2016年07月14日
オードリーのレシピ本!「オードリー at Home」その2
ロンドンでのオードリー展の図録である写真集「永遠のオードリーファッション」が7/25に発売されます!
さて前回に引き続いて「オードリー at Home」についてその2です。
今回はこの本の “伝記” の部分について。
オードリーの公式な伝記はショーンの本だけで完結かと思っていましたが、こうしてルカの目から見たオードリーも見させてくれてとても嬉しいです。
そして思うのは、ルカの父はあくまでもアンドレア・ドッティ氏で、メル・ファーラーは何の接点も無い人だということ。全く出てきません。
この辺はショーンの本では父メル・ファーラーが出てくるのとは全く違うなあ〜と思います。
オードリーが離婚後メル・ファーラーとは会わないようにしていたとのことなので、おそらくルカとメルはオードリーのお葬式以外では会ったことも無いのではないかと…。
そして印象に残ったのは、ドッティ側のお祖母さん(オードリーの姑)の後の旦那で、ルカとは血がつながらないけれども仲の良かったお祖父さんが入院していたとき、お見舞いに行ったルカはその荒れ果てた病院と酷い待遇(お祖父さんと同室の人は亡くなっているのに誰にも気付かれなかった)を見て怒りを覚え、オードリーにその名前を1度だけ使うように頼んだということ。
ちょっと話が逸れますが、日本で大震災が起こった時−それは阪神大震災でも東北大震災でも熊本地震でもそうなのですが−日本人は無秩序にならず、行列を作って配給を受けるのが当たり前なので、暴動や我れ先に物資を奪い合ったりが起こる海外からは驚嘆されていました。
オードリーも日本人と同じで、自分の名声を特別待遇に利用するというのは潔しとせず、常に列には並ぶ、規則・法律・慣例は守る、としていたようです。
ですがさすがにこの時ばかりはお願いしたそうで、それ以来お祖父さんの痛みは和らぎ、もっと良い場所へ移されたそうです。
でもこれもルカには直接明かさず、ずっと後になってオードリー最後のパートナーであるロバート・ウォルダーズから聞いたそうです。
日本といえば、短いですが(6ページ分)オードリーの初来日(83年)のことも書かれていました。
その時は家族総出で来日したので、ルカも一緒に日本を回っていたのですが、オードリーもルカも日本に恋してしまい、家族でいつまでも語り継がれる旅になったと書いてあり、日本人としてはとても嬉しく思いました。
でも今のように世界で日本食がブーム!ということもないので、当時は欧米人には抵抗があったであろう寿司や刺身にはオードリーは決して手をつけなかったと書かれていました。
今だったらきっとオードリーも美味しいお寿司やお刺身を喜んで食べてくれただろうな〜と思います。
ただ当時ルカは13才と幼く記憶がちょっとあやふやなのか、なんでもかんでも写真の場所が金閣寺になっていたらしく、訳者さんの手で修正が入っています。確かに明らかにオードリーのバックは京都御所や宇治の平等院鳳凰堂なのに “金閣寺!” とは日本人としては訳せませんよね。
それにジバンシィと写っているショーの写真も1983年4月9日になってますけど、ジバンシィのショーは日本では4月13・14(以上東京)・16・17(以上大阪)日だったので、リハーサルで写したのでなければ、全然合わないんですけれども…。
そうそう、写真では「緑の館」撮影中(1958年)以来25年ぶり2度目の着物を羽織るオードリーが見れます。
もともとオードリーは日本のことを大好きで、そのために世界中で日本に向けてだけテレビCMに出演しています。しかも2度も!(「エクスラン・ヴァリーエ」と「銀座リザ」)
実際に日本に来て、オードリーは日本をますます愛してくれて、その後機会のあった87年と90年にも来日をしています。
「緑の館」と言えば、映画で共演するために一時期一緒に暮らして懐いていた鹿のイップ(ピピン)を手放す際のイップの様子とオードリーの心理が今までわからなかったので気になっていたんですが、それもこの本で明らかになりました。
オードリーは野生の動物を飼い馴らしてしまった自分をやっぱり許せなかったのですね…。
あと、おぼこくて幼くておとなしい…と思っていたルカにも反抗期があったということが意外でした。
あまりにもあまりなので、オードリーがルカを叩く!と言って追いかけ回したこともあるとか(ルカは浴室に逃げた)。
さらには、ルカのジャケットと住み込みの女性料理長の息子のバイクが突然なくなったので、売り払ってマリファナを吸っているのではないかとオードリーと料理長が心配したことがあったと書かれていました(実際にはごろつきに脅されて取られただけだった)。
それとこれはルカの本なので、ドッティと暮らしていたローマのことも出てくるのですが、オードリーとローマは必ずしもうまくいっていたわけではないことも書かれていました。
確かにお堅いオードリーと陽気なローマは実は僕の中でもあまり結びつかないのですよね。「ローマの休日」だけしか知らないとそれはわからないでしょうが、オードリーにはその性格からもむしろパリやスイスの方がずっとずっと向いている、と思います。
この本に書かれていることで、ローマは表面的にだけ人を迎え入れるそうで、よそ者には厳しく、あまりにも真面目で普通で平凡な主婦のオードリーは摩擦が避けられなかった、ということです。
今までの伝記でもオードリーはじっと家で庭いじりなどをしてるのが好きだけれど、ローマ人はパーティーが大好き!みたいに書かれていましたし、やはり本質が違うのかなーと思います。
それとオードリーの親友のコニー・ウォルドやドリス・ブリンナーのことはもちろん、ジュリー・アンドリュースも何度か出てきます。
オードリーとジュリーは仲が良くて、オードリーのスイスにあるグシュタードの別荘で年末を過ごす時にはジュリー・アンドリュース(とその旦那のブレーク・エドワーズ監督)とよく行き来していたとか。
ジュリーはルカにもとても親切だったそうですが、2人の “フェア・レディ” と普通の時間を過ごせたなんて、一般人からすると夢のようなお話ですよね。
そういえばオードリーってスイスにはラ・ペジブル以外に、グシュタードにも別荘を持っていたんですね。
今度スイスへ行く事があったら、その別荘にも行ってみないと!と思いました。
さてルカの本で胸が痛むのはオードリーとアンドレアの離婚のこと、そしてオードリーの死について書かれている箇所です。
ルカは8才くらいの時(ということは1978年)に父アンドレア・ドッティから “ママと私が別れるようなことがあったらどう思う?” と言われて泣き出しています。
この段階で夫婦としての二人はかなりダメになっていたのでしょう。
ルカも父がオードリーとの結婚期間中におびただしい数の不貞を働いたと認めています。
78年〜79年の冬に撮影の「華麗なる相続人」の共演者ベン・ギャザラとオードリーの恋愛もその後に起こっています。
そして離婚を完全に決意したのが1980年の夏。モスクワ・オリンピックを見ている最中に告げられたルカは、その後五輪マークにトラウマを抱えるようになったとか…。正式には1982年に離婚しています。
でもその後オードリーが会おうともしなかったというメル・ファーラーとは違い、アンドレア・ドッティとはお互いに気にかけていたようです。
精神科医でもあったドッティが、離婚後10年して癌のオードリーのカルテを見た時気を失ってしまったとか…。もはや助からないことが医者であるドッティにはわかってしまったんですね。
ルカはショーンに休息を取るように言われて映画館で過ごしていた時に、母オードリーの最期を知らせる電話を受けたと書いています。
きっとオードリーがルカを守るために配慮してくれたのだと良い方に捉えようと書いていますが、母の最期に立ち会えなかったというのは、僕はとても悲しく残念に感じてしまいました。
実際にはオードリーの死の部分は序章に書いてあって、決して読後が悲しくなるような構成にはなっていません。
他にも序章にはルカにとっての母は映画用の白黒写真ではなく、家族のカラー写真の中にあることが書いてあります。
伝記本というにはオードリーが感じていたことが書いてあるわけではなく、なんだかオードリーは脇役のようにも感じますが、これはあくまで息子ルカから見た母の思い出。
確かにここで読めるオードリーは、決して最近イメージが固定化されそうなモノクロ画像の古いスターではなく、ルカの眼に映る、生きて動く本当のオードリーであることは間違いないです。
オススメ度:★★★★★(オードリーファンならぜひ読んでおきたい1冊!)
さて前回に引き続いて「オードリー at Home」についてその2です。
今回はこの本の “伝記” の部分について。
オードリーの公式な伝記はショーンの本だけで完結かと思っていましたが、こうしてルカの目から見たオードリーも見させてくれてとても嬉しいです。
そして思うのは、ルカの父はあくまでもアンドレア・ドッティ氏で、メル・ファーラーは何の接点も無い人だということ。全く出てきません。
この辺はショーンの本では父メル・ファーラーが出てくるのとは全く違うなあ〜と思います。
オードリーが離婚後メル・ファーラーとは会わないようにしていたとのことなので、おそらくルカとメルはオードリーのお葬式以外では会ったことも無いのではないかと…。
そして印象に残ったのは、ドッティ側のお祖母さん(オードリーの姑)の後の旦那で、ルカとは血がつながらないけれども仲の良かったお祖父さんが入院していたとき、お見舞いに行ったルカはその荒れ果てた病院と酷い待遇(お祖父さんと同室の人は亡くなっているのに誰にも気付かれなかった)を見て怒りを覚え、オードリーにその名前を1度だけ使うように頼んだということ。
ちょっと話が逸れますが、日本で大震災が起こった時−それは阪神大震災でも東北大震災でも熊本地震でもそうなのですが−日本人は無秩序にならず、行列を作って配給を受けるのが当たり前なので、暴動や我れ先に物資を奪い合ったりが起こる海外からは驚嘆されていました。
オードリーも日本人と同じで、自分の名声を特別待遇に利用するというのは潔しとせず、常に列には並ぶ、規則・法律・慣例は守る、としていたようです。
ですがさすがにこの時ばかりはお願いしたそうで、それ以来お祖父さんの痛みは和らぎ、もっと良い場所へ移されたそうです。
でもこれもルカには直接明かさず、ずっと後になってオードリー最後のパートナーであるロバート・ウォルダーズから聞いたそうです。
日本といえば、短いですが(6ページ分)オードリーの初来日(83年)のことも書かれていました。
その時は家族総出で来日したので、ルカも一緒に日本を回っていたのですが、オードリーもルカも日本に恋してしまい、家族でいつまでも語り継がれる旅になったと書いてあり、日本人としてはとても嬉しく思いました。
でも今のように世界で日本食がブーム!ということもないので、当時は欧米人には抵抗があったであろう寿司や刺身にはオードリーは決して手をつけなかったと書かれていました。
今だったらきっとオードリーも美味しいお寿司やお刺身を喜んで食べてくれただろうな〜と思います。
ただ当時ルカは13才と幼く記憶がちょっとあやふやなのか、なんでもかんでも写真の場所が金閣寺になっていたらしく、訳者さんの手で修正が入っています。確かに明らかにオードリーのバックは京都御所や宇治の平等院鳳凰堂なのに “金閣寺!” とは日本人としては訳せませんよね。
それにジバンシィと写っているショーの写真も1983年4月9日になってますけど、ジバンシィのショーは日本では4月13・14(以上東京)・16・17(以上大阪)日だったので、リハーサルで写したのでなければ、全然合わないんですけれども…。
そうそう、写真では「緑の館」撮影中(1958年)以来25年ぶり2度目の着物を羽織るオードリーが見れます。
もともとオードリーは日本のことを大好きで、そのために世界中で日本に向けてだけテレビCMに出演しています。しかも2度も!(「エクスラン・ヴァリーエ」と「銀座リザ」)
実際に日本に来て、オードリーは日本をますます愛してくれて、その後機会のあった87年と90年にも来日をしています。
「緑の館」と言えば、映画で共演するために一時期一緒に暮らして懐いていた鹿のイップ(ピピン)を手放す際のイップの様子とオードリーの心理が今までわからなかったので気になっていたんですが、それもこの本で明らかになりました。
オードリーは野生の動物を飼い馴らしてしまった自分をやっぱり許せなかったのですね…。
あと、おぼこくて幼くておとなしい…と思っていたルカにも反抗期があったということが意外でした。
あまりにもあまりなので、オードリーがルカを叩く!と言って追いかけ回したこともあるとか(ルカは浴室に逃げた)。
さらには、ルカのジャケットと住み込みの女性料理長の息子のバイクが突然なくなったので、売り払ってマリファナを吸っているのではないかとオードリーと料理長が心配したことがあったと書かれていました(実際にはごろつきに脅されて取られただけだった)。
それとこれはルカの本なので、ドッティと暮らしていたローマのことも出てくるのですが、オードリーとローマは必ずしもうまくいっていたわけではないことも書かれていました。
確かにお堅いオードリーと陽気なローマは実は僕の中でもあまり結びつかないのですよね。「ローマの休日」だけしか知らないとそれはわからないでしょうが、オードリーにはその性格からもむしろパリやスイスの方がずっとずっと向いている、と思います。
この本に書かれていることで、ローマは表面的にだけ人を迎え入れるそうで、よそ者には厳しく、あまりにも真面目で普通で平凡な主婦のオードリーは摩擦が避けられなかった、ということです。
今までの伝記でもオードリーはじっと家で庭いじりなどをしてるのが好きだけれど、ローマ人はパーティーが大好き!みたいに書かれていましたし、やはり本質が違うのかなーと思います。
それとオードリーの親友のコニー・ウォルドやドリス・ブリンナーのことはもちろん、ジュリー・アンドリュースも何度か出てきます。
オードリーとジュリーは仲が良くて、オードリーのスイスにあるグシュタードの別荘で年末を過ごす時にはジュリー・アンドリュース(とその旦那のブレーク・エドワーズ監督)とよく行き来していたとか。
ジュリーはルカにもとても親切だったそうですが、2人の “フェア・レディ” と普通の時間を過ごせたなんて、一般人からすると夢のようなお話ですよね。
そういえばオードリーってスイスにはラ・ペジブル以外に、グシュタードにも別荘を持っていたんですね。
今度スイスへ行く事があったら、その別荘にも行ってみないと!と思いました。
さてルカの本で胸が痛むのはオードリーとアンドレアの離婚のこと、そしてオードリーの死について書かれている箇所です。
ルカは8才くらいの時(ということは1978年)に父アンドレア・ドッティから “ママと私が別れるようなことがあったらどう思う?” と言われて泣き出しています。
この段階で夫婦としての二人はかなりダメになっていたのでしょう。
ルカも父がオードリーとの結婚期間中におびただしい数の不貞を働いたと認めています。
78年〜79年の冬に撮影の「華麗なる相続人」の共演者ベン・ギャザラとオードリーの恋愛もその後に起こっています。
そして離婚を完全に決意したのが1980年の夏。モスクワ・オリンピックを見ている最中に告げられたルカは、その後五輪マークにトラウマを抱えるようになったとか…。正式には1982年に離婚しています。
でもその後オードリーが会おうともしなかったというメル・ファーラーとは違い、アンドレア・ドッティとはお互いに気にかけていたようです。
精神科医でもあったドッティが、離婚後10年して癌のオードリーのカルテを見た時気を失ってしまったとか…。もはや助からないことが医者であるドッティにはわかってしまったんですね。
ルカはショーンに休息を取るように言われて映画館で過ごしていた時に、母オードリーの最期を知らせる電話を受けたと書いています。
きっとオードリーがルカを守るために配慮してくれたのだと良い方に捉えようと書いていますが、母の最期に立ち会えなかったというのは、僕はとても悲しく残念に感じてしまいました。
実際にはオードリーの死の部分は序章に書いてあって、決して読後が悲しくなるような構成にはなっていません。
他にも序章にはルカにとっての母は映画用の白黒写真ではなく、家族のカラー写真の中にあることが書いてあります。
伝記本というにはオードリーが感じていたことが書いてあるわけではなく、なんだかオードリーは脇役のようにも感じますが、これはあくまで息子ルカから見た母の思い出。
確かにここで読めるオードリーは、決して最近イメージが固定化されそうなモノクロ画像の古いスターではなく、ルカの眼に映る、生きて動く本当のオードリーであることは間違いないです。
オススメ度:★★★★★(オードリーファンならぜひ読んでおきたい1冊!)