませんでしたが、ここで実は「緑の館」宣伝のために来日予定があったということがわかります。
 オードリー作品は次々大ヒットを飛ばしていた日本ですから、「緑の館」もオードリーが来日すれば大ヒット間違いなし!だとメル・ファーラーも思ったんでしょうね。

 また実際にオードリーが来日していたらヒットしていたかもしれませんが、オードリーは「許されざる者」撮影終了後の5月に流産、そしてまた妊娠となったので、全ての予定をキャンセル。当然日本行きも無くなりました。

 そして4つめが “二人の来日は日本ロケ予定映画「神々の嫡子」ロケ下検分を兼ねている”ということ。

 「神々の嫡子」って映画を撮ろうとしていたんですね。これは「緑の館」が成功したら、メル・ファーラーがまたオードリー主演で撮ろうと考えていた作品なのか、それともオードリーは関係ないのか…。

 そこまではわかりませんが、この前後は本当に日本を舞台にした映画が多いですね。「蝶々夫人」「サヨナラ」「八月十五日の茶屋」「青い目の蝶々さん」など。

 それらは今見ると滑稽なシーンとかもあって、人によっては差別だの何だのと異常に騒ぐ人もいるでしょうが、当時の日本の雑誌とかを見ても、決してアメリカも日本も日本を差別的に扱おうとは考えていないことがわかります。まあアメリカ人の考えたカリフォルニア・ロールみたいなものだと考える心の余裕があれば、腹も立たないです。

 さてこれは2018年に東京のJR東日本で講演した際にも持って行った切り抜きです。切り抜いた後本体は捨ててしまったので、雑誌名、何年何月号かハッキリはわかりません。

 でも記事の内容から、大体どれくらいの号かはわかります。「緑の館」公開に合わせて来日、となると1959年5月の日本公開以前、ここに載っているオードリーの写真は「許されざる者」撮影中のスナップ写真でオードリーは回復したということなので1959年3月〜4月。

 となると、“オードリイ・ヘプバアン”という表記からも「スクリーン」の1959年5月号(3月発売)か6月号(4月発売)じゃないかと思われます。
 「映画の友」の当時のオードリーの表記は“オードリイ・ヘップバーン”ですからね。

 この時は実現しなかったオードリーの来日、「おしゃれ泥棒」だったかの時にもう一度オードリーを呼ぼうという試みがあったようですが、そちらも当代随一の大スターのオードリーを呼ぶとなると、費用がかかり過ぎるということでボツになったそうです。

 50年代、60年代に一応来日の計画があったということですが、日本でのオードリー人気は衰えず、71年には「エクスラン・ヴァリーエ」、82年には「銀座リザ」と日本だけのためにCMに出演してくれて、日本へのお礼を兼ねてくれていましたよね。
 「エクスラン・ヴァリーエ」の撮影時にも “日本にもいつか行きたい” と言ってくれていたようです。
  


Posted by みつお at 21:00Comments(9)許されざる者スクリーン

2020年04月12日

30年前の「スクリーン」1990年5月号

 実は今月も入院があるので、記事は書き貯めているのですが、これも実は3月に書いているものです。

 お気付きの方もおられたかと思うんですが、退院後の記事は、割と写真が少なくて準備がラクなのにしていました笑。
 今回はちょっと写真多めの記事です。

 3月21日には新しい「SCREEN」5月号が発売されていますが、オードリーは居ないようなので買う理由もなく…。

 今回は今からちょうど30年前の1990年5月号の「スクリーン」を紹介。
 この号には年に1回の人気投票の結果が出ています。

 今の「SCREEN」は12月発売の2月号に人気投票のハガキが付いていて、2月発売の4月号で発表しています。

 でも昔の「スクリーン」は1月発売の3月号に応募ハガキが付いていて、3月発売の5月号で結果が発表されていました。

 いったいいつから1ヶ月前倒ししたんでしょうねー。
 12月発売の2月号だと、年末年始のお正月映画が応募の対象に入っているけれども、まだ見れてない、って人もいるんじゃないかなーと思うんですよね。
 なので、昔の1月発売の3月号で応募の方がしっくりくるんですけれども…。

 まあ昔は各都市で映画の公開日が違いましたから、地方の人は正月映画がまだ来てない&見れてないってこともあったので、後の方が良かったと思いますが、今は一斉公開なので、これでもいいのかもしれません。

 オードリーの作品はどれも期待されていたので、お正月映画って多かったんですよね。でも地方ではすぐに公開されないのに、投票はどうしていたんでしょうね。「戦争と平和」「シャレード」「マイ・フェア・レディ」「おしゃれ泥棒」ですけれども。

 「シャレード」公開後の1964年の「映画の友」の人気投票でリバイバルの「ローマの休日」が「シャレード」を上回っていたのは、「ローマの休日」は地方の人も1963年内に見れたけど、「シャレード」はまだ来てないから、という事情もあったのかもしれませんね。

 後、何と言ってもライバル誌「ロードショー」が4月に人気投票 “シネマ大賞”の発表をやっていたので、それに対する対抗心みたいなのもあったでしょうね。1ヶ月遅れだと後出しみたいな感じで、新鮮味が薄れてたかもしれませんし。

 さて、この1990年5月号の「スクリーン」ですが、まだ誌名の表記がカタカナですね。
 そしてこの年から人気投票は「ロードショー」の “シネマ大賞”という呼び名に対抗して、“ゴールデン・グランプリ”という呼称が付けられています。

 この呼び名は応募したそうで、同名で応募した中から1名に賞品が送られています。その賞品はレーザーディスク・プレーヤー。
 90年くらいだとLDの全盛期ですね。でもあと10年もするとDVDに取って代わられてしまうんですよねー。
 それを知ってる身からすると、なんとも複雑な感情が…。

 表紙はダイアン・レイン。80年代に人気があった女優さんですね。
 でもそれよりも “おおっ!”と思うのは、表紙のカラー。

 今は基本の色のマゼンタ・イエロー・シアン・ブラックだけで刷られている「SCREEN」ですけど、この号は枠のピンクと文字のオレンジは特色じゃないですかー!というわけで、この号の表紙は6色刷り。
 女性誌なんかがよく特色を使って表紙の印刷をしていましたが、この頃は「スクリーン」でもバンバンお金を使って印刷していたんですね。

 お金が潤沢にある、というのはこのゴールデン・グランプリの票数を見ればわかるんですが、男優1位のマイケル・J・フォックスの票数が15405票!女優トップのシガニー・ウィーバーが7897票です。票数めっちゃ多い!!

 今年のオードリーが「SCREEN」で15位で93票でしたが、この時の女優15位のシャルロット・ゲンスブールは1571票!
 今ならそれだけ票数を獲得したら、1位にだってなれそうです。

 まあ1990年辺りはバブル全盛で、紙モノもいっぱい売れてたんでしょうね。「スクリーン」の売上もこの辺りがピークだと思われます。
 ページ数は今より100ページ以上多い全242ページ。時代の流れを感じますねー。

 さて、この号で最初にオードリーが出てくるのは、そのゴールデン・グランプリの結果が載っている最初の折り込みの裏の近代映画社発行の本の宣伝。
 「映画は私の恋人」という小森のおばちゃまの本の宣伝で、「暗くなるまで待って」撮影中のオードリーとおばちゃまの一緒に写った写真。


 そして次に出てくるのはゴールデン・グランプリの結果発表のグラビアページ。ちなみにオードリーの獲得票数は4312票です。
 昔の「SCREEN」はこうしてベスト10に入った俳優さんをひとりひとりカラーグラビアで載せてくれていましたよね〜。

 ファンからしたら、これが購買意欲に繋がりますし、そしたらやっぱり応募しなきゃ!って思う原動力になってたと思うんですけど、今は1ページに何人もぎゅうぎゅう押し込めて載せるセコイ誌面。ページ数削減のため?でもそんなのじゃファンは買いませんよ!「SCREEN」さん。

 ほんと、最近の「SCREEN」の紙面づくりの残念さにはため息しか出ません。

 で、このオードリーは「ティファニーで朝食を」の頃の宣伝写真のオードリー。
 ちょっと細いんですけど、でも綺麗!これ、わりとよく見る画像の割りには写真集収録がないので、当時の「スクリーン」の編集さん、グッジョブです!

 キャプションには “オードリー神話はいつまで続くのか?5年連続のベストテン入りで、昨年と同じ6位。驚異的です。”って書いてあります。
 でもオードリーがベストテンに復活したのは1987年5月号からなので、まだ4年目ですね。86年は惜しくも11位でした。

 そして他には

 “でももっと驚くニュースは、オードリーが伝説の世界から、現実のスクリーンに戻ってきたこと。スピルバーグ監督の「オールウェイズ」で、8年ぶりに映画出演。”
 “「昼下りの情事」を見たばかりの人は、可憐なアリアーヌと初老のおばさんのギャップに少々とまどうかもしれないけど、オードリー天使は若い頃そのままのスリムなボディ・ラインで気品に満ち満ちています。これぞ美しく年を取るためのお手本、やはり憧れてしまいます。”
 “子供たちのためなら、月へも出向く覚悟です……なんて美しい言葉、美しい心でしょう。やはりオードリーはスターの中のスター、別格です。”

などと書かれています。今の「SCREEN」はベストテンに入っても、ひとりひとりにこんなキャプションすらありませんよね。

 さて、この年のベストテンで今でもベストテンに居るのは男女優合わせてもトム・クルーズくらいでしょうか。
 そう考えると、トム・クルーズも息が長い俳優さんですよね。

 次のオードリーの登場はGW映画スペシャルガイドという新作映画紹介のページ。
 期待作はカラーページから始まるのですが、松竹の1推しの「グローリー」という映画が3ページ。これは今となっては “知らんなぁ〜”って感じ。
 次に一般受けはわからないけど、出来のいい「ドライビング・ミス・デイジー」が1ページ。

 その次が見開き2ページ使って東宝1推しの「オールウェイズ」!
 これは何と言ってもスティーブン・スピルバーグ監督作品ということで、ヒットはほぼ約束されたようなもの。
 それに久々にスクリーン復帰のオードリーが特別出演ということで、話題性はバッチリ!

 後ろのページにある、全国ロードショー番組ガイドというページをみれば、東宝の当時のチェーン・マスター日本劇場、大阪でトップの北野劇場、その他神戸でトップの阪急会館などで4/6から上映が予定されています。

 解説では “スピルバーグにとっては初めての愛のドラマとなる”って書いてます。
 オードリーの写真はお馴染みのもの。ススキの間を歩くオードリー。

 次のオードリーは、当時ビデオ全盛だった時代にビデオが発売されているアカデミー作品賞受賞作品の紹介で。
 オードリーではもちろん「マイ・フェア・レディ」が載っています。

 オードリーがありそうでなかったのが「愛の名作劇場5 ミュージカル編」という本文グラビア。
 ここで選ばれているミュージカルは「ウエスト・サイド物語」「サウンド・オブ・ミュージック」「シェルブールの雨傘」とここまでは納得ですが、後の2本は「ファニー・ガール」と「キャメロット」。

 んー「マイ・フェア・レディ」は?と思っちゃいますが、これはおそらく別のくくりで入ったのだろうと。オードリー編のベスト5だったら確実に入っているはずですもんね。
 「メリー・ポピンズ」とかも入ってませんし、そちらはディズニーかなんかで入ったんでしょうね。

 でもオードリーの代表作5本ってなんでしょうね?3本までは決定でしょうけど、残り2本が選ぶ人や時代によって変わりそうです。

 その次のオードリーはまたまた近代映画社発行の本の宣伝。オードリーだけでこれだけページを割いて、この段階で既にオードリー関連本が3種類も出てるなんて、当時いかにオードリーが大ブームだったかわかりますよね。

 写真集に使われていない写真を宣伝で載せていますね。ちょっと嬉しい。
 当時の「スクリーン」はオードリーの写真も潤沢に持っていたんですね。

 映画ファンだけの「スクリーン」誌では6位だけれども、一般の人も巻き込んだら当時すごい勢いがあったのはNHKの100万人アンケートで全世代でオードリーが1位だったのを見ればよくわかります。

 あとはファンの投稿ページで映画グッズのお店が広告を載せているんですが、写真を使っているシネマ・ブティック鷹さん、ブロマイドの春美栄光堂さんでもオードリーの写真が使われています。

 この春美栄光堂さん、オードリーは当時最大の枚数だった100種あって、いつかお金が入ったら全種同時に買いたい!とずっと思っていました。
 バラバラ買ったらダブりが出るかもしれませんからね。

 でもその後、150種まで増えてしまって、買わないうちに今はなくなってしまいました。うーん、150種類ってどんなんだったんでしょうねー。

 あと、読者の投稿で、昔のビデオを見ていたらオードリーの清涼飲料水(It'sですね)の宣伝が出てきてもう3年も経ったのかと思ったって書いてありました。
 うーん、もう3年という表現がめっちゃお若い方だったのだろうと…。今の僕とか3年前なんかだとつい昨日くらいの感覚ですからね。

 そして嬉しいことに、裏表紙の上半分に「オールウェイズ」の広告が!
 このデザインも、主演の2人よりもオードリーの方が文字がデカイです。オードリーの方がお客が呼べる!と思われていたということですね。

 日本では「オールウェイズ」というと、大きく2つのイメージがあります。1つは本国アメリカのデザイン。ブルーレイのジャケットになってたような紺色のイメージのですね。パンフレットサントラはこっちのイメージ。

 それともう一つがこのオレンジ色のイメージのもの。これはオードリーが大ブームだったので、どうしてもオードリーでお客を呼びたい日本独自のデザイン。オードリーが右下にわりと大きくあしらわれています。ポスタープレスシートはこちらのイメージ。

 それと、この号は表紙にオレンジの色で書いてあるように、付録でオードリーポストカード集なるものがついていたそうです。わー!古本で買ったから付いてないよー!どんなんだったんだろう!

 この時期の「スクリーン」はやたらオードリーの付録が多かったですね。ポスターがとても多かった気がしますが、古本で買ったものにはほとんどついていません。

 このオードリーの大ブーム時、僕は女性誌の特集は気をつけてたのに、肝心の「スクリーン」をあんまりチェックしてなかったようですね。
 それとも平凡な画像を使っていたのか…。

 そういえば、今の「SCREEN」はまともに付録すら付いていません。本当に末期症状なのでは?と思ってしまいます…。
 頑張れ!「SCREEN」!!
  


Posted by みつお at 21:00Comments(2)スクリーンオールウェイズ

2020年03月04日

1975年「スクリーン」オードリー・ヘプバーン、カムバック記事

 3/8、 NHK BS1で7:00〜8:50に「よみがえるオードリー・ヘプバーン」という番組が放送されるようです。

 特殊メイクアップアーティストのカズ・ヒロさんのお話なので、題名にオードリーと冠していても、ちょっと違うかもしれませんが…。

 公式サイトはこちらこちら

 みなさま、しばらくお休みいただきまして、すみません。
 今後も通院は続きますが、一応復活しましたので、また記事を書いていこうと思っております。これからもよろしくお願いします。

 さて、今回は体調が悪くなる前から考えていた、この1975年の「スクリーン」の記事にします。
 これまた切り抜きで、本体はありません。なので正確には1975年の何月号かは不明です。

 まあでも文章の渡辺祥子さんが「ロビンとマリアン」のソース元としてバラエティ紙3月12日号を挙げてらっしゃるので、おそらく1975年5月号(3月21日発売)か6月号(4月21日発売)だろうと。

 これはオードリーが「ロビンとマリアン」でいよいよ復活する時の記事。

 リアルタイムでこの時期を歩んだ方などはよくご存知だと思いますが、オードリーには「暗くなるまで待って」以降8年と数ヶ月の空白期間があります。

 ファン的には1967年の「暗くなるまで待って」から1976年の「ロビンとマリアン」まで9年の空白に見えますが、実際のオードリー的には1967年の年始数ヶ月で「暗くなるまで待って」を撮ってから、1975年夏撮影の「ロビンとマリアン」まで、8年と数ヶ月ですね。

 さて、そんなオードリーですが、この時のカムバックは本当に大ニュース!
 オードリーは本気で引退したと思われていましたから。もうカムバックなんてしないとみんな思ってたんですね。

 ここでの渡辺祥子さんも冒頭で「このニュース、信じていいのやら無視したほうがいいのやら。まだ、ちょっと判断がつきかねるのだけど」と書いてあるように、100%は信じてない様子。

 「ましてや、何度となく再登場の噂が流れ、そのたびに企画倒れで実現しなかったオードリーのカムバックなんて…“さあ、この通り出演してますよ”と、証拠の写真でも見せてもらうまでは、わたくし、絶対に信じない。」とも書いてらっしゃいます。

 実はこの時、オードリーが復活する映画として流れていたのは、「ロビンとマリアン」だけじゃなかったんですね。
 もう一つここでは20世紀フォックスの「父の日」という作品もカムバック映画として名前が挙がっています。

 「父の日」は結局撮影されずに終わりましたから、こちらのことを詳しく書いておきますね。

 “今年のはじめ、20世紀フォックス社の代表はローマでオードリー・ヘプバーンと何回か接触。両者の会談はきわめてスムーズにおこなわれ、長らくスクリーンを遠ざかっていたオードリーは、20世紀フォックス社が映画化権を持っているオリバー・ヘイリーの戯曲「父の日」でカムバックの模様。共演にはエリザベス・テイラーとパティー・デュークが予定され、両者は出演を承諾している”
だそうです。

 エリザベス・テイラーと共演したオードリーってどんなだったんでしょうね。「父の日」は3人の未亡人の葛藤をドラマティックに描いたものだったそうです。
 結局これも“撮影されなかった幻のオードリー作品”の1本になってしまったわけですね。

 さて、ここでの渡辺祥子さんの文章ではこんなのもあります。
 「正直なところ、わたくしは、彼女のカムバックに絶対反対なのであります。なぜなら、齢をとったであろうかつての妖精を見るにしのびないから。46歳の元妖精と会うなんて、とても悲しいことだとは思いませんか?」

 コアなオードリーファンが渡辺祥子さんに違和感を感じるのは、この辺りの考え方なんでしょうかね。

 以前他のコアなオードリーファンと話したときに、吉村英夫氏のオードリーの文章ががあまりにもヒドくて、これは全然オードリーファンではないという話をしていたときに、他のオードリー評論家の林冬子さん・小藤田千恵子さん・南俊子さん・小森のおばちゃま、清藤秀人さんと並んで渡辺祥子さんの名前を出したとき、“渡辺祥子さんもちょっと違う”と言われました。

 確かに渡辺祥子さんの文章だけ、他のオードリー評論家の方と違ってオードリーに対してあたりがキツイ感があったので、なるほどーと思いましたね。

 ここでも年をとったオードリーは見たくない、という論調は、確かに晩年のオードリーを “老醜”と書いていた吉村英夫氏などと同類のにおいがしますよね。

 ネットでも “オードリーは「麗しのサブリナ」までがカワイイ。それ以降はもうダメ” などと書いてる「自称:オードリーファン」がいますが、そんなのは全然オードリーのファンとは認めません。そりゃ単なる「ローマの休日」ファン、あるいはアン王女ファンですよね。
 僕は本当のオードリーの魅力は「パリの恋人」から始まると思っています。

 渡辺祥子さん、実は72年くらいのオードリーの特集号ではまだまだ若いオードリー、ってことを書いてたんです。もちろん「エクスラン・ヴァリーエ」が有ったからですよね。

 でもそれからも当たり前ですが歳月は流れるわけで、オードリーも年を取っていく。その時に“年を取ったオードリーは見たくない”と書いてしまうとやっぱりなんか違うんですよねー。

 僕なんかオードリーを知ったときにはもう実際のオードリーは「ロビンとマリアン」でしたから、年をとったオードリーを当たり前に受け入れてましたね。
 そしてそんな年を取ったオードリーでも子供心ながら “結婚したい!”と思ってました笑。

 でも最初から「ロビンとマリアン」の年齢だったので、ホント全部のオードリーが大好き!晩年、ひっつめにした髪型は改善して欲しかったけど、それでも結婚したかった!笑。83年に来日した時に実際に見たオードリーは本当に綺麗だった!!

 僕が最初に見るオードリー作品として「おしゃれ泥棒」をオススメするのはそこですよね。「ロビンとマリアン」ほどじゃないけど、最初に「おしゃれ泥棒」だと、全てのオードリーを違和感なく好きになってもらえるから。掴みはオッケー!という感じでしょうか。

 後年の「華麗なる相続人」「ニューヨークの恋人たち」「おしゃれ泥棒2」「オールウェイズ」なんかは作品的にはうーん…って感じですが、それでも僕はオードリーが全く出ないより、凡作でも出てくれてて良かったー!と思ってます。
 ファンって単純ですよね笑。
  


2020年01月20日

オードリーの命日「SCREEN」2000年2月号

 今日はオードリーが亡くなって27年目の命日です。
 今回はちょうど20年前、7周忌の時の2000年2月号の「SCREEN」を紹介。

 2000年2月号といっても、実際に発売されたのは1999年12月21日ですね。ということで、これは1900年代に発売された最後の「SCREEN」でもあるわけです。

 昨年平成から令和に代わって、テレビとかで若者が渋谷ではしゃいでるのを見て “なんでかなー”と思っていましたが、そっか!いまの若者は時代が変わったのって、今回が初めてなんだ!とハタと気づいたのを思い出します。

 僕らの世代だと1989年の昭和から平成、1999年から2000年のミレニアム、2000年から2001年の20世紀から21世紀と既に3度も経験していることで今回が4度目ですが、今20代以下の人達は21世紀に変わったことも覚えていないor生まれていない世代なんだ!と理解しました。今80代以上の方達はそれにさらに終戦という時代の変化も経験しているわけですよね。

 とまた脱線してますけど、これはそんなミレニアムイヤーに変わる寸前の「SCREEN」。

 「SCREEN」はオードリーの死後、毎年2月号にオードリーを追悼で取り上げてくれることが多くて、うちの本棚でもやたら2月号が多いのですが、昨年12月に出た2020年2月号ではカレンダーにいたのみだったので久々に買いませんでしたね。

 それに最近の「SCREEN」は目玉の作品を大きく取り上げることが多くて、その作品のファンじゃない人はかなりな置いてきぼりを食らうんですけど、それでみんな買ってくれるの?売上大丈夫なんかな?と心配してしまいます。

 この2000年2月号の「SCREEN」はまだ僕が知っている「SCREEN」で、わりとまんべんなくいろんなスターを取り上げていますし、人気スターのピンナップ的要素も残しています。

 ページ数もp234まで。今売っているのはp136までだったりするので、今より100ページ分も多いことになりますよね。

 さて表紙には“20世紀で最も愛されたスター オードリー・ヘプバーン7周忌追悼” “オードリー特製テレカ応募者全員サービス”と書いてありますね。

 中身でオードリーに割いているページ数は4ページ。カラーページで載せてくれていて、使用された画像もオールカラー。なので珍しい「噂の二人」のカラー写真なんかも載っています。

 まだこの当時は着色カラーなどというものはメジャーじゃなかった時代ですね。

 最初は「昼下りの情事」の(ちょっとボケた)オードリーのアップ。次のページでは「噂の二人」のカラーとメル・ファーラーと写っている画像が珍しいですよね。

 本文は伊上冽(いがみきよし)さん。
 この方は2007年発売の「オードリーを愛した名監督たち」という本では「シャレード」「暗くなるまで待って」「華麗なる相続人」のネタバラシやストーリーを最後まで書いてしまう、さらに「いつも2人で」の旅の順番や時代を間違えて信じ込んでいる、さらにはダイアナ・メイチックの本からオードリーのことを書くという大ポカをやらかしてしまっており、僕の評価はかなり低いです。

 でもここではそんな大失敗はしていないので、読んでても不快にはなりませんでした。「噂の二人」と「尼僧物語」の取り上げ方にちょっと吉村英夫氏臭がするのと、最後にサム・レヴェンソンの詩をオードリーの言葉のように書いてるのが気になりますけど。

 あとこのページでは過去のオードリーの「スクリーン」での人気ランキングが載っていますが、オードリーが亡くなった1993年に出た「スクリーン」編集の写真集に続いてこれまた10位以上の年だけ。10位以下になった年も全部載るのは2007年4月号の33年ぶりに1位を取った時の特集まで待たないといけません。

 その次のページは83年来日時に新幹線に乗るオードリーとルカとショーンのカラー。よく掲載される写真なんだけど、実はカラーで載ることは珍しいです。

 下側にオードリーのテレフォン・カードプレゼントの応募券が付いてますけど…これ切り取ったら、裏の文章とアンドレア・ドッティとの結婚式の写真が切れるやーん!なので僕は応募してないです。今の20代前半までの人たちはテレカって何かも知らないんだろうなーと思いますね。

 しかもこのテレカ、「パリの恋人」撮影前の宣伝用ポートレートですけど、じきに撮らせなくなるオードリーの右側からの写真!なので鼻が魔女の鼻みたいになってますし、階調が本来カラーなのをモノクロ化しているのがわかりますね。

 あと、この号では “人気スターの2000年はどうなる?”って特集もあるんですけど、そこでメグ・ライアンの話で「いつも2人で」のリメイクがポシャったということが書いてあります。「いつも2人で」、メグ・ライアンでリメイクが考えられていたんですねーっ!

 オードリー作品のリメイクは「ローマの休日」「麗しのサブリナ」「シャレード」「暗くなるまで待って」が実現してて、「マイ・フェア・レディ」「いつも2人で」がリメイクの話だけ出て、そのまま立ち消えになっていることになりますね。
 「戦争と平和」は67年に当時のソ連が国家を挙げて作っていますし、英国でもテレビドラマ化されましたけど、これはちょっと違うような…。

 まあでもどのリメイクもオードリー版を超えることはできなかったようですね。リメイクすると主演女優がどうしてもオードリーと比べられることになるので、それは女優さんにも酷ですよね。

 「マイ・フェア・レディ」リメイクも何年も話題になっていたのに結局作られなかったのはそこでしょうね。オードリーは歌わなかったということで散々バッシングされましたけど、歌ってなくてもオードリーには歌う女優でも超えられない魅力があるということでしょうね。

 それとこの号では“映画でたどる20世紀の歴史”というところで「初恋」が、ハリウッド案内のページでオードリーが泊まったホテルとしてホテル・ベル・エアが紹介されています。

 この号の頃の圧倒的な人気スターといえば、何と言ってもブラッド・ピットとレオナルド・ディカプリオ。それぞれ「ファイト・クラブ」と「ザ・ビーチ」が公開したばかりと待機中。この号でもその2人はかなりページ数を割かれていました。そして3番手が1999年に「マトリックス」が出たキアヌ・リーブスといった感じ。

 のちに連続1位のオードリーの記録を更新するジョニー・デップもいますが、まだ「パイレーツ・オブ・カリビアン」が出る前なので、人気爆発まではしていません。

 1999年夏休み公開の「スター・ウォーズ エピソード1」の効果で、この頃はナタリー・ポートマンも大人気になっていますね。ナタリー・ポートマンはオードリーのことが大好きなのも有名ですよね。

 あと、最近ではマッチョになっているマット・デイモンですけど、この頃は若くて細い青年。ディカプリオもまだ少年のよう。

 それにこの号ではまだDVDよりもビデオ紹介の方が大きく載っているんですが、2003年に「ローマの休日」のニューマスター版DVDが出る頃には圧倒的にDVDの方が主流になっていましたから、あっという間にDVDは普及したんですね。

 なんやかやでやっぱり20年の歳月の流れは凄いなーと思います。
  


Posted by みつお at 12:00Comments(6)スクリーン

2019年07月21日

非売品「SCREEN」今甦るオードリー・ヘプバーンの魅力

 このあいだ、ネットでビックリするものを見つけてしまいました。なんと!「パリの恋人」の頃のオードリーの写真をフォトショップでカラーに加工したものにオードリーの直筆サインなるものが書かれているものがヤフオクで売られていたようです。

 もうどう考えても偽物ですよね。加工かどうか見分けられないヤツが適当にオードリー風のサインをしてそれを直筆サインだとして売る…。
 まあ分かる人はすぐにわかりますけど、こんなのもオードリーの直筆サインだと信じて買う人がいるんでしょうか。まあ売ってるということはいるんでしょうね…。

 今でも別の写真で売ってるようです。サインのHepburnの筆記体の最後burnの部分が1文字ずつ離れているのは同じヤツが書いてますね。きっと見本にした本当のサインが離れていたから全部そうしたのでしょうけど、普通はオードリーのサイン、離れてませんからね。

 本当のオードリーのサインのコロッとした感じと違って、なんか角ばっているというか、シュッとしてるのも違いますね。

 だいたい、そんなに世の中にオードリーのサインがある訳もないし、もうオードリーの死後26年以上も経ってるのに、写真やサインが色褪せてきてないのもおかしいですよね。絶対オードリーの本当のサインなら写真の印画紙が色あせてきてるはずだし、それに伴ってサインのインクも色が薄くなってるはずなんですよね。

 それにやたらサインされたものが若い頃の写真ばっかりってどういうこと笑。
 本当のサインならその活躍してた時期の写真でしょうから、50年代の写真多すぎ!オードリーは毎日徹夜でサインしてたのか??
 そんなのもう本物なら60年以上経ってますから、本物なら印画紙黄変しまくり、サイン消えかかりのはずですよ。

 よっぽど信頼の置けるものでない限り、50年代の写真についてるサインはニセモノ。まあ60年代の写真の方が信頼度は高くなりますよね、って今見たら「いつも2人で」のフォトショカラー加工にオードリーのサイン付きが売ってた笑。

 以前にも書きましたけど、出どころのしっかりした本物のオードリーのサインなら500円とか700円とかでは絶対売ってませんからね。
 まあ最低でも20万円でしょうね。
 皆さんもお気をつけください。 

 今日も「オードリー・ヘプバーン映画祭」で配布されていた物の紹介です。

 これは雑誌「SCREEN」が発行した、非売品の“今甦るオードリー・ヘプバーンの魅力”というもの。

 表紙は「麗しのサブリナ」の宣伝写真ですね。これと同じ時に撮られたものが、最近河出書房新社の文藝別冊で表紙になってましたよね。
 これも本来はカラーじゃないのかなぁ。もし本当はカラーだったらいいですね。
 それと、せっかく4色刷りなので、表紙はカラーの方がよかったかなあ、とか。ちょっともったいないです。

 中身はですね、実はこないだ2019年6月号の特集に載っていたそのままです。
 “えっ、じゃあそれってお金出して買った人は…”ってなりますが、大丈夫!本誌では14pの大特集でしたが、この配布されたもので乗っているのはそのうちの最初の6ページ分だけです。後半は本誌だけでしか読めませんからね。

 それと「SCREEN」はA4の変形サイズ(297×227)なんですけど、この非売品は通常のA4サイズ(297×210)。
 そしたら本誌掲載のままにはサイズ的に載せられないわけで、全体に縮小しています。そのため、上下に大きく余白があります。

 じゃあ本誌では見えなかった写真の上下の塗り足し部分(本が裁断される時に少しでもずれると白い部分が出るので、わざとはみ出して配置する)も見えているのでは?と期待したのですが、全然載っていませんでした。

 最近の印刷事情がわかりませんが、もしかしてこれってPDFか何か断ち部分までで原稿にしたのかな?とか思ったり。

 そういえば、以前「SCREEN」のアンケートでA4サイズに変更することはどう思いますか?というのがありましたけど、今の所は、なっていませんね。

 ライバル誌「映画の友」や「ロードショー」との対抗のため、B5→中型版(A4の縦の短いもの)→A4→A4変形と段々大きくなってきた「スクリーン」ですけど、もしA4になったら初めてのサイズ縮小になりますね。
 僕はこの出版不況の中、もしそれで少しだけでもコストダウンになるならいいと思うんですけどね。

 昔の「スクリーン」なら大好きな俳優さんのピンナップが小さくなってしまう!というのもあったでしょうが、いまの「SCREEN」はほとんどそういうスターのポートレートって載ってないんで、サイズが大きいことに特に何のメリットも無いんですよね。
 最近はカバンに入るようにバッグサイズと言われるファッション雑誌も増えているみたいですね。

 裏表紙は「SCREEN」の年間定期購読のご案内なのでオードリーには関係ありませんが、やっぱりこれは表紙が嬉しいですよね!
 無料で配布されるものにしてはかなり豪華だと思います!(^-^
  


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2019年07月07日

雑誌「SCREEN」2019年8月号 オードリーのローマの家

最近ツイッターで“by オードリー=ヘップバーン”ということで、オードリーに関係のないことまでオードリーの言葉にしようとしている輩がいます。
絶対にそれオードリーは言ってないやろ!って思うヒドイものばかりです。みなさん騙されないようにしてください。

だいたい“オードリー=ヘップバーン”などと表記する段階で、既にオードリーのことなんか何も知らないの丸出しですし、そんな連中が聞いたことも見たこともないような珍しいオードリーの言葉なんて知るわけがないですよね。

まあこちらに来てくれている方はそんな低レベルなものは信用しないでしょうが、こんな低級なものでも何人かが信用してしまってリツイートされたりすると、あっという間に後々オードリーが言ったことになってしまったりされてしまうので、本当に迷惑ですね。

サム・レヴェンソンの「美しい瞳のためには…」とかもいまだにオードリーの名言として拡散してる人がいますし、あのELLEやVOGUEでさえネットの記事でよく調べもせずにそれをオードリーの名言としてデマ記事を作ってますから(VOGUEは今年もまた作ってます)、広まるとタチ悪いです。
こういうのもVOGUEやELLEが取り上げたりなんかしたら、目も当てられないです。

きっとこれが広まってから“本当はこれはオレが書いたヤツなんだぜ”みたいに友達に自慢したいだけなんでしょうが、これってデマの拡散ですよね。
ほんとTwitterって変なのが湧いて来ますね。

 今回は今月号の雑誌「スクリーン」、「SCREEN」2019年8月号の紹介です。

 珍しいですね。2月号(オードリーの命日のある1月20日の前に出る号)では毎年何かしらオードリーの記事が載っていることが多いんですけど、途中の号ではあんまりないので。

 今回はスター・チャンネルのオードリー特集のラストということで載ってるんでしょうかね。
 内容は現在はルカが住んでいるオードリーがローマで暮らした家の紹介。清藤秀人さんによるレポートです。

 このオードリーの家、スター・チャンネルの番組でもトリンドル玲奈さんが訪れてましたよね。
 もしかしたら同時に行って、トリンドル玲奈さんは番組に、清藤秀人さんはレポートを、ってことだったんでしょうかね。

 これまでもオードリーのローマの家に関してはたまーに取り上げられることがありましたが、大体はスイスのラ・ペジブルの方で、ローマはあんまり取り上げられませんでしたが、急にどうしたんでしょうかね。

 というか、これもオードリーの「ローマの休日」一辺倒化への一つだったらあんまり嬉しくないかも。
 今回の記事もこの家に住んでいたのはオードリーがドッティと離婚した後、ルカがある程度大きくなる86年までらしいので、本来なら晩年の方の画像を使うべきだと思うのですが、使われているのは「ローマの休日」のドレスを着たオードリー。

 それと、今までもローマのオードリーの家というと白いマンションと茶色の家が出てくることがあって、どっちやねん!と思っていましたが、ルカ・ドッティの「オードリー at Home」とトリンドル玲奈さんの番組とこの記事とではっきり判明。

 白いマンションはアンドレア・ドッティと結婚していた間に住んでいたもの。「エクスラン・ヴァリーエ」の撮影エピソードでも“マンションの3・4階を借り切って”ってなってましたから、マンションの方だったんですね。

 このローマのマンションに関してはローマ在住の方のブログに出てきてましたが、ドッティの死後も“アンドレア・ドッティ”と表札が出てたとか。

 そして今回紹介されているこの茶色の2階建ての家はドッティとの離婚後にルカが寂しい思いをしないように白いマンションの向かいにわざわざこの家を建てて住んでいたもの。

 僕は以前からローマ旅行というと「ローマの休日」巡りばかりになるので、もしローマに行くならオードリーが住んでいた家を見てみたい!とこのブログでも書いてきましたが、この位置関係を知っていれば、ローマに行った時にはドッティと結婚していた時代の家と離婚後のオードリーの家と、両方すぐに見ることができますね!行ってみたいな〜。



 でもちょっと違和感を感じたのは、トリンドル玲奈さん出演の番組でも今回の「SCREEN」の記事でも、すっかりオードリーがローマを愛して、ローマの人ともうまくやっていたことになっていたこと。

 でも「オードリー at Home」ではルカ自身がオードリーとローマは合わなかった、ローマの人は排他的でオードリーも疎外されていた、本当は早くスイスのラ・ペジブルに住みたかったのに、ルカのためにローマに住んでいた、とハッキリ書いてあったんですけどね。

 ローマの家を紹介するにあたって急にローマとラブラブだったみたいなことに180度話が変わってますけど、これってどうなんでしょう。
 確かドッティと結婚していた時代はローマの治安がめっちゃ悪くて誘拐殺人が頻発しており、ドッティが家の前で誘拐されかけて怪我を負ったり、オードリーもルカやショーンが誘拐されないかとピリピリしてたはずなんですけどね。

 あと、スター・チャンネルのトリンドル玲奈さん出演の番組ではローマに暮らしている時の話をしているのに、出てくる画像は「尼僧物語」をチネチッタ撮影所で撮っていた時のが多く、なんでも若いオードリーばかり印象付けようとする姿勢に疑問。

 「尼僧物語」の撮影時(1958年)とドッティとの離婚後(1982年〜)って全然違うやーん!
 オードリーがローマに住んでいた時代の話をするなら、きちんとその時代のオードリーの画像を見せて欲しいと思いました。

 実際に住んでいる時代にローマの石畳を歩くオードリーや、買い物をしているオードリーの方が、“ローマで生活している!”というオードリーが見れるので、何倍も嬉しいです。

 晩年のオードリーを持ち上げながらも、ビジュアルはなんでも若いオードリーにしてしまう現在の風潮があまり好きではありません。

 でも今回こうしてオードリーが住んでいたローマでは2番目の家を中まで紹介してもらえるのは初めてだし、めっちゃ嬉しい!
 ルカがずっと住んでいてくれたおかげですよね。

 別の人が住んでしまっているラ・ペジブルはもう見れませんが、どうしてオードリー最愛の家を手放した(か他の人に貸している)んだろう…(T T
 いっそのことオードリー博物館にでもして一般に開放した方が良かったのでは?と外野からは思います。料金を徴収して、それをラ・ペジブルの補修に充てたり、オードリー・ヘプバーン子供財団やユニセフに寄付したらいいのに…って、そうもいかない事情があったんでしょうかね?
  


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2019年06月14日

「緑の館」公開60周年記念 「スクリーン」1959年1月号

 今日から3日間、二子玉川にて“オードリー・ヘプバーン映画祭”が始まっています!

 今日は「緑の館」日米の初公開から60周年を記念して、雑誌「スクリーン」の1959年1月号を紹介。発売は1958年11月21日ですね。
 この号にはオードリーのインタビューもあります。が…。

 表紙はナタリー・ウッドですね。このころはまだ「ウエスト・サイド物語」も撮影されていない頃。

 今と違って文字もほとんど無くさっぱりした表紙ですが、右下には“オードリイ・ヘプバァン会見記”と書いていて、オードリーのインタビューがウリになっています。が…。

 この号では「緑の館」が撮影終了したようで、“御夫婦協力映画「緑の館」完成”とかって書いてます。
 まずはグラビア5ページで画像が紹介されるのですが、うーん、残念ながら今もわりと見る画像ばかり。

 昔の雑誌の醍醐味は、今ではほとんど見ることができない画像が載ってるのが嬉しいんですけれども、この号は全体的によく見る画像ばかりで構成されています。

 次はこの当時大人気だったアンソニー・パーキンスのグラビアが1ページ。

 その次がグラビア1ページと本文3ページを使ってのオードリーのインタビューが始まります。が……。
 インタビュアーは目次を見るとエドー・コオナアって人になってます。

 このインタビュー、3ページも使ってるのに、全く内容が印象に残らないんですよね。僕も久々に出してみてオードリーのインタビューがあったことに気づきました。

 なんでこんなに印象が薄いんかなあ…と思って読みかえしましたが、ここでほとんどオードリーは大したことを喋ってないことに気づきました。

 まずは監督のことについて、“監督さんというのは、人によってみんな違いますわ。”と言いながら、今までの全主演作品と監督名を挙げて、“でも人によって違うと言っても実はとても似通った面があるんです。”と言い出す。

 メル・ファーラーとフレッド・ジンネマン監督が似てるとか、新しい撮影角度を考え出した時に同じことをするのはオーゾン・ウェルズだけじゃないかしら。と、今まで組んだこともない監督の撮影方法を言い出す。

 それに撮影中の「緑の館」のことはそこそこに、前作「尼僧物語」のことへの質問が始まる。

 アンソニー・パーキンスについて尋ねられると、マーロン・ブランドを引き合いに出して、長々と語りながらも結局とても才能のある俳優だと思います、みたいなことしか喋ってない。

 恋愛経験について尋ねられると、メル・ファーラ-ーしか経験がない、最初に会った時、“私、貴方と結婚するつもりです。”とメル・ファーラーに言ったと、ローレンス・オリヴィエに会った時のヴィヴィアン・リーのようなことを言い出す。

 次作品について聞かれると、人に取られたら嫌だから喋らないようにしている、とこの時点では既に出演することは決まっていたであろう「許されざる者」のことは題名も出さないし、何も語らない。

 そんな中身の全くないインタビューだから、印象に残らないんですよね。

 唯一以前読んだ時から違和感があって印象に残っていたのは、眉のことを“あなたの眉は描いたものですか?それとも自然のままですか?”という質問で、オードリーが“私の眉が描いたように見えるなんて思ってもみませんでしたわ。もちろん私の眉は生まれつきのものです。私は全て自然のままが好きなんです。描いた眉毛なんて私は嫌い。”と言い放っていたところ。

 こちらにいらしてくださっている方なら当然お分かりのように、オードリーの眉はアルベルト・デ・ロッシによって作品ごとに変えられて、もちろん描かれています。「緑の館」も例外ではありません。そのアルベルト・デ・ロッシにすごく頼って感謝してるはずのオードリーが“描いてません!描くのは嫌い!”などと言うのかなあ?と思ってました。

 実際この号で掲載されている「緑の館」のオードリーも、描いてあるのが良くわかる画像とか載ってますしね。

 で、今回読み直してみて、このインタビューは完全にでっち上げ!だと判明した箇所がありました。

 「尼僧物語」の撮影に入った頃のことについて尋ねたインタビュアーが、“しかし、その頃は、パリで「昼下りの情事」の撮影が終わったばかりでしょう。かなり疲れていたのでは?”という問いに、

 “ええ、くたくたでしたわ。とっても休みたいと思っていたんですけど、でも、すぐに喜んでベルギー領コンゴに向かいましたの。疲れ果てていることも、新しい力を蓄えなくちゃいけないことも、すっかり忘れてしまったんです。”と答えたというくだり。

 はい、アウト〜!

 ここで完全にでっち上げがバレましたね。
 「スクリーン」は悪くないと思います。この外国の自称“オードリーにインタビューした”という記事を買い取って、翻訳しただけでしょうから。

 悪いのはこのエドー・コオナアってヤツですよね。当時のオードリーはインタビューが大嫌い。年に4回とか5回とかしかインタビューは受けないと言われていた時代のオードリーが、こんなにたやすく受ける訳がないんですよね。

 それを、“日本の雑誌なら、中身まではオードリーやその周辺の目に触れることは無いだろう”と適当に創作して売り込んでますね。
 だから中身が何も無い。印象に残らない。

 「緑の館」もそこそこに、「尼僧物語」のことを訊いているのは、「尼僧物語」だと既に海外の雑誌とかでオードリーのインタビューが載ってたんでしょう。だからそこから勝手に拝借してさも今喋ったように書いただけ、と。

 「許されざる者」のことを一切喋らないというのも、次作を調べてないから、こういう書き方しかできなかったんでしょうね。

 だいたい、本当に「緑の館」のセットでオードリーにインタビューしたんなら、インタビュアーとオードリーの2ショット写真とかがあってしかるべき。
 本当にオードリーにインタビューした小森のおばちゃまとかはきっちり「緑の館」の時と「暗くなるまで待って」の時のオードリーとの写真がありますしね。

 なんか当時の日本ってめっちゃ舐められてますよね。“日本ならオードリーの人気が高いし、高額で買い取るだろう” と、こんな嘘八百を買わせるなんて、「ティファニーで朝食を」のユニオシの比じゃ無いくらいムカつきます。

 でもダイアナ・メイチックの伝記もウソだらけでしたけど、こんな昔から嘘を平気でつく金目当ての輩が居たんですね!

 このエドー・コオナアってやつは、今ネットとかで1964年公開の「パリで一緒に」のオードリーが35才、って書くような何にも調べてない自称映画ファンor自称オードリーファンとおんなじですね。自分の見える時系列でデタラメを組み立ててる。

 1957年に「昼下りの情事」が公開された。そして58年最初に「尼僧物語」が撮影されていたのは雑誌とかで知っている。だから「尼僧物語」の撮影に入った当初は「昼下りの情事」が終わったばかり。という浅はかな考えで文章を作って馬脚を露わしてしまった。

 でもオードリーから見た本当の時系列で考えると、「昼下りの情事」の撮影は1956年秋。「尼僧物語」の撮影が始まる1958年1月までには1年以上も開いている。1957年は2月の生放送の「マイヤーリング」以外一切仕事をしていない。その間ずっとメルの良い妻であろうとしてたんですよね。

 なので「尼僧物語」の撮影に入る頃には、たっぷり休養をとって、すっかりリフレッシュしたオードリーだった。しかも明らかに「昼下りの情事」よりも幸せ太りしてましたよね。

 その上、いきなりベルギー領コンゴに行ったなど、ありもしない事を言ってることにしてるし。
 「尼僧物語」は最初はまず実際の修道院で何日か過ごした後、ベルギーのブルージュで戸外の撮影、その後ローマのチネチッタ撮影所、それからコンゴの順で撮影していったから、いきなりコンゴに行ったとかオードリーが嘘言うわけないんですよね。

 ということで、このインタビューはオードリーは実際は答えてなかったと結論付けしときます。
 中学の頃なら信用してたでしょうけど、こういう胡散臭いデタラメはもう見抜けてしまうので。

 次に早川雪洲氏へのインタビューが2ページ続きますが、こちらは日本で登川直樹さんという方がされたようで、こちらの方がよっぽど充実して読み応えがあります。

 ・最初は原住民の言葉などいらないから、日本語で適当に喋っていてくれ、と言われて役を引き受けたら、撮影が始まったらやっぱり原住民の言葉を覚えてくれ、ってなった
 ・カメラマンのジョゼフ・ルッテンバーグと音楽担当(だれかは不明)が女の話ばかりしている横で、アンソニー・パーキンスは知らん顔していた。でもアンソニー・パーキンスと2人で話してみると博学だった。
 ・リーマの衣装が出来てきて、スタンドインが着けてみたらほとんど体が透けて見えてしまっていて、オードリーがどうしても嫌だと言ってもう少し体の線が見えない衣装に作り変えた
 ・ラストシーンはハッピーエンドと悲劇と2通り撮影していた

 とか、やはり本当のインタビューは興味深いです。

 後に「カタログ オードリー・ヘプバーン」で再録される、早川雪洲が撮影していたオープンセットでオードリーが着物を着て登場して、“今日は日本ムスメになってホームシックのあなたを慰めにきた”という逸話がここで語られています。

 この着物を着たオードリーの写真、最近ネットでよく載っていますが、横に立っている早川雪洲をカットしてオードリーだけになってたりしますけど、本当に失礼。オードリーは早川雪洲のために着てきたのに!と思います。

 あとは本文最後のページに「スクリーン」が販売するオードリーの写真(1957年のもの)が載ってるだけなんですが、ファンの投稿ページでのオードリーの載ってる割合が結構多いです。やっぱり人気あったんですね!

 その投稿の中にまだ「スクリーン」を見始めて1年だという男の子からこんな文章が…
 “次のようなキャストで映画を作ろうと思うんですがネ。ヘプバアンとホールデンの組合わせにシナトラとドリス・デイの歌が入るというようなミュージカル物てのはどうですか?”

 ……なんですとー!!!
 これ、間も無くほぼ叶うじゃないですか!オードリーとホールデンが主演で、フランク・シナトラの歌と、ドリス・デイじゃなくてフレッド・アステアの歌の“THAT FACE”でミュージカルのように踊る、ちゅう作品で!

 これ、1958年の発売本ですから、まだ「パリで一緒に」は影も形も無い頃でしょうが、ここからわずか3年くらいで撮影が始まり、5年後には見れるんですよ!この男の子、大感激だったでしょうね!(まあ僕よりも遥かに年上ですが…)

 なんか「パリで一緒に」の撮影が始まった時や、公開された時の感想を聞かせてもらいたいなー!と思いました。

 ちなみにこの“スクリーン”っていう題字は1959年だけのちょっと変わったデザインですが、なんとこれファンが書いたものを採用したんだそう!編集後記に書いてありました。
 不評だったのか、翌年にはすぐに替えられてしまって、僕らの世代がおなじみのシュッとしたデザインになりましたけどね。

 あと、裏表紙は「月夜の出来事」というパラマウントのロマンティック・コメディなんですけど、主演はケイリー・グラントとソフィア・ローレン。

 この作品、「スクリーン」の“僕の採点表”で、双葉十三郎さんが“この役は本来オードリー・ヘプバーンのために準備されたものではないか?”と書いてらしたんですよね。

 この当時オードリーは女優としての挑戦をしていた第2期(「尼僧物語」「緑の館」「許されざる者」)なので、こういう軽いロマンティック・コメディはオファーを受けなかったのかもしれませんね。
  


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2019年05月20日

雑誌「SCREEN」2019年6月号 オードリー特集

 まずはスター・チャンネルのオードリー映画の放送予定から。

 6月
 「素晴らしき遺産」「華麗なる相続人」「戦争と平和」「ラベンダー・ヒル・モブ」「ティファニーで朝食を」「ロビンとマリアン」「オールウェイズ」

 7月(オードリー特集の最後の月)
 20作品の一挙放送。特集では「許されざる者」「いつも2人で」「マイ・フェア・レディ」。

 だそうです。

 さて、長く開いてしまってすみません。本当はこの記事をオードリーの誕生日に…と思っていたのですが、写真の撮影と処理が進まなくって、その上GWにも突入し…ってことでここまでずれ込みました。

 先にオードリーが今年の5月4日で生誕90年を迎えました。もしまだ生きていたら90才だったんですね!そのことにもビックリです。

 今回は雑誌「SCREEN」の2019年6月号の紹介。最新号…と言いたいのですが、もう次が出てしまいますね。

 さて、この号ではオードリーの生誕90周年に合わせて、スター・チャンネルとのコラボで大々的に特集が組まれています。全14pで、さらにスター・チャンネルの宣伝でさらに2pオードリーのページがあります。

 まずは表紙にも小さく円で囲まれた部分に “生誕90周年特別企画 いま甦るオードリー・ヘプバーンの魅力”と書かれています。
 てか、2000年頃には“SCREEN”の文字はスターの前に来ていましたが、今ではスターの後ろ。ほとんど雑誌名が読めません。

 さらに表紙裏にはスター・チャンネルの1p広告。このスター・チャンネルの“総力特集”という部分にはちょっとひとこと言いたい部分も多いのですけど、全てはオードリー映画祭でチャラですかね。

 この画像、「ローマの休日」撮了後に撮られた宣伝写真なんですけど、実はこの画像にはオードリーの右頬(向かって左)に目立つ笑いじわがあります。
 今ならパッパッと画像加工で消してしまえると思うんですが、なぜかスター・チャンネルではシワのあるそのままで使用しています。

 目次にもめっちゃちっちゃい画像はありますが、まあそれは数えないことにして、本文ページにもスター・チャンネルの広告で「ティファニーで朝食を」のオードリーが使われています。

 ちなみにこの号から「SCREEN」は全ページオールカラーに刷新されています。50年代はカラーページが数ページでめちゃめちゃ貴重だったのに比べるとすごいことですね!

 ただ、ページ数は138p+表紙周りとめっちゃ減っていますので、別に無線綴じでなくても、中綴じでいけるんでは?というほど少ないです。まあ本棚に入れられた時に背表紙がないと探して買ってもらえない可能性があるので、無線綴じで行くとは思いますが。
(無線綴じは紙を綴じる側を断裁して、糊で表紙を巻きつける綴じ方。背表紙が出来る。中綴じは真ん中をホッチキスで留める綴じ方。基本背表紙は出来ない。)

 まあでも全ページカラーなので、それまで上質紙(ザラザラの紙)に集中させていた文字が全ページに分散されるので、どのページも画像は小さく文字がゴチャゴチャ。
 かつてのようにお気に入りのスターを大きなグラビアで眺める、という楽しみ方は出来なくなっています。

 今の流行りなのかもしれませんが、こういう体裁だと大好きな洋画スターというのは生まれにくそう…と思っちゃいます。

 あと、読者のページとかがめっちゃ少なくなってる!ページ数というより、文字が大きくなって読者の声がすっごい少ないです。

 それと言わせていただくと、毎号載っている“あなたが選んだスターランキング”ってのが過去の雑誌「ロードショー」みたいで、なんでこんなのが「スクリーン」に載りだしたのか疑問。「ロードショー」廃刊以降なんですけど、毎号の人気投票なんて必要?模倣みたいだし、いい気分じゃないです。

 しかも毎年の人気投票(ゴールデン・グランプリ)でも票数が落ちてきてるのに、こんな毎号の読者アンケートなんて、めっちゃ票数少ないと思いますよ。なので以前は票数が書いてあったのに、いまは票数すら載せてない状態。そんな死に体状態なら、無理にしなくてもいいのに…。

 さてオードリーの特集ですけど、p120からスタート!なんですが、目次にはp123なんて書いてあるんですよね。えーっ、校正はどうなってるの?

 最初のページは「ティファニーで朝食を」のカラー。この画像、オードリーが亡くなった時の追悼号の「キネマ旬報」の表紙だったなーとか。

 左に載っている“主なフィルモグラフィー”って所には「昼下りの情事」と「緑の館」の間に「マイヤーリング」が載ってる!

 これってなんか嬉しい!「マイヤーリング」が堂々と載るなんて、2000年ごろのオードリーファンのサイトで会話してる頃には考えられなかった!
 「マイヤーリング」の存在自体知られてなかったし、現存してるかどうかすらハッキリしなかった。

 2004年ごろだったかな?パラマウントジャパンの方と直接喋って、「マイヤーリング」の存在とDVDで出して欲しいことを伝えましたけど、反応は薄かった。

 こちらのサイトで「マイヤーリング」が現存してること、現在の権利元の情報を教えていただき、僕が自分でDVDが出せないかと考えていたのが2010年ごろ。でもその時は権利金が高くて(オードリーが日本で人気があるのが知られていた。約1000万くらい)断念したのを思い出します。

 でもブロードメディアスタジオ株式会社さんのおかげで2014年に劇場公開していただいたし、今ではパラマウントさんからDVDが発売されていて、いつでも見れるんですからね!すごいなあ〜って思いますよね。

 次のページは「パリの恋人」宣伝写真のカラーオードリー。これってハッキリ見えてないですけど、後ろで髪をくくってるんですよね。実はポニーテール。

 公開当時の映画雑誌では“髪をくくれるほど伸ばしているヘプバーン”なんて書かれてました。よっぽどショートのイメージが強かったんでしょうね。
 ここからは金子裕子さんという方がオードリーの生涯をまとめています。

 けど “「マイ・フェア・レディ」のイライザはジュリー・アンドリュースと争って獲得。”なんてしてませんからね。もともとワーナーはジュリーに演じさせるつもりは全く無かった。オードリーにオファーが行って、オーディションとかは一切なし。
 もしオードリーが辞退しても次のワーナーの候補はエリザベス・テイラー。リズはイライザに乗り気だったから、ジュリーに行くことは100%無かった。

 こういう微妙な書き方ひとつで事情を知らない若いファンとかが “オーディションでジュリーが落ちた”とかネットで書き込むんですからね。プロならこの辺はきっちりして欲しい所です。

 ちなみにジュリーはワーナーのスクリーンテストに“舞台で何百回とやっているのに!”と拒否したんでしたっけ?この辺、ジュリーらしくない気もしますが、若い頃は何かと尖ってたりしますもんね。真偽はどうなんでしょう。

 でも舞台で何千回と演じていても、やっぱりスクリーンテストは受けないとね。遠目に全体を見る大げさなセリフ回しの舞台と、アップの多用で自然なセリフ回しが求められる映画では全然違いますからね。イライザが本気で欲しかったら、舞台の主演女優のプライドは捨てるべき。

 それにスクリーン・テストはイコールオーディションじゃない。どうやったらその俳優さんが一番綺麗に写るか、スクリーンに映えるか、ってことを考えながらやるものですしね。

 結果ジュリーは「マイ・フェア・レディ」は演じられなくても、「メリー・ポピンズ」を得たのだから結果オーライですよね。
 それとジュリーではもう一つの舞台の当たり役、「キャメロット」でも映画で主演を演じたい、と言っていたのに、これまたワーナーはヴァネッサ・レッドグレイヴを起用したんですよね。

 撮影のあった1966年にはもうすっかり大スターだったジュリーだから、まさか自分に回ってこないとは思いもしなかったでしょうね。ある意味「マイ・フェア・レディ」よりショックでは?と思います。

 あるいはジュリーがワーナーにオファーされたのに「マイ・フェア・レディ」の意趣返しをしたとか?
 まあジュリーはそんな根に持つ性格ではないと思いますが。

 話がめっちゃ飛びましたが、ここではオードリーの父が銀行家だとか、資料がちょっと古いですね。金子さんのページは4pあります。

 その次には“二人の愛息が語る母オードリー・ヘプバーン”ということでショーンとルカのインタビューが。
 一瞬“えっ!ショーンとルカ、仲直りしたの!?”と思いましたが、そうではなくて、別々の時期と場所でのインタビューでした。

 ルカは昨年秋に来日してたんですね!そしてルカが子供の頃、日本からの多くのファンレターやプレゼントの管理をするアシスタントに任命されていた、というのが可愛くて微笑ましくていいですね!

 それと、「ロビンとマリアン」にオードリーが出演したきっかけの一つがルカがショーン・コネリー(というかジェームズ・ボンド)に会いたかったから、というのは知っていましたが、映画の宣伝用のお話かと思っていた部分もあったのですが、ルカ自身の口から本当だということが明かされているのが収穫です。

 次のページには4月から5月にかけてスター・チャンネルで放送されるオードリー作品の紹介がされています。
 が、文章を書いた田中雄二さんとおっしゃる方、「いつも2人で」が20年にわたる夫婦の旅なんて書いてますよ!実際は12年ですからね!

 思い込みで間違えて書いてしまったのかなあ…、というか、これキネマ旬報さんのデータベースを元に書いてませんか?
 キネマ旬報のデータベースで「いつも2人で」が20年間の夫婦の歴史なんて書かれてるんですよね。
 なので、これをベースにしてしまったAmazonやムービーウォーカーなど、20年になってるものが多い多い!

 1966年撮影の現代劇で20年間て、1946年に出会ったことになってしまう。それなのに40年代のお話に50年代後半のクルマとかって時代考証有り得ないですからね、ホント。

 映画の専門誌でこういう間違いって本当にして欲しくないですね。
 キネマ旬報って、昔はお堅いけど信頼できる所、っていうイメージだったんですが(娯楽作品は鼻にもひっかけないけど)、オードリーの追悼特集で吉村英夫氏を使う辺りから“ん?待てよ?”と思い始めて、「オールタイムベスト映画遺産 外国映画男優・女優100」っていう本でもうびっくりするくらいの間違いだらけだったので一気に僕の中での信頼を失ってしまったんですが、やっぱり世間的には今だに映画のことなら、っていうイメージがあると思うので、それを元に拡散されて広まってしまうと手がつけられませんね。

 こういう「SCREEN」などの専門誌でも、過去の自分のところの記事を調べずに安易なデータベースなどを元に書いてしまうとこういうことなってしまう、また読者が本に書いてあることだから…とそれを信じてしまう、という悪循環に陥るのが残念です。
 映画の専門誌ではやっぱりビシッとして欲しいですね。

 次の最後のページはオードリー・ヘプバーン映画祭のこととSCREENが売り出すオードリーのサインの紹介ページ。「おしゃれ泥棒」の写真は裏焼きですよー。

 そういえば、僕はあんまりオードリーのサインって欲しくないんですよねー。本当にオードリーが僕のために書いてくれたものならともかく、誰宛かわからないものとかあんまり。
 しかもサインってかなりの偽物が混じってますからねー。ヤフオクで5000円程度のもの、黒や金や銀でサインが書かれたもの、オードリーの死後もう30年近いのに写真が褪せてないもの、なのに若い写真のもの、出所のハッキリしないものなんかはほぼ100%偽物ですもんね。

 今回は1987年来日時のカラー写真や、ショーンのインタビューページのカラー写真、ルカとオードリーのカラー写真などが収穫ですね。
  


Posted by みつお at 20:00Comments(6)スクリーン

2019年04月25日

雑誌「SCREEN」2000年10月号 オードリー・ヘプバーン大特集

 最近、オードリーと時代を共にしてきた外国の方が亡くなっていますが、このあいだネットで日本の橋本治さんと小藤田千栄子さんが亡くなっているのがわかりました。

 橋本治さんは今年(2019年)1月29日、小藤田千栄子さんは昨年9月11日にお亡くなりになっています。

 橋本治さんは作家として、「虹のヲルゴオル」では「いつも2人で」から紐解いたオードリーで物凄い観察眼を発揮してらしたし、「桃尻娘」シリーズも好きでした。

 小藤田千栄子さんは僕がオードリーのファンになった時代に、“オードリー映画評論家”の1人として身近な存在でした。「ローマの休日 My Fair Audrey」という小藤田さんの本でも、素敵な文章で楽しく読めました。

 お二方のご冥福をお祈りいたします。

 本当に往年のオードリー映画評論家の方がいなくなりましたね…。林冬子さん、南俊子さん、小森のおばちゃま。他にも双葉十三郎さんも亡くなっていますし、皆川正明さんはオードリーの博物館を作りたかったそうですが間に合わなかったようですね…。

 渡辺祥子さんはご存命ですが、ちょっとオードリーに対しては当たりがキツイ。
 ひと世代下の清藤秀人さんくらいしか今は“オードリー評論家”という方はいらっしゃらないですね。

 さてまもなく元号が変わりますが、よく考えたら昭和から平成へ、1999年から2000年へのミレニアム、そして21世紀になる2000年から2001年へ、さらにまもなく平成から令和へと大きな節目を4回も体験させてもらえてるわけですよね。

 今回は今と同じ、21世紀を目前に節目の20世紀総決算号として発売された雑誌「SCREEN」2000年10月号(発売は2000年8月21日)の紹介。

 この号では“今世紀世界中でもっとも愛されたスター”ということで、オードリーの大特集になっています。応募者全員プレゼントでオードリーのテレフォン・カードもプレゼントとのこと。

 この号、表紙はジュード・ロウ。折り込みポスターはキアヌー・リーブスだし、グラビアの女優にはナタリー・ポートマン、キャメロン・ディアズ、メグ・ライアン、ニコール・キッドマン、ジュリア・ロバーツ。男優では若くて超イケメンなブラッド・ピットに華奢な感じの頃のマット・デーモン、「パイレーツ・オブ・カリビアン」でブレイクする前のジョニー・デップ。

 あれ?この時期の映画スター、めっちゃ印象強いなあ〜…(^_^;)
 もしかして洋画が強かった最後の頃なのかなあ。今は邦高洋低と言われていますもんね。

 さてオードリーの特集ですが、その最初の右のページに「昼下りの情事」がリバイバル映画紹介で載っています。
 え?そんな時期にリバイバルなんてした?と思った方は正解です!

 2000年頃というと、日本ヘラルド(現: KADOKAWA)が85年からリバイバルしていたオードリー映画の権利が次々と切れていた頃。
 そしてオードリーの大ブームも落ち着いて、雑誌「SCREEN」での人気投票も1996年からは9〜10位の低位置をうろうろしていた頃(98年には16位というのも!)。

 僕もこの「昼下りの情事」の紹介を見て、ホンマに全国でまたリバイバルすんの?と思ったので、「SCREEN」に電話して尋ねたんですよね。
 そしたら権利切れの前に東京の名画座みたいなとこ1館だけで上映するだけとのこと…。

 はあ?それって“リバイバル”って言わないんじゃ…というのはグッと飲み込んで、お礼だけしました。
 でも本職の「SCREEN」編集部なら、そういうのはきっちり分けて欲しいなー。

 映画の公開って、意味の問題ではなく映画界での使い方として、最初の公開が初公開、そのフィルムの上映の権利が一度切れた後にもう一度配給会社が権利を取り直して再度全国の映画館で上映するのがリバイバル、まだ権利が切れてないうちに再度封切館で上映するのが再映。
 という使い分けがなされているようなんですよね。これは東宝のサイトで過去の上映作品を調べるとその使い分けがわかります。

 ましてや権利切れの前に名画座で上映するのなんて絶対にリバイバルとは言わない。再映でもない。
 それをこんなリバイバルとして載せて、期待させてガッカリ、みたいなのは本職の映画雑誌としてどうなん?と思ってしまったことを告白しておきます。

 今でもこれを根拠にしたのか、誰かがIMDbで「昼下りの情事」を日本で2000年にリバイバルしたと書いてますけど、リバイバルやってませんからね!
 そんで本当にリバイバルした1965年とか1989年とかは載ってない。
 過去には「パリが恋するとき」がオードリーのフィルモグラフィーに入ってたり、たまにIMDbもやらかしますね。

 それにこんなリバイバルでもない「昼下りの情事」を載せているのに、80年代半ば〜90年代はじめにオードリーブームを作った最初の本当のリバイバルだった85年の「噂の二人」の紹介は84年年末〜85年の「SCREEN」には載ってないんですよ!

 公開後数ヶ月して巻末に載る “◯月の公開作品”ってページでも紹介は1962年◯月号とかって書いてるんですよ!そんなの1985年に普通に見れるかい!って。
 ちょっとこの「昼下りの情事」紹介問題は“「SCREEN」大丈夫か?”と思ったのでした。

 さて特集ページですが、最初のカラーは「緑の館」撮影時の1958年夏のオードリー。

 次のページでは「戦争と平和」「パリの恋人」のカラーと共に、オードリーが表紙の歴代の「スクリーン」が全部載っています。しょっちゅう見掛ける若い頃のものより、60年代に入ってからの方が貴重だし嬉しい。

 そういえばまだ持ってない表紙のもあるなあ…。一番欲しいのは1967年8月号の籐椅子に座る「いつも2人で」のですけどね。
 このページには「スクリーン」での人気投票での順位も載ってるんですけど、11位以下は載せないという変な編集方針になっており、全部の年はわからなくなってます。

 次のページでは各映画の写真が載っています。「ティファニーで朝食を」の写真の鼻の形が悪い…と思ったら裏焼きでした。
 「ティファニーで朝食を」の時期には珍しく右からの写真も残されていますが、左を見せているので正しいかと思ったら、やっぱり鼻と髪の毛で裏焼きだとわかりました。

 その次のページは清藤秀人さん、大地真央さん、田中麗奈さんなどのオードリーに関する文章。
 清藤さんの文章では2度の来日時のことが載っています。大地真央さんの舞台「ローマの休日」での写真も載っていますが、ここでもスカートはブルーになってますね。午後の紅茶でのカラーライズとかの印象がいかに大衆に影響を与えていたか、ということですね。本当のオードリーのスカートはフレンチ・ベージュです。

 次のページは過去の「スクリーン」で1位を獲った人の画像。男優・女優合わせてもオードリーの1位の獲得数が圧倒的なのがわかります。
 連続1位回数では後年ジョニー・デップに抜かされますが、1位総獲得数ではやっぱりオードリーが1位。

 次のページにもまたがる男優では、この時期はブラッド・ピットとレオナルド・ディカプリオの争いだったんだなーと良くわかります。今はちょっと男優のスターが不在かなあと思いますね。

 そして左のページからはファッション・アイコンとしてのオードリーの紹介。ユベール・ド・ジバンシィ、イーディス・ヘッド、それ以外、私生活と紹介されていきます。

 が、ファッションのページでカラー印刷なのにモノクロ写真ばかりなのがもったいない!
 「麗しのサブリナ」の蛾のドレス、「パリの恋人」や「ティファニーで朝食を」、アンドレア・ドッティとの結婚式、来日時などの写真はカラーがあったでしょうに!

 次のページは近代映画社が発行するオードリーの本の紹介。どれも水準点よりも上の本が並びます。

 しばらくオードリーとは関係のない映画の20世紀のお話が続きますが、それが終わると新しいオードリーが表紙の出版の案内。それとオードリーの絵葉書セットの案内が載っています。

 この絵葉書は若い頃に偏っているので、僕は買ってないですね〜。「いつも2人で」や「パリで一緒に」のがあれば買ってたと思いますが。

 他にも近代映画社の映画本の紹介が乗ってましたが、実に13冊でオードリーが表紙に使われています。

 次は“スターのボランティア活動”ということでオードリーをトップに紹介。
 それでオードリーの出番はほぼ終わりです。

 そこから先にはのちに「ブロークバック・マウンテン」でブレイクするヒース・レッジャーやアンジェリーナ・ジョリーがまだ新人として紹介されており、月日の流れを感じます。

 さらに後ろには新発売ビデオの紹介が載っており、まだビデオが発売されているのがわかりますが、その次にはDVDの紹介。プレイステーション2が出た2000年はまさに世紀の変わり目と共にビデオ→DVDへの変換期でもあったわけですね。
 ちなみにレーザーディスクはもうどこにも紹介されていません。
 
 DVDと共に時代の流れを感じるのがテレビの洋画の紹介欄。
 かつては地上波のみで放送だったため、有力な作品には1作品1ページを割いていた案内も、この時期にはNHKやWOWOWなどのBS(当時の呼び方は衛星放送)が出てきて本数が多くなったためか、1ページに5作品以上の紹介になっています。 

 読者投稿のある上質紙(ザラザラとした紙)のページでは懐かしい映画のショップの広告が載っています。

 オードリーが主力だったチネアルテ、やたらなんでも高かった映通社、オードリーのポスターパンフレットを制作してくれていたシネマ・ブティック鷹、「ローマの休日」の名古屋ミリオン座パンフレットを買わせていただいた赤坂シネマテイク、中学の頃お世話になったこともあるバート・ビー・リビングストン、そしてFOXスクリーンフレンドの後継であろうFOXS フレンドなどの広告が並びます。

 ネットやヤフオクのない時代ではこういうシネマショップで買うしか方法がなかったのですが、わずか数年前のパンフレットなどでもバカ高かったのはこういうお店が独占していたからなんだろなーと功罪交えて色々思いますね。

 さて、最後の方でのページにオードリーのテレカプレゼントの方法が載っていますが、僕のは応募用紙が残ったままで、応募していませんでした。
 まあ画像が普通であんまり食指が動かなかったんだろうなーと思います。

 それともう携帯電話もそこそこ普及してきた頃。テレフォン・カード自体の魅力も薄くなってきてたんでしょうね、とあれこれ時代の境い目を感じる「SCREEN」なのでした。
  


Posted by みつお at 19:00Comments(3)スクリーン

2019年02月08日

「スクリーン」1958年11月号 オードリーが表紙

 今年は「尼僧物語」「緑の館」が公開60周年に当たります。

 他にも「華麗なる相続人」は制作40周年、「オールウェイズ」制作30周年、「パリで一緒に」「マイ・フェア・レディ」は公開55周年だし、「麗しのサブリナ」も公開65周年になります。
 もっと言えば「ローマの休日」は日本公開65周年だし、「許されざる者」は撮影60年。

 まあその気になればオードリーの生誕90周年だけでなく、あれこれ付けれるというわけですね。

 さて今回はそんな60周年の「緑の館」と「尼僧物語」の両方が載っている1958年11月号の「スクリーン」を紹介。

 これはオードリーが表紙ですね。「SCREEN」が編集したオードリーの写真集でも、よく表紙が載っていますね。
 で、この号はじゃあ中身はどんな感じ?と思われる方もいらっしゃるだろうと思うので、全部お見せしますね!

 …なんて、この号を紹介するのはとても簡単。だってオードリー関連のところ、たった3箇所しかないですから。
 表紙だけ見たら、中身もきっと「尼僧物語」のことがいっぱい載っててさぞや!と期待しますが、これが以前書いていたような、表紙がオードリーだったら中身には少ない、の典型的な例。

 まずは表紙。どう見ても「尼僧物語」ですよね。それと撮影を開始したばかりの「緑の館」が1/4ページ、そして最後のページに「スクリーン」が売っているスターの写真(2枚で100円)で小さくて粗い「尼僧物語」の画像があるだけ。以上です!他には記事も何もありません!

 でも1958年11月号ということは9月21日発売ですよね。オードリー的には6月で「尼僧物語」の撮影は終わって、7月から「緑の館」の撮影が始まったばかり。

 でも昔の映画って、撮影中からバンバン宣伝を兼ねて写真や記事を出してたんだなーって。
 今の映画は洋画でも邦画でも撮影中は極秘裏に進んで行って、公開前にやっと宣伝を始める、って感じですよね。

 今の人っていつ撮影されたかって知らない人が多いですよね。だから1959年公開の「緑の館」だったらオードリー30才とかって平気で書いてる。
 でも「緑の館」なんて公開が1959年5月16日(大阪。東京は20日から)ですから、もしオードリーが30才だったら、撮影期間10日くらいですか?ってなっちゃう。ましてやアメリカでは3月公開ですから、30才で撮影なんて不可能ですやん。

 こうして雑誌や記事で撮影時からあらかじめ宣伝写真が出回ったりするので、だいたい撮影は公開の1年くらい前、ってのは当時の映画ファンや関係者は無意識にわかってたんだろうなーと思います。
 でも今の人は(それなりの年齢の人も含めて)まるで映画が昨日撮影したみたいなイメージを持ってるんでしょうかね?

 例えばこの表紙の「尼僧物語」はオードリーの作品の中でも最も制作に時間のかかった作品でもあるのですが、撮影が1958年1月〜6月。
 その後で編集したり音楽を付けたり、試写会をしたりとポストプロダクションの仕事が山のようにあるのですが、結局アメリカ公開で1959年7月。
 撮影から1年7ヶ月もかかってますね。さらにもちろん出演してくれる俳優へのオファーや契約、撮影前のロケ地選び、衣装やセットの制作、協力してくれる教会などを見つけるプレプロダクションの仕事も大量にあったでしょうし、おそらく制作決定から公開までには2年以上かかっていると思われます。

 後年、オードリー自身も「ロビンとマリアン」宣伝の時のインタビューで “最も好きな自分の主演作品は?”と訊かれて、“好き、というのとは違うんですけど” と前置きを置いた後で、“最も印象に残っているのは「尼僧物語」でしょうね。作るのに最も時間のかかった作品だったし” と述べていました。

 逆に「緑の館」はオードリー作品では最も短い期間で制作されたのでは?と思うのですが、それでも撮影が1958年の7月〜11月、やはり公開までには1年ほど掛かっています。「尼僧物語」と同時進行でメル・ファーラーなどはベネズエラに行っていたようなので、制作はやはり1年以上かかっていますよね。

 なので、「尼僧物語」のオードリーは28〜29才、「緑の館」のオードリーは29才、ということになります。

 こうして撮影時から宣伝活動を開始していたのと違って、一体いつから秘密裡に映画って作られるようになったんでしょうかね?
 なんとなく70年代のスピルバーグ監督作品からのようなイメージがありますが…。
 僕的には撮影時から宣伝したほうが、公開時だけ慌てて宣伝するより効率がいいような気がしますけど…。

 「緑の館」の撮影スナップにはキャプションが付いていましたが、“南米ジャングルの中の野生の乙女”と書かれてますけど、うーん、ちょっと「緑の館」のイメージと違いますよね。

 ネットとか見ると、「緑の館」を見ないで、その評価やあらすじだけで “オードリーをジャングルの野生の少女なんて、見る前からミスキャストがわかる”、なんて書いてる人がいますが、全然違いますよね。
 
 「緑の館」をジャングルの野生の少女、なんてイメージしてしまったらそりゃオードリーじゃないですよね。
 でも「緑の館」は英国人の原作者がイメージした、幻想的な森に住む動物とも話せる妖精のような少女、ですからね。
 ジャングルの野生の少女と幻想の森の妖精のような少女では全然受けるイメージが違いますよね笑。

 だからリーマはオードリーでないと演じられなかったこれまた当たり役の一つですよね。問題は役じゃなく、監督であり夫でもあったメル・ファーラーの腕前だったということ。

 役だけ見たら妖精のような少女にオードリーってこれ以上無いほどピッタリなので、写真だけで見るとその醸し出すイメージに漫画家の里中満智子さんが思わず自分でも描いてみたほど。でもその自分の絵よりも現実のオードリーの方がずっと幻想的だった、と書いておられました。

 妖精リーマを具現化出来たことは凄いことで、他にも衣装デザインのワダ・エミさんや歌手の手嶌葵さんなど、アーティスティックな方にオードリーのベストとして推されています。
 僕も作品はともかく、思い入れはかなり強い作品です。「緑の館」の写真なんかはめっちゃ嬉しくなりますね。
  


Posted by みつお at 18:00Comments(0)尼僧物語スクリーン