2018年02月21日

ベスト・オブ・キネマ旬報 下巻 1967-1993

写真展 “オードリー・ヘプバーン 〜今よみがえる、永遠の妖精〜” に横浜そごうの予定が加わりました!

大丸京都店 <ファッション編120点のみ>(終了)
大丸心斎橋店 <映画編120点のみ>(終了)
松坂屋名古屋店 <240点の中から抜粋>(終了)
日本橋三越本店 <240点が一挙に展示>(終了)
・大丸札幌店 <約150点>
 期間:2018年3月7日(水)~ 3月19日(月)
 場所:7階ホール
・大丸神戸店<約150点>
 期間:2018年3月21日(水)~ 4月3日(火)
 場所:9階大丸ミュージアム
・そごう横浜店<約150点?>←NEW!
 期間:2018年3月23日(金)~ 4月2日(月)

 公式サイトはこちら

 前回上巻を紹介した“ベスト・オブ・キネマ旬報” の今度は下巻 1967-1993。

 上巻が16年のことだったのに対して、こちらは26年間の記事の抜粋。
 ずいぶん収録している期間の幅が違いますよね。

 確かに日本でも1958年に映画人口のピークを迎え、1961年に映画館数のピークを迎え、その後はテレビの台頭によって坂道を転がるように数年で映画人口も映画館の数も半分以下に減ってしまった時代では映画の占める大きさというものが必然的に変わってしまいますよね。

 オードリーも67年初頭の「暗くなるまで待って」撮影から〜75年夏の「ロビンとマリアン」撮影まで半引退状態だったこともあり、下巻ではあまり出番がありません。

 最初に登場するのは67年10月上旬号。
 “女優結婚論” というテーマで、“オードリー、お前もか” という小見出しでかなりの文字数を費やしてオードリーの離婚のことが書かれています。

 オードリー側にはもちろんメル・ファーラーとの離婚には色々と事情があったのでしょうが、ファンからすると離婚とは縁の無さそうなオードリーが離婚してしまった!というのはかなりなショックだったらしく、当時は女性週刊誌などでも取り上げられています。

 この段階では「暗くなるまで待って」はまだ日本未公開。最新公開作は「いつも2人で」ということになります。

 文章の十返千鶴子さんによると、

 オードリーは全く世帯臭さがない。
 「いつも2人で」も“お嬢さん奥さん” としか印象付けられない。むしろ娘時代の方が生き生きしている。
 13年もの長い結婚生活が芸の上でのプラスになってない
 根が聡明なオードリーだから、離婚をきっかけに大きなジャンプを見せることだろう。

 となっています。

 が、オードリーの一生を考えたときに、結局スクリーンのオードリーには世帯臭じみたものは一切出なかったし、離婚を機に女優としてジャンプするのではなく、妻として母として家庭に入ることを選んでいます。

 ここで著者が語り、著者の頭の中で作り上げたオードリーへの願望はオードリー自身の望む方向とは全く違うということですね。

 オードリーは “貞淑なプライベートを持つ大女優” ではなく、“良き妻であり母である一般の主婦” を目指していたわけです。
 “離婚をするなんてオードリーもスキャンダラスな女優なんだ!” とファンが考えるより、もっとずっとフツーで真面目だったわけですよね。

 そしてオードリーは晩年にユニセフという、これこそが今まで女優をして来たご褒美だったんだ!という活動に自分を投じるわけですよね。
 なのでオードリーは普通を目指しながら、もっとずっとファンが考えるよりも高みに昇っていた(しかも自分では無意識に)ということだったんですよね。

 次は1972年3月下旬号に芳賀書店のシネアルバム「オードリー・ヘプバーン きらめく真珠のように夢みる白鳥のように」が映画の本の新刊として紹介されています。

 ファンになった初期にとてもお世話になったシネアルバムの最初の刊行がここで行われていたんだなぁ〜と感慨ひとしおでした。

 その次は1976年6月上旬号。
 「ロビンとマリアン」…のことではなく、来日した映画音楽家ニーノ・ロータへのインタビューです。

 ここでインタビューアーが「戦争と平和」で作曲した縁でオードリー・ヘプバーンのことを振ったところ、

 友人のひとりだ。「戦争と平和」のセットで初めて紹介されたとき、輝くばかりに美しかった。
 感じがよく、スターぶらず、繊細で真面目で規則正しい女性だ。
 「戦争と平和」では歌を歌うので、曲を練習するのに作曲者の私自身から教わりたいと言ってきた。
 映画がアメリカで成功したとき、オードリーは私の音楽がとても素晴らしかったと電報を打ってきた。女優からこんな電報をもらったのはオードリーが最初で最後だ。

ということを語っています。

 そして次はだいぶ飛んで1993年3月上旬号。
 そう、オードリーが亡くなったことへの追悼記事です。

 次の3月下旬号ではオードリーの大特集になるのですが、この下巻で載っているのは上旬号の淀川長治さんの記事のみ。

 淀川長治さん…正直、オードリーのファンには受けが良くないです。
 確かに映画評論家としては一般には一番有名な方なのですが、映画の評論よりもスターの解説がヒドイです。

 ご自分の想像で作り上げたスターを、さもそれが実像かのように語ってしまうのがどうにもいけません。

 ここでもオードリーが不幸だったと断言。“女優というよりも美しい人、その美しい人を映画が無理に女優にした。この女優生涯の苦しみを背負ってオードリーは死んだ。” と妄想炸裂!の文章で締めくくっています。

 オードリー、不幸じゃないです、きっと!
 確かに幼い頃から夢見て一生続くと思っていた結婚は2度も破局を迎えたし、スターになってからはパパラッチに追われる毎日だったでしょう。63年という生涯もかなり短いと考えてもいいでしょう。

 でもとても欲しかった子供は2人も息子に恵まれたし、最後にはロバート・ウォルターズというパートナーにも出会えた。
 ドリス・ブリンナーやコニー・ウォルドやビリー&オードリー・ワイルダー夫妻といった親友もいたし、ジバンシィのようなオードリーと持ちつ持たれつの関係の兄弟のような心の友もいた。

 晩年は戦争後に自分の受けた恩をユニセフで返すことも出来たし、スイスのラ・ペジブルでは花や草木の手入れをするのが幸福だった。
 最期にはジバンシィの手配でアメリカからラ・ペジブルに帰ってこれて、大好きな家族たちに看取られて逝くことができた。

 これのいったいどこが不幸だと言うのでしょうね?
 女優としての“オードリー・ヘプバーン” など、オードリー自身にとって占める割合は微々たるものだったと思いますよ。

 オードリー自身が言ってたように、オードリーは今と前を見て生きていきたい!という人ですし、自分の映画なんてプレミアが終わった後は晩年になるまで全く見なかったほど。

 そして淀川長治氏の悪いところは作品の評価にも…。

 淀川長治さん、一度書いたことを平気で翻すのがお得意で、読んでる僕らがウンザリしてしまいます。

 それでも「パリで一緒に」のパンフレットで褒めて書いているのを、ここでは“最低”などと二枚舌なのはその作品のパンフレットではけなすことも出来ないかもしれないのでまあ仕方ないと100歩譲りましょう。

 が、映画雑誌同士で過去にオードリーのベストの1本に挙げていた「昼下りの情事」をここでは “悪魔っ子アリアーヌはとてもオードリーの柄じゃない” と記述。

 「尼僧物語」がある限り、オードリーの(女優)生命は長く強く健全だと信じる。と以前書いていたのに、こちらでは 修道院の苦しみはオードリーからは響いてはこなかった、となってます。

 公開当時の「映画の友」誌でベタ褒めだった「いつも2人で」もこちらでは反応うすっ!

 おそらく淀川長治さんは仕事柄次々と新しい作品を見るので、1度見た作品は2度と見ないということが多かったでしょうから、これらの変節については自分の記憶にあるそれらの作品の印象が薄れてしまって、お得意の妄想で脳内補完していったからだと思われます。

 次号のオードリー特集では吉村英夫氏にオードリーのことを書かせているし、自分とは合わないけれども見方は間違っていないのだろうと思っていた「キネマ旬報」に対する信頼が一気に失墜したのがこの時だったのを覚えています。

 全体の印象として映画産業が活気付いていた上巻の時代と比べ、下巻の映画界全体(特に邦画)が低迷している感が凄いです。オードリーの資料的にも上巻の方が役立ちます。これはセットで入手しましたが、上巻だけでも充分かと思われます。
  

Posted by みつお at 21:00Comments(0)批評・評論など

2018年02月17日

ベスト・オブ・キネマ旬報 上巻 1950-1966

写真展 “オードリー・ヘプバーン 〜今よみがえる、永遠の妖精〜” に横浜そごうの予定が加わりました!

大丸京都店 <ファッション編120点のみ>(終了)
大丸心斎橋店 <映画編120点のみ>(終了)
松坂屋名古屋店 <240点の中から抜粋>(終了)
日本橋三越本店 <240点が一挙に展示>(終了)
・大丸札幌店 <約150点>
 期間:2018年3月7日(水)~ 3月19日(月)
 場所:7階ホール
・大丸神戸店<約150点>
 期間:2018年3月21日(水)~ 4月3日(火)
 場所:9階大丸ミュージアム
・そごう横浜店<約150点?>←NEW!
 期間:2018年3月23日(金)~ 4月2日(月)

 公式サイトはこちら

 オードリーの物を買う場合、2つの理由があります。

 1つはもちろんオードリーを見るためのもの。写真集やポスターなどがこれに当たります。

 僕の場合は “オードリーを見る” のが大きな目的なので、写真ではなくイラストにすぎない海外版のポスターなどは価値が有ろうが無かろうが全く興味をそそられません。オードリーに似てないことの方が多いし。

 もう1つはオードリーを知るためのもの。伝記や評論などがこちら。
 どちらにも当てはまるものもあります。公開当時の雑誌やパンフレットなど。

 今回はオードリーを知る為に大きく振っている本の紹介です。オードリーの写真などはほとんどありません。
 1994年12月キネマ旬報社発行、“ベスト・オブ・キネマ旬報”の上巻です。

 これはキネマ旬報創刊75周年、戦後50年ということで発行されたキネマ旬報の過去の記事から抜粋して再録したもの。
 誤植などもそのままで掲載されているそうです。

 上巻は1950(キネマ旬報戦後の再刊の年)-1966まで。
 オードリーが活躍していたのは主にこちらの方ですね。

 オードリーがこの本で最初に出てくるのは1954年1月下旬号。“海外大監督の芸術と技術”というテーマでの映画評論家たちの座談会。
 清水千代太氏、清水俊二氏、双葉十三郎氏など当時の錚々たるメンバー6人での対談になっています。

 ここではウィリアム・ワイラー監督のことで最新作「ローマの休日」が少し語られるのですが、載ってる写真はオードリーの顔が見切れているもの。
 今なら絶対に有り得ない写真の選択ですね。でもこれが見たことない写真で有難い。

 当時「ローマの休日」の一般公開はまだでしたが、すでに批評家は試写会で見ていたようです。

 以下、一部抜粋です。

 清水俊二:「ローマの休日」は意欲が感じられないね。
 双葉十三郎:材料が材料だからね。その代わりうまさの点では大変だ。
 清水千代太:かつぎ込んでから、酔っぱらってるオードリイ、あそこはうまい。
 清水千代太:ハリウッド映画の作り方そのままでいて、フレッシュなものがあると言うことね。
 清水俊二:「ローマの休日」を見たときに、その昼間「素晴らしきかな人生」を見た。これはキャプラの名作ではないが、あとでワイラーを見ると、キャプラが実にチープに感じられる。ああいうことはやはり風格なんだね。

 次は1954年5月上旬号。
 “現代が求める新しいタイプと演技” ということで “全く新しい個性の魅力オードリイ・ヘップバーン” としてトップで登場。
 他にはシモーヌ・シニョレとマリリン・モンローがあります。

 記事の入稿期限から考えて、これは「ローマの休日」初公開直前の記事。
 公開前からオードリーは一大ブームになっていたらしいので、すでにこの時は巷ではオードリーを真似する若い女性が街にあふれていたでしょうが、「ローマの休日」の出来の良さ、オードリーの新しさでこうしてお堅い雑誌の「キネマ旬報」までオードリーを持ち上げる記事を書いていたんだなーって。

 また「ローマの休日」が前評判を上回る出来だったので、見た人もますますオードリーブームに拍車をかけたことでしょう。

 次が1954年6月下旬号。
 “オードリー旋風・二億三千万円 -「ローマの休日」空前の記録を作る-” という記事で登場。

 こちらは公開後の記事。ここでは日本公開の洋画歴代トップの配給収入(現在のランキングの興行収入ではなく、この当時は映画館の取り分や広告費を省いた純粋な配給会社の取り分でランキングが付けられていた)を叩き出した「ローマの休日」の記事。

 日比谷映画劇場の「ローマの休日」での大行列の写真も載っています。貴重!

 ここでは東宝チェーンマスターの日比谷映画劇場の劇場支配人、パラマウント社宣伝部長、パラマウント社営業部長、毎日新聞び記事、の4つの文章が掲載されています。

 日比谷映画劇場などのAクラスの劇場では従業員1人当たりの稼ぎ高が当時20万円くらいのところ、「ローマの休日」は1人100万円以上の稼ぎ高だったそうです。
 ちなみに1954年当時の大卒初任給が8700円、映画が130円の時代なので、100万円というのがいかに凄いかがわかりますよね。

 パラマウント社の営業部長さんは日本で公開を先行したのは4月21日の佐世保富士映画劇場であると書いてます。
 続いて公開した名古屋ミリオン座(23日公開)ではシネマスコープの第1弾「聖衣」を軽く抑えて名古屋地区洋画興行始まって以来の記録を作り、前年作られた「地上最大のショウ」の記録を抜いたとのこと。

 さらに途中からオードリーの人気が高くなり、宣伝の主力がオードリーにかけられていったことが書かれていました。

 その次にこの本で出てくるのは1957年10月上旬号。“女性観客層の研究”という記事。

 ここでは同じビリー・ワイルダー監督の「昼下りの情事」(松竹セントラル)と「翼よ!あれが巴里の灯だ」(有楽座)が同時日本公開(1957/8/15)され、どちらも非常にいい出来だったためその興行成績が注目されたのですが、「翼よ!あれが巴里の灯だ」ももちろんヒットだったけれども、女性に支持された「昼下りの情事」の方が圧倒的な記録破りの成績だったことが実証された、と書かれています。

 この記事では他に観客層のことが書かれているのですが、観客は圧倒的に女性で、それも10代20代が多いとのこと。女性同士のグループが多く、アベック(カップル)の若い人たちも多いそうです。

 劇場ではたえず笑い声やざわめきが起き、映画と一緒にその時を楽しんでいるのである、と書かれています。

 こういう初公開時の様子がわかるのも嬉しいですね!

 次は1957年11月下旬号。この号ではミュージカル映画についての特集だったようで、何人もの人がミュージカルについて書いているのですが、二人の人が最新作の「パリの恋人」に言及。その評価が対照的で面白いです。

 鳥海一郎という人は「パリの恋人」について、一応見せる。しかしパリを美しく撮し込んでヘップバーンにファションショウもさせようという欲張りかたに無理がある。教会の場面など、ソフトフォーカスを使って気取りすぎ、印象が散漫になった。と僕の嫌いな吉村英夫氏的論調。てか、吉村英夫氏は全く同じことを書いてたなあ…それってこれが元ネタ?みたいな。

 もう一人の森満二郎という人は「パリの恋人」を、ドーネン監督らは舞台的ではなく純粋に映画感覚でミュージカルを推進していこうとしている。「パリの恋人」もこうした傾向のすぐれた試作である。この映画では極度に色彩効果とスタイルに神経を働かせてるのが大きな特徴になっている。エッフェル塔でのシーンも快適なリズムをはずませていく演出などはこの監督の身についたミュージカル映画の本当の味が自然ににじみ出ている。これは映画だけが表現できるリズムである。と書いてます。

 鳥海氏は「パリの恋人」を今までのミュージカル映画と比較してその枠からはみ出た部分を認めていないのに対して、森氏は全く新しいミュージカルを「パリの恋人」に見ている。

 「パリの恋人」がその後の欧米のグラフィック・デザイナーや写真家やファッション・デザイナー、プロデューサーやディレクターに与えた影響を考えると、そして「パリの恋人」の現在の評価をみると森氏の見方がより多かったのかと。

 次は1958年1月下旬号で “わたしたちの生活と仕事” として岡田茉莉子・南田洋子・香川京子・有馬稲子・久保菜穂子という女優さんの対談で「昼下りの情事」のことが出てきます。

 オードリーとは関係ないのですが、南田洋子さんが「昼下りの情事」でアリアーヌの父がクーパーの所へ行って “あれは私の娘だ” というところが何にも芝居をしないのにそれがすごくいい、日本だと相当な芝居をしなければ批評家もお客さんも承知しない。あれが映画の演技なのに…ということを述べて、岡田茉莉子さんもそれに同調しています。

 確かに昔の日本映画はちょっとわざとらしいクサイ演技が多いですもんね。でもそれを演じていた女優さんたちはそれを実は不満に思っていた、と。

 次はちょっと飛んで1965年正月特別号(1/15発売)。
 ここでは岡俊雄・南部圭之介・双葉十三郎・草壁久四郎という4人の映画評論家が “世界市場の看板スター10人” という名目で、なぜか日本市場での興行価値のあるスター10人を選んで対談しています。

 まず文句なく1位に出てきたのがもちろんオードリー・ヘップバーン!これは誰も異論がありませんでした。
 当時の日本のマネーメイキングスターのトップは圧倒的にオードリー!でした。

 2番目はジョン・ウェインということですが、岡氏がこのごろ少し落ちてない?と言ってます。
 今となってはええっ?ジョン・ウェインが2位!?って感覚ですが、当時はそうだったのでしょう。確かに昔チラシの人気はジョン・ウェインがすごく高かったそうですからね。きっとこの時代に青春だった人が集めていたのでしょう。今ではずっと価値は落ちているでしょうけど…。

 3番目はエルビス・プレスリー。これも今では意外!
 4番エリザベス・テーラー、5番スティーブ・マックィーン、6番ジャン・ポール・ベルモント、7番アラン・ドロン、8番クラウディア・カルディナーレ、9番チャールトン・ヘストン、10番ブリジット・バルドーということでひとりひとり語られて行きます。

 オードリーに関しては、

 この人はずいぶん長い。「緑の館」でダメかと思ったけど。
 「ローマの休日」の次が「昼下りの情事」。
 「ローマの休日」の後ファッションの「麗しのサブリナ」。
 「尼僧物語」で彼女のいちばん良いきわめつけみたいな役で、「許されざる者」がまたよくて、「ティファニーで朝食を」という大変洗練されたコメディが来て、「噂の二人」。
 最近はファッション要素が強い。それが非常な強み。
 「マイ・フェア・レディ」でまた客層を広げて難攻不落。
 十年に一人の人。
 オードリーに匹敵するのはガルボだけど、観客層のスケールはオードリーの方が倍くらい大きい。
 人気は長いのに年は取らない。妖精だ。
 ここのところすごくバラエティに富んだ役をやって、みんな完全に自分のものにしている。
 個性はガルボの方が強いが、演技力はオードリー。キャサリン・ヘプバーンも名女優だけれども、持っているものは古い。
 彼女のベビー・フェイスが不安。年齢の限界がどの辺で来るか。
 ソフィスティケートされた役が多いから年をとっても大丈夫。
 1年か2年で1本しか作らなくても人気を保てている。

ということが書いてあります。

 エリザベス・テーラーのところではリズが32才だということで、意外と老けたような感じを与えるようになった。オードリーとは格段の違い。ヘップバーンはハイティーンの役ができるからね。と比較されています。

 ブリジット・バルドーのところではオードリーの反対の意味でバルドーを嫌いな人は非常に多い、と書かれています。

 1965年2月下旬号なのか3月上旬号なのかはわかりませんが、「麗しのサブリナ」の1965年リバイバル時の広告もそのまま掲載。

 上巻での最後のオードリーに関するページは1965年8月下旬特別記念号の戦後二十年高配給収入映画ベスト100ということで東(日本映画)・西(外国映画)で50本ずつ配給収入とともに掲載されています。

 この段階での50本なので、「マイ・フェア・レディ」は公開中でまだ成績が出ていないのと、「ローマの休日」「戦争と平和」はリバイバルの分が入っていません。

 この時の「ローマの休日」が2億9618万8千円で19位、「戦争と平和」が2億9376万3千円で20位、「シャレード」が2億5668万8千円で24位となっています。

 この後、67年はじめ頃には「マイ・フェア・レディ」が7億8867万4千円の配給収入をあげて「ウエスト・サイド物語」や「アラビアのロレンス」を抑えて歴代第4位に食い込み、「ローマの休日」は63年リバイバル分が入ると4億7119万3千円となって13位に上がり、「戦争と平和」も64年リバイバル分で3億8656万7千円となり20位内をキープします。

 他にも「昼下りの情事」が65年リバイバル込みで2億2537万円、「おしゃれ泥棒」は2億4801万8千円と次々と上位に食い込んで来ます。

 サイズはキネマ旬報と同じB5ですが、総ページ数1688p!全盛期の電話帳2冊分くらいの分厚さがあります。
 濁ったオレンジ色の表紙カバーに帯が付いていますが、そこには「麗しのサブリナ」のオードリーも居ます。
  

Posted by みつお at 21:00Comments(0)批評・評論など

2018年02月11日

週刊少年マガジン1976年3月7日(第10)号

 もう一つのブログ 「おしゃれ泥棒 オードリー・ヘップバーン!」の方に “91.サントラから考察する「尼僧物語」” “92.「いつも2人で」に関する深読み”の2つの記事をアップしています。
 どちらも過去にこちらで書いていた一部の再録ですが、だいぶ昔の記事からなので、読んでいただけると嬉しいです。

写真展 “オードリー・ヘプバーン 〜今よみがえる、永遠の妖精〜” に横浜そごうの予定が加わりました!

大丸京都店 <ファッション編120点のみ>(終了)
大丸心斎橋店 <映画編120点のみ>(終了)
松坂屋名古屋店 <240点の中から抜粋>(終了)
日本橋三越本店 <240点が一挙に展示>(終了)
・大丸札幌店 <約150点>
 期間:2018年3月7日(水)~ 3月19日(月)
 場所:7階ホール
・大丸神戸店<約150点>
 期間:2018年3月21日(水)~ 4月3日(火)
 場所:9階大丸ミュージアム
・そごう横浜店<約150点?>←NEW!
 期間:2018年3月23日(金)~ 4月2日(月)


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 今回は講談社発行の “週刊少年マガジン”1976年3月7日(第10)号の紹介。
 後ろの方に次号の発売日が2/18と書いてありますので、ちょうど42年前の今日(2/11)に発売されたことになります。

 表紙は「マイ・フェア・レディ」のオードリー。その表紙にも書いてありますが、この号は巻頭カラーで淀川長治さんが選んだ女優67人が掲載されています。

 漫画雑誌だというのに、表紙が掲載されている漫画じゃないっていうのも珍しいですよね。

 中を見るとこの当時の少年たちが夢中になっていたものがわかりますね。

 この号でも女優のことが特集されているように、この時代は洋画のチラシ集めが流行っていたようです。
 この特集の最後のページには “チラシカレンダー”なるものがプレゼントになっていました。

 それと広告でわかるのは切手集め。でも「シャレード」の頃にピークを迎えていた切手の収集は、そろそろこの辺りで終焉を迎えている感じがします。
 僕の周りでももう切手を集めていたのはごく少数でした。僕自身も切手の何が楽しいのかよくわからなかったので、集めてませんでした。

 あとはエポック社のミニゲームとか、ブリジストンのダブルフロントライトの自転車などが広告で掲載。

 読者へはマトリックス4chのステレオセットがプレゼントになっています。

 女優の選択は淀川長治さんがやっているので、サイレント映画の女優からその当時の現代の女優までが選ばれています。

 サイレント映画の女優さんは一番古くて1916年の代表作の人(パール・ホワイト)も混じっているのでかなり古い感じがしますが、1976年に対して1916年だとこの号の発売年から考えてちょうど60年前。

 …待って待って!今から60年前だと1958年。オードリーはとっくに活動を開始してますよね!
 1958年当時、オードリーは1〜6月は「尼僧物語」、7〜11月は「緑の館」を撮影してました。

 そしたら今の若い映画ファンたちは、僕らの世代がサイレント映画の女優さんを “自分とは縁遠い大昔のスター” という感覚でオードリーを見てるんでしょうか!?ヒエーってなりますよね!

 さて、表紙は人気抜群のオードリーでしたが、本文では小さな扱い。これも淀川長治さんのチョイスだからでしょうか?

 そういえば、“映画スター” という概念を作ったと言われるサイレント時代のメアリー・ピックフォードや、「サウンド・オブ・ミュージック」のジュリー・アンドリュースなどが選ばれていません。

 1ページ3×3の9人なんですが、トップページはマリリン・モンローだけで、一番大きな扱いはイングリッド・バーグマンとフェー・ダナウェーの2×2サイズ。

 次いで1.5×2がエリザベス・テイラーやカトリーヌ・ドヌーブなど6人、その次が1×2のビビアン・リーなど3人。

 この当時の最新の女優さんはフェー・ダナウェー、ジャクリーン・ビセット、キャンディス・バーゲン、キャサリン・ロス辺りでしょうか。

 最終ページにはオリビア・ハシーやゴールディー・ホーンなどが載っているのですが、代表作が1960年代でその後パッとしない女優さんは、既に縁遠い過去の人たちでした。

 なお、オードリーの写真を見ていただくとわかるように、本文でも「マイ・フェア・レディ」のカラー写真。
 ここで載っている女優さんたちは1940年代のスターまでがモノクロで、1950年代以降の女優さんは全員カラーで載っています。

 今はモノクロ女優のように扱われてしまっているオードリーですが、現役時代はれっきとしたカラー映画の女優さん、という扱いでした。

 オードリーの欄では「麗しのサブリナ」を「麗“わ”しのサブリナ」となっているのが時代ですね〜…。
 手動で文字組みをしてた時代では「麗しのサブリナ」は、よく送り仮名が間違えられていました。
 勝手に変換してくれる今の時代では逆に「昼下りの情事」が「昼下“が”りの情事」によく間違えられますね。

 この号に載っている漫画は「おれは鉄兵」「釣りキチ三平」「天才バカボン」「野球狂の詩」「愛と誠」「三つ目がとおる」「イヤハヤ南友」などがあります。
  
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Posted by みつお at 18:00Comments(0)日本の雑誌