2016年02月16日

ピーター・ボグダノヴィッチ著「私のハリウッド交友録」

 「オードリー・ヘプバーン記録室」のブログで、「映画の友」でのランキングの記事をアップしてあります。興味のある方はそちらもどうぞ。

 今回紹介するのは、ピーター・ボグダノヴィッチ監督 著の「私のハリウッド交友録」です。
 奥付は2008年7月31日になっていますので、実際はもう少し早く店頭に並んでいたことと思います。

 ピーター・ボグダノヴィッチは、オードリーの後期の作品「ニューヨークの恋人たち」の監督です。
 主な代表作は「ラスト・ショー」(1971)「おかしなおかしな大追跡」(1972)「ペーパー・ムーン」(1973)。

 というか、僕はピーター・ボグダノヴィッチ監督に関してよく知らないものですから、イメージはほぼその3本しか作品は無いと言ってもいい監督さん。
 あとは後年作る作品はどれも凡作・駄作のオンパレード的な、日本で公開すらされない、監督としては三流だったようなイメージがあります。

 代表作3本でも、「ラスト・ショー」と「ペーパー・ムーン」は双葉十三郎さんの採点で80点という高得点ですが、「おかしなおかしな大追跡」はアメリカでヒットはしたものの(日本ではヒットしてないと思う)双葉さんの採点は70点と、見ておいていい作品の上くらい。
 テイタム・オニール全盛期なのに「ニッケル・オデオン」がすぐに公開されなかった、というイメージも強いです(6年後にやっと公開。採点は75点)。

 「ニューヨークの恋人たち」は、撮影中は実は全然知らなかったです。僕の興味が他に逸れていた時期というのもありますが、オードリー暗黒期に入ってましたし、「華麗なる相続人」がコケたので、とうとう“スクリーン”や“ロードショー”でもほとんど取り上げなくなっていたのではないでしょうか。

 「ニューヨークの恋人たち」がある事を知ったのは、「いつも2人で」の個人的な自主上映が出来ないかとレンタルフィルムのカタログを取り寄せて見ていたところ、その中に“They All Laughed”というオードリー作品があることを見たからです。

 新作のオードリー。見たい!と思いましたが、それ以前にとうとうオードリー主演作品に未公開作品が出来てしまった!とガッカリしました。
 それまではオードリーの主演作は1本も未公開がない!というのがオードリーの偉大さを表していると個人的に思っていましたし、本当に残念でした。

 で、一生見ることは叶わないかも…と思っていましたが、やがてビデオデッキが家庭に普及するようになり、17800円前後と高額ながらセルビデオも登場。さらにレンタルビデオ店が出来るようになると、「ニューヨークの恋人たち」もそういうレンタルビデオ屋で借りてとうとう見れることに!

 …でも、見てめっちゃガッカリしました。失望度は「華麗なる相続人」以上!
 オードリーがオードリーらしくない行動をする、音楽がカントリー中心で僕と(そしてオードリーと)全く合わない!オードリーが序列はともかく、実際はただの脇役!内容も全然良くない!
 これは日本未公開でも仕方ないかなーと思ったものです。文句なく僕にとってのオードリーのワースト1!

 後に「おしゃれ泥棒2」でもがっかりしたので、ワースト2位になりましたが、「おしゃれ泥棒2」は再度見直して評価が少しだけ上がり、今はまためでたく(?)オードリーワースト1に返り咲いています。大好きなオードリーの出演なのに、見直すのが大変苦痛な作品です。

 と、めっちゃ前置きが長くなりましたが、「ニューヨークの恋人たち」について語る場が全然無いので、ここで一気に吐き出してしまいました。

 この本は824ページもあって、めっちゃ分厚いです。大阪梅田の本屋さんで見つけたのが最初でしたが、高い(4300円+税金)上にオードリーの章はたった20ページ。買うのはすっごいためらわれました。で、ずっと購入を見送ってたのですが、数ヶ月ごとに何度か見に行っても、全然売れていませんでした。

 というか、ピーター・ボグダノヴィッチって決して日本でそんなに人気のある監督でもないのに、よくこれが翻訳出版されたな〜と。絶対売れないと思ったし。
 分厚い背表紙と表紙にもオードリーが装丁であしらわれていて、これはオードリーで売る気やなーと思ってました。
 結局中古でネットで出るまで待ってやっと買いましたが、それでも3000円くらいと内容に比して高かったです。

 買うのにも時間がかかりましたが、こうしてブログにアップするにも時間がかかりました。買ってから5年ぐらい放置状態でしたかね〜。

 内容はボグダノヴィッチ監督と交流のあった人(と一部交流のなかったマリリン・モンローなど)25人のことが書かれています。

 読んでみると、こういう内容になるからオードリーって自伝を書かなかったんだよなーって思いました。どうしても暴露本みたいになるじゃないですか。
 ましてやこれは自伝でもなく、単に他の人のことを書いているというもの。僕がオードリーなら、こんなことが書かれてたらとってもイヤ〜〜〜な気分になると思います。

 ボグダノヴィッチ監督はオードリーのことをめっちゃリスペクトして書いてるんです。
 たとえば「ニューヨークの恋人たち」撮影中にオードリーが脚本のセリフと変えて喋ってしまっても、そちらの方がずっと作品にふさわしかったとか。

 でも、ベン・ギャザラがオードリーとの関係をベラベラ喋ってたとか、まだアンドレア・ドッティと結婚中の「ニューヨークの恋人たち」撮影中に、こっそりロバート・ウォルダーズとデートしていた、みたいなことを友人だと思っていた人に書かれたと知ったら、オードリーは決して良い気がしないと思います。
 というか、オードリーはサーッとカーテンを引いて、ボグダノヴィッチとの友人関係を絶つでしょうね。

 こういう無神経さがボグダノヴィッチにはあるのかなーと思います。
 「ニューヨークの恋人たち」はベン・ギャザラに聞いたオードリーのイメージそのままに映像化したらしいのですが、本当にオードリーの表層だけで、この作品を見ても、そこに真のオードリーがいるようには感じません。

 むしろウィリアム・ワイラー監督の「噂の二人」の方が、オードリーとはかけ離れた状況下でのお話なのに、よっぽどオードリーの本当の姿を捉えているように思います。
 「ニューヨークの恋人たち」でのオードリーは、ただそこにいるだけの富豪夫人、ってだけです。

 だいたい、夫以外の男性と一夜を共にした翌朝に、その男を好きだという他の女性と仲良く会話してるなど、どういう神経やねん!と見ていて思います。オードリーらしさなんて皆無。これが素のオードリーをイメージした役ですか??第一、ベッドシーンも不要だし。

 「ニューヨークの恋人たち」撮影後、何度かボグダノヴィッチはオードリーに一緒に映画や舞台をやらないかと持ちかけていたようです。
 が、どれも実現しなかったのはご存知の通り。むしろ僕は実現しなくて良かった!とさえ思います。どうせボグダノヴィッチでは一般公開さえ危ういような駄作や失敗作がまた作られただけでしょうし。

 興味深いのはそうした実現しなかった作品の中で、「陽気な幽霊」のリメイクの話があったようなのですが、オードリーが演じたいと言ったのは主役の幽霊妻ではなく、45年の映画版でマーガレット・ラザフォードが演じたエキセントリックな占い師という脇役だったらしいこと。
 「陽気な幽霊」を見たことがないので、何とも言えないのですが、オードリーが演じたいと言ったものはことごとく成功しているので、いったいどのような役なのか興味があります。

 そして「カーテンコール/ただいま舞台は戦闘状態」という、またまた取るに足りない作品に仕上がる喜劇で、ボグダノヴィッチがオードリーに依頼したのは若手男優と関係を持ち、愛情を独占しようとする女優の役。

 脚本を読んだ後でオードリーが疑わしげに “なぜこの役を私に?” と電話してきたそうですが、本当にボグダノビッチってダメ!
 オードリーは、“自分がこの役を演じている姿などまったく想像もつかない。” と丁重に断ったそうです。

 “思うに私が役を依頼した動機をまだ疑いながら” とその後に書いてあるのですが、オードリーの気持ちはそうじゃないのじゃないかなーと。
 オードリーからしたら、友人だと思っていたボグダノヴィッチ監督からそんな依頼を受けて、“結局あなたも私のことを見てくれていなかったのね…。” って本当にガッカリしたんじゃないかなー。

 ルキノ・ヴィスコンティも「家族の肖像」でオードリーに若いツバメのいる役を依頼して断られてましたが、なぜ同じ間違いまたする??って感じですね。
 オードリーに明らかに不向きな役を依頼しても、出演作を絞っているオードリーが演じるわけないじゃん!みたいな。

 オードリーがいまさら今までのイメージを破壊するような役を演じて、誰が得します?オードリー??そんなことないですよね。
 “あのオードリー・ヘプバーンにそんな役を演じさせた!” って評価されるのは監督のみですよね。逆にオードリーは “結局後年こういう役を演じましたか…”って失望されるだけ。
 そんな依頼を信頼していた人から受けたら、そりゃガッカリして傷つきますよ。

 オードリーは後年は演じることにがむしゃらじゃないですよね。冒険して演技派として名を残したいわけでもない。お金ももう充分にあって、特に必要としていない。
 そんなオードリーを引っ張り出すには、オードリー自身がどうしても演じたいプラスαが無いとダメですよね。

 「ニューヨークの恋人たち」出演もオードリー自身はずっと興味がなさそうで、それが一転出演に到ったのは息子のショーンをボグダノヴィッチのアシスタント兼出演者の1人として採用したから、ということが書いてありました。
 遺作「オールウェイズ」での出演を決めたのも、オードリーと同じく夢を作るスティーブン・スピルバーグという一流監督の作品だからですよね(作品の出来は良くなかったけど)。

 そういうことを考えると、やっぱり当時のオードリーを担ぎ出すためには、愛に溢れた夢のある第1級の脚本が必要だったのではないかなーと思うんですよね。
 
 こういうオードリーの本質を最後まで捉えられなかったボグダノヴィッチの「ニューヨークの恋人たち」でオードリーの才能が浪費されてしまったのは本当にもったいない!
 途中で「パリで一緒に」と「おしゃれ泥棒」のことを “少々失敗気味のロマンティック・コメディ” と書いてるんですけど、「ニューヨークの恋人たち」程度のものしか作れんかったお前が言うな!って読みながら突っ込んでました。遥かにその2作の方が上出来。

 オードリーとオードリーのファンにとって本当に残念だったのは、このどうしようもない作品がオードリーの主演としての最後の映画になってしまったということ。
 結局復帰してからの作品で内容も良かったのは「ロビンとマリアン」だけに終わってしまいましたね。オードリーがオファーを受けながら様々な理由で出演しなかった「愛と喝采の日々」か「愛と哀しみの果て」に出て後期の代表作を残して欲しかった!「ニューヨークの恋人たち」はオードリーの幕引きにはあまりにもあんまりな出来で、悲しくなります。

 この本では、他にオードリーと関連する俳優でベン・ギャザラも1章あります。
 そこではオードリーに夢中になって、オードリーとの関係を喋っているベン・ギャザラの様子や、「華麗なる相続人」の次にギャザラが出演した大作&大コケ作品の「インチョン!」(ラズベリー賞の最低作品賞を受賞)で別の女優さんに乗り換えたことが書かれています。

 もうね、人のデリケートな部分のプライベートを喋るギャザラもイヤだし、それを本にするボグダノヴィッチもイヤ!
 同じく自分で本を書いた名匠フレッドジンネマン監督のと比べても、本の内容も監督としての才能も雲泥の差。こういうところにも人柄って出るんだねーって。

 結局、僕は友人のオードリーをリスペクトして書いてるよーってボグダノヴィッチ本人は思ってるんでしょうが、人に知られたくないようなプライベートなことを相手の死後に書くような人って友人って呼べるの?って思います。

 お仲間のベン・ギャザラも後年自伝を発表しますけど、もちろん日本ではベン・ギャザラなんて誰も知らない俳優の本は翻訳されませんでした。きっとそこでもオードリーの暴露的なことが書いてあるんでしょうねー。

 それと「ニューヨークの恋人たち」って画像があんまりないんですが、この本でもおなじみの画像が1枚載っているだけです。画像の資料としての価値も無し。

 他にもオードリーとゆかりのあるアンソニー・パーキンスやリリアン・ギッシュ、ケイリー・グラント、マレーネ・ディートリッヒ、ハンフリー・ボガード、ヘンリー・フォンダの章もありますが、オードリーのことはほとんど出てきません。

 むしろ、オードリーと共演したことがなかったジェイムズ・スチュアートの章とオードリーの章で、ショーンの最初の結婚式でこの偉大な2人の俳優が踊ったことが2度出てきます。
 ジェイムス・スチュアートは共演はなかったものの、オードリーとは旧友だったそうで(だからショーンの結婚式にも来てるんだろうけど。でもオードリーのお葬式には来てないね…)、その心を打つ踊る2人に、作られることのなかったオードリー映画の象徴を見て章を締めているのが良かったです。

オススメ度:なし(わざわざ買って読むほどのことはない!と思います)





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