オードリー・ヘプバーンといつも2人で
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"TWO FOR THE ROAD with Audrey Hepburn" オードリーのパンフレット・写真集・サントラなどグッズのいろいろ…たまに緊急でオードリー関連情報も!オードリー・ヘプバーン専門ブログ
ja
みつお
2023-09-23T12:00:00+09:00
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1990年 帯広シネマアポロン版 “ヘプバーンの魅力” ポスター
https://audreyhepburn.ko-co.jp/e608512.html
(今回も無料の画像をゲッティイメージズ さんからお借りしました。)
ここのところ、オードリーのポスターを全然紹介してなかったなーと思い、今回は劇場版ポスターの紹介をします。
まあもともと僕はポスターの撮影がヘタクソで綺麗に撮れないので、ちょっと後回しのつもりにしていたら、相当長い間ポスターって紹介してませんでした。
特に劇場版というと、1921年9月11日の記事で紹介した「ロビンとマリアン」のB1ポスター以来2年ぶりですね。
ポスターって、撮るのが面倒くさいんですよ。まずポスターを収納しているところから取り出さないといけないんですよね。
B2サイズはまだポスターファイルから取り出せばいいんですけど(それでも面倒くさい)、B1ポスターだとポスターフレームのネジを外して必要なポスターを抜かないといけなくて、そのポスターフレームが開けると崩れるみたいな物なので、撮影後に戻すのも大変で本当に面倒くさいんです。
B1は大きいので、普段はタンスの後ろに置いてて、フレーム→買った時のビニール→プチプチ、の順に収納されているので、まず出すのも面倒くさいんですよねー。
それに撮影はうまく反射や影が入らないようにしないといけないし、それでも失敗すると2枚の画像を繋ぎ合わせたりとかって、結構大変。
それでついつい後回しになるんですよねー。
今回思い切って、えいやっ!とポスターをいくつかまとめて撮影しましたので、順次紹介出来たら、と思います。
今回はレアものの、帯広版B2劇場ポスター。
“ヘプバーンの魅力”と銘打って、オードリーの3作品が連続上映された時のものです。
80年代後半のオードリーブームの際の、札幌版はいくつか製作されているのは知ってましたが、まさか帯広にも劇場独自版のポスターがあったとは!
(札幌版は「麗しのサブリナ」「ティファニーで朝食を」「パリで一緒に」で見てね)
というのも、印刷って最低1000枚は刷らないと、かなり割高になるんです。今ならオンデマンド印刷という手がありますんで(と言っても品質はめっちゃ落ちる。プリンター並み)、少部数でも対応できるんですが、80年代90年代はまだそんなものありませんからねー。
全国で同じものを使うなら、1000部くらいは簡単に超えるかもしれませんけど、帯広独自のポスターとなると100部も要るかどうかですよねー。
なのでこのポスターはピンクと黒の2色刷りですけど、単価はものすごく高いと思います。
さて、これが帯広とわかったのは、住所から。
シネマアポロンというのは札幌とか旭川とか釧路にもあったみたいなので、チェーン館だったのかなーと思いますが、西4南9(西4条南9丁目)という住所で帯広のものだとわかりました。
そしてそして!メインは「マイ・フェア・レディ」の画像なんですが、このポスターでおおおっ!と思ったのはそこではありません。
なんとなんと、もひとつなんと!「緑の館」が上映されているではありませんかーーっっっ!!
Embed from Getty Images
このブログで以前から読んでいただいている方は何度も書いているのでもうご存知だと思いますが、「緑の館」は80年代後半のオードリー作品続々リバイバルの中で、日本ヘラルドが84年にリバイバルの権利は取って映画パンフレットまで準備されていたものの、フィルムの状態が良くなくて、なんと日本で最も集客のできる東京地区と大阪地区ではリバイバルされなかったんです!
88年に名古屋や札幌など地方でリバイバルされましたが、結局東京と大阪は無し。
なので「緑の館」のリバイバルを見れた幸運な人は、ほんの一握りの人達だけになってしまったんですよね。
こちらのブログに来ていただいている方でも、名古屋にいらした明智常楽さん以外は「緑の館」をリバイバルではご覧になってないみたいなんですよねー。
東京では93年にオードリーが亡くなったときに(企画自体はオードリーが元気な時から準備されていた)、JALと日本ヘラルドと銀座文化が組んで半年間オードリー作品だけを連続上映した、「I'll AUDREY THEATER」でも、日本ヘラルドが当時権利を持っていた14作品のうち、「緑の館」と「戦争と平和」だけが外されたんですよねー。ほんともったいない!
今ならいろんな情報がネットで見れるので、名古屋で「緑の館」のリバイバルがある!ってわかったら新幹線や近鉄特急使ってでも行きますが、なんせ88年ですからねー。そんな情報は全く知らないので…。
いつか大阪や神戸でも上映するやろと呑気に構えていたら、そんな日は来ませんでした…。
なので、「緑の館」リバイバルはとっても貴重で、名古屋と札幌以外でも熊本や長崎でリバイバルされたらしいのですが、それ以外は全く不明でした。
それが帯広ではわずか6日間だけですけど、こうしてリバイバル公開されていたなんて!
今は亡きシネマアポロンさんですが、上映してくださってありがとうございます!
帯広にも「緑の館」をご覧になった貴重な方がいらっしゃったことになりますね。当時の思い出話とか聞いてみたいですねー。
Embed from Getty Images
さて、「緑の館」自体は1984年からリバイバルの権利が日本ヘラルドにありましたが、同時にポスターに載っている「マイ・フェア・レディ」と「戦争と平和」のリバイバルの権利を取れたのが、それぞれ1986年、1989年になるので、載っている日付と照らし合わせて1990年のポスターだとわかりました。
「緑の館」、オードリーの主演では最も出来が悪いと言われているので、さすがに “午前十時の映画祭”でもリバイバルされるのはないと思います。そう考えると本当に88年のリバイバルは貴重だったんですよね〜。
「戦争と平和」はゲッティイメージズ さんから画像をお借りしましたが、オードリーと一緒に写っているヴィットリオ・ガスマンをちょっと調べてみましたら、イタリア映画などでは主演を張ってた人だったんですね!
なぜいつもオードリーと大きく取り上げられるんだろう…などと思っていましたが、それならクレジットもオードリー、ヘンリー・フォンダ、メル・ファーラーに次いで4番目なのもわかります。
役としてはナポレオンやドーロホフの方が大きいですもんね。
オードリーとの身長差から考えて、きっと身長も190cm近くあっただろうと思いますし、欧米人といえども1950年代では非常に高かったことと思います。
きっと実際はカッコ良かったんでしょうね。
今まではチョイ役の顔の濃い人、というくらいのイメージしかありませんでした。
でも逆にそうなるとなぜこんな小さな役に出演したんだろう、とも思います。
ここのところ、オードリーのポスターを全然紹介してなかったなーと思い、今回は劇場版ポスターの紹介をします。
まあもともと僕はポスターの撮影がヘタクソで綺麗に撮れないので、ちょっと後回しのつもりにしていたら、相当長い間ポスターって紹介してませんでした。
特に劇場版というと、1921年9月11日の記事で紹介した「ロビンとマリアン」のB1ポスター 以来2年ぶりですね。
ポスターって、撮るのが面倒くさいんですよ。まずポスターを収納しているところから取り出さないといけないんですよね。
B2サイズはまだポスターファイルから取り出せばいいんですけど(それでも面倒くさい)、B1ポスターだとポスターフレームのネジを外して必要なポスターを抜かないといけなくて、そのポスターフレームが開けると崩れるみたいな物なので、撮影後に戻すのも大変で本当に面倒くさいんです。
B1は大きいので、普段はタンスの後ろに置いてて、フレーム→買った時のビニール→プチプチ、の順に収納されているので、まず出すのも面倒くさいんですよねー。
それに撮影はうまく反射や影が入らないようにしないといけないし、それでも失敗すると2枚の画像を繋ぎ合わせたりとかって、結構大変。
それでついつい後回しになるんですよねー。
今回思い切って、えいやっ!とポスターをいくつかまとめて撮影しましたので、順次紹介出来たら、と思います。
今回はレアものの、帯広版B2劇場ポスター。
“ヘプバーンの魅力”と銘打って、オードリーの3作品が連続上映された時のものです。
80年代後半のオードリーブームの際の、札幌版はいくつか製作されているのは知ってましたが、まさか帯広にも劇場独自版のポスターがあったとは!
(札幌版は「麗しのサブリナ 」「ティファニーで朝食を 」「パリで一緒に 」で見てね)
というのも、印刷って最低1000枚は刷らないと、かなり割高になるんです。今ならオンデマンド印刷という手がありますんで(と言っても品質はめっちゃ落ちる。プリンター並み)、少部数でも対応できるんですが、80年代90年代はまだそんなものありませんからねー。
全国で同じものを使うなら、1000部くらいは簡単に超えるかもしれませんけど、帯広独自のポスターとなると100部も要るかどうかですよねー。
なのでこのポスターはピンクと黒の2色刷りですけど、単価はものすごく高いと思います。
さて、これが帯広とわかったのは、住所から。
シネマアポロンというのは札幌とか旭川とか釧路にもあったみたいなので、チェーン館だったのかなーと思いますが、西4南9(西4条南9丁目)という住所で帯広のものだとわかりました。
そしてそして!メインは「マイ・フェア・レディ」の画像なんですが、このポスターでおおおっ!と思ったのはそこではありません。
なんとなんと、もひとつなんと!「緑の館」が上映されているではありませんかーーっっっ!!
このブログで以前から読んでいただいている方は何度も書いているのでもうご存知だと思いますが、「緑の館」は80年代後半のオードリー作品続々リバイバルの中で、日本ヘラルドが84年にリバイバルの権利は取って映画パンフレットまで準備されていた ものの、フィルムの状態が良くなくて、なんと日本で最も集客のできる東京地区と大阪地区ではリバイバルされなかったんです!
88年に名古屋や札幌など地方でリバイバルされましたが、結局東京と大阪は無し。
なので「緑の館」のリバイバルを見れた幸運な人は、ほんの一握りの人達だけになってしまったんですよね。
こちらのブログに来ていただいている方でも、名古屋にいらした明智常楽さん以外は「緑の館」をリバイバルではご覧になってないみたいなんですよねー。
東京では93年にオードリーが亡くなったときに(企画自体はオードリーが元気な時から準備されていた)、JALと日本ヘラルドと銀座文化が組んで半年間オードリー作品だけを連続上映した、「I'll AUDREY THEATER」でも、日本ヘラルドが当時権利を持っていた14作品のうち、「緑の館」と「戦争と平和」だけが外されたんですよねー。ほんともったいない!
今ならいろんな情報がネットで見れるので、名古屋で「緑の館」のリバイバルがある!ってわかったら新幹線や近鉄特急使ってでも行きますが、なんせ88年ですからねー。そんな情報は全く知らないので…。
いつか大阪や神戸でも上映するやろと呑気に構えていたら、そんな日は来ませんでした…。
なので、「緑の館」リバイバルはとっても貴重で、名古屋と札幌以外でも熊本や長崎でリバイバルされたらしいのですが、それ以外は全く不明でした。
それが帯広ではわずか6日間だけですけど、こうしてリバイバル公開されていたなんて!
今は亡きシネマアポロンさんですが、上映してくださってありがとうございます!
帯広にも「緑の館」をご覧になった貴重な方がいらっしゃったことになりますね。当時の思い出話とか聞いてみたいですねー。
さて、「緑の館」自体は1984年からリバイバルの権利が日本ヘラルドにありましたが、同時にポスターに載っている「マイ・フェア・レディ」と「戦争と平和」のリバイバルの権利を取れたのが、それぞれ1986年、1989年になるので、載っている日付と照らし合わせて1990年のポスターだとわかりました。
「緑の館」、オードリーの主演では最も出来が悪いと言われているので、さすがに “午前十時の映画祭”でもリバイバルされるのはないと思います。そう考えると本当に88年のリバイバルは貴重だったんですよね〜。
「戦争と平和」はゲッティイメージズ さんから画像をお借りしましたが、オードリーと一緒に写っているヴィットリオ・ガスマンをちょっと調べてみましたら、イタリア映画などでは主演を張ってた人だったんですね!
なぜいつもオードリーと大きく取り上げられるんだろう…などと思っていましたが、それならクレジットもオードリー、ヘンリー・フォンダ、メル・ファーラーに次いで4番目なのもわかります。
役としてはナポレオンやドーロホフの方が大きいですもんね。
オードリーとの身長差から考えて、きっと身長も190cm近くあっただろうと思いますし、欧米人といえども1950年代では非常に高かったことと思います。
きっと実際はカッコ良かったんでしょうね。
今まではチョイ役の顔の濃い人、というくらいのイメージしかありませんでした。
でも逆にそうなるとなぜこんな小さな役に出演したんだろう、とも思います。 ]]>
戦争と平和
緑の館
マイ・フェア・レディ
みつお
2023-09-23T12:00:00+09:00
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「スクリーン」1960年3月号 初笑い・ワーストテン
https://audreyhepburn.ko-co.jp/e571773.html
今回は「スクリーン」の1960年3月号(1月発売)の紹介です。
カテゴリーは「緑の館」「尼僧物語」両方で入れましたが、「尼僧物語」に関しては文章はありますが、画像は今号は1点も無いです。
表紙はパスカル・プチ。映画は全く見たことありませんが、写真で見る限りではオードリーよりもっと庶民派で、コケティッシュでファニーな感じ。なんとなくこの表紙だと由美かおるさんにも見えます。
「スクリーン」や「映画の友」って、2月号で映画評論家たちの選んだベスト10の発表、5月号が読者の選んだベスト10っていう流れでしたよね。
この号はそれらの間の号になります。
この号の特徴は表紙にも載っている「初笑い・外国映画ワースト・テン」という企画なのですが、その話は後回しにしておいて、この号最初のオードリーはカラーページのトップ。
ほらー、やっぱりこんな時代からカラーあるやん。なんで今の「SCREEN」編集者はオードリーの復刻編集を白黒だけで埋めるかなー。しかもこっちの方がよっぽど珍しい画像だし。
こういうのを載せないから出来が悪いんですよ。
このカラーのオードリーは1957年のオードリーですよね。「マイヤーリング」以外、1年お休みしてた時のオードリー。
56年に撮影のあった「昼下りの情事」が終わって、髪型がちょっと「昼下りの情事」のページウェーブから崩れた感じになってるんです。
そういえば、「昼下りの情事」って実は1度も表紙になってないですね。「スクリーン」の1961年2月号で「昼下りの情事」の衣装を着たものがありますが、それも既に髪型が57年のものに変わっていました。
「映画の友」や「キネマ旬報」にも無かったですし、もしかして全く無い?「映画情報」誌にはあったような気もしますが。
「昼下りの情事」がそんな映えない作品だとも思わないですし、カラー写真がないわけでもないのに不思議ですねー。「パリの恋人」にみんな獲られてます。
そうそう!僕のもう一人好きなヴィヴィアン・リーも表紙って無いんですよ!「風と共に去りぬ」特集号とかはかろうじて載ってたりしますが、通常の号では「キネマ旬報」にイラストのがあっただけ。ヴィヴィアン・リーもスカーレットとか「美女ありき」とか「シーザーとクレオパトラ」とか映えそうなのに不思議ですよねー。
この号でもアラン・ドロンのプッシュが凄いのですが、この当時映画関係者には“???”だったらしい元スキー選手だったトニー・ザイラーのブームというのがあったらしく、ここでもグラビア・ページに書かれています。
彼らと対照的なのが後ろの方のページで「伸び悩みの青春」などという文章を書かれているアンソニー・パーキンス。「友情ある説得」で出てきて以降、人気はあるのに作品はどれもパッとしないと書かれています。
“「緑の館」もオードリィ・ヘッバアンとの共演が大向こうを湧かせたものの、ふたをあけてみれば案外の凡作で失望した。”“メル・ファーラアの処女監督などという悪いクジにあたったから、たまったものではなかった。”と書かれています。
この後まもなくアンソニー・パーキンスは生涯の代表作「サイコ」が出ますけど、それはアンソニー・パーキンスにとって良かったのかどうか…。
この号の「ハリウッド・ニュース」のページで現在撮影中の作品の中に「サイコウ」として載っています。
次のオードリーは「私は誰でShow」というコーナーで、ターザン映画の写真にターザンにはアラン・ドロン、ジェーン(?)にオードリーの顔を貼り付けた、いかにもアイコラです!みたいなので本当に顔だけ貼り替えられていますが、これがオードリーだとはわかりにくい!
同じコーナーで今度は「パリの恋人」のオードリーの身体にモンゴメリー・クリフトの顔を貼っているのもあります。
でもこんなの他の合成写真もですけど、どこが面白いのか全くわかりません。昔の戦後の昭和の東京のギャグなのでしょうか。
そのページをめくってのグラビアが「ハリウッド★スタア 御夫婦オン・パレード」って特集で、ここでももちろんメル・ファーラーと登場。
ちょうどオランダに出来た“オードリー・ヘプバーン通り”の記念式に出席の時の写真です。
次の本文ページは「ハリウッド夜ある記」というページなのですが、ハリウッドの映画館の当時の状況が面白いです。
1本立ての格の高いロードショー館では平日は夜8時、あるいは8時半からだけの1回興行なのだそうです!土日だけマチネー(昼興行)があるそうで、ええええっ!って思いますよね。
日本で言うなら銀座界隈にあった「有楽座」「日比谷映劇」「スカラ座」「丸の内ピカデリー」「松竹セントラル」「東劇」「日劇」「テアトル東京」といった1500席前後の往年のチェーン・マスターの巨大映画館で1日1回しか上映しない、ってこと。
それで経営が維持できるって凄いですよね。
あと、オードリーの作品を上映中の海外の劇場の写真でわかっていましたが、海外には往年の日本の劇場のような絵看板がないそうです。外からは文字だけで、ポスターはウインドウだけだそうです。
当時の日本の映画館は劇場の上部に大きな看板があって、それ用のプロの方までいましたし、ポスターも立看に普通のB2ポスターやB1ポスター、キャビネ写真と飾り付けが凄かったですよね。…ってこれは今の人たちの方がキョトンですよね。今時は看板なんて無い方が当たり前ですもんね。
次のオードリーは「Where,Who,When」というグラビアページ。「ベン・ハー」のプレミアに来たオードリー夫妻。アメリカでは超大作だけに制作されるパンフレットを持っています。
そしてそんな仲睦まじそうなオードリーの下にあるのが、夫婦仲が壊れそうなヴィヴィアン・リーとローレンス・オリヴィエ夫妻の写真。ヴィヴィアン・リーの精神的な病気の不安定さに耐えられなくなったオリヴィエ、なのですが、オリヴィエを愛しているヴィヴィアン・リーにはつらかったでしょうね。本当に心が張り裂けそうだったと思います。
それでもラリー(オリヴィエの愛称)が望むことならなんでもします、と言ったヴィヴィアン・リー。自分を犠牲にしても愛するオリヴィエのために身を引いたのですね。当時のヴィヴィアン・リーの心情を察すると涙を禁じえません。
さて、いよいよ3/4くらいのページで登場の「初笑い・外国映画ワースト・テン」ですが、1959年公開作品に関して岡俊雄さん、双葉十三郎さん、植草甚一さんの3名の映画評論家と、「スクリーン」編集長?のような“影の声”さんとの4人での1959年のワーストテンに関する対談です。
第1位はチャップリンの「ニューヨークの王様」、2位が「二十四時間の情事」、3位にオードリーの「緑の館」が選ばれています。
もちろん、ダメな映画というのは他にももっとヒドイのがあるのでしょうが、やはり映画評論家の方の選ぶワーストというのは大作で期待が大きかったものほど反動も大きいのでしょうね。
「緑の館」のところを書き出してみますね。
双葉:前評判のすごかったのは「緑の館」…。
岡:どういうわけで出来そこないになったんだろう。
双葉:亭主がやったからだよ。
植草:彼は気が変ですね。(笑)
岡:結局、メル・ファーラーという人は創造力のない人なんですね。ああいうものをやれないのだな。
双葉:それに、やっぱりオードリー・ヘプバーンの顎が四角いというのは致命傷なんじゃないか。
岡:あまり妖精に見えないね。
影:諸君、異議ありませんか?
双葉:キャメラがそばに寄ると全部ダメだよ。
と語ってらっしゃるんですが、実は双葉氏の発言で前評判が凄かったんや!とビックリ。僕なんかはファンになった時から評判は良くなかったので、公開時も始めから期待されてなかったのかと思っていたので。やはり公開当時の反応がわかるって面白いですね。
それと男女優のワーストですが…
影:女優の部、えらいことになりました。ワーストの第1位は本誌ベストテンで同じく1位を占めたオードリー・ヘプバーンなんですから。この矛盾した事実は「緑の館」の彼女がワースト・ワン、「尼僧物語」の彼女がベスト・ワンという先生方の説明でやっとケリがつきました。
となっています。ちなみに男優のワースト1は「嘆きの天使」(リメイク)、「六番目の幸福」のクルト・ユルゲンスになっています。
「緑の館」に関しては「シネマのカフェ」というコーナーでも、1959年の配給収入で “メトロは「緑の館」「裸のマヤ」などの大作が大失敗したのが大きな傷になっています。”と書かれてしまっています。
さて、こんなにも逆の意味で比較されてしまう「緑の館」と「尼僧物語」ですが、日本での興行はどうだったかというと、「緑の館」が有楽座でそれでも4週続映、「尼僧物語」は日比谷映劇で5週上映で順調にヒット。
ところが「尼僧物語」は「映画の友」60年2月号で “「尼僧物語」はロードショーでは好成績だったのに、一般封切の東宝洋画チェーンで最低記録を打ち出すという哀れな姿”と珍記録として書かれています。対して「緑の館」はLDの解説に書いてましたが、名画座ではリクエストが絶えず、フィルムがボロボロになってしまい、MGMが貸し出しをやめたというほどの人気。
「尼僧物語」の一般パンフレットの方が、日比谷映劇のパンフレットより見つかりにくいのはそういうわけだったのですね。
結局どちらも全盛期のオードリー作品での日本の配給収入ではワースト2位が「緑の館」(大コケの部類)、3位が「尼僧物語」(水準ヒット)と同じような感じになったんですから、結果は似たような感じでしょうか。同じ第二期の作品だし、連続して撮影しているし、オードリーがちょっと丸っこいし、この2作品にはなんとなく双子的なものを感じる、というか表裏一体のような感じを持っています。そして僕はどちらも好きですよ。
次のオードリーは「ハリウッド・ニュース」のページ。
“オードリイ・ヘプバアンはパラマウント傘下のハル・ウォーリス・プロ作品に出演する。喜劇物が得意なシドニイ・シェルドン脚色の「私生活のなかった男」(The Man Who Had No Private Life)で、ハリウッドで近々撮影に入る予定。”だそうです。
これは聞いたことのない作品。結局他の人主演ででも製作されたのでしょうか?この時期のパラマウント映画というと「判事に保釈なし」が思い浮かびますが、原題が違いますしね。
しかもシドニー・シェルダンですか!のちに「華麗なる相続人」でシェルダン原作の映画化にオードリーが主演することを考えると感慨深いですね。
でもこの号の出た60年1月というと、もう「許されざる者」の撮影に入ってますよね。
こういう当時でしかわからないことがあるのが嬉しいですね。
次はニューヨーク・タイムズ紙選出の1959年度作品ベストテンが載っているのですが、「尼僧物語」が第3位に入っています。「北北西に進路を取れ」や「ベン・ハー」が下にいるのが小気味良い感じですが、「アンネの日記」より下なのがどうもねえ…って感じでしょうか。
ラストには「スクリーン」の頒布するポートレート画像でオードリーのものがあります。
ラストの前、読者投稿欄では“「尼僧物語」を観てのひとつの感想”という読者の投稿が載っているのですが、その中で
“ガブリエルは、法王庁の組織と神の名で語られる戒律から自由であるべき人間性に従って脱出した。が、彼女がこれから入って行くであろう地下組織には、前のとは違う「戒律」がありはしないだろうか。その「戒律」と自己の自由な意思との間に、又もや矛盾を感ずることになりはしないだろうか。”
というのを読んでハッとしました。
以前から僕は「尼僧物語」は修道院から出ていったガブリエルの “あ〜よかった!”物語ではないと書いてきましたが、確かに地下組織にはもっと厳格な、おそらく裏切れば「死」をもって償わせるほどの厳しい決まりがあるに違いありません。
修道院を出ても外は戦時中だし、色々制限があって決して自由を謳歌できるようなことはないでしょうが、そういうもう一つの新しい「戒律」に関して気づかせてくれた文章でした。
もしかして今のコロナ禍もマスクするとか時短営業とか外出自粛とかワクチンとか色々決まりことがあって、見えない敵と戦っているのでしょうか…。やはり自由を謳歌できるわけではないですしね…などとも思ってしまいました。でもガブリエルなどよりはるかに心弱い僕は、世界大戦みたいに何年もかかるのはやっぱりイヤだなーと思ってしまいます。でも死と隣り合わせの毎日を、当時の世界の人たちはみんな受け入れてきたんですね…。
今回は「スクリーン」の1960年3月号(1月発売)の紹介です。
カテゴリーは「緑の館」「尼僧物語」両方で入れましたが、「尼僧物語」に関しては文章はありますが、画像は今号は1点も無いです。
表紙はパスカル・プチ。映画は全く見たことありませんが、写真で見る限りではオードリーよりもっと庶民派で、コケティッシュでファニーな感じ。なんとなくこの表紙だと由美かおるさんにも見えます。
「スクリーン」や「映画の友」って、2月号で映画評論家たちの選んだベスト10の発表、5月号が読者の選んだベスト10っていう流れでしたよね。
この号はそれらの間の号になります。
この号の特徴は表紙にも載っている「初笑い・外国映画ワースト・テン」という企画なのですが、その話は後回しにしておいて、この号最初のオードリーはカラーページのトップ。
ほらー、やっぱりこんな時代からカラーあるやん。なんで今の「SCREEN」編集者はオードリーの復刻編集 を白黒だけで埋めるかなー。しかもこっちの方がよっぽど珍しい画像だし。
こういうのを載せないから出来が悪いんですよ。
このカラーのオードリーは1957年のオードリーですよね。「マイヤーリング」以外、1年お休みしてた時のオードリー。
56年に撮影のあった「昼下りの情事」が終わって、髪型がちょっと「昼下りの情事」のページウェーブから崩れた感じになってるんです。
そういえば、「昼下りの情事」って実は1度も表紙になってないですね。「スクリーン」の1961年2月号で「昼下りの情事」の衣装を着たものがありますが、それも既に髪型が57年のものに変わっていました。
「映画の友」や「キネマ旬報」にも無かったですし、もしかして全く無い?「映画情報」誌にはあったような気もしますが。
「昼下りの情事」がそんな映えない作品だとも思わないですし、カラー写真がないわけでもないのに不思議ですねー。「パリの恋人」にみんな獲られてます。
そうそう!僕のもう一人好きなヴィヴィアン・リーも表紙って無いんですよ!「風と共に去りぬ」特集号とかはかろうじて載ってたりしますが、通常の号では「キネマ旬報」にイラストのがあっただけ。ヴィヴィアン・リーもスカーレットとか「美女ありき」とか「シーザーとクレオパトラ」とか映えそうなのに不思議ですよねー。
この号でもアラン・ドロンのプッシュが凄いのですが、この当時映画関係者には“???”だったらしい元スキー選手だったトニー・ザイラーのブームというのがあったらしく、ここでもグラビア・ページに書かれています。
彼らと対照的なのが後ろの方のページで「伸び悩みの青春」などという文章を書かれているアンソニー・パーキンス。「友情ある説得」で出てきて以降、人気はあるのに作品はどれもパッとしないと書かれています。
“「緑の館」もオードリィ・ヘッバアンとの共演が大向こうを湧かせたものの、ふたをあけてみれば案外の凡作で失望した。”“メル・ファーラアの処女監督などという悪いクジにあたったから、たまったものではなかった。”と書かれています。
この後まもなくアンソニー・パーキンスは生涯の代表作「サイコ」が出ますけど、それはアンソニー・パーキンスにとって良かったのかどうか…。
この号の「ハリウッド・ニュース」のページで現在撮影中の作品の中に「サイコウ」として載っています。
次のオードリーは「私は誰でShow」というコーナーで、ターザン映画の写真にターザンにはアラン・ドロン、ジェーン(?)にオードリーの顔を貼り付けた、いかにもアイコラです!みたいなので本当に顔だけ貼り替えられていますが、これがオードリーだとはわかりにくい!
同じコーナーで今度は「パリの恋人」のオードリーの身体にモンゴメリー・クリフトの顔を貼っているのもあります。
でもこんなの他の合成写真もですけど、どこが面白いのか全くわかりません。昔の戦後の昭和の東京のギャグなのでしょうか。
そのページをめくってのグラビアが「ハリウッド★スタア 御夫婦オン・パレード」って特集で、ここでももちろんメル・ファーラーと登場。
ちょうどオランダに出来た“オードリー・ヘプバーン通り”の記念式に出席の時の写真です。
次の本文ページは「ハリウッド夜ある記」というページなのですが、ハリウッドの映画館の当時の状況が面白いです。
1本立ての格の高いロードショー館では平日は夜8時、あるいは8時半からだけの1回興行なのだそうです!土日だけマチネー(昼興行)があるそうで、ええええっ!って思いますよね。
日本で言うなら銀座界隈にあった「有楽座」「日比谷映劇」「スカラ座」「丸の内ピカデリー」「松竹セントラル」「東劇」「日劇」「テアトル東京」といった1500席前後の往年のチェーン・マスターの巨大映画館で1日1回しか上映しない、ってこと。
それで経営が維持できるって凄いですよね。
あと、オードリーの作品を上映中の海外の劇場の写真でわかっていましたが、海外には往年の日本の劇場のような絵看板がないそうです。外からは文字だけで、ポスターはウインドウだけだそうです。
当時の日本の映画館は劇場の上部に大きな看板があって、それ用のプロの方までいましたし、ポスターも立看に普通のB2ポスターやB1ポスター、キャビネ写真と飾り付けが凄かったですよね。…ってこれは今の人たちの方がキョトンですよね。今時は看板なんて無い方が当たり前ですもんね。
次のオードリーは「Where,Who,When」というグラビアページ。「ベン・ハー」のプレミアに来たオードリー夫妻。アメリカでは超大作だけに制作されるパンフレットを持っています。
そしてそんな仲睦まじそうなオードリーの下にあるのが、夫婦仲が壊れそうなヴィヴィアン・リーとローレンス・オリヴィエ夫妻の写真。ヴィヴィアン・リーの精神的な病気の不安定さに耐えられなくなったオリヴィエ、なのですが、オリヴィエを愛しているヴィヴィアン・リーにはつらかったでしょうね。本当に心が張り裂けそうだったと思います。
それでもラリー(オリヴィエの愛称)が望むことならなんでもします、と言ったヴィヴィアン・リー。自分を犠牲にしても愛するオリヴィエのために身を引いたのですね。当時のヴィヴィアン・リーの心情を察すると涙を禁じえません。
さて、いよいよ3/4くらいのページで登場の「初笑い・外国映画ワースト・テン」ですが、1959年公開作品に関して岡俊雄さん、双葉十三郎さん、植草甚一さんの3名の映画評論家と、「スクリーン」編集長?のような“影の声”さんとの4人での1959年のワーストテンに関する対談です。
第1位はチャップリンの「ニューヨークの王様」、2位が「二十四時間の情事」、3位にオードリーの「緑の館」が選ばれています。
もちろん、ダメな映画というのは他にももっとヒドイのがあるのでしょうが、やはり映画評論家の方の選ぶワーストというのは大作で期待が大きかったものほど反動も大きいのでしょうね。
「緑の館」のところを書き出してみますね。
双葉:前評判のすごかったのは「緑の館」…。
岡:どういうわけで出来そこないになったんだろう。
双葉:亭主がやったからだよ。
植草:彼は気が変ですね。(笑)
岡:結局、メル・ファーラーという人は創造力のない人なんですね。ああいうものをやれないのだな。
双葉:それに、やっぱりオードリー・ヘプバーンの顎が四角いというのは致命傷なんじゃないか。
岡:あまり妖精に見えないね。
影:諸君、異議ありませんか?
双葉:キャメラがそばに寄ると全部ダメだよ。
と語ってらっしゃるんですが、実は双葉氏の発言で前評判が凄かったんや!とビックリ。僕なんかはファンになった時から評判は良くなかったので、公開時も始めから期待されてなかったのかと思っていたので。やはり公開当時の反応がわかるって面白いですね。
それと男女優のワーストですが…
影:女優の部、えらいことになりました。ワーストの第1位は本誌ベストテンで同じく1位を占めたオードリー・ヘプバーンなんですから。この矛盾した事実は「緑の館」の彼女がワースト・ワン、「尼僧物語」の彼女がベスト・ワンという先生方の説明でやっとケリがつきました。
となっています。ちなみに男優のワースト1は「嘆きの天使」(リメイク)、「六番目の幸福」のクルト・ユルゲンスになっています。
「緑の館」に関しては「シネマのカフェ」というコーナーでも、1959年の配給収入で “メトロは「緑の館」「裸のマヤ」などの大作が大失敗したのが大きな傷になっています。”と書かれてしまっています。
さて、こんなにも逆の意味で比較されてしまう「緑の館」と「尼僧物語」ですが、日本での興行はどうだったかというと、「緑の館」が有楽座でそれでも4週続映、「尼僧物語」は日比谷映劇で5週上映で順調にヒット。
ところが「尼僧物語」は「映画の友」60年2月号で “「尼僧物語」はロードショーでは好成績だったのに、一般封切の東宝洋画チェーンで最低記録を打ち出すという哀れな姿”と珍記録として書かれています。対して「緑の館」はLDの解説に書いてましたが、名画座ではリクエストが絶えず、フィルムがボロボロになってしまい、MGMが貸し出しをやめたというほどの人気。
「尼僧物語」の一般パンフレットの方が、日比谷映劇のパンフレット より見つかりにくいのはそういうわけだったのですね。
結局どちらも全盛期のオードリー作品での日本の配給収入ではワースト2位が「緑の館」(大コケの部類)、3位が「尼僧物語」(水準ヒット)と同じような感じになったんですから、結果は似たような感じでしょうか。同じ第二期の作品だし、連続して撮影しているし、オードリーがちょっと丸っこいし、この2作品にはなんとなく双子的なものを感じる、というか表裏一体のような感じを持っています。そして僕はどちらも好きですよ。
次のオードリーは「ハリウッド・ニュース」のページ。
“オードリイ・ヘプバアンはパラマウント傘下のハル・ウォーリス・プロ作品に出演する。喜劇物が得意なシドニイ・シェルドン脚色の「私生活のなかった男」(The Man Who Had No Private Life)で、ハリウッドで近々撮影に入る予定。”だそうです。
これは聞いたことのない作品。結局他の人主演ででも製作されたのでしょうか?この時期のパラマウント映画というと「判事に保釈なし」が思い浮かびますが、原題が違いますしね。
しかもシドニー・シェルダンですか!のちに「華麗なる相続人」でシェルダン原作の映画化にオードリーが主演することを考えると感慨深いですね。
でもこの号の出た60年1月というと、もう「許されざる者」の撮影に入ってますよね。
こういう当時でしかわからないことがあるのが嬉しいですね。
次はニューヨーク・タイムズ紙選出の1959年度作品ベストテンが載っているのですが、「尼僧物語」が第3位に入っています。「北北西に進路を取れ」や「ベン・ハー」が下にいるのが小気味良い感じですが、「アンネの日記」より下なのがどうもねえ…って感じでしょうか。
ラストには「スクリーン」の頒布するポートレート画像でオードリーのものがあります。
ラストの前、読者投稿欄では“「尼僧物語」を観てのひとつの感想”という読者の投稿が載っているのですが、その中で
“ガブリエルは、法王庁の組織と神の名で語られる戒律から自由であるべき人間性に従って脱出した。が、彼女がこれから入って行くであろう地下組織には、前のとは違う「戒律」がありはしないだろうか。その「戒律」と自己の自由な意思との間に、又もや矛盾を感ずることになりはしないだろうか。”
というのを読んでハッとしました。
以前から僕は「尼僧物語」は修道院から出ていったガブリエルの “あ〜よかった!”物語ではないと書いてきましたが、確かに地下組織にはもっと厳格な、おそらく裏切れば「死」をもって償わせるほどの厳しい決まりがあるに違いありません。
修道院を出ても外は戦時中だし、色々制限があって決して自由を謳歌できるようなことはないでしょうが、そういうもう一つの新しい「戒律」に関して気づかせてくれた文章でした。
もしかして今のコロナ禍もマスクするとか時短営業とか外出自粛とかワクチンとか色々決まりことがあって、見えない敵と戦っているのでしょうか…。やはり自由を謳歌できるわけではないですしね…などとも思ってしまいました。でもガブリエルなどよりはるかに心弱い僕は、世界大戦みたいに何年もかかるのはやっぱりイヤだなーと思ってしまいます。でも死と隣り合わせの毎日を、当時の世界の人たちはみんな受け入れてきたんですね…。 ]]>
尼僧物語
緑の館
スクリーン
みつお
2021-08-02T21:00:00+09:00
-
「緑の館」公開60周年記念 「スクリーン」1959年1月号
https://audreyhepburn.ko-co.jp/e509323.html
今日から3日間、二子玉川にて“オードリー・ヘプバーン映画祭”が始まっています!
今日は「緑の館」日米の初公開から60周年を記念して、雑誌「スクリーン」の1959年1月号を紹介。発売は1958年11月21日ですね。
この号にはオードリーのインタビューもあります。が…。
表紙はナタリー・ウッドですね。このころはまだ「ウエスト・サイド物語」も撮影されていない頃。
今と違って文字もほとんど無くさっぱりした表紙ですが、右下には“オードリイ・ヘプバァン会見記”と書いていて、オードリーのインタビューがウリになっています。が…。
この号では「緑の館」が撮影終了したようで、“御夫婦協力映画「緑の館」完成”とかって書いてます。
まずはグラビア5ページで画像が紹介されるのですが、うーん、残念ながら今もわりと見る画像ばかり。
昔の雑誌の醍醐味は、今ではほとんど見ることができない画像が載ってるのが嬉しいんですけれども、この号は全体的によく見る画像ばかりで構成されています。
次はこの当時大人気だったアンソニー・パーキンスのグラビアが1ページ。
その次がグラビア1ページと本文3ページを使ってのオードリーのインタビューが始まります。が……。
インタビュアーは目次を見るとエドー・コオナアって人になってます。
このインタビュー、3ページも使ってるのに、全く内容が印象に残らないんですよね。僕も久々に出してみてオードリーのインタビューがあったことに気づきました。
なんでこんなに印象が薄いんかなあ…と思って読みかえしましたが、ここでほとんどオードリーは大したことを喋ってないことに気づきました。
まずは監督のことについて、“監督さんというのは、人によってみんな違いますわ。”と言いながら、今までの全主演作品と監督名を挙げて、“でも人によって違うと言っても実はとても似通った面があるんです。”と言い出す。
メル・ファーラーとフレッド・ジンネマン監督が似てるとか、新しい撮影角度を考え出した時に同じことをするのはオーゾン・ウェルズだけじゃないかしら。と、今まで組んだこともない監督の撮影方法を言い出す。
それに撮影中の「緑の館」のことはそこそこに、前作「尼僧物語」のことへの質問が始まる。
アンソニー・パーキンスについて尋ねられると、マーロン・ブランドを引き合いに出して、長々と語りながらも結局とても才能のある俳優だと思います、みたいなことしか喋ってない。
恋愛経験について尋ねられると、メル・ファーラ-ーしか経験がない、最初に会った時、“私、貴方と結婚するつもりです。”とメル・ファーラーに言ったと、ローレンス・オリヴィエに会った時のヴィヴィアン・リーのようなことを言い出す。
次作品について聞かれると、人に取られたら嫌だから喋らないようにしている、とこの時点では既に出演することは決まっていたであろう「許されざる者」のことは題名も出さないし、何も語らない。
そんな中身の全くないインタビューだから、印象に残らないんですよね。
唯一以前読んだ時から違和感があって印象に残っていたのは、眉のことを“あなたの眉は描いたものですか?それとも自然のままですか?”という質問で、オードリーが“私の眉が描いたように見えるなんて思ってもみませんでしたわ。もちろん私の眉は生まれつきのものです。私は全て自然のままが好きなんです。描いた眉毛なんて私は嫌い。”と言い放っていたところ。
こちらにいらしてくださっている方なら当然お分かりのように、オードリーの眉はアルベルト・デ・ロッシによって作品ごとに変えられて、もちろん描かれています。「緑の館」も例外ではありません。そのアルベルト・デ・ロッシにすごく頼って感謝してるはずのオードリーが“描いてません!描くのは嫌い!”などと言うのかなあ?と思ってました。
実際この号で掲載されている「緑の館」のオードリーも、描いてあるのが良くわかる画像とか載ってますしね。
で、今回読み直してみて、このインタビューは完全にでっち上げ!だと判明した箇所がありました。
「尼僧物語」の撮影に入った頃のことについて尋ねたインタビュアーが、“しかし、その頃は、パリで「昼下りの情事」の撮影が終わったばかりでしょう。かなり疲れていたのでは?”という問いに、
“ええ、くたくたでしたわ。とっても休みたいと思っていたんですけど、でも、すぐに喜んでベルギー領コンゴに向かいましたの。疲れ果てていることも、新しい力を蓄えなくちゃいけないことも、すっかり忘れてしまったんです。”と答えたというくだり。
はい、アウト〜!
ここで完全にでっち上げがバレましたね。
「スクリーン」は悪くないと思います。この外国の自称“オードリーにインタビューした”という記事を買い取って、翻訳しただけでしょうから。
悪いのはこのエドー・コオナアってヤツですよね。当時のオードリーはインタビューが大嫌い。年に4回とか5回とかしかインタビューは受けないと言われていた時代のオードリーが、こんなにたやすく受ける訳がないんですよね。
それを、“日本の雑誌なら、中身まではオードリーやその周辺の目に触れることは無いだろう”と適当に創作して売り込んでますね。
だから中身が何も無い。印象に残らない。
「緑の館」もそこそこに、「尼僧物語」のことを訊いているのは、「尼僧物語」だと既に海外の雑誌とかでオードリーのインタビューが載ってたんでしょう。だからそこから勝手に拝借してさも今喋ったように書いただけ、と。
「許されざる者」のことを一切喋らないというのも、次作を調べてないから、こういう書き方しかできなかったんでしょうね。
だいたい、本当に「緑の館」のセットでオードリーにインタビューしたんなら、インタビュアーとオードリーの2ショット写真とかがあってしかるべき。
本当にオードリーにインタビューした小森のおばちゃまとかはきっちり「緑の館」の時と「暗くなるまで待って」の時のオードリーとの写真がありますしね。
なんか当時の日本ってめっちゃ舐められてますよね。“日本ならオードリーの人気が高いし、高額で買い取るだろう” と、こんな嘘八百を買わせるなんて、「ティファニーで朝食を」のユニオシの比じゃ無いくらいムカつきます。
でもダイアナ・メイチックの伝記もウソだらけでしたけど、こんな昔から嘘を平気でつく金目当ての輩が居たんですね!
このエドー・コオナアってやつは、今ネットとかで1964年公開の「パリで一緒に」のオードリーが35才、って書くような何にも調べてない自称映画ファンor自称オードリーファンとおんなじですね。自分の見える時系列でデタラメを組み立ててる。
1957年に「昼下りの情事」が公開された。そして58年最初に「尼僧物語」が撮影されていたのは雑誌とかで知っている。だから「尼僧物語」の撮影に入った当初は「昼下りの情事」が終わったばかり。という浅はかな考えで文章を作って馬脚を露わしてしまった。
でもオードリーから見た本当の時系列で考えると、「昼下りの情事」の撮影は1956年秋。「尼僧物語」の撮影が始まる1958年1月までには1年以上も開いている。1957年は2月の生放送の「マイヤーリング」以外一切仕事をしていない。その間ずっとメルの良い妻であろうとしてたんですよね。
なので「尼僧物語」の撮影に入る頃には、たっぷり休養をとって、すっかりリフレッシュしたオードリーだった。しかも明らかに「昼下りの情事」よりも幸せ太りしてましたよね。
その上、いきなりベルギー領コンゴに行ったなど、ありもしない事を言ってることにしてるし。
「尼僧物語」は最初はまず実際の修道院で何日か過ごした後、ベルギーのブルージュで戸外の撮影、その後ローマのチネチッタ撮影所、それからコンゴの順で撮影していったから、いきなりコンゴに行ったとかオードリーが嘘言うわけないんですよね。
ということで、このインタビューはオードリーは実際は答えてなかったと結論付けしときます。
中学の頃なら信用してたでしょうけど、こういう胡散臭いデタラメはもう見抜けてしまうので。
次に早川雪洲氏へのインタビューが2ページ続きますが、こちらは日本で登川直樹さんという方がされたようで、こちらの方がよっぽど充実して読み応えがあります。
・最初は原住民の言葉などいらないから、日本語で適当に喋っていてくれ、と言われて役を引き受けたら、撮影が始まったらやっぱり原住民の言葉を覚えてくれ、ってなった
・カメラマンのジョゼフ・ルッテンバーグと音楽担当(だれかは不明)が女の話ばかりしている横で、アンソニー・パーキンスは知らん顔していた。でもアンソニー・パーキンスと2人で話してみると博学だった。
・リーマの衣装が出来てきて、スタンドインが着けてみたらほとんど体が透けて見えてしまっていて、オードリーがどうしても嫌だと言ってもう少し体の線が見えない衣装に作り変えた
・ラストシーンはハッピーエンドと悲劇と2通り撮影していた
とか、やはり本当のインタビューは興味深いです。
後に「カタログ オードリー・ヘプバーン」で再録される、早川雪洲が撮影していたオープンセットでオードリーが着物を着て登場して、“今日は日本ムスメになってホームシックのあなたを慰めにきた”という逸話がここで語られています。
この着物を着たオードリーの写真、最近ネットでよく載っていますが、横に立っている早川雪洲をカットしてオードリーだけになってたりしますけど、本当に失礼。オードリーは早川雪洲のために着てきたのに!と思います。
あとは本文最後のページに「スクリーン」が販売するオードリーの写真(1957年のもの)が載ってるだけなんですが、ファンの投稿ページでのオードリーの載ってる割合が結構多いです。やっぱり人気あったんですね!
その投稿の中にまだ「スクリーン」を見始めて1年だという男の子からこんな文章が…
“次のようなキャストで映画を作ろうと思うんですがネ。ヘプバアンとホールデンの組合わせにシナトラとドリス・デイの歌が入るというようなミュージカル物てのはどうですか?”
……なんですとー!!!
これ、間も無くほぼ叶うじゃないですか!オードリーとホールデンが主演で、フランク・シナトラの歌と、ドリス・デイじゃなくてフレッド・アステアの歌の“THAT FACE”でミュージカルのように踊る、ちゅう作品で!
これ、1958年の発売本ですから、まだ「パリで一緒に」は影も形も無い頃でしょうが、ここからわずか3年くらいで撮影が始まり、5年後には見れるんですよ!この男の子、大感激だったでしょうね!(まあ僕よりも遥かに年上ですが…)
なんか「パリで一緒に」の撮影が始まった時や、公開された時の感想を聞かせてもらいたいなー!と思いました。
ちなみにこの“スクリーン”っていう題字は1959年だけのちょっと変わったデザインですが、なんとこれファンが書いたものを採用したんだそう!編集後記に書いてありました。
不評だったのか、翌年にはすぐに替えられてしまって、僕らの世代がおなじみのシュッとしたデザインになりましたけどね。
あと、裏表紙は「月夜の出来事」というパラマウントのロマンティック・コメディなんですけど、主演はケイリー・グラントとソフィア・ローレン。
この作品、「スクリーン」の“僕の採点表”で、双葉十三郎さんが“この役は本来オードリー・ヘプバーンのために準備されたものではないか?”と書いてらしたんですよね。
この当時オードリーは女優としての挑戦をしていた第2期(「尼僧物語」「緑の館」「許されざる者」)なので、こういう軽いロマンティック・コメディはオファーを受けなかったのかもしれませんね。
今日は「緑の館」日米の初公開から60周年を記念して、雑誌「スクリーン」の1959年1月号を紹介。発売は1958年11月21日ですね。
この号にはオードリーのインタビューもあります。が…。
表紙はナタリー・ウッドですね。このころはまだ「ウエスト・サイド物語」も撮影されていない頃。
今と違って文字もほとんど無くさっぱりした表紙ですが、右下には“オードリイ・ヘプバァン会見記”と書いていて、オードリーのインタビューがウリになっています。が…。
この号では「緑の館」が撮影終了したようで、“御夫婦協力映画「緑の館」完成”とかって書いてます。
まずはグラビア5ページで画像が紹介されるのですが、うーん、残念ながら今もわりと見る画像ばかり。
昔の雑誌の醍醐味は、今ではほとんど見ることができない画像が載ってるのが嬉しいんですけれども、この号は全体的によく見る画像ばかりで構成されています。
次はこの当時大人気だったアンソニー・パーキンスのグラビアが1ページ。
その次がグラビア1ページと本文3ページを使ってのオードリーのインタビューが始まります。が……。
インタビュアーは目次を見るとエドー・コオナアって人になってます。
このインタビュー、3ページも使ってるのに、全く内容が印象に残らないんですよね。僕も久々に出してみてオードリーのインタビューがあったことに気づきました。
なんでこんなに印象が薄いんかなあ…と思って読みかえしましたが、ここでほとんどオードリーは大したことを喋ってないことに気づきました。
まずは監督のことについて、“監督さんというのは、人によってみんな違いますわ。”と言いながら、今までの全主演作品と監督名を挙げて、“でも人によって違うと言っても実はとても似通った面があるんです。”と言い出す。
メル・ファーラーとフレッド・ジンネマン監督が似てるとか、新しい撮影角度を考え出した時に同じことをするのはオーゾン・ウェルズだけじゃないかしら。と、今まで組んだこともない監督の撮影方法を言い出す。
それに撮影中の「緑の館」のことはそこそこに、前作「尼僧物語」のことへの質問が始まる。
アンソニー・パーキンスについて尋ねられると、マーロン・ブランドを引き合いに出して、長々と語りながらも結局とても才能のある俳優だと思います、みたいなことしか喋ってない。
恋愛経験について尋ねられると、メル・ファーラ-ーしか経験がない、最初に会った時、“私、貴方と結婚するつもりです。”とメル・ファーラーに言ったと、ローレンス・オリヴィエに会った時のヴィヴィアン・リーのようなことを言い出す。
次作品について聞かれると、人に取られたら嫌だから喋らないようにしている、とこの時点では既に出演することは決まっていたであろう「許されざる者」のことは題名も出さないし、何も語らない。
そんな中身の全くないインタビューだから、印象に残らないんですよね。
唯一以前読んだ時から違和感があって印象に残っていたのは、眉のことを“あなたの眉は描いたものですか?それとも自然のままですか?”という質問で、オードリーが“私の眉が描いたように見えるなんて思ってもみませんでしたわ。もちろん私の眉は生まれつきのものです。私は全て自然のままが好きなんです。描いた眉毛なんて私は嫌い。”と言い放っていたところ。
こちらにいらしてくださっている方なら当然お分かりのように、オードリーの眉はアルベルト・デ・ロッシによって作品ごとに変えられて、もちろん描かれています。「緑の館」も例外ではありません。そのアルベルト・デ・ロッシにすごく頼って感謝してるはずのオードリーが“描いてません!描くのは嫌い!”などと言うのかなあ?と思ってました。
実際この号で掲載されている「緑の館」のオードリーも、描いてあるのが良くわかる画像とか載ってますしね。
で、今回読み直してみて、このインタビューは完全にでっち上げ!だと判明した箇所がありました。
「尼僧物語」の撮影に入った頃のことについて尋ねたインタビュアーが、“しかし、その頃は、パリで「昼下りの情事」の撮影が終わったばかりでしょう。かなり疲れていたのでは?”という問いに、
“ええ、くたくたでしたわ。とっても休みたいと思っていたんですけど、でも、すぐに喜んでベルギー領コンゴに向かいましたの。疲れ果てていることも、新しい力を蓄えなくちゃいけないことも、すっかり忘れてしまったんです。”と答えたというくだり。
はい、アウト〜!
ここで完全にでっち上げがバレましたね。
「スクリーン」は悪くないと思います。この外国の自称“オードリーにインタビューした”という記事を買い取って、翻訳しただけでしょうから。
悪いのはこのエドー・コオナアってヤツですよね。当時のオードリーはインタビューが大嫌い。年に4回とか5回とかしかインタビューは受けないと言われていた時代のオードリーが、こんなにたやすく受ける訳がないんですよね。
それを、“日本の雑誌なら、中身まではオードリーやその周辺の目に触れることは無いだろう”と適当に創作して売り込んでますね。
だから中身が何も無い。印象に残らない。
「緑の館」もそこそこに、「尼僧物語」のことを訊いているのは、「尼僧物語」だと既に海外の雑誌とかでオードリーのインタビューが載ってたんでしょう。だからそこから勝手に拝借してさも今喋ったように書いただけ、と。
「許されざる者」のことを一切喋らないというのも、次作を調べてないから、こういう書き方しかできなかったんでしょうね。
だいたい、本当に「緑の館」のセットでオードリーにインタビューしたんなら、インタビュアーとオードリーの2ショット写真とかがあってしかるべき。
本当にオードリーにインタビューした小森のおばちゃまとかはきっちり「緑の館」の時と「暗くなるまで待って」の時のオードリーとの写真がありますしね。
なんか当時の日本ってめっちゃ舐められてますよね。“日本ならオードリーの人気が高いし、高額で買い取るだろう” と、こんな嘘八百を買わせるなんて、「ティファニーで朝食を」のユニオシの比じゃ無いくらいムカつきます。
でもダイアナ・メイチックの伝記もウソだらけでしたけど、こんな昔から嘘を平気でつく金目当ての輩が居たんですね!
このエドー・コオナアってやつは、今ネットとかで1964年公開の「パリで一緒に」のオードリーが35才、って書くような何にも調べてない自称映画ファンor自称オードリーファンとおんなじですね。自分の見える時系列でデタラメを組み立ててる。
1957年に「昼下りの情事」が公開された。そして58年最初に「尼僧物語」が撮影されていたのは雑誌とかで知っている。だから「尼僧物語」の撮影に入った当初は「昼下りの情事」が終わったばかり。という浅はかな考えで文章を作って馬脚を露わしてしまった。
でもオードリーから見た本当の時系列で考えると、「昼下りの情事」の撮影は1956年秋。「尼僧物語」の撮影が始まる1958年1月までには1年以上も開いている。1957年は2月の生放送の「マイヤーリング」以外一切仕事をしていない。その間ずっとメルの良い妻であろうとしてたんですよね。
なので「尼僧物語」の撮影に入る頃には、たっぷり休養をとって、すっかりリフレッシュしたオードリーだった。しかも明らかに「昼下りの情事」よりも幸せ太りしてましたよね。
その上、いきなりベルギー領コンゴに行ったなど、ありもしない事を言ってることにしてるし。
「尼僧物語」は最初はまず実際の修道院で何日か過ごした後、ベルギーのブルージュで戸外の撮影、その後ローマのチネチッタ撮影所、それからコンゴの順で撮影していったから、いきなりコンゴに行ったとかオードリーが嘘言うわけないんですよね。
ということで、このインタビューはオードリーは実際は答えてなかったと結論付けしときます。
中学の頃なら信用してたでしょうけど、こういう胡散臭いデタラメはもう見抜けてしまうので。
次に早川雪洲氏へのインタビューが2ページ続きますが、こちらは日本で登川直樹さんという方がされたようで、こちらの方がよっぽど充実して読み応えがあります。
・最初は原住民の言葉などいらないから、日本語で適当に喋っていてくれ、と言われて役を引き受けたら、撮影が始まったらやっぱり原住民の言葉を覚えてくれ、ってなった
・カメラマンのジョゼフ・ルッテンバーグと音楽担当(だれかは不明)が女の話ばかりしている横で、アンソニー・パーキンスは知らん顔していた。でもアンソニー・パーキンスと2人で話してみると博学だった。
・リーマの衣装が出来てきて、スタンドインが着けてみたらほとんど体が透けて見えてしまっていて、オードリーがどうしても嫌だと言ってもう少し体の線が見えない衣装に作り変えた
・ラストシーンはハッピーエンドと悲劇と2通り撮影していた
とか、やはり本当のインタビューは興味深いです。
後に「カタログ オードリー・ヘプバーン」で再録される、早川雪洲が撮影していたオープンセットでオードリーが着物を着て登場して、“今日は日本ムスメになってホームシックのあなたを慰めにきた”という逸話がここで語られています。
この着物を着たオードリーの写真、最近ネットでよく載っていますが、横に立っている早川雪洲をカットしてオードリーだけになってたりしますけど、本当に失礼。オードリーは早川雪洲のために着てきたのに!と思います。
あとは本文最後のページに「スクリーン」が販売するオードリーの写真(1957年のもの)が載ってるだけなんですが、ファンの投稿ページでのオードリーの載ってる割合が結構多いです。やっぱり人気あったんですね!
その投稿の中にまだ「スクリーン」を見始めて1年だという男の子からこんな文章が…
“次のようなキャストで映画を作ろうと思うんですがネ。ヘプバアンとホールデンの組合わせにシナトラとドリス・デイの歌が入るというようなミュージカル物てのはどうですか?”
……なんですとー!!!
これ、間も無くほぼ叶うじゃないですか!オードリーとホールデンが主演で、フランク・シナトラの歌と、ドリス・デイじゃなくてフレッド・アステアの歌の“THAT FACE”でミュージカルのように踊る、ちゅう作品で!
これ、1958年の発売本ですから、まだ「パリで一緒に」は影も形も無い頃でしょうが、ここからわずか3年くらいで撮影が始まり、5年後には見れるんですよ!この男の子、大感激だったでしょうね!(まあ僕よりも遥かに年上ですが…)
なんか「パリで一緒に」の撮影が始まった時や、公開された時の感想を聞かせてもらいたいなー!と思いました。
ちなみにこの“スクリーン”っていう題字は1959年だけのちょっと変わったデザインですが、なんとこれファンが書いたものを採用したんだそう!編集後記に書いてありました。
不評だったのか、翌年にはすぐに替えられてしまって、僕らの世代がおなじみのシュッとしたデザインになりましたけどね。
あと、裏表紙は「月夜の出来事」というパラマウントのロマンティック・コメディなんですけど、主演はケイリー・グラントとソフィア・ローレン。
この作品、「スクリーン」の“僕の採点表”で、双葉十三郎さんが“この役は本来オードリー・ヘプバーンのために準備されたものではないか?”と書いてらしたんですよね。
この当時オードリーは女優としての挑戦をしていた第2期(「尼僧物語」「緑の館」「許されざる者」)なので、こういう軽いロマンティック・コメディはオファーを受けなかったのかもしれませんね。 ]]>
緑の館
スクリーン
みつお
2019-06-14T20:00:00+09:00
-
「スクリーン」1958年11月号 オードリーが表紙
https://audreyhepburn.ko-co.jp/e497723.html
今年は「尼僧物語」「緑の館」が公開60周年に当たります。
他にも「華麗なる相続人」は制作40周年、「オールウェイズ」制作30周年、「パリで一緒に」「マイ・フェア・レディ」は公開55周年だし、「麗しのサブリナ」も公開65周年になります。
もっと言えば「ローマの休日」は日本公開65周年だし、「許されざる者」は撮影60年。
まあその気になればオードリーの生誕90周年だけでなく、あれこれ付けれるというわけですね。
さて今回はそんな60周年の「緑の館」と「尼僧物語」の両方が載っている1958年11月号の「スクリーン」を紹介。
これはオードリーが表紙ですね。「SCREEN」が編集したオードリーの写真集でも、よく表紙が載っていますね。
で、この号はじゃあ中身はどんな感じ?と思われる方もいらっしゃるだろうと思うので、全部お見せしますね!
…なんて、この号を紹介するのはとても簡単。だってオードリー関連のところ、たった3箇所しかないですから。
表紙だけ見たら、中身もきっと「尼僧物語」のことがいっぱい載っててさぞや!と期待しますが、これが以前書いていたような、表紙がオードリーだったら中身には少ない、の典型的な例。
まずは表紙。どう見ても「尼僧物語」ですよね。それと撮影を開始したばかりの「緑の館」が1/4ページ、そして最後のページに「スクリーン」が売っているスターの写真(2枚で100円)で小さくて粗い「尼僧物語」の画像があるだけ。以上です!他には記事も何もありません!
でも1958年11月号ということは9月21日発売ですよね。オードリー的には6月で「尼僧物語」の撮影は終わって、7月から「緑の館」の撮影が始まったばかり。
でも昔の映画って、撮影中からバンバン宣伝を兼ねて写真や記事を出してたんだなーって。
今の映画は洋画でも邦画でも撮影中は極秘裏に進んで行って、公開前にやっと宣伝を始める、って感じですよね。
今の人っていつ撮影されたかって知らない人が多いですよね。だから1959年公開の「緑の館」だったらオードリー30才とかって平気で書いてる。
でも「緑の館」なんて公開が1959年5月16日(大阪。東京は20日から)ですから、もしオードリーが30才だったら、撮影期間10日くらいですか?ってなっちゃう。ましてやアメリカでは3月公開ですから、30才で撮影なんて不可能ですやん。
こうして雑誌や記事で撮影時からあらかじめ宣伝写真が出回ったりするので、だいたい撮影は公開の1年くらい前、ってのは当時の映画ファンや関係者は無意識にわかってたんだろうなーと思います。
でも今の人は(それなりの年齢の人も含めて)まるで映画が昨日撮影したみたいなイメージを持ってるんでしょうかね?
例えばこの表紙の「尼僧物語」はオードリーの作品の中でも最も制作に時間のかかった作品でもあるのですが、撮影が1958年1月〜6月。
その後で編集したり音楽を付けたり、試写会をしたりとポストプロダクションの仕事が山のようにあるのですが、結局アメリカ公開で1959年7月。
撮影から1年7ヶ月もかかってますね。さらにもちろん出演してくれる俳優へのオファーや契約、撮影前のロケ地選び、衣装やセットの制作、協力してくれる教会などを見つけるプレプロダクションの仕事も大量にあったでしょうし、おそらく制作決定から公開までには2年以上かかっていると思われます。
後年、オードリー自身も「ロビンとマリアン」宣伝の時のインタビューで “最も好きな自分の主演作品は?”と訊かれて、“好き、というのとは違うんですけど” と前置きを置いた後で、“最も印象に残っているのは「尼僧物語」でしょうね。作るのに最も時間のかかった作品だったし” と述べていました。
逆に「緑の館」はオードリー作品では最も短い期間で制作されたのでは?と思うのですが、それでも撮影が1958年の7月〜11月、やはり公開までには1年ほど掛かっています。「尼僧物語」と同時進行でメル・ファーラーなどはベネズエラに行っていたようなので、制作はやはり1年以上かかっていますよね。
なので、「尼僧物語」のオードリーは28〜29才、「緑の館」のオードリーは29才、ということになります。
こうして撮影時から宣伝活動を開始していたのと違って、一体いつから秘密裡に映画って作られるようになったんでしょうかね?
なんとなく70年代のスピルバーグ監督作品からのようなイメージがありますが…。
僕的には撮影時から宣伝したほうが、公開時だけ慌てて宣伝するより効率がいいような気がしますけど…。
「緑の館」の撮影スナップにはキャプションが付いていましたが、“南米ジャングルの中の野生の乙女”と書かれてますけど、うーん、ちょっと「緑の館」のイメージと違いますよね。
ネットとか見ると、「緑の館」を見ないで、その評価やあらすじだけで “オードリーをジャングルの野生の少女なんて、見る前からミスキャストがわかる”、なんて書いてる人がいますが、全然違いますよね。
「緑の館」をジャングルの野生の少女、なんてイメージしてしまったらそりゃオードリーじゃないですよね。
でも「緑の館」は英国人の原作者がイメージした、幻想的な森に住む動物とも話せる妖精のような少女、ですからね。
ジャングルの野生の少女と幻想の森の妖精のような少女では全然受けるイメージが違いますよね笑。
だからリーマはオードリーでないと演じられなかったこれまた当たり役の一つですよね。問題は役じゃなく、監督であり夫でもあったメル・ファーラーの腕前だったということ。
役だけ見たら妖精のような少女にオードリーってこれ以上無いほどピッタリなので、写真だけで見るとその醸し出すイメージに漫画家の里中満智子さんが思わず自分でも描いてみたほど。でもその自分の絵よりも現実のオードリーの方がずっと幻想的だった、と書いておられました。
妖精リーマを具現化出来たことは凄いことで、他にも衣装デザインのワダ・エミさんや歌手の手嶌葵さんなど、アーティスティックな方にオードリーのベストとして推されています。
僕も作品はともかく、思い入れはかなり強い作品です。「緑の館」の写真なんかはめっちゃ嬉しくなりますね。
今年は「尼僧物語」「緑の館」が公開60周年に当たります。
他にも「華麗なる相続人」は制作40周年、「オールウェイズ」制作30周年、「パリで一緒に」「マイ・フェア・レディ」は公開55周年だし、「麗しのサブリナ」も公開65周年になります。
もっと言えば「ローマの休日」は日本公開65周年だし、「許されざる者」は撮影60年。
まあその気になればオードリーの生誕90周年だけでなく、あれこれ付けれるというわけですね。
さて今回はそんな60周年の「緑の館」と「尼僧物語」の両方が載っている1958年11月号の「スクリーン」を紹介。
これはオードリーが表紙ですね。「SCREEN」が編集したオードリーの写真集でも、よく表紙が載っていますね。
で、この号はじゃあ中身はどんな感じ?と思われる方もいらっしゃるだろうと思うので、全部お見せしますね!
…なんて、この号を紹介するのはとても簡単。だってオードリー関連のところ、たった3箇所しかないですから。
表紙だけ見たら、中身もきっと「尼僧物語」のことがいっぱい載っててさぞや!と期待しますが、これが以前書いていたような、表紙がオードリーだったら中身には少ない、の典型的な例。
まずは表紙。どう見ても「尼僧物語」ですよね。それと撮影を開始したばかりの「緑の館」が1/4ページ、そして最後のページに「スクリーン」が売っているスターの写真(2枚で100円)で小さくて粗い「尼僧物語」の画像があるだけ。以上です!他には記事も何もありません!
でも1958年11月号ということは9月21日発売ですよね。オードリー的には6月で「尼僧物語」の撮影は終わって、7月から「緑の館」の撮影が始まったばかり。
でも昔の映画って、撮影中からバンバン宣伝を兼ねて写真や記事を出してたんだなーって。
今の映画は洋画でも邦画でも撮影中は極秘裏に進んで行って、公開前にやっと宣伝を始める、って感じですよね。
今の人っていつ撮影されたかって知らない人が多いですよね。だから1959年公開の「緑の館」だったらオードリー30才とかって平気で書いてる。
でも「緑の館」なんて公開が1959年5月16日(大阪。東京は20日から)ですから、もしオードリーが30才だったら、撮影期間10日くらいですか?ってなっちゃう。ましてやアメリカでは3月公開ですから、30才で撮影なんて不可能ですやん。
こうして雑誌や記事で撮影時からあらかじめ宣伝写真が出回ったりするので、だいたい撮影は公開の1年くらい前、ってのは当時の映画ファンや関係者は無意識にわかってたんだろうなーと思います。
でも今の人は(それなりの年齢の人も含めて)まるで映画が昨日撮影したみたいなイメージを持ってるんでしょうかね?
例えばこの表紙の「尼僧物語」はオードリーの作品の中でも最も制作に時間のかかった作品でもあるのですが、撮影が1958年1月〜6月。
その後で編集したり音楽を付けたり、試写会をしたりとポストプロダクションの仕事が山のようにあるのですが、結局アメリカ公開で1959年7月。
撮影から1年7ヶ月もかかってますね。さらにもちろん出演してくれる俳優へのオファーや契約、撮影前のロケ地選び、衣装やセットの制作、協力してくれる教会などを見つけるプレプロダクションの仕事も大量にあったでしょうし、おそらく制作決定から公開までには2年以上かかっていると思われます。
後年、オードリー自身も「ロビンとマリアン」宣伝の時のインタビューで “最も好きな自分の主演作品は?”と訊かれて、“好き、というのとは違うんですけど” と前置きを置いた後で、“最も印象に残っているのは「尼僧物語」でしょうね。作るのに最も時間のかかった作品だったし” と述べていました。
逆に「緑の館」はオードリー作品では最も短い期間で制作されたのでは?と思うのですが、それでも撮影が1958年の7月〜11月、やはり公開までには1年ほど掛かっています。「尼僧物語」と同時進行でメル・ファーラーなどはベネズエラに行っていたようなので、制作はやはり1年以上かかっていますよね。
なので、「尼僧物語」のオードリーは28〜29才、「緑の館」のオードリーは29才、ということになります。
こうして撮影時から宣伝活動を開始していたのと違って、一体いつから秘密裡に映画って作られるようになったんでしょうかね?
なんとなく70年代のスピルバーグ監督作品からのようなイメージがありますが…。
僕的には撮影時から宣伝したほうが、公開時だけ慌てて宣伝するより効率がいいような気がしますけど…。
「緑の館」の撮影スナップにはキャプションが付いていましたが、“南米ジャングルの中の野生の乙女”と書かれてますけど、うーん、ちょっと「緑の館」のイメージと違いますよね。
ネットとか見ると、「緑の館」を見ないで、その評価やあらすじだけで “オードリーをジャングルの野生の少女なんて、見る前からミスキャストがわかる”、なんて書いてる人がいますが、全然違いますよね。
「緑の館」をジャングルの野生の少女、なんてイメージしてしまったらそりゃオードリーじゃないですよね。
でも「緑の館」は英国人の原作者がイメージした、幻想的な森に住む動物とも話せる妖精のような少女、ですからね。
ジャングルの野生の少女と幻想の森の妖精のような少女では全然受けるイメージが違いますよね笑。
だからリーマはオードリーでないと演じられなかったこれまた当たり役の一つですよね。問題は役じゃなく、監督であり夫でもあったメル・ファーラーの腕前だったということ。
役だけ見たら妖精のような少女にオードリーってこれ以上無いほどピッタリなので、写真だけで見るとその醸し出すイメージに漫画家の里中満智子さんが思わず自分でも描いてみたほど。でもその自分の絵よりも現実のオードリーの方がずっと幻想的だった、と書いておられました。
妖精リーマを具現化出来たことは凄いことで、他にも衣装デザインのワダ・エミさんや歌手の手嶌葵さんなど、アーティスティックな方にオードリーのベストとして推されています。
僕も作品はともかく、思い入れはかなり強い作品です。「緑の館」の写真なんかはめっちゃ嬉しくなりますね。 ]]>
尼僧物語
緑の館
スクリーン
みつお
2019-02-08T18:00:00+09:00
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友人にもらったロビーカード2種
https://audreyhepburn.ko-co.jp/e487871.html
もう一つのブログ、“おしゃれ泥棒、オードリー・ヘップバーン!”の方に「97.「マイヤーリング」パンフレット用オードリープロフィール(完全版)」という記事をアップしています。そちらもよろしかったらお読みください。
今日は10年ほど前だったかな?にイギリスに行った友人にお土産でもらったアメリカのロビーカードの紹介。
ロビーカードって、映画館の内外で飾ってお客さんを呼び込む宣伝材料。
日本ではこれに相当する物にキャビネ写真や四切写真がありますね。
日本のキャビネ写真もですけど、アメリカのロビーカードでも何枚か1組になって飾られているものなんですが、友人にもらったこれらのものは「緑の館」「噂の二人」各1枚ずつです。
サイズは27.94cm×35.56cm。というより10インチ×14インチ。
おそらくアメリカのロビーカードは12枚で1組くらいだと思うのですが、長年の間に失われたり、バラで売られたり…と散逸してしまいます。
これらは有名な写真で、オードリーの写真集などでもこのまま掲載されていますね。決してレアなものではないです。
友人は露店みたいなところで売っていたのを見つけて買ってくれたとのこと。
が、値段を聞いてびっくり!それぞれ3000円したんですと!
えーーーー!ぼったくりやーん!と思いましたが、こちらはいただく側なので、ありがたーくいただきました。
でもなんかこれらに6000円は申し訳ないな〜と思いました。
「緑の館」には4、「噂の二人」には3という番号が下部にあるので、それらが組の中での番号なんでしょうね。
(→退色していると思われるので、その分色補正してみました。もしかしたら最初はこのような発色だったのかもしれません。)
「緑の館」の方はカラー映画でカラーのロビーカードにもかかわらず、モノクロ写真に着色した着色カラー。
まあ見たらわかるような着色の仕方ですけど、ネットを見ると着色バレバレの「ローマの休日」DVDジャケットのアン王女のスカートを見て、“わあ!オードリーのスカートって赤かったんですね!”などと信じてる人もいらっしゃるようなので…。
オードリー演じるリーマの衣装は森の中ではグリーン、外に出ると茶色といった色です。こんなピンクではありません。
それと、木の茶色、葉っぱの緑があまりにもペタッと同じ色。濃淡はあっても、全く同じ系統の色っていうのが着色です。
現実のカラーでは、太陽光やライトの光が乱反射することによって、同じ緑でも青みがかった緑や黄色っぽい緑や紫や赤みがかった部分などが混在します。
このようなのっぺり同じ色には決してならないのです。
これはフォトショップなどで着色技術が向上した現在でも着色かどうか見分ける大きな指標になっています。
髪の毛などが全部同じ系統の色、背景が同じ茶色一色などは着色で間違いありません。
「ローマの休日」の最近の着色カラーでも、スカートがブルーのなどは、ベッタリ同じブルーで塗られています(本当のスカートの色はベージュ)。
こういうのがクリアできるようになると、本物のカラーと見分けがつかなくなってくるかもしれませんが、まだそこまでは行ってないので、見る人が見れば即行わかってしまいます。
でもなんでせっかくカラー写真もいっぱいあるのにモノクロ写真に着色などと面倒臭いことをしたんでしょうね?不思議〜。
「噂の二人」の方はもともとモノクロ映画ですし、ここでもモノクロ写真にチェリーピンクのような赤紫系統の色を乗せてるだけの2色刷り。
さすがにこれをカラー写真だと思うような人はいないと思いますが…。
さて、英国で買ったのにアメリカのロビーカード?と思いますか?
実はこれがアメリカ版だとはっきりわかるようになっています。
まあどちらにも “Printed by U.S.A” などと書いてはいるんですが、「噂の二人」に関しては題名がアメリカ本国とイギリスで全然違うんです!
アメリカではここでもわかるように原作通りの “The Children's Hour(子供の時間)” ですが、英国では “The Loudest Whisper(うるさい囁き)” という題名で封切られました。
これ、ビデオの時代にはビデオとLDで英国版が輸入されて製品化されていたんですよね。
なので、90年に発売されたビデオやLDでもジャケットの真ん中に大きく “The Loudest Whisper” と印字されています(↓下の写真)。
もちろん、映像でもオープニングで “The Loudest Whisper” と堂々と出てきます。
これ、テレビ放送で見た時は “The Children's Hour” という題名でオープニングになっているので、おおおおっ!と思ってたものです。
ファンになった頃から “The Children's Hour” として学習していたので、 “The Loudest Whisper” で出て来た時はかなり違和感がありましたが、今DVDではアメリカ版になってしまうと、英国版のDVDも欲しいなあ〜と思ったり…。
そういえば「昼下りの情事」にもアメリカ版とヨーロッパ版が存在するとオードリーの伝記では書かれています。
タイトルバックからして違うようなのですが、日本で見れたのは57年の初公開時と65年リバイバル時がヨーロッパ版、89年のリバイバル以降とビデオ・LD・DVDは全てアメリカ版となっているので、僕などはアメリカ版しか見たことがありません。
よく「昼下りの情事」のスクリーンサイズで議論が起こる(「午前十時の映画祭」など)のも、初公開時と65年リバイバル時はヨーロッパ版のビスタサイズ、89年以降はアメリカ版のシネマスコープサイズだったからなんでしょうねー。
「昼下りの情事」の実際の撮影では4:3のスタンダードサイズのフィルムで撮影されていて、構図はビスタサイズで考えられているそうです。
アメリカなどではそれを拡大映写してシネマスコープサイズで上映していたそうなのですが、日本ではビスタサイズという情報だったのに、フィルムが来るとスタンダードサイズだったので、中には律儀にスタンダードサイズで上映されたこともあったそうです。
この辺の事情はジェネオン(元パイオニアLDC)が出していた2回目の「昼下りの情事」DVD封入の解説に詳しく載っています(ブルーバックのジャケットのもの)。
今の20世紀フォックスが出しているDVDはビスタサイズ収録ですが、元々4:3で撮影されていたなんて、ぜひその大元のも見てみたいですね!
あ、大きく「緑の館」や「噂の二人」から話が逸れましたが、これらのロビーカードも全種類がいつか見てみたいなあ〜と思います。
97.「マイヤーリング」パンフレット用オードリープロフィール(完全版)」という記事をアップしています。そちらもよろしかったらお読みください。
今日は10年ほど前だったかな?にイギリスに行った友人にお土産でもらったアメリカのロビーカードの紹介。
ロビーカードって、映画館の内外で飾ってお客さんを呼び込む宣伝材料。
日本ではこれに相当する物にキャビネ写真や四切写真 がありますね。
日本のキャビネ写真もですけど、アメリカのロビーカードでも何枚か1組になって飾られているものなんですが、友人にもらったこれらのものは「緑の館」「噂の二人」各1枚ずつです。
サイズは27.94cm×35.56cm。というより10インチ×14インチ。
おそらくアメリカのロビーカードは12枚で1組くらいだと思うのですが、長年の間に失われたり、バラで売られたり…と散逸してしまいます。
これらは有名な写真で、オードリーの写真集などでもこのまま掲載されていますね。決してレアなものではないです。
友人は露店みたいなところで売っていたのを見つけて買ってくれたとのこと。
が、値段を聞いてびっくり!それぞれ3000円したんですと!
えーーーー!ぼったくりやーん!と思いましたが、こちらはいただく側なので、ありがたーくいただきました。
でもなんかこれらに6000円は申し訳ないな〜と思いました。
「緑の館」には4、「噂の二人」には3という番号が下部にあるので、それらが組の中での番号なんでしょうね。
(→退色していると思われるので、その分色補正してみました。もしかしたら最初はこのような発色だったのかもしれません。)
「緑の館」の方はカラー映画でカラーのロビーカードにもかかわらず、モノクロ写真に着色した着色カラー。
まあ見たらわかるような着色の仕方ですけど、ネットを見ると着色バレバレの「ローマの休日」DVDジャケット のアン王女のスカートを見て、“わあ!オードリーのスカートって赤かったんですね!”などと信じてる人もいらっしゃるようなので…。
オードリー演じるリーマの衣装は森の中ではグリーン、外に出ると茶色といった色です。こんなピンクではありません。
それと、木の茶色、葉っぱの緑があまりにもペタッと同じ色。濃淡はあっても、全く同じ系統の色っていうのが着色です。
現実のカラーでは、太陽光やライトの光が乱反射することによって、同じ緑でも青みがかった緑や黄色っぽい緑や紫や赤みがかった部分などが混在します。
このようなのっぺり同じ色には決してならないのです。
これはフォトショップなどで着色技術が向上した現在でも着色かどうか見分ける大きな指標になっています。
髪の毛などが全部同じ系統の色、背景が同じ茶色一色などは着色で間違いありません。
「ローマの休日」の最近の着色カラーでも、スカートがブルーのなどは、ベッタリ同じブルーで塗られています(本当のスカートの色はベージュ )。
こういうのがクリアできるようになると、本物のカラーと見分けがつかなくなってくるかもしれませんが、まだそこまでは行ってないので、見る人が見れば即行わかってしまいます。
でもなんでせっかくカラー写真もいっぱいあるのにモノクロ写真に着色などと面倒臭いことをしたんでしょうね?不思議〜。
「噂の二人」の方はもともとモノクロ映画ですし、ここでもモノクロ写真にチェリーピンクのような赤紫系統の色を乗せてるだけの2色刷り。
さすがにこれをカラー写真だと思うような人はいないと思いますが…。
さて、英国で買ったのにアメリカのロビーカード?と思いますか?
実はこれがアメリカ版だとはっきりわかるようになっています。
まあどちらにも “Printed by U.S.A” などと書いてはいるんですが、「噂の二人」に関しては題名がアメリカ本国とイギリスで全然違うんです!
アメリカではここでもわかるように原作通り の “The Children's Hour(子供の時間)” ですが、英国では “The Loudest Whisper(うるさい囁き)” という題名で封切られました。
これ、ビデオの時代にはビデオとLDで英国版が輸入されて製品化されていたんですよね。
なので、90年に発売されたビデオやLDでもジャケットの真ん中に大きく “The Loudest Whisper” と印字されています(↓下の写真)。
もちろん、映像でもオープニングで “The Loudest Whisper” と堂々と出てきます。
これ、テレビ放送で見た時は “The Children's Hour” という題名でオープニングになっているので、おおおおっ!と思ってたものです。
ファンになった頃から “The Children's Hour” として学習していたので、 “The Loudest Whisper” で出て来た時はかなり違和感がありましたが、今DVDではアメリカ版になってしまうと、英国版のDVDも欲しいなあ〜と思ったり…。
そういえば「昼下りの情事」にもアメリカ版とヨーロッパ版が存在するとオードリーの伝記では書かれています。
タイトルバックからして違うようなのですが、日本で見れたのは57年の初公開時と65年リバイバル時がヨーロッパ版、89年のリバイバル以降とビデオ・LD・DVDは全てアメリカ版となっているので、僕などはアメリカ版しか見たことがありません。
よく「昼下りの情事」のスクリーンサイズで議論が起こる(「午前十時の映画祭」など)のも、初公開時と65年リバイバル時はヨーロッパ版のビスタサイズ、89年以降はアメリカ版のシネマスコープサイズだったからなんでしょうねー。
「昼下りの情事」の実際の撮影では4:3のスタンダードサイズのフィルムで撮影されていて、構図はビスタサイズで考えられているそうです。
アメリカなどではそれを拡大映写してシネマスコープサイズで上映していたそうなのですが、日本ではビスタサイズという情報だったのに、フィルムが来るとスタンダードサイズだったので、中には律儀にスタンダードサイズで上映されたこともあったそうです。
この辺の事情はジェネオン(元パイオニアLDC)が出していた2回目の「昼下りの情事」DVD封入の解説に詳しく載っています(ブルーバックのジャケットのもの )。
今の20世紀フォックスが出しているDVDはビスタサイズ収録ですが、元々4:3で撮影されていたなんて、ぜひその大元のも見てみたいですね!
あ、大きく「緑の館」や「噂の二人」から話が逸れましたが、これらのロビーカードも全種類がいつか見てみたいなあ〜と思います。 ]]>
緑の館
噂の二人
その他のパンフ・ポスター・チラシ
みつお
2018-09-18T21:00:00+09:00
-
ミニチュア版「緑の館」1959年初公開時 立看ポスター
https://audreyhepburn.ko-co.jp/e332387.html
スターチャンネルでオードリーの誕生日の5月4日にちなんで、4作品を放送するみたいですが、正直字幕が市販のものと同じでは、お金出してまで契約したいとは思わない人なので、特に勧めません。
市販のBDやDVDで収録されていない「緑の館」「いつも2人で」「パリで一緒に」「マイヤーリング」などでの池田昌子さんの吹替(新録でも旧録でも)、とかだったら迷わず契約しますけどね。
さて、今日のミニチュア版は「緑の館」1959年初公開時の立看ポスター。
「緑の館」ものって、僕は特に惹かれるんですけど、このポスターもいつか本物が手に入ればいいなあ〜と思います。
これはミニチュアだからあんまり色は綺麗じゃないですけど、「オードリー玉手箱」を見ると、本当はもっと綺麗な発色をしてますね。
さて、これまでは明らかにオードリーだけを大きく売ってきたポスターですけど、「緑の館」のB2ポスターで初めてオードリーと共演者が対等に載ってました。
でもこの立看ではやっぱりオードリーが大きくあしらわれていますね。
それまでの共演者は、みんなオードリーよりだいぶ年上のおじさんばっかりで、人気的にもウィリアム・ホールデンを除くと、オードリーに対抗するには…って人が多かったんですよね。
でもここで初めてオードリーより年下で、かつ人気もオードリーに比肩しうるくらい当時大人気!って共演者のアンソニー・パーキンス(愛称:トニパキ)になりました。
なのでB2ポスターでは対等に扱われてましたし、この立看でも、オードリーよりは小さいとはいえ、大きな扱いになってるんですよね。
今では老若男女に好かれるオードリーですけど、当時のイメージはやっと安定したスターの座を築いたばかり。
雑誌などでも “若者に大人気の” って形容詞が付いていました。
当時の年配の方のご贔屓は、オードリーではなく戦前の女優さんだろうし、大人の方はイングリッド・バーグマンやジューン・アリスンなんかがお好きだったんじゃないでしょうか。
なので、当時のオードリーの人気を支えていたのは、主に10〜20代くらいの人ではなかろうかと。
そして「サイコ」前の若き青春スターのアンソニー・パーキンスの人気を支えていたのも、10〜20代の女性。
この「緑の館」は若い人にとっては嬉しい組み合わせだったんじゃないでしょうか。
それと、この「緑の館」を撮影していた1958年はオードリーが珍しく忙しく仕事をしていた時期。
1958年早々に「尼僧物語」を開始して、オードリー映画で最長の6ヶ月間の撮影期間。それが終わるやいなや「緑の館」の撮影に。それが済むと「許されざる者」の撮影開始、と連続で3本撮っています。
作品の内容も、「昼下りの情事」までのロマンティック・コメディは影をひそめて、全て真面目な作品ばかり。
オードリーにとっては第2期で、女優としてチャレンジしていた時期になりますね。
最初の予定ではさらに「許されざる者」撮了後に日本に来日して「緑の館」の宣伝、その後はヒッチコックと「判事に保釈なし」を撮る予定でしたから、本当に休む間もなく働くつもりだったんでしょうね。
実際には「許されざる者」で落馬。そのため撮影期間が延びてしまい、しかも撮影終了後流産、と良くないことが連続しちゃいましたんで、来日もヒッチコックも無しになってしまいましたけど…。
さて、今の僕らにはオードリーといえば「パリの恋人」「昼下りの情事」→(TV「マイヤーリング」)→ほぼ1年開いて→「尼僧物語」「緑の館」「許されざる者」と撮影していったことはわかっていますけど、日本での公開は1957年9月「パリの恋人」の次が1959年5月「緑の館」なんですよね。なんか「パリの恋人」の次が「緑の館」だなんて、僕らからするとかなり唐突な感じがします。(^^;;;
当時共演のアンソニー・パーキンスは線が細いと良く言われてましたし、横から見ると確かに薄いんですけど、頭はめっちゃ小さいし、それでいて肩幅はかなりあって身長は190cm弱。
今見ても充分カッコいいです。というか今風。
ただ、僕はアンソニー・パーキンスの歪んだ口がどーも気になるんですけどね。
ちなみにオードリーとはとても気が合ったようです。
撮影中もずっとオードリーを笑わそうとしていたみたいですし、オードリーもメル・ファーラーといる時よりも、アンソニー・パーキンスといる時の方が楽しそうに写ってます。
1962年にオードリーが「ティファニーで朝食を」で、アンソニー・パーキンスが「さよならをもう一度」でダヴィッド・デ・ドナテーロ賞を受けた時も、一緒に飛行機や船で移動してる最中、オードリーとパーキンスはずっと話してますもんね。
そして性格も良かったみたいですね。1991年にオードリーを讃える集いで、他の共演者はフィルムの抜粋があったのに、「緑の館」のフィルムは準備されてなかったそうなんですよね。
でもアンソニー・パーキンスは “構わないよ。” と気を悪くすることもなく、「お熱いのがお好き」のオファーを「緑の館」のために断った、という逸話を披露したそうです。
作品的には「お熱いのがお好き」の方が遥かに優れていると言われていますので、もし「緑の館」を選ばずに「お熱いのがお好き」に出ていれば、アンソニー・パーキンスの俳優としての人生はまた大きく違ったものになっていたのかもしれません。
まあ、それを言うならオードリーも「判事に保釈なし」に出てしまっていたら、同じヒッチコックの「サイコ」に出たアンソニー・パーキンスのように、その後の女優としての方向が変わってしまったかもしれませんし、そうなると「ティファニーで朝食を」も「シャレード」も生まれなかったかもしれないので、やはりそういう運命だったんでしょうけどね。
とにかく、世間での評価はあんまり芳しくない「緑の館」ですけど、原作のリーマを見事に具現化してくれましたし(原作を読んだ人には結構受けがいい)、オードリーはとても美しいですよね。
いっつもあんまり取り上げられない、画像が載ることも少ない、と虐げられているのが可哀想なので思わずかばってしまう、というか僕個人ではとても思い入れがあります。新しい画像とか見つけると思わず嬉しくなってしまう作品です。
市販のBDやDVDで収録されていない「緑の館」「いつも2人で」「パリで一緒に」「マイヤーリング」などでの池田昌子さんの吹替(新録でも旧録でも)、とかだったら迷わず契約しますけどね。
さて、今日のミニチュア版は「緑の館」1959年初公開時の立看ポスター。
「緑の館」ものって、僕は特に惹かれるんですけど、このポスターもいつか本物が手に入ればいいなあ〜と思います。
これはミニチュアだからあんまり色は綺麗じゃないですけど、「オードリー玉手箱」を見ると、本当はもっと綺麗な発色をしてますね。
さて、これまでは明らかにオードリーだけを大きく売ってきたポスターですけど、「緑の館」のB2ポスター で初めてオードリーと共演者が対等に載ってました。
でもこの立看ではやっぱりオードリーが大きくあしらわれていますね。
それまでの共演者は、みんなオードリーよりだいぶ年上のおじさんばっかりで、人気的にもウィリアム・ホールデンを除くと、オードリーに対抗するには…って人が多かったんですよね。
でもここで初めてオードリーより年下で、かつ人気もオードリーに比肩しうるくらい当時大人気!って共演者のアンソニー・パーキンス(愛称:トニパキ)になりました。
なのでB2ポスターでは対等に扱われてましたし、この立看でも、オードリーよりは小さいとはいえ、大きな扱いになってるんですよね。
今では老若男女に好かれるオードリーですけど、当時のイメージはやっと安定したスターの座を築いたばかり。
雑誌などでも “若者に大人気の” って形容詞が付いていました。
当時の年配の方のご贔屓は、オードリーではなく戦前の女優さんだろうし、大人の方はイングリッド・バーグマンやジューン・アリスンなんかがお好きだったんじゃないでしょうか。
なので、当時のオードリーの人気を支えていたのは、主に10〜20代くらいの人ではなかろうかと。
そして「サイコ」前の若き青春スターのアンソニー・パーキンスの人気を支えていたのも、10〜20代の女性。
この「緑の館」は若い人にとっては嬉しい組み合わせだったんじゃないでしょうか。
それと、この「緑の館」を撮影していた1958年はオードリーが珍しく忙しく仕事をしていた時期。
1958年早々に「尼僧物語」を開始して、オードリー映画で最長の6ヶ月間の撮影期間。それが終わるやいなや「緑の館」の撮影に。それが済むと「許されざる者」の撮影開始、と連続で3本撮っています。
作品の内容も、「昼下りの情事」までのロマンティック・コメディは影をひそめて、全て真面目な作品ばかり。
オードリーにとっては第2期で、女優としてチャレンジしていた時期になりますね。
最初の予定ではさらに「許されざる者」撮了後に日本に来日して「緑の館」の宣伝、その後はヒッチコックと「判事に保釈なし 」を撮る予定でしたから、本当に休む間もなく働くつもりだったんでしょうね。
実際には「許されざる者」で落馬。そのため撮影期間が延びてしまい、しかも撮影終了後流産、と良くないことが連続しちゃいましたんで、来日もヒッチコックも無しになってしまいましたけど…。
さて、今の僕らにはオードリーといえば「パリの恋人」「昼下りの情事」→(TV「マイヤーリング」)→ほぼ1年開いて→「尼僧物語」「緑の館」「許されざる者」と撮影していったことはわかっていますけど、日本での公開は1957年9月「パリの恋人」の次が1959年5月「緑の館」なんですよね。なんか「パリの恋人」の次が「緑の館」だなんて、僕らからするとかなり唐突な感じがします。(^^;;;
当時共演のアンソニー・パーキンスは線が細いと良く言われてましたし、横から見ると確かに薄いんですけど、頭はめっちゃ小さいし、それでいて肩幅はかなりあって身長は190cm弱。
今見ても充分カッコいいです。というか今風。
ただ、僕はアンソニー・パーキンスの歪んだ口がどーも気になるんですけどね。
ちなみにオードリーとはとても気が合ったようです。
撮影中もずっとオードリーを笑わそうとしていたみたいですし、オードリーもメル・ファーラーといる時よりも、アンソニー・パーキンスといる時の方が楽しそうに写ってます。
1962年にオードリーが「ティファニーで朝食を」で、アンソニー・パーキンスが「さよならをもう一度」でダヴィッド・デ・ドナテーロ賞を受けた時も、一緒に飛行機や船で移動してる最中、オードリーとパーキンスはずっと話してますもんね。
そして性格も良かったみたいですね。1991年にオードリーを讃える集いで、他の共演者はフィルムの抜粋があったのに、「緑の館」のフィルムは準備されてなかったそうなんですよね。
でもアンソニー・パーキンスは “構わないよ。” と気を悪くすることもなく、「お熱いのがお好き」のオファーを「緑の館」のために断った、という逸話を披露したそうです。
作品的には「お熱いのがお好き」の方が遥かに優れていると言われていますので、もし「緑の館」を選ばずに「お熱いのがお好き」に出ていれば、アンソニー・パーキンスの俳優としての人生はまた大きく違ったものになっていたのかもしれません。
まあ、それを言うならオードリーも「判事に保釈なし」に出てしまっていたら、同じヒッチコックの「サイコ」に出たアンソニー・パーキンスのように、その後の女優としての方向が変わってしまったかもしれませんし、そうなると「ティファニーで朝食を」も「シャレード」も生まれなかったかもしれないので、やはりそういう運命だったんでしょうけどね。
とにかく、世間での評価はあんまり芳しくない「緑の館」ですけど、原作のリーマを見事に具現化してくれましたし(原作を読んだ人には結構受けがいい)、オードリーはとても美しいですよね。
いっつもあんまり取り上げられない、画像が載ることも少ない、と虐げられているのが可哀想なので思わずかばってしまう、というか僕個人ではとても思い入れがあります。新しい画像とか見つけると思わず嬉しくなってしまう作品です。 ]]>
緑の館
みつお
2015-04-28T09:00:00+09:00
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手嶌葵さんが歌う!オードリー映画の曲(含「緑の館の歌」)
https://audreyhepburn.ko-co.jp/e68609.html
今回は、まだ僕は買ってないCDの紹介なのですが…。(^^;;;
この手嶌葵(てしまあおい)さんという方は、スタジオジブリの「ゲド戦記」で、挿入歌「テルーの唄」およびヒロイン=テルーの声で一挙に有名になった歌手の方だそうです。
で、なんでこのブログで取り上げたかと言いますと…
この手嶌葵さんは2008年3月発売のアルバム、「The Rose 〜I Love Cinemas〜」で既に「ティファニーで朝食を」の “Moon River” をカヴァーしてたんですよね。それはそれですっごくいい感じなんですけど、それだけならきっとここでは取り上げなかったと思うんですよね。“ムーン・リヴァー” を歌った歌手なんて山のようにいるはずですし。
でも、ここで取り上げなければ!と思ったのは、今年2009年10月発売のアルバム、「La Vie En Rose 〜I Love Cinemas〜」の方!ここでは全11曲中、オードリー映画からなんと4曲も選ばれています!
その中でも画期的なのが “Song Of Green Mansions”!!
これは「緑の館」の中でアンソニー・パーキンスが歌う “緑の館の歌” ですよね!
この曲を選ぶなんて、なんとお目が高い!と。
これがあるなら、ここで取り上げないわけにはいかないでしょう!みたいな。
ネットで色々調べましたら、選曲は手嶌葵さんが行ったとのこと。この曲を選んだ、ということは、かなりのオードリーファン!だということがわかりますよね。
でも、他の有名な3曲、
“La Vie En Rose(バラ色の人生~「麗しのサブリナ」)”
“Wouldn't It Be Loverly?(素敵じゃない?~「マイ・フェア・レディ」) ”
“Fascination(魅惑のワルツ~「昼下りの情事」)”
に比べて、未だ日本ではDVD化もされていない「緑の館」の “Song Of Green Mansions” はヤマハさんが楽譜の入手に大変困ったそう。(^^;
でも、他の3曲がピアノ伴奏なのに比べて、これはギター伴奏なので、かなり原曲の雰囲気に近いです!もともとアンソニー・パーキンスも映画の中ではギターで歌ってましたもんね。
下(↓)のアマゾンのでは“緑の館の歌”の試聴は出来ないのですが、上の画像(↑)から行けるタワーレコードでは全曲試聴が可能なので、ぜひぜひ皆さんも一度お聴きになってみてください!かな~りいいですよ!!
普段だったら絶対買ってると思うんですけど、ちょっと今月は金欠なので…。
またおいおい買いますね。(^^;;;
あ、でも手嶌葵さんはオードリーファンだということなので、今度はぜひぜひ「いつも2人で」、「パリの恋人」の“ボンジュール・パリ!”、「パリで一緒に」の“THAT FACE”なんかも収録していただきたいですね!(って、「パリの恋人」は手嶌さんの雰囲気だと、“ス・ワンダフル”かな?)
あ、そうそう、「暗くなるまで待って」や、アルバムだけで聴ける「おしゃれ泥棒」の“二人は恋人”とかもいいですけどね~!
追記:その後、ダウンロードでアルバムごと買わせていただきました。
手嶌葵さんは後に「ボンジュール・パリ!」を録音されてますね。ぜひぜひ今度「I love Audrey」ということで、残りのオードリー映画の歌、「いつも2人で」「暗くなるまで待って」「おしゃれ泥棒」「パリで一緒に」「シャレード」も録音していただきたいなー。
今回は、まだ僕は買ってないCDの紹介なのですが…。(^^;;;
この手嶌葵(てしまあおい)さんという方は、スタジオジブリの「ゲド戦記」で、挿入歌「テルーの唄」およびヒロイン=テルーの声で一挙に有名になった歌手の方だそうです。
で、なんでこのブログで取り上げたかと言いますと…
この手嶌葵さんは2008年3月発売のアルバム、「The Rose 〜I Love Cinemas〜」で既に「ティファニーで朝食を」の “Moon River” をカヴァーしてたんですよね。それはそれですっごくいい感じなんですけど、それだけならきっとここでは取り上げなかったと思うんですよね。“ムーン・リヴァー” を歌った歌手なんて山のようにいるはずですし。
でも、ここで取り上げなければ!と思ったのは、今年2009年10月発売のアルバム、「La Vie En Rose 〜I Love Cinemas〜」の方!ここでは全11曲中、オードリー映画からなんと4曲も選ばれています!
その中でも画期的なのが “Song Of Green Mansions”!!
これは「緑の館」の中でアンソニー・パーキンスが歌う “緑の館の歌” ですよね!
この曲を選ぶなんて、なんとお目が高い!と。
これがあるなら、ここで取り上げないわけにはいかないでしょう!みたいな。
ネットで色々調べましたら、選曲は手嶌葵さんが行ったとのこと。この曲を選んだ、ということは、かなりのオードリーファン!だということがわかりますよね。
でも、他の有名な3曲、
“La Vie En Rose(バラ色の人生~「麗しのサブリナ」)”
“Wouldn't It Be Loverly?(素敵じゃない?~「マイ・フェア・レディ」) ”
“Fascination(魅惑のワルツ~「昼下りの情事」)”
に比べて、未だ日本ではDVD化もされていない「緑の館」の “Song Of Green Mansions” はヤマハさんが楽譜の入手に大変困ったそう。(^^;
でも、他の3曲がピアノ伴奏なのに比べて、これはギター伴奏なので、かなり原曲の雰囲気に近いです!もともとアンソニー・パーキンスも映画の中ではギターで歌ってましたもんね。
下(↓)のアマゾンのでは“緑の館の歌”の試聴は出来ないのですが、上の画像(↑)から行けるタワーレコードでは全曲試聴が可能なので、ぜひぜひ皆さんも一度お聴きになってみてください!かな~りいいですよ!!
普段だったら絶対買ってると思うんですけど、ちょっと今月は金欠なので…。
またおいおい買いますね。(^^;;;
あ、でも手嶌葵さんはオードリーファンだということなので、今度はぜひぜひ「いつも2人で」、「パリの恋人」の“ボンジュール・パリ!”、「パリで一緒に」の“THAT FACE”なんかも収録していただきたいですね!(って、「パリの恋人」は手嶌さんの雰囲気だと、“ス・ワンダフル”かな?)
あ、そうそう、「暗くなるまで待って」や、アルバムだけで聴ける「おしゃれ泥棒」の“二人は恋人”とかもいいですけどね~!
追記:その後、ダウンロードでアルバムごと買わせていただきました。
手嶌葵さんは後に「ボンジュール・パリ!」を録音されてますね。ぜひぜひ今度「I love Audrey」ということで、残りのオードリー映画の歌、「いつも2人で」「暗くなるまで待って」「おしゃれ泥棒」「パリで一緒に」「シャレード」も録音していただきたいなー。
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麗しのサブリナ
昼下りの情事
緑の館
マイ・フェア・レディ
レコード・CD
みつお
2009-11-29T01:57:39+09:00
-
「緑の館」リバイバル 三越映画劇場チラシ 名古屋版
https://audreyhepburn.ko-co.jp/e52586.html
これは、80年代後半、続々とオードリー映画がリバイバルされた時の、名古屋の星ヶ丘三越内にある三越映画劇場での上映時の「緑の館」チラシです。
このブログで何度も書いてきたように、1984年から日本ヘラルド(現・角川映画)でオードリー・ヘプバーン映画のリバイバルが始まりました。
その中でも最初の1984年にリバイバルの権利を取ったのが「噂の二人」とこの「緑の館」!
「噂の二人」と「緑の館」といえば、日本では大ヒット揃いのオードリー作品中、珍しくヒットしなかったことで有名な2本。
これを最初にぶつけてくるなんて、すごい英断ですよね!
ま、確かにこの日本ヘラルドさんのおかげで、80年代後半~90年代前半にオードリーの大ブームが起こりましたしね。
商売的には先に権利を取っていた方が、他のと一緒に上映されたりして元を取れそうですけど、最初の時点ではブームになるかどうかは不明ですもんね。やっぱり英断です。
でも!この「緑の館」はフィルムを取り寄せたら、状態があんまり良くなかったそうで、なんと最も集客力のある東京圏と関西圏で上映されなかったのは、以前「緑の館」の復刻版パンフレットの時に書いたとおり。
僕もせっかくの「緑の館」リバイバル、見れませんでした~…。(T T
で、東京でも大阪でも上映しなかった「緑の館」なので、フィルムは84年に上映できる状態だったのに、おそらく84年に上映した劇場はなかったのではないかと思ってます。
この星ヶ丘三越でも、上映期間を直接伺ったところ、1988年9月3日(土)~30日(金)の4週間。84年の上映ではなかったとのこと。
でも4週間も上映したなんて、羨ましいですねー!今だったら、絶対名古屋まで見に行ってるのに!!!
しかも4週間って、もしかしたら1959年の初公開時よりも上映期間が長かったんじゃないですか?
さて、裏面はこんなの(→)。
表面は新しくデザインされたものですが、裏面は復刻版パンフの解説ページをそのまま持ってきただけ。
画像を入れるために、多少文字の組み換え(当時はアナログ製版なので、貼り換えと言った方がいいかも)をおこなっていますが、書体も古いままで、書いてあることも当然同じ。
わずかに共演者のアンソニー・パーキンスの紹介で、“最も期待される新人”が“当時最も期待された新人”と新しい写植で打たれているだけ。
なので、今ではもちろん、1988年当時でも一般の人には馴染みの無くなった作品が引き合いに出されています。
日本ヘラルドは公開当時、「戦争と平和」「昼下りの情事」「噂の二人」「マイ・フェア・レディ」という数作品を除いて単独チラシを作らなかったので、名古屋や札幌の三越劇場のこうした単独作品でのチラシは珍重されて、80~90年代のチラシとしてはわりと高額です。
三越映画劇場定番の2色刷りのカラーは、黒ともう1色は当然緑。ただ、青緑なのがちょっと「緑の館」のイメージとは違いますが…まあいいでしょう。
お気に入り度:★★★(希少な「緑の館」関連ですから…)
これは、80年代後半、続々とオードリー映画がリバイバルされた時の、名古屋の星ヶ丘三越内にある三越映画劇場での上映時の「緑の館」チラシです。
このブログで何度も書いてきたように、1984年から日本ヘラルド(現・角川映画)でオードリー・ヘプバーン映画のリバイバルが始まりました。
その中でも最初の1984年にリバイバルの権利を取ったのが「噂の二人」とこの「緑の館」!
「噂の二人」と「緑の館」といえば、日本では大ヒット揃いのオードリー作品中、珍しくヒットしなかったことで有名な2本。
これを最初にぶつけてくるなんて、すごい英断ですよね!
ま、確かにこの日本ヘラルドさんのおかげで、80年代後半~90年代前半にオードリーの大ブームが起こりましたしね。
商売的には先に権利を取っていた方が、他のと一緒に上映されたりして元を取れそうですけど、最初の時点ではブームになるかどうかは不明ですもんね。やっぱり英断です。
でも!この「緑の館」はフィルムを取り寄せたら、状態があんまり良くなかったそうで、なんと最も集客力のある東京圏と関西圏で上映されなかったのは、以前「緑の館」の復刻版パンフレット の時に書いたとおり。
僕もせっかくの「緑の館」リバイバル、見れませんでした~…。(T T
で、東京でも大阪でも上映しなかった「緑の館」なので、フィルムは84年に上映できる状態だったのに、おそらく84年に上映した劇場はなかったのではないかと思ってます。
この星ヶ丘三越でも、上映期間を直接伺ったところ、1988年9月3日(土)~30日(金)の4週間。84年の上映ではなかったとのこと。
でも4週間も上映したなんて、羨ましいですねー!今だったら、絶対名古屋まで見に行ってるのに!!!
しかも4週間って、もしかしたら1959年の初公開時よりも上映期間が長かったんじゃないですか?
さて、裏面はこんなの(→)。
表面は新しくデザインされたものですが、裏面は復刻版パンフの解説ページをそのまま持ってきただけ。
画像を入れるために、多少文字の組み換え(当時はアナログ製版なので、貼り換えと言った方がいいかも)をおこなっていますが、書体も古いままで、書いてあることも当然同じ。
わずかに共演者のアンソニー・パーキンスの紹介で、“最も期待される新人”が“当時最も期待された新人”と新しい写植で打たれているだけ。
なので、今ではもちろん、1988年当時でも一般の人には馴染みの無くなった作品が引き合いに出されています。
日本ヘラルドは公開当時、「戦争と平和」「昼下りの情事」「噂の二人」「マイ・フェア・レディ」という数作品を除いて単独チラシを作らなかったので、名古屋や札幌の三越劇場のこうした単独作品でのチラシは珍重されて、80~90年代のチラシとしてはわりと高額です。
三越映画劇場定番の2色刷りのカラーは、黒ともう1色は当然緑。ただ、青緑なのがちょっと「緑の館」のイメージとは違いますが…まあいいでしょう。
お気に入り度:★★★(希少な「緑の館」関連ですから…) ]]>
緑の館
みつお
2009-07-17T16:00:00+09:00
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「緑の館」1959年初公開時 外映版パンフレット
https://audreyhepburn.ko-co.jp/e22267.html
今日は「緑の館」のパンフレットでは最後の紹介になる、1959年初公開時の外映版です。
「緑の館」は復刻版も含めて、どのパンフも入手が難しいのですが、これも難しかったですよ~。いったいいつ手に入るんだろう…と思ったくらいですから。(^^;
表紙はステキですよね!プレスシートの表紙を飾った顔アップのと同じ画像を使ってます。
中身は12ページ。画像も内容もちょっと少なく感じるのが残念。
「緑の館」って、現在では取り上げられることが少ないので、こういうパンフでこそ貴重な画像やエピソードをたくさん見たいのにね。
解説で面白いな~と思ったのは、オードリーのことを、“若い映画ファンの間で最高の人気を保ち続けている”と書いてあること。
いまでこそ老若男女に人気を保ち続ける“クラシック・スター”のオードリーですけど、当時の感覚では現役の若手スター。
おじいちゃんおばあちゃんにはまだ人気なかったんでしょうねー。
それと、「緑の森」という、野司 保という方の文章が載っているんですが、「緑の館」のパンフレットだから、この映画をけなさないようにするのに苦労しているのがわかります(笑)。
オードリーのことはとてもほめてくれてて、“この映画の圧巻は何と言ってもオードリイ・ヘップバーンである。”“彼女以外に考えられないだろう。”“緑の雰囲気とオードリイ・ヘップバーンがこれらの不満を充分おぎなってっくれる。”とのこと。
また、アンソニー・パーキンスの紹介で、全然タイプが違うのに、ジェームス・ディーンに続く若手最大のホープだとみなしている事が、「サイコ」以降を知っているだけに不思議感覚。
「サイコ」はアンソニー・パーキンスを後世に名を残す役目を果たしましたけど、それがなかったら別の代表作を作って、まったく別の俳優さんになったかもしれないな~と思います。
果たしてアンソニー・パーキンスにとって「サイコ」に出演したことはよかったのかどうか…。
そう考えると「サイコ」のアルフレッド・ヒッチコック監督の「判事に保釈なし」という映画で、主演の予定だったオードリーがレイプシーンがあるので降りたのは正しかったのかもしれません。
オードリーとヒッチコックの顔合わせを観たい気はしますが、そう思うのは後世の人間だから。
“なんで?もう1本傑作が追加されるだけやん。”と思います?
でも「判事に保釈なし」のせいでイメージが変わり、出演依頼の来る作品が変わってしまったら?
「パリで一緒に」も「シャレード」も「マイ・フェア・レディ」も「おしゃれ泥棒」も観れないなんて僕はイヤですね!それらの作品あってのオードリーですから!
やっぱり「許されざる者」の後は、「ティファニーで朝食を」で正解だったのだと思います。
あ、話が大きく脱線してしまいました。(^^;;;
このパンフにも裏表紙違いがあります。パンビタンとアリナミンのもの。
内容はどちらも同じです。
レア度:★★★★
ちなみに、他の「緑の館」パンフレットはこちら。
今日は「緑の館」のパンフレットでは最後の紹介になる、1959年初公開時の外映版です。
「緑の館」は復刻版も含めて、どのパンフも入手が難しいのですが、これも難しかったですよ~。いったいいつ手に入るんだろう…と思ったくらいですから。(^^;
表紙はステキですよね!プレスシート の表紙を飾った顔アップのと同じ画像を使ってます。
中身は12ページ。画像も内容もちょっと少なく感じるのが残念。
「緑の館」って、現在では取り上げられることが少ないので、こういうパンフでこそ貴重な画像やエピソードをたくさん見たいのにね。
解説で面白いな~と思ったのは、オードリーのことを、“若い映画ファンの間で最高の人気を保ち続けている”と書いてあること。
いまでこそ老若男女に人気を保ち続ける“クラシック・スター”のオードリーですけど、当時の感覚では現役の若手スター。
おじいちゃんおばあちゃんにはまだ人気なかったんでしょうねー。
それと、「緑の森」という、野司 保という方の文章が載っているんですが、「緑の館」のパンフレットだから、この映画をけなさないようにするのに苦労しているのがわかります(笑)。
オードリーのことはとてもほめてくれてて、“この映画の圧巻は何と言ってもオードリイ・ヘップバーンである。”“彼女以外に考えられないだろう。”“緑の雰囲気とオードリイ・ヘップバーンがこれらの不満を充分おぎなってっくれる。”とのこと。
また、アンソニー・パーキンスの紹介で、全然タイプが違うのに、ジェームス・ディーンに続く若手最大のホープだとみなしている事が、「サイコ」以降を知っているだけに不思議感覚。
「サイコ」はアンソニー・パーキンスを後世に名を残す役目を果たしましたけど、それがなかったら別の代表作を作って、まったく別の俳優さんになったかもしれないな~と思います。
果たしてアンソニー・パーキンスにとって「サイコ」に出演したことはよかったのかどうか…。
そう考えると「サイコ」のアルフレッド・ヒッチコック監督の「判事に保釈なし」という映画で、主演の予定だったオードリーがレイプシーンがあるので降りたのは正しかったのかもしれません。
オードリーとヒッチコックの顔合わせを観たい気はしますが、そう思うのは後世の人間だから。
“なんで?もう1本傑作が追加されるだけやん。”と思います?
でも「判事に保釈なし」のせいでイメージが変わり、出演依頼の来る作品が変わってしまったら?
「パリで一緒に」も「シャレード」も「マイ・フェア・レディ」も「おしゃれ泥棒」も観れないなんて僕はイヤですね!それらの作品あってのオードリーですから!
やっぱり「許されざる者」の後は、「ティファニーで朝食を」で正解だったのだと思います。
あ、話が大きく脱線してしまいました。(^^;;;
このパンフにも裏表紙違いがあります。パンビタンとアリナミンのもの。
内容はどちらも同じです。
レア度:★★★★
ちなみに、他の「緑の館」パンフレットはこちら 。
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緑の館
みつお
2008-03-30T16:00:00+09:00
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「緑の館」1988年リバイバル公開時 スピードポスター
https://audreyhepburn.ko-co.jp/e11404.html
これは「緑の館」1988年リバイバル時のスピードポスターです。
立看じゃあありませんよ~~~。
スピードポスターって何?と思う方もいらっしゃるだろうと思うので、ちょっとだけ…いや、実は僕もあんまりは知らないのですが…昔はまだスチール写真などが揃うまでの映画上映何ヶ月か前に劇場で飾られるポスターで、画像がなく、文字だけのこともよくあったそう。
サイズはB2を縦に半分にしたもの。
ただしこの1980年代後半のはそういう使い方ではなく、オードリー作品というのは何本かリレー方式で上映されたりしていたので、上映中の作品と次回上映作品・次々回上映作品、みたいな感じでいくつか並べて飾られていたようです。
特に日本ヘラルド配給のオードリー作品の場合、作品ごとにB2ポスターが作られることが少なかったので、作られなかった作品のポスターの代わりをしていたようです。
ただ「緑の館」が1984年には権利は取っていたものの、どうやら84年には劇場で上映されてなさそうなのは、復刻版パンフレットで書いたとおり。
どうってことのないポスターなんですけど、「緑の館」ってだけで嬉しいのはなんででしょうねー。(^-^
絵柄お気に入り度:★★★
これは「緑の館」1988年リバイバル時のスピードポスターです。
立看じゃあありませんよ~~~。
スピードポスターって何?と思う方もいらっしゃるだろうと思うので、ちょっとだけ…いや、実は僕もあんまりは知らないのですが…昔はまだスチール写真などが揃うまでの映画上映何ヶ月か前に劇場で飾られるポスターで、画像がなく、文字だけのこともよくあったそう。
サイズはB2を縦に半分にしたもの。
ただしこの1980年代後半のはそういう使い方ではなく、オードリー作品というのは何本かリレー方式で上映されたりしていたので、上映中の作品と次回上映作品・次々回上映作品、みたいな感じでいくつか並べて飾られていたようです。
特に日本ヘラルド配給のオードリー作品の場合、作品ごとにB2ポスターが作られることが少なかったので、作られなかった作品のポスターの代わりをしていたようです。
ただ「緑の館」が1984年には権利は取っていたものの、どうやら84年には劇場で上映されてなさそうなのは、復刻版パンフレット で書いたとおり。
どうってことのないポスターなんですけど、「緑の館」ってだけで嬉しいのはなんででしょうねー。(^-^
絵柄お気に入り度:★★★
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緑の館
みつお
2007-12-06T15:00:00+09:00
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「緑の館」1959年初公開時 OSチェーン版パンフレット
https://audreyhepburn.ko-co.jp/e10282.html
これは僕が一番最近にやっと手に入れた「緑の館」のOSチェーン版パンフレットです。
OSチェーンでは本当によっぽどヒットしなかったんでしょうか。手に入れるのが難し~かったです。
こないだの阪急会館の閉館の時の過去の上映作品を見ると、「緑の館」は59年5月24日~6月3日までになってました。
この当時だから2週間くらいで映画が変わるのは当然なんですが、11日間というのは阪急会館でのオードリーの映画の中では69年リバイバルの「シャレード」と並んで最も少ないです。
このパンフの中の東宝・OS系の上映予定を見ると、大阪の雄=北野劇場での「緑の館」は22日までって書いてます。えっ!たしか「緑の館」の公開って、日本では1959年5月20日のはず…。
もし大阪が東京より先に「緑の館」を公開したのでなかったら、北野劇場での「緑の館」はたった3日でたたんでしまったことになります!
えーっ!そりゃ北野劇場版「緑の館」パンフの入手が激困難なわけですね!
キャパの大きい北野劇場ではムダなので、24日から梅田シネマに劇場を変えて上映することになったんでしょうね。
他にはもともと後で上映する予定だった千日前スバル座・京都宝塚劇場・阪急会館でも同時公開、ということで。
でもこのOSチェーン版「緑の館」の入手が難しいのは、ここに同時に載っている他のOSチェーンの劇場で上映された「黄昏に帰れ」「潜望鏡を上げろ」「狂った本能」っていう作品もよっぽどコケたのか…。
いや、こんなに別の話をするのは、やはりOSチェーン版には中身がないからで…。(^^;;;
実は「緑の館」の部分に、誰が書いたのかわからないオードリーに対する文章が載ってるんですが、そこでは“「昼下りの情事」のヘプバアンを「ローマの休日」以上に愛する。”とか「緑の館」のことが全然出てこない文章があるのが面白いです。
きっと何かの雑誌から無断で拝借した文章なんでしょうね。(^^;
レア度:★★★★★
追記:図書館にて調べていただいたのですが、「緑の館」の大阪の北野劇場の公開は1959年5月16日〜22日で、東京の5月20日よりも早かったです。
これは僕が一番最近にやっと手に入れた「緑の館」のOSチェーン版パンフレットです。
OSチェーンでは本当によっぽどヒットしなかったんでしょうか。手に入れるのが難し~かったです。
こないだの阪急会館の閉館の時の過去の上映作品を見ると、「緑の館」は59年5月24日~6月3日までになってました。
この当時だから2週間くらいで映画が変わるのは当然なんですが、11日間というのは阪急会館でのオードリーの映画の中では69年リバイバルの「シャレード」と並んで最も少ないです。
このパンフの中の東宝・OS系の上映予定を見ると、大阪の雄=北野劇場での「緑の館」は22日までって書いてます。えっ!たしか「緑の館」の公開って、日本では1959年5月20日のはず…。
もし大阪が東京より先に「緑の館」を公開したのでなかったら、北野劇場での「緑の館」はたった3日でたたんでしまったことになります!
えーっ!そりゃ北野劇場版「緑の館」パンフ の入手が激困難なわけですね!
キャパの大きい北野劇場ではムダなので、24日から梅田シネマに劇場を変えて上映することになったんでしょうね。
他にはもともと後で上映する予定だった千日前スバル座・京都宝塚劇場・阪急会館でも同時公開、ということで。
でもこのOSチェーン版「緑の館」の入手が難しいのは、ここに同時に載っている他のOSチェーンの劇場で上映された「黄昏に帰れ」「潜望鏡を上げろ」「狂った本能」っていう作品もよっぽどコケたのか…。
いや、こんなに別の話をするのは、やはりOSチェーン版には中身がないからで…。(^^;;;
実は「緑の館」の部分に、誰が書いたのかわからないオードリーに対する文章が載ってるんですが、そこでは“「昼下りの情事」のヘプバアンを「ローマの休日」以上に愛する。”とか「緑の館」のことが全然出てこない文章があるのが面白いです。
きっと何かの雑誌から無断で拝借した文章なんでしょうね。(^^;
レア度:★★★★★
追記:図書館にて調べていただいたのですが、「緑の館」の大阪の北野劇場の公開は1959年5月16日〜22日で、東京の5月20日よりも早かったです。
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緑の館
みつお
2007-10-10T15:00:00+09:00
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「緑の館」!大好きな、1959年 初公開時プレスシート
https://audreyhepburn.ko-co.jp/e9754.html
これは「緑の館」の1959年初公開時のプレスシートです。サイズはA4。
いきなりこちらを見つめるオードリーがキリッとしてていいですよね!
開くと見開きでアマゾンの森の中でたたずむ小さなアンソニー・パーキンス。そこに解説が載っています。
さらにこれは観音開きになっていて、スタッフ・キャスト、エピソード、ストーリー、主演・監督の紹介が画像と共に載っています。
1950年代はこういうパタパタ折りたたむ形のプレスシートが多いですねー。
裏表紙は向き合うオードリーとトニ・パキ君。ポスターになった画像の別テイクです。おそらく撮影はボブ・ウィロビー氏。
ちなみに、このプレスをよく読むと、「緑の館」の、とある謎が解けました。
とにかく、「緑の館」に結構思い入れのある僕は、手に入れたとき、とても嬉しかったです!
お気に入りのプレスシートの1つです!(^-^
「緑の館」って作品的には色々言われてますけど、やっぱりこういうスチール写真で見ると、オードリーの妖精的な魅力はずば抜けてますよね!やっぱりリーマもオードリーでなければ絶対にダメだった作品の1つなんだな~、って。監督さえ良ければね~…。
そういえば、「緑の館」ってヒットしなくて制作費の回収が出来なかった、とかってよく読みますけど、その後は全世界でのテレビ放送やビデオ・LD発売、スチール写真の掲載、サントラの発売などでMGMも充分元を取ったと僕は考えているんですが…。
そうそう、オードリーの伝記で、あるオードリーを讃える集いでアンソニー・パーキンスがスピーチをするのに、プロモーターが「緑の館」のフィルムを準備してなかったそうです。
でもアンソニー・パーキンスは“いいよ。”って気にしなかったみたいで、そのエピソードを読んで、“ええやっちゃなー!”って思いました。
↓表紙・裏表紙と、中を開いたところ。池のほとりのアンソニー・パーキンスのは、さらに観音開きで開くことができます。雰囲気のある、とてもいいプレス!
絵柄お気に入り度:★★★★(なんといっても貴重な「緑の館」ですから!)
ちなみに「緑の館」のDVD発売ですが、今現在MGMの過去の作品の権利を持っている20世紀フォックスさん(ソニーさんじゃないんです)によるとまだ予定はないそうです。残念!
でも、メルももうお年ですから、当時を知る監督のお話とかを副音声で付けるなら急がないと!なんですけどね…。メイキングは残ってるのかな?
これは「緑の館」の1959年初公開時のプレスシートです。サイズはA4。
いきなりこちらを見つめるオードリーがキリッとしてていいですよね!
開くと見開きでアマゾンの森の中でたたずむ小さなアンソニー・パーキンス。そこに解説が載っています。
さらにこれは観音開きになっていて、スタッフ・キャスト、エピソード、ストーリー、主演・監督の紹介が画像と共に載っています。
1950年代はこういうパタパタ折りたたむ形のプレスシートが多いですねー。
裏表紙は向き合うオードリーとトニ・パキ君。ポスター になった画像の別テイクです。おそらく撮影はボブ・ウィロビー 氏。
ちなみに、このプレスをよく読むと、「緑の館」の、とある謎が解けました。
とにかく、「緑の館」に結構思い入れのある僕は、手に入れたとき、とても嬉しかったです!
お気に入りのプレスシートの1つです!(^-^
「緑の館」って作品的には色々言われてますけど、やっぱりこういうスチール写真で見ると、オードリーの妖精的な魅力はずば抜けてますよね!やっぱりリーマもオードリーでなければ絶対にダメだった作品の1つなんだな~、って。監督さえ良ければね~…。
そういえば、「緑の館」ってヒットしなくて制作費の回収が出来なかった、とかってよく読みますけど、その後は全世界でのテレビ放送やビデオ・LD発売、スチール写真の掲載、サントラ の発売などでMGMも充分元を取ったと僕は考えているんですが…。
そうそう、オードリーの伝記で、あるオードリーを讃える集いでアンソニー・パーキンスがスピーチをするのに、プロモーターが「緑の館」のフィルムを準備してなかったそうです。
でもアンソニー・パーキンスは“いいよ。”って気にしなかったみたいで、そのエピソードを読んで、“ええやっちゃなー!”って思いました。
↓表紙・裏表紙と、中を開いたところ。池のほとりのアンソニー・パーキンスのは、さらに観音開きで開くことができます。雰囲気のある、とてもいいプレス!
絵柄お気に入り度:★★★★(なんといっても貴重な「緑の館」ですから!)
ちなみに「緑の館」のDVD発売ですが、今現在MGMの過去の作品の権利を持っている20世紀フォックスさん(ソニーさんじゃないんです)によるとまだ予定はないそうです。残念!
でも、メルももうお年ですから、当時を知る監督のお話とかを副音声で付けるなら急がないと!なんですけどね…。メイキングは残ってるのかな?
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緑の館
みつお
2007-08-23T15:00:00+09:00
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「緑の館」ウィリアム・ヘンリ・ハドスン著
https://audreyhepburn.ko-co.jp/e7187.html
今日は1958年(オードリー29才)撮影の「緑の館」です。
これは「緑の館」の原作本です。ここで紹介しているのは新潮文庫版。
ただし、これは原作が傑作なので、戦前から何社からも出版されています。子供向けの本も過去に何種か出版されています。
現存する物では岩波文庫の物が手に入れ易いですが、正直オススメできません。
というのも、岩波文庫版は“You”という部分を“あんた”と訳してあるからです。これは致命的な欠陥!!
これではリーマの妖精性が出ません。いくらアマゾンと言っても、女ターザンじゃあないんですから…。
アベルのことを“あんた”呼ばわりする俗っぽいリーマでは、オードリーをイメージするのは到底無理。
こちらで紹介の新潮文庫版はとても上手に訳されています。初版が1958年ですから、映画の「緑の館」に合わせての出版。あとがきでもオードリー・ヘプバーン主演の映画が公開されるので、年少者のために多少読みやすくしてあるとのこと。
アベルのこともちゃんと“あなた”と呼んでくれるので、ずっとオードリー=リーマで読み進められます。
ところが、これはこれで大きな難点が!年少者のために手加減したため、はじめと終わりがカットされた抄訳版になってしまってるんです!
だから主人公は始めの方、ずっと名無しの権兵衛さんだし、最後にリーマのお骨拾いのシーンもなし。
では、古本でどういうのがあるのでしょうか。戦前のものは、正直今と仮名遣いが違うし、漢字も旧漢字や正漢字ばかりで、めっちゃ読みづらいと思うので、止めたほうがいいでしょう。
角川文庫には映画の公開に合わせた出版の物があるし、1997年にはちくま文庫というところから発売されてます。
読んでもいないのにオススメするのはどうかと思いますが、角川文庫やちくま文庫のを買うのがいいんじゃないでしょうか。(^^;;;
“あなた”と訳されていれば文句なし!です。
内容はですね~、すんごくいいですよ!映画ではメルの監督が拙くて描ききれていない部分もしっかり書かれていますし、さすがに傑作と言われるだけのことはあります。新潮文庫版のは中学時代、本当に何度も何度も読みました。
かなり感情移入して読んでしまい、結末でリーマが死んでしまうのがイヤで、ラスト近くでは違う結末を頭の中で考えていました。(^^;;;
それに原作は映画のように原住民に悪いヤツが一人いる、という設定ではなく、本気でみんなリーマを魔女だと思って殺すんです。
それで怒りに駆られたアベルは他の部族をたきつけて、一度はお世話になった部族を皆殺しにしてしまうんですよね。
映画ではたいした役柄でもないんですが、原作で僕の好きなキャラクターにクラクラ婆さん、というかわいいおばあちゃんがいるんですが、皆殺しにされたあと、そのクラクラ婆さんの亡き骸が転がっているシーンは、かわいそうでかわいそうで…。
リーマもクラクラ婆さんも死んでしまう悲しい結末…。別のラストを考えたくなるのはしかたないですよね。(^^;
オススメ度:★★★★★(映画「緑の館」の補完の役目を果たします。これを読んで映画を見れば、頭の中で描き足りない部分を追加できるので、映画がより良く観れます。)
これは「緑の館」の原作本です。ここで紹介しているのは新潮文庫版。
ただし、これは原作が傑作なので、戦前から何社からも出版されています。子供向けの本も過去に何種か出版されています。
現存する物では岩波文庫の物が手に入れ易いですが、正直オススメできません。
というのも、岩波文庫版は“You”という部分を“あんた”と訳してあるからです。これは致命的な欠陥!!
これではリーマの妖精性が出ません。いくらアマゾンと言っても、女ターザンじゃあないんですから…。
アベルのことを“あんた”呼ばわりする俗っぽいリーマでは、オードリーをイメージするのは到底無理。
こちらで紹介の新潮文庫版はとても上手に訳されています。初版が1958年ですから、映画の「緑の館」に合わせての出版。あとがきでもオードリー・ヘプバーン主演の映画が公開されるので、年少者のために多少読みやすくしてあるとのこと。
アベルのこともちゃんと“あなた”と呼んでくれるので、ずっとオードリー=リーマで読み進められます。
ところが、これはこれで大きな難点が!年少者のために手加減したため、はじめと終わりがカットされた抄訳版になってしまってるんです!
だから主人公は始めの方、ずっと名無しの権兵衛さんだし、最後にリーマのお骨拾いのシーンもなし。
では、古本でどういうのがあるのでしょうか。戦前のものは、正直今と仮名遣いが違うし、漢字も旧漢字や正漢字ばかりで、めっちゃ読みづらいと思うので、止めたほうがいいでしょう。
角川文庫には映画の公開に合わせた出版の物があるし、1997年にはちくま文庫というところから発売されてます。
読んでもいないのにオススメするのはどうかと思いますが、角川文庫やちくま文庫のを買うのがいいんじゃないでしょうか。(^^;;;
“あなた”と訳されていれば文句なし!です。
内容はですね~、すんごくいいですよ!映画ではメルの監督が拙くて描ききれていない部分もしっかり書かれていますし、さすがに傑作と言われるだけのことはあります。新潮文庫版のは中学時代、本当に何度も何度も読みました。
かなり感情移入して読んでしまい、結末でリーマが死んでしまうのがイヤで、ラスト近くでは違う結末を頭の中で考えていました。(^^;;;
それに原作は映画のように原住民に悪いヤツが一人いる、という設定ではなく、本気でみんなリーマを魔女だと思って殺すんです。
それで怒りに駆られたアベルは他の部族をたきつけて、一度はお世話になった部族を皆殺しにしてしまうんですよね。
映画ではたいした役柄でもないんですが、原作で僕の好きなキャラクターにクラクラ婆さん、というかわいいおばあちゃんがいるんですが、皆殺しにされたあと、そのクラクラ婆さんの亡き骸が転がっているシーンは、かわいそうでかわいそうで…。
リーマもクラクラ婆さんも死んでしまう悲しい結末…。別のラストを考えたくなるのはしかたないですよね。(^^;
オススメ度:★★★★★(映画「緑の館」の補完の役目を果たします。これを読んで映画を見れば、頭の中で描き足りない部分を追加できるので、映画がより良く観れます。)
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緑の館
原作本
みつお
2007-06-11T15:00:00+09:00
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第1位「緑の館」!1959年初公開版 北野劇場版パンフレット
https://audreyhepburn.ko-co.jp/e4509.html
昨日、DVD発売速報の記事を追加しています。まだご覧になってない方は、そちらもどうぞ!
今日は検索キーワード第1位の「緑の館」から1959年初公開北野劇場版です!
この「緑の館」が一気に6位から1位になったんです!いったいどうしたんでしょうねー。BS2での放映のせいかな?
大慌てで6位から1位の記事を入れ替えたんですよ。(^^;
“緑の館”をはじめ、“映画 緑の館”“緑の館 映画”“緑の館 オードリー・ヘプバーン”など、現在全部で154hit!オードリー映画の中ではマイナーな方なので、みなさん情報を求めてらっしゃるのかもしれないですね~。
そう!僕もそうでした!「緑の館」に関して情報が少なすぎるので、ファンになった当初「緑の館」のことって、なんでも探していました!
だから今でも「緑の館」に関しては思い入れが大きいのかも…。
でもこんなに関心があるなら、DVD出しても結構売れるんじゃないですか?(^-^
ただMGM映画は権利が2転3転してるので、なかなか出てこないとは思います…とか言ってるうちにブルーレイやHD-DVDという次世代メディアになってしまうかもしれませんが。
で、今日紹介のパンフですが…んん?何、これ。以前やったやん。と思った方、違うんです。東京有楽座のものと比べて、まず館名が違います。こちらは大阪の北野劇場。北野劇場といえば、西の雄ってことで、かなり大きな劇場。もちろん当時は1500人近い収容人数だったんじゃないかな~。
内容もね、違うんです。こちらが有楽座のものより、ページ数4pほど少ない!有楽座版のウリだった津田秀夫さんの長文解説が丸々カット!うきゃー!なんてことを!
こりゃ大阪の人、可哀想ですよ~。東宝直営の映画館ですから、このパンフも東宝関西支社が作ったんでしょうけど…「パリの恋人」の頃と比べてえらいやる気失くしてますよねー。東京版にはないところなんて何もないし…。
しかし有楽座のパンフでもそうでしたが、この画像ってアンソニー・パーキンスの顔が妙にオッサン臭い!この時はまだまだ若くてカッコよかったはずなのにね。
それに有楽座のと比べて手に斑点いっぱい出ててヤバイよ!早く病院行かなきゃ!(^^;;;
オードリー作品だけのパンフレットで表紙が共演者と2人になるなんて、この「緑の館」が初めて!それまでは全部オードリーだけの表紙だったし。そのオードリーと対等に表紙に並ぶとは、いかに当時アンソニー・パーキンスも人気があったかわかりますよね~。
まだ「サイコ」のイメージが付く前の、青春スター真っ只中のアイドル、トニ・パキ君。
彼はこの「緑の館」でオードリーと共演することが決まっていたために、ビリー・ワイルダー監督の「お熱いのがお好き」のオファーを蹴ったらしいです。
結果としてこの選択は失敗だったのでしょうか…。そうなんでしょうねー。
トニ・パキ君は、メル・ファラーの監督ぶりに、“この作品は失敗する!”と撮影中から思ってたそうなので、あとでビリー・ワイルダー監督の「お熱いのがお好き」の出来と比べて“しくった!”って思ったでしょうね。
でも失敗してもオードリーと共演する方がマリリン・モンローと共演するよりよかったのかな?
レア度:★★★★★(関西でも全然見つかりません。なんででしょうねー。)
追記:「緑の館」の大阪北野劇場での公開は1959年5月16日〜22日で、東京有楽座の5月20日よりも早かったことになります。
今日は検索キーワード第1位の「緑の館」から1959年初公開北野劇場版です!
この「緑の館」が一気に6位から1位になったんです!いったいどうしたんでしょうねー。BS2での放映のせいかな?
大慌てで6位から1位の記事を入れ替えたんですよ。(^^;
“緑の館”をはじめ、“映画 緑の館”“緑の館 映画”“緑の館 オードリー・ヘプバーン”など、現在全部で154hit!オードリー映画の中ではマイナーな方なので、みなさん情報を求めてらっしゃるのかもしれないですね~。
そう!僕もそうでした!「緑の館」に関して情報が少なすぎるので、ファンになった当初「緑の館」のことって、なんでも探していました!
だから今でも「緑の館」に関しては思い入れが大きいのかも…。
でもこんなに関心があるなら、DVD出しても結構売れるんじゃないですか?(^-^
ただMGM映画は権利が2転3転してるので、なかなか出てこないとは思います…とか言ってるうちにブルーレイやHD-DVDという次世代メディアになってしまうかもしれませんが。
で、今日紹介のパンフですが…んん?何、これ。以前やったやん。と思った方、違うんです。東京有楽座のもの と比べて、まず館名が違います。こちらは大阪の北野劇場。北野劇場といえば、西の雄ってことで、かなり大きな劇場。もちろん当時は1500人近い収容人数だったんじゃないかな~。
内容もね、違うんです。こちらが有楽座のものより、ページ数4pほど少ない!有楽座版のウリだった津田秀夫さんの長文解説が丸々カット!うきゃー!なんてことを!
こりゃ大阪の人、可哀想ですよ~。東宝直営の映画館ですから、このパンフも東宝関西支社が作ったんでしょうけど…「パリの恋人」 の頃と比べてえらいやる気失くしてますよねー。東京版にはないところなんて何もないし…。
しかし有楽座のパンフでもそうでしたが、この画像ってアンソニー・パーキンスの顔が妙にオッサン臭い!この時はまだまだ若くてカッコよかったはずなのにね。
それに有楽座のと比べて手に斑点いっぱい出ててヤバイよ!早く病院行かなきゃ!(^^;;;
オードリー作品だけのパンフレットで表紙が共演者と2人になるなんて、この「緑の館」が初めて!それまでは全部オードリーだけの表紙だったし。そのオードリーと対等に表紙に並ぶとは、いかに当時アンソニー・パーキンスも人気があったかわかりますよね~。
まだ「サイコ」のイメージが付く前の、青春スター真っ只中のアイドル、トニ・パキ君。
彼はこの「緑の館」でオードリーと共演することが決まっていたために、ビリー・ワイルダー監督の「お熱いのがお好き」のオファーを蹴ったらしいです。
結果としてこの選択は失敗だったのでしょうか…。そうなんでしょうねー。
トニ・パキ君は、メル・ファラーの監督ぶりに、“この作品は失敗する!”と撮影中から思ってたそうなので、あとでビリー・ワイルダー監督の「お熱いのがお好き」の出来と比べて“しくった!”って思ったでしょうね。
でも失敗してもオードリーと共演する方がマリリン・モンローと共演するよりよかったのかな?
レア度:★★★★★(関西でも全然見つかりません。なんででしょうねー。)
追記:「緑の館」の大阪北野劇場での公開は1959年5月16日〜22日で、東京有楽座の5月20日よりも早かったことになります。
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緑の館
みつお
2007-04-18T00:00:00+09:00
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「緑の館」59初版映画実業出版社版パンフ これぞ復刻版の元!
https://audreyhepburn.ko-co.jp/e4963.html
今回は「緑の館」1959年初公開時の映画実業出版社版パンフレットの紹介です。
これこそが復刻版の元になったパンフであり、表紙がおんなじの日本映画出版社の物とは全く中身が違います。日本映画出版社との違いは右下のMGMロゴの有無。表紙は復刻版みたいに緑の発色がケバくないです。
中身スカスカの日本映画出版社の物とは違い、“好ましきカップルオードリーとメル”、“主題歌「緑の館」”の訳詩、それと前半1/4の部分だけだけど、津田幸夫さんの“「緑の館」を見て”の解説付き。
なんせ大阪の雄・北野劇場版「緑の館」パンフよりも読む分量だけだと多いんだからすごい!本命有楽座版に次いでの内容の濃さを誇ります。
より良い物を作ろう!という出版社の意欲が感じられる出来に満足。(^^
→右の写真はこのパンフでの“物語”の載っているページ。日本映画出版社の物と違って、ど真ん中のページでもないですし、レイアウトも全然違うのがおわかりいただけますか?
ところで、この映画実業出版社という会社…他にオードリーのパンフでは見当たりません。まあこのパンフも中にこの会社の広告がたまたまあったからわかっただけで、裏表紙に記述があるわけでもないです。ということは出版社不明のパンフの中にもこの会社の物があるのかもしれませんが…。
それよりもこの会社名で思い出すのが大阪映画実業社、略して大阪映実!…これって大阪映実の前身なのか、大阪映実の東京支社と言われる会社なのか…!とにかく無関係とは思えません。
おそらくこれが90年代まで生き残って、ヘラルドの配給時の復刻版を次々作ったエイジツだと思われます。
レア度:★★★★★(見つけるのはかなり難しいです。日本映画出版社の物と間違えないように。)
今回は「緑の館」1959年初公開時の映画実業出版社版パンフレットの紹介です。
これこそが復刻版 の元になったパンフであり、表紙がおんなじの日本映画出版社 の物とは全く中身が違います。日本映画出版社との違いは右下のMGMロゴの有無。表紙は復刻版みたいに緑の発色がケバくないです。
中身スカスカの日本映画出版社の物とは違い、“好ましきカップルオードリーとメル”、“主題歌「緑の館」”の訳詩、それと前半1/4の部分だけだけど、津田幸夫さんの“「緑の館」を見て”の解説付き。
なんせ大阪の雄・北野劇場版「緑の館」パンフよりも読む分量だけだと多いんだからすごい!本命有楽座版に次いでの内容の濃さを誇ります。
より良い物を作ろう!という出版社の意欲が感じられる出来に満足。(^^
→右の写真はこのパンフでの“物語”の載っているページ。日本映画出版社の物と違って、ど真ん中のページでもないですし、レイアウトも全然違うのがおわかりいただけますか?
ところで、この映画実業出版社という会社…他にオードリーのパンフでは見当たりません。まあこのパンフも中にこの会社の広告がたまたまあったからわかっただけで、裏表紙に記述があるわけでもないです。ということは出版社不明のパンフの中にもこの会社の物があるのかもしれませんが…。
それよりもこの会社名で思い出すのが大阪映画実業社、略して大阪映実!…これって大阪映実の前身なのか、大阪映実の東京支社と言われる会社なのか…!とにかく無関係とは思えません。
おそらくこれが90年代まで生き残って、ヘラルドの配給時の復刻版を次々作ったエイジツだと思われます。
レア度:★★★★★(見つけるのはかなり難しいです。日本映画出版社の物と間違えないように。)
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緑の館
みつお
2007-04-02T00:00:00+09:00
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「緑の館」59年初版日本映画出版社版 復刻版の元…ええっ!?
https://audreyhepburn.ko-co.jp/e4863.html
さて、「緑の館」84年リバイバル復刻版のところで書いてずっとほったらかしになっていた、
“この復刻版、あなどってはいけません!これを持っていたおかげで、後々すんごい事実が判明することになるのです!!”
の件ですが、今回はその続きを…。
←まずはこちらを見てください。これは渋谷宝塚の館名が入っていますけど、館名入りとMGMのロゴがない以外は復刻版と同じ。
これを手に入れたとき、“やった~!復刻版の元を手に入れた~!”って思いました。でもまあ中身は既に知っているわけだし、嬉しさも中くらいなり「緑の館」、って感じだったのですが、中身を見てみてびっくり…………!!!!!
中が復刻版のものと全然違う!!!え~~~~っ!!!!
えっ、えっ!?って何度も復刻版とこれを見比べたのですが…隅からスミまでまるっきり違いました!
でも全く違うパンフを入手出来たということで、嬉しさ倍増!!!
←ちなみにこれは同じく日本映画社の「新宿劇場」館名入り。
このタイプには裏表紙に“日本映画社”の表記があり、復刻版のほうはよーく読めば中に“映画実業出版社”であることがわかる広告が!
「ローマの休日」の本所映画館と一般版みたいに、同じであろう出版社が表紙同じで別の中身を作る例はあったんですけど、違う出版社が同じ表紙を使うなんて!!
この当時の映画パンフレットの作り方って、どうなってたんでしょうね。もしかしてどこかが画像を職人さんに着色してもらって、表紙用にレイアウトしたものをいくつも提供してて、その中から各出版社が好きなのを選んで買っていたとか?それでたまたま日本映画社と映画実業出版社が同じになってしまったのかな~…。
だってですねー、「緑の館」っていう題名まで同じ傾いた入れ方してるんですよぉ~~!
→右の画像は「物語」の載っているページなんですが、このパンフではど真ん中の見開きページです。
また追って映画実業出版社の物を紹介しますけど、物語のあるページは全然違います(別の出版社の発行なんだから当然っちゃあ当然ですけど)。
館名入りパンフが多くて、映画実業出版社の物より格が高そうな日本映画社版ですけど、中身に関しては全然負けてます。読むところほとんどありません。
もし本所映画館の館名入りがあるとすれば、おそらくこれじゃないかな?って思ってます。
とにかく、復刻版を先に持っていたからこそ判明した、恐ろしい事実だったのでした!
コレクター間では馬鹿にされてアウト・オブ・眼中!でかわいそうな復刻版ですけど、こういう新しい発見などの役に立ってくれることもあるんですよ。(^-^
そうそう、「カタログ オードリー・ヘプバーン」に付いていた「ティファニーで朝食を」の復刻版も同じような役に立ちましたしね。
レア度:★★★★(この日本映画社版にも館名無しのがあるので、映画実業出版社との見分け方は、右下にMGMのロゴがあるかどうかです。)
さて、「緑の館」84年リバイバル復刻版 のところで書いてずっとほったらかしになっていた、
“この復刻版、あなどってはいけません!これを持っていたおかげで、後々すんごい事実が判明することになるのです!!”
の件ですが、今回はその続きを…。
←まずはこちらを見てください。これは渋谷宝塚の館名が入っていますけど、館名入りとMGMのロゴがない以外は復刻版と同じ。
これを手に入れたとき、“やった~!復刻版の元を手に入れた~!”って思いました。でもまあ中身は既に知っているわけだし、嬉しさも中くらいなり「緑の館」、って感じだったのですが、中身を見てみてびっくり…………!!!!!
中が復刻版のものと全然違う!!!え~~~~っ!!!!
えっ、えっ!?って何度も復刻版とこれを見比べたのですが…隅からスミまでまるっきり違いました!
でも全く違うパンフを入手出来たということで、嬉しさ倍増!!!
←ちなみにこれは同じく日本映画社の「新宿劇場」館名入り。
このタイプには裏表紙に“日本映画社”の表記があり、復刻版のほうはよーく読めば中に“映画実業出版社”であることがわかる広告が!
「ローマの休日」の本所映画館 と一般版 みたいに、同じであろう出版社が表紙同じで別の中身を作る例はあったんですけど、違う出版社が同じ表紙を使うなんて!!
この当時の映画パンフレットの作り方って、どうなってたんでしょうね。もしかしてどこかが画像を職人さんに着色してもらって、表紙用にレイアウトしたものをいくつも提供してて、その中から各出版社が好きなのを選んで買っていたとか?それでたまたま日本映画社と映画実業出版社が同じになってしまったのかな~…。
だってですねー、「緑の館」っていう題名まで同じ傾いた入れ方してるんですよぉ~~!
→右の画像は「物語」の載っているページなんですが、このパンフではど真ん中の見開きページです。
また追って映画実業出版社の物 を紹介しますけど、物語のあるページは全然違います(別の出版社の発行なんだから当然っちゃあ当然ですけど)。
館名入りパンフが多くて、映画実業出版社の物より格が高そうな日本映画社版ですけど、中身に関しては全然負けてます。読むところほとんどありません。
もし本所映画館の館名入りがあるとすれば、おそらくこれじゃないかな?って思ってます。
とにかく、復刻版を先に持っていたからこそ判明した、恐ろしい事実だったのでした!
コレクター間では馬鹿にされてアウト・オブ・眼中!でかわいそうな復刻版ですけど、こういう新しい発見などの役に立ってくれることもあるんですよ。(^-^
そうそう、「カタログ オードリー・ヘプバーン 」に付いていた「ティファニーで朝食を」の復刻版も同じような役に立ちましたしね。
レア度:★★★★(この日本映画社版にも館名無しのがあるので、映画実業出版社との見分け方は、右下にMGMのロゴがあるかどうかです。)
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緑の館
みつお
2007-03-24T00:00:00+09:00
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「緑の館」1959年 初公開版B2ポスター
https://audreyhepburn.ko-co.jp/e4214.html
これ、「緑の館」の初版ポスターですけど…。当時は(今でも?)映画会社が力を入れてる映画のB2ポスターは2種類作られるんですけど、「緑の館」はこれしか知りません。
でもこれどうでしょう…オードリーもアンソニー・パーキンスも顔がよくわかんないんですよ。オードリー作品ならもっと顔がドーンと載っててもよさそうなんですけどねー。
当時大人気のオードリーファンにもトニ・パキ(アンソニー・パーキンスの愛称)君ファンにも顔を立てようとして、こんなぼやっとしたビジュアルになってしまったんでしょうか…。
画像自体はボブ・ウィロビー撮影のものっぽいです。
このポスターのキャッチコピーはこんなの。
「美しく神秘な森に漂う甘美なロマンのムード!!」
あちゃー。これでは見たいとは思わないなー…。(^^;;
まあでも、1950年代にありがちな、“世紀の巨編!”とか“最高の感動作!”とかっていう大げさなコピーは書いてないし(というか作品が作品だけに書けなかったのか?)、まあこんなもんなのかな?
右の白抜き文字のコピーの下に黒い文字ありますけど、そのまた左に小さく小さく
「主題歌:ビクターレコード」
って書いてるんですよね。「緑の館」のサントラの話に書きましたが、これがアンソニー・パーキンスの歌だったのかどうなのかがナゾ。確かに当時トニ・パキ君が契約してたのビクターだし。持ってる方、いらっしゃいませんか?
画像お気に入り度:★★★(心理的にはご贔屓にしてる「緑の館」ですから★1つオマケ)
さて、今日で4日続けてササッと読めるまあまあ短い文章が続きましたが、明日は臨時で変更がなければ、非常に(非情に?)長い文章になってますので、覚悟していらしてくださいです。(^^;;
これ、「緑の館」の初版ポスターですけど…。当時は(今でも?)映画会社が力を入れてる映画のB2ポスターは2種類作られるんですけど、「緑の館」はこれしか知りません。
でもこれどうでしょう…オードリーもアンソニー・パーキンスも顔がよくわかんないんですよ。オードリー作品ならもっと顔がドーンと載っててもよさそうなんですけどねー。
当時大人気のオードリーファンにもトニ・パキ(アンソニー・パーキンスの愛称)君ファンにも顔を立てようとして、こんなぼやっとしたビジュアルになってしまったんでしょうか…。
画像自体はボブ・ウィロビー撮影のものっぽいです。
このポスターのキャッチコピーはこんなの。
「美しく神秘な森に漂う甘美なロマンのムード!!」
あちゃー。これでは見たいとは思わないなー…。(^^;;
まあでも、1950年代にありがちな、“世紀の巨編!”とか“最高の感動作!”とかっていう大げさなコピーは書いてないし(というか作品が作品だけに書けなかったのか?)、まあこんなもんなのかな?
右の白抜き文字のコピーの下に黒い文字ありますけど、そのまた左に小さく小さく
「主題歌:ビクターレコード」
って書いてるんですよね。「緑の館」のサントラ の話に書きましたが、これがアンソニー・パーキンスの歌だったのかどうなのかがナゾ。確かに当時トニ・パキ君が契約してたのビクターだし。持ってる方、いらっしゃいませんか?
画像お気に入り度:★★★(心理的にはご贔屓にしてる「緑の館」ですから★1つオマケ)
さて、今日で4日続けてササッと読めるまあまあ短い文章が続きましたが、明日は臨時で変更がなければ、非常に(非情に?)長い文章になってますので、覚悟していらしてくださいです。(^^;;
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緑の館
みつお
2007-03-07T00:00:00+09:00
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本命版「緑の館」1959年初版 有楽座館名入りパンフレット
https://audreyhepburn.ko-co.jp/e4155.html
はい、これは1959年初版の有楽座版です。これが「緑の館」の本命版といわれてます。サイズはB5。
さすがに本命版だけあって、写真も綺麗だし、「緑の館」のすべてのパンフの中で一番ページ数も多く20p。真ん中のページあたりには画像だけのページがあるなど、贅沢なつくり。
そして、このパンフのウリは、「緑の館を見て」という津田幸夫さんという方の解説。これ、復刻版にも載ってたんですけど、全然分量が違う!復刻版に載っていたのはこの解説のほんのサワリの部分。全体の1/4から1/5に過ぎません。このパンフを入手して初めて全容が読める、というわけ。
現在、「緑の館」に関しての文章があまりに少ないことを考えると、これはとっても貴重。
難を言えば、全体的にもっと珍しい画像を採用して欲しかった…ってどれが将来珍しい画像になるかなんて、公開当時にわかるわけないけど(笑)。
「緑の館」はそんなにヒットしなかったので、このパンフはとてもレアだと言われ、高額で取引されてますけど、実は意外とよく出る。「緑の館」パンフの中では一番入手が簡単なくらい。裏表紙違いがあるところを見ると、パンフを追加で刷るなんて、現在世間で思われているほど実際はコケてないんじゃないか、と思います。主演が当時大人気のコンビだしね。
レア度:★★★
追記:「緑の館」の初公開は、1959年5月20日の有楽座とされていますが、実際には大阪の北野劇場にて5月16日から公開が始まっています。
はい、これは1959年初版の有楽座版です。これが「緑の館」の本命版といわれてます。サイズはB5。
さすがに本命版だけあって、写真も綺麗だし、「緑の館」のすべてのパンフの中で一番ページ数も多く20p。真ん中のページあたりには画像だけのページがあるなど、贅沢なつくり。
そして、このパンフのウリは、「緑の館を見て」という津田幸夫さんという方の解説。これ、復刻版 にも載ってたんですけど、全然分量が違う!復刻版に載っていたのはこの解説のほんのサワリの部分。全体の1/4から1/5に過ぎません。このパンフを入手して初めて全容が読める、というわけ。
現在、「緑の館」に関しての文章があまりに少ないことを考えると、これはとっても貴重。
難を言えば、全体的にもっと珍しい画像を採用して欲しかった…ってどれが将来珍しい画像になるかなんて、公開当時にわかるわけないけど(笑)。
「緑の館」はそんなにヒットしなかったので、このパンフはとてもレアだと言われ、高額で取引されてますけど、実は意外とよく出る。「緑の館」パンフの中では一番入手が簡単なくらい。裏表紙違いがあるところを見ると、パンフを追加で刷るなんて、現在世間で思われているほど実際はコケてないんじゃないか、と思います。主演が当時大人気のコンビだしね。
レア度:★★★
追記:「緑の館」の初公開は、1959年5月20日の有楽座とされていますが、実際には大阪の北野劇場にて5月16日から公開が始まっています。
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緑の館
みつお
2007-01-26T00:00:00+09:00
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不運の「緑の館」84年リバイバル 復刻版パンフレット
https://audreyhepburn.ko-co.jp/e3826.html
さて、今回は「緑の館」84年リバイバルの復刻版パンフレットのお話。サイズはB5。
なぜ「緑の館」のパンフのトップに復刻版の話が?まあ聞いてくださいよ~、実はこれにはいろいろと複雑な話がありまして…。
「緑の館」の初公開は59年。あまりの不評にリバイバルは無いと思ってましたけど、それから25年後の84年、日本ヘラルド株式会社がなんとも凄いことに、リバイバルの権利を手に入れました!
84年といったら、怒涛のオードリーリバイバルの幕開けの年で、「噂の二人」と一緒の年。一般受けしそうな「ローマの休日」も「麗しのサブリナ」のリバイバルもまだ来年のお話。
数あるオードリー作品の中で「噂の二人」と「緑の館」を最初にぶつけてくるなんて!凄い!快挙(暴挙?)!パチパチパチ!
その公開に合わせて刷られたのがこの復刻版で、中にはきちんと1984年発行の印が…でも本当に1984年にリバイバルされたんでしょうか?
84年からのリバイバル、きちんとチェックして大阪まで見に行ってた僕は、ある映画のリバイバルの時、上映されてもいない「緑の館」のパンフレットを売っているのを発見!あれ~~「緑の館」なんてリバイバルしたかな?東京でだけしたのかな?って思いながらも購入。でもやっぱり気になった僕はその劇場にTEL。“あのー、おそらく大阪ではリバイバルしてない「緑の館」のパンフが売ってたのはなんでですか?リバイバルはしてくださらないんですか?”。
そしたら、“「緑の館」は東京の劇場でかけようとフィルムを取り寄せたら、ザーザー雨が降ってる状態(傷だらけ、ということですね)であまりにも状態が悪かったからやめたそうなんですよねー。こちらでも上映の予定はないです。”との答え。え~~~~~~!!!がっかり~~。と思いながらも納得したんですが…。
結局その後も日本で一番集客力のある東京と関西で1度も劇場にかけられることなく権利切れをおこしてしまいました。そして東京と関西のオードリーファンの、一生で一度あるかないかの「緑の館」を大スクリーンで見る!という夢のようなチャンスは失われたのでした…。うきゃーーー!
で、日本ではいったいどこで「緑の館」を劇場で見る!という超幸運な栄誉に浴したんでしょうかねー?名古屋、札幌、熊本、長崎では公開されたということはわかっているんですけど…。
そんなリバイバル状況だから、パンフの刷られた84年には実は日本全国どこの劇場にも乗らなかったのではないか、と思ってるんですけどね。もっとあとで名古屋とかに回っていったのじゃないかと。そして、復刻版としては異様にレアなこのパンフ。地方の劇場でしか見れなかったからしかたないですよね。劇場で見れた方、本当におめでとうございました!!と言うしかないです…。今なら公開している地方を調べて、わざわざ見に行ったのでしょうが…(涙)。
さて、復刻版のパンフは妙に表紙のグリーンが鮮やか!オリジナルはこんなケバい緑じゃないし。でもレア。「緑の館」は公開するたびにレア物を作り出す(笑)!次の25年後は2009年ですね。どこかの配給会社でリバイバルして欲しいよ~~~!(T T
で、この復刻版、あなどってはいけません!これを持っていたおかげで、後々すんごい事実が判明することになるのです!!きゃ~~~~~~っ!!!!!えっ、なになに?持ってないと気づかないその恐ろしいこととは…???それはまたいつか。あ~持っててよかった!
レア度:★★★(復刻版なのに、入手が難しい…。)
追記:関連記事
「緑の館」59初版日本映画出版社版 復刻版の元…ええっ!!?
「緑の館」59初版映画実業出版社版 これぞ復刻版の元!
さて、今回は「緑の館」84年リバイバルの復刻版パンフレットのお話。サイズはB5。
なぜ「緑の館」のパンフのトップに復刻版の話が?まあ聞いてくださいよ~、実はこれにはいろいろと複雑な話がありまして…。
「緑の館」の初公開は59年。あまりの不評にリバイバルは無いと思ってましたけど、それから25年後の84年、日本ヘラルド株式会社がなんとも凄いことに、リバイバルの権利を手に入れました!
84年といったら、怒涛のオードリーリバイバルの幕開けの年で、「噂の二人」と一緒の年。一般受けしそうな「ローマの休日」も「麗しのサブリナ」のリバイバルもまだ来年のお話。
数あるオードリー作品の中で「噂の二人」と「緑の館」を最初にぶつけてくるなんて!凄い!快挙(暴挙?)!パチパチパチ!
その公開に合わせて刷られたのがこの復刻版で、中にはきちんと1984年発行の印が…でも本当に1984年にリバイバルされたんでしょうか?
84年からのリバイバル、きちんとチェックして大阪まで見に行ってた僕は、ある映画のリバイバルの時、上映されてもいない「緑の館」のパンフレットを売っているのを発見!あれ~~「緑の館」なんてリバイバルしたかな?東京でだけしたのかな?って思いながらも購入。でもやっぱり気になった僕はその劇場にTEL。“あのー、おそらく大阪ではリバイバルしてない「緑の館」のパンフが売ってたのはなんでですか?リバイバルはしてくださらないんですか?”。
そしたら、“「緑の館」は東京の劇場でかけようとフィルムを取り寄せたら、ザーザー雨が降ってる状態(傷だらけ、ということですね)であまりにも状態が悪かったからやめたそうなんですよねー。こちらでも上映の予定はないです。”との答え。え~~~~~~!!!がっかり~~。と思いながらも納得したんですが…。
結局その後も日本で一番集客力のある東京と関西で1度も劇場にかけられることなく権利切れをおこしてしまいました。そして東京と関西のオードリーファンの、一生で一度あるかないかの「緑の館」を大スクリーンで見る!という夢のようなチャンスは失われたのでした…。うきゃーーー!
で、日本ではいったいどこで「緑の館」を劇場で見る!という超幸運な栄誉に浴したんでしょうかねー?名古屋、札幌、熊本、長崎では公開されたということはわかっているんですけど…。
そんなリバイバル状況だから、パンフの刷られた84年には実は日本全国どこの劇場にも乗らなかったのではないか、と思ってるんですけどね。もっとあとで名古屋とかに回っていったのじゃないかと。そして、復刻版としては異様にレアなこのパンフ。地方の劇場でしか見れなかったからしかたないですよね。劇場で見れた方、本当におめでとうございました!!と言うしかないです…。今なら公開している地方を調べて、わざわざ見に行ったのでしょうが…(涙)。
さて、復刻版のパンフは妙に表紙のグリーンが鮮やか!オリジナルはこんなケバい緑じゃないし。でもレア。「緑の館」は公開するたびにレア物を作り出す(笑)!次の25年後は2009年ですね。どこかの配給会社でリバイバルして欲しいよ~~~!(T T
で、この復刻版、あなどってはいけません!これを持っていたおかげで、後々すんごい事実が判明することになるのです!!きゃ~~~~~~っ!!!!!えっ、なになに?持ってないと気づかないその恐ろしいこととは…???それはまたいつか。あ~持っててよかった!
レア度:★★★(復刻版なのに、入手が難しい…。)
追記:関連記事
「緑の館」59初版日本映画出版社版 復刻版の元…ええっ!!?
「緑の館」59初版映画実業出版社版 これぞ復刻版の元!
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緑の館
みつお
2007-01-15T00:00:00+09:00
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「緑の館」全世界3000枚!完全限定版サントラ
https://audreyhepburn.ko-co.jp/e3757.html
パンフでもサントラでも、なんか手に入れるのが難しいものばかり紹介してきたので、今回は今ならまだ入手が間に合うオードリーのオリジナル・サウンドトラックをご紹介。
出ました出ました、「緑の館」サントラ!
これ、2005年の8月くらいに出たばっかりなんですよね。
それまで、「緑の館」は公開当時にEPレコードが出ただけで、それ以降サントラは発売されてなかったんですね。
ところが「緑の館」ってヒットしてないもんだから、そのEPはまぼろし化してて、ファンやコレクターやサントラ業界の人でもその存在があることを知らないっていうものだったんです。
僕もあるオードリーの本でその存在を知っていたものの、もちろん持っている人は皆無。それがこうして公開後50年ちかく経ってアルバム化された嬉しさ!ホンとネットで見つけたときは“ぃやった~~!!!”って感激でした。
だいたいこのサントラ、映画がヒットしてないという以外に、作曲家がエイトル・ヴィラ=ロボスとブラニスラウ・ケイパーって2人がかり。
もともとクラシック作曲家のヴィラ=ロボスに作曲を依頼したけど、製作者や映画会社の意向でほとんどケイパーによって改変されてしまったんですよね。
がっかりしたヴィラ=ロボスは後で本来作りたかった「緑の館」を「アマゾンの森」として別に発表しちゃったんですよね。こちらもCDが入手可能です。
で、こんな風に複雑に権利が絡まっているだろう「緑の館」なので、CD化は難しいんじゃないかなーって思ってました。サントラアルバムを出そうと思った人に感謝!
で、「アマゾンの森」も「緑の館」サントラも手に入れましたけど、かなり「アマゾンの森」の方は音楽が荒々しいです。
もちろんこれも素晴らしいのですが、オードリー映画としての“甘さ”を求めた映画会社はケイパーに愛のメロディみたいなのを書かせたんでしょうね。
さらに「緑の館の歌」という主題歌まで書いてます。これは映画中ではアンソニー・パーキンスが歌ってて、最初映画を見たときは聴いてるこっちが恥ずかしくなりましたが、今は慣れました(笑)。
「緑の館」公開当時の劇場ポスターには“主題曲”ではなく、“主題歌:ビクターレコード”って書いてあるので、トニ・パキさんの歌う「緑の館の歌」が発売されてたのかな?とも思うのですが、なんせ持っている人がいないので、確認のしようもありません。
当時青春スター真っ只中だったトニー・パーキンスは、結構「月影の渚」他のレコードを出していたようなので、可能性は大いにありです。
今回のアルバムはそのアンソニー・パーキンスの歌う「緑の館の歌」は収録されてなくて、音楽のみです。ここまで出すんやったら「緑の館の歌」も入れればいいのに!とは思いましたが、収録時間が79分53秒というCDの限界ギリギリなのを見て、こりゃムリだ!と。
さて、全曲を聴いた感想は、意外とアマゾンの民族音楽風な曲や重い曲が多くてびっくり!
映画を見ての印象ではもっと甘い音楽が多いのかと思ってましたが…。全曲を聴くと疲れます。
あとで軽い「おしゃれ泥棒」や「パリで一緒に」を聴きたくなります(笑)。
でも音質は1958年の作品とは信じられないくらい素晴らしい!一瞬オリジナル・サウンドスコアかと思いましたが、ちゃんとオリジナル・サウンドトラックでした。
あと、このサントラで嬉しいのは、ライナー・ノートが「緑の館」写真集っぽい分厚いつくりであること!24pもあります。
なんせ「緑の館」はこんにちでは取り上げられることが少ないですから。
ただ、ストーリーを追っているようなので、当然実質脇役のオードリーよりも、「真の主役」アンソニー・パーキンスの方が写真が圧倒的に多いのですが…。
裏ジャケットはこんな画像。ラストシーンの後光を放つリーマです。さらにオードリーのピクチャー・ディスク仕様。
また、やっぱり作曲家二人に気を遣ったのか、CDの背の部分は片側が「ヴィラ=ロボス」、もう一方が「ブラニスラウ・ケイパー」になってました。
全世界で3000枚だけの限定プレス。僕も見つけてアマゾンで即!注文しましたけど(「緑の館」にちなんだわけではないです)、なかなか届かなくて…。
焦った僕はそれ以外のHMVとタワレコの2箇所でも発注。結局3枚持ってます。世界の1/1000は僕のところにあるというわけですね(笑)。今ならまだなんとか手に入るようなので、手に入れたいかたは、お急ぎを!
レア度:2007年1月5日現在では無し。ただし、残りわずかなので、急に入手困難になる可能性あり。輸入版なので、“GREEN MANSIONS”で検索してください。
曲のオススメ度:★★★(全曲はしんどいです。でも甘い部分はとてもいい!)
追記:その後、入手は困難になっています。今確実に手に入るのはHMVです。←左のHMVのバナーで“green mansions”とタイトル検索してください。(2007/9/11)
パンフでもサントラでも、なんか手に入れるのが難しいものばかり紹介してきたので、今回は今ならまだ入手が間に合うオードリーのオリジナル・サウンドトラックをご紹介。
出ました出ました、「緑の館」サントラ!
これ、2005年の8月くらいに出たばっかりなんですよね。
それまで、「緑の館」は公開当時にEPレコードが出ただけで、それ以降サントラは発売されてなかったんですね。
ところが「緑の館」ってヒットしてないもんだから、そのEPはまぼろし化してて、ファンやコレクターやサントラ業界の人でもその存在があることを知らないっていうものだったんです。
僕もあるオードリーの本でその存在を知っていたものの、もちろん持っている人は皆無。それがこうして公開後50年ちかく経ってアルバム化された嬉しさ!ホンとネットで見つけたときは“ぃやった~~!!!”って感激でした。
だいたいこのサントラ、映画がヒットしてないという以外に、作曲家がエイトル・ヴィラ=ロボスとブラニスラウ・ケイパーって2人がかり。
もともとクラシック作曲家のヴィラ=ロボスに作曲を依頼したけど、製作者や映画会社の意向でほとんどケイパーによって改変されてしまったんですよね。
がっかりしたヴィラ=ロボスは後で本来作りたかった「緑の館」を「アマゾンの森」として別に発表しちゃったんですよね。こちらもCDが入手可能です。
で、こんな風に複雑に権利が絡まっているだろう「緑の館」なので、CD化は難しいんじゃないかなーって思ってました。サントラアルバムを出そうと思った人に感謝!
で、「アマゾンの森」も「緑の館」サントラも手に入れましたけど、かなり「アマゾンの森」の方は音楽が荒々しいです。
もちろんこれも素晴らしいのですが、オードリー映画としての“甘さ”を求めた映画会社はケイパーに愛のメロディみたいなのを書かせたんでしょうね。
さらに「緑の館の歌」という主題歌まで書いてます。これは映画中ではアンソニー・パーキンスが歌ってて、最初映画を見たときは聴いてるこっちが恥ずかしくなりましたが、今は慣れました(笑)。
「緑の館」公開当時の劇場ポスターには“主題曲”ではなく、“主題歌:ビクターレコード”って書いてあるので、トニ・パキさんの歌う「緑の館の歌」が発売されてたのかな?とも思うのですが、なんせ持っている人がいないので、確認のしようもありません。
当時青春スター真っ只中だったトニー・パーキンスは、結構「月影の渚」他のレコードを出していたようなので、可能性は大いにありです。
今回のアルバムはそのアンソニー・パーキンスの歌う「緑の館の歌」は収録されてなくて、音楽のみです。ここまで出すんやったら「緑の館の歌」も入れればいいのに!とは思いましたが、収録時間が79分53秒というCDの限界ギリギリなのを見て、こりゃムリだ!と。
さて、全曲を聴いた感想は、意外とアマゾンの民族音楽風な曲や重い曲が多くてびっくり!
映画を見ての印象ではもっと甘い音楽が多いのかと思ってましたが…。全曲を聴くと疲れます。
あとで軽い「おしゃれ泥棒」や「パリで一緒に」を聴きたくなります(笑)。
でも音質は1958年の作品とは信じられないくらい素晴らしい!一瞬オリジナル・サウンドスコアかと思いましたが、ちゃんとオリジナル・サウンドトラックでした。
あと、このサントラで嬉しいのは、ライナー・ノートが「緑の館」写真集っぽい分厚いつくりであること!24pもあります。
なんせ「緑の館」はこんにちでは取り上げられることが少ないですから。
ただ、ストーリーを追っているようなので、当然実質脇役のオードリーよりも、「真の主役」アンソニー・パーキンスの方が写真が圧倒的に多いのですが…。
裏ジャケットはこんな画像。ラストシーンの後光を放つリーマです。さらにオードリーのピクチャー・ディスク仕様。
また、やっぱり作曲家二人に気を遣ったのか、CDの背の部分は片側が「ヴィラ=ロボス」、もう一方が「ブラニスラウ・ケイパー」になってました。
全世界で3000枚だけの限定プレス。僕も見つけてアマゾンで即!注文しましたけど(「緑の館」にちなんだわけではないです)、なかなか届かなくて…。
焦った僕はそれ以外のHMVとタワレコの2箇所でも発注。結局3枚持ってます。世界の1/1000は僕のところにあるというわけですね(笑)。今ならまだなんとか手に入るようなので、手に入れたいかたは、お急ぎを!
レア度:2007年1月5日現在では無し。ただし、残りわずかなので、急に入手困難になる可能性あり。輸入版なので、“GREEN MANSIONS”で検索してください。
曲のオススメ度:★★★(全曲はしんどいです。でも甘い部分はとてもいい!)
追記:その後、入手は困難になっています。今確実に手に入るのはHMVです。←左のHMVのバナーで“green mansions”とタイトル検索してください。(2007/9/11)
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緑の館
サントラCD
みつお
2007-01-06T00:00:00+09:00