2024年04月08日

宝島社ムック本「オードリー・ヘプバーン『永遠の妖精』の素顔」

 「ローマの休日」吹替版の公開が始まりました!上映期間が1週間しかないところが多いので、鑑賞はお早めに!さらに12日からは「マイ・フェア・レディ」が1週間、26日からは「ティファニーで朝食を」が“午前十時の映画祭14”で2週間、全国で公開されます!

 今回は出たばかりの宝島社のTJ MOOKというムック本、「Legenf Star Graffiti」の「オードリー・ヘプバーン『永遠の妖精』の素顔」という写真集をご紹介。

 2009年にも宝島社は別冊宝島「オードリー・シネマスタイル」というDVD付きのムック本を出していましたので、作り方もサイズもそんな感じかと思って買いましたが、届いてビックリ!

 サイズはA4だし、表紙はしっかり巻いてあるものだし、中身の紙もしっかりしたマットコートだしで、ペラッペラだった「オードリー・シネマスタイル」とは全然別物。

 そういえば表紙もゴチャゴチャして品のない感じだった「オードリー・シネマスタイル」とは違ってスッキリしています。
 かなりな好印象。

 でもオードリーの写真集って、★★★★とか★★★★★とか取るのはほんっとに難しい。

 なんといっても国内外でオードリーの写真集・特集号は100冊以上出版されているので、その中でその本だけの個性を出せなかったり、レアな写真を揃えられなければ結局平凡な出来に終わって埋もれてしまうんですよね。

 このムック本も、やっぱり★★★★にはできない。

 表紙には“秘蔵写真で振り返る真実のオードリー”って買いてますけど、その秘蔵写真ってのがあまりにも少ない。
 もちろんほんの少しだけ珍しい画像もあるのですが、あとはほぼどこかで見た画像。

 それと、オードリーにそれほど詳しくない人が編集すると起こる、写真の間違いやキャプションの間違いがここでも気になります。
 あー、この人絶対オードリーのことあんまり知らないんだろうなーってわかってしまいます。

 これも、画像を借りるレンタル写真素材のところのキャプションが既に間違っているのだろうなーと思うのですが、一応“使用する際はご確認ください”と注意書きがあるのですよね。
 でもオードリーに詳しくなければ、それをそのまま鵜呑みにして載っけちゃう。

 本来最も詳しくないといけないはずの映画雑誌の「キネマ旬報」のオードリー特集でも、やはり鵜呑みにした編集者が、どう見ても「シャレード」の画像なのに、「暗くなるまで待って」として写真素材のアフロのそのままのキャプションで載せていたのには、映画雑誌としての矜持はどないなっとんねんとガッカリしましたが、今回は映画とは直接関係のない宝島社ですもんね。

 まずは12p「バレリーナ〜演劇人へ」のメインで「女優への道を歩み始めたころのオードリー」ってページで載っているのは「パリの恋人」のオードリー。
 いやもう、これ、明らかに初期のメイクと違うやん!髪はポニーテールで眉はキリリとまっすぐに濃く、アイラインもしっかりと口紅の色も濃い。

 後半の初期作品が集まっているページを見れば、この写真だけが化粧の仕方が違うやん!って丸わかりなんですけどね。
 初期のイギリス時代〜「ジジ」のメイクはあくまでも薄く、アイメイクもほとんどなく、眉毛も細くて丸い中で、どう見ても違うんですよね。

 これはオードリーにちょっと詳しい人なら誰が見ても「パリの恋人」ってわかる有名な画像。これを初期のオードリーだって載せちゃうのが、もうね。

 まあ「パリの恋人」だってハリウッドでは初期ですけど、次のページを思わず確認すると「ローマの休日」〜メル・ファーラーと結婚ってなってますんで、明らかに「ローマの休日」以前だと思って載せてますよね。

 次に38pの「ブラックドレス」のページで、やはり白黒写真を持ってきて“はい、ブラックドレスです”ってのをやってしまってます。
 僕はこのスカート持ってる53年〜54年ごろの写真の本当のカラーって見たことないんですけど、どこからブラックだってわかったんでしょうかね。
 その横のジバンシィのカクテルドレスも怪しいです。

 過去に同じ間違いを「週刊オードリー・ヘプバーン」第8号(目の覚めるようなブルーの衣装をブラックとホワイトだと掲載、カラー2色の縞模様のカットソーを白黒だと掲載)やクレヴィス社の写真集(ピンクのシャツと赤のパンツをホワイトシャツとブラックのパンツだと掲載)でもやってましたけど、またですか!って感じ。

 ブラックドレスとして載せたかったら、有名なドレスでもない限りカラー写真を持ってくるのが最低限の常識ってもんでしょう!
 知らないのに知ったかで書くのは、編集者として本当に恥ずかしいです。

 オードリーって、「ティファニーで朝食を」でブラックドレスのイメージがついちゃってますけど、本当のオードリーはいろんな色の洋服を着てました。
 今となっては街中を歩くのはちょっと勇気のいる色でも、50年代〜60年代は女性の着る色としてカラフルなのが当たり前でしたからね(逆に男性が着る色が派手になったのは60年代後半からですね)。

 42pの「ストライプアイテム」のページはパッと見「いつも2人で」で統一したのかな?と思ったんです。ところがキャプションでは左上の画像のキャプションは「1964年のオードリー」って書いてある!

 これまた髪型といい、メイクや衣装の感じといい、どう見ても「いつも2人で」やーん!
 1964年って「マイ・フェア・レディ」撮り終わったあとでしょう?その頃のオードリーって髪型もメイクもまだ「マイ・フェア・レディ」してるころですがなー!

 オードリーがこの髪型にしたのは「おしゃれ泥棒」の撮影入る直前から。そしてこの写真の撮影は夏で、「いつも2人で」の宣伝写真にも入ってますがな!

 あとひとつ、作品紹介のページで「若気のいたり」の画像が「初恋」のものになってます。

 これ海外の写真集などでもよくやってる間違いなんですけど、写真素材のキャプションを鵜呑みのまま載せて、本当に著者が「若気のいたり」を見てないんだろうなーってわかりますよね。本当にオードリーのファンなのか、にわかなのか、みたいなのがここでバレる、みたいな。

 「若気のいたり」のオードリーって、だいたい髪の毛短いんですよね。こんな「初恋」のカツラみたいに長くない。
 だいたいこの編集者は「初恋」すら見たかどうかアヤシイ…。

 それに今に至るまで「若気のいたり」の宣伝写真のオードリーって見たことないです。
 宣伝写真がないもんで、正しい画像を載せている本は映画から直接キャプチャーしたものになっています。

 あと、この作品紹介のページの使い方も疑問に思うことがチラホラ。

 この編集者さんの好きなオードリーでページが割かれているのか、「ローマの休日」「麗しのサブリナ」「ティファニーで朝食を」「マイ・フェア・レディ」が4pぶん、「パリの恋人」「昼下りの情事」「シャレード」が2pぶんなのはまだいいのですが、それ以外がちょっと僕にはわからない。

 1pぶんが「モンテカルロへ行こう」「戦争と平和」「許されざる者」「おしゃれ泥棒」(ただし最下部に「おしゃれ泥棒2」も載っている)はまだしも、「華麗なる相続人」で、“え?”っとなって、「庭園紀行」と「映画オードリー・ヘプバーン」も1pで“えええ??”。

 半ページが「尼僧物語」「パリで一緒に」「暗くなるまで待って」「ロビンとマリアン」「オールウェイズ」ですよ?
 さらに言うと「緑の館」「噂の二人」「いつも2人で」なんかは1/4ページ。

 それらが「華麗なる相続人」「庭園紀行」「映画オードリー・ヘプバーン」に負けている(オードリー的に価値が低い)とは到底思えないのですよね。

 この違和感はその後に続く「共演者たち」「監督たち」でも感じます。

 共演者ではハンフリー・ボガートやヘンリー・フォンダは載っていても、ウィリアム・ホールデンは無し。
 映画史的にはともかく、オードリー史的にはホールデンの方がずっと重要。

 監督でもワイラー、ワイルダーと来て、めくるとテレンス・ヤングにスピルバーグ。
 えーーっ!スタンリー・ドーネンは外されへんやろー!ってオードリーファンなら思いますよね。

 結局オードリーを最も生かしたドーネンではなく、テレンス・ヤングを持ってくるのがこの編集者の趣味に合ってるのかな?と思います。
 そうすると「いつも2人で」の紹介は1/4ページしかないのに、「華麗なる相続人」を丸々1ページ使うのも納得というわけで。

 どうもこの編集者の知らない・自分の好みと合わなかった作品の紹介はWikipediaからの丸々コピペなんですよね。あー、そっかーみたいな。
 そういえば出演作一覧もウィキペディアそのまんまだしね。

 さて、この本の中で一番良かったのは加藤タキさんのインタビュー。

 4ページに渡るものなのですが、今までテレビで1回しか言ったことがない「エクスラン・ヴァリーエ」の打ち合わせで最初にオードリーに会いに言ったらカーラーを巻いたまま出て来たときのエピソード、初めて語られる「庭園紀行」の来日時のエピソードや写真、そしてオードリーからもらったプレゼントの数々やテレビでは一瞬の直筆の手紙などをじっくり見られるのが嬉しいです。

 加藤タキさんもとてもお美しく写っていますし、加藤タキさんの衣装にも、オードリーのイメージにも合わせたかのようなピンクバックも綺麗で、ここがこの本の白眉でしょうか。

 そういえば、裏表紙とかはオードリーのイメージではなく、ティファニーのイメージであるティファニー・ブルーが使われています。

 クレヴィス 社といい、あまりにもこの色使いだとちょっとねー。オードリーのイメージで、オードリーも大好きだったピンク系でやって欲しいものです。

 それと、気になったのがカラー写真の色あせ具合。これが全体に及ぶんですよねー。
 前の宝島社の「オードリー・シネマスタイル」でも色褪せが気になりましたけど、今回も、ですか。レンタル画像の退色の修正とかしないんですね。

 表紙の色もイマイチ。この写真、裏焼きで使われることも多いのですが(この写真集とかこの「SCREEN」とか)、それは今回は正向きで嬉しいのですが、オードリーの顔が紫色っぽくなっており、写真が濃すぎて口紅の色も悪く、肌も日焼け痕みたいになってしまってます。

 あ、宝島社さんに言いましたけど、2刷があれば間違いが変更されるかもだそうです(12pの「パリの恋人」の画像や、「若気のいたり」の画像は変更が難しそうだけど…)。

オススメ度:★★(出版されたのは嬉しいけど、内容は平凡の極み)




(アマゾンのリンク→)https://amzn.to/43QERO9  
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Posted by みつお at 21:00Comments(6)日本の写真集

2024年04月04日

「ローマの休日」上映直前 月刊「パラマウント」1954年4月号

 さて、いよいよ明日から「ローマの休日」の吹替版が上映されますが、今回はそれに合わせてパラマウント友の会発行の月刊「パラマウント」の1954年4月号を紹介。
 表紙はパット・クローリーって方。1作も見たことないな〜。

 1953年は月刊「パラマウント」は15日発売でしたが、1954年になると、1日発行になっています。
 ということで、この号も1954年4月1日に発行されたことになります。

 いやもうこの号は「ローマの休日」推しがすごい!
 表紙周りを入れて全24ページなんですけど、そのうち11ページが「ローマの休日」およびウィリアム・ワイラー関連。

 ここでは画像を紹介しませんが、グラビア2ページのあとの本文最初のページでもパラマウントファンクラブの運営責任者が本国アメリカのパラマウントに宛てた手紙をそのまま紹介してるのですが、そこでも「ローマの休日」とオードリー・ヘプバーンが公開前から日本を席巻していること、とても期待していることが英語で書かれています。

 そして次のページは “ウィリアム・ワイラーのこと”という見出しで映画評論家の清水俊二さんの文章が2ページに渡って掲載。
 そこではレアな「ローマの休日」のオードリーの画像が見れます。

 今でこそ、「ローマの休日」は赤狩りに対抗したワイラーの作品であったことが語られていますが、初公開当時は全く知られていなかったこと。
 それでもこの清水俊二氏は “材料としてはとくにとりあげて云々すべきものが一つもないのに、できあがったものはいかにもワイラー作品らしい名作になっている”と評価しています。

 それに続いて、

“ものを云っているのはワイラーの演出だけというわけである(もちろん、オードリー・ヘップバーンの存在を忘れるわけにはいかないが、オードリーの素質をあれだけ生かしたのはやはりワイラーの演出である。) その演出もどこといってハデな手法がもちいられているわけではない。あくまでも正攻法でおしていって、えがくものをあやまたずにえがき出しているのである。喜劇のなかにかぞえられる作品でありながら、その気品と風格とに堂々としておかしがたいものがあるところなど、ウィリアム・ワイラーの面目をはっきりあらわしているものと云えよう。”

と書かれています。文章の最後は

“「ローマの休日」のウィリアム・ワイラーの演出がすぐれていることがはっきりわかるはずである。”と締めくくっています。

 赤狩り云々は興味ある人が考察すればいいこと。赤狩りを考えない人は「ローマの休日」を楽しんではいけない、ということではないはずです。ウィリアム・ワイラーももちろんそんなことは考えろとはその生涯で一言も言っていません。

 赤狩りなど全く考えなくても、「ローマの休日」はやっぱり傑作なのですよね。

 オードリーが亡くなった時の“キネマ旬報”の追悼特集号で、山田洋次監督がかちんこ係だった時代に「ローマの休日」のどこがいいかわからなくて、ついていた渋谷実監督に訊いてみたところ、

「例えばあのラストシーンを思い出してごらん。あの記者会見の場面でオードリー・ヘップバーンとグレゴリー・ペックの間に交わされる会話には愛に関するセリフは一言もないのに、観客はワンカットワンカットに二人の愛の言葉を聞いているんだよ。あれが演出というもんだぜ。」

 と言われたこと。劇場で「ローマの休日」を見直して、渋谷実監督の言うとおりだった、映画とはこういうものなのかと考えさせられた、と書いています。

 僕などは素人なので、渋谷実監督のように具体的にはこれが凄いのだ!なんてことは言えませんが、それでも「ローマの休日」の持つ輝きというか凄みというか格が違う感は感じ取れますよね。

 次からは4ページ使ってウィリアム・ワイラー監督作品のリストが載っています。最初に「ローマの休日」の画像もありますね。
 戦前の一部の作品には評価も書いてくれていて、なじみのないものは実際に見た人が書いてくれているのが興味をそそります。

 今や遠くになりにけりの第二次世界大戦ですけど、1954年当時の1930年の作品など、現在2024年において2000年の作品を語っているようなものですから、大人の人にとってはついこの間の映画ですもんね。

 この作品リストの最後はもちろん「ローマの休日」なのですが、ここでは3月に発表のあったアカデミー賞がもう載っています。
 そしてその下部には「日本のオードリー・ヘップバーン募集」という記事が!

 当時、ヘップバーンカットのコンテストなどもありましたが、ここでもこういう催しがあったのですね!

 ここでの条件は、1:18才〜24才の未婚の女性、2:身長150cm(以上?)、3:キャビネ写真2枚(全身と横顔)、4:本人の履歴書、となっています。締切は5月31日。

 審査は3次まであり、1次審査は6月上旬ブロック別の写真選考。2次審査は新聞社も交えたブロック別の面接で1位を選定、計10名。最終審査は6月中旬に東京の日比谷公会堂または共立講堂で地区代表の決戦。アンコールで「ローマの休日」上映あり。

 審査員は13人で、中には宇野重吉、香川京子、水の江瀧子、淀川長治らの、名前を知っている面々も入っています。

 賞金は無いみたいで賞品なのですが、
 日本のヘップバーン賞(1名、優勝)は服装ひとそろい、ダイヤモンドリング、森永チョコレート1年分、東京招待。
 準日本のヘップバーン賞(1名、第2位)は服装ひとそろい、ダイヤモンドリング、森永チョコレート半年分、東京招待。
 地区優勝者(8名)はオパールリング、森永チョコレート1か月分、東京招待。
 地区別候補者(300名)サファイヤリング、ヘップバーン・ブローチ、だそうです。

 それと、最後に “なお、オードリイ・ヘップバーン来日実現されれば「東京の休日」を共に楽しむ”とびっくりすることが書かれています。

 えーっ!この時期にもオードリーに来日してもらう計画があったんやー!とも思いますし、もし来日したとしても、オードリーからしたらこんな自分のあずかり知らぬところで行われたコンテストの入賞者たちと東京をウロウロさせられたらたまったもんじゃないやろうなと思います。なんせオードリーは内向的な性格ですからね。 

 実際にはオードリーの1954年というと2月からは舞台「オンディーヌ」がありましたし、舞台は好評だったので、もしオードリーが体調を崩さなければ7月3日以降ももっとロングランしていたはずですし、体調を崩してはもちろん遠い日本には来れませんし、その後すぐにメル・ファーラーとの交際スタート、9月には結婚とオードリー的には怒涛の予定があったわけで、もちろん来日は叶いませんでした。
 
 次のページは前号で募集がかけられていた “「ローマの休日」に期待するもの”というテーマでの発表が載っています。誰もみなワイラーの演出と、まだ1本も見たことのないのに大騒ぎとなっているオードリー・ヘプバーンという新人に対する期待の文章となっています。

 さらにその次は “ウィリアム・ワイラーについて”という読者投稿、および国際出版社による「ローマの休日」の英和対訳シナリオの宣伝になっています。
 この国際出版社って映画のパンフレットも作っていた会社ですね。

 1954年当時はまだ配給会社が統一の映画パンフレットを作るということはなくて、映画館独自で作成したり、パンフレットの会社も乱立していたりで、「ローマの休日」初公開時にはわかっているだけで13種類もの映画パンフレットが存在しています。

 国際出版社だけでも表紙の違う3種類もの「ローマの休日」初公開時のパンフレットがあるんですよ!
 さらにまだ見つけられていない地方の劇場のパンフレットもあるかもしれません。

 やがて映画パンフレットの会社は淘汰されていって映画パンフレットの種類も減っていくのですが、この国際出版社も早くも次の「麗しのサブリナ」を最後に映画パンフレットが存在しなくなります。

 この英和対訳シナリオってのも同じく「麗しのサブリナ」が最後だったかな?と思うのですが、外国映画出版社や南雲堂ってとこが引き継いで、「パリで一緒に」くらいまではあったように思います。その次の「マイ・フェア・レディ」のは見たことないです。

 オードリーには関係ない“パラマウント・スタジオ・ニュース”という欄で、ヴィスタヴィジョンを発表という記事があります。この方式が「戦争と平和」や「パリの恋人」で使われることになりますね。今でもビスタサイズという名称が残っており、今でも映画はそのサイズで作られることも多いです。今のテレビの縦横比に近いものですね。

 さらに映画雑誌「スクリーン」で50年代〜90年代までよく見かけたブロマイドの春美栄光堂さんが出版していた「スクリーン・ピクトリアル」という雑誌の宣伝も載っており、そこでも “今年のホープ、オードリイ・ヘップバーン”と書かれています。

 さらにこの号では2月に81人も佐世保で1度に入会があったそうで、びっくりしていると書かれています。
 というのも当時の佐世保ナンバー1の劇場である富士映画劇場の支配人がこの友の会のことを地元のファンに話したら、我も我もと入会ということになったそうです。

 そう、この佐世保富士映画劇場というのは日本で1番早く4月21日に「ローマの休日」を公開した劇場です!
 他にも1952年の初公開時に「風と共に去りぬ」を佐世保で上映した劇場でもありますし、その際には劇場独自の映画パンフレットも製作しています。

 人口では1950年には全国で26位、1955年は全国で23位を誇ったパワーのある佐世保市ですから(2020年は93位)、そりゃまあ「ローマの休日」を日本で最初に上映しても何もおかしくないわけです。

 最後の「ローマの休日」は裏表紙の裏(表3)の編集後記に載っています。その最後に、“「ローマの休日」試写を四月上旬東京及び各支部所在地で行います。”と書かれています。

 当時パラマウント友の会の支部がどこにあったのかは知りませんが、友の会の人々は世間より早く「ローマの休日」が見れた、ということになりますね。
  


2024年03月31日

“心躍るミュージカル映画”「マイ・フェア・レディ」上映


(画像はブログなら無料で埋め込めるゲッティイメージズ さんのものをお借りしました。パリでのプレミア上映会でのレックス・ハリスン、オードリー、メル・ファーラー)

 さて、しばらく更新しないうちに書かなければいけない記事がどんどん溜まってきました。
 なので、これからちょっと短い期間で次々記事をアップして行きます。

 さて、今日はまず大急ぎでお伝えしないといけない特集上映について。

 2024年4月12日(金)〜18日(木)の1週間、特集上映“心躍るミュージカル映画”として「マイ・フェア・レディ」「ブルース・ブラザース」「シカゴ(2002年)」の3本が劇場に掛かります。

 上映劇場は少ないのですが、

北海道 サツゲキ
東京 109シネマズプレミアム新宿
東京 グランドシネマサンシャイン
神奈川 ムービル
神奈川 小田原コロナワールド
埼玉 MOVIXさいたま
愛知 ミッドランドスクエア シネマ
愛知 中川コロナワールド
愛知 豊川コロナワールド
岐阜 大垣コロナワールド
京都 MOVIX京都
大阪 大阪ステーションシティシネマ
福岡 小倉コロナワールド

での上映になるようです。
 昨年の“午前十時の映画祭13”で「マイ・フェア・レディ」を逃してしまった方達は今回はお見逃しなく!


(「ローマの休日」でアカデミー賞を受賞した時のオードリー)

 4月5日からの「ローマの休日」の吹替版の上映劇場の情報も出ましたので書いておきます。

北海道 札幌シネマフロンティア
北海道 ディノスシネマズ苫小牧
北海道 イオンシネマ北見
宮城イオンシネマ新利府
宮城MOVIX仙台
山形イオンシネマ米沢
山形イオンシネマ天童
山形イオンシネマ三川
東京丸の内ピカデリー
東京新宿ピカデリー
東京グランドシネマサンシャイン 池袋
東京109シネマズ木場
東京MOVIX亀有
東京イオンシネマ板橋
東京イオンシネマ多摩センター
東京イオンシネマむさし村山
東京イオンシネマ日の出
神奈川 イオンシネマみなとみらい
神奈川 イオンシネマ港北ニュータウン
神奈川 チネチッタ
神奈川 横須賀HUMAXシネマズ
神奈川 イオンシネマ座間
神奈川 イオンシネマ茅ヶ崎
神奈川 小田原コロナシネマワールド(5/10から)
千葉MOVIX柏の葉
千葉イオンシネマ銚子
千葉シネマイクスピアリ(4/12から)
埼玉MOVIXさいたま
埼玉MOVIX三郷
埼玉シネプレックス幸手
埼玉イオンシネマ羽生
茨城MOVIXつくば
茨城イオンシネマ守屋
茨城イオンシネマ下妻
茨城シネプレックスつくば
栃木MOVIX宇都宮
栃木小山シネマロブレ
群馬MOVIX伊勢崎
群馬109シネマズ高崎
群馬イオンシネマ太田
新潟イオンシネマ県央
新潟イオンシネマ新潟西
石川イオンシネマ金沢フォーラス
静岡MOVIX清水
静岡イオンシネマ富士宮
愛知ミッドランドスクエア シネマ
愛知中川コロナシネマワールド(5/10から)
愛知イオンシネマ岡崎
愛知MOVIX三好
愛知イオンシネマ長久手
愛知イオンシネマ豊田KiTARA
三重イオンシネマ桑名
大阪なんばパークスシネマ
大阪イオンシネマ シアタス心斎橋
大阪MOVIX堺
大阪イオンシネマ茨木
大阪イオンシネマりんくう泉南
京都MOVIX京都
兵庫kino cinéma神戸国際
兵庫MOVIXあまがさき
兵庫イオンシネマ明石
奈良シネマサンシャイン大和郡山
和歌山 イオンシネマ和歌山
岡山MOVIX倉敷
広島イオンシネマ広島西風新都
香川イオンシネマ宇多津
愛媛ユナイテッド・シネマ フジグラン今治
愛媛シネマサンシャイン エミフルMASAKI
福岡小倉コロナシネマワールド(5/10から)
福岡ユナイテッド・シネマ福岡ももち
福岡イオンシネマ福岡
福岡イオンシネマ大野城
佐賀イオンシネマ佐賀大和
熊本熊本ピカデリー
鹿児島 シネマサンシャイン姶良

こちらは多いですね。
  


2024年03月01日

今年はTCエンタテインメントさんの吹替版「ローマの休日」上映!

今回の画像の権利は、©️TCエンタテインメントさんになります。
もちろん無断転載は禁止です。

 新しい情報が入って来ました!

 今年もTCエンタテインメントさんから、日本初公開70周年を記念して「ローマの休日」がリバイバルされると情報を教えていただきました!
 公開は4月5日(金)から、新宿ピカデリーほか全国の映画館で!

 そして今年の「ローマの休日」はなんと池田昌子さんの吹替版での上映!

 1979年版のテレビ朝日の吹き替えを使うそうです。これはまたまた上映前後に付くという淀川長治さんの「日曜洋画劇場」でのものですね。

 でもテレビ放映の吹替って、カット部分があって、そこは吹き替えられてないはずなのにどうするんだろう?と一瞬思いましたが、欠損部分は1994年吹き込みの、現在市販されているDVD/BD収録のバージョンを使うのだそうです。

 一部の役の声優さんが途中で変わってしまう違和感はないのかなー?とも思いますが、市販されているものをそのまま流すよりも、これは面白い試み!だと思いました。

 なんといってもこういう上映方法自体がレアで、おそらく今後はないだろうと思いますし。

 池田昌子さんや城達也さんの声も、当然1979年版の方がお若いわけですし、それを劇場で聴けるというのは楽しみですね!
 むしろ去年より今年の方がワクワクしてきました!

 ただし、今回のパンフレットは、昨年のものと同じだそうで、今年バージョンは作られないそうです。残念!

 でもエンボス加工だけの真っ白なパンフレットだったので、映画館でも目立たなかったそうで、今回はポスターと同じ色の帯が巻かれるそうです。

 帯のないのは2023年版、帯のあるのが2024年版として、今回も買おうと思います。やっぱり映画パンフレットは記念品・お土産ですからね。

 そういえば、まだここで昨年のパンフレットの紹介をしていませんでしたね。また2024年版と共に紹介したいと思います。

 掲載したポスターの絵柄は、今年の吹替版のものです。
 昨年のポスターと比べると、昨年は白文字で “制作70周年”と書いてありましたが、今年は黒文字で “日本公開70周年”と書かれており、その横にも日本語吹替版であることが書かれていますね。あと、当然ですが公開日が違います。今回のポスターはこの1種類だけだそうです。

 公式サイトはこちら

 今年はこの「ローマの休日」に続いて、“午前十時の映画祭14”での「ティファニーで朝食を」と4月は連続でオードリーが劇場にかかりますね。

 昨年の「ローマの休日」は、2週間で上映が終わったところもありますので、予定を組んで、お早めにご鑑賞ください。


声の出演 1979年版(テレビ朝日版)

アン王女 …………………… 池田昌子
ジョー ……………………… 城 達也
アーヴィング ……………… 木村 幌
マリオ ……………………… 広川太一郎
大使 ………………………… 槐 柳二
プロヴノ将軍 ……………… 大久保正信
ヴィアバーグ伯爵夫人 …… 幸田弘子
タクシー運転手 …………… 及川ヒロオ
式部官 ……………………… 寄山 弘
博士 ………………………… 緑川 稔
解説者 ……………………… 篠原大作
ジョバンニ ………………… 上田敏也
私服 ………………………… 寺島幹夫
ルイサ ……………………… 沼波輝枝
花屋 ………………………… 村松康雄
ラジオ ……………………… 作間 功
靴屋 ………………………… 峰あつ子
メロン売り ………………… 石井敏郎
フランチェスカ …………… 三浦潤子
女生徒(1) ………………… 永井悦子
女生徒(2) ………………… 相見陽子

<日本語版制作スタッフ>
演出:小林守夫
翻訳:木原たけし
制作:東北新社

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声の出演 補完部分(1994年ソフト版)

アン王女 …………………… 池田昌子
ジョー ……………………… 城 達也
アーヴィング ……………… 大塚明夫
大使 ………………………… 北村弘一
式部官 ……………………… 大木民夫
ジョバンニ ………………… (北村弘一)
キャッシュ ………………… 辻 親八
ウィリー …………………… 有本欽隆
エディ ……………………… 金尾哲夫
マック ……………………… 山寺宏一
イアン ……………………… 島香 裕
リカルディ ………………… 礒辺万沙子
ヘネシー編集長 …………… 中 庸助
ウェイター ………………… 丸山詠二
パオロ ……………………… (辻 親八)
サラ ………………………… 荘司美代子
カリーニ …………………… (丸山詠二)
子供1 ……………………… 竹口安芸子
子供2 ……………………… 岡村明美
子供3 ……………………… 引田有美
子供4 ……………………… (礒辺万沙子)
子供5 ……………………… (荘司美代子)

※(カッコ)付きの声優さんは、同じ役を79年版・ソフト版の2人の声優さんで当てることになる方だそうです。TCエンタテインメント株式会社の方から直接伺いました。

<日本語版制作スタッフ>
演出:佐藤敏夫
翻訳:木原たけし
制作:東北新社  


2024年02月24日

“午前十時の映画祭14” 今年は「ティファニーで朝食を」

 “午前十時の映画祭14”のラインナップが発表されました。

 「暗くなるまで待って」「尼僧物語」「噂の二人」がよかった僕としては残念ながら今年も「ティファニーで朝食を」になりました、とご報告させていただきます。


 90秒の予告では、サムネがオードリーになってます。

 ちょっとねー、2016年度の“午前十時の映画祭7”で「ティファニーで朝食を」がめちゃめちゃヒットしたからって、こすりすぎなんですよ!
 2021年度の“午前十時の映画祭11”に続いて、またですか!?という感じ。

 さすがに昨年に4Kで正式リバイバル来たばかりの「ローマの休日」は無いだろうとシメシメと思ってましたが、その代わりに「ティファニーで朝食を」!?
 いくらオードリーは儲け頭だからといって、オードリーで全部の損を埋めようとしすぎでしょー!

 おんなじのを2年や3年でリバイバルせずに、最低でも5年はインターバルを開けてほしいです。
 どうせなら2014年度以降劇場にかかっていない「シャレード」の方が良かったです。

 …とまあ、愚痴っててもやっぱり観に行くんですけどね。今回は4K版だしね。

 さて、今年もオードリーはゴールデン・ウィークに充てられています。
 全館4/26(金)〜5/09(木)まで。劇場ラインナップは以下の通り。

北海道 札幌シネマフロンティア
岩手 中央映画劇場
宮城 TOHOシネマズ 仙台
宮城 イオンシネマ新利府
山形 MOVIE ON やまがた
栃木 ユナイテッド・シネマ アシコタウンあしかが
栃木 TOHOシネマズ 宇都宮
茨城 シネプレックスつくば埼玉MOVIX三郷
埼玉 ユナイテッド・シネマ ウニクス秩父
埼玉 こうのすシネマ
埼玉 TOHOシネマズ ららぽーと富士見
千葉 TOHOシネマズ 市原
千葉 シネマサンシャインユーカリが丘
千葉 TOHOシネマズ 市川コルトンプラザ
千葉 京成ローザ10
東京 TOHOシネマズ 日本橋
東京 TOHOシネマズ 新宿
東京 グランドシネマサンシャイン 池袋
東京 TOHOシネマズ 錦糸町 オリナス
東京 TOHOシネマズ 立川立飛
東京 TOHOシネマズ 南大沢
東京 イオンシネマ多摩センター
神奈川 TOHOシネマズ ららぽーと横浜
神奈川 TOHOシネマズ 海老名
神奈川 TOHOシネマズ 小田原
神奈川 TOHOシネマズ 上大岡
山梨 TOHOシネマズ 甲府
長野 長野グランドシネマズ
長野 松本シネマライツ
静岡 シネマサンシャインららぽーと沼津
静岡 静岡東宝会館
静岡 TOHOシネマズ 浜松
岐阜 TOHOシネマズ 岐阜
愛知 ミッドランドスクエア シネマ
愛知 ユナイテッド・シネマ 豊橋18
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長崎 TOHOシネマズ 長崎
熊本 TOHOシネマズ はません
大分 TOHOシネマズ 大分わさだ
宮崎 宮崎キネマ館
鹿児島 天文館シネマパラダイス

 公式サイトはこちら

 予告編30秒のは、「ティファニーで朝食を」が締めで使われています。

  


2024年02月09日

「ローマの休日」公開前夜 月刊「パラマウント」1954年3月号

 今回は日本初公開70周年を迎える「ローマの休日」「麗しのサブリナ」を記念して、パラマウント友の会発行の月刊「パラマウント」1954年3月号の紹介。
 表紙はジャネット・リー。僕はこの人の作品を有名な「サイコ」も含めて1本も見たことないです。

 初期の3号5号の頃は15日発行だったのですが、1954年からは1日発行に切り替わっています。

 3月号の頃にはアメリカではもうアカデミー賞のノミネートが発表されています。
 そこでは「ローマの休日」が10部門もノミネートされて、さらに前評判を煽ることになっていますね。

 この号でもアカデミー賞のことが載っているのですが、この年の有力候補は「シェーン」と「地上より永遠に」。それに「ローマの休日」「第十七捕虜収容所」「ジュリアス・シーザー」「聖衣」「リリー」「モガンボ」が追っているという状況。

 まあ「ジュリアス・シーザー」と「聖衣」は大作でおおっ!と言わせただけで、出来の方は “?”って感じだったようなので、やっぱり「シェーン」と「地上より永遠に」が本命だと見られていたようです。

 それらの中で、「シェーン」「ローマの休日」「第十七捕虜収容所」はパラマウント社の作品なので、うまくいけば主要な部門は全部パラマウントになるかも!と期待されていたようです。

 ところが実際に発表されると、「地上より永遠に」が8部門を独占して、主要な賞でパラマウントが取れたのはオードリーの主演女優賞と、「第十七捕虜収容所」のウィリアム・ホールデンの主演男優賞のみでしたね。

 本命とみられていた「シェーン」は撮影賞のみ、助演男優賞は「地上より永遠に」のフランク・シナトラ以外は全員パラマウント映画からだったので、“これでシナトラにさらわれたらよくよく運がないとみてよろしい” なんて書かれてましたが、見事シナトラに取られてしまっています。

 それでも主演女優賞では “予断を許さないが、ヘップバーンとの声が高い” と書かれていて、やっぱりアメリカでもオードリーだと言われてたんやなーと、当時の様子が知れて興味深いです。

 さて、先にアカデミー賞のことを書きましたが、まず最初に出てくるのは、グラビアページの「麗しのサブリナ」撮影中のビリー・ワイルダー監督とウィリアム・ホールデン。ここでは「サブリナ・フェア」と書かれています。完成後は「サブリナ」だけになってしまう原題ですが、まだ公開前の段階では戯曲と同じ「サブリナ・フェア」だったのですね。

 そしてこの当時はウィリアム・ホールデンの全盛期でしたよね。日本の映画雑誌の人気投票でも1位あたりにいた時期ですし、この年のアカデミー主演男優賞も受賞します。

 そんなダブル受賞となった人気絶頂のホールデンとオードリーの共演の「麗しのサブリナ」ですから、パラマウントはおいしかったでしょうねー。
 鉄は熱いうちに打て!とばかりに当時は珍しかった日米同時公開に向けてパラマウント日本支社の人は奔走し、結局アメリカよりも先に日本で公開しました。

 さて、まだ「ローマの休日」は公開してませんが、その前評判は凄く、ここでもグラビアページの次には牧和子さんという方の絵と、田中映一って人の文章が最初に載せられています。

 イラストを描いた牧さんは、編集後記で“パラマウント宣伝部に来る度にオードリー・ヘップバーンの名前と写真を見ない日はない位、オードリー旋風が吹き巻くっている。私なんか夢に迄彼女の顔が浮かんでくる。早く実物を見ないと” と書いています。
 もうすでに世の中はオードリーの大旋風が始まっていたんですね。

 次のページはビリー・ワイルダー監督の作品目録となっているのですが、そこには (“サブリナ・フェア”のスナップより)ってオードリーとハンフリー・ボガートの写真が載っています。

 でも、キャプションでは「サブリナ・フェア」でしたが、この目録の最新作のところでは「サブリナ祭」って書いてある!
 “フェア”を“祭り”の意と訳したんですね。いや、本当は “麗しの”の意味の “フェア”だったんですけどね。

 そのまま次にはさっきのアカデミー賞のことが書いてあるんですが、その次は「パラマウント・スタジオ・ニュース」ってページで、「ローマの休日」の公開が4月27日に日比谷映劇で公開されることが書かれています。

 普通なら東京の銀座地区の日比谷映劇での公開が日本で最初の公開になって、次に大阪などの大都市、そして地方都市へと順繰りにロードショーするのでしょうが、この作品に関しては21日に佐世保富士劇場、23日に名古屋ミリオン座と四日市の三重劇場、25日には新潟の大竹座、26日には広島宝塚劇場と東京よりも早く公開した劇場が5つもあって、日比谷映劇の公開日の27日には甲府と浜松でも公開されるなど、かなりイレギュラーな公開順となっています。

 次のオードリーは、“明日のスター 昨日のスター”というコーナーで、2000万人のファンを持つというアメリカの映画批評家(今でいうインフルエンサーですね)によって “牝鹿の如き妖精 オードリー・ヘップバーン”ということで紹介されています。

 そこでは「銀幕に未だ曽つてみなかった新しい魅力」「ヘップバーンを見た人はどんな素人でも彼女こそが生まれ乍らのスター、世にも稀な銀幕の奇跡だと気がつくに違いない。」「オードリー・ヘップバーンの如き女優は過去十年間その類をみない。」「全米の男性を魅了し、若い女性達は彼女の髪型を真似、眼の使い方を真似、子供達は童話の世界のヒロインを愛するようにヘップバーンを愛するであろう。」とベタ褒めです。

 ここでは淀川長治氏がオードリーに比較できるような往年のサイレント映画の女優ということで、ルイズ・ブルックスという女優を挙げています。
 ただ、近代的なオードリー、若々しいオードリーに比較できる無声映画のスタアは見当たらない、と述べています。それでもパラマウント映画登場の鮮やかさで今日のオードリーのそれと似ている、と書いています。

 さらには公開直前の次号用に “「ローマの休日」に期待するもの”というテーマで文章の募集が呼びかけられていますし、裏表紙の裏(表3)ではオードリーのモノクロ写真が4枚組100円(送料込み)で頒布されています。
 100円つっても、当時の物価を考えると今の2500円くらいなんですけどね。


 他のパラマウントの新人女優さんが4人1組で写真頒布されているのに比べると、いかにオードリーが特別扱いかがわかりますよね。

 とにかく、まだ「ローマの休日」公開には1か月以上あるにもかかわらず、当時の世の中がオードリーで盛り上がっているのが実感できます。

 僕などはもう物心ついてオードリーを好きになったときには、すでに日本では大スターであることが当然でしたから、この新星を迎える日本のワクワク感が伝わってくるのが新鮮です。
  


2024年02月04日

MBSテレビ “知っとこ!”2012年5月5日放送「世界の朝ごはん〜スイス レマン湖地方」


(今回もゲッティイメージズ さんの、無料でブログに埋め込める画像を2点お借りしました。)

 今から55年前の1969年1月18日、オードリーはアンドレア・ドッティと2度目の結婚をしました。
 前夫メル・ファーラーと1967年8月に別居、68年12月に正式に離婚してからすぐのことでした。

 別居中の1968年6月に傷心のオードリーを見かねた友人のお誘いの旅行でアンドレア・ドッティと知り合い、急速に接近。結婚に至ったようです。

 前の夫のメル・ファーラーは、まるで初期のオードリー映画の相手役のようにずっと年上であったことから、父の愛に飢えていたオードリーは庇護される自分というものを求め、それが嬉しかったのだと思うのですが、だんだん独善的で高圧的なメル・ファーラーとのズレが生じて離婚に至ります。

 メル・ファーラーの浮気も大きいと離婚当時は書かれていましたが、実は海外の伝記ではあまりメル・ファーラー側の浮気というのには触れられていないので、そこは本当かどうかはわかりません。

 年上の夫に守ってもらって、一生愛し合って過ごす、という幻想が崩れたオードリーが次に選んだ夫は逆の年下の夫でした。

 実は相手が年下というのはオードリーの年齢が上がるとともに映画でも増えており、第4期作品の「おしゃれ泥棒」「いつも2人で」「暗くなるまで待って」は設定こそオードリーが年下でしたけど、実際にはオードリーの方が年上でした。

 特に「おしゃれ泥棒」と「いつも2人で」の相手役のピーター・オトゥールとアルバート・フィニーとはウマが合ったこともあり、年下に惹かれたのかもしれません。

 でもオードリーの母エッラや、友人にはドッティとの結婚はめっちゃ反対されたそうですね。
 せっかくメルと別れられたのに、また同じ間違いをしようとしている!と思われていたそうですが、オードリーは突っ走ってしまいます。

 結婚してからもドッティは浮気三昧で、結婚の翌年にはもう浮気がバレています。その時には謝り倒してオードリーと和解しますが、1976年にはルカがモントリオールオリンピックを見ている時に、ドッティは “もしパパとママが別れたらどうする?”と訊いて、幼かったルカを泣かせていますし、すでに離婚の話し合いは始まっていたのでしょうね。

 結局1982年に離婚していますが、実質1976年にはもう2人の関係は終わっていたのでしょう。

 離婚後、メル・ファーラーとは極力会わなかったオードリーですけど、ドッティとは何度も会ってルカのことで話し合っていたそうですから、既に夫と結婚に対してオードリーが持っていた理想は崩れてしまっており、傷も深くなかったのでしょう。

 さて、前置きが長くなりましたが、今回はそんなドッティと結婚当時の逸話が聞ける2012年5月5日放映と、もう12年も経った関西のMBSテレビの“知っとこ!”の紹介。



 この番組は関西の製作ですけど、TBS系列で全国放送されていました。
 このときのMCは柳原可奈子さん、松嶋尚美さん、富岡佳子さんでした。

 オードリーが登場するのは「世界の朝ごはん」というコーナー。
 毎週ロケで世界を回って朝ごはんを紹介するなんて、なんてお金がかかってるんだろう!とも思いますね。予算が潤沢だったのでしょうか?

 普段は本当に各国の朝ごはんを紹介する内容だったらしいのですが、この週はスイスのレマン湖地方ということで、モルジュの町からオードリーのことが紹介されています。
 なので、朝ごはんはあまり関係ありません。

 まずはモルジュの朝市を歩いていると、2013年に没後20年を迎えるオードリーの展示を期間限定でやっている店に当たり、そこを取材。

 80年代以降の日本みたいに、初期のオードリーばっかりの展示ではなく、60年代やユニセフでの写真も同等に展示してあるのが、いろんなオードリーを見れて嬉しい!
 一番奥に大きく幕を張って展示してるのは「パリで一緒に」の撮影スナップではありませんか!

 この年はモルジュではオードリー関連の行事が行われているとのことで、他の美術館でもオードリーの展示をやっているのを紹介。
 こちらでは「ローマの休日」でのベスパ(映画で実際に使われたのとは違う)も展示していたみたいですね。

 期間限定での展示会だったので、当時はめっちゃ行きたかったものです。

 それと、街中では割と年齢の高めの人たちにインタビューをして、実際に生きていた当時のオードリーの様子を聞いています。
 そこでは、「オードリーはよく散歩に来ていた」「愛想が良くてナチュラルだった」「歳をとってからも美しかった」と語られています。

 さらにオードリーがよく行った食料品店としてドゥマという店が紹介されているのですが(ここはオードリーゆかりの店として他の番組でも頻繁に取り上げられる)、そこではオードリーの逸話を聞くことができます。

 オードリーはトワイニングのアールグレイがお気に入りだった、息子(この段階ではおそらく長男ショーン)が好きだったのでクランベリーのジュースを取り寄せてもらっていた、そして結婚式の日、オードリーはパパラッチに追われており、助けを求めて来たから、裏口から逃がしてあげたこと、その2日後にはお礼を言いにわざわざ店にきてくれたこと。

 パパラッチの件は、ゲッティイメージズ さんの画像を見ればわかるように、いっぱい芸能カメラマンみたいな人がいますが、まあ結婚式が終わっても追いかけてきてたら、オードリーとドッティも逃げたくなりますよね。

 そしてオードリーが結婚式を挙げた市庁舎の外観と内部が紹介されるのですが、実はここは今は内部は公開していないと別の番組で紹介されていました。
 内装は当時とは変わっているにしても、貴重な映像ですね。

 さらにはモルジュのお土産として、オードリーの顔(2種類あって、どちらも見ると「パリの恋人」のもの)が印刷された箱に入った“Audrey”と金箔で名が入ったチョコレートが紹介されています。

 ここではそのパティシエさんが、子供の頃にオードリーに頭を撫でてもらったという思い出も語ります。
 さて、ここで思い出すのは以前オードリーツアーを考えていた知り合いの旅行社の方の話。

 この方と2018年に喋っている時に、“僕も行けるならここでお土産にチョコレート欲しいんですよ!”って言ってたら、そのチョコレート店もう無いんちゃうかな?って言われてしまって、ええ〜〜〜!!って言ってたんですよね。

 本当にお店は無くなってしまったんでしょうかね?
 これは未だに未解決のままです。僕はまだあると思うんですけどね、どなたかご存知ですか?

 それと、ここで今見ると愕然とするのがこのチョコレートの値段。

 この放送当時は当然その時の物価なので、なんとも思わなかったんですが、この当時24個入りは17スイスフラン で約1500円、と紹介されています。
 お土産には手頃な値段ですよね?会社や学校で配っても良さげな値段。

 でも今の為替レートで考えるといくらやねん?と計算すると、いまは1スイスフラン≒171円。
 171円×17フランで約3000円!うおおお、2012年の倍になってるやん!!

 しかもスイスでは普通に物価に合わせて価格が上昇してたとすると、今やこのオードリーチョコレートは4000円〜5000円ほどするのではないかと…。

 今や他の国から取り残されつつあり、超円安になってしまったのが悲しくなってしまいますね。
 この番組放送当時は1スイスフラン は85円〜90円ほどだったということですよね。ショック!

 そして次にはオードリーの友人だったクリスタ・ロットさんが紹介されます。
 ユニセフで働いていた縁でオードリーと知り合った方ですね。オードリー担当の方でした。

 そのロットさんからは、オードリーが笑顔を絶やさずいつも自然体だった、またオードリーはスイスで安らぎを求めていた、と語られます。

 次にオードリーの愛した家、ラ・ペジブルが紹介され、トロシュナの共同墓地でのオードリーのお墓も紹介されます。

 90分枠の中の25分ほどの単なるコーナーの間に、この内容の濃さ!
 さすがオードリーを愛した日本ならではの番組!

 海外だとなかなかこんな濃い内容は無くて、せっかくオードリーだけで番組を作ってもわりと上滑り気味なんですけど(「マジック・オブ・オードリー」とか2022年に劇場公開された映画「オードリー・ヘプバーン」など)、こんな時は日本人で良かったなーと思います。

 2012年〜2013年はオードリーの没後20年でいろんな局でオードリーが多く取り上げられました。

 他にもWOWOWの「ノンフィクションW ヘプバーンが本当に伝えたかったこと」、NHK「松下奈緒 永遠のオードリー前後編」、TBS「世界ふしぎ発見!」などと優秀なオードリーの番組がいくつも日本で放映されました。

オススメ度:★★★★(この短い時間でこの内容をありがとうございます!)
  
タグ :テレビ


Posted by みつお at 18:00Comments(0)テレビ番組

2024年01月30日

「マイヤーリング」紹介 キネマ旬報2013年12月下旬号

 今年、2024年はオードリーの何の記念に当たる年でしょうか?

 1954年の「ローマの休日」日本初公開、「麗しのサブリナ」初公開、舞台「オンディーヌ」、メル・ファーラーとの結婚70周年
 1964年の「パリで一緒に」初公開、「マイ・フェア・レディ」初公開、「戦争と平和」リバイバルから60周年
 1974年「マイ・フェア・レディ」リバイバル50周年
 2014年「マイヤーリング」日本初公開から10周年。

 さらに
 1959年の「尼僧物語」「緑の館」初公開65周年
 1969年「ティファニーで朝食を」リバイバル、「マイ・フェア・レディ」リバイバル、アンドレア・ドッティとの結婚55周年
 1979年「華麗なる相続人」アメリカ公開45周年
 1989年「昼下りの情事」「戦争と平和」リバイバル、「オールウェイズ」アメリカ公開35周年

などにも当たります。
 それぞれ、今年紹介していきたいと思いますので、またよろしくお願いいたします。

 そして、実は「麗しのサブリナ」の著作権が日本でパラマウントにあるのは今年限りとなります。
 著作権が1954年以降の作品は70年に延長されましたが、とうとう「麗しのサブリナ」が来年切れてしまいます。

 アメリカは95年なので、まだまだ切れないので、勝手にアメリカとかで使うと著作権法違反になって捕まりますので、その点はご注意を。
 あくまでも日本でだけです。

 でもそれ以降は27年には「戦争と平和」、28年には「パリの恋人」と「昼下りの情事」と「マイヤーリング」、30年には「尼僧物語」「緑の館」と続々と著作権が切れていきますね。

 ただ、僕は著作権法には詳しくないので、映画としての著作権は切れても、肖像権のある宣伝のポートレートや、音楽家にも著作権があるサントラなどはどうなるのかはわかりません。
 むしろ宣伝写真や音楽はどうなるのか教えて欲しいです。

 さて、そんな中での今回は2014年1月4日に日本で劇場公開された「マイヤーリング」から10周年ということで、公開前に紹介された「キネマ旬報」2013年12月下旬号を紹介。

 と言っても、「マイヤーリング」はたった1ページのみ。

 1993年に同じく亡くなったリバー・フェニックスと共に“没後20年の奇蹟”ということで、それぞれに新作が初公開されるということで載っています。




 文章はブロードメディア・スタジオさんからの宣伝文と、同じくブロードメディア・スタジオさんから配布されたショーンの言葉が掲載されているだけ。

 最近の映画雑誌にありがちな、映画評論家や編集者が文章を組み立てるのではなく、配給会社から配布されたものをそのまま載せる、という悪しきものになっています。

 画像も珍しくないものだし、当時も買うべきかどうか、かなり悩みました。
 正直、買う価値は無しに等しいです。

 特に僕の場合、「マイヤーリング」のプレスシートパンフレットでは文章に関わっていて、宣伝資料などはいただいていましたから、本当に見知った内容ばかりで…。

 でも結局買うことにしたのは、やはり「マイヤーリング」が映画雑誌 “キネマ旬報”に載った、という証左として残しておこうと思ったからに他なりません。

 まあこうしてここで紹介できたので、少しは買った意味もあったかもしれませんね。

 でももう公開から10年も経ってしまったのですね!
 初日の1回目の上映にtohoシネマズ梅田へ駆けつけたのを覚えています。

 やはり、日本で東京圏に次いで大きい大阪圏の上映だったので、ブロードメディア・スタジオさんの関係者らしき人が様子見に劇場の後ろに立っていたのを覚えています。

 初日は3回の上映でしたが、僕が朝行った段階で初回・2回目はSOLD OUT、3回目も残り少なくなっていました。
 予約せずに劇場に来たお客さんが、従業員の人に尋ねてて、“明日の回か、今日でしたら19時50分の回になるんですよー。”と申し訳なさそうに話していたのを覚えています。

 後でブロードメディア・スタジオさんに聞くと、東京も満席だったそうで、tohoシネマズ梅田では2週目は大きな箱に変えられていました。

 当時の状況はこちらこちらでお読みください。

 「マイヤーリング」なんて、2度と劇場でリバイバルはされないでしょうから、映画パンフレットの文章を書いたことも含めて、貴重な体験をさせていただきました。映画パンフレットも、海外ではもちろん発売されていない貴重な “「マイヤーリング」写真集”として大事にさせてもらってます。
  


2024年01月25日

2023年オードリー・ヘプバーン大賞の発表

 さて、昨年1年間に出てきたオードリー・ヘプバーン関連のもので、何が一番良かったかを決める2023年オードリー・ヘプバーン大賞を発表したいと思います。

 昨年は没後30年でしたが、それに関しては直接的なあまり大きなイベントはなかったのですが、2022年よりかは候補が多くなりました。

 ノミネートは、
●“午前十時の映画祭13”「マイ・フェア・レディ」上映
●クレヴィス社新オードリー・ヘプバーン展 “AUDREY in Cinema” 展開催
●クレヴィス社写真集「AUDREY in Cinema」
●大阪松竹座開場100周年記念「ローマの休日」上映
●4K版「ローマの休日」リバイバル上映
●「華麗なる相続人」2枚組オリジナル・サウンドトラック発売

 以上になります。

 今回は第3位からの発表です。
 それではどうぞ!
  続きを読む


2024年01月20日

没後1年の時の「ロードショー」1994年2月号

 今日は、オードリーの没後31年になります。
(といっても、スイスと日本では時差があるので、オードリーが亡くなったのは日本では21日の午前3時。)

 ということで、今回は没後1年の時の雑誌「ロードショー」1994年2月号(93年12月21日発売)でのオードリー・ヘプバーン特集を紹介。

 「ロードショー」なので、“よみがえるオードリー・ヘップバーン”とヘップバーン表記になっていますね。

 表紙はメグ・ライアン。90年代はロマンティック・コメディの女王って言われて人気がありましたね。
 でもロマコメばっかりじゃない感じもあって、なんか全然毛色の違う似合わない作品にも出てたイメージがあるんですよね。

 この号ではまず目次のページにカラーの「マイ・フェア・レディ」が小さく載っています。

 コート紙を使っているんですけども、紙の厚さがペラッペラなので、あまり印刷も綺麗じゃありません。

 次のオードリーは、本文のペラッペラマットコート紙のFOXスクリーンフレンドの広告。

 この頃になると、FOXスクリーンフレンドもチラシ屋さんみたいになってますね。

 オードリーはまだまだ人気があるので、オードリーだけのコーナーも設けられています。

 載っている画像は89年リバイバルの「戦争と平和」のもの。あとはカラーポートレートでも「マイ・フェア・レディ」のものが載っていますね。

 その次は毎月読者投票されていた“あなたが選ぶ3大ベスト”っていうページでの発表。

 当時人気のあったジョディ・フォスター、シャロン・ストーン、デミ・ムーア、ウィノナ・ライダーなどの当時の超売れっ子たちに混じって、メグ・ライアンとジュリア・ロバーツに挟まれた第6位。

 先月の11位からジャンプアップしています。

 男優ではこの号で特集されていた突然死のリバー・フェニックスが2位に入っているのと、この当時はまだ代表作は出ていないものの、ブラッド・ピットが3位、レオナルド・ディカプリオが10位と、イケメンには敏感ですね。

 当時から今でもずっと大人気のトム・クルーズもいれば、最近はトンとお見かけしないケビン・コスナー、エドワード・ファーロングなどの名前が見えますね。

 その次は1993年に公開された作品のチラシ図鑑のページ。

 1993年というと、「初恋」がリバイバルされてますよね。ここでは6月公開のページに登場。(あ、去年リバイバル30周年の紹介するの忘れた!)

 当時はビデオ時代だったので、ビデオ発売されているものはその情報も載っています。

 「初恋」はフナイから3500円で出てたのがわかりますね。

 さて今号の目玉、オードリーの特集は巻末です。モノクロで14ページ。

 紙がペラッペラマットコートなので、黄色く変色してしまってます。ホント、マットコート嫌い!
 
 文章は和久本みさ子さんって方なのですが、オードリーの経歴に結構お詳しいようなのです!
 オードリーの兄のアレクサンデルがシェル石油で横浜にいた、そのため母エッラが横浜で「昼下りの情事」を見た、CMはウィッグとワールド、などなど。

 結構コアなファンでないと知らないようなことも書いています。
 いやー、ちょっとお話ししたいなー。

 最初にめくると、有名な「ローマの休日」や「初恋」の画像。
 このページは「麗しのサブリナ」も「戦争と平和」のダンスの練習をするオードリーも含めて、割と平凡な画像。
 
 次にめくったページでは、大きく扱われているショーンとの写真や、「ローマの休日」でアカデミー賞を受賞した時のものではなく、小さく扱われている「噂の二人」撮影時のメルとの画像や、ドッティと一緒の写真の方がレア。

 次のページにはオランダの“オードリー・ヘプバーン通り”の写真が大きいのが嬉しいですね。あとお葬式の写真。

 前にも書きましたが、“オードリー・ヘプバーン通り”は今も有りますが、かなりひっそりとした小径です。一部は工事中で道が無くなっています。

 その次は「パリの恋人」と「ローマの休日」のポートレート。

 「ローマの休日」と言っても、実際は「ローマの休日」と「麗しのサブリナ」の撮影の間に撮られたポートレート。髪型が「ローマの休日」でも「麗しのサブリナ」でもないでしょ?

 でも日本では「ローマの休日」公開が54年までずれ込んだため、このポートレートもよく「ローマの休日」のパンフレットなどで使われていました。

 次の見開きページではオードリーのファッションを紹介。

 特に目新しい画像はないけど、一般的には「おしゃれ泥棒」のものがレアかな?でもこれは本当はカラーです。

 その次と最後のページではオードリーの日本公開作品を画像と主に紹介。
 なので、「ニューヨークの恋人たち」や「モンテカルロへ行こう」のものはありません。

 なんとなく、写真の大きいのは代表作という扱いなんじゃないか?という気がします。

 さて、「ロードショー」がオードリーを大事にしてくれなかったことは、ここでも折に触れては書いているのを以前から来てくださってる方はご存知だと思います。

 「ロードショー」の黎明期(72年〜74年)はオードリーをたくさん載せてくれていましたが、「ロビンとマリアン」以降はみるみる扱いが小さく雑になってしまいます。
 というか、ほとんど取り上げてくれませんでした。

 オードリーが亡くなった時も追悼写真集を出すことはおろか、本誌の表紙にすら取り上げてくれなかったという…。

 それでもまだこの没後1年の時はモノクロながら特集を組んでくれていましたが、多分これが本誌での最後のオードリー特集だったと思います。

 これ以降は鼻にも引っ掛けないようになっていきます。

 このあとは1995年4月号で “Roadshow文庫”という付録でオードリーを特集しましたが、それが本当に最後。

 以降は僕も「ロードショー」を一切買っていません。

 「スクリーン」はその後も没後何年とか生誕何年、あるいは「スクリーン」の記念号などでオードリーを取り上げてくれるのですが、「ロードショー」は本当に何もなし。

 時折過去の表紙でオードリーの画像が載ることもありましたが、それくらいで買うほどのこともなく、という感じでした。

 そしてそのまま紙媒体の「ロードショー」は2009年1月号(2008年11月21発売)をもって廃刊になっていますね。

 かつては“感じる洋画雑誌”とか“洋画雑誌のNo.1” を謳っていたのに、末期は邦画の割合も多くて、なんの雑誌やらわからなくなっていました。

 そのころの「SCREEN」はまだ完全な洋画雑誌でしたが、今や「SCREEN」も邦画の割合がすっごく高くなってますね。これも末期症状なのでしょうか?

 この「ロードショー」と同時発売だった1994年2月号の「スクリーン」でも、もちろんオードリーの没後1年ということで特集があるのですが、そちらは10ページしかなくて、画像の点数も圧倒的にこの時は「ロードショー」の方が多かったんですよね。

 まあ「スクリーン」の方は使っている紙がコート紙だったんで、今でもそんなに変色しておらず、その点では勝ってるんですが、なんか「ロードショー」の方が画像とかが充実してたというのは意外な感じもします。

 結果的にはこの号は「ロードショー」によるオードリーへの最後のはなむけだったのでしょうかね。

 同じ1994年2月号の「スクリーン」の紹介は、またいつか機会があればということで。
  


Posted by みつお at 19:00Comments(0)ロードショー