2021年10月24日

「ティファニーで朝食を」公開60周年記念その1 「映画の友」1961年1月号

 僕のもうひとつのブログ「おしゃれ泥棒、オードリー・ヘップバーン!」の方に、やっと書けましたので、“102.オードリーと相手役との年齢差について その1。かなりな年上との共演が多いのはなぜか”をアップしました。そちらもよろしければ読んでみてください。

「ティファニーで朝食を」公開60周年記念その1 「映画の友」1961年1月号 さて、オードリーと相手役の年齢差のことをまとめていると、今年公開60周年の「ティファニーで朝食を」のことを書く時間がめっちゃタイトになってしまいました。

 今回はそんな祝!「ティファニーで朝食を」60周年の第1弾ということで、雑誌「映画の友」1961年1月号の紹介。
 表紙は60年代前半に人気のあったミレーヌ・ドモンジョ。70年代には既に見かけない人だったので、古本で初めて知った人です。映画も未だに見たことがありません。

 1961年1月号ということは、発売は60年11月です。ということはここでは「ティファニーで朝食を」撮影開始の第1報ということですね。
 ファン待望のオードリーの新作撮影開始!ということで、この号ではなんと19ページも使ってオードリーのことが載っています!

「ティファニーで朝食を」公開60周年記念その1 「映画の友」1961年1月号 そうですよねー、ファンからしたら「許されざる者」を撮影終了してからもう既に1年半も経っています。「許されざる者」撮影中の落馬事故のあと、流産・再度妊娠とあって、予定されていた1959年の来日の予定はなくなりましたし、今度こそ絶対に赤ちゃんの欲しかったオードリーは表立って出てくるのを控えていましたから、当時のファンはめっちゃオードリーを待ち望んでいたことと思います。

 しかも今回は写真を見る限り都会的な恋愛作品で、ロマンティック・コメディの「昼下りの情事」の後は、第二期で「尼僧物語」「緑の館」「許されざる者」と真面目な作品ばかりに立て続けに出演していたのですが、ここでやっとオードリーの本領発揮!だとファンは思っていたのではないかと思います。

「ティファニーで朝食を」公開60周年記念その1 「映画の友」1961年1月号 19ページの内訳はカラーが2ページ、モノクログラビアが2ページ、青色1色のグラビアページが4ページ、特別読物「ティファニーで朝食を」が8ページ、“ハリウッドへ帰ったオードリイ夫妻”という本文ページが3ページとなっています。

 オードリーだけの特集号でもないのに、たった1人のスターのために割いてくれるページとしては充分すぎるページ数。
 本当にそれだけオードリーの人気がすごかったということですよね。

 カラーは今となっては珍しい画像ばかり掲載されています。オードリーが1人で正面向いている画像は、今ならショーンが許可しない画像。オードリーのシワとクマとほうれい線がはっきり写ってます。オープニングのシーンの撮影の時だと思いますが、野次馬に囲まれていたらしいですから、それがストレスになったんでしょうか。

「ティファニーで朝食を」公開60周年記念その1 「映画の友」1961年1月号 面白いのは、左の4つの写真の下3枚。映画で出てきたオードリーの帽子ありと、ジョージ・ペパードのコートを肩にかけているもの以外に、オードリーは帽子なしでペパードがコートを着ている、というのもありますが、これは撮影スナップかと思いきや、この3枚の写真は全て上に録音用のマイクが写っているんです!ということは、ちょっと変えた別バージョンのファッションでも撮影していたのかな?と思って興味深く見てしまいました。

 なんせニューヨーク・ロケはこの最初の時だけ。あとでハリウッドで撮るスタジオ撮影で変わるかもしれませんし、前後の整合性が取れないとダメですから、何パターンか撮影していたのかもしれません。

「ティファニーで朝食を」公開60周年記念その1 「映画の友」1961年1月号 次に出てくるのはモノクログラビアですが、その前のページはイングリッド・バーグマンとアンソニー・パーキンスの「さよならをもう一度」(この時は原題・原作通り「ブラームスはお好き」)なのですが、「ティファニーで朝食を」のオードリーと「さよならをもう一度」のアンソニー・パーキンスは1962年に揃ってダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞を受賞して、一緒の飛行機で授賞式に向かっていましたね。

 二人で共演して、凡作・失敗作だと言われた「緑の館」の仇は取った、というところでしょうか。アンソニー・パーキンスにとってはそのキャリアの頂点の時期ですよね。

「ティファニーで朝食を」公開60周年記念その1 「映画の友」1961年1月号 さて、このモノクロのグラビア写真のうちの2点は「ティファニーで朝食を」の有名な宣伝写真ですよね。撮影の順番って、映画の撮影に入る前にある程度宣伝写真も撮っているということですね!

 次の「噂の二人」でもおそらく撮影前に撮ったんだろうなーと思われる、前髪がまだ「ティファニーで朝食を」から完全に伸びてなくて真ん中分けにしている、映画に出てこない髪型のオードリーの写真とかありましたから、撮影前に撮ることも当然なのでしょうね。

 次のブルーのページは撮影が始まったばかりの特報写真の数々。
 そこに書いてある文章で、

「ティファニーで朝食を」公開60周年記念その1 「映画の友」1961年1月号 ・7月17日にママになったオードリーが、待望の新作「ティファニーで朝食を」に10月9日の早朝、ティファニーのショーウインドウのところから撮影に入ったこと
 ・日本にはティファニーに比較する店がないが、銀座の和光みたいな宝石貴金属だけじゃなく、高級雑貨も売っていること、でもレストランは無いこと
 ・ティファニー宝飾店は今まで撮影されることをずっと断り続けていたが、この作品で初めて許可したこと
 ・もしティファニーに撮影を許可されずセットで作ったとしたら、恐らく映画史上最もお金のかかったセットになったであろう

ってことが書いてあります。

 でも、その中にオードリーの愛犬フェイマスにも役がついて出演することになったと書いてあって、実際ブルーのグラビアの最終ページに車から出てくるジョージ・ペパードとフェイマスを抱いたオードリーが立ってる写真も掲載されてるんですが、確かフェイマスって出演してませんでしたよね?
 「ティファニーで朝食を」は犬映画ではなく、完全に猫映画ですよね。そういうことを考慮してカットされたんでしょうか。

「ティファニーで朝食を」公開60周年記念その1 「映画の友」1961年1月号 その次は「ティファニーで朝食を」の特別読物があるのですが、これは当時の龍口直太郎さんに訳出された原作の「ティファニーで朝食を」に添ったもの。
 ホリー(ルラメイ)の兄弟フレッドのことも、“弟”として書かれています。

 これは村上春樹さんの新訳で、英語では明らかなんだそうでフレッドは “兄”として改められ、今出ているブルーレイなんかでも兄として出てきますけど、どうも僕にはホリーの態度が弟に対するそれに思えて仕方ないんですよね。
 原作を大幅に変えている映画版「ティファニーで朝食を」ですから、兄が弟になっててもおかしくないんじゃないかと思うのですけどね。どうなんでしょうね。
 うーん、でも英語には1語で兄か弟かの表現が無いって、不便ですよね!

「ティファニーで朝食を」公開60周年記念その1 「映画の友」1961年1月号 ところがところが!ですよ、そんな原作のストーリーが書いてあるにもかかわらず、シメに原作は新潮社から龍口直太郎さん訳で発行されてますよーと書かれているにもかかわらず、あらすじの文章のラストは“飛行機の飛んで行ったあとで、ポールの方へ引きかえしてくる人影はホリーだった。”と締めくくられているではありませんか!

 えっ、ここ原作と違う!
 もちろん実際に出来上がった映画ともシチュエーションは違うんですが、ホリーがブラジルに行かなかったことだけは映画と合ってますよね?
 あれっ、ラストシーンって2種類撮られてたっけ?と思って「オードリー・ヘプバーンとティファニーで朝食を」を調べたら…
 ありました、2種類撮っていたという記述が!

「ティファニーで朝食を」公開60周年記念その1 「映画の友」1961年1月号 でもそれはカポーティの原作通りでもここで書かれているような空港で戻ってくるわけでもなく、ジョージ・アクセルロッドの書いた脚本そのままのラストシーンで、タクシーではなくリムジンで乗り付け、雨ではなく晴れてきた路地でキャットを見つけて終わり、というものでした。

 ちょっと設定が違うにしても、当時の「スクリーン」がほぼ原作そのままを載せていたのに比べると、映画アレンジではこういう感じになるよって恐らくアメリカのパラマウント本社から送られてきた映画資料に沿ってラストが違うことが書いてあるのはビックリ且つ僕はなぜか好感が持てました。
 当時生きていたら、「スクリーン」じゃなくて「映画の友」を買ってたかも…。

 次のオードリーのページに行く前に、ハリウッドのゴシップのようなページがあるのですが、そこで“先月半ばからロンドンで840万ドルの大作「クレオパトラ」に主演中のエリザベス・テイラーは「軽い呼吸器障害」のため休養している”と載っています。
 「クレオパトラ」って、当初の予算は840万ドルだったんですね!しかも撮影は当初は60年10月からかかってた、と。

「ティファニーで朝食を」公開60周年記念その1 「映画の友」1961年1月号 840万ドルでも超大作なのに、最終的には無駄なお金をどんどんどんどん使って5倍以上の4400万ドルもかかってしまったんですから、すごいことですよね。
 リズの「軽い呼吸器障害」も実際は重い病気で、この後撮影は完全にストップしてしまうんですよね。

 63年にオードリーの「マイ・フェア・レディ」がワーナー映画史上最大の1700万ドルもかけて作られるんですけど、もう4400万ドルなんて出されたらそりゃ霞んで見えちゃいますよね。

 さて次の“愛と幸福に包まれて ハリウッドへ帰ったオードリイ夫妻”というページですが、オードリーは「ティファニーで朝食を」撮影のために、メル・ファーラーは「帰りの旅費」というフランスのベストセラーの監督のための準備でハリウッド入りした、ということが書いてあるのですが、オードリーはともかく、メルの監督作品って、その後実現している様子はないみたいです…。
 こうしてだんだん格差が広がっていって、夫婦仲も悪くなってくるのでしょうかね。

「ティファニーで朝食を」公開60周年記念その1 「映画の友」1961年1月号 息子ショーン(ここではシーンと書いてます)が生まれることも書いてあるのですが、ここが結構いいかげん。
 実際には「許されざる者」で落馬、そのとき妊娠していた赤ちゃんは撮影後流産、再度妊娠、でショーンが生まれるのですけど、ここでは「許されざる者」で落馬、その時赤ちゃんがいることがわかって、撮影後はスイスに帰り、ショーンが誕生!と、流産のことがスッポリ抜け落ちてます。

 「許されざる者」の撮影は1959年1月〜4月ですから、もしそこで妊娠していた子供が生まれたなら、60年の7月に誕生!って全然月日が合ってないじゃないですか!
 まあショーンの生まれた時の体重は9.5ポンド(4300g)だったと書かれているので、お母さんがオードリーにしてはえらく巨大ベイビーですけど、でもだからと言って出産に1年半もかかるとは考えられないですよね。なんかショーンの体重があまりに立派すぎるということで、9ポンド(4000g)と少し少なく発表されたそうです。

 興味深いのはオードリーが妊娠のために出演の決まっていた「夜の歩み」(のちの「凡ては夜に始まる」)はシャーリー・マクレーンに交代、ヒッチコックの「判事に保釈なし」は延期、と書いてあることです。「凡ては夜に始まる」もオードリー主演の予定だったのですね!って内容は知りませんけど。

「ティファニーで朝食を」公開60周年記念その1 「映画の友」1961年1月号 そして来年(1961年)にはビリー・ワイルダーとウィリアム・ワイラー監督の作品が用意されているという、と書かれてあって、ワイラー監督は「噂の二人」ですぐに実現しますけど、この時の実現しなかったワイルダー監督の作品っていったいなんだったんでしょうね?とっても気になります。

 あとは鎌倉の川喜多映画記念館でも有名な川喜多かしこさんが書いた「英国への旅」という文章で、僕の好きなヴィヴィアン・リーの「哀愁」のことが書いてあります。
 1961年から名作のリバイバルというものが隆盛を極めるのですが、61年には「風と共に去りぬ」と「哀愁」が出てどちらも大ヒット。まさにヴィヴィアン・リーが火付け役になったと以前別のもので読んだことがあります。

「ティファニーで朝食を」公開60周年記念その1 「映画の友」1961年1月号 そして1960年10月封切りの作品が「映画の友」の採点とともに載っているのですが、そう!1960年10月といえば「許されざる者」が公開された時ですね!ファンとしては点数がめっちゃ気になります!
 ここでは「許されざる者」は☆☆☆★となっています。「スクリーン」と同じく☆5つが満点ですが、★1つは「映画の友」は10点、「スクリーン」は5点と違いがあります。ということで70点、ということですね。「スクリーン」の双葉十三郎さんと全く同じ評価。

 オードリー作品としては決して高くはありませんが、ワイルダー監督の「アパートの鍵貸します」と同じなので、まあいいとしときます。
 この号での最高点は「チャップリンの独裁者」の☆☆☆☆☆の満点で、それに次ぐ点数となっています。
 「映画の友」は邦画も採点されているのですが、「許されざる者」を超えるのは木下恵介監督の「笛吹川」☆☆☆☆という作品だけです。この当時の邦画って粗製乱造ぎみなので、全体にいつも点数は低いです。

「ティファニーで朝食を」公開60周年記念その1 「映画の友」1961年1月号 あとは「ハリウッド通信」という欄で、シャーリー・マクレーンがミリッシュ・プロの作品3本に主演することが書かれているところで、「子供の時間」でオードリー・ヘプバーンと共演する、と書かれています。もちろんこれは「ティファニーで朝食を」の次に撮影に入る「噂の二人」のこと。

 他にもミリッシュ・プロで製作される予定の作品がとても多く、この当時はミリッシュ・プロって凄かったんだなーと思います。
 また、スタジオ・ニュースというめっちゃ小さな文字のコーナーでは「ティファニーで朝食を」が撮影を開始した、ということが語られています。

「ティファニーで朝食を」公開60周年記念その1 「映画の友」1961年1月号 他には洋画が復調で、アンソニー・パーキンスの「サイコ」が「ローマの休日」より2日多い、30日間連続売り上げ100万円を樹立!と書かれています。
 ここまで記録を保持してたのが凄いですね!「ローマの休日」の1954年って、めっちゃお客さんが入ってても短期間で次の作品に切り替わってた時代ですから、いまだったら延々とロングランだったでしょうね。

 でも当時の100万円って今と全然価値が違いますからね。「ローマの休日」の頃の大卒初任給が8700円くらいらしいですから、100万円って10年分の給料です。現在の大卒初任給が20万円だとすると、「ローマの休日」は現在の2400万円を1館の1日で稼いでいたことになります。

「ティファニーで朝食を」公開60周年記念その1 「映画の友」1961年1月号 「映画の友」の読者からなる「友の会」のレポートページでは、横浜の「友の会」で“「許されざる者」は最近の傑作西部劇であることは確かだが、途中でジョン・サクソンが消えてしまうのと、ラストの締めくくりの甘さに不満があったようだ。中にはラストでオードリイが死ななければこの映画は生きて来ないという人もいて、ヒューストン先生もこのラストでだいぶん株を下げたようだ。”と書かれています。

 まあ人それぞれですけど、僕はオードリーのレイチェルが死ななければならないとは全然思いませんけどね。特に原作をと読んでいると「許されざる者」はレイチェルが戦う西部劇ですから、レイチェルが死ぬラストというのは有り得ない。
 むしろ原住民との戦いをレイチェルの死で終わらせる方がよっぽど甘い単純なラストだと僕は思います。

 でもこうして新作のオードリー映画を、だれかと語り合えるなんて、なんて羨ましい!と思いますよね。
 あー、70年代始めにも明智常楽さんのオードリー・ファンクラブがあって、名古屋の300坪の豪邸で思う存分語れたんですよね。それも羨ましいです。

「ティファニーで朝食を」公開60周年記念その1 「映画の友」1961年1月号 今月号はオードリーの写真の頒布はないのですが、各社のスター・カレンダーの販売が載っていて、オードリーはもちろんパラマウント社のカレンダーに載っています。載っている順でみるとオードリーは12月だったようですね。
 そして他のメンバーを見ても、パラマウントのカレンダーが一番豪華な気がします。当時は180円だそうです。やすっ!って思いますが、これも1960年の物価で考えると今の3300円くらいですから、そんなものですよね。

 ではでは、第2弾もお楽しみに!(ちょっと急がないと間に合わない!)



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この記事へのコメント
この「ティファニーで朝食を」のカラー頁、むっちゃ懐かしいです。
カラースナップやスチールが珍しかった時代なので超貴重でしたね。
僕が神保町の古本屋で昔の映画雑誌を漁っていた頃に、最初に出会った記事だしこの写真はすごく嬉しかったです。
でコートの色は正確にはどんな色なんだろうと思いあぐねたのも懐かしい。
一番大きな画像(右側)は別の雑誌にも載っていて、ちょっとピンクがかった独特の赤味系(クーピークレヨンで紅色・・・だったかな?・・・が似ていた)
で本記事ではむしろ朱色よりですよね。
実際はオレンジ系でちょっと珍し系、当時の新色だったんですかね。
あとペパードのネクタイが素敵で真似したものです。
でも今見るとなんてことないストライプなんですけどね。

僕もフレッドは弟のような気がしてました。
ホリーの彼への心情が、頼りにしているというより慈愛のようなものを感じていて、あの羽毛の舞い散る取り乱すシーンへつながっていくのです。

ああ、でも70年代以降には代表作扱いになるけれども、初公開当時の日本ではあまりヒットしなかったんですよねぇ。
Posted by まる at 2021年10月25日 21:57
おお!まるさんもご存知でしたか!
確かに貴重なカラーページ、この号でも全部で8ページしかカラーはないのに(広告ページは除く)、2ページも「ティファニーで朝食を」に割いてくれているのが嬉しいですよね。
オードリーのコートはこの号でもかなりピンクの強いサーモン系のオレンジになっています。実際にはもっと黄色味の強いオレンジでしたよね。
クーピークレヨンの紅色…わからないっ!笑
「ティファニーで朝食を」のオレンジは当時の新色でしたか!

「黒」のイメージの強い「ティファニーで朝食を」の衣装ですけど、実際にはショッキングピンクやこのオレンジなど、色目もそこそこありましたよね。

ペパードのネクタイは僕はめっちゃ見逃してました。
実際なんてことのないストライプのような気がしますね。
でも確か英国とアメリカではストライプの向きが違うんでしたっけ?
このペパードのネクタイは着けている本人からは右から左にストライプが走っていますよね。
日本はどっちだったかな?

フレッドはそうですよねー。どう見てもホリーの可愛い弟への愛情だと映るんですけれども…。
これこそ製作者の副音声で入れてはっきりさせて欲しかったー!
実際には弟のいないオードリーですけど、ここでの愛情はすっごく伝わるんで、もう母としてのオードリーの愛情ですよね。

初公開時のそこそこヒットでしかないってのは今は意外ですけど、当時のファンにとってはオードリーが娼婦ちっくな役は、イメージが大きく違ったのかも知れませんよね。
でも封切館のスカラ座ではヒットしたと別の号で書かれていました。“さすがの7週続映”だそうで。
もちろん「シャレード」「おしゃれ泥棒」の12週続映には負けていますけど、トータルでは大きく差を開けられているところを見ると、「尼僧物語」と同じく一般封切りでの成績が悪かったんではないかと…。
そう言えば、「ティファニーで朝食を」のパンフレットも東京の一般館のものってほとんど見かけません。
逆に大阪の封切館のパンフは少ないですけど、一般館はめっちゃ多くて、大阪では逆の現象が起きていたんじゃないでしょうか。
Posted by みつおみつお at 2021年10月26日 16:19
ミリオン座で三本立て見ましたが、映画の友のこの号は初めて。
シャレード
パリで一緒に
ティファニーで朝食を

BT ではセクシーボーンに興奮しました。
今は60インチで自宅鑑賞。
有料テレビでは[緑の館]が見つからず、Ipod で見ています。
Posted by 明智常楽 at 2021年10月28日 20:51
えええ、明智常楽さん、なんですか!その豪華な3本立て!
そんなのがあの由緒正しい名古屋ミリオン座で上映していたと!?
1972〜73年頃でしょうか。リバイバルが多くて羨ましいですね〜。
僕もそのプログラム、見に行きたいです!
今は60インチというのも羨ましいです。
「緑の館」が無いとなると、「おしゃれ泥棒2」や「ニューヨークの恋人たち」も無さそうですよね。
なんか「ニューヨークの恋人たち」をまた見たくなってきました。
でも見たら見たで、またがっかりするんでしょうけどね笑。

「映画の友」、この号は初めてご覧になったのですか?
明智常楽さんのお役に立てて嬉しいです!
初めて見るオードリーは嬉しくなりますよね!
Posted by みつおみつお at 2021年10月28日 21:27
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