2011年03月03日

中川右介:著「大女優物語 オードリー、マリリン、リズ」

 こういうのがあるのを見つけたので、アマゾンで安くなっている中古を買いました。
 中川右介って人の書いている「大女優物語 オードリー、マリリン、リズ」って本。

 こういうオードリーの評論ってのはあんまり調べもせずに書いた、適当な押し付け評論なんだろなと思って中古しか買わなかったんですが、まあそれで正解。

 オードリーとマリリン・モンローとエリザベス・テイラーを時間軸ごとに並べて書いているので、その時代の流れは掴めてそれなりに面白いんです。
 エリザベス・テイラーがこれこれこういうことをして、既にスターだった時に、マリリンとオードリーは何をしていたのか、とかってのが新しい観点で、新鮮です。

 マリリン・モンローなんて、リアルタイムで活躍してた時の日本では考えられないくらいアメリカでは人気があったじゃないですか、それが最後まで出演料10万ドルって…。

 エリザベス・テイラーが20世紀フォックスで「クレオパトラ」を100万ドルで契約して話題になってた時に、会社に莫大な富をもたらした20世紀フォックスお抱えのマリリン・モンローには10万ドルのギャラ…。これはマリリンじゃなくても凹みますよね。
 オードリーだって当時は既に30万ドルくらいはもらってます。やっぱこれはエージェントの違いなんですかね。
 なんかマリリンだけ常に空回りしてて、同情しちゃうような内容です。

 でもですね、この本でオードリーのことだけに目を向けたときは、ちょっと疑問なことが。
 参考資料にメイチックの伝記や吉村英夫氏の評論が入ってますしね。まあ本文ではそれらのトンデモ本の丸写し的なところはないのでまあいいんですが、問題はこの作者の感性で書いてるところですね。

 「ローマの休日」で、サンタンジェロの大騒ぎのあと、河を渡って逃げるアン王女とジョーですが、その後の空白の時間に二人が「寝た」のではないかと書いてるんです!

 もし誤解を与えたくないのなら、その後の二人のやりとりを描くべきだ!とも、その後自立したアン王女の理由付けとしても使用しています。
 この辺、ちょっと吉村英夫氏のような臭いがプンプンしますね。

 別に「寝」なくても、女性は自立できると思いますけど?ましてや、王女の自覚を持つのは自分の責任感を感じてじゃないですか。それはむしろ何も出来ない二人だからこそ余計に痛切に感じたんじゃないかと思うんですよね。

 作者も書いているようにその時のベッドは乱れてないですし、ジョーのそれまでの描かれ方からも、アン王女に迫ったとは考えにくく、著者の勝手な妄想に陥っていると思いますけどね。

 それに、映画で物事を描くかどうかは、そこにそういうシーンが必要かどうかで決まるもので、もうここのシーンはこれで完成してますよね。そこに「これを着て」「ありがとう」なんて著者が主張する“やりとりを描くべき”だなんて全然思いませんけど。

 最後の解説でも “「オードリーの映画ならなんでも好き」と答える人がいるが、それは名作を貶めることになる。” なんて自分の考えの押し付けが入ってますが、だって全部のオードリーを好きなのは仕方ないじゃないですか?実際そうなんだし。

 何も万人が名作だけを好きなわけじゃないし、人によって好きな作品も違う。僕もウィリアム・ワイラー監督では「ローマの休日」より「おしゃれ泥棒」の方が好きですよ。自分の思い入れのないどんな名作を見るより、僕はどんな評価でも「緑の館」や「華麗なる相続人」を見たいんです!

 ファンってそういうもんでしょ?そこへどこぞの社長さんで編集長さんだかが偏狭な考えを押し付けようったってそうはならないです、残念ですけど。

 あと、オードリー自身が“楽しかった”と述べた「パリで一緒に」の撮影現場を伝記を鵜呑みにして辛い現場にしてることや、「ティファニーで朝食を」を傑作でないとか「マイ・フェア・レディ」を最大の失敗作とか書いて決め付けてるのもどうも感性が僕とはあまりに合わなくて、まあちょっと面白い勝手な創作読み物程度の評価ですかね。

オススメ度:なし。吉村英夫氏ほどヒドくはないけれど、単なる自己満足本で、読む必要もない。




同じカテゴリー(批評・評論など)の記事
 ピーター・ボグダノヴィッチ著「私のハリウッド交友録」 (2016-02-16 09:00)
 買って失敗した!と思ったもの その2 (2014-08-20 12:00)
 Vogue on Hubert De Givenchy (2013-11-01 19:00)
 オードリー・ヘプバーンとティファニーで朝食を (2011-12-03 09:00)
 北野圭介 著:大人のための「ローマの休日」講義 (2009-12-29 10:00)
 「オードリーのように…」パメラ・キーオ:著 近代映画社 (2009-12-28 10:00)

この記事へのコメント
お久しぶりです。

なんだかこの本は立ち読みで正解だったようですね…
Posted by take at 2011年03月03日 20:18
みつおさん、ご無沙汰してます。
いつも興味深い楽しい記事を書いてくださっているのにロムってばかりですみません。

中川右介氏、オードリーに関する本まで出していたのですね。
この人いままでクラシック界や歌舞伎界に関する本も出しているのですが、取材もせずかき集めた資料だけを使って独断と偏見で書いているのですこぶる評判のよろしくない人です。

この人は自分の本で、僕が尊敬する6代目中村歌右衛門の晩年の芸を、実際の舞台は殆ど観ていないもかかわらず「老醜」という言葉を繰り返し使って貶めています。
また逃げ口上として「芸が素晴らしいと云う人もいるが、その人は舞台上の歌右衛門の老醜に目を背けている」と書いており、まさに云いたい放題です。

みつおさんが書いているこの本の内容もまさにオードリーに関して云いたい放題の感がありますね。

この人と吉村英夫氏の本は間違っても(たとえ暇つぶしでも)読まない方が精神衛生上良いみたいです。
Posted by 時雄 at 2011年03月03日 21:35
>思い入れのない名作よりも、「緑の館」や「華麗なる相続人」を見たい。
拍手!ファンの心境ですね。嬉しくなりました。
よくファンの欲目とか贔屓の引き倒しなんて云うけど、
この世の中に公正な映画評論なんて存在しないってのが最近分かってきたことなので、我らは大いに楽しみ豊かになりましょう。
この2作品、確かにビミョーだけど、不当なほどに低評価の人がいて
世の中他にもっと駄目な作品あるだろ~って憤ったことがあります。
「緑の館」双葉センセイの採点覚えてますか?
「華麗なる相続人」にいたっては、海外のレイティングブック(レオナルド・マーティンだったかな?有名らしいです)で最低点の★ひとつよりひどいBOMB扱いでした。
TURKEYという採点のもありました。最低以下というらしいです。
思うに、オードリィ作品だと期待も大きく、大した出来じゃないと余計に悪く感じるからかなとか、可愛さ余ってなんとやらかなとか
自分でいいように解釈はしてるんですが、何か大切なものに泥をつけられたような思いで本当にガックリきます。
「パリで一緒に」への淀川さんのコメントもね(一万円出されても何とやら・・・のアレです)

●お互い何度も書いて確認し合ったけど、
オードリィの作品って本当に良作・佳作揃いですよ。
これこそが“公正な”評価だと思います。
(さっき存在しないって書いたくせに、へへ(^^)
とにかく一般的には失敗作かもしれない映画でも、
なんかいい感じの作品になっている。
それは主演女優の魅力が絶大だから、他のメンバーにも影響を与えていて、
どうにもダメなBOMBとかTURKEYとか一万円でも…とかには
ゼッタイにならないのであり、これはファンだから書くことではないのです。

好きなものや敬愛する人物をけなされるのは不愉快ですし、誰かを傷つけてしまう。
モノを書く人間は本当に気をつけなければなりませんね。

>マリリンの10万ドル
軽く見られていたんですかね、オドロキました。
マリリンを愛する男たちって実力者揃いだったのになぁ。
エージェントの力が絶大なのはよくいわれますね。
生き馬の目を抜くハリウッドで単身では渡り歩けない。
オードリィもセシルBデミル受賞のスピーチで、
最後に別格扱いでカート・フリングスに謝辞を述べていましたよね。
なんか長くなってスミマセン。
Posted by まる at 2011年03月03日 22:15
>takeさん

はい、立ち読みで充分で、それならそこそこ楽しめると思います。(^-^
お金を出すなら、アマゾンの1円で充分ですね。
送料を考えたら、高いくらい!
Posted by みつおみつお at 2011年03月03日 22:19
>時雄さん

いえいえ、ロムってくださっててありがとうございます!(^-^

この著者は他でも評判がよろしくなかったんですか?
クラシックではカラヤンの本も書いていて、この大女優物語を読むまでは
ちょっと興味もあったんですが、この本を読んですっかり読む気が萎えました。
なんかこういう偏見の塊みたいな文章を読まされると、
あとの本も推して知るべしになってしまって、
すっかり著者に対しての信頼度がなくなってしまいますよね、

それと、「老醜」って言葉を安易に使用する人は、オードリーに関してもそうですが、
もうそれだけで人間的にどうよ!と思ってしまいます。
人は必ず老いるもので、年をとったら若さの輝きは失われるのは仕方ないですよね。
それでも舞台上の芸や映画の演技や生き方が素晴らしければ、
失われた物の代わりは充分果たすと思います。
6代目中村歌右衛門さんですか?その方の舞台は観ていませんが、
遠めに見る舞台だったらなおさら老いは関係ないですよね。

「老醜」って書けるのは、自分が若いと思い込んでいる、
あるいは若さを熟練よりも価値が高いと思い込んでいる人間の
浅はかな思い上がりだと思っています。

吉村英夫氏の本は本当にムカムカしますが、
この中川右介氏の本はそこまでではないです。失笑するくらいですかね。(^^;;;
Posted by みつおみつお at 2011年03月03日 22:38
>まるさん

そうなんです。名作を貶めるなんて、全然思ってないのに…ですね。
不当なのはむしろ他の作品に対してですよね。
著者の「ティファニーで朝食を」や「マイ・フェア・レディ」の評価こそが
名作を貶めてると思いますけどねー。

「緑の館」と「華麗なる相続人」、それと「パリで一緒に」や
あんまり言われないけど「ニューヨークの恋人たち」とかは評価低いですよね。
でも、僕は「緑の館」はオードリーの美しさにうっとりだし、
「華麗なる相続人」は映画館で見たせいか、結構思い入れが大きいんですよね。
「パリで一緒に」はまるさんはご存知でしょうけど、僕は大好きな作品ですし。(^-^
1万円もらって見れるなら喜んで!です(笑)。
ここがこうだったらよかったのに…とかは思いますが、
全然ダメな作品だなんてどれも思ってないです。
というかオードリーの美しさだけで2時間その映画に陶酔できるんですよね。
それを可能にするのがオードリーの凄さだと思います。
以前書いたことがありますが、僕は映画ファンではなく、オードリーファンですしね。

それは仕方ないよね、ってことを書かれてもなんとも思わないですが、
これはこうでなきゃダメ!的なひとりよがりの押し付け文章になると
猛反発したくなります。

マリリンの10万ドルは僕も驚きでした。
オードリーやリズの100万ドルに届かなかったのはわかりますが、
50万ドルくらいは行ってたのかと…。
そう考えるとカート・フリングスは確かに凄腕だったんですね。
「シャレード」での失われた25万ドルもオードリーの出演料から考えると
たいしたことないと思ってしまいますが、
マリリンの基準で考えるとやはり大金ですね。(^^;

まるさんの長文は大歓迎ですよ。(^-^
Posted by みつおみつお at 2011年03月03日 23:08
空白の二時間。
想像しなかったのですが、女性ファンの方が、契りがあったと・・・
男には判り難いのですが、仕草に出て居るそうです。
美しい思い出として永遠にノコッツテ居る・・・

鑑賞する人の想像力の差や感性でしょうか。
Posted by むらさきいも at 2011年03月05日 15:06
むらさきいもさん、こんばんは!(^-^

そうおっしゃる女性がいましたかー(笑)。
でも、僕はそれでもそうは全然思わないのですよ。
しかも確信を持っています!

というのも、オードリーがウィリアム・ワイラー監督に、
それを匂わすような演技をするように!と言われたとは考えにくく、
またオードリーが自分で意識してそういう仕草や演技をしたとも考えられないので。

ということは監督にもオードリーにもそういうことがあったという前提で
このシーンの演技は構築されてないということですよね?

今の時代はなんでもかんでもそういうことありきで考えがちですが、
1952年(撮影時)という古きよき時代、
そういうこと無しでも人と人との信頼を築けていたと思う方が、
よっぽど理に適っていると思うのです。

もちろん、何かあったと考えるのも自由ですが、それは深読みしすぎで、
時代背景からも無かったと考える方が自然だと思いますよ。(^-^
Posted by みつお at 2011年03月05日 23:44
ギャラの件ですが、僕もなぜか真っ先に「シャレード」の25万ドルを連想しました。
「いつも2人で」におけるマンシーニのギャラと同じですね~。
当時作曲家に対しては破格だったとか。

オードリィは30万ドルですか~!安い?とか思ったけど、
「マイ・フェア・レディ」はリズの「クレオパトラ」と時期的に殆ど変わらないですよね。
(ちなみにどちらも共演はR・ハリスン、さぞかし彼はクサったことでしょう)
だからオードリィはリズとそんなに変わらないタイミングで100万ドルスターになったわけで、
アメリカにおける(なんだか訳の分からない)興行価値評価を考えると、本当に特別な扱いなんですね。
オードリィって史上3番目の100万ドル俳優でしたっけ?
(マーロン・ブランド、リズに続く・・・?)
一気に70万ドルアップというのも物凄いですが、「クレオパトラ」より前のリズはどうだったのでしょうね。
リズのエージェントも確かカート・フリングスだったように思います。
う~ん、彼は凄腕ですねぇ。
マリリンっていい女優だったのに当時そこは評価されず、セクシー系レッテルがついて回り、
いくら会社に莫大な利益を与えても、ステータスが低かったんですかね。

「マイ・フェア・レディ」後のオードリィのギャラはどうでしたっけ?
確か「暗くなるまで待って」は、100万ドルプラス興行収入の何%とかだったような…
作品の予算からするとスゴイ話ですよね。

「ローマの休日」のアンとジョーの一線越え疑惑については、
20年ほど前に、アメリカ映画における女性史を扱った本でそういう論議が世にあることを知りました。
当時全くそういう発想がなかったので、(僕は別にウブではありませんし、艶モノはむしろ好きですが)
非常に驚き、なんでそんなこと考えるの~って不思議でした。
映倫がうるさかった頃、性的描写をいかにごまかし且つほのめかせるのか、
各映画人が知恵を絞ったことは、過去の作品を観れば明らかですが、
「ローマの休日」にそんなことは入り込む余地はないのでは・・・?
そもそも設定上あり得ないですよ。
第一、相手の素性を知っているジョーは絶対にわきまえているはずですし、
アンが自立するのに体験が必要というのもナンセンスです。
それ以外でも充分にドラマティックな経験を一日半の間にした訳ですからね。
品を失うとか夢物語を損なうとかいうレベル以前の話と思いますね。
テーマが“信頼”ですからね、
“赤狩り”で揺るがされた友情や絆に対する強い思いに下世話は要りません。

でも濡れた服を乾かした後のアンの表情や仕草について、
女性の観点からしたら・・・なんて問われると、もう僕には分かりません。
映画って観る人ごとにいろんな意見があってなんだか面白いですね。
Posted by まる at 2011年03月08日 23:15
いえいえまるさん、「クレオパトラ」は確か61年くらいには
製作が始まっているはずですよ。(^^;
リズの病気とかのトラブルで完成が何年も遅れましたけど。

だから、オードリーは「ティファニーで朝食を」~「パリで一緒に」くらいですかね。
オードリーの「許されざる者」の頃は20万ドルくらいで、「シャレード」のギャラって60万ドルくらいでしたっけ?
一時期IMDbにギャラも載ってましたけど、今はなくなってるような…。
なので、「クレオパトラ」でリズが契約した頃は、オードリーはまあ30万ドルくらいかなーと。

でも二人とも「シャレード」の25万ドルを思い浮かべるなんて。(^^;

で、マーロン・ブランドが世界初の100万ドルスターだったんですか?
僕はてっきりリズかと。(^^;ゞ

リズのカート・フリングスは、たしかオードリーとかが条件がいいので、
乗り換えたとかって何かのオードリー伝記に載ってませんでしたっけ?
もしかしたらそれまではやっぱりマリリン並だったのかも…。

マリリンは「熱いトタン屋根の猫」「クレオパトラ」「ティファニーで朝食を」
「去年の夏突然に」出たがったとこの本に書いてあります。
でもどれも会社の持つマリリンのイメージと違う、
あるいはイメージを壊すとかの理由で出演できなかったらしいです。
この本を鵜呑みにしていいのかどうかわかりませんが、
確かに軽く見られていたみたいですね。

「マイ・フェア・レディ」後は昔は僕は全部100万ドルだと思っていましたが、
実際には確か少し下がったと思います。75万ドルくらいでしたっけ?
でもオードリーの価値が落ちたのではなく、
作品の規模が「マイ・フェア・レディ」ほどではないので、
総予算から見て下がっただけかと思います。
再び100万ドルになるのは「ロビンとマリアン」じゃなかったでしたっけ?

「ローマの休日」はまるさんの文章で、
ますます無かったと思うようになりました。ありがとうございます!
やはりこの映画は信頼の映画ですもんね!(^-^
Posted by みつお at 2011年03月09日 13:48
あ、そうでした!「クレオパトラ」って製作期間長かったですね。
リズが“背中が痛い病”にかかったり何とかかんとかで、
予算大幅超過で20世紀FOXの屋台骨が揺らいだとか。
マリリンはなんかリズやオードリィの映画に出たかったように見受けられますが、
(ホンマですかいな)
『100万ドルを盗む方法』(おしゃれ泥棒)に出演してたら皮肉ですね。

アメリカ映画における女性史を扱った本に書いてあったのですが、
(タイトルと著者を失念しています、引っ越しのときに手放したので手元にもあらず、ご容赦)
オードリィは当時のアメリカで徹底して“IN”であったと。
女優に対して一般ファンの間には“IN”と“OUT”という判断基準があって、
“IN”は親や周囲の人々に何ら恥じることのない堂々と紹介できるようなイメージ、“クラス”とでもいうのでしょうか。
だから作品が大ヒットしなくても、人気投票のトップクラスでなくても、
とにかく揺るがぬ信頼を受けている別格扱いだったとのことです。
その両巨頭が50年代のオードリィとグレイスだったと。
グレイスはその上全米的にも絶大な人気を得ていたのに比べ、
オードリィは米国で幅広く人気があったわけではないらしいです。
まぁ官能性が非常に重要なお国柄ですからね。
グレイスはある程度グラマー(狭義の意味でです)でもあった訳ですから。
一方“マリリン”はあれ程人気があったけれども一貫して“OUT”の側にあったと。
今このような価値観って存在するのでしょうか?
保守的な地域(「噂の二人」の舞台とか)には依然として残っているのかもしれませんが、
今ではマリリンは神話ですもんね。
Posted by まる at 2011年03月09日 23:18
マリリンは、自分を女優として認めてもらいたくて、
一生懸命今までと違う役柄を探していたらしいですよ。
でも会社側はいつまでも前のイメージで求めた、と。
これはこの本でなくてもよく言われていることですよね。
このこの自分の望むのとは違う方にしか進まない焦燥感って、
マリリンとヴィヴィアン・リーが近いかなーと思います。

「おしゃれ泥棒」の時期は題名では面白いですけど、
もうマリリンは亡くなってましたよね…。
最近マリリンの映画を観たいな~と思うようになってきました。

INとOUTのお話は興味深かったです!
オードリーはそういう別格扱いだったから、マネーメイキングスターじゃなくても
「マイ・フェア・レディ」で100万ドルがいけたのかもしれないですよね!

80年代後半からのオードリーの見直しで、
マリリンのみならず、今ではオードリーもアメリカで伝説になったのは
嬉しいことですよね。(^-^
Posted by みつお at 2011年03月11日 01:48
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。