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オードリー・ヘプバーンといつも2人で
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"TWO FOR THE ROAD with Audrey Hepburn" オードリーのパンフレット・写真集・サントラなどグッズのいろいろ…たまに緊急でオードリー関連情報も!オードリー・ヘプバーン専門ブログ
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Sun, 10 Dec 2023 20:00:00 +0900
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オードリー・ヘプバーンとヴィヴィアン・リーのファンです。このブログを通してオードリーのパンフレットを中心に、いろいろなグッズを紹介していきます。またオードリーに関する研究もしています。
画像・文章の無断転載は禁止。
なお、オードリーに関するご依頼(講演・演奏・展示品貸出・アドバイザーなどオードリーに関する全般)も受け付けております。
オードリー関連の今までの仕事:
・1996年JALPAKオードリーツアーメンバーでの大阪ロイヤルホテルでの集いでのオードリーの映画音楽のみの弦楽四重奏演奏、およびオードリーに関する講演
・2013年大阪リーガロイヤルホテルでのオードリー・ヘプバーンディナーの会での音楽選曲、講演、および装飾を含むアドバイザー
・2014年「マイヤーリング」劇場公開時の映画パンフレット執筆(7ページ分)とそのDVD化に伴う初回限定版に封入の冊子への執筆
・2018年JR東日本「大人の休日倶楽部」でのオードリーに関する講演および展示品貸出
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「シャレード」公開60周年、“スクリーン”1964年1月号
今回は、今年初公開から60周年記念になる「シャレード」初公開時の雑誌“スクリーン”の紹介。
いよいよ今月の21日が日本初公開の日になります!
いやあ公開60年も経って、まだ生き残っている映画って凄いですよねー!
もちろんオードリーの作品ということもありますが、いまだに人気があるのは、やっぱり映画の出来がいいからですよねー。
謎解きの要素もあるので、普通なら謎が分かった時点で人々の興味が薄れ、忘れ去られてもおかしくないものだと思うんですよね。
でもそうならないというのは、やっぱりオードリーとケーリー・グラント主演2人の魅力や、その2人の掛け合いを作った脚本、そしてスタンリー・ドーネン監督のミュージカルで培った流れるようなテンポの良さ、そしてヘンリー・マンシーニの魅力的な音楽、と全てが1流でオシャレに作られているからなんでしょうね。
この1964年1月号の“スクリーン”は、まず表紙が「シャレード」のオードリー。
この衣装での宣伝写真は、10年前に紹介した「ヤングレディ」や、2年半前に紹介した“映画の友”1964年2月号でもわかるように、バックにピンクの幕を使って撮影されてますね。
この写真のオードリーも、この表紙の時のみで、他の写真集などでは一切収録されていない、これでしか見られないのが嬉しいですねー。
裏表紙にはパラマウントの宣伝で、1964年の公開作品として「パリで一緒に」が名前だけ載っています。
「パリで一緒に」は日本では1963年に公開しようと思って色々準備していたのに、結局アメリカで公開が遅れ、日本も64年までずれ込んでしまいましたね。
なので、今でも「シャレード」を先に撮ったと勘違いしている人がネットで見ると多くいるようですね。「シャレード」オードリー34歳、「パリで一緒に」オードリー35歳、とかね。
公開年だけ見て、撮影がいつだったとか、何月に公開されたのかとか、全然見てないんですよね。
ちなみに「パリで一緒に」は1962年夏、「シャレード」は1962年秋撮影開始で、オードリーはどちらも33歳です。
ここではポール・ニューマン唯一のロマンティック・コメディと言われている「パリが恋するとき」も載っていますね。
もう僕はこの題名を見るたびに “デマ!”って思ってしまうんです。
何のこと?と思う方は、僕のもう一つのブログ、「おしゃれ泥棒、オードリー・ヘップバーン!」のこちらの記事をお読みください。
やらかしてたのはIMDbだったんですけどね。なんかみんなIMDbを信用してるようですけど、あれは出典もなく誰でも書き換えられるものですからね。Wikipediaより悪いです。僕は全く信用していません。
今は修正されてますけど、「ローマの休日」の日本初公開が1954年4月19日だとか書かれてましたしね。
ヴィヴィアン・リーの「愛情は深い海のごとく」の題名も、未だに「愛情は深い海の如く」って間違いのままですしね。
2〜3年前にはオードリーのページに突如「Betty Crocker Star Matinee」ってテレビ番組に出演してたって情報が載りましたけど、これ、どの本にも載ってないんですよね。
出典もないし、映像はおろか写真も残ってないので、唐突に湧いて出て来たのを「はい、そうですか」って信用できませんよね。
なんせ「パリが恋するとき」のこともありますんでね。
というわけで、僕はIMDbに関してかなり懐疑的な目で見ています。
さて、中身ですが、実はこの号は昔に潰してしまって、完全な本の形では残っていません。
なので「シャレード」の広告と、「シャレード」のカラーページのどちらが早いページで掲載されていたのかがわかりません。ここで紹介する逆だったかもしれません。
まあ先に「シャレード」のカラーページを紹介。
当時、映画の宣伝写真はモノクロが多く、また雑誌自体カラーページは少なくて貴重だったので、このように新作紹介でカラーを見開き2ページも使って紹介するというのは破格の扱い。
それだけ「シャレード」が期待されていたんでしょうねー。
もうこの段階では映画評論家たちへの試写会は済んでいただろうし、その段階でまたまたオードリーに傑作が出た!というのはわかっていたはずですしね。
それに作風が久々のオードリーらしい作品。
というのも、第2期では「尼僧物語」「緑の館」「許されざる者」と真面目な作品ばかりに出ていたオードリー。
第3期に入り、やっとコメディに戻ってきたと思ったら、オードリーのイメージとかけ離れた高級娼婦の「ティファニーで朝食を」、さらには重い内容で再び真面目路線に戻った「噂の二人」と、この時期のオードリーは「許されざる者」を除いて日本ではそれほどヒットしなかったんですよね。
なので当時はやっとやっとで本当にオードリーらしい作風と役柄の「シャレード」が出てきた!といったところでしょうか。
ユニバーサル映画(当時はユニヴァーサル表記)は初めてのオードリーですけど、ユニバーサルの日本支社も、この出来の良さを見てやったー!と思ったでしょうね。
人気ナンバーワンのオードリーでこの出来だったら、もう大ヒットは確約されたも同然ですからね。
実際、「シャレード」はそれまでのどのオードリー作品よりもロングラン(11週)しますし、5週目の平日昼の上映でも、まだチケット売り場は大行列の状態。
1963年(7位)と1964年(5位)で2年連続配給収入ベスト10に入るんですよね。はい、スゴイです。
「シャレード」の広告ももちろん出ています。やはりこちらも当時の1流作品の証、カラーで掲載されています。
ポスターやプレスシートとも違う、広告のみのデザインで、えらくアッサリしていますけど、これはこれで珍しくて嬉しくなります。
60年代後半からは日本の映画ポスターのデザインが急激に良くなって、今でも世界で通用するほどになるんですが、この時期はまだ過渡期。
さて、次のオードリーは「マイ・フェア・レディ」の紫一色のグラビアとその隣の本文ページ。
この1964年1月号は1963年11月21日発売ですから、編集はおそらく11月頭ごろ。
確かに「マイ・フェア・レディ」は撮影の後半に入ったとこですね。
ですが、ここで見れる画像はまだヒギンズ邸に来たばっかりのイライザですね。
まあアメリカから届く資料は10月以前のものでしょうから、まだ前半のものになるのは仕方ないですよね。
江利チエミさんと一緒に写るオードリーの画像もありますが、それ以外の画像の方が今となっては全てレア物なのが嬉しいところ。
こういう “今は見かけない珍しい画像が見れる”というのが古雑誌のいいところ。
めくって次が連続オードリーで、本文での「シャレード」の紹介となります。執筆者は僕が尊敬する批評家の双葉十三郎さん。
双葉さんは、“映画の友”1964年2月号の批評家によるベスト10でも「シャレード」は第4位に入れてくださってますもんね。
かなり気に入ってくださってたのがわかります。
そんな双葉さんがお書きになった文章なので、全編これ「シャレード」に対する礼賛となっており、オードリーファンなら嬉しくなってしまいます。
タイトルバックの素晴らしさ、おシャレ度の高さ、グラントとオードリーの会話のシャレてキビキビした良さは2人のタッチの良さであり、ミュージカルで鍛えたドーネン監督の感覚があればこそで、アメリカ映画の楽しさここにあり!という楽しさであること。
内容も意外や意外また意外の連続であること、ヒッチコック映画のグラントをパロディ風に活用していること、この意外とウソのカクテルの中で、ただ一つの真実はオードリーが素晴らしいということ、オードリーを見るだけでも十二分なのに、内容が面白く、ドーネンの監督ぶりも上々で、ごっそりおつりが来ると書かれています。
最近はアメリカ映画もだいぶ泥臭くなって来たが、たまにこういうイキのいいシャレた花が咲くことがあり、アメリカ映画らしいアメリカ映画にひたれること、パラマウントで作られそうな作品なのにユニヴァーサルであること、近年断然他社を凌駕する日本版プリントの色彩の美しさであることも書かれています。
もうそりゃ普段は手厳しい映画評論家さんがベタ褒めするくらいのお墨付き作品で、しかも主演はオードリーですから、そりゃ封切られたら平日の午後であろうと大行列になりますよね。
残念なのはカラーもモノクロもレア写真の少ない「シャレード」ですから、珍しい画像はオードリーの表紙と、ケーリー・グラントの様子を窓から伺うオードリーの画像くらい、というところ。
なんでレア写真が少ないのかはこちらの記事に書いてますので、読んでくださいね。
https://audreyhepburn.ko-co.jp/e611730.html
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シャレード,マイ・フェア・レディ,スクリーン
Sun, 10 Dec 2023 20:00:00 +0900
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1990年 帯広シネマアポロン版 “ヘプバーンの魅力” ポスター
(今回も無料の画像をゲッティイメージズ さんからお借りしました。)
ここのところ、オードリーのポスターを全然紹介してなかったなーと思い、今回は劇場版ポスターの紹介をします。
まあもともと僕はポスターの撮影がヘタクソで綺麗に撮れないので、ちょっと後回しのつもりにしていたら、相当長い間ポスターって紹介してませんでした。
特に劇場版というと、1921年9月11日の記事で紹介した「ロビンとマリアン」のB1ポスター以来2年ぶりですね。
ポスターって、撮るのが面倒くさいんですよ。まずポスターを収納しているところから取り出さないといけないんですよね。
B2サイズはまだポスターファイルから取り出せばいいんですけど(それでも面倒くさい)、B1ポスターだとポスターフレームのネジを外して必要なポスターを抜かないといけなくて、そのポスターフレームが開けると崩れるみたいな物なので、撮影後に戻すのも大変で本当に面倒くさいんです。
B1は大きいので、普段はタンスの後ろに置いてて、フレーム→買った時のビニール→プチプチ、の順に収納されているので、まず出すのも面倒くさいんですよねー。
それに撮影はうまく反射や影が入らないようにしないといけないし、それでも失敗すると2枚の画像を繋ぎ合わせたりとかって、結構大変。
それでついつい後回しになるんですよねー。
今回思い切って、えいやっ!とポスターをいくつかまとめて撮影しましたので、順次紹介出来たら、と思います。
今回はレアものの、帯広版B2劇場ポスター。
“ヘプバーンの魅力”と銘打って、オードリーの3作品が連続上映された時のものです。
80年代後半のオードリーブームの際の、札幌版はいくつか製作されているのは知ってましたが、まさか帯広にも劇場独自版のポスターがあったとは!
(札幌版は「麗しのサブリナ」「ティファニーで朝食を」「パリで一緒に」で見てね)
というのも、印刷って最低1000枚は刷らないと、かなり割高になるんです。今ならオンデマンド印刷という手がありますんで(と言っても品質はめっちゃ落ちる。プリンター並み)、少部数でも対応できるんですが、80年代90年代はまだそんなものありませんからねー。
全国で同じものを使うなら、1000部くらいは簡単に超えるかもしれませんけど、帯広独自のポスターとなると100部も要るかどうかですよねー。
なのでこのポスターはピンクと黒の2色刷りですけど、単価はものすごく高いと思います。
さて、これが帯広とわかったのは、住所から。
シネマアポロンというのは札幌とか旭川とか釧路にもあったみたいなので、チェーン館だったのかなーと思いますが、西4南9(西4条南9丁目)という住所で帯広のものだとわかりました。
そしてそして!メインは「マイ・フェア・レディ」の画像なんですが、このポスターでおおおっ!と思ったのはそこではありません。
なんとなんと、もひとつなんと!「緑の館」が上映されているではありませんかーーっっっ!!
Embed from Getty Images
このブログで以前から読んでいただいている方は何度も書いているのでもうご存知だと思いますが、「緑の館」は80年代後半のオードリー作品続々リバイバルの中で、日本ヘラルドが84年にリバイバルの権利は取って映画パンフレットまで準備されていたものの、フィルムの状態が良くなくて、なんと日本で最も集客のできる東京地区と大阪地区ではリバイバルされなかったんです!
88年に名古屋や札幌など地方でリバイバルされましたが、結局東京と大阪は無し。
なので「緑の館」のリバイバルを見れた幸運な人は、ほんの一握りの人達だけになってしまったんですよね。
こちらのブログに来ていただいている方でも、名古屋にいらした明智常楽さん以外は「緑の館」をリバイバルではご覧になってないみたいなんですよねー。
東京では93年にオードリーが亡くなったときに(企画自体はオードリーが元気な時から準備されていた)、JALと日本ヘラルドと銀座文化が組んで半年間オードリー作品だけを連続上映した、「I'll AUDREY THEATER」でも、日本ヘラルドが当時権利を持っていた14作品のうち、「緑の館」と「戦争と平和」だけが外されたんですよねー。ほんともったいない!
今ならいろんな情報がネットで見れるので、名古屋で「緑の館」のリバイバルがある!ってわかったら新幹線や近鉄特急使ってでも行きますが、なんせ88年ですからねー。そんな情報は全く知らないので…。
いつか大阪や神戸でも上映するやろと呑気に構えていたら、そんな日は来ませんでした…。
なので、「緑の館」リバイバルはとっても貴重で、名古屋と札幌以外でも熊本や長崎でリバイバルされたらしいのですが、それ以外は全く不明でした。
それが帯広ではわずか6日間だけですけど、こうしてリバイバル公開されていたなんて!
今は亡きシネマアポロンさんですが、上映してくださってありがとうございます!
帯広にも「緑の館」をご覧になった貴重な方がいらっしゃったことになりますね。当時の思い出話とか聞いてみたいですねー。
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さて、「緑の館」自体は1984年からリバイバルの権利が日本ヘラルドにありましたが、同時にポスターに載っている「マイ・フェア・レディ」と「戦争と平和」のリバイバルの権利を取れたのが、それぞれ1986年、1989年になるので、載っている日付と照らし合わせて1990年のポスターだとわかりました。
「緑の館」、オードリーの主演では最も出来が悪いと言われているので、さすがに “午前十時の映画祭”でもリバイバルされるのはないと思います。そう考えると本当に88年のリバイバルは貴重だったんですよね〜。
「戦争と平和」はゲッティイメージズ さんから画像をお借りしましたが、オードリーと一緒に写っているヴィットリオ・ガスマンをちょっと調べてみましたら、イタリア映画などでは主演を張ってた人だったんですね!
なぜいつもオードリーと大きく取り上げられるんだろう…などと思っていましたが、それならクレジットもオードリー、ヘンリー・フォンダ、メル・ファーラーに次いで4番目なのもわかります。
役としてはナポレオンやドーロホフの方が大きいですもんね。
オードリーとの身長差から考えて、きっと身長も190cm近くあっただろうと思いますし、欧米人といえども1950年代では非常に高かったことと思います。
きっと実際はカッコ良かったんでしょうね。
今まではチョイ役の顔の濃い人、というくらいのイメージしかありませんでした。
でも逆にそうなるとなぜこんな小さな役に出演したんだろう、とも思います。
https://audreyhepburn.ko-co.jp/e608512.html
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戦争と平和,緑の館,マイ・フェア・レディ
Sat, 23 Sep 2023 12:00:00 +0900
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「スクリーン」1963年8月号
今回は引き続き「ローマの休日」関連で。
前にも書きましたが、「ローマの休日」は1963年に初めてのリバイバル公開をしており、今年はそれから60年後になります。
日本で最も格が高いと言われている東京の銀座・有楽町地区の劇場では日比谷スカラ座にて1963年5月18日〜7月16日に上映されています。
ちょうど60年前の今頃、スカラ座で上映していたわけですね。
そしてこの「スクリーン」1963年8月号は6月21日発売ですから、本当に60年前に出たばっかり!ということになります。
表紙はサンドラ・ディー。
まずオードリーが登場するのは、カラーページよりも先に登場するモノクログラビアで。
ここでは「パリで一緒に」の寝姿が載っています。
「パリで一緒に」は1962年夏の撮影ですから、もうとっくに撮影は済んでるんです。日本の題名も「パリで一緒に」ともう決まっている。
でもこれがなかなかアメリカでは公開されないんですよね。もうまもなく公開されるだろうと、日本では1963年夏〜秋公開の予定まで立てていた。
「スクリーン」でも1963年春には「ローマの休日」と組んで特集号まで発売したのに、本国で公開されない。
結局「パリで一緒に」は公開までもう1年待たないといけなくなったんですよね。
「パリで一緒に」はオードリーが最も美しかった作品ですけど、この写真はやつれ気味。目の下のクマが目立ちます。
これの別テイクの写真で、もっと美しく写っているものがあるんですけどねー。こちら。
でもこの映画をご覧になるとわかるんですが、オードリーは映画史上最も美しいナイトガウン&ネグリジェを着て登場しますよね。
このネグリジェはジバンシィ作のブルーのサテン。それに同色のレースのナイトガウンが付いていて、えーーーっ!て目も醒めるくらいの美しさ!
「パリで一緒に」はグリーン・オレンジ・ピンクと、目にも鮮やかなシャーベットカラーの衣装で登場しますけど、このブルーのナイトガウンが最高に美しいです!
リアルでオードリーに恋い焦がれていたウィリアム・ホールデンならずとも、このオードリーを見たら頑張らざるをえませんね。
この写真はその美しいレースのガウンを脱いでベッドに入るガブリエルのシーン(の宣伝用ポートレート)。
2番めのオードリーはグリーンのグラビアページ。
オードリーの一家が「マイ・フェア・レディ」の撮影のためにハリウッドに来たという写真。
オードリーって、1963年5月16日にハリウッドに到着しているということですから、その日のものですね。
次が「ローマの休日」関連の本文ページになります。
「ローマの休日」自体の紹介は以前の号で済んでいたでしょうが、ここでは6ページも使って、「●スクリーン生き方の知恵 肩のこらない男一匹」という題名で文章が綴られます。
前に「映画の友」で紹介しましたが、60年から始まったリバイバルブームの中で、「ローマの休日」はリバイバルして欲しい作品第1位を獲得しています。
63年にやっとリバイバルが叶うんですよね。
なので「スクリーン」でもまだまだ大ヒット上映中の「ローマの休日」をリバイバル作品紹介だけでは済ませずに、こうやって記事で載せてるんですよね。
ここではよくありがちなアン王女から見た見方や、アン王女を分析するのではなく、ジョーを分析するという観点から文章が載っています。
これ、意外とこういう見方は無い文章なので、ちょっと新鮮。
まあ文章的にはそうだよねってことなんですが、なぜアン王女はジョーに惹かれたのか、ということが書かれていて、それが女性に好感を持たれる最大公約数の普通の男であり一般民間人の中にいる好青年の典型である、ということです。
ではなぜアン王女がそんな平凡な男に惹かれたのかというと、まさにそういう男だから、ということだそうで。
アン王女は毎日不自由な生活を強いられていて、また周りにいる人間も王女の前で礼を失してはいけないため、常に緊張して取り澄ました顔をしている。
でもジョーは街で知り合った女性が王女だと知っても恐れ入った気持ちにならない。美男子であることを鼻にかけたり、頭が良いのをひけらかすようなイヤミなタイプでは無い。
全く気取りのない態度でアン王女に接するし、健全で平凡な男だったからアン王女を愛したし、アン王女からも愛された、ということが書かれています。
全くその通りですよね。王女に対してのように接するとすぐにバレちゃいそうですもんね。
普通の女性に接するように接したからこそお互いに惹かれあったということですよね。
まあそれでも映画なんで、演ずるグレゴリー・ペックは本当は美男子で高身長だし頭も良いと思いますし、オードリーは全く新しいタイプの美人なわけですから、結局美男美女やからじゃないんかーい!と思いますけどもね。
リバイバルなので、あんまり珍しい画像は無いのですが、4ページ目の大きなオードリーの画像がちょっと珍しめで嬉しい。
この号では他に「アラバマ物語」の鑑賞手引きも載っていて、グレゴリー・ペックの記事が多めです。
「スクリーン海外ニュース」というページでは、ブレイク・エドワーズ監督の「大レース」(のちの「グレートレース」)に、オードリー、シャーリー・マクレーン、ナタリー・ウッドが出演交渉を受けている、と書かれていて、オードリーとマクレーンの画像も載っています。
そして同じページには、「トヴァリッチ」でヴィヴィアン・リーがトニー賞を受けたことも乗っています。
最後は本文最終ページに載っているポートレート写真の頒布のページで、「シャレード」のものが載っています。
この時期の映画雑誌って、「パリで一緒に」(パラマウント)・「シャレード」(ユニバーサル)は撮影が終了して公開待ち、「マイ・フェア・レディ」(ワーナー)は撮影開始で、いろんなオードリーを載せないといけないのが大変ですね。オードリーが大渋滞中。
各映画会社は自分の所の作品をいっぱい載せてもらって宣伝したいだろうし、でも出版社側としてはそんなにオードリーの事ばっかりは載せられないだろうしでページの取り合いみたいになってただろうなーと思うんです。だから載せられない写真とかもあっただろうし、もったいないなーと思います。
さて、次は28日午前8時に記事がアップになります。お楽しみに!
https://audreyhepburn.ko-co.jp/e605210.html
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ローマの休日,パリで一緒に,シャレード,マイ・フェア・レディ,スクリーン
Sun, 25 Jun 2023 08:00:00 +0900
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「マイ・フェア・レディ」高槻アレックスシネマ ビラチラシ
“午前十時の映画祭13”での「マイ・フェア・レディ」上映も終わってしまいましたね。
また来年にオードリー作品を上映していただけるまではお預けですね。
…と言いたいところですが、今年は8月25日から「ローマの休日」が製作70周年リバイバル!
お楽しみがもう1回ありますね!楽しみです。
さて、今回の「マイ・フェア・レディ」上映ですが、結局2回見に行って来ました。
1回はTOHOシネマズなんばスクリーン1にて大劇場で4Kの「マイ・フェア・レディ」、そして2回目は権利元のCBSのせいで額縁上映がほとんどだった今回の「マイ・フェア・レディ」で、数少ないズーム上映をしてくださって、スクリーンいっぱいを使用した高槻アレックスシネマさんで。
大劇場を味わわせてくれたTOHOシネマズなんばさんにも、わざわざ面倒くさいズーム上映をしてくださったアレックスシネマさん(高槻・鯖江両方)にも大感謝!です。
でも、高槻アレックスシネマさんではさらに嬉しいことが!
5月に入って早々に体調を崩してしまい、結局高槻アレックスシネマさんに行けたのは最終日。
高槻アレックスシネマさんは初めてだったのですが、行ってみると、まず劇場の雰囲気は紫色が目立って、敦賀のアレックスシネマさんとよく似てました。
そして“午前十時の映画祭”のための一画が出来ていて、そこには今回と次回の紹介の案内板(他の劇場でもあるもの)、“午前十時の映画祭13”のチラシの入ったラックの他に、劇場オリジナルの「マイ・フェア・レディ」の大きな紹介ポスターが!
そしてその前には「シネマスタッフ 愛を込めてつくったフリーペーパーです お土産にどーぞ!!」と書かれたケースが置いてありました。
でも最終日だったからか、そこには何も置いてありませんでした。
でも昨年、敦賀のアレックスシネマで「いつも2人で」のアレックスシネマ独自のチラシが置いてあったのを思い出した僕は、ここには絶対「マイ・フェア・レディ」のチラシがあったに違いない!と思い、まだ入場までは時間もあったのでもぎりのお姉さんに“フリーペーパー無いんですけど…”と言うと、すぐに別のスタッフに言いに行ってくれました。
で、若いお兄さんのスタッフがバックヤードに走って行ってたのですが、割と上映時間ギリギリまで待ちましたが、元のPDFファイルが見つからないとのことで、お姉さんがわざわざ僕に“映画終了までには作っておきますので”と言いに来てくださったので、シアターに入りました。
シアター入口には“「マイ・フェア・レディ」途中5分間の休憩がございます”と書かれた紙と、64年初公開時の有楽座パンフレットを拡大コピーした独自の看板もありました。
え、何なの?この至れり尽くせりな劇場は!?と思いつつ「マイ・フェア・レディ」を鑑賞。
ズーム上映だとはずっと前に聞いていましたが、もしかしたら技師の方がお休みとかで額縁上映になっていたらどうしよう…とかも思いましたが、そんなことはなく、シネマスコープサイズの画面に左右ちょっと黒味の最大サイズで上映してくれていました!
アレックスシネマさんのこの劇場はスクリーンがちょっと上部に取り付けられていて、真ん中の席からは少し見上げる形になりました。
インターミッションが入って、トイレのためにスクリーンを出ると、あの若いお兄さんがわざわざ僕にフリーペーパーチラシを持って来てくれました。
なに!?このみんなが笑顔で親切な劇場!!!
もうもうめちゃくちゃ高槻アレックスシネマさんの大ファンになりました!!
映画が終わると、シアターを出たところに僕がもらったチラシと同じものが置いてありました。
他の方にも持って帰っていただくように、ということですよね。またまたスゴイ親切!!この細やかな心配りにも感激しました!
多めにプリントしていたようなので、僕より後ろに残っていた人数を考えて、余っても捨てられるかと思い、僕が言ったこともあり、3枚ほど同じのをさらにいただいて帰りました。
物販コーナーにTOHOシネマズなんばさんにはあったオードリーのクリアファイルなどはなかったので、せっかくのアレックスシネマさんのチラシ、折れないように、午前十時の映画祭のチラシに挟んで大事に入れて帰りましたよ。
このチラシは劇場にあった「マイ・フェア・レディ」の劇場オリジナルのポスター(4枚の紙を継いでました)のものと同じだったのですが、画像の選び方もオードリーが綺麗に写っているものでGOOD!
英字ロゴの色選びも紅色のピンク系でイメージを捉えていて、これまたGOOD!
でもさらに昨年の「いつも2人で」の文章も面白くて気に入っていた僕は、文章も楽しみでワクワク。
担当の方は毎回変更になるのは公式ツイッターで知ってたのですが、今回は“みのる”さんという方です。
まずオードリーの写真の下部に小さな字で
「この映画で作られた衣裳はなんと1000着以上なんだとか…!あんなにゴージャスなドレスを1000着も、一体なんぼ えへん、どれくらい時間がかかったのでしょうか…?」
と書かれていて、笑いを誘います。
本文でも
「王道シンデレラストーリー。だけじゃ無いんだな、コレが。」
「今の時代ならいろいろアウトなクセつよキャラのオンパレード。」
「そんな彼らが織りなすぎこちない人間関係が“鰻丼に振りかける山椒”のように映画のスパイスとしてほどよい刺激になっています。え、たとえがわかりにくい?」
「あんなにキュートなお顔で『馬のケツをひっぱたけー!!』て叫んだりして。いわゆるギャップ萌えってやつね。わかるわかる。」
「正直、途中で出てきたイケメン紳士の方がヒギンズ教授よりもいいんじゃないの…?と個人的には思って」
などと書かれていてついつい笑ってしまいます。
それに、最後の見出しが『最期に…』と書かれてて、いや、これを書いた後にいきなり亡くならないでください!とツッコミたくなりました。
「最期」って人生の終わりのことですよね。死ぬ間際のこと。この場合は「最後」が正しいですね。ここも狙って書いているなら別ですが…。
でもこうして笑わせながらも、「レッスンを経てどんどんお上品なレディになって行く過程は必見。」「ぜひ大きな画面で隅々まで見ていただきたいです。」などとしっかりおすすめも書いてあって、特に2番目のはズーム上映で、本当に大画面いっぱい使って上映してくれたアレックスシネマさんだから書けることですよね。
これで額縁上映で画面が小さかったら観客からもブーブー言われそうですもんね。
とにかくこの、他にはない、映画への愛情を感じられるアレックスシネマ・オリジナルチラシが手に入るだけでも嬉しいことなので、従業員さんの気持ちのいい対応と併せて、来年からはアレックスシネマさんでも見よう!と思ったのでした。
でも、この自作ポスター&ビラチラシっていつから作っていらっしゃるのでしょうね?
データが残っているなら、できれば過去のオードリー作品全部のチラシをいただきたいくらいです。
JR高槻駅の目の前のビルで、連絡通路で直結もしてるので雨でも行きやすいですしね。
そうそう、駅と直結で2階に入ると、その入り口にも午前十時の映画祭のポスターがありました。
あー、本当は今回「マイ・フェア・レディ」を見て思ったことをいろいろ書きたかったんですけど、アレックスシネマさんの気持ちのいい対応と観客へのサービスを書き込んでたらいっぱいになってしまった!
今回書きたかったことは、来年の「マイ・フェア・レディ」製作60周年記念記事の時にでもしましょうかね。
https://audreyhepburn.ko-co.jp/e603806.html
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マイ・フェア・レディ,オードリー関連情報
Mon, 22 May 2023 21:00:00 +0900
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「マイ・フェア・レディ」あと1週間、応援記事「映画の友」切り抜き
「ローマの休日」の4K版の70周年記念全国ロードショーが決まったそうです!
本日はオードリー・ヘプバーンの94回目の誕生日です。
オードリーっていつまでも憧れの、でも僕にとっては身近な存在なんですが、1929年生まれですよね。
これだとなんとも思わないんですが、昭和で言うと昭和4年生まれ!ということになります。
こう書くと僕の両親よりも年上ですし、かなりの年齢差を感じます。
でも普段はちょっとだけ上のお姉さん的イメージなのが、映画という媒体に焼き付けられたスターってすごいなぁ!と。
さて、今回はあと1週間の上映期間になった午前十時の映画祭13の「マイ・フェア・レディ」への、さらに応援記事を。
今回紹介するのは、これまた40年以上前から保存しているオードリーの切り抜きから。
買った段階ですでに古本だった、1964年の雑誌「映画の友」からの切り抜きになります。
でもこれ、モノクログラビアの5ページ分の紹介だけなんですけど、切り抜かれてるのでこれで合ってるのかどうかよくわかりません。
と言うのも、僕の保存しているクリアファイルには、その前に同じ「映画の友」からの「マイ・フェア・レディ」初公開時の“誌上プレビュー”っていうカラーで16ページもあるページが保存されているから。
もしかしたら同じ号で、21ページにも及ぶ大特集だったのかもしれません。
なのでここでモノクログラビアだけ紹介ってものどうかなーと思っているんですが、まあ21ページもの大部を一度に紹介などできないという理由をつけて自分を納得させて、今回モノクログラビアのみ紹介します。
カラーの16ページは、また来年の「マイ・フェア・レディ」公開60周年にでも紹介します。
さて、「マイ・フェア・レディ」は好評上映中のようですし、僕も観に行ってきましたが、その感想を書いている人の中で、もちろんとっても気に入ってくれた人もいるのですが、“ヒギンズの男尊女卑の考えがムカムカする”というのも結構見かけるんですよね。
中にはそれで「マイ・フェア・レディ」の評価を低くしてる人とかね。
でもちょっと待って!これってもう60年も前の作品なんですよ。
さらに言うと、その60年前の段階でもこれはそこからさらに50年も前の時代劇なんです。
日本でいうと、明治時代のお話。
その時代のお話に、今のポリコレを押し付けてもねぇ…。と思いつつも、今回見に行って少し納得したんですけどね。
でも昔の話なのに、男尊女卑などありませんでした〜!とウソを描くのも違うと思いますよね。
映画の中でも「運がよけりゃ」の歌の時に “女性に参政権を!”ってデモしてる女性が出てきますよね。そういう時代。
だから身分が下でも淑女のように扱ってくれる大佐のような存在の方がむしろまれな時代ですよね。フレディもあの時代としてはやっぱりまれかと。
うるさい!黙って俺について来い!の時代ですよね。
ヒギンズ教授の僕は普通の男さとか男性讃歌の歌とかも、実は大佐の前だけで歌ってるじゃないですか。
よく見たら身内だけに愚痴ってるような感じ。まあ要するに内弁慶なわけですよね。
それにこれってあの皮肉屋で知られていたバーナード・ショーの原作ですよ?ヒギンズ教授もそのまま捉えたらダメダメ!
原作の「ピグマリオン」を読むと、ヒギンズのもとから、イライザは出て行ってしまうところで終わっています。
要するにヒギンズ教授を見限ってるんですよね。
だからヒギンズの男尊女卑的なところを別に美化してるわけでも、認めてるってことでもないってこと。
むしろあの時代には珍しく、女性の心はそんな男の都合よく意のままにはならないということを言ってて、ギリシャ神話でのピグマリオンのようにはなりませんよ〜という皮肉ですよね。
でもバーナード・ショーが脚本を書いた、戦前の「ピグマリオン」の映画化では、ショーに気づかれないように、ハッピーエンドの結末にしてしまったらしいです。
そしたらショーは「ピグマリオン」の原作の方に手を入れて、あとがきみたいなものを書いてしまった。
その内容はというと…イライザはフレディと結婚、花屋を開店。ヒギンズ教授と大佐に資金を出してもらったけど、フレディも商才がないので潰してしまった。イライザとフレディは学校へ入り直すけど、花屋としては何の役にも立たないので中退。
仕方ないので、もう一度大佐にお金を出してもらって花屋を開店、今度は他の人に花屋を任せてやっと軌道に乗った。
イライザはお金を出してもらった分、今でもヒギンズ教授のところで身の回りの世話をしている、ヒギンズもイライザの性格を知っていて反撃されるので、あまり何も言わない、という結末なんですよね。
結局これ、誰得なの?という内容。
さすがにそれはミュージカルとしてはどうなの?ってことで最後ヒギンズ教授とイライザがひっついてる。
まあね、これ原作でも映画でも何でこんなにヒギンズは “男の方が楽でいいんだ!”なんてことを言って50過ぎ(設定はもっと若いかもだけど)まで独身なのかと思いますけどね。
当時のイギリスの上流階級の名家なのに結婚もせず、ってことはどれだけ変人であるかってことですよね。
よっぽど若い頃に女性に手酷い扱われ方でもしたんでしょうか。実は僕はそうなんじゃないかと思っています。
後半での“女というものは…”って聞いてると特にね。
だからヒギンズ教授の場合、一生懸命 “女性を入れるなら男一人の方がマシさ”って歌ってごまかしてますよね。
ヒギンズ教授からしたら、“あの人、女性に振られて女性恐怖症なんですってよ”なーんてさらに女性の噂話でばかにされるよりは、まだ“変人”の方がマシって思ったんでしょうなーと思うわけですよ。
というのも、女性全般をバカにしてるわけではなく、むしろ見てるとお母さん(ヒギンズ夫人)には頼りっぱなしですよね。
アスコット競馬場でもお母さんの席に招待って利用してますし、イライザがいなくなってもお母さんに泣きつきに来てる。
だからあの女性を敵だとみなすのは、よっぽど過去に女性と何かあったのでは?と思うわけですよね。
それで女性を心に入れないようにしていたけれども、教えているうちにイライザにいつの間にか惹かれてしまう。
でも大使館の舞踏会が終わってもまだヒギンズはそれに気付かない。
だからいつも通り大佐と2人で “ついにやった!”なんてはしゃいでて、イライザに対しての気遣いとかデリカシーが全くない。
イライザが出て行って初めて自分の気持ちがわかるんですよね。一生懸命自分は悪くない!と思い込もうとしてるけど、もう隠せない。
だからヒギンズ教授は今まで “自分の生活に女性は入れない!”って言ってたのは全部強がりだったっていうのが観客にも見えてしまうんですよね。
自分で言ってたように、いわゆる“フツーの男”だったということで。
だからヒギンズ教授を根っからの男尊女卑と捉えてしまうのは違うと思うんですよね。
自分の傷ついた心を隠す鎧のようなものだったということですね。
イライザは“大佐は花売り娘でも貴婦人として扱ってくれます!”というと、ヒギンズは“私は貴婦人も花売り娘として扱うんだ!”と言ってイライザもハッとしますけど、ヒギンズ教授は誰に対しても一緒なんですよね。
さて、そんなヒギンズ教授ですけど、最後、イライザが恋しくて恋しくて、録音した声を聞いているところへ本物のイライザが帰ってくる。
“汚かねぇよ。顔も手も洗ってきたよ。”ってイライザが言うと、本当は嬉しくてたまらないのに、にやけてしまう自分の顔を見られたくなくて帽子で顔を隠して“僕のスリッパはどこだい?”って通常運転のようなフリをする。
でもイライザの顔を見るとそんなのとっくにバレちゃってるのが丸わかりですよね。
結局、ピグマリオンのように作り変えられたのはビギンズ教授自身だったというね。
前に書いたことがありますが、「マイ・フェア・レディ」って、今までのオードリー映画なら“大使館の舞踏会で成功しました。それで教授とも結ばれました。めでたしめでたし。”で終わるところを、その先へ行っているわけですよね。
“そのお話のお姫様は怒って別の王子様と出て行ってしまいました。”という。
お母さんに相談に行くと、イライザは見つけられたけども、そこでまたイライザの神経を逆なでするようなアホなことを言ってしまう。
ダメダメやなーと思いますけど、でもこういうアホなことってやってしまうんですよねー。
特にヒギンズ教授はそれまで女性を意識的に遠ざけてきてしまってたわけですし、女心が汲み取れない。
“またやっちまったよー!”と思ってお母さんに“イライザが行ってしまった!”って泣きを入れるんですけど、映画のヒギンズ夫人は息子を突っぱねるんですよね。
原作ではこのヒギンズ夫人と教授の間には入り込めない!とイライザが思ってしまうくらいマザコン度がきついのですが、映画のお母さんは息子とそんなべったりしないので、イライザも戻ってきやすいですよね。
でもヒギンズ教授はまだイジイジしてる。自分からイライザを迎えにも行かない。というか行く勇気がない。
普段は強がってますけど、実は弱い人間なんですよね。
結局そんなヒギンズ教授の心の弱い面も把握したイライザが戻ってくるんですけど、ここも“何で戻ってくるの!?”って納得してない若い人もいるようですね。
僕も若い頃は、僕がイライザならフレディに行くよなーって思ってましたけどね。まあ原作の通りなら、フレディと結婚したところで幸せにはなってないようなんですが。
でも最後のイライザを見てると、これは絶対今後はイライザがヒギンズを操縦するんだろうなーと思うんですよね。
イライザは何となく戻ってきたんじゃない、選びとって自分の意思でヒギンズ教授のところに戻ってきたんだ、という。
男尊女卑のようだったヒギンズ教授なのに、今後はイライザの好きなように動かされるんだろうなーというのが見えるんですよね。
オードリーは「おしゃれ泥棒」でも、最後サイモンとの主導権が逆転するだろうなーというのがわかるセリフを言ってましたけど、それと同じ。
このオードリーの系譜は、「いつも2人で」の対等にモノを言うジョアンナ、「暗くなるまで待って」のひとりで何とかするスージーへと繋がって行くんだなーってのがわかりますよね。
50年代の、途中までは色々自分で動くんだけれども、結局最後は男性から来てもらっている「麗しのサブリナ」「パリの恋人」「昼下りの情事」の結末とは違って、60年代のオードリー作品はどれも最後決断しているのはオードリーの側なんですよね。「パリで一緒に」も「噂の二人」も「ティファニーで朝食を」も。「シャレード」も迫るのは常にオードリー。
“男性にしてもらうまで待ってるオードリー”ではなく、そういう“自分から選び取って動くオードリー”である60年代のオードリーの素晴らしさを見ていただけたらなーと思います。
なお、この画像の中では2枚目と3枚目のものが、オードリーのアゴのラインもシャープで、絶対オードリーも気に入っただろうなーって画像です。
https://audreyhepburn.ko-co.jp/e603059.html
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マイ・フェア・レディ,映画の友
Thu, 04 May 2023 18:00:00 +0900
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午前十時の映画祭13「マイ・フェア・レディ」公開直前!応援記事 週刊平凡1964年12月3日号
4/28追記:TOHOシネマズなんばでは、5/4までは通常のスクリーンでは1番大きなスクリーン1番で上映しています!しかもスクリーン1番は4K上映です!大劇場での「マイ・フェア・レディ」を体感したい方はぜひお早めに!ただし額縁上映ですので、少し前寄りの席が良いと思われます。
高槻アレックスシネマさんは2K上映ですが、ズーム上映なので、画面いっぱいに「マイ・フェア・レディ」を見れます!映画に没入したい方はこちらがいいです!
さて、いよいよ28日(金)から5月11日(木)まで、ゴールデンウィーク中に“午前十時の映画祭13”にて「マイ・フェア・レディ」が上映されます!
今日はそれを応援するために、雑誌「週刊平凡」の1964年12月3日号(実際の発売日不明)を紹介。
この号でも1964年12月1日にいよいよ初公開される「マイ・フェア・レディ」への熱狂的な前評判ぶりに、オードリーの特集が組まれています。
まず表紙でも「特集オードリー・ヘップバーン」と書かれています。
表紙はジェリー藤尾さん、渡辺トモコさん夫妻と、坂本九さんになっています。ジェリー藤尾さん、坂本九さんはわかりますが、僕でも渡辺トモコさんという方は存じません。
表紙をめくると、毎号付いていたらしい“Weekly Jacket”ってページからまず「マイ・フェア・レディ」のオードリー。
うっ、美しい!
印刷技術は今より劣るものの、使っている写真が今のような劣化したポジから起こしたデジタル画像ではなく、オリジナルに近いものだったので、こないだ行ってきた“Audrey in Cinema”の展示会のカラーよりよっぽど美麗。粒子も全然荒れていません。
“Weekly Jacket”に関しては2014年に記事にしています。こちら。
カラーグラフでは女優の佐久間良子さん、高島忠夫さん・寿美花代さん夫婦などのことがあり、モノクログラフでは皇太子殿下・美智子妃ご夫妻(現上皇陛下・上皇后陛下ご夫妻)や西郷輝彦さんなどが載っています。
西郷輝彦さんには本文でも記事があるのですが、デビューから9か月で2億円稼いだと書かれていました。これで前途が危ぶまれたレコード会社のクラウンを救ったとか。
大卒初任給が17100円の時代に、純利益だけで2億円って凄いですね!今の23億円くらい利益だけで出したことになりますね。
おかげで9月のクラウン創立1周年記念日には社員は全員50%の昇級、暮れのボーナスは3か月分は下らないだろうと書かれています。景気がいいですね。
さて、脱線しましたが、本文のオードリーの記事を。
特集では本文の5ページ分を使ってオードリーのことが書かれています。
大見出しは “特別よみもの 世界の恋人オードリー・ヘプバーンの波乱に富んだ半生記”となっています。
ここでオードリーの特集が組まれるのは、もちろん「マイ・フェア・レディ」の封切りが近いから。
どれも一流作品で、会社もそれなりにお金を掛けているオードリー作品ですが、超大作と呼ばれるのは「戦争と平和」と「マイ・フェア・レディ」のみ。
製作のワーナー・ブラザース映画としては史上最高額の制作費をかけた社運をかけた映画でしたし、この段階では既にアメリカでの公開は始まり、日本の映画評論家への試写は終わり、アメリカでの大行列や新たな傑作が誕生したことは知れ渡っていたでしょうし、日本でもオードリーファンのみならず、一般のお客さんや俳優などの業界人を巻き込んでの大盛り上がりになっていたものと思われます。
ここでも小見出しや本文で “前評判がスゴイ!”と書かれています。
そこでオードリーについて半生記を書いているのですが、最初の見出しが “おとろえぬ若さ、不滅の人気”。
今の映画の全国一斉公開の状況とは違い、当時の映画は大都市から順々にロードショーしていく形態のため、「マイ・フェア・レディ」を12月1日からまず東京の有楽座と大阪の梅田スカラ座・千日前スバル座の3館から上映していくことが語られています。
その有楽座では前売り開始日の10月30日には4000人余りの人が切符売り場に駆けつけ、劇場の周りは長蛇の列だったそうです。
最近の週刊現代のネット記事でも、前売り券を求めて並ぶ長い4列縦隊の列ができ、その中には長嶋茂雄さんもいたと言うことを書いたのがありましたね。
エリザベス・テイラーの「クレオパトラ」の前売り初日は約2000名だったそうで、それと比べると2倍以上の人が集まったそうです。
それ以外の方法でも、手紙による申し込みが既に18000人だとか。
前売りの行列もその後も毎日2000〜3000人が並んでいるそうで、驚異的な売り上げだったことがわかりますね。
そしてオードリーの初々しさがいつまでも失われないこと、ハッとするほどの若い輝きによって見る人の心を奪うことが書かれており、この若さの秘密は一体どこにあるのだろうか?と不思議がっています。
まあこの「マイ・フェア・レディ」のその後のバッシングでやつれて行くオードリーを知っている身としては、「マイ・フェア・レディ」が最後の若々しいオードリーだったんだなーと思うわけですが(もちろん「おしゃれ泥棒」以降も若く美しいオードリーなんですけど、「マイ・フェア・レディ」までとは明らかに違うんですよね)。
その後はご存知のオードリーの生い立ちが語られていくわけですけれども、ほかのスターのような派手さや浮ついたところがなかったエピソードとして、うるさ型の女優ジョーン・クロフォードでさえパーティーで彼女を見たのは1回だけだと言った、と書かれています。
また、ブルゲンシュトックで結婚後はルツェルン湖畔の11部屋ある邸宅で暮らしている、と書かれているので、まだトロシュナの家に住む前で、ブルゲンシュトックに住んでいた頃のお話であることがわかりますね。
これは旅行会社の方に教えていただいたことですが、オードリーがブルゲンシュトックで借りていた家は、現在取り壊されてホテルの敷地に取り込まれているそうです。現存しないのは残念ですね。
そしてこの段階ですでにオードリーは「映画出演のたびに、フランスやアメリカに出かけて、家を留守にしなければならないのが、一番辛いことです」と語っています。
「スイスではショーンが色々な国籍の子供達と一緒に、のびのびと育っています。それが彼にとって一番良いことだと思います。わたしは今の所、アメリカで生活する気は全くありません」「夫と子供との一家の睦まじさを保つためにはわたしは何を犠牲にしてもかまわない」とも答えていて、家庭を大事にして、その後は半引退状態になるオードリーがこの段階でわかりますね。
さて、本文のオードリーはこれで終了なのですが、後ろの方のモノクログラビアページで再度登場します。
このグラビアページでは女性歌手の特集もあって、デビュー当時の10歳の小林幸子さんも載っていました。
「マイ・フェア・レディ」のグラビアでは、“封切り前に大当たり!「マイ・フェア・レディ」に人気集中”と見出しがついて、まず大使館のシーンの珍しいオードリーの画像が載っています。
次の見開きでは、画像自体はもう公開前なので宣伝写真が決まってきているからか、珍しい画像は1つもありません。
ここで興味深いのは文章の方。
11月30日(10月30日の間違い)の前売り開始から半月で35000枚をさばいたこと、これだけで3000万円を集めたということ、4億5000万円の興行収入を挙げた「ウエスト・サイド物語」に、封切り前にして早くもその記録に挑戦しようとしていること、映画界の神秘とまで言われるオードリーの定評ある人気、昨年東宝が江利チエミ主演で舞台をしたこと、男性4:女性6の比率であること、不振と言われる映画界で何年かぶりに訪れた景気のいい話題だということが書かれています。
その後「マイ・フェア・レディ」は1965年のお正月映画として1964年12月1日に公開され、有楽座では294日の超ロングランになりました。
結果、1964年度(64年1月〜65年6月)配給収入(興行収入から映画館の取り分を引いたもの)で4億7601万円、1965年度(65年1月〜12月)の配給収入6億5282万円と2年に渡って第2位に入り、トータルの配給収入でも7億8867万円(64年度と65年度の単なる足し算ではないのは、集計時期がダブってるから)をあげて、当時の全洋画で「クレオパトラ」を抜いて歴代第4位になったこともわかっています。
当時は配給収入が1億円を超えると大ヒットと呼ばれていたので、8億に迫るとは、いかに桁外れの大ヒットだったかがわかりますよね。
ちなみに「ローマの休日」は63年のリバイバル分を足して4億ちょっと、「ティファニーで朝食を」は8000万円台だったので、「マイ・フェア・レディ」の凄さがわかりますよね。
本当に当時はスゴい話題と興奮ぶりだったんですね。
ぜひ今回の“午前十時の映画祭13”でも当時の熱狂を思いながら見ていただけるといいなあと思います。
なお、上映館では小さく額縁上映になるところが多いので、お気をつけください。
当時の本来の70mm上映館で見たら、迫力がすごかったんだろうなーと思いますね。
https://audreyhepburn.ko-co.jp/e602689.html
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マイ・フェア・レディ,その他日本の雑誌
Wed, 26 Apr 2023 18:00:00 +0900
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「マイ・フェア・レディ」上映応援「ロードショー」1978年カレンダー
さて、今回はゴールデンウィークに「午前十時の映画祭13」でリバイバルが決定している「マイ・フェア・レディ」の応援です!
いよいよ公開が迫ってきましたね!
今回はそんな「マイ・フェア・レディ」の衣装を着たオードリーが載っている、雑誌「ロードショー」の1978年1月号(1977年11月21日発売)の付録の1978年カレンダーの紹介。
それと一緒に前の記事で書いていた“額縁上映”に関しての続報です。
まずは「ロードショー」の付録のカレンダーから。2月がオードリーになっていますね。
実は知っている人は知っているでしょうけど、このカレンダーのちょっと前じゃないかと思うのですが、ライバル誌「スクリーン」では全く同じ画像でB2ポスターの付録をつけていました。
ライバル誌同士が全く同じ画像を使うなんて、これってこの当時この画像がやっと使えるようになったレア画像だからじゃないかと思うのですよね。
毎年オードリーのカレンダーを作っているウイングさんが教えてくださいましたけど、カレンダーを作る時期が来て、権利元に使えるオードリー画像を見せてもらうと、中に数点それまでなかったものが追加されているらしいんです。
ウイングさんはそういうのを選んでいるとおっしゃっていました。
なので、この画像もそれまでは使えなかったけど、1977年頃に使えるようになったんではないかと。
で、2誌とも飛びついちゃったら被ってしまった、みたいな。
でもこのオードリー、「マイ・フェア・レディ」なんですけど、映画では実際にはオードリーは着てない衣装ですよね。
実はこれ、エキストラさん用の衣装。
この衣装を着たエキストラさんは、第2部の本当に最初の最初、大使館でのシーンで出てきます。
オードリーの画像を知っていると、やっぱり出てくると目が行きますよね。
でもこの衣装のエキストラさん、最初は大使館の2階の、階段を上ったすぐのところに立っているのですが、カメラが切り替わって1階から2階へ上る階段の様子が写されると、階段を上ってくる人の中にまたいるんですよね。
まあ、編集するときにそこまでこの衣装に意識してなかったんでしょうね。
そんなところも見つけてしまうのも、この写真のおかげですよね。
オードリーも綺麗だし、お気に入りの写真の1つです。
でもこの写真、僕は見慣れてますけど、確か写真集にはまだ1度も収録されてなかったような…。
見慣れてるけど、実はレアな写真というわけですね。
さて、今回の「マイ・フェア・レディ」上映ですが、そのまま上映してしまうと額縁上映になってしまうというのは前に書きました。
どれくらい小さくなるか、実際にスクリーンに映ったらこれくらいというのを作ってみましたので、どうぞ!
(大きくすると画像が荒れてくるのはこれが写真だからです。実際は4Kリマスターを使うので、荒れません。)
一番大きい黒枠が劇場のスクリーンのサイズです。何も映らないところは当然黒くなります。
上から2016年の “午前十時の映画祭7”の時の「マイ・フェア・レディ」はこれくらいというイメージ。
CBSはテレビ用でビスタサイズのフォーマットに入れてきて、さらに上下左右に黒フチがあったそうなので、ちょっと狭いヨーロッパ・ビスタサイズ(1:1.66)の中に「マイ・フェア・レディ」の70mm(1:2.2)を入れてみました。
うん、確か2015年のリバイバルと2016年の “午前十時の映画祭7”はこんなくらいやった!
真ん中は今回CBSから来たという、“前回よりは改善された”という版での最大面積だった場合です。こちらはアメリカン・ビスタ(1:1.85)の中に左右いっぱいで70mm(1:2.2)を入れるとこんな感じ。
でもこれも“最大だった場合”ですので、実際はもう少し小さくなるかもです。
これが今回ズーム無しで上映されると、こんな感じになるというわけです。
一番下は本来の70mm(1:2.2)をスコープサイズ(1:2.35)に入れていっぱいで上映するとこんな感じで左右に少し黒味が残るだけということがわかります。
もしズーム機能を使って上映されると、このようにスクリーンで上映されます。
どれくらい迫力に違いが出るか、おわかりいただけましたか?
スクリーンの使用率(面積比)では、上から約54%、67%、94%となります。
画面が真ん中にあると黒味が分散されるので、どれだけ小さいかあまりわからないと思うので、今度は左下にそれぞれ寄せてみました。
いかがでしょうか?額縁上映だとなかなか小さいことがハッキリわかるのではないでしょうか?
さて、今回どのように上映されるのか、いくつかの劇場に問い合わせてみました。
返信がまだの劇場もありますので、返信があり次第、随時ここに書き込んで行きますね。
ズーム上映の予定:鯖江アレックスシネマ、高槻アレックスシネマ
額縁上映:TOHOシネマズ全部、大阪ステーションシティシネマ、ミッドランドスクエア シネマ、ミッドランドシネマ 名古屋空港、静岡東宝会館、ジストシネマ和歌山、福岡中洲大洋
ビスタサイズスクリーンで上映(2番目の左右を切った状態。上下に黒帯):ユナイテッド・シネマ橿原、T・ジョイ系列(T・ジョイ新潟万代、こうのすシネマ、広島バルト11、T・ジョイ出雲)
返信待ち:札幌シネマフロンティア
近畿圏の劇場への問い合わせが多いですが、自分が住んでるところなので、すみません。
もしかしたら東宝などのチェーンの場合、ある劇場ではやるけれども、ほかの劇場ではしないということも起こりうるかもしれません。
というのも、一度ズーム機能を使うと次の別の作品の上映までに戻す必要があり、デジタルの映写機を操作できる担当さんの数が少ないところだと、戻せないからだそうです。
皆さんも劇場選びは慎重に、です。もし気になる方は、自分のお近くの劇場に問い合わせた方がいいかと思われます。
僕は最初遠方の鯖江アレックスシネマさんへなんとか行こうかとも思いましたが、高槻アレックスシネマさんでやっていただけるということで、そちらで見ることにしました。
でもアレックスシネマさんはさすが!ですね。昨年、あの大胆な「いつも2人で」独自チラシを作っただけのことはあります!
太っ腹であり、映画への情熱がわかりますよね。すっごい好きになった劇場です!
さて、今回は実際の額縁上映になるとどうなるかで使った画像ですが、昔の切り抜きの中にあったものを使いました。(最後の画像)
これ単独だととても紹介できないものなんですが、こうして使うことによって紹介できてよかった!
実はこれ、裏を見ると英語の問題集の一部なんですよね。
こんなのも残してしまうのが昔の僕のクオリティですね!(いや、今もか?)これは自嘲気味のコメントですよー。
https://audreyhepburn.ko-co.jp/e602223.html
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マイ・フェア・レディ,ロードショー
Sat, 08 Apr 2023 21:00:00 +0900
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午前十時の映画祭13、「マイ・フェア・レディ」情報第2弾 “額縁上映について”
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(ゲッティイメージズ さんの無料画像をお借りしました。「マイ・フェア・レディ」初公開時のニューヨーク・プレミアのクライテリオン劇場前の群衆だそうです。)
今年の「午前十時の映画祭13」の「マイ・フェア・レディ」ですが、続報をお届けします。
本来「マイ・フェア・レディ」を現代で上映するとなると、スクリーンいっぱいに映すと(今はもう本来の70mmの劇場は存在しないので)劇場側のスクリーンサイズとの関係で本来なら上下か左右だけに黒帯が入ればいいわけです。
ところが前回の2016年の「午前十時の映画祭7」(及び2015年の限定リバイバル時)で上映された時には、上下左右ともに黒枠の入った額縁上映になってしまい、せっかくのスクリーンサイズに比してかなり小さく上映されてガッカリしました(額縁が大きく、面積的には60%くらいしかスクリーンに映っていない)。
もちろんこれは映画を見た人からも大問題となってて、以前「午前十時の映画祭」で設けられていた“みんなのこえ”というコメントを書き込める欄でも相当な不満噴出となっていました。
そこで、今回の上映に当たって今回はどういう状況なのか、問い合わせしてみました。
その返事が帰ってきましたので、ここで紹介したいと思います(特に秘匿しとかなければいけないこともないのと、今回の上映を見る人全てが知っておいた方がいい内容なので)。
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【問い合わせ内容】
お尋ねしたいのですが、今回上映する「マイ・フェア・レディ」はスクリーン全体に映し出されるのでしょうか?
前回2016年に「午前十時の映画祭7」で上映された時は、ビスタビジョンの中に70mmの画角がはめ込まれた、上下左右に黒フチの入る額縁上映で、画面がかなり小さくなってガッカリしていました。
元が70mmなので、上下に黒帯が入るのは仕方ないことですが、左右にまで黒フチが入って、全体に小さくなるのはせっかくスクリーンで見る意味がありません。
今回の上映はどうなのか、教えていただけますか?
【午前十時の映画祭】お問い合わせ回答(「マイ・フェア・レディ」画角につきまして)
『マイ・フェア・レディ』の画角についてご説明させていただきます。
この作品は元々ワーナー・ブラザースの作品ですが、
アメリカのテレビ局CBSが全面的に権利を取得し、現在はCBSがハンドリングしています。
「午前十時の映画祭」でも上映できないかオファーを初期からしていましたが、劇場公開する気はないという回答でした。
しかし、その後、方針が変わったのか、2016年に劇場公開できることになり、デジタルプリントを入手しましたが、
ご指摘の通り、ビスタのフォーマットの上下左右に額縁状に黒味が出ているものでした。
本作は70mm仕様でスコープサイズからやや幅が狭くなるタイプの画角です。
本来ならスコープのフォーマットで左右に若干の黒味が出るという形で作れるはずですが、そうなっていませんでした。
理由はおそらくテレビ局が権利を持っているために、放映用に便利なビスタのフォーマットで作ったことによるものと考えられます。
今回、権利元には改めてスコープのフォーマットにできないかとリクエストしましたが、
残念ながら駄目ということで、最終的にできる限り左右いっぱいに画を入れてくれということで妥協せざるを得ませんでした。
テレビには「安全フレーム」という考え方があり、画が見きれないように上下左右に余分に余白を取るのが通例ですが、
映画作品の場合、画を全て確実にテレビフレーム内に収めようとした仕様かなと考えております。
今回のデジタルプリントをチェックしたところ、前回よりは左右の黒味部分が少なくなっており、確かに改善はされていました。
現状では、これが『マイ・フェア・レディ』の上映用としては最良なプリントということになりますので、ご了承いただければ幸いです。
回答までにお時間を頂戴し恐れ入ります。
どうぞよろしくお願いいたします。
「午前十時の映画祭」事務局
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…だそうです。
CBSが現在「マイ・フェア・レディ」の全権利を持っているのは知っていますが、元々テレビの会社なので、映画のことは本当に知らないんですね!
CBSといえば、音声解説でも1971年だかにワーナーからCBSに権利が移った際に、元々の素材を全部捨ててしまった(音楽も言われていたので、おそらくオードリーの完成版の歌の録音を含む)ことが語られていましたが、ロクなことしませんね。
餅は餅屋。CBSは権利金だけ受け取って、映画は映画の専門の会社に保管や製作を任せればいいのにね。
でもテレビと同じ考えで上下左右に安全フレームというものを作っていたというのは腑に落ちますね。
でも改善されたと言えども、黒フチが上下左右に入るみたいなので、今回も自分が本来座りたい位置よりも、1・2列ほど前に座った方が良さげですね。
皆さんも席を取る際には参考にしていただけたら、と思います。
https://audreyhepburn.ko-co.jp/e601274.html
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マイ・フェア・レディ,オードリー関連情報
Tue, 14 Mar 2023 18:00:00 +0900
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「午前十時の映画祭13」、今年は「マイ・フェア・レディ」!
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(今回もゲッティイメージズ さんの無料の画像をお借りしました。)
今日か今日かと発表を待っていた「午前十時の映画祭13」のラインナップが発表されました!
今年のオードリーは「マイ・フェア・レディ」4K!
2016年「午前十時の映画祭7」以来、7年ぶりの上映になります。「午前十時の映画祭7」では全作品の中で第5位の興行収入をあげています。
うん、いいんじゃないでしょうか。
7年ぶりだと観客層も入れ替わりますし、僕もまた劇場で観たい!という欲が出てきています。
今年は他のラインアップでも見てみたい作品が多いですねー。
「アラビアのロレンス」「タワーリング・インフェルノ」「リバー・ランズ・スルー・イット」。そして大昔劇場で観た「カサンドラ・クロス」も出来栄えはともかく、見てみたい気がします。他にも「大脱走」「マルサの女」なんかも気になる!
公式サイトはこちら。
オードリー作品は最近はゴールデン・ウィークが定位置になっていますね。
みんなが見に行きやすくていいんだけれども、全国一斉上映になってしまうので2週しか見るチャンスが無いんですよね。
これがグループA・Bで分かれる作品なら大阪や東京などの大都市は劇場を変えて4週見るチャンスができるんですけれどもね。
以前のようにオードリー作品は2作品にしてもらえると、A・Bでずれて4週見れるんですけどねー、ってこれは贅沢な望みですね。
全部の「午前十時の映画祭」で上映されたのはオードリーただ1人だそうなので、ありがたいことですね。
でも「アラビアのロレンス」が日本公開60周年!ってウリにするなら、今年は「シャレード」で、来年「マイ・フェア・レディ」にすれば、どちらも製作60周年だったのにねーってこれまた贅沢な意見ですよね。
ただ1つ気になることは、前回の2016年やその前の2015年にもリバイバルされましたが、どちらの時もビスタビジョンの枠の中に上下左右に黒フチがあって、額縁上映されてしまったんですよね。
せっかくの70mm作品なのに、黒フチのせいで小さくなってしまう画面は避けていただきたいものです。
とにかく2016年以来のリバイバル、4Kで美しくなった「マイ・フェア・レディ」を劇場で楽しみましょう!
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<上映劇場> 全国一斉公開:4月28日(金)〜5月11日(木)
北海道 札幌シネマフロンティア
岩手 中央映画劇場
宮城 TOHOシネマズ 仙台
宮城 イオンシネマ新利府
山形 MOVIE ON やまがた
新潟 T・ジョイ新潟万代
栃木 TOHOシネマズ 宇都宮
栃木 ユナイテッド・シネマ アシコタウンあしかが
茨城 シネプレックスつくば
埼玉 こうのすシネマ
埼玉 TOHOシネマズ ららぽーと富士見
埼玉 ユナイテッド・シネマ ウニクス南古谷
埼玉 MOVIX三郷
千葉 TOHOシネマズ 市原
千葉 シネマサンシャインユーカリが丘
千葉 TOHOシネマズ 市川コルトンプラザ
千葉 京成ローザ⑩
東京 TOHOシネマズ 日本橋
東京 TOHOシネマズ 錦糸町 オリナス
東京 TOHOシネマズ 池袋
東京 TOHOシネマズ 新宿
東京 立川シネマシティ
東京 イオンシネマ多摩センター
東京 TOHOシネマズ 南大沢
神奈川 TOHOシネマズ ららぽーと横浜
神奈川 TOHOシネマズ 海老名
神奈川 TOHOシネマズ 上大岡
神奈川 シネプレックス平塚
神奈川 TOHOシネマズ 小田原
山梨 TOHOシネマズ 甲府
長野 長野グランドシネマズ
長野 松本シネマライツ
静岡 シネマサンシャインららぽーと沼津
静岡 静岡東宝会館
静岡 TOHOシネマズ 浜松
岐阜 TOHOシネマズ 岐阜
愛知 ミッドランドスクエア シネマ
愛知 ミッドランドシネマ 名古屋空港
石川 イオンシネマ金沢
富山 TOHOシネマズ ファボーレ富山
福井 鯖江アレックスシネマ
三重 イオンシネマ津
京都 京都シネマ
大阪 高槻アレックスシネマ
大阪 TOHOシネマズ くずはモール
大阪 大阪ステーションシティシネマ
大阪 TOHOシネマズ なんば
大阪 TOHOシネマズ 泉北
兵庫 TOHOシネマズ 西宮OS
和歌山 ジストシネマ和歌山
奈良 ユナイテッド・シネマ 橿原
岡山 TOHOシネマズ 岡南
広島 福山駅前シネマモード
広島 広島バルト11
島根 T・ジョイ出雲
香川 イオンシネマ宇多津
愛媛 シネマサンシャイン重信
福岡 福岡中洲大洋
福岡 TOHOシネマズ ららぽーと福岡
福岡 ユナイテッド・シネマ なかま16
佐賀 シアター・シエマ
大分 TOHOシネマズ 大分わさだ
長崎 TOHOシネマズ 長崎
熊本 TOHOシネマズ 熊本サクラマチ
宮崎 宮崎キネマ館
鹿児島 天文館シネマパラダイス
沖縄 シネマプラザハウス1954
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マイ・フェア・レディ,オードリー関連情報
Tue, 28 Feb 2023 15:00:00 +0900
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「ロードショー」1973年9月号 ワーナー映画50年
今回は今は亡き集英社の雑誌「ロードショー」の1973年9月号の紹介。
表紙はカトリーヌ・ドヌーブ、なんですけどこの写真は良くない。考えされ尽くしたライティングではなく、フラッシュ一発みたいな撮り方。
花の影がドヌーブの顔にかかってるし、ドヌーブの顔がテカってますやん!
この当時、綺麗な表紙に定評のある「ロードショー」ですけど、この表紙はまるで「スクリーン」みたいというか、なんかオシャレじゃないです。素人さんが撮ったような画像を採用してますね。
どしたん?「ロードショー」。
さて、この「ロードショー」の最初のオードリーは、カラーグラビア。
当時引退中で新作のないオードリーですから、出てくる画像は昔のか、パパラッチが撮った近況のかのどっちか。
この号では1967年4月10日の第39回アカデミー賞でプレゼンターを務めたときのオードリーの画像ですね。
実際にプレゼンターをする時には、このサテンのシルバーブルーのコートは脱いでいます。下はイエローグリーンのワンショルダーのドレスでした。
1967年の4月というと、オードリーは「暗くなるまで待って」の撮影中じゃないかなーと思います。普段はヨーロッパにいるオードリーですけど、撮影所にいるならハリウッドに居ますから、出席しやすかったんでしょうね。
そしてオードリーが発表したのは最も栄えある、最優秀作品賞!
封筒を開いた時、自分の「尼僧物語」で監督だったフレッド・ジンネマンが製作者だった「わが命尽きるとも」(監督もジンネマン)だったのを見たオードリーは、天を仰いですっごく感慨深げでしたね。
オードリーに呼ばれて壇上に上がって来たフレッド・ジンネマンは、監督賞も獲っていたので、作品賞の時は“サンキュー、ベリーマッチ”だけで済ませて、オードリーと共に下がっていきましたね、
この時の映像は僕が持っているのは発表の時のだけ(しかも映像が汚い)だったのですが、今やYouTubeで綺麗なものが見れます。こちら。
オードリーとジンネマン監督は「戦争と平和」「尼僧物語」「ハワイ」で組む予定がありましたが、「戦争と平和」ではディノ・デ・ラウレンティスに先を越され、「ハワイ」はオードリーが「マイ・フェア・レディ」に出ることで降りてしまいました。
なので、結局組めたのは「尼僧物語」1本だけだったんですよね。
さて、この写真は残念ながらオードリーの嫌いな右からの写真。なので、オードリーの鼻がちょっと魔女っぽく写ってます。
キャプションでは「今や神話のなかの女優になりつつある。あるいはヘップバーンにとってはこのまま映画界を引退したほうがよいのではなかろうか。不滅の女優として生き続けるためには…。」とちょっと失礼なのが書いてあります。
これって永遠の妖精でいるためには、若い頃のイメージだけを大事にして、老いた姿は見せないほうがいいよ。といういかにも昔的な価値観で書かれていますね。
現実ではオードリーは「ロビンとマリアン」で復帰しますし、晩年はユニセフの活動に身を投じたことで逆に全世界で伝説となりましたよね。
まあでも今でも若いオードリーだけがグッズになったり、ネットに50年代後半以降は老けたと書いてる連中が湧いているところをみると、今の自称オードリーファンも昭和時代のおっさんも、中身はおんなじということですかね。
むしろ70年代はこうして60年代のレアなカラー写真を載せてくれるし、ファンもそれを許容していたということは今よりマシだったんかなーと思います。
その次のオードリーは、1年に1回の人気投票とは別に、「ロードショー」が毎月やってた人気投票。この号ではオードリーは966票のナタリー・ドロンに次いで929票で第2位。第3位のオリビア・ハッセーが717票ですから、ナタリーとオードリーが頭一つ抜けてますね。画像は「パリで一緒に」のものが使われています。
ナタリー・ドロンはこの時期「スクリーン」でも人気がありましたが、批評家さんとかが首を傾げてましたね。これという作品もないのに(「個人教授」くらい?)人気があると。
まあ「ロードショー」の人気投票は、後からみると、なんでこんな人が??ってなことが多かったです。その点は「スクリーン」の方がちゃんと時代を映してたかなーという気がします。
まあでも90年代とかは映画よりもアイドル的人気だった人が上位に入ってましたよね。
男優では第3位にエルヴィス・プレスリーが入っているのが意外!えっ、プレスリーの全盛期は50年代後半〜60年代はじめでは??という感じです。
少なくとも、70年代後半にオードリーファンになった僕の感覚では“過去の人”って感じでした。
さて、この号の(僕にとっての)メインは、綴じ込みになっている “ワーナー映画の50年”ってところ。1973年でワーナー映画が出来てからちょうど50年だったんですね。さらにそこからほぼ50年経った今もワーナー・ブラザースとして残っているのが素晴らしいですよね。
さて、そこではワーナー映画の歴史などが語られてるんですが、映画評論家の座談会で、品田雄吉さんが“ワーナーで戦後一番ヒットした作品はなんですか?”と問うと、佐藤正二さんという人が “やっぱり「エデンの東」じゃないですか?それに「マイ・フェア・レディ」。この2本でしょうね。”と答えています。が、実際には「マイ・フェア・レディ」がダントツですね。
その後のページでは “戦後ワーナー映画ヒット作品のすべて”というページがあり、そこで日本でのヒット映画のベスト20が載っているのですが、73年当時でも「マイ・フェア・レディ」が7億2500万円で、2位のバルジ大作戦の5億1900万円を大きく引き離して1位になっています!
そして「暗くなるまで待って」は2億6300万円で11位だそうです。
…と、「マイ・フェア・レディ」ってすごいよねーってのが、僕が今回この「ロードショー」を取り上げようと思ったきっかけだったのですが、2位以下をじっくり見てあれれ???
3位「ブリット」、4位「グレート・レース」、5位「エデンの東」、6位「シャイアン」、7位「ジャイアンツ」まではまあ納得なんですが、8位「地獄へ突込め」で、え?っと思い、9位「攻撃目標零」であれ?、こうなるともう12位「肉弾戦車隊」、13位「総攻撃」、15位「深紅の盗賊」(本当は「真紅の盗賊」)、17位「グリーン・ベレー」と来たら、もう確信に変わりました!これは絶対正しくない!と。
だって「地獄へ突込め」「攻撃目標零」「肉弾戦車隊」「総攻撃」「真紅の盗賊」って誰が知ってます??
実際公開年の配給収入を調べても、ヒット作のベスト10にも入ってないんですよ!当時は1億を超えると大ヒットだった時代に、初公開時1億も行けてない作品が2億超えなんてありえないでしょーっ!!
「真紅の盗賊」なんて1953年の公開ですよ!それで2億超えてたら、「ローマの休日」に匹敵する超特大ヒットじゃないですか!それでベスト10入らないとか有り得ない!
「地獄へ突込め」「攻撃目標零」も大ヒットの「暗くなるまで待って」超えなんてないない!
リバイバルの分が入ってるかも?でも初公開時にヒットしてない作品はリバイバルなんてしませんし。
万が一リバイバルがあっても、当時だとそこで2億超えだと、リバイバルでその年のヒット作ベスト10に入るわい!
当時で2億越えだと、「風と共に去りぬ」のリバイバルに匹敵するくらいの特大ヒット。これまたありえません。
それに73年だと「マイ・フェア・レディ」と「暗くなるまで待って」もそれぞれ69年と71年にリバイバル済み。どうみてもオードリー作品にはリバイバル分が計上されてませんしね。
「マイ・フェア・レディ」なんて、初公開時のキネマ旬報の配給収入の数字より減ってるって…。
というわけで、「マイ・フェア・レディ」がワーナー映画のトップというのは揺るがないでしょうが、他のデータは多分に眉唾物。全く信じられません。
本当なら「暗くなるまで待って」も5〜7位くらいのはずです。
「地獄へ突込め」「攻撃目標零」「肉弾戦車隊」「総攻撃」という聞いたことのない戦争物ばっかり上げ底が入ってる所に、ランキング資料を作った人間の意図が見えますね。
さて、ここまでワーナー映画のトップを守ってきた「マイ・フェア・レディ」ですが、1973年というと世界で “石油ショック”が始まる年ですね。
10月に始まった石油ショックは瞬く間に日本でも広がり、トイレットペーパーの買い占めなんかが起こりました。日本の高度成長期はここで終了したそうです。
物価も急激に上がり、映画の入場料も変わってしまったと思うのですが、それまでは配給収入が3億だと特大ヒットで、10億超えは全洋画で3本くらいしかなかったのに、翌1974年には「エクソシスト」という文字通りお化け作品がワーナー映画に出て、配給収入が27億超えという今までの最高の倍以上という桁外れのものになります。同じ74年の2位にもワーナーの「燃えよドラゴン」の16億超えが入り、「マイ・フェア・レディ」は3位に後退します。
物価上昇が止まらない1975年には「タワーリング・インフェルノ」が出て、36億超えというさらに上をいくワーナー映画が出たので、やがて「マイ・フェア・レディ」も徐々に下がっていくんですけどね。
そして「マイ・フェア・レディ」はその後71年には元々の契約で全権利が歌の権利を持つCBS(CBS/FOX)に移ったりしましたし、DVD時代には古巣のワーナーに戻ったと思ったら、ブルーレイで今度はパラマウントに移ったりと、今やワーナー映画と呼んでいいものかどうかもわからなくなってきましたけどね。
この石油ショックまでは多少の不景気はあれど、日本はずっと成長を続けてて、映画音楽のレコードなんかでもレコードは1枚だけなのに、分厚い見開きジャケットに何ページにもわたる豪華解説なんかが付いてたりしてたんですけど、石油ショックでピタリとなくなりました。
この号でも、表3(裏表紙の裏)で集英社がビクター系のRCAやフィリップスなんかと組んだ映画音楽全集のレコードを出しているんですけど、32ページ(うちフルカラー8ページ)もの解説のついた、レコードよりも上下のさらに大きいジャケットで出してます。そこにオードリーのジャケットのもあります。
日本の将来に夢があった時代ですね。
あとこの号で目につくのはアラン・ドロンのページがめっちゃ多いなーっていうのと、カトリーヌ・ドヌーブがそれに次いで多いなーってこと。
「ロードショー」ってちょっと偏りすぎ?と思います。やがて「ロードショー」は平然とアラン・ドロンに偏った特集号の「ロードショー増刊JOY」ってのを作っていくんですけどね。
他にもオードリーの「戦争と平和」や、「太陽がいっぱい」「ゴッド・ファーザー」「ロミオとジュリエット」などを作曲したニーノ・ロータが日本のキング・レコードの申し入れで自作の演奏をすることになった「ニーノ・ロータ・プレイズ・ニーノ・ロータ」が発売されることや、RCAからわざわざ日本に来日してマーロン・ブランドの映画音楽をオリジナルの楽譜を探し出してきて日本で録音することなどが載っており、当時の日本って勢いがあったんやなーと思います。
最後の奥付のページでロードショーの劇場巡りってコーナーがあって、今回が初?なのか1と書いてあって、日比谷映画劇場が載っています。
オードリーでは「ローマの休日」「麗しのサブリナ」「尼僧物語」がロードショーされた劇場ですね。
定員は1370人、開場は昭和9年(1934年)2月1日、1日の入場者数の最高記録は1965年「007/ゴールドフィンガー」の13364人だそうです。
「ローマの休日」の動員数もすごかったみたいですけど、007が超えたんでしょうね。
でも「007/ゴールドフィンガー」って上映時間が2時間弱ですから、休憩を入れて2時間として、1日6回上映だとすると、1回の上映で2000人超えの人数が入ったことになりますよね。定員が1370人ですから、後ろに立ったままで見る立ち見や、客席の間の通路にまで座って見ている人も物凄い人数がいたことになりますね!レイトショーの7回上映だったとしてもやっぱり2000人弱で、状況は大して変わりません。
昔は座席指定も(ごく一部の席を除いて)無かったし、入れ替え制でも無かったので、ヒット作品は本当に席の取り合いだったんだろうなーと思います。
僕も昔の映画館は入れ替え制じゃなかったので、30分前には到着して早めに上映中の劇場に入り、虎視眈々と席を狙っていたものです。
80年代後半からのオードリー映画の怒涛のリバイバルでは、上映が終わるまで館内だけど上映中の劇場の外で待たされて、列を作って並んでいましたね。そして入場OKになったらわーって入って席を取ってました。
ちなみに僕が狙ってたのは劇場のど真ん中の席が多かったですかねー。劇場って、やっぱり真ん中の席が1番見易く、音響も良いように設計されているようなので。
昔の映画館って、前の席と段差があまりなく、座席も見易いように交互にすらなってないこともザラにあったので、そういう時は前の席と離れてる通路のすぐ後ろが良かったですかねー。
今でも映画館で映画を見るときは、ネットでなるべく真ん中の席を狙います。109シネマズなんかでもエグゼクティブ・シートは真ん中の列に配置されていますもんね。
https://audreyhepburn.ko-co.jp/e595580.html
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マイ・フェア・レディ,ロードショー
Tue, 13 Sep 2022 21:00:00 +0900
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スクリーン・アーカイブズ ミュージカル復刻号「マイ・フェア・レディ」
今回はスクリーン・アーカイブズの“ミュージカル復刻号「ウエスト・サイド物語」「マイ・フェア・レディ」「サウンド・オブ・ミュージック」”です。
同じく“スクリーン・アーカイブズ”シリーズの、「オードリー・ヘプバーン 第3集」を買う時になって初めてこの本も発売されているのがわかりました。
でも奥付では令和3年11月30日発行となっているので、「オードリー・ヘプバーン 第3集」以前に発売されていたことになりますね。
ちなみにこれもオンデマンド印刷(でっかいプリンターみたいなもの。少部数に向いている。)です。
時期的に見て、スティーヴン・スピルバーグ監督のリメイク版の「ウエストサイド・ストーリー」公開に合わせて出してきたことになりますね。
表紙のオードリーは、確かに変わった髪型だけど、切り抜きが雑なのと影がなくなっているので、まるで頭を切り取ったかのよう。
だいたいこのプレミア上映会の画像を「マイ・フェア・レディ」の表紙として持ってくるなんて、どんなセンス?と思います。
珍しい画像ではあるのですが、この写真を選んだ人も、この3本のミュージカルを茶色に塗って表紙にしたデザイナーも、これにOK出した人もまとめて表紙は0点にしときます。
さて、この本でメインで取り上げられた3本、「ウエスト・サイド物語」「マイ・フェア・レディ」「サウンド・オブ・ミュージック」は映画史に燦然と輝くエポック・メイキングなミュージカル映画ですよね。今でも輝いていますし、アメリカや日本のみならず、全世界で大ヒットした3作品です。
この本では公開順に「ウエスト・サイド物語」から始まっていますが、やっぱり社会現象となった作品なので、ページ数も一番多いです。ミュージカル全般について書かれているページを除いても表紙・裏表紙を入れて34pぶんが割かれています。
やはり当時、あまりにも斬新だった「ウエスト・サイド物語」って凄いですよね!
そして、この映画からはジョージ・チャキリスというスターが生まれたことがわかるページの割かれ方になっていますね。
「マイ・フェア・レディ」ですが、こちらは22pを使用。「サウンド・オブ・ミュージック」は意外と少なくて、17pとなっています。
「マイ・フェア・レディ」ではもちろん当時人気最高のオードリーに焦点が合わされてページの構成がされています。
野口久光さんと河野基比古さんの対談ページでは、まずオードリーの素晴らしさから語られています。花売り娘のオードリーも思いがけなく魅力があって、汚くて憎らしい中にも可愛さがある、ただきれいなだけじゃなく、オードリーの持ち味が生かされている、はまり役であり他にはいない、と語られます。
他にも、ミュージカル映画は舞台で出来ないことを映画で見せるため、やたらと原っぱに出て行きたがるが、「マイ・フェア・レディ」は意識的に外へ出さず、舞台を踏襲しながら監督のものを出していて、逆に非常に難しいことをしている、舞台ではあそこまで出来ないということを色々やっている、ロケがないことで全体のトーンが統一されている、と話しています。
あとレックス・ハリスンや助演の俳優も褒められています。歌も良く、河野基比古さんはオードリーとマーニ・ニクソンの声が似ているとも言っています。
野口久光さんは、ジャック・ワーナーにも敬意を表していい、何と言ってもこれでハリウッドが失地回復した、おそらく最初はロンドンで撮るべきか、ハリウッドで撮るべきか重要議題になっていただろうが結局ハリウッドで撮ったこともハリウッドの底力だ、「ウエスト・サイド物語」と双璧だ、と述べています。
「サウンド・オブ・ミュージック」では、やはり新星ジュリー・アンドリュースについてが多く語られています。
でも監督はウィリアム・ワイラーが監督になりそうだったことは書かれていますが、主演がオードリーになりそうだったことは書かれていませんね。デボラ・カーやドリス・デイのことは書かれていますけれども。
さて、荻昌弘さんの書かれた “ミュージカル映画の新時代”というページではこの3作品、および「シェルブールの雨傘」「メリー・ポピンズ」の5本が打ち立てた金字塔のことが書かれています。
今や(1965年当時)みんなが熱に浮かされたようにミュージカルと言うらしいです。
でもそれぞれの考えるミュージカルはそれぞれ違って、「マイ・フェア・レディ」のロマンティックな感触、「ウエスト・サイド物語」のバイタリティのほとばしり、日本で上演されたミュージカルのスターやジュリー・アンドリュースの魅力、など、まるで違うことを思い浮かべている、とのこと。
萩昌弘さんは“ミュージカル映画の新時代1”と言う文章で「巴里のアメリカ人」などの1944-54年を戦後の第一の波頭、「南太平洋」などのミュージカル映画の大型化の50年代後半を第二の波頭、そして「ウエスト・サイド物語」からを第三の波頭と語っています。
日本では第一と第二の波頭では決してミュージカルの人気が定着したとは言えないし、アメリカもまだ舞台ミュージカルを表に出して映画化してるだけでは舞台に勝てるわけがないと言う事実に気づいていなかった、としています。
ところが「ウエスト・サイド物語」で革命が来て、その一撃を全く違う方法論で「マイ・フェア・レディ」が受け継ぎ、フランスが独創性を発揮して「シェルブールの雨傘」を作り、「サウンド・オブ・ミュージック」が映画の自分を主張し、「メリー・ポピンズ」が映像独自の路を拓いた、アメリカのこの4本とフランスの1本で映画はブロードウェイからの脱却、対等の独立を宣言してみせた、と。
“ミュージカル映画の新時代2”ではこの5本は、世界のミュージカル史において革命的な飛躍をし、それぞれ権威ある賞を取ったことは歴史的な重みがある、と書いています。
日本ではそれまでミュージカルといえば、ストーリーなどほとんど無いようなもので、甘ったるい歌謡曲と賑やかなショーをぶち込んだもの、と言う認識であったところへ、「ウエスト・サイド物語」が動きの激しさ、社会性の鋭さ、ドラマの深さ、リズミックなビートの動きを創造した、と。
3年後の「マイ・フェア・レディ」は、人工的な舞台を常に屋外に持ち出したくなる映画、その方法でしか映画化の方法は無いと思われていたところに、1箇所も屋外ロケはなく、むしろ人工的な装置を強調しており、それは「マイ・フェア・レディ」が持つ”夢の寓話”やエレガンスは戸外にはあまりにもたおやかでありすぎることをキューカー監督が知ったからだ、この作品で初めて正確な意味で「舞台に忠実な映画化」が成し遂げられたと述べられています。
ここで荻昌弘氏は映画「ウエスト・サイド物語」を生のニューヨークに放り出したことによって、写実的装置無しという舞台の持っていたリリシズムを失わせたことも否定できない、「サウンド・オブ・ミュージック」にも同じ矛盾がある、と書いてます。
公開当時、映画評論家の双葉十三郎氏だったかが、「サウンド・オブ・ミュージック」は戸外に出過ぎ的なことを書いていて、評価でも「マイ・フェア・レディ」より5点少なくなっていましたが、僕にはよくわからなかったのですが、そういうことなのかーと思いました。
個人的にはアルプスとかの風景が良かったと思っていたので。
「ウエスト・サイド物語」は様式的な踊りを写実的な背景に投げつけて舞台との違いを際立たせ、「マイ・フェア・レディ」は徹底的な舞台の流れと感触を保ち、それを映画的な写実で写し取ることで映画の自主性を獲得し、「サウンド・オブ・ミュージック」はこのミュージカルを、シリアス・ドラマとして眺め直してしまうという方式で“舞台の様式”から解き放って、自然な映画に活かし直した新鮮さで極限に達した作品、としています。
そしてこの3本は舞台が持つ様式性に対して映画が根本的に持っている写実性を各々の方法論で調和させ、決定版にしている、と。
対してセリフは全部歌の「シェルブールの雨傘」とアニメとの合体の「メリー・ポピンズ」はこの3本とは違い、映画の写実性を信じず、様式的な非現実性をそのままフィルムに収めたもの、と語られます。
その後には永六輔氏の書いた“ミュージカル探検”という文章が続くのですが、こちらは「ウエスト・サイド物語」が封切られる前の61年の文章であるためか、「ウエスト・サイド物語」以前の日本のミュージカル事情も語られています。
「くたばれ!ヤンキース」という、名前は有名だと思う映画が、当時の人気スターであるタブ・ハンターが主演だったにもかかわらず、東京でもわずか1週間の上映予定、というだけでも少ないと思うのですが、実際に封切られるとさらにたった5日!で上映を切り上げられたほどミュージカルに人気がなかったという事情を知ってびっくりします。
今から振り返っても、「ウエスト・サイド物語」「マイ・フェア・レディ」「サウンド・オブ・ミュージック」の出た、この時期のミュージカルは凄いな!と思います。確実に1時代を築いていますよね。
でもこれらの作品の成功でその後も「ドリトル先生不思議な旅」「スター!」「ハロー・ドーリー!」などの超大作ミュージカルが60年代後半には続々作られるのですが、ことごとく興行成績が悪く、内容でもこれらの3本を超えることは出来ず、一瞬でミュージカル時代は廃れてしまいます。
その後も散発的に傑作ミュージカルは出てくるのでしょうが、やはりこの3本は歴史を作ったということで、ここでも3本だけの特集になっているのでしょうね。
表3(裏表紙の裏)には「スクリーン」に載った「マイ・フェア・レディ」の広告が載っています。「映画の友」に載った広告とちょっと違うのが嬉しいところ。
なので今年出た、「スクリーン復刻編集 オードリー・ヘプバーン第3集」にはこの広告は載っていません。
カラー写真以外は全部白黒にされてしまっていた「オードリー・ヘプバーン第3集」とは違って、こちらでは最初に掲載された通り、青いグラビアで掲載されたものは青く、紫のものは紫でと再現されているのが良いです。
なんでオードリーのは白黒にするかなー怒。
あと、「オードリー・ヘプバーン第3集」では紙はマットコート紙だったのに、こちらは全部ツルツルのコート紙!豪華やーん!
なんでオードリーのはマットコートなん!?
お買い求めはスクリーンのオンラインストアで。
オススメ度:★★★(全体では中身はなかなか好印象)
https://audreyhepburn.ko-co.jp/e592794.html
https://audreyhepburn.ko-co.jp/e592794.html
マイ・フェア・レディ,日本の写真集,スクリーン
Wed, 17 Aug 2022 21:00:00 +0900
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「オードリー・ヘプバーン映画祭2022」チラシ
はい、引き続き「オードリー・ヘプバーン映画祭2022」関連で。
最後はこの映画祭全般のチラシですね。2022年6月10日(金)〜12日(日)まで二子玉川での開催。
正直、“またか!”と思いましたよね。映画祭自体がじゃ無くて、また東京だけ、二子玉川だけなんかい!という。
しかも期間も短いので、関西にいたら行けませんもんね。
まあ東京だけ、というのは東京以外では収益を上げられないから、と予測してるのかもしれませんし、スター・チャンネルさんの考えなのでこちらはどうともできないんですけど、ちょっとヒドイな、とは思います。全国横断、とはいかなくても、関西くらいは出来そうやのに…とは思いますね、
事前にスター・チャンネルさんに問い合わせはしなかったんですけれども、友達に二子玉川まで行ってもらったんですが、前回はあった無料の映画パンフレットみたいなのは今回は無かったようで、2019年に行われたものよりかはお金の掛け方がちょっと縮小されたような気がします。
やっぱりこれもコロナの影響でしょうか?
さて、パンフレットがないとすると、このチラシが唯一の今年のオードリー映画祭での記念品となるのでしょうか?
2019年の映画祭では「若妻物語」とか「ラベンダー・ヒル・モブ」とかレアなものも含めて10作品上映してましたけど、今回は「ローマの休日」「パリの恋人」「シャレード」「マイ・フェア・レディ」「おしゃれ泥棒」とメジャーどころを揃えて5本だけになってます。これも規模の縮小でしょうか?
チラシ裏面の上半分を使って今回の上映作品を紹介してますけど、上映スケジュールを見ると、10日が「ローマの休日」「シャレード」「パリの恋人」、11日が「パリの恋人」「おしゃれ泥棒」「ローマの休日」「マイ・フェア・レディ」、12日が「マイ・フェア・レディ」「ローマの休日」「シャレード」「おしゃれ泥棒」。
「ローマの休日」のみ毎日で3回、ほかの作品は2回の上映になっています。
その次はイベントの情報。トークショーが毎日あったみたいで、清藤秀人さんがナビゲーター、10日には加藤タキさんも出演されてらしたようです。
11日と12日にはオードリーの映画音楽のアンサンブルの演奏もあったようです。
僕も1996年にJAL主催のオードリーのイベントが大阪のロイヤル・ホテル(オードリーが83年来日時に宿泊したホテル)で有った際は、音大の先生にオードリー作品の編曲を依頼して、弦楽四重奏でオードリー作品を演奏したのを思い出します。
自分たちで演奏した時には「許されざる者」はプロローグ(実際はメインタイトル)とエンドタイトルをくっつけてもらったり、「パリで一緒に」の“That Face”も演奏しましたねー。
「華麗なる相続人」からは“過去の回想”を演奏したかったけど、僕らの演奏には声が入らないので、同じメインタイトルの旋律を使う“別荘への到着”を演奏しました。
「シャレード」からは“オレンジ・タムレ”(でもこの曲は“オレンジ・タムレ”のシーンでは使われていない)も演奏しましたよー。
“オレンジ・タムレ”は演奏してくれた仲間にも大好評で、弾いてる方も聴いてる方も楽しいという、稀有な曲です。
その音大の先生も、その弦楽四重奏に編曲する際にピアノ版を作って、大阪のヒルトン・ホテルでオードリー作品のピアノ演奏をされたんですよ!僕も見にいきました。仕事が終わってからだったので、全部は見れなかった(特に「おしゃれ泥棒」を見逃した!)のが今でも心残りです。
大きく脱線しましたけど、次は写真パネル展のことが載っています。今回は映画祭で上映される5作品をメインに飾ってあったようです。
それと次は二子玉川エクセルホテル東急30階でのグルメ案内。6月中はオードリーが大好きだった「スパゲッティ・アル・ポモドーロ」がメニューに加えられていたことと、12日にはアフタヌーン・ティー・サロンとして清藤秀人さんのトークとともにお昼をいただけたことがわかりますね。
最下段には5月6日から公開されている映画「オードリー・ヘプバーン」のことが載っています。まあ映画もスター・チャンネルの提供だったから当然ですね。
さて、チラシ全体を見ておおっ!と思うのは、「おしゃれ泥棒」の画像が全てレアもの、だということでしょうか。
他のは、うーんよく見るよね、っていうものですが、「おしゃれ泥棒」だけはなぜか非常にレアものばっかり!これは嬉しいですね!
このチラシは「おしゃれ泥棒」で価値が上がっていますね。どれも写真集未収録のものばかり!
それと、「ローマの休日」の写真には表の写真にも裏の写真にも著作権マークがないんですよね。「ローマの休日」って画像の許可もいらないのかなーと思いました。
いや、「パリの恋人」にはパラマウントの著作権が書いてありますし、パラマウントもわかってるんでしょうけどね。
https://audreyhepburn.ko-co.jp/e593771.html
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ローマの休日,パリの恋人,シャレード,マイ・フェア・レディ,おしゃれ泥棒,その他のパンフ・ポスター・チラシ
Wed, 03 Aug 2022 21:00:00 +0900
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「マイ・フェア・レディ」4K Ultra HD 発売!
「マイ・フェア・レディ」の4K Ultra HD+ブルーレイが2021年7月21日に発売されることになりました。
今までのブルーレイの4K版は4Kでリマスターしたものを2Kに落とし込んだものでしたが、今回のは4Kそのままの画質です。
ただ、再生には4K Ultra HDブルーレイ再生機器が必要ですので、持っていないともちろんこれも見られません。
特典は今までの4Kリマスター版ブルーレイと同じみたいですね。
とくに今回追加されたもの(オードリー自身で歌う「踊り明かそう」、「今に見てろ」全曲、「あなたなしでも」と未発見の「スペインの雨」など)もないみたいです。
画質の劣る通常盤ブルーレイとDVDにのみ付いていた94年時のリマスタースタッフによる副音声解説は無し。
でもそれらには無かった池田昌子さん&中村正さんによる貴重な吹替は4Kリマスター版と同じように入って嬉しいんですが。せめて副音声も入れて欲しかった!
1977年や86年リバイバル時の劇場全体が大笑いするような字幕ではなく、今の字幕は正直全然面白くないお堅い口調の字幕。一部は翻訳すら放棄してますしね。「マイ・フェア・レディ」の面白さが全く出ていない翻訳。
なので池田昌子さん、中村正さんによる吹替の楽しさがめっちゃ貴重!
今の翻訳で字幕で見るなら、「マイ・フェア・レディ」は吹替の方が断然面白く楽しいです!
https://audreyhepburn.ko-co.jp/e570123.html
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マイ・フェア・レディ,ブルーレイ・DVD・LD・ビデオ,オードリー関連情報
Tue, 25 May 2021 18:00:00 +0900
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「映画の友」1964年2月号
遅れましたが今年の「SCREEN」の人気投票、オードリーは9位でした。パチパチパチ。昨年は16位でしたからだいぶ上がりましたね。
って投票数もびっくりするくらい少ないんですが…。
でも「SCREEN」はまたページが減ってるし、せっかくの読者が投票してくれた結果も小さな画像だけだし、その上よく見る平凡画像。相も変わらず内容もネットの方がまだマシなような薄いムック本形態だし、好調な日本映画に媚を売っててこんなの買う気になりません。
今の「SCREEN」編集部は売ろうという気はあるんでしょうかね。今や廃刊前の「ロードショー」よりヒドくなって来ました。
今日は1968年まで存在していた洋画雑誌「映画の友」1964年2月号の紹介です。
まず2月号ということは実際には1963年12月に発売されています。ちょうど「シャレード」が初公開されたときですね。
「シャレード」は1964年のお正月映画としてぶつけられていますね。公開は松竹系の劇場で。
東京の劇場は松竹ではこの当時1番格上の丸の内ピカデリーだったので、この年の松竹としては1番期待されていた映画だとわかります。
そして期待に違わぬ大ヒットだったのは、以前紹介した雑誌「ヤングレディ」の時に書いた通り。
公開後1ヶ月以上経った平日の昼間でも丸の内ピカデリーにはチケットを買うお客さんで大行列だったようですね。
そんな混み混みの状態では、当時は一部を除いて自由席の劇場で席取りも大変だろうし、あんまり行きたくないけど、それでも1500席以上の巨大劇場でオードリー作品がそういう大ヒットの感覚は味わってみたいですね!
さてこの号の表紙はクラウディア・カルディナーレ。
僕がオードリーのファンになった70年代後半にはもう表立っては残っていない縁遠い女優さんでした。
この号ではまず目次のところにオードリーのイラストがあって、巻頭カラーはオードリーからスタート。
画像は先ほどの「ヤングレディ」で使われた写真の別ショット。
別のものが見られるのが嬉しいですね!それでもオードリーはやっぱり左側を見せています。
僕のこの画像の右側にシワが入っているのは、製本する際に付いたみたいです。
次のオードリーはこの本の編集の際はまだ撮影中だったであろう「マイ・フェア・レディ」のモノクログラビア。
本当に「シャレード」「マイ・フェア・レディ」が同じ本に新作として同居してるなんて、僕からしたらなんて贅沢な!って思ってしまいます。
今は撮影中の作品って情報が漏れないようにってしてて、何撮ってるか全くわかりませんが、昔はこうして撮影中から宣伝を兼ねてバンバン画像や情報を流してたんですよね。僕は唐突に映画公開しまーす!って出てくるより、こうしてあらかじめファンの期待を膨らませて、見たい気持ちを公開まで持って行くほうがいいと思うんだけどなー。
ここでのモノクロは「スペインの雨」とアスコット競馬場のものなので、撮影がどこまで進んでいるかが一目瞭然ですね。
オードリー作品はロケを除いて、だいたい時間の流れに沿って撮影されることがほとんどですからね。
ここでのキャプションはケネディ大統領の悲報にオードリーは泣き崩れ、その日は撮影できなかった「マイ・フェア・レディ」と書かれています。
そういえば、セシル・ビートンの「マイ・フェア・レディ日記」に書いてありましたが、ドケチなジャック・ワーナーは後から撮り直しが出来ないよう、アスコット競馬場のセットを撮影後、早々に壊してしまったそうです。
途中僕の好きなヴィヴィアン・リーの「風と共に去りぬ」とヴィスコンティの「山猫」との比較のグラビアもありましたが、この号で目立っているのはエリザベス・テイラーの「クレオパトラ」とかアラン・ドロンのページの多さ。
アラン・ドロンは本格的に若い女性の人気を掴んできているようですね。「危険がいっぱい」や「黒いチューリップ」が載っています。
まだアンソニー・パーキンスも人気が高いようですが、そろそろ世代交代といった感じが漂っています。
同じようにスティーブ・マックィーンもカラーのとじ込みがあったりモノクログラビアがあったりと、70年代まで続いていくスターが台頭してきています。
この号では他に王貞治選手・長嶋茂雄選手と対談する淀川長治さんの記事もあります。
次のオードリーは、「スターのぷらすあるふぁー」という記事で、最初のページに1番デカく登場。今度は「パリで一緒に」の画像ですね。ホント贅沢!
ここではスターになる人は、美男美女ってだけではなく、演技が巧いだけでもなく、チャンスに恵まれていたからだけでもない、その他の+αが何か、ということについて書いてあるのですが、オードリーは “ムード” の筆頭として挙げられています。
「彼女の名前を思い返しただけでも、スマートな映画をすぐ想像できます。彼女の上品でそのくせそこはかとなきお色気はちょっと他の追従を許しません。この人を見ていると、演技がどうのこうのというより、ただ心持ちがよく、うっとりして映画の楽しさを味わわせてくれる。こういう人はなかなかおりません。」と秦早穂子さんは書いています。
次は久里洋二さんという方の僕の試写室というイラスト付きのページ。ここでは新作「シャレード」のことが取り上げられていますが、
「なんとすばらしい映画が出現したのだろう。僕はこんなにいい映画ははじめて見たような気がする。ヘップバーンの素敵な気分がなんともいえない。女性必見。この「シャレード」を見ずして女性と言えようか。ステキ、ステキ、まったくボーッとして1週間くらいは話が尽きない映画です。」
と書いてあります。
次に行く前に、「アメリカ女優変遷史2」という記事があるのですが、今からちょうど100年前!1921年のアメリカでの人気女優トップ15が載っています。
その中ではノーマ・タルマッジ、メアリー・ピックフォード、ドロシー・ギッシュ、グロリア・スワンソン、メアリー・マイルズ・ミンター、パール・ホワイトといった今なら僕でもかろうじて名前だけはわかるサイレント女優さんもいますが、半数以上は今でも全く知らない女優さんたち。
僕がオードリーのファンになった頃は55年前のサイレント女優さんなんて全く知らない状態でしたから、今の55年前というと1966年になるので、ちょうどこの「映画の友」辺りの俳優さんたちになるんですよね。
となると、ここに載っている人たちほぼ全員、今の若い方達には知らない遠い世代の人たち、ということになってしまうんでしょうかね。
アラン・ドロン、スティーブ・マックィーン、ソフィア・ローレンも、下手するとオードリーだって知らない!って言われそうですよね。
その次のページには「ハリウッド上流社会の内幕」という記事があって、これが興味深かったです。
ここではハリウッドの俳優たちには3つのエリート・グループがあるそうで、第1グループはカーク・ダグラス夫人など、4人の名流婦人で牛耳られている第1級のハイ・ソサエティ、第2グループは第1級のスターでありながら、招待に参加せず、距離を置いているグループ、第3グループは第1グループにやがて受け入れられるであろう予備軍、みたいな感じだそうです。
第2グループにはグレゴリー・ペック、バート・ランカスター、エフレム・ジンバリスト・Jrなどがいるそうで、招待状を送っても丁寧な断り状が届くのがほとんどだそう。
ここではグレン・フォードという男優が、ハリウッドに邸宅を建て、社交界入りを企ててパーティーを催したそうですが、ハイ・ソサエティの第1グループの人に相談せず、二流の人たちを招いてしまい、大失敗に終わったそう。これはよほどの辛抱と時間をかけないと元には戻らないと言われています。
50年代はゲイリー・クーパー夫人がハイ・ソサエティのトップであり、かつては300人という大パーティーがあったそうです。
でもそれも年月と共にトップ・ホステスが入れ替わっていったそうで、今では100人から最大150人のパーティーになったそうです。
そこで登場するのがオードリーの名前。もしオードリーがハリウッドに定住すれば、本人の意志にかかわらずトップ・ホステスに祭り上げられるだろうとのこと。
わかる〜!!オードリーなら誰にも不快な思いをさせずに、見事に務め上げそうだし!絶対素晴らしいハイ・ソサエティの頂点に立てそうですよね。
でもオードリーの立場に立てば、絶対したくないだろうなーというのもこれまたわかる。そんなだからハリウッドに住みたくないんだ、みたいな。
だって、ハイ・ソサエティって傍目にはなんかキラキラしてて憧れますけど、グレン・フォードの件でわかるようにひっくり返せば選民思想の典型じゃないですか。そういうドロドロしたものを抱えて成り立ってるものに、オードリーが絶対関わりたくない、と思うのはまあ当然ですよね。めっちゃストレス溜まりそうだし。オードリーはパーティーしてるくらいなら、むしろ家の庭で雑草抜きとかしてたいほうですからね。
でもこのハリウッドのスタッフ・キャストたちのハイ・ソサエティも、かつては元からあった地主貴族たちのベル・エアのハイ・ソサエティーからは「犬と役者はお断り」なんて蔑まれてて、戦ってきた結果みたいです。
この時代には富豪と名門だけのものであったベル・エアのハイ・ソサエティも、ハリウッドのトップ・エリートには開かれているそうです。
ハリウッドのハイ・ソサエティにはお断りな人たちもいるそうで(向こうもですけど)、マーロン・ブランドやシャーリー・マクレーンなどが挙げられていますが、さもありなんって感じですよね。二人とも建前だけでも繕うのはイヤそうですもんね。
次に1963年度の映画評論家のベスト10が載っています。この年の第1位は圧倒的な240点で「アラビアのロレンス」。他には2位「シベールの日曜日」、4位「鳥」などが入ってる中で、オードリーがオファーされていた「蜜の味」が8位に入っています。
女優は圧倒的に「奇跡の人」のアン・バンクロフト、男優は同票で「アラビアのロレンス」のピーター・オトゥールと「イタリア式離婚狂想曲」のマルチェロ・マストロヤンニ。
オードリーは女優では2票で第3位。同票にパティ・デュークとシャーリー・マクレーン。
「シャレード」は35点で14位に選出されています。南部圭之助さんが9点、双葉十三郎さんと高季彦さんが7点、淀川長治さんが6点、オードリーファンでもある山本恭子さんが3点、品田雄吉さん・野口久光さん・深沢哲也さんがそれぞれ1点を入れてくださってます。
意外なのはオードリー評論家でもある小森和子さん、南俊子さん、秦早穂子さんが1点も入れてくれてないこと。
でも「シャレード」は時の流れを経ても見事生き残りましたよねー。ベスト10に入っているものでも、今生き残れてないのもザラですからね。
まあ特に映画評論家さんのベスト10はマニアックなものが多いですからね。後年見ると、こんなの知らない!ってのが結構多いですから。
「映画の友」の読者投票では「シャレード」は見事8位に入っています。
その後には総決算として映画評論家4人による対談があるのですが(こういうの「スクリーン」では今は無くなりましたよねー。読むの楽しみだったのに…)、11月・12月のところで双葉十三郎さんが “さて終わりに近づいて僕は「シャレード」が一番いい。好きだな、こういうの。ウソばかり言うの。洒落っ気というやつだ。”と述べると、品田雄吉さんも“タイミングの良さ、ただいいセンスというだけじゃないようですね。”と褒めてくださり、それを受けて双葉さんが“ドーネン監督がミュージカルの呼吸でやってるんです。普通の監督がやったら重くてこれだけ調子良くいかない。とにかく楽しい、ということでは近来これほどのものはなかった。”とまたもベタ褒め。双葉先生、ありがとうございます!
さらにその次は小森のオバチャマの文章で63年に活躍した126人のスターのことが述べられており、変わらぬ個性と演技の魅力No.1はオードリー。と書いてます。
それと次には63年のヒット映画が別の方によって語られており(『シャレード』は封切り前なので書かれていない)、好調な年だったけれども、リバイバルでは「ローマの休日」以外はビッグ・ヒットがなかったと書かれて「ローマの休日」の画像が載っています。
まただいぶ飛んで「クレオパトラ」「マイ・フェア・レディ」と大作に立て続けに出演しているレックス・ハリスンの記事が4pあり、そこで「マイ・フェア・レディ」の撮影現場のオードリーとの写真もあります。
岡俊雄さんの批評のページの片隅にある12月→1月の封切りスケジュールでは公開中の作品のランク付けがなされており、“絶対にご覧ください”のAランクには「シャレード」はじめ「アラビアのロレンス」「天井桟敷の人々」「エデンの東(リバイバル)」「エレクトラ」が入っています。
B以下はやっぱり今生き残っているのは少ないのですが、「クレオパトラ」がBになっています。
おふざけページの「トモスコープ」でオードリーのイラストがあった後、だいぶ終わりの方のページで「スターのおうわさ」というところではオードリーのイラストと共に再度ケネディ大統領の暗殺のことで「マイ・フェア・レディ」の撮影が止まったことが書かれています。
さらに次のページでは “やっときれいな顔になったオードリイ・ヘップバーン”という項目があり、そこではキューカー監督が「一番難しいアスコット競馬場のシーンも撮り終えたし、クリスマスまでにはアップするでしょう」と語ったそうです。
でも、ここでもっと重要なのはオードリーの発言。舞踏服を着ていたオードリーは(ということは大使館での舞踏会のシーンの撮影中)
「やっと顔がきれいになりました。歌のナンバーは私も全部録音しましたが、別にソプラノ歌手のマーニ・ニクソンが吹き込んであるのです。どちらを使うかは会社が決めるでしょう。とにかく歌と人物がピッタリ一致するようにと願っています。歌手でない私にとって“一晩中踊っていたい”などの歌はとても難しくて大変でしたが、自分ではベストを尽くしたつもりです。クリスマスまでには終わるそうですから、スイスの家に帰り、メルや坊やと一緒に過ごす休日が楽しみですわ。」
と言ったそう。最後の最後の方までオードリーはほぼ吹き替えられるって聞いていなかったんですね。ほとんどマーニ・ニクソンだと聞いたときは本当にショックだったでしょうね。
でももっと残念なのは、オードリーの歌の完成版があったはずなのに、どうやらどれも現存してなさそうなところ。
今特典やYouTubeで見られるオードリーの声はピアノ伴奏やオードリーの声の入った練習版ですもんね。
経緯に関しては「マイ・フェア・レディ」の副音声で語られていますが、1970年だか1971年だかに権利がワーナーからCBSに移った時に、音源や素材のフィルムなども全てCBSに運ばれたそうですが、テレビ会社のCBSはその価値に気付かず、ほとんど捨ててしまったとか…。
なのでフィルムの修復の際に元の花だけのフィルムが無くて苦労したそうですが、オードリーファンからすると花のフィルム素材よりもオードリーの完成版の歌が失われたであろうことの方がもっと重大!オードリー、必死で練習してたのに!
めっちゃ大きな損失ですよ!これは!!
今聞ける「素敵じゃない?」などのオードリーの歌はワーナーの倉庫から出てきたらしいですし、明らかに練習版だったんですよね。だから「スペインの雨」だけが残ってない。それさえあれば全編オードリーの声で「マイ・フェア・レディ」が出来たのに…と思うと本当に残念です。
発掘された「素敵じゃない?」とか「証拠を見せて」を聞いて、オードリーの声はダメだ、なんていう人がいますが、つい最近まで「今に見てろ」なんかもオードリーの声じゃないと思ってて、“全部吹き替えられた”なんて言ってる人がめっちゃ多かったですしね(今でもまだいるし)。
そしたら完成版だともっと上手に歌ってたと思うんですよね。聞いてみたかったー!ホントにもったいない!
さらに後のページの「ハリウッド通信」ってところではウィリアム・ワイラーが監督するはずであった20世紀フォックス映画「音楽の響き」はワイラーが「集金人」(のちの「コレクター」のこと)を先に開始したい関係で製作を2ヶ月延ばしたいと申し入れたが、フォックスが1964年クリスマス封切りを譲らないため監督を辞退した。フォックスは「ウエスト・サイド物語」のロバート・ワイズを起用し、製作開始を64年3月15日に繰り上げることになった。と書いてあります。
これってもちろん「サウンド・オブ・ミュージック」のことですよね。
「サウンド・オブ・ミュージック」って最初にオードリーにオファーが行ったらしいですけど、監督がウィリアム・ワイラーならオードリーがまず第1候補にあったとしても不思議じゃないですよね。
結局「サウンド・オブ・ミュージック」は65年に公開されていますし、延びるんだったらワイラー監督でもよかったような気もしますけどね。
でももしワイラー監督のままでオードリーが主演だったら…。
63年はオードリーが「ハワイ」(フレッド・ジンネマン監督バージョン)と「卑怯者の勲章」を撮って、64年には「サウンド・オブ・ミュージック」、
ジュリー・アンドリュースは「マイ・フェア・レディ」だったらどうなっていたんでしょうね。
オードリーは撮影時期からも「マイ・フェア・レディ」と「サウンド・オブ・ミュージック」両方撮れた可能性がありますが、ジュリーは「メリー・ポピンズ」と「マイ・フェア・レディ」はどちらか1本だけ。
やはりこれも運命だと感じざるをえません。
ラジオの「映画音楽への招待ベスト10」では“ムーン・リヴァー”が公開からもう2年経っているのに、まだ9位に入っているのが凄いですね〜。
あとはもう記事は無くって、日本通信販売センター芸能部ってとこのオードリーのプロマイドの宣伝。
「シャレード」と「ティファニーで朝食を」のものですけど、この「シャレード」の画像、なんか貴重やん!
「映画の友」誌の販売するキャビネ版写真もあります。最新作「シャレード」のものですけど、ブロマイドでは63年にリバイバルのあった「ローマの休日」と2枚ずつですね。これまた左端の「シャレード」の画像が珍しいやん!
裏表紙はワーナーの広告ですが、“大作主義に徹したワーナーの豪華ラインナップ”と書かれている割には小粒なのが多く、残ったと言えるのは「マイ・フェア・レディ」と「アメリカ、アメリカ」くらいでしょうか。まあ「アメリカ、アメリカ」も今となっては微妙なところですが。
https://audreyhepburn.ko-co.jp/e568731.html
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シャレード,マイ・フェア・レディ,映画の友
Sat, 27 Mar 2021 21:00:00 +0900
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年越し映画マラソン、今年は「マイ・フェア・レディ」。8K版も!
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昨年度のNHK BSプレミアムの年越し映画マラソンで、今年1月1日に「昼下りの情事」「ティファニーで朝食を」「シャレード」(全て再放送も済み)が放映されましたが、今年度の年越し映画マラソンでは「マイ・フェア・レディ」が放映されます。
放送日は12月31日(木)PM1:01〜3:55。
BSプレミアムにて。
今年はミュージカル、山口百恵、そしてちょっとだけ西部劇ですね。サイトはこちらで。
さらに「マイ・フェア・レディ」はBS 8Kでも放映されます。
放映日は1月3日(日)PM3:00〜5:54。公式サイトはこちら。
ブルーレイでも4K版なのに、さらに高画質の8K版で放映です。
「マイ・フェア・レディ」8K版は過去にも放映されていますので、その感想などが既にネットに色々載っています。
こちら、こちら、こちら、こちら
なお、今回もゲッティイメージズ さんから無料の画像をお借りしました。上の画像はニューヨーク初日の写真。物凄いことになってますね!
そして下側↓のは5枚の写真をスライドショーにしています。横にスライドさせてみてください。
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マイ・フェア・レディ,オードリー関連情報
Tue, 01 Dec 2020 21:00:00 +0900
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「マイ・フェア・レディ」1977年リバイバル時 新聞広告
今回は「マイ・フェア・レディ」が1977年にリバイバルした時の新聞広告を紹介。
上映館は神戸の新聞会館大劇場です。当時は1200席超えの本当に名前負けしない大劇場でした。
そんな大劇場だったのに、神戸の東宝系(OSチェーン)では阪急会館(1300席以上)に次ぐ2番手の劇場でした。
まあ阪急会館と新聞会館大劇場は神戸では遜色無い大劇場だった、ということですね。
でも「マイ・フェア・レディ」を2番手にした1番手の作品はなんだったんでしょうね。
東宝の資料室を見てくると、東京と神戸は77年リバイバルは「マイ・フェア・レディ」同時公開。
77年の東京での「マイ・フェア・レディ」は74年リバイバルと同じスカラ座でしたが、その時の東京は有楽座が「さすらいの航海」、日比谷映画劇場が邦画ですが「人間の証明」。
今残ってる度でいくと「さすらいの航海」には勝ったやろーと思っていましたが、意外とこれが3ヶ月近く上映というロングラン。キャサリン・ロス、フェイ・ダナウェーなどオールスター・キャストの大作だったみたいですね。
そして「人間の証明」は松田優作のヒット作。これはしょうがないですね。
以前同じ77年リバイバルの「ローマの休日」の新聞広告の紹介で書きましたが、当時の興行は4週間が1つの基準みたいになっていました。
4週だと水準ヒット、それ以下だとヒットしてなくて、それ以上だと大ヒット、みたいな。
「マイ・フェア・レディ」はこの77年リバイバルは東京で4週上映していますから、まあまあそこそこお客さんは入ったのでしょうね。
少なくとも1977年のリバイバルに関しては3週間だった「ローマの休日」よりは成績は上だった、と。
その東京での様子を見て、神戸では「ローマの休日」は「ふたりだけの森」という二本立てで、しかも300席ほどの“スカイシネマ”で、「マイ・フェア・レディ」は1200席超えの“新聞会館大劇場”での上映となったのだと思います。
初公開時の「ローマの休日」と「マイ・フェア・レディ」の興行成績(配給収入)は、
・「ローマの休日」2億8404万円(当時歴代配給収入1位)、1回目リバイバル(63年)の入らない最終配給収入2億9618万8000円(1965年で19位)、
63年リバイバルの成績込みで4億7119万3000円(67年歴代13位)。
・「マイ・フェア・レディ」7億8867万4000円(67年歴代第4位)。
ですから、圧倒的に「マイ・フェア・レディ」の勝ちなのですが、「ローマの休日」初公開当時は普通作品は2週で終わり、そこそこヒットで3週みたいな時代で、そこで5週と3日というロングランだったのですから、これはすごいことですよね。「マイ・フェア・レディ」の時代なら、長期ロングランになっていたと思います。
「マイ・フェア・レディ」の方は、有楽座で294日も上映。
シネラマという上映形態で、上映作品がほとんど無いのでいつまでも上映していたのは別として、通常作品で長期ロングランが始まったのは1959年の「ベン・ハー」からじゃ無いかと思うのですが、「ウエストサイド物語」や「アラビアのロレンス」という超ロングランを差し置いての当時歴代第4位はこれまた「マイ・フェア・レディ」も凄いですよね。
初公開時に「マイ・フェア・レディ」より配給収入が多かったのは、10億円超えの「007/サンダーボール作戦」、10億円弱の「ベン・ハー」、9億円の「史上最大の作戦」だけというのが凄いですね。
ちなみに「マイ・フェア・レディ」の下の5位は「クレオパトラ」(7億7000万円)と書いてるのと、「ウエストサイド物語」(7億8500万円)というのがありますが、どっちでしょうね。
この77年リバイバルは僕が最初に見た「マイ・フェア・レディ」になります。母親と一緒に行きましたが、映画を観終わって感激していた僕が母親に「すっごい良かったよね?どうやった?」って訊くと「別に」と答えたので、その後何十年も一緒に映画に行くのが途絶えました笑。
最近になって午前十時の映画祭で数回叔母や近所の母のお友達と一緒に行きましたが。
この時、観に行った回が悪かったのか、あんまり神戸ではお客さんが入っていない感じでした。もちろん1200席以上の大劇場ですから、相対的に人が少なく見えただけかもしれませんが。
「マイ・フェア・レディ」は1964年、1969年、1974年、1977年、1981年、1986年、1995年、2015年、2016年と公開されていますから、オードリー作品では「ローマの休日」に次いで日本ではリバイバルが多いです。
https://audreyhepburn.ko-co.jp/e564011.html
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マイ・フェア・レディ,その他グッズ
Tue, 01 Sep 2020 21:00:00 +0900
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「マイ・フェア・レディ」1970年ミニカレンダー
NHKの「よみがえるオードリー・ヘプバーン」という番組ですが、やはり予想通りカズ・ヒロさんのお話で、オードリーは胸像を作る過程で出てきただけでしたね。
それと、番組の皆さんはオードリーの胸像を絶賛してましたけど、僕には2体ともあんまり似てるようには思えませんでした。
部分部分では似ている部分もあるのですが、トータルすると何かオードリーの持つ生命力というか溌剌とした感じが完全に無いのが気になりました。
特に若い方のオードリーは全然生きた感じが無かったです。それにあまりにも西洋人っぽさが前に出てるのも違うかなーと。
後年のオードリーの方はまだ雰囲気はありましたが、オードリーの持つ慈愛が抜け落ちてる感じでしたね。
カズ・ヒロさんには大変申し訳ないのですが…。
今回は1969年にリバイバルされた「マイ・フェア・レディ」の販促物として配られた、1970年のミニカレンダーを紹介。
こういう販促物、昔はよくありましたよね。薬屋さんとかでも配られていました。
サイズはクレジットカードや病院の診察券くらい。
「マイ・フェア・レディ」は1964年12月1日から1965年のお正月映画として東京の有楽座、大阪キタの梅田劇場、大阪ミナミの千日前スバル座から大々的にロードショーがスタートしました。
結果は64年・65年両方の年で配給収入第2位になるほどの大ヒット!
トータルでも当時の日本の全公開洋画の中でも第4位になるほどの特大ヒットになっています。もちろんオードリー作品でも最大のヒット!
そんな超大ヒットの「マイ・フェア・レディ」なので、初公開からわずか5年で1969年の年末に今度は1970年のお正月映画としてリバイバル公開されています。
初公開は東宝で公開されましたが、この1969年のリバイバルは松竹系。リバイバルにもかかわらず、東京では松竹で最も格の高い&収容人数の多い丸の内ピカデリーで公開されています。それだけ期待されていたんでしょうねー。
また実際、出回っている1969年のパンフレット(初公開時と同じ海外版の翻訳物だが、表紙を開くとリバイバル版はアカデミー賞が印刷されている)の数をみると、大ヒットしたんだろうなーとわかります。
そんな期待の「マイ・フェア・レディ」の販促のために用意されたこのミニカレンダー。
1970年といえば大阪万博の年でもありますし、高度成長期の中、日本中が期待で活気に満ち溢れていた頃ですね。
そして裏面の宣伝はCBSソニーの「マイ・フェア・レディ」のオリジナル・サウンドトラック・レコードの宣伝なんですが、CBSソニーって権利元なのに「マイ・フェア・レディー」って最後に伸ばしの棒がついて誤表記になってしまってるのがご愛嬌。
サントラLP盤の値段は2100円ってなってますけど、これ、当時の物価から考えるとそんなに安くはないと思うんですよね。
1969年当時の大卒初任給が34100円だそうなので、レコードも今の価値だと1万2000円超え!?結構 “よいしょ!”と思わないと買えない値段。
当時は家にステレオセットがあることがステイタスの1つでしたから、まあレコードもこういう値段だったんですかね。
ちなみにEP盤も600円、400円になってますから、それぞれ今の3500円、2300円相当。たかーい!
さて、ここでも大ヒットした「マイ・フェア・レディ」、「風と共に去りぬ」のように数年おきにリバイバルしても稼げると思ったのか、この後1974年、1977年、1981年とムチャなリバイバルを繰り返します。
「観客は7年で入れ替わる」と言われるように、たった3〜5年おきのリバイバルは作品を疲弊させてしまいます。
そんなに短期間に何度も来ても、オードリーのファンですら行かなくなりますよね。
最近では「午前十時の映画祭」が10年で6回も「ローマの休日」を取り上げて、作品を疲弊させていましたね。
なので1981年のテアトル東京&大阪OS劇場でのリバイバルなどでは出回ってるパンフレットの数も少ないですし、おそらく相当劇場はスカスカだったと思われます。
同じように「ローマの休日」も1970年、1973年、1977年と超短期間でリバイバルしてて、こちらもどんどんお客さんが減っていったようです。
短期間で何度も公開する配給会社側が悪いのに、結果的に“オードリー・ヘプバーンではもうお客が呼べない”という映画会社側の誤った認識になってしまって、その後オードリーが長い間不遇をかこったのは僕なんかはリアルタイムで感じてました。
再びオードリーが脚光を浴びるのは、85年から「噂の二人」からリバイバルをスタートさせた日本ヘラルド映画さんのおかげですよね。
日本ヘラルドさんは「尼僧物語」「許されざる者」と「ロビンとマリアン」以降の作品を除く、主演14本をリバイバル。
オードリーにパワーがないのではなく、配給会社の興行の方法がマズかったのを見事に証明してみせましたよね。
https://audreyhepburn.ko-co.jp/e546270.html
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マイ・フェア・レディ
Sat, 14 Mar 2020 21:00:00 +0900
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スタンリー・ドーネン監督追悼 「映画の友」1964年5月号
記事の更新が遅れてしまってすみません。
まずは愚痴を…。
午前十時の映画祭10 FINAL、オードリーは「ローマの休日」だけでした…。
結局「ローマの休日」は1年おきに上映されてしまって、午前十時の映画祭の “1度、スクリーンで見たかった もう1度スクリーンで見たかった”というコンセプトからは大きく逸脱してしまったかなーと…。
1回目、2回目、4回目、6回目、8回目、そして10回目のファイナル…。多すぎです!
正直、こんなに何度も何度も「ローマの休日」ばかり上映されるのではちょっと腹立たしいです。
こないだの投票は何だったのでしょうね?
「ローマの休日」が嫌いなのではなく、「ローマの休日」をこんなに粗雑に扱ったことが腹立たしいのです。
もし1回目、6回目、そしてファイナル…くらいだったらものすごくありがたかったのでしょうが、1年おきなんて、有り難味も何も無いです。
おそらく今まで2回くらいしか上映されてなかったら、最後の投票でも希望作品の1位になれるくらいだったでしょうが、あんまり上映しすぎるもので希望作品の人気投票での20位にも入ってない有様。でもそれでも上映。
昔同じように70年代に「ローマの休日」と「マイ・フェア・レディ」ばっかりリバイバルして、すっかり飽きられてた暗い苦い記憶を思い出しました。
「ローマの休日」70年、73年、77年。「マイ・フェア・レディ」69年〜70年、74年、77年、81年。
当然後ろになればなるほど動員数が下がっていき、“オードリーではお客さんが呼べない”と映画会社に思われてしまう羽目に…。
その後は80年代後半に日本ヘラルドが次々といろんなオードリー作品をリバイバルして(トップがオードリー作品で一番ヒットしなかった「噂の二人」!)、しかもそれらが大ヒットを記録していることで、オードリーが悪いのではなく同じ作品ばっかり短期間で上映する映画会社が悪いということがわかりましたが。
年配の方の3年くらい前って、本当につい最近のことなんですよね。特になかなか映画など見に行けない映画館が遠い地方の人にとってはそんなに同じ映画なんて何度も何度も行かないし行けない。
「ローマの休日」も73年リバイバルでは大分ではもう全然お客さんが来なかった、と何かで対談しているのを読んだことがあります。
ましてや午前十時の映画祭では1年おき!本当にこれでお客さんは来るのでしょうか?
何度も何度も上映するので、公式サイトでもみんなから “「ローマの休日」もういいです” などと言われてしまっているのを読むと、本当に悲しくなります。
このように「ローマの休日」を観たい!と思わせるより、もう上映しなくていい!と思わせてしまった“午前十時の映画祭”に対しては、最後にガッカリしてしまいました。そりゃ10年間で6回も上映してたら(全作品で一番上映回数が多い)、作品別の動員数ではトップでしょうけど、1回だけの瞬発力では「ティファニーで朝食を」や「マイ・フェア・レディ」の方が上でしたよね。
オードリーなら「ローマの休日」を上映しとけば文句ないやろ?って選定委員の安易な考えが透けて見えるのがイヤです。
というわけで今年は最後ですけど「午前十時の映画祭10」を応援する気は全くありませんし、上映の日程も上映館も調べていません。
と、長くなりましたが、今回は今年2月21日に亡くなったスタンリー・ドーネン監督の追悼で「映画の友」1964年5月号を紹介。
2月7日に「いつも2人で」の共演者アルバート・フィニーが亡くなったばかりなのに、続けて「いつも2人で」の監督だったスタンリー・ドーネン監督もとは!
スタンリー・ドーネン監督は、「パリの恋人」「シャレード」「いつも2人で」と3本ものオードリー作品を監督。
これは「ローマの休日」「噂の二人」「おしゃれ泥棒」を監督したウィリアム・ワイラーと同數で最多。
オードリー以外では「踊る大紐育」「恋愛準決勝戦」「雨に唄えば」「掠奪された七人の花嫁」「無分別」「アラベスク」などを監督。
オードリーが現役時代から、スタンリー・ドーネン監督はオードリーを最も上手く活かす監督さんだと映画評論家や通のオードリーのファンから言われてましたよね。
作品を思い浮かべていただくとわかるのですが、ドーネン監督の作品はどれもスタイリッシュ!そして写真集「オードリー玉手箱」でも書かれてましたが、それらの作品でのオードリーは笑顔のはじけ方が違う!本当にドーネン監督はオードリーがのびのび演技できるように計らっていたんだなーとわかりますよね。
ワイラー監督やビリー・ワイルダー監督、フレッド・ジンネマン監督の作品を思い浮かべればわかるように、それらはあくまでもその監督の個性が色濃く出た作品。
オードリーはそれらの作品では巨匠と言われる監督の決められた枠組みの中で演技しているのですが、ドーネン監督の作品ではそういう枠組みを超えてオードリーが輝き出しているのが凄いなあ〜!と思います。
でもそれは裏を返せば監督の主張が希薄、とも観る人には受け止められるわけで、凄い作品をいくつも作りながらも、イマイチ監督が表立たない。
フィルモグラフィーでも映画史に残る作品を作っているのにもかかわらず、あんまり1流監督と言われている感じがしないし、巨匠と言われることもない。
「シャレード」はスタンリー・ドーネン監督作品では最もヒットした作品なので、今回その公開後の人気投票の載っている「映画の友」1964年5月号を取り上げました。
最初は「シャレード」の紹介している切り抜きを紹介しようか…とも考えましたが、結局それではただの「シャレード」の紹介に終わるので、こちらにしました。
この号は表紙からしていきなりオードリーですね。「パリで一緒に」のオードリー。バリバリ切り抜きですけど。
まるさんがおっしゃってましたけど、オードリーが最も気に入って長く続けていたロングのアップのヘアスタイルですね。
「噂の二人」の頃から始まって、この「パリで一緒に」、「シャレード」でも撮影前の宣伝写真ではこのヘアスタイルでした。
さらに「マイ・フェア・レディ」の時期もこのヘアスタイル。
結局「噂の二人」撮影開始の61年始めから「おしゃれ泥棒」の撮影が始まる65年夏まで4年以上も基本はこのヘアスタイルだったんですね。
さて60年代前半は日本でのオードリーの人気が文字通り頂点だった頃。オードリーは50年代に人気があったと思われていますけど、一番人気があったのは実は60年代前半なんですよね。
この頃は「映画の友」「スクリーン」両誌で他の全俳優さんを抑えてオードリーが何年連続!ってトップを爆走していました。
この号の中身の最初にオードリーが出てくるのはまず目次。
“あなたが選んだベスト・テン”という大特集でスティーブ・マックィーンと並んで写真が載っています。もうここで誰が1位なのかはわかってしまいますよね。
カラーグラビアでは人気投票に選ばれたスターがポートレートや新作のスナップで1人1ページ以上使って紹介。
せっかく投票してもまとめて何人かで1ページという体たらくの今の「SCREEN」に見習って欲しいです。
オードリーはカラーグラビアの最後に登場!撮影が終わったばかりの「マイ・フェア・レディ」の今となっては貴重なカラー写真。横のページも「マイ・フェア・レディ」。そしてページをめくるといよいよ公開が間近の「パリで一緒に」の4ページにわたる単色グラビア。
これ、めっちゃもったいない使い方!だと思ってしまいます。
オードリーって後年には1年1作ペースって言われて、僕もそう信じていましたが、撮影時期がわかると実は案外まとめ撮り的な感じだったんですよね。
「パリの恋人」と「昼下りの情事」、「尼僧物語」と「緑の館」と「許されざる者」、「ティファニーで朝食を」と「噂の二人」。
そしてこの時期の「パリで一緒に」「シャレード」もほぼ連続撮影だし、約半年開けて「マイ・フェア・レディ」にも撮影突入。
こうなると当時の雑誌は大変ですよね。前の作品が公開されてないのに次の作品が撮影に入ってしまって、でも同じスターを紹介するにはページに限りがあるので、紹介されなかった画像も多いんだろうなーと思ってしまいます。あ〜勿体無い!
62年の夏に「パリで一緒に」を撮って、秋から冬にかけては「シャレード」。63年の夏頃には「パリで一緒に」も公開されると思われてたので、春頃には「パリで一緒に」と「シャレード」が入り乱れてました。
と思ってたら63年の夏からは「マイ・フェア・レディ」も撮影突入なので、63年秋〜冬になると結局公開されなかった「パリで一緒に」、公開間近の「シャレード」、最新作の「マイ・フェア・レディ」と三つ巴のページ争い。
これら3つは配給会社も「パリで一緒に」パラマウント、「シャレード」ユニバーサル、「マイ・フェア・レディ」ワーナー・ブラザースと全部違いますしね。
うーん、本当に1年1作なら紹介しやすかったんでしょうけど、この固め撮りは本当にもったいない!本来なら紹介されるべき写真が埋もれたんでしょうねー。
この64年5月号(64年3月21日発売)になると、既に「シャレード」は公開されているので(全国で公開中)、ページ争いからは脱落してるのでしょうけど、本来なら「シャレード」が公開された直後なんで、もっと画像があってもいいのにね〜と思います。
その後もいろんなスターのグラビアが続いた後に“あなたが選んだベストスター”に関して秦早穂子さんと淀川長治さんという映画評論家のお二人の対談。
そこでのオードリーに関しては
淀川:予想はしておりましたが…あなた…断然…まったく…ヘップバーンでしたよ。
秦:やっぱり、そうですね。
淀川:これでオードリイは六回連続トップ。
秦:何というのでしょう…オードリイというスターは、男の人でも、女の人でもが、抵抗感がなくて受け入れられるその上、プラスアルファのなにか…ほんとうにあこがれ的なのですね。
淀川:もう神サマですよねえ。
秦:それに役どころによって、それぞれに、すっきりとした色気がありますね。「シャレード」だってそうでしょ。オードリイを見ると何か現代のおとぎ話のプリンセスが出てきたみたいに…映画を見る夢を与えてくれるんじゃないかしら。夢のある人。
淀川:「ティファニーで朝食を」のコールガールだって…あんなに。
秦:他の女優さんがやったら見ていられないと思うの。
淀川:えらい個性ですねえ。いつ見ても、開きかけのピンクのバラみたい。
秦:ほんとにそう。
淀川:ところが彼女ことし三十四歳。日本の明治大正ならもう三十四なんてオババですよ。(笑)
秦:私このまえ彼女と初めて逢ったとき、ほんとうはこの人ずいぶん年をとっているのに…そう思ったんです。それなのに…きよらかな少女の匂い、そして女の匂い、…それがミックスされてそのくせいやらしくなくって…やっぱり「スター」だなあ、「女優」だなあと思って感心したんです。
淀川:オヤどこでお逢いになったのです。
秦:パリで。
淀川:その時は何をしていたのです。
秦:「パリで一緒に」のときです。そばにウィリアム・ホールデンもいたんです。ところが、こちらはオードリイとばかり話したいでしょ。だから彼から親切にしてもらってもうわの空で。すると、おれは人気がないのだろう…そんな顔するもんですから、私、エイガノトモ、そう言って話しかけると(中略)ごきげんを取り戻しました。
(中略)
秦:彼女、フランス語もできるでしょう。それでアメリカ人のスタッフが言葉のことで困っていると、通訳なんかもして…落ち着いて、威厳があるの。撮らないときは、片すみでじっとしていて、ちょっと近寄れないんです。
淀川:級長さんみたい。
秦:撮影が終わるとスタジオの中にある自動車のできそこないみたいな…
淀川:トレイラー・ワゴンでしょ。
秦:そう、それみたいなところに行って、そのちょっとの間をジッと寝ているの。インタビューしたいのですがと言うと、ちょっとお待ちください。ちょっと横になって…あと十分でと…そしてほんとうに十分たつと出てくるの。
淀川:まあ。
(後略)※原文のまま。
文章が多いですねえ。今の「SCREEN」だとほんの数行だけですもんね。
でもこの文章の中で、オードリーは10分と言ったら、本当にきっちり守って出てきてくれるんですね。さすがですね。
オードリーの得票は1532票。
今では全く知られていないスザンヌ・プレシェットが2位で736票ですから、本当にダブルスコア。
ちなみに男優1位のスティーブ・マックィーンも847票でこれまたほぼダブルスコアですから、いかにオードリーが群を抜いていたかがわかりますよね。
他ではオードリーと共演した男優さんでは「アラビアのロレンス」が出たピーター・オトゥールが5位、アンソニー・パーキンスが8位、バート・ランカスターが10位、ジョージ・ペパードが11位、グレゴリー・ペックが14位、ヘンリー・フォンダが16位、ケイリー・グラントが18位、ショーン・コネリーが26位、そしてシャーリー・マクレーンが女優の15位です。
今ではオードリーと共演した俳優さんが「SCREEN」の人気投票で入ることはありませんが、この当時はみんな人気者だったんですね。
でも「麗しのサブリナ」の頃に1位だったウィリアム・ホールデンはこの時点で、もう30位にも入っていないと淀川長治さんがビックリしています。
作品では前年に初めてのリバイバルがあった「ローマの休日」が6位、「シャレード」が8位に入っています。
さて監督のベスト10ですが、「ローマの休日」のリバイバルがあったウィリアム・ワイラーが2位、ビリー・ワイルダーが11位。
でもスタンリー・ドーネン監督は「シャレード」が有ったにもかかわらず57票、28位。
作品はとても気に入られているのに、監督の腕はあまり評価されていないんですね。これがスタンリー・ドーネンの弱いところ。
監督最大のヒットを飛ばした会心の「シャレード」だったのに、やっと28位とは可哀想ですね。
映画音楽では「シャレード」が7位。1位は「禁じられた恋の島」だそうですが今となっては全く知りません。2位に「アラビアのロレンス」、3位に「大脱走」と現在でも映画音楽の定番曲が入っています。
その後のページで “アメリカ女優変遷史その5”というページがあって、オードリーは全く関係ないのですが、そこでハッとしたのがポール・ニューマンの奥さんだったジョアン・ウッドワードのところ。
“どうも彼女は名作に恵まれていないのは気の毒である。「クレオパトラ」なども、最初のプランどおり、彼女が演じていたら”と書かれていました。
「クレオパトラ」が最初はジョアン・ウッドワードで考えられてたことも驚きですが、それよりも“名作に恵まれていない”というのが一番ハッとしたところ。
オードリーは当たり前のように代表作・名作を連発・量産していましたが、これは本当に稀有なことだというのに気付かされたんですよね。
どれかのパンフレットで、オードリーに関して “代表作のリストが増える一方” なんて書かれていましたが、ホントにそうですよね。
それだからこそ今でも現役のスターたちを抑えて人気投票でも変わらずトップにいられるわけですし。
でもオードリーの作品の1つでもいいから欲しい!と思ってたスターは本当に多かっただろうなーと思います。
今じゃオードリー作品ではマイナーな方の「戦争と平和」1本あれば、絶対に普通の女優さんでは最大の代表作でしょうし。
同時代のエリザベス・テイラーやグレース・ケリーやマリリン・モンローも無駄遣いされている作品が半分くらいあるのに比べると、本当にオードリーって作品にも監督にも愛された、恵まれた俳優だったんですね。
アカデミー賞のドタバタのページではオードリーはいないものの、「風と共に去りぬ」でオスカーを受け取るヴィヴィアン・リーが。
なんでも39年のアカデミー賞で最多受賞の「風と共に去りぬ」のスターやスタッフが一堂に並んだ記念写真で、誰も知らない野次馬の男が1人混じっていたそうです。
そこには1963年度作品のアカデミー賞のノミネート作品も載っています。
「シャレード」が脚色賞と主題歌賞にしかノミネートされてないのに、映画史上最もお金のかかった駄作(あるいは凡作)として有名な「クレオパトラ」が作品賞はじめ9部門でノミネートされているのがウソでしょ!?と思っちゃいます。
この号でも公開中の「クレオパトラ」の評価がBになっています。
さて、「パリで一緒に」のグラビアページにも本文の近況の所でもオードリーがオットー・プレミンジャー監督の「天才(ザ・ジニアス)」という作品が次回作に決まったと書かれています。
ロケ地は「許されざる者」と同じメキシコとのこと。
でもこれが撮影されなかったのは皆さんご存知の通り。
はて。オットー・プレミンジャー監督とオードリーというと「枢機卿」という映画が依頼されていたことは知っていましたが、この号にもう既に「枢機卿」の新作映画紹介が載っているのでそれでは無い。
オットー・プレミンジャー監督のフィルモグラフィーを見てもそれらしき作品はない。
結局これはオードリーが蹴ったことによって制作されなかったんでしょうね。60年代終わりから70年代前半にかけて、オードリーが首を縦に振らなかったことによって制作されなかった作品というのはいっぱいありますしね。
オードリーは「マイ・フェア・レディ」バッシングの後、「おしゃれ泥棒」まで1年8ヶ月くらいお休みしてたんですよね。
音楽のページでは、「映画音楽への招待」と「S盤アワー」というラジオ番組の最新のベスト10が載っていますが、前者で「シャレード」が1位、後者で2位になっています。
「映画音楽への招待」はさらに後ろに半ページを使って文章も載っていますが、そこでは“圧倒的な女性間の支持を得てトップの「シャレード」は先月と同じ”と書かれていて、オードリーの写真も載っています。
本当に当時「シャレード」は音楽も大人気だったんですね。
最後にオードリーが出てくるのは「映画の友」サービス部のポートレート。「シャレード」のオードリーが販売されています。
名作場面集というキャビネ3枚1組の作品集では「シャレード」がABCと3タイプもあることがわかります。
これを上回るのは「荒野の七人」と「ウエストサイド物語」のABCDの4タイプのみ。
いかに「シャレード」が大好評だったかがわかりますね。「ローマの休日」や「風と共に去りぬ」や「太陽がいっぱい」でもABの2タイプ。「ティファニーで朝食を」はAだけの1タイプのみです。
でも3枚1組って少なくない?後年FOXスクリーンフレンドでは20枚や30枚1組で売っていたことを考えると(「おしゃれ泥棒」や「いつも2人で」という20世紀フォックスの作品は100枚1組、なんてのもあった)、全然物足りないなーと思ってしまいます。
https://audreyhepburn.ko-co.jp/e500009.html
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パリで一緒に,シャレード,マイ・フェア・レディ,映画の友
Wed, 03 Apr 2019 18:00:00 +0900
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「マイ・フェア・レディ」初公開時「映画の友」広告
今回は「映画の友」1964年12月号の裏表紙を紹介しながら、そこから見えてくることを書きたいと思います。
今回本誌全部ではなく裏表紙だけっていうのは、既に切り抜いていてこれが単体でしか残っていないから。
中身にも「マイ・フェア・レディ」はいっぱいあったと思うのですが、それらも切り抜きになってしまっているので、どれがこの号かがわかりません。
12月号ということは1964年10月21日発売ですね。
そして「マイ・フェア・レディ」が日本初公開されたのが12月1日。
この広告の下の方にも書かれていますが、日本で最初に公開したのは東京の有楽座と大阪梅田のスカラ座と大阪難波の千日前スバル座の3館。
その後12月26日に名古屋毎日ホール大劇場と福岡スカラ座と札幌の松竹座で公開されることになっています。
そしてそのあとに日本各地の都市の東宝系の一番大きな劇場で上映されたと思われます。
なので、1965年3月号(1965年1月21日発売)に付いていた人気投票の締め切りまでに見ることが出来たのは上記東京・大阪・名古屋・福岡・札幌とその周辺の都市(東京なら横浜・千葉、大阪なら神戸・京都など)だけだったと思われますが、それでも「マイ・フェア・レディ」は読者の人気投票で「スクリーン」では第3位、「映画の友」では第4位。オードリーは両誌ともに第1位になっています。ものすごい人気だったんですね。
今は映画は日本全国で同時に上映スタートするので若い方などは知らないかもしれませんが、昔は映画はまず東京の銀座・有楽町周辺の各映画会社の最も格の高いチェーンマスターの映画館で上映された後、各都市に降りて行く、という形態が普通でした。
“ロードショー”という言葉も、今では映画の封切りだと思われていますが、昔は文字通りロードを行くように順々に公開されることを意味していました。
まず東京のチェーンマスターの映画館で動員数などを確かめて、それから地方でどういう規模や映画館で上映されるかが決定されていました。
もちろん昔から例外は有って、「ローマの休日」の日本で最初の封切りは佐世保富士劇場だったり、「緑の館」は東京よりも大阪の方が早かったとかっていうことはあります。
さて1965年のお正月映画で最も期待の超大作「マイ・フェア・レディ」ですが、最初の封切りが東京は有楽座だけなのに対して、大阪は梅田のスカラ座とミナミの千日前スバル座の2館…。
不思議ですねー。1965年の国勢調査では東京677万人に対して大阪は人口のピークだったそうですが、それでも316万人。ほぼ倍の差があります。
普通で考えたら東京2館、大阪1館と逆でも良さそうですよね〜。
…とこれでわかるのが実は大阪の事情。
関西以外の方はわからないかと思いますが、実は大阪には2つの顔があります。
1つは「秘密のケンミンshow」などのテレビ番組でイメージされるようなコテコテの大阪人(関西全体ではないので、あえて関西人とは書きません)。
それは実はミナミと呼ばれる難波や天王寺を中心とした地域。
そしてキタと呼ばれる大阪駅や梅田駅の周辺は実はオシャレで垢抜けているイメージ。
最近は特に大阪駅周辺の再開発が進み、京都や神戸からも多くの人が訪れているように、さらに洗練の度合いが高くなってきました。
今でこそ神戸からは阪神や近鉄1本で難波まで行けるようになりましたが、昔は神戸・芦屋・高槻・京都などの北側の都市からミナミへ行く為には、大阪駅で地下鉄に1度乗り換える必要があったので、よっぽどのことがない限りミナミには出ないことが多かったです。
そんなこともあって、東京には結束して対抗しても、大阪の中では譲れなかったのかなーと思います。それでなぜか大阪では2館。
その大阪での上映館も、梅田スカラ座は東宝の直営、千日前スバル座はオーエス映画株式会社という別会社。
1500席を超える北野劇場などを有する東宝と、シネラマも上映出来た超巨大劇場のOS劇場を有するオーエス。
どちらも65年最大のお正月映画「マイ・フェア・レディ」を譲れなかったのでしょうね。
ただ、東宝もOSも阪急電鉄や阪急百貨店、宝塚歌劇団などを作った小林一三氏の創設です。
小林一三氏といえば、娘はサントリーの創業者の所に嫁ぎ、さらにその息子はサントリーの会長に。息子の娘(孫)は三菱グループ幹部と結婚、息子や孫は東宝や宝塚歌劇団の歴代の社長や会長を歴任、さらにひ孫には松岡修造氏がいると言う、文字通り華麗なる一族。
さてそんな大阪2館という、一見無駄に思える上映でしたが、このおかげで有楽座と大阪スカラ座はアメリカ版の豪華「マイ・フェア・レディ」のパンフレットの翻訳版が劇場で映画パンフレットとして売られましたが、千日前スバル座ではこの時期にはすっかり廃れていた劇場オリジナルの映画パンフレットが制作されました。
これがめっちゃ貴重!オードリーの作品で最も入手困難な映画パンフレットの1つになっています。
なおwikipediaでは東京の日比谷スカラ座のところに1964年に「マイ・フェア・レディ」が上映されたことになっていますが、もちろんいつも通り大間違い。
初公開時のスカラ座は大阪の梅田スカラ座。
おそらく「マイ・フェア・レディ」の映画パンフレットで“スカラ座”と書かれたものがあるから適当に書いたのでしょうが、それは1974年・1977年のリバイバル時の時の物。1964年には日比谷スカラ座では上映されていません。
ついでに言うと、1965年のところに書かれている「サウンド・オブ・ミュージック」も1965年に日比谷スカラ座では上映されてません。
「サウンド・オブ・ミュージック」は初公開時は松竹系の上映で、丸の内ピカデリーが正解です。日比谷スカラ座での上映は1970年のリバイバルの時。
当時の資料、および東宝の公式サイトでもきちんと「マイ・フェア・レディ」は有楽座で上映されたことになっています。
だいたい、70mm映画の上映は当時機材があった有楽座でしか無理なはずです。本当にウィキペディアは間違いが多いですねー。
※この記事を読んでいただいたtakeさんにWikipediaを訂正していただきました。
現在は日比谷スカラ座の欄の64年からは「マイ・フェア・レディ」が、65年の所からは「サウンド・オブ・ミュージック」が削除されて、リバイバルの年に移されています。ありがとうございました!
https://audreyhepburn.ko-co.jp/e498231.html
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マイ・フェア・レディ,映画の友
Sat, 23 Feb 2019 21:00:00 +0900
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発売予定「マイ・フェア・レディ」2枚組レコード
「マイ・フェア・レディ」の2枚組LPレコードのサントラが限定版で出るそうです。
発売は8月5日だか12日だか。どちらにしてももうすぐですね。
なんだか未発表曲11曲を加えて180g重量盤だそうですが、曲の詳細はまだわかりません。
アマゾンでも既に注文出来るようになっています。
2種出てますが、どちらも同じ物かと。
でも片方はディスク枚数が1になってて、ちょっと怖い。
しかし…発売自体は嬉しいんですが、なぜにレコード??
CDの方が扱いが楽でいいんやけどなー…。
11曲の未収録曲が興味ありますね。
オードリーの歌うバージョンの全曲が収録されているとか、ジェレミー・ブレットの声での「君住む街で」とかが収録されていれば買い!なんですが、ちょっとわからないのが手を出せないですね。
あーでも限定だし、ぼやぼやしてると無くなるかも…!悩む〜〜!
ちなみにカラーレコードで、「マイ・フェア・レディ」らしいピンクですね。
追記:ドイツアマゾンで曲の詳細が出ていました。それによると、全27曲で内容は今までのサントラ新盤CDと全く同じ物。11曲の未発表曲というのは、“今までレコードには収録されていなかったもの” という意味のようです。というわけで、特に買わなければならないものではないみたいです。
https://audreyhepburn.ko-co.jp/e357022.html
https://audreyhepburn.ko-co.jp/e357022.html
マイ・フェア・レディ,サントラレコード,オードリー関連情報
Wed, 20 Jul 2016 22:00:00 +0900