2016年08月09日

写真集「永遠のオードリー・ファッション」

 ロンドンで開かれたオードリー展の図録、“Audrey Hepburn: Portraits of an Icon” の日本語翻訳版が出ましたので、今回はその評価を。

 なんと偶然にも昨年のちょうど今日、原書の紹介をしていました。
 なので、時間も昨年と会わせて紹介することにしました。

 まず、皆さんに謝らなければ…と思うことがあります。
 というのは、原書で英語がわからないためにこの写真集の評価を高く付けすぎてしまったことです。

 この度翻訳版が出て内容が全て明らかになったので、評価を2つ下げさせていただきます。
 原書でも“なんか微妙だなー”とは思っていて、そう書いていましたが、全てが明らかになってその微妙さ加減がハッキリしました。

 ということで、この写真集の評価は

オススメ度:★★

 です。原書の紹介ページでも評価を2段階下げさせていただきました。
 この本の中の間違いで★1つ減点、さらにこれがロンドンのオードリー展で与えた影響でさらに★1つ減点です。
 また、昨年の“オードリー・ヘプバーン大賞”での第2位も取り消し、他を繰り上げとさせていただきます。

 本の装丁ですが、日本版はサイズが小さくなっています。
 原書が24cm×29.7cmであるのに対して、日本語版は22cm×25.5cm位です。
 きっとこれは日本の書棚事情に考慮した物かと思われます。
 さらに日本の書籍独特の帯が巻かれています。

 まずは日本語翻訳ですが、前半と後半で翻訳者が違うのか、2人の名前がクレジットされています。

 問題なのは前半の本文。
 「戦争と平和」の監督の名前ですが、日本では“キング・ヴィダー” と表記されるのが一般的ですが、ここでは“キング・ヴィドール”となってます。
 さらには「華麗なる相続人」の日本名が “ブラッドライン” のまま。

 これほどインターネットも普及している中で、このあまりにオリジナルな表記はなんでしょう?翻訳者がきちんと調べてないということですね。
 後半の“オードリーの生涯”のページではそれぞれ“キング・ヴィダー” “華麗なる相続人” になってるので、整合性がとれていません。
 これは最終でまとめる時の編集者にも問題があるかと。

 最近はパソコンで文章を打って、そのまま入稿ということが一般的だとは思うので、きちんと確認せずに本にしてしまったのかと。

 でもまあ、こういうのはご愛嬌で済ませることが出来ます。

 問題だと思ったのは、やはり原書に書いてある部分。

 まずこの本の協力者として4つの海外のオードリーサイトとその管理者が紹介されていましたが、そのうち2つのサイトは僕のサイトから無断で画像を掲載するようなサイトでした。主に日本独自のCM「エクスラン・ヴァリーエ」ですが。

 ほとんど文章も無しに画像や動画だけを載せるサイトというのは、だいたい他のサイトから無断でパクって来て許可も得ずに載せていることが多いのですが、それら2つもそういうサイト。

 1つは無断掲載を抗議してもどこ吹く風でいくつもの画像をその後も掲載し続けていました。後にはWOWOW放送の「エクスラン・ヴァリーエ」の映像を無断でアップロード。

 もうひとつは全然知らなかったのですが、やはり僕の「エクスラン・ヴァリーエ」のポスターの画像を無断転載していました。今では消されているようですが、それを元に他の人が拡散してしまってました。

 “オードリーが好き!” とは言っても、これではオードリーの精神とは程遠い所にいると思うので、僕の中ではそれらの人は “オードリーファン” であるとは思いません。
 オードリーが他人から許可無くパクるでしょうか?ちょっと考えればわかりますよね。
 まずここでそんな人達が関わっている本だと思うととてもイヤな気分になりました。
 
 それと原書でも“50年代は詳しいのに、60年代以降がおざなりだなー” と薄々は感じていましたが、翻訳されてそれがハッキリしました。
 60年代以降の内容の薄いこと薄いこと…。「噂の二人」「パリで一緒に」などはほぼ抹殺状態。

 日本では知ることが困難な、オードリーのオランダ時代やイギリス時代の詳しい逸話が載っているのはとてもありがたいことなのですが、これも他の部分で考えるとおそらく何かの丸写しなのだろうと…。

 というのも最後に参考文献が載っているのですが、ただ単にそれらの2次使用、3次使用に過ぎないと思われるものがそのまんま載っていました。しかも間違いのままで。

 わかりやすい完全なる間違いは、「麗しのサブリナ」への出演のくだり。
 これ、元々はオードリーの伝記の中でも信頼の置けるバリー・パリスのに書いていましたが、それでも誤りはあります。

 「麗しのサブリナ」は “オードリーがブロードウェイの舞台を見て、その原作を映画化してもらえるように自分でパラマウントに働きかけた。” と書いてますが、これが大きな間違い。

 「麗しのサブリナ」撮影開始は1953年9月からなのですが、この作品がブロードウェイの舞台にかけられたのは1953年の11月。
 明らかに映画が先行しています。オードリーはまだ上演されてもいない舞台をどこで見たと言うのでしょうか?
 だいたい9月に撮影だと、契約や準備はさらに半年〜1年くらい前になります。オードリーは「ジジ」の地方巡業真っ最中で、そんな余裕は無いと思います。

 このようなことはIBDb(インターネット・ブロードウェイ・データベース)などという英語で便利な物で簡単に確認出来るのに、それすらしないで間違いをそのまま丸写ししたんですね。

 「麗しのサブリナ」のことを書くなら、オードリーだけの伝記を調べればいいってものでもなく、ビリー・ワイルダー監督に関して書かれている物とかもやぱり調べるべきだよなーって思いました。

 こないだもワイルダー監督の作品に関する本を読みましたが、そこではきちんと「麗しのサブリナ」がブロードウェイ上演よりも先に上映権を獲得して、原作の内容を大きく変化させていったことが書かれていました。オードリーが働きかけたなどということも一切書かれていません。

 それと「マイヤーリング」が1957年当時にヨーロッパで上映されたなどというデマもそのまま掲載。
 これは今までいろんなオードリーの伝記に書かれていましたが、誰もどの国だったのかとか、上映されたなら当然あるはずのポスターの証拠の提示も無いただの都市伝説。

 実際日本で2014年に劇場で上映されてわかりましたが、1957年当時は “キネコ”と呼ばれるキネスコープ・レコーディング(当時の小さいブラウン管テレビで放送されている物を、そのままフィルムカメラで撮るもの。画質も落ちるし、モノクロでしか当時は撮れなかった)でしかテレビを保存する方法がなかったのに、その粗い画質での保存の物を、リマスター技術の無い当時で劇場の大スクリーンにかけることは不可能だとわかります。

 最初に伝記に書いた誰かの文章をそのまま他の著者が確認もせずに書き写していっただけで、ショーンが長らく伝記で1月生まれだと書かれていたことと同じ現象(本当は7月生まれ)。誰も何も調べていません。

 さらに、裏表紙にも載っている画像が本文87ページで “「戦争と平和」撮影の合間” で “1955年6月” というキャプション(原語:DURING THE FILMING WAR AND PEACE)が付いていますが、眉毛の描き方が「戦争と平和」の時期ではありません。

 調べれば簡単にわかるのですが、「戦争と平和」の撮影開始は1955年7月です。“合間(DURING)” ではありませんよね。

 これらで著者が独自で調べたりしていないのが露呈しています。
 全体的に、今までの伝記や雑誌で書いてあったことの中で、著者にとって都合のいいような部分のみを再掲しているような感じです。
 ロンドンでのオードリー展もこういう内容だったのかと、ガッカリしました。

 このような文章なので、おそらく他の部分も参考文献の丸写しが多いのでしょう。日本での「ローマの休日」人気も書いてありましたが、それも日本の雑誌に掲載されていたことそのままでした。

 というわけで、こんなオリジナリティーのない内容の写真集を★4つには出来ません。
 二見書房さんにはせっかく日本版も出していただきましたが、残念ながらあまり高く評価出来ませんでした。申し訳有りません。
 まあでもこの本の真価がわかっただけでも、この日本版の意義はあった、ということで。

 僕が「オードリー at Home」と共に勧めた出版社で出版されなくて、本当によかった!というところでしょうか。
 僕が勧めて確認して頂いた時には既に他の出版社が日本版の権利獲得に動いていたということでしたが、このような本を出してもらっていたら、もの凄い責任を感じてしまう所でした。

 何度も書きますが、最終オススメ度は ★★ です。写真はそこそこ良いのに、あ〜、ガッカリ。
 文章があまり良くないということを承知でお買い求めください。


  
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