2017年04月28日

「暗くなるまで待って」池袋の新文芸坐で上映!

 突然ですが!

 東京の方に朗報です!
 池袋の新文芸坐さんにてオードリーの「暗くなるまで待って」が上映されます!

 「魅惑のシネマクラシックスVol. 23 ワーナー・ブラザース シネマフェスティバル」という一連の上映作品の中に「暗くなるまで待って」があります。

 日が無くて申し訳ないのですが、

 ★4/29 12:30/16:45
 ★5/4(オードリーの誕生日) 11:40/15:40

 ああああ…東京の人はいいなあ〜!
 新文芸坐さん、昔からオードリーの作品を色々上映してくれますよね。ありがたいです。
 どちらも同時上映はグレース・ケリー&ヒッチコックの「ダイヤルMを廻せ!」です。
 そして2本とも原作者はフレデリック・ノット。

 正式なリバイバルという形ではないですが、関東の方にとっては午前十時の映画祭と合わせて今年は5本のオードリー作品が見れますね!
 そしてその皮切りが「暗くなるまで待って」とは羨ましいです〜。




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この記事へのコメント
お久しぶりです。
「暗くなるまで待って」・・・・・・この作品、舞台劇の映画化とあって、一度舞台版を観て映画版と比較したいなと思っているのですが、なかなかチャンスがなくて。影万理江さんや三田佳子さん主演で翻訳上演された時も見逃してしまい、残念でした。
秋吉久美子さん主演でテレビドラマ化された事もありましたね。あと、楳図かずお先生の代表作「おろち」の中に、あきらかにこの映画を下敷きにして描いたと思われるエピソードがありましたよね。
その昔、たしか「映画の友」誌だったと記憶してるのですが、ショーケンがこの映画について語ってましたね。「オードリーには全然興味もないし魅力も感じないけど、映画そのものは面白かった」と 、いかにもあの人らしい観想を言ってました(笑)。
何度観ても面白いこの作品、今回の文芸座での上映にも、絶対駆けつけようと思ってます。
Posted by ヴェロニカ・ハメル at 2017年05月01日 08:25
ヴェロニカ・ハメルさん、更新が遅れてしまい、申し訳ありませんでした。

僕も舞台で「暗くなるまで待って」をやっているのは見たことがありません。
上演の情報が疎いもので、ネットで「暗くなるまで待って」と検索すると三田佳子さんのとかが出てきて、“あ〜、過去にやってたんや!”と思うばかりです。
あと「おろち」の方も知りませんでした。どの部分が漫画に転用されてたんですか?

萩原健一さんは…昔はそういう尖った感じがウリでしたから。(^^;;;
過去には岡田茉莉子さんや黛ジュンさんが若い頃に“オードリーなんて興味ナイワ!”みたいな発言をしてましたよね。
やっぱり尖ってる時にはみんなが好き!というものに反抗したくなるものかもしれません。

「暗くなるまで待って」、ホントに何度見てもいいですよね!僕も何度でも観に行きたくなる作品です!
他の観客の方の反応も気になる所です。
ぜひぜひ楽しんでいらしてくださいねー!(^-^
Posted by みつおみつお at 2017年05月02日 00:52
またまた失礼します。
「おろち」に、一人暮らしの盲目の少女が登場するエピソードがありますよね。少女が家に押し入ってきた殺人者から身を守る為に、家中の明かりを消したものの、一ヶ所だけ消し忘れた為にあわや殺されそうになるという件が、「暗くなるまで・・・」とまったく一緒なんです。盗作とまではいいませんが、明らかにあの映画をヒントに描かれた作品だと思いましたね。
話は変りますが、今回の文芸座での上映、ヒッチコックの「ダイヤルMを廻せ」と2本立てなのが魅力ですね。こちらも舞台劇(おそらく、日本では一度も翻訳上演されていない作品だと思います)の映画化作品。舞台版も観たいです。
Posted by ヴェロニカ・ハメル at 2017年05月02日 01:46
ご無沙汰してます、以前何度かお邪魔したしたKGです。
書き込みは久しぶりですが、いつもブログは楽しみに覗かせてもらってます(笑)。
暗くなるまで待って、ひさしぶりに劇場で見たいですよねー。
僕は三田佳子の舞台見ましたよ、 いろんな意味で?面白かったです。
一番面白かったのは舞台版のスージーは沈着冷静だってこと(笑)。
映画では悪党たちの悪巧みに気付いて取り乱した時に、誤ってスタンドを壊してしまったことで暗闇のメリットに気づくけど、舞台版のスージーは照明のプラグ?(今ならブレーカーですよね)をグロリアに手伝ってもらいながら一つづつ取り外して電源を切っていくのに思わず笑ってしまいました。
そんなことしてる間にグロリアの部屋に逃げるとか、そこから警察に電話出来るやろ!って感じ(笑)。
詳細は忘れたけど、映画に比べると緻密な計画のもと悪党と戦うタフな感じがオードリーとあまりに違って別の話を見てる感じでした(笑)。
改めて華奢やけどいざとなるとタフなオードリーならでは映画の魅力を再認識しましたね。
Posted by KG at 2017年05月04日 23:13
ヴェロニカ・ハメルさん、GWでお返事遅れてしまって申し訳ないです。m(_ _;)m

「おろち」にそんな部分があったんですね!
連載の時代的にも明らかに「暗くなるまで待って」の影響でしょうね。
当時の少年誌を読む年代からして「暗くなるまで待って」は見てないだろうし、その同じ部分がわからなかったんでしょうね。

「ダイヤルMを廻せ!」の方は一度も見たことも無いし、実はストーリーも知らないんですよね。まあある意味これから見る楽しみはあるのですが。
同じフレデリック・ノットの戯曲ということだし、グレース・ケリーの代表作の1本ということで、きっと面白いんだろうなーと思ってます。(^-^
Posted by みつおみつお at 2017年05月06日 08:43
KGさん、こんにちは!お久しぶりですっごく嬉しいです!!(^-^

僕も本当に「暗くなるまで待って」をまた劇場で見たいです!
周りの反応も楽しみですよね!

原作戯曲の明りを壊すタイミングが、映画とは違っているのは愛育社の本の解説でわかっていましたが、やっぱり舞台でそれをやられると、ちょっとなーって思いますよね。
KGさんがおっしゃるように、他のもっと現実的な方法を取るのが普通じゃないかと。
いくら盲目の人でも、電気を壊すより警察に電話する方が先に思い浮かぶでしょうし、もしスージーが先に明りを壊す行動を取ろうとしてもグロリアが“私が警察に電話するわ”って教えてくれそうですよね。

映画ではそういうバカバカしいところを、どうしてもそうせざるをえなかったように変更してるんですね。
映画ですら僕はなんでグロリアを送り出す前に警察に電話しないの?って思ってましたし。

KGさんと同じで、映画が公開されたときの雑誌で華奢なオードリーが演じるから説得力が増すという評論がありましたけど、確かにその通りだと思います。
オードリーだと知的な感じもしますもんね。

KGさん、どうかまたいなくならずに、またちょくちょくお越し下さいねー。(^-^
Posted by みつおみつお at 2017年05月06日 08:59
実は「暗くなるまで待って」の舞台は二度観ていまして、
南果歩さん主演版(滋賀県水口)、三田佳子さん主演版(天王洲アイル)です。
スージーとグロリアが結託して電燈を消していく場面は、
観劇の最中は、のせられてる感もあって
共有エリア(玄関など)の照明を視覚的な確認をグロリアに頼みながら、
オフにしていくあたりなんか、おぉそうするのかって面白がっていました。
後から考えると確かに変ですね。
このあたり映画版のほうが優れていると思います。
南さん版のときに面白いと思ったのは、
上演時なのにクライマックス前に黒子さんが客席横の通路に静かにやってきて、
非常用照明にひとつまたひとつとカバーをかけていくのです。
だから冷蔵庫のシーン前なんか本当に真っ暗でしたよ!
今なら消防法違反とかで許されないでしょうね。

で、秋吉久美子さん主演のTV版もオンエア時に観ていまして、
確か土曜ワイド劇場枠だったと思います。
当時は映画のことはおろか、オードリィのことも良く知らなかった子供の頃でしたので、
普通に怖いサスペンスとして、クライマックスは家族と共に固唾をのんでいました。
エンディングでヒロインがかわいいことを言って甘えるのを覚えています。
「キスして。恥ずかしくなんかないわ、だって私には周りが見えないから皆の視線なんか気にならないの」
いつかまた観てみたいけど、アーカイヴとして残っているのかな?

ルカ本で、母が例外的に映画女優として誇りに思っていることが二つあったと記されていましたね。
そのうちのひとつが、「暗くなるまで待って」の事前準備として取り組んだ役作りだったと。
この頃は、「いつも2人で」と共に、オードリィ会心の時期だったんですね。
謙虚なオードリィがなかなかそんなことは言わないだろうから。

ところでみつおさん、
別サイトで(おしゃれ泥棒だったかな?)
「暗くなるまで待って」は傑作だけど、
致命的なミスがある・・・というようなことを書いてませんでしたっけ?
今更ですけど、その内容について知りたいな~
Posted by まる at 2017年05月11日 21:11
まるさんが「暗くなるまで待って」の舞台を2種類も見ていたなんて!
それも映画と比較出来て面白いですよね!

でも明りを消すシーンは、やっぱり破綻がないようにしてもらわないとダメですよね。
せっかく伏線を張って張って、でもこういう肝心な所に大穴が開いていたのでは白けてしまいます。
この辺は舞台でやった人達はおかしいと思わなかったんでしょうかね?
映画も参考にして、おかしい部分は変更すべきだと思います。

秋吉久美子さんのテレビはいつ頃のものなのかによるでしょうが、まあ1970年代後半〜80年代後半なら残っていそうですよね。
でも舞台もですけど、霜取りをする冷蔵庫ってのが古いので、時代をどういう設定にしてるんでしょうね。
今となっては写真をプリントする、っていうのも古くなってしまいました。
もしかしたら時代は原作通り1960年代後半だけど、メイクや髪型は上演時のもの、ってことになってるんでしょうね。

そしてオードリーにとって「いつも2人で」と「暗くなるまで待って」は大きな足跡になったと自分でも思えたんでしょうね。
女優としてやりきった!だからこそ潔く離婚&引退して子育てに専念出来たと。
この当時のオードリーのインタビューでも(本当かどうかわかりませんが)、今後は「いつも2人で」か「暗くなるまで待って」のような役を演じたいと語っていましたし。

「暗くなるまで待って」のミス…まあコメントはあまり読んでる人がいないでしょうから、ここで書いても大丈夫かな?
ネットでは誰も書いてないので、未だに気付いている人がいないのでしょうねー。
この話を昔ながらのオードリーファン(僕が何十回も「暗くなるまで待って」を見ていると知っている方)に訊いてみたところ、そこに気付くのはさすがだ!数回見ただけの人では絶対に気付かないよと驚き褒めてもらえたのですが…。

スージーが“なぜみんなブラインドを触るの!?ロートが触るとカルリーノから電話が、カルリーノが触るとロートから電話が!”って言いますよね?
ここ、カルリーノが触ったとされているとき、実はブラインドの側にいたのはマイクでブラインドで指示を出したのもマイク。カルリーノはスージーの前に立ってるんですよね。
そんなことを耳のいいスージーが間違う訳が無いんです。特にこんなに鮮明に覚えているなら。
実際この時にマイクと会話もしていますし、立ち位置はわかってるはずなんですよね。
本来ならここでスージーはマイクを疑うべきですし、もし“スージーはたまたま立っている人物を間違えた”などという設定だと、これほど練りに練った脚本に対して、偶然の要素に頼る部分があるのは致命的なミスだと思うんですよね。
もしスージーが間違っていない、という設定にするのなら、ブラインドにはカルリーノを立たせて、手前にマイク、そしてブラインドを触るのはカルリーノにさせる、とした方がずっとよかったと思うんですよね。

なのでここまでよく出来た作品なのに、残念なことにここでユルんでしまっているなーと見る度に思うんです。
ただ普通は誰も気付かないのでいいんですが…(笑)。
Posted by みつおみつお at 2017年05月12日 15:18
な~るほど!それは気づきませんでした。
30数年前に観てからもう何度も観てるのに、初めての発見、これは収穫です。
確かに綿密な構成や周到に張られた伏線を誇る知的サスペンスなだけに、
そこだけスージーが勘違いしているとは説得力に欠きますね。
ただし殆どの人が気づかないようなミスでもあるので、
黙認してもいいかな~(笑)
でも偶然に頼っていいサスペンスとそうでないものがありますからね。
これほど精度の高いサスペンスドラマだと、ハードル上がりますよね。
僕はロートがマッチをするとき、スージーの足元にガソリン容器があるのが出来過ぎ~って思ってました。
そもそも失明して一年くらいの人が、あんなに盲人特有の感覚を持ち得るのかも疑問だし、
初見のときからなんで玄関に鍵をかけないのか不自然に感じてました。(不用心過ぎ)
あとこれは演出の話になりますが・・・
冷蔵庫しか光源がないのに、なんでトップライトが当たってるの?とかね
昔、ときどき「暗くなるまで待って」ごっこを台所でやったことがあるんですよ。
で冷蔵庫の扉開けても、あんな風にはならないな~なんて確認してました。
まぁ映画の効果ってのもありますので、なんでもリアルにはやらないのでしょうが。

でもやっぱり面白いし、舞台にも抜群に向いていると思うし
現代の感覚で再構築した新版があってもいいし、今後も上演を継続していってほしいですね。
Posted by まる at 2017年05月14日 21:36
まるさん!書き間違えてました。

カルリーノとマイクの時ではなく、
ロートとマイクの時にマイクがブラインドを触って指示を出すんですよね。
立ち位置的にもロートはキッチンの真ん中でスージーに喋っている時にマイクがキッチンの隅でブラインドを触るので、どう考えてもスージーの聴力の凄さを考えたらおかしいんですよね。間違えようが無い立ち位置というか。
ここまで緻密に構成された作品なのに、どうしてそこだけそうなるかなー!と残念の極みなんです。ここは映画的にも許されない箇所だと思います。

玄関に鍵をかけないのは、田舎の日本でもそうだったみたいですし、その頃のニューヨークはまだまだ治安が良かったのかも…だからこそそこを付いたこういう事件が発生するということで…。
70年代〜80年代のニューヨークは酷そうでしたね。

あといつも思うのは、ガソリンてもの凄い揮発性ですよね?
なので、部屋中にばらまかれた状態ではスージーが脅しでマッチを擦っただけでも大爆発するんじゃないかといつも余計な心配をしてしまいます。
これが灯油だったらこれくらいはアリだと思うんですけど…。
なので脳内でいつも灯油に変換して見てます。(^^;

それと、トップライト…たしかに当たってますね!
冷蔵庫を開けたとき、ロートの頭に天使の輪が出来てるし、後ろのブラインドも下側に影が出ています。(^_^;;
まあここは映画的表現という事で見逃せますけどね。

現代にアレンジすると、どうしてもスマホの光をどうするかになりますよね。悪党どもも持っているに違いないですし。
ハイポをぶっかけて逃げる隙に奪い取って破壊、でしょうか。

本当に何度も見たくなる作品ですね!(^-^
Posted by みつおみつお at 2017年05月17日 14:22
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