2008年03月28日

私の一本の映画1 キネマ旬報社・編

 これはキネマ旬報社から発行された、「私の一本の映画1」という本です。

 著名人50人に、想い出に残る一本の映画、ということで選んでもらい、その映画について語ってもらう、という内容です。

 中では阿久悠さんが「ローマの休日」を、村上春樹さんが「いつも2人で」を挙げておられます。

 阿久悠さんは「ローマの休日」を観た時に、オードリーという“奇跡の妖精”の存在に対して“アッ!”と声を出したそうです。
 “光がそのまま凝結し、人間の体温まで冷却したという感じで、オードリー・ヘップバーンは現れた。”と書いておられます。

 これはわかるわかる!って感じですよね。「ローマの休日」に限らず、オードリー映画を最初に見た人に起こる共通のことですもんね。僕なんかは「いつも2人で」でそれが起こりました。
 きっとみなさんも、最初に見たオードリー映画でそれが起きたことでしょう。

 でも阿久悠さんは別にオードリーファンにもならなかった、と書いておられます。
 僕にしても、これは阿久悠さんの文章ではなく、村上春樹さんの「いつも2人で」の文章にぐっと惹かれたんですよね。

 やっぱり僕としては「いつも2人で」に関する文章なんて、それだけでも嬉しいじゃないですか!その上、村上春樹さんは、神戸でこの映画を観たと書いておられるんです!

 初版時だか新装再版時だかの神戸新聞で、この本の書評が出て、やはり神戸新聞会館大劇場で「いつも2人で」を観たという村上春樹さんのことが書かれていました。

 でも、「いつも2人で」は松竹系の配給でしたし、東宝系の神戸新聞会館大劇場で公開されたとは考えにくく、これは村上春樹さんの記憶違いだろうと思うんですけどね。(^^;;
 おそらく神戸で松竹系としては最大級の劇場だった、神戸国際会館内の国際松竹でご覧になったんだろうと思われます。

 村上春樹さんは、高校時代に当時のガールフレンドと一緒に「いつも2人で」を観たそうです。
 その彼女が観終わったあとに「もう一度観たいな。」と言ったそうで、村上春樹さんもこの映画を気に入ってたので、もう一度観たそうです。そしてもう一度観ても面白かったと。

 そして、村上春樹さんの周りにはこの映画のファンが多くて、みんなで「いつも2人で」について語るとのこと。当時、「いつも2人で」どころか、オードリーについて語れる人は周りにいなかったので、そんな状況がすごく羨ましく&想像だけでも嬉しくて、妙に印象に残ったものでした。
 
 これは1982年に「私の一本の映画」として初版が出たのですが、当時は立ち読みで済ましていました。でも村上春樹さんの「いつも2人で」のことはもの凄く印象に残っていて、1996年に遅れて第2巻が出ることになり、新装再版が第1巻ということで発行された時にやはり買っておこうと思い、買ったんですよね。
 (でもまさか初版から14年も間があいていたとは!この間に、オードリー冬の時代からリバイバルの嵐による再ブーム、そしてオードリーの死まで劇的な変化を遂げてました。)

 他にもいろんな方の思い出話が載っていて、それぞれに楽しく、なかなかな一冊になっていると思います。たまに読み返してしまうんですよねー。(^-^

オススメ度:★★


  

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2008年03月02日

「オードリー・ヘップバーンのおしゃれレッスン」大橋 歩 著

 イラストレーターの大橋 歩さんがかわいいオードリーのイラストで綴るおしゃれレッスン。それがこの本です。

 僕の持っているのは2005年に集英社文庫から出た文庫版ですが、これは1993年に単行本で出てたんですよね。

 もちろん1993年の時もこの本の存在は知っていたのですが、中身を見てオードリーの画像がないので(イラストレーターの本なので当たり前なんですが…)、当時は買わなかったんですが、文庫になって買いやすくなったので、この機会にと思い購入しました。

 で、読んで思ったのは、“よくまあここまでファッションを観てくださったなあ~!”ってこと。女性ならではの視点で、オードリーの衣装を解説してくださってます。
 僕も読んでてそこまで頭が回ってないので、“ほうほう!へえへえ!”って思いながら読んでました。
 
 「昼下りの情事」や「麗しのサブリナ」はモノクロ映画なので、考えて色を付けてくださってます。現存するカラー画像で見ると本当の色は違う物もあるんですが、大橋さんの付けた色目もまた素敵。

 「パリで一緒に」の最初に出てくるうぐいす色のスーツが、この文庫では黄色になってるのが気になりました。でもきっと大橋さん、印刷で出しにく~い、微妙にグリーンの入った色(この文字色の、もっと黄色味が強い色)を付けてらしたんじゃないかなーと。(^^;;
 おそらく大橋さんはグリーンで描いたのに、印刷工程で色が変わってしまったんだと思ってます。

 文章であれっ!?と思ったのは“プライベートな写真を見ると、特別におしゃれでセンスがよい人には思えない。”というくだり。
 いや、別にそれを批判、とかいうことは全然なく、このようなことを「オードリー ファッション物語」という写真集を出した原 由美子さんも書いていたこと。

 ただし、原 由美子さんは過去にそう思っていただけで、「オードリー ファッション物語」では逆にオードリーを知るにつれてそれは誤りで、やはりセンスがいい人だとわかった、と書いておられます。

 とりあえずオードリーって、プライベートではそういう印象を与えてしまうのかなー、と。原 由美子さんは前言撤回してますけど、大橋 歩さんの意見は93年のまま。
 こういう対照的な意見があるのが面白いな~と思ったんですよね。

 実際のオードリーはどうだったんでしょうねー。みなさんはどう思います?

オススメ度:★(オードリーの画像はないので、そこを納得して買ってください。)


  

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2008年01月26日

「オードリーの魅力を探る」 レイチェル・モーズリー著

 これは東京書籍から発行された「オードリーの魅力を探る 真の女性らしさとは」という本です。著者はレイチェル・モーズリー、原著は2002年発行ですが、日本版の奥付は2005年1月5日になっています。

 内容はイギリスの女性から見たオードリー・ヘプバーン論の研究、というもの。原著はマンチェスター大学出版社から発行というだけあってもっと学術的だったようですが、日本版では一般的に読みやすいように著者によるスタイルの変更が行われているそうです。

 今でもオードリーの人気の高いイギリスの女性を、“オードリーとリアルタイムで人生を過ごした人”“80年代後半からのオードリーブーム再燃後にオードリーファンになった人”に分けて話を聞いて分析しています。

 帯で謳っているように“オードリー映画の見方が変わる!ファン必携の一冊”とまでは正直全然思いませんが、特にオードリーと一緒に人生を過ごした人の話はなかなか面白かったです。

 中でも“今の女優にエレガントな役ができるでしょうか?オードリーがやったように「マイ・フェア・レディ」や「シャレード」や「ティファニーで朝食を」を演じられると思いませんね。”というのと、“オードリーには気品がありました。彼女の写真で、顔を隠し、服装や立ち姿だけを見ても「オードリー・ヘップバーンだ」ってわかりますよね。”っていうのはなるほど!そうそう、そうだよね!って思いました。

 確かに「マイ・フェア・レディ」や「ティファニーで朝食を」はオードリーじゃない候補もいましたが、オードリーだからこそ“エレガント”という要素が付け加えられたんでしょうし、一見オードリーじゃなくてもいいような「シャレード」はオードリーだからあれだけ素敵で軽快な大傑作・代表作に仕上がったんですよね!

 それに「ティファニーで朝食を」などで顔の見えない画像って何点かありますけど、やっぱりオードリー!ってわかりますもんね。

 一時期(5年前くらい)、アメリカのIMDBのサイトのオードリーの欄でポール・ニューマン主演の「パリが恋するとき」(A New Kind of Love)にオードリーがカメオ出演している、というデマが書かれていたことがありました。
 一応“未確認”ということでしたが、特別出演でモデル役で出ている、と。

 実際に「パリが恋するとき」の輸入ビデオをお借りして観てみましたが、もう全くのデマだってわかりました。遠目に見えるモデルさんの役の人は歩く姿・プロポーション・オーラ、ぜんっぜんオードリーと違う!やっぱオードリーならすぐわかります。
 他のシーンでも後姿がオードリーに似ている人がカフェのシーンで出ていましたが、それも違うと判明。

 きっとオードリーをよく知らない人が“これオードリーじゃないか?”ってだけでオードリーの出演作品に追加したんでしょうね。
 その後、アメリカでもこの映画を観た人が“オードリーなんて出てないやんけ!” ってことで削除されたんでしょう、今はもう載ってませんから。

 IMDBとかでも間違いは起こるので、書いてあることをなんでもかんでも信用しない方がいいですね。やっぱり自分で確認しないと!(^-^

オススメ度:★


  

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2007年12月02日

エレガントな女性になる方法 オードリー・ヘップバーンの秘密

 これは2005年12月15日に発売された、メリッサ・ヘルスターン著の「オードリー・ヘップバーンの秘密 エレガントな女性になる方法」です。

 これは主にオードリーやオードリーに関わった人たちの言葉を集めた物。その中でオードリーのエレガンスの素を探り、エレガントな女性になりましょう!という意図の本。

 原書は2004年に発行されており、いろんな本や記事、テレビでのインタビューなどから言葉が選ばれています。

 でもその時には息子ショーンの伝記も、バリー・パリスの伝記も発売後。なので、イアン・ウッドワードチャールズ・ハイアムの伝記からは採用されても、嘘だらけとバレたダイアナ・メイチックの物はきれいさっぱり省かれています。当然ですよね。

 決して写真集扱いではないのですが、画像点数も多く、しかもこれだけにしか収録されてない画像も多いので、意外と充実度は高いです。
 本来カラーやねんけど…っていう画像も多いので、それがカラーだったら言うことなし!なんですけどねー。

 原書では本文はツルツルの紙なんですけど、日本版はザラザラの紙に変更。そのためかどうか、画質が日本版ではボロボロになっているものもあります。(p117の画像とか)

オススメ度:★★★


  

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2007年11月24日

「ローマの休日 My Fair Audrey」小藤田千栄子編

 これは立風書房から1995年に発売された、「ローマの休日 My Fair Audrey」という本です。

 編者は小藤田千栄子さんで、他に渡辺祥子さん、清藤秀人さん、林冬子さん、山田洋次監督などの「ローマの休日」への文章がまとめられています。

 同じ「ローマの休日」という書名でも、書く人が代わるとこんなに印象って変わるの??っていうくらい、吉村英夫氏のヒドイ文章とは違います。

 吉村英夫氏のはオードリーは見てないし、理論だけでの評価だし、なんでもかんでも「ローマの休日」にひっつけようとするわ、オードリーはおもいっきり低俗化するわで、むしろ嫌悪感を催すような文章に仕上がっています。

 でもこちらはやはり編者の小藤田千栄子さんはじめ、皆さんがまず“愛情”というエッセンスで「ローマの休日」を語るので、納得できるし、ステキな文章に仕上がっています。

 一部、小藤田千栄子さんの文章は嘘のメイチックの伝記を引用しますが、これはバリー・パリスの伝記が発売される前なので、仕方ないことですし、ささいな瑕疵で済んでいます。

 とにかく、本当に「ローマの休日」に関して読んでみたいのなら、吉村英夫氏の本ではなく、こちらをオススメします。

オススメ度:★★★


  

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2007年10月29日

講座「マイ・フェア・レディ」オードリーと学ぼう英語と英国社会

 これは2005年に英潮社から発行された『講座「マイ・フェア・レディ」-オードリーと学ぼう 英語と英国社会』という本です。
 著者は米倉 綽さんという方。

 いや、これはどういう内容か全然わからなくて、「マイ・フェア・レディ」の画像も収録されているのかな?と思って知りたかったんです。
 でも全然本屋で見つけることが出来なくて、結局アマゾンで買ったのですが、見事に写真は表紙だけでした。(- -;

 内容も発音によって階層が分かれてしまう、みたいな内容だったんですが、とてもまじめな文章で、おバカな僕には全く興味が持てず、押入れの中で寝ています。
 米倉さん、ごめんなさい。m(_ _;)m

 まあ興味のある方だけどうぞ。

  


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2007年09月29日

大愚作!「誰も書かなかったオードリー」吉村英夫著

 これは2001年に講談社+α文庫から発行された、吉村英夫著「誰も書かなかったオードリー」です。例によって、著者のひとりよがりな思い込みと決め付けで構成された、出来の悪いオードリー評論に仕上がっています。

 “読んでいただければわかるが、私はヘプバーンのファンであるし” と自分で思い込むのは勝手ですが、オードリーのファンはこれを読んでもそうは感じません。これを読んでわかるのは、著者は「ローマの休日」ファンである、ということだけ。

 この著者は何度オードリーのことを書いても、オードリーの本質を見ていないから出来上がる著書に大差なし。とっても偏っています。

 本文が始まる前に、わざわざ注意書きで“撮影されたのは前年のことが多く”と書いていて、しかも「ローマの休日」が52年に撮影されているのもわかっているのに、第16章では製作年の“53年「ローマの休日」、オードリー24歳”と書いてしまっていて、首尾一貫してません。

 また、既にバリー・パリスの伝記は発売後にもかかわらず、きちんと読まなかったのか、ダイアナ・メイチックの嘘伝記も使用してて、オードリーは拒食症扱い。たしか息子ショーンがメイチックの伝記で一番怒ったのが拒食症にされていた部分だったはずです。

 オードリーの本を書きながら調べてないことが多く、不十分な記述も多いです。
 たとえば「初恋」は日本では1966年と1993年と2度も劇場公開されているのに、オードリー没後にビデオ化されただけだと思い込んでいる様子。(メイチックの本の訳者あとがきを鵜呑みにしている。)
 しかもそこで使用している画像は例のポスターで使用された「パリの恋人」オードリー。

 オードリーのファンだったら、昔の資料も調べよう(特にオードリーの評伝を書くなら)、って普通考えると思うんですよね。

 「初恋」のことなど、70年代に発売された芳賀書店のシネアルバムデラックスカラーシネアルバム、雄鶏社の「カタログ オードリー・ヘプバーン」をちょっと調べればわかるんですが、原著が海外の最近の資料だけ調べて、国内の資料は調べず。

 おそらく自称“オードリーのファン”になったのが「ローマの休日 ワイラーとヘプバーン」以降だと思うし、オードリーの画像なんかには興味がないのか、そういう写真集的な資料はお持ちじゃないんでしょうねー。
 
 ま、でもメイチックの伝記なんかを出典に使うようじゃ、バリー・パリスの伝記も斜め読みしかしてないのが丸わかりですし、日本の資料をお持ちだったにしてもきちんと見てくれるでしょうか?

 「ローマの休日」では大好きな赤狩りとの関連でまた述べていますが、それを“忘れてはならない”と押し付けられても…。「ローマの休日」はもっと気楽に楽しんでもいい作品なんじゃないかなー。

 「麗しのサブリナ」はリメイクされた「サブリナ」を観て、考えが変わった様子。“失敗作だと評価するのは間違いだと思う”…って、「麗しのオードリー」という本で失敗作だと決め付けてたんはあんたや!みたいな。

 「ティファニーで朝食を」では、やはり著者がオードリーを見ていないのを露呈します。
 どうにもこうにもこの作品が代表作だと言われるのが理解できないので、オードリー=変身物語の鋳型に入れようとする著者のあがきがとっても見苦しい。
 前作「麗しのオードリー」から一歩も進んでない著者の見方がわかります。

 これでは「ティファニーで朝食を」でオードリーという個性を最大限に生かしたのをわかるわけもなく、オードリーは「ローマの休日」だけの女優に矮小化されるばかり。
 「ティファニーで朝食を」~「マイ・フェア・レディ」の第3期はオードリーの個性の輝きを見なきゃ!って思うんですけどねー。

 映画全体で徹頭徹尾シャレのめした娯楽映画の傑作「シャレード」はこれまたヒドイ扱い。
 “オードリー映画の(←これ、間違い)、そしてドーネン監督の最大のヒットとなったが、作品の質と興行成績は正比例しないようである。”…ひっ、ひどすぎる!

 志が高い映画が良い作品→娯楽作品だからそんなに気に入らない=出来がよくない

という極めて身勝手で偏狭な考え方が、映画評論家として名乗るには全然ダメ。

 「シャレード」をこんな程度でしか捉えられ無いんです、ってことはオードリーを語る資格なんかないです、ってことを自分で宣言しているようなもの。
 自分はこう思うけど、世間的にはいかに「シャレード」が高評価を受けているかっていう説明すらなし。

 以前、僕のエッセイの方のBBSに“自称大学生”というおそらく小学生か中学生が“「シャレード」は出来がよくない”って書き込んだことがあって、そのあまりに偏った(間違った)考えに、管理人のTYさん・友人のカリンさん・僕がびっくりしたことがありました。
 なぜそう思ったのか尋ねたところ、その考えの元になった1つがこの本だったこともあって、全員絶句したものです。これはもう若い子には見せてはいけない悪書ですね!

 それと、著者はこの作品をオードリーじゃなく、ケーリー・グラントが変身する“逆変身物”としています。でもなんかこの理論はおかしい…と思っていたら、このブログにも来ていただいている入間洋さんのHPでこの点を的確に書いてくださっています。

 そう!ここでのケーリー・グラントは全然変わらないんです!入間さんの文章を引用させていただくと(許可いただきました)、「この映画はアイデンティティが一貫してケーリー・グラントであるような映画」という、グラントがケーリー・グラントであり続ける作品が「シャレード」なんですね。

 名前はコロコロ変わるけど、ケーリー・グラントはずっとおんなじ。衣装も演じ方もキャラクターも変わらない…。実は変わっていくのは、グラントが名前を変えたことによって疑心暗鬼になるオードリー演じるレジーと観客の観念の方なんですよね。それでも逆変身物?

 「おしゃれ泥棒」では監督がウイリアム・ワイラーゆえの何かを見つけようと必死。で、それがビデオ鑑賞では見つからないからと“ワイラー老いたり”で片付けようとしている。

 実はこれ劇場で観るとパナビジョンの左右の大きな画面に、物置での縦に超細長い画面という対比をなしてたり、とそれなりの画面の工夫はあるのに、ビデオで見て全く気づかず。
 それに、ワイラー作品だからって、純粋に楽しめないのかな~って。「おしゃれ泥棒」って完全に娯楽作品なので、まあこの著者には理解できないのかもしれませんが…。

 「いつも2人で」はもう全然わかってない人の見方丸出し。もともと著者はオードリーを見てない人だから、「パリの恋人」「シャレード」「いつも2人で」とオードリーの個性を一番上手に引き出したドーネン監督の作品をよくわからないんでしょうけどね。

 “ラストでとってつけた再出発の誓いをするが、夫婦の将来を信じるものは一人もいないだろう。”
って、えーーっ!!!
 確かに「いつも2人で」は見るたびに見方が変わる作品だけど、最初に見た小学校時代から、そんな風に感じたことは1度もなかった!むしろ著者のような見方をするほうが珍しいというか…。

 いくつかの伝記で、脚本家のラファエルが“ラストで逆の意味に取られかねないので脚本を変えたが、オードリーの本読みの素晴らしさで最初の稿に戻った。”と言ったと書いてあるんですが、見事に吉村氏はその逆の意味で取ってしまったわけですね。オードリーの名演も意味なしだし~。

 それに「いつも2人で」が「噂の二人」と双璧の暗鬱な映画ですと。盛り上がりに欠け、情緒も醸し出せなかった映画と決め付けられました。
 あー、ほんとこんな見方しか出来ない人にオードリーを語って欲しくない…。

 「ニューヨークの恋人たち」では、“老いを「老醜」と受け止めるのは間違いである。”と図々しくも書いてますが、「麗しのオードリー」という本でそう書いていたのは自分やん!
 いったい何なんでしょうねー、この著者!

 ただ、その考えにのっとって、「麗しのオードリー」では“老醜をさらす”と書かれていた「オールウェイズ」の出演に関して、“よかったと考えたい”と態度が変わっています。

 それと、僕もオードリーを神格化はしようとは思っていないけれど、この著者のいつもながらのオードリーの“卑俗化”にはびっくりします。

 どの伝記でも、オードリーはお金に執着したということは書かれていないのに、この本の中では、何度も何度も“オードリーが金のために動いた”的勝手な決めつけ文章が出てきます。
 もう本当に金金金金。オードリーは金の亡者か!といいたくなるほど。これも著者の勝手な思い込みで文章が構成されてて、これでどこがオードリーファンやねん!状態。

 それに、オードリーが家財道具一式と移動したことはいろんな伝記でも述べられていますが、そこでわかるのは“移動の多いホテル暮らしでも、オードリーはなんとかメルとの家庭らしさを出そうとしていた。”ということ。

 家族を大事にするオードリーの行動としては筋が通ってるし、僕なんかは納得してるんですが、この著者はそれを“備え付けの家具では満足できない、他人の手が触れたものは承知できない。”と解釈して、スターのわがまま、贅沢し放題、“矛盾だらけの経済観念”となってしまう。

 愛犬フェイマスの話でも、そのかわいがり方に虚飾をほどこして“女王様の気まぐれ”という扱いでさらにオードリーを低俗化。「尼僧物語」のコンゴロケにも連れて行ったのをフレッド・ジンネマン監督が“苦々しく見ながら”と勝手な形容詞を追加してオードリーをこれでもかとおとしめる。

 フレッド・ジンネマン監督は自伝でもオードリーに対して非常に敬意を払いこそすれ、そんな苦々しく思ってたなんてこと、どこにも書いてないんですけどね。

 いくら聖者でないと言っても、この扱いはヒドイんじゃないの?こんな考え方しかできないの?って感じ。著者の低俗な考え方に、オードリーを押し込めようとしてもねー、みたいな。

 さらには、アンドレア・ドッティとの結婚式でのオードリーのピンクミニの衣装にもケチをつけてます。
 “痛々しい足が興ざめ”“媚びを売る衣装”“勘弁していただきたい”
 あのピンクの衣装はオードリーの中でも特にかわいくて似合ってると思っていたし、ファンの間でも好評なので、この頓珍漢な意見にもこれまたびっくり!当時僕の知っているオードリーファンの失笑をかっていたものです。
 もー、正直こんな人がオードリーのファッション云々言うのは“勘弁していただきたい”!というのはこっちの方!みたいな。

 結局、伝記部分はこれまでに出版された伝記の寄せ集め。それに著者の勝手な妄想を書き加えてさも本当のことのように読者に押し付けるという、これまでと変わらず最悪の書。
 これで原稿代をもらって、印税を受け取るなんて、でっちあげ伝記を書いて金儲けをしたダイアナ・メイチックと似たり寄ったり!

 この著者のオードリー関連の本は、いつもレベルが低く出来が悪いんですが、他の「寅さん」関連の著書もこんな感じなんでしょうか?男はつらいよ!シリーズの本当のファンの方に伺いたいですね。

 この著者のオードリー本はもう3冊目。わかるファンが読んだら、怒りを通り越して失笑もの。
 こんな程度でいいなら、文学的素養のない僕でもオードリーの本が書けそうです。

 著者がよく書いている、「緑の館」や「華麗なる相続人」がオードリーのワーストだという話ですが、この本の出来は「緑の館」なんてメじゃないくらい駄作ですけどね。正直、これを読む暇があったら、「緑の館」と「華麗なる相続人」を10回ずつ観る方がオードリーに酔いしれることができるだけ遥かにマシ!というくらいの駄文。

オススメ度:なし!マイナス1000点!


  


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2007年08月15日

フレッド・ジンネマン自伝…「尼僧物語」について

 今日はオードリーの映画の中で、唯一第二次世界大戦に接近した映画である「尼僧物語」関連のものを紹介します。

 これはキネマ旬報社から1993年に発行された「フレッド・ジンネマン自伝」です。

 もちろんフレッド・ジンネマン監督は、オードリーの「尼僧物語」を撮った人です。
 他には「真昼の決闘」「地上より永遠に」「オクラホマ!」「日曜日には鼠を殺せ」「わが命つきるとも」「ジャッカルの日」「ジュリア」などが有名な、巨匠の一人。

 ここではフレッド・ジンネマン監督の人生が各章になっている映画に絡めて書いてあるのですが、明らかに映画とは関係ない自分のことは最小限に抑えられています。

 これはやはり触れたくないこと、触れられたくないことがあるのでしょう。両親の死に関してもさらりとホロコーストで死んだ、と書いてあるだけ。

 ただ、これらの書かれなかったことへのジンネマン監督の考えが映画「山河遥かなり」や「地上より永遠に」となって結実していくのだと思います。

 “集団ヒステリー”というべきマッカーシー旋風が吹き荒れた50年代初めにも、卑劣な監督ギルドの投票用紙には返信せず、を貫き通し「真昼の決闘」としてやはり自分の考えを述べたジンネマン。
(この時代に「ローマの休日」の脚本家、ダルトン・トランボが排斥された)

 このようなジンネマン監督だからこその「尼僧物語」なのでしょうね。

 さて、「尼僧物語」の章は、豊富で珍しい画像ともあいまって、非常に充実した物となっています。
 ここでわかることもかなり多く、後に各オードリーの伝記作家によっても引用されることになる(勝手に少し改変されたりもしている)事柄の、正確なオリジナルがここで読めます。

 「戦争と平和」をマイク・トッドと組んでオードリー主演で撮ろうと考えていたこと。
 実は17年間の物語であること(これには僕もショックを受けました!)。
 修道院長の助手の尼僧はジンネマン監督の奥さんであること。
 オードリーたち、“我々の尼僧”が撮影の合間にタバコをすうのを見て、黒人達が“自分の目が信じられなかった”、そして誰かが“彼女達はアメリカの尼僧だから”と言うと納得したこと。
 前日にリハーサルされながら、1日で水位が下がり、撮影されなかった底なし沼の話があったこと。
 撮影で出会ったコンゴの尼僧や宣教師達が翌年の革命でほとんど命を落としたこと。

 などなどです。

 「尼僧物語」やその他の作品の秘蔵の話としても、「尼僧物語」画像集としても、ジンネマン監督の自伝としても興味深く、大変価値のある1冊です。

オススメ度:★★★★


  
タグ :尼僧物語


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2007年08月10日

最悪の1冊再び! 吉村英夫:著「麗しのオードリー」

 “救いがたい!”

 これが僕のこの本に捧げる言葉です。

 これは講談社から1993年年末か、94年年始に発売された、僕の大っ嫌いな吉村英夫氏のオードリーに関する著作、第2弾です。

 前作、「ローマの休日 ワイラーとヘプバーン」でも見られた、この人特有の狭量な視点や独りよがりの決め付けが、昔ながらのファンを不快に、新しいファンを歪めてしまう可能性大の本に仕上がっています。

 著者はあとがきで、“スターの実像に迫る”、また“陳腐な独断であっては困る”と書いているのに、ここで描かれているオードリーは、ものの見事に吉村英夫氏だけの考えでの“虚像”であり、“陳腐な独断”に陥っている!

 さらにたちが悪いことに、著者は自分で作り上げた「オードリー」にえらく満足しているらしいこと。
 このような見方しか出来ない人に、正直オードリーのことは書いて欲しくない!というのが僕の考えです。
 また、僕の知っているオードリーファンは、かなりこの著者を嫌っていることもわかっています。

 この著者は、“自分が共感できない=出来が悪い” と “志が高い=いい作品” というのをモットーにしているようで、その観点からすべての作品に対して次々と“決め付け”が行われています。

 そして、例によって「ローマの休日」至上主義。「ローマの休日」は非常にいい出来であることは認めるものの、ここまで勝手に引っ張られてはうんざりを通り越して怒りすらおぼえるほど。

 オードリー自身も“「ローマの休日」のアンを損なわない”ということで役を選んできたとおっしゃる。
 …あのねー単に夢を与える役を選んだだけであって、過去の作品をほとんど振り返らない(見もしない)オードリーが、そこまで「アン王女」という呪縛に捉われていたとは到底考えられないのですけど。
 これもなんの根拠も無い、この著者の想像の産物の1つです。

 さらに “変身物語”ばかりの役を選んできたと鬼の首を取ったように騒いでいますが、過去に幾人もの評論家が書いてきたこと。
 しかもこれもオードリーからすればきっとたまたまなんだと思いますよ~。無理矢理“変身物語”の範疇に入れてるのもあるし。こんな考え方、オードリーが聞いたら本人がびっくり!だと思いますよ~。

 次の「麗しのサブリナ」ですが、確かに、サブリナの行動には男ならあまり共感はできないと思います。実際初公開時に「麗しのサブリナ」を評価したのは淀川長治と三島由紀夫だけ、と言われることもありますし。

 でもそれと映画としての出来は別問題。双葉十三郎氏の評価でも「麗しのサブリナ」は80点です。
 ところが、この本の中で「麗しのサブリナ」は何度も“失敗”と言われてしまう。
 しかも、その後にはオードリー自身も“「麗しのサブリナ」で父と娘を描いた部分が一番うまくいったことを記憶していた”と勝手な創作をしゃあしゃあとお書きになる。

 現実のオードリーが思ったりしてないことでも勝手に創作して、さもそれが本当のことのように書く才能は、あの淀川長治さんもびっくり!故意に読者を騙したダイアナ・メイチックの世界に入ってます。

 このような勝手な創作と決め付けが次々と行われていくので、「尼僧物語」や「噂の二人」には高い評価を与えても、最もオードリーの個性をうまく使った「パリの恋人」「シャレード」「いつも2人で」のスタンリー・ドーネン監督の作品は一般よりも低い評価しか与えられていないし。

 「許されざる者」は“この程度の人種観”、「おしゃれ泥棒」は“何を描きたいのか理解に苦しむ”、「いつも2人で」は“明日にでも破局が訪れそう”…あーもう全然ダメだね、こりゃ。

 こういう見方しか出来ない人なので、オードリーの個性が一番輝いた「ティファニーで朝食を」は“退屈、中身のないのを隠せない”とのたまうし、でも一般には代表作なので、“代表作という人がいるのも理解できる”と逃げる。そしてこの作品までもを無理に成長物語と位置づけようとしているし。
 これでは「ティファニーで朝食を」の魅力に気づかないのも当たり前。

 この著者は、なんでもかんでも「ローマの休日」をものさしとして観るので、「ローマの休日」から大きく離れたことでオードリーの個性が逆にきらめいた「ティファニーで朝食を」なんかは、著者には理解不能な作品なんでしょうね。

 ユニセフでの活動や、「オールウェイズ」出演も、この著者にかかると“スターとしての栄光の甘さを知り尽くしている”、“美談として世界中にPRされる、存在がアピールされる”とすっかり目立ちたがりの私利私欲にまみれた俗物オードリーになってしまう。

 何も僕もオードリーを神聖化しようとも思ってないけれど、これではあんまり。他にも人間オードリーを見せようとして、非常にひどいコメントが綴られます。
 著者の低俗な考えのレベルまでオードリーが引き降ろされてしまってる。

 しかも、この本では日本でのオードリーの人気の変遷には全く無頓着。「ローマの休日」だけでオードリーがここまで人気を保ったかのように、そして「暗くなるまで待って」でオードリーの人気は落ち着いて、死後に再評価されたかのように書いてあって、これじゃあ日本でのオードリーの人気は探れないよね、って感じ。

 どうもこの著者がオードリーに興味を持ったのは、「ローマの休日 ワイラーとヘプバーン」を書いた後のことのようで、あまり昔の資料を調べてないらしいことが、次の著作「誰も書かなかったオードリー」でも露呈します。

 他にも山のようにこの本にはダメダメなところはあるけれど、まあキリがないので。
 なんでこんなきちんと調べもしてない人がオードリーのことを書けるの?っていうのが正直な感想。題名とはうらはらに、著者によって捻じ曲げられた、全然麗しくない卑俗なオードリーがここにいます。

 膨大な資料を基に書かれたオードリーの数々の伝記でさえ嘘や間違いがあるのに、ましてやこの著者の書いてることを決して鵜呑みにしないように!オードリーファンなら心してくださいです。

 ネットで、この本の一部をそのままパクッた某大学の学生の論文というものも見つけてしまいまして…。著者の勝手な創作や思い込みでも、本になってしまうといかにまだオードリーに詳しくない人間に悪影響を与えるか、という見本を見せてもらったようでした。

 読んで怒りを覚えたいならどうぞ、っていうシロモノ。絶版になって、あーよかった!まさに悪書!

オススメ度:なし。マイナス1000点!


  


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2007年06月28日

印象悪し!「ローマの休日 ワイラーとヘプバーン」吉村英夫著

 う~~~ん…とうとう吉村英夫さんの著作に触れることになりました。
 実は書きたくないのですが、この本から順にクリアしないと書くことができない写真集があるので、とりあえず我慢して書きます。(≧≦

 あらかじめことわっておきますが、僕は吉村英夫さんのオードリーに関する文章は大嫌いです。

 ですので、吉村さんの文章がお好きな方はここで読むのを止めた方がいいでしょう。この本に対してけなすことは鬼のようにあっても、礼賛はいっさいありません。それでも読みます?
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タグ :吉村英夫


Posted by みつお at 15:00Comments(6)批評・評論など