2024年04月26日

「ローマの休日」日本公開70周年記念、「映画の友」1954年5月号の紹介

「ローマの休日」日本公開70周年記念、「映画の友」1954年5月号の紹介 今年は1954年4月21日に「ローマの休日」が佐世保の富士映画劇場で日本で最初に初公開されて、ちょうど70年になります。

 その後23日には名古屋ミリオン座と四日市の三重劇場、25日には新潟の大竹座、26日には広島宝塚劇場と次々に地方から公開。

 そして27日にはいよいよ東京の東宝チェーンマスター館の日比谷映画劇場で封切り!
 同じ27日には甲府の電気館、浜松の松菱劇場でも同時公開。

 4月中には28日に宇都宮の電気館・香川の高松大劇・愛媛の松山有楽座・高知のモデル劇場、29日に札幌の松竹座、30日には福岡東宝劇場、5月1日には函館・大阪梅田・大阪難波・京都・神戸と続々と全国公開していきます。

 この当時、まずは東京で封切って、その後京阪神から名古屋、福岡、札幌と “ロードショー”していくのが普通で、東京や大都市の反応を見てから地方へ、という流れが当たり前だったのですが、この「ローマの休日」に関しては東京の反応を待たずに地方公開が始まっていますね。

「ローマの休日」日本公開70周年記念、「映画の友」1954年5月号の紹介 「ローマの休日」に関しては今までの「月刊パラマウント」などでも紹介済みのように、アメリカから聞こえてきた作品の出来の良さと話題の新星オードリー・ヘプバーンが大きく取り上げられていました。

 54年には「麗しのサブリナ」も撮影済みになっていたため(「麗しのサブリナ」撮影は1953年9月から12月)、「ローマの休日」共々その髪型やファッションが雑誌や新聞に載っていました。
 日本のスターも真似して、何か月も前から女性の熱狂的なブームを巻き起こしていたことなどでオードリーの認知度が既に全国区であったことで、地方で公開しても大丈夫だと思われたのではないでしょうか。

「ローマの休日」日本公開70周年記念、「映画の友」1954年5月号の紹介 それに公開前からオードリーの髪型コンテストや日本のオードリーコンテストなども始まっており、3月にアカデミー賞の発表があってオードリーが主演女優賞を獲ると、ますますブームが加熱、前売り券の売り上げも上々だったのではないでしょうか。

 今と違って、各々がそれぞれの個性で、という時代ではなく、全国で同じ流行だった時代なので、日本全国がオードリー!って大興奮状態だったわけですよね。
 
 結果的には配給収入で1954年はもちろん、「風と共に去りぬ」を抜いてそれまでの洋画での配給収入の日本新記録を叩き出していますね。「風と共に去りぬ」は1952年に東京では108日間の上映でしたけど、「ローマの休日」は東京で38日間でひっくり返してしまったわけですね。

「ローマの休日」日本公開70周年記念、「映画の友」1954年5月号の紹介 当時は一部の高額な指定席を除いてほとんど自由席でしたから、どれだけ劇場に人が入ったか想像すると席取り合戦が怖いですよね。
 日本のテレビ放送は始まったばかりで、まだ受像機自体がほとんどなく、娯楽の主役は映画だった時代。

 「ローマの休日」はその製作費の1/3を日本で回収したと言われるほど。
 「キネマ旬報」だったかの対談で、(戦後で)貧乏な日本からそんなに持っていかないで欲しいねと冗談を言われていました。

「ローマの休日」日本公開70周年記念、「映画の友」1954年5月号の紹介 さて、前置きが長くなってしまいましたが今日の紹介は雑誌「映画の友」の1954年5月号。
 5月号と言っても発売は3月21日なので、「ローマの休日」は公開前で、アカデミー賞の発表もまだですが、この号では「ローマの休日」関連の大特集が組まれるほど。

 それだけ世間では「ローマの休日」とオードリーに対する期待が高まっていたんですね。表紙もオードリー。

「ローマの休日」日本公開70周年記念、「映画の友」1954年5月号の紹介 この号は、目次も「麗しのサブリナ」のオードリーが載ってる。
 新作映画紹介にもグラビアで2ページぶん「ローマの休日」があります。

 もうこの段階では既に試写は終わっており、映画評論家の人たちは「ローマの休日」を見た後。
 なので映画評論家の清水俊二さんの解説と評価が載ってるし、同じページにウィリアム・ワイラー監督との問答もあります。
 これが4ページ分。
 
 さらに “オードリイ・ヘップバーン特集”というのが本文とグラビアで12ページも使ってあるし、裏表紙も「ローマの休日」の(当時は貴重なカラーの)宣伝。

「ローマの休日」日本公開70周年記念、「映画の友」1954年5月号の紹介 全体では22ページも費やして「ローマの休日」とオードリー関連のページがあります。初公開当時は今ではほぼ見ないレアな画像も多く使っているし、文章は濃いしで、読み応えも見応えも充分!

 青っぽいグラビアの新作映画紹介のページですが、撮影中の王女の衣装を着た写真以外はレアな画像ばかりの撮影スナップでまとめられています。

 横向きの画像は、今となっては考えられませんが、これよりちょっと前の号の「スクリーン」だったか「映画の友」だったかで載ってた時は、端っこのオードリーの顔の部分が削られていました。
 ワイラー監督と踊る後ろ姿のオードリーの画像も珍しいですね。

「ローマの休日」日本公開70周年記念、「映画の友」1954年5月号の紹介 清水俊二さんの文章では、やはりワイラー監督の腕が冴え渡っていることが書かれており、「ローマの休日」のロケーション・マネージャーが53年年末〜54年正月に日本に滞在していたことで話を聞くことができ、ワイラー監督が心から演出を楽しんでいたことが書かれています。

 また、「映画の友」がウィリアム・ワイラー監督との問答を試みていて、それが載っているのですが、グレゴリー・ペックの喜劇出演はこれが初めてだったと書いてあってちょっとビックリしました。そう言われてペックの出演作を見てみると、確かにコメディってほとんどない!これは新しい発見ですね。

「ローマの休日」日本公開70周年記念、「映画の友」1954年5月号の紹介 “オードリイ・ヘップバーン特集”では「ローマの休日」でたちまち2つの賞を獲得したことが書かれていますが、アカデミー賞の発表は3月25日なので、この号発売の3月21日の段階ではフィルム・デイリー誌の最優秀主演女優賞とニューヨーク批評家協会賞の女優賞をもらったことが書かれています。

 次の見開きでは上段に当時の皇太子殿下(現:上皇陛下)がニューヨークで「ローマの休日」をご覧になったことが書かれています。殿下や随員御一行の席は王女が謁見する場面や王女がヒステリーを起こす場面で常にクスクスと笑いが起きていたこと、映画が終わると皇太子さまは「こう警備が厳重だと、僕は抜け出せないね」と語って周りが大笑いしていたことが書かれています。

「ローマの休日」日本公開70周年記念、「映画の友」1954年5月号の紹介 でももしこれが戦前だったら、この映画を皇太子殿下にはお見せしなかったであろうし、日本へは輸入禁止になっていただろうと書かれています。

 下段ではオードリーに対するインタビューがありますが、割と今では知られていることばかりなので、特にここで書くことは何もないかも。
 珍しくジェームス・ハンスンとの別れのことがオードリー本人の口から語られています。

「ローマの休日」日本公開70周年記念、「映画の友」1954年5月号の紹介 続いては茶色のグラビア4ページ分を使ってオードリーの写真が載っています。最初は「麗しのサブリナ」の宣伝写真。次はオードリーのスナップ集ですが、「ジジ」以降のものが多いため、珍しい画像は3点ほど。その次は「ローマの休日」撮影中のものになっています。

 最初の謁見のシーンで着る金色のドレスの場面ではグレゴリー・ペックの出演シーンは無いのですが、ここでのスナップでは楽しそうに談笑していますね。
 撮影は始めの方だったでしょうし、ペックがオードリーと親しくなっておこうとわざわざ顔合わせに来てくれたんでしょうね。

「ローマの休日」日本公開70周年記念、「映画の友」1954年5月号の紹介 その次の本文ページでは演技について淀川長治氏が、個性については山本恭子さんが、そして岡俊雄さんはスバリ “オードリー”ということで文章を書いています。

 後年、オードリーに対して辛辣な淀川長治氏ですが、ここでは“見るまでは個性八分、演技二分だと思っていたが、個性と演技が五分五分だ”と書いています。“ヴィヴィアン・リーの再来か…と言ったら大げさな、とどこからか声が入りそうではあるが、若いくせに早くも演技を楽しんでいる”と書いています。

「ローマの休日」日本公開70周年記念、「映画の友」1954年5月号の紹介 岡俊雄さんのページに載っているセシル・B・デミル監督と同席しているオードリーの写真が、めっちゃ可愛く写っています。

 そういえば、裏表紙のパラマウントの宣伝ですが、ここでは “オードリイ・ヘップバーン”表記ですね。
 初公開時のパラマウントでの表記は “オードリイ・ヘップバーン”と“オードリー・ヘップバーン”が混在しているのですが、“オードリイ”の方が優勢。

 次の「麗しのサブリナ」から「パリの恋人」は“オードリー・ヘップバーン”で統一。

 ところが1961年の「ティファニーで朝食を」以降はリバイバルも含めてパラマウントでは “オードリー・ヘプバーン”で統一となり、2003年の「ローマの休日」のリバイバルも、現在発売されているDVDやブルーレイも “オードリー・ヘプバーン”です。

 でもなぜだか1980年に公開された「華麗なる相続人」だけはまた “オードリー・ヘップバーン”表記に一瞬戻っているんですよね。



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