2024年09月17日
「麗しのサブリナ」日本公開70周年記念 月刊「パラマウント」11月号
さて、1954年「麗しのサブリナ」は今日が日本公開日。
ちょうど封切りから70年に当たります。
今回は月刊「パラマウント」1954年11月号の紹介。
表紙はジェームス・スチュアート。
オードリーとの共演はありませんでしたが、オードリーとの親交は深く、もうガンで助からないとわかったオードリーが、アメリカを発つ前日に親友コニー・ウォルドの家でグレゴリー・ペックらと共に会っていたことを息子ショーンが書いていますし、そのショーンの1度目の結婚式でオードリーとジェームス・スチュアートが踊っていたのをピーター・ボグダノヴィッチが書き留めています。
でも1954年の時点で、結構なオジさん具合だったんですね。
オードリーの約20才年上なので、この当時で45才くらいでしょうか。
さて、この号発刊時点で、すでに「麗しのサブリナ」は東京では封切り済み。
日比谷映画劇場にて1954年9月17日〜10月21日まで35日間の上映でした。
35日間はこの当時としては、かなり成績優秀。なんせ当時は1〜3週間が普通の時代。
それで5週も上映したのなら、かなりな好成績なのがわかります。
実際、「麗しのサブリナ」は1億5243万円の配給収入を叩き出し、1954年度洋画の第4位の成績を残しています。(この年の1位は「ローマの休日」)
発行日の11月1日時点では、東京の2番館や地方の主要都市で絶賛上映中かもしれません。
若い方は知らないかもしれませんが、シネコンが出来る前は、1つの劇場にスクリーンは1つだけしかなく、同じ映画をその劇場でずっと1日中掛けていました。「麗しのサブリナ」だったら、朝から晩まで6回「麗しのサブリナ」を上映していた、ということ。
ヒットすればいいですけど、ヒットしないと劇場は大弱りですよね。たとえガラガラでも作品1つだけの勝負で、別の作品を掛けることができないので、ヒットしないと3日〜1週間で早々に打ち切って次の作品を上映していました。
しかも封切館は指定席も少しありましたが、ほとんど自由席。2番館〜名画座などでは完全自由席なので、大ヒットだと席の争奪戦も激しいんですよね。
さて、この号には“私の見た「麗しのサブリナ」”という事で、牧和子さんという方と、若生浩之さんという月刊パラマウント発行に携わっている方の文章が見開き2ページで載っています。
どちらの方も、読み応えのある文章なんですが、全部紹介もできないので、ダイジェストで。
牧和子さん
「ヘップバーンの第二快作。お嬢様方必見の生きたスタイルブック。さすがワイルダーだけあって、会話の面白さは毎度のこと。伊達男のデイヴィッドに比べて、ライナスがヨット遊びに出かけようとしたいでたちは、おじいちゃんが6つ7つの子のセーターをひっかけたようで、みるに忍びない。だからサブリナがライナスに惹かれてしまうなんて私には想像外だった。トレアドル・パンツのサブリナの涙はそっと両手で受けたいほどの美しい涙。前作「ローマの休日」を女学生の夢物語だとすると、今回は大人のお伽噺。ワイルダーの作としては少し物足らぬ感ながら、彼の快作の1本である。」
若生浩之さん
「期待のヘップバーン第二作は「ローマの休日」よりもずっとパラマウントカラー豊かな作品だった。誰でも感じることは、洗練された会話で非常に垢抜けしているということ。大人の映画であり、パラマウント自慢の都会映画である。ハンフリー・ボガートは好演しているが重大なミスキャスト。彼の起用でソフィスティケーションに徹することが出来ず、中途半端になってしまっている。脚色が良かっただけに特に惜しまれる。小生のアルバイト先の横浜国際劇場でアメリカのGIが『全く素晴らしい映画だ』と言っていた。」
また、読者の採点から、と幾人か評価をしているのが載せられています。“憎らしいたらありゃしない”などと、ものすごく時代を感じる言い回しが気になったりもしますが、みなさん高得点なのが嬉しいところ。90点、90点、80点、90点、100点、70点となっています。
文章ではオードリーが女優くさくなっている、と書いている人も点数は70点でそこそこ高いんですよね。
でもこの人はオードリーファンではなく、「ローマの休日」ファンになっていく原型のような感じもしますね。
それと、この号では国際出版社の「麗しのサブリナ」英和対訳シナリオの宣伝があります。
国際出版社は同じ絵柄の表紙で一般用の映画パンフレットも作っていますが、この時期は乱立していた映画パンフレットの制作会社が淘汰されていく時期。
国際出版社もこの「麗しのサブリナ」以降、映画パンフレットも英和対訳シナリオでも全く見なくなります。
最末期の国際出版社の状況に思いを馳せて合掌。
読者のページでも相変わらずオードリー大人気ですが、この号では「麗しのサブリナ」のことももちろんあるのですが、地方では公開がまだの「麗しのサブリナ」より、むしろ9月25日にメル・ファーラーと結婚したことの方がみんなビックリのようです。
編集後記では、パラマウント友の会の原稿用紙が売られているようなのですが、オードリーの写真とパラマウントのマーク入りで、1冊送料込みで30円だそうです。わー、どんなのだったのか見てみたいですねー。
さらに雄鶏社の「オードリー・ヘップバーン特集号」を定価100円のところ、パラマウント友の会に頼むと送料込みで84円で買えることも書いています。
そして最後の読者の採点コーナーでは「麗しのサブリナ」が87点で「ローマの休日」の90点に次ぐ第2位に入ってきています。
まだまだ集計時点では東京などの大都市だけでの上映だったので投票数は少ないのですが、満足度が高いということですね。
さて「麗しのサブリナ」、最近のBSプレミアムで放映の際、画角(スクリーン・サイズ)が2種類になっています。
通常の画質で放映されるときはスタンダードサイズ、そして4Kで放映されるときはビスタビジョンサイズで放映されています。
正式なビスタビジョンが作られたのは1954年なので(月刊「パラマウント」54年4月号で紹介)、1953年に撮影している「麗しのサブリナ」はどう考えてもスタンダードサイズで撮影されているはずなのです。
でも芳賀書店のシネアルバムでも「麗しのサブリナ」はビスタビジョンサイズだと書かれているので、公開はアメリカでも1954年9月だったので、当時横に広い大画面で話題をさらっていた20世紀フォックスのシネマスコープに対抗して、もしかしたらビスタサイズに上下をカットして上映されていたのかもしれません。
そういえばパラマウント日本支社は「ローマの休日」で大当たりをとって日本全国でオードリーの大ブームが起きていたので、タイミングを逃さず鉄は熱いうちに打てとばかりに「麗しのサブリナ」は日米同時公開にしようと奔走していたようです。
今はデジタル上映なので、別に日米同時公開など別に珍しくも難しくもありませんが、1954年は10巻以上もあるフィルムをアメリカから取り寄せて、翻訳してスーパー(字幕)を1コマずつ焼き入れしなければならず、それを全国で上映できるように何十本という複製も作らねばならず、ものすごい大変だったことと思います。
日米同時公開を目指していた「麗しのサブリナ」は、結局一般公開はアメリカよりも日本の方が早くなってしまいました。
まあでもその結果54年の第4位配給収入だったんですから、パラマウント日本支社の目論見はいい意味でまんまと当たったわけですね。
さて、そんな高度成長期に汗を流しながら勝ち取った日米同時公開でしたが、日本が豊かな80年代〜90年代にはわりと普通だったのに、なんか最近は日本での公開がやたら遅いことが多いですよね。
あれっ?と思ったのが「アナと雪の女王」から。当時主要国では日本が公開が最後だと言われてましたんで、なんで?と思いましたが、その後どうやら日本はかなり他の国と比べて洋画の公開が遅いみたいです。
昔はビデオで日本の洋画ビデオが先に販売してアメリカに逆輸入されたりするため、DVDの規格を決めるときに日本とアメリカでリージョンが分けられてしまうくらいだったのに、やはり国力が落ちてしまうと重要視されなくなったんでしょうか?
そういえば、最近は欧米の主演スターが来日して映画をアピール、ってこともめっきり無くなりましたよね。
日本が貧しくて呼べなくなったのか、昔の洋高邦低だった時代と違って、邦高洋低の現代では日本のマーケットが小さくなりすぎて宣伝しても効果薄だとアメリカに思われてるんでしょうかね?
ちなみに、「麗しのサブリナ」は来年、とうとう映画の著作権が切れますが、それに付随するポスターや宣伝写真などは美術品扱いで、デザイナーやカメラマンが亡くなってから著作権が切れますので、まだ自由には使えないようです。
ちょうど封切りから70年に当たります。
今回は月刊「パラマウント」1954年11月号の紹介。
表紙はジェームス・スチュアート。
オードリーとの共演はありませんでしたが、オードリーとの親交は深く、もうガンで助からないとわかったオードリーが、アメリカを発つ前日に親友コニー・ウォルドの家でグレゴリー・ペックらと共に会っていたことを息子ショーンが書いていますし、そのショーンの1度目の結婚式でオードリーとジェームス・スチュアートが踊っていたのをピーター・ボグダノヴィッチが書き留めています。
でも1954年の時点で、結構なオジさん具合だったんですね。
オードリーの約20才年上なので、この当時で45才くらいでしょうか。
さて、この号発刊時点で、すでに「麗しのサブリナ」は東京では封切り済み。
日比谷映画劇場にて1954年9月17日〜10月21日まで35日間の上映でした。
35日間はこの当時としては、かなり成績優秀。なんせ当時は1〜3週間が普通の時代。
それで5週も上映したのなら、かなりな好成績なのがわかります。
実際、「麗しのサブリナ」は1億5243万円の配給収入を叩き出し、1954年度洋画の第4位の成績を残しています。(この年の1位は「ローマの休日」)
発行日の11月1日時点では、東京の2番館や地方の主要都市で絶賛上映中かもしれません。
若い方は知らないかもしれませんが、シネコンが出来る前は、1つの劇場にスクリーンは1つだけしかなく、同じ映画をその劇場でずっと1日中掛けていました。「麗しのサブリナ」だったら、朝から晩まで6回「麗しのサブリナ」を上映していた、ということ。
ヒットすればいいですけど、ヒットしないと劇場は大弱りですよね。たとえガラガラでも作品1つだけの勝負で、別の作品を掛けることができないので、ヒットしないと3日〜1週間で早々に打ち切って次の作品を上映していました。
しかも封切館は指定席も少しありましたが、ほとんど自由席。2番館〜名画座などでは完全自由席なので、大ヒットだと席の争奪戦も激しいんですよね。
さて、この号には“私の見た「麗しのサブリナ」”という事で、牧和子さんという方と、若生浩之さんという月刊パラマウント発行に携わっている方の文章が見開き2ページで載っています。
どちらの方も、読み応えのある文章なんですが、全部紹介もできないので、ダイジェストで。
牧和子さん
「ヘップバーンの第二快作。お嬢様方必見の生きたスタイルブック。さすがワイルダーだけあって、会話の面白さは毎度のこと。伊達男のデイヴィッドに比べて、ライナスがヨット遊びに出かけようとしたいでたちは、おじいちゃんが6つ7つの子のセーターをひっかけたようで、みるに忍びない。だからサブリナがライナスに惹かれてしまうなんて私には想像外だった。トレアドル・パンツのサブリナの涙はそっと両手で受けたいほどの美しい涙。前作「ローマの休日」を女学生の夢物語だとすると、今回は大人のお伽噺。ワイルダーの作としては少し物足らぬ感ながら、彼の快作の1本である。」
若生浩之さん
「期待のヘップバーン第二作は「ローマの休日」よりもずっとパラマウントカラー豊かな作品だった。誰でも感じることは、洗練された会話で非常に垢抜けしているということ。大人の映画であり、パラマウント自慢の都会映画である。ハンフリー・ボガートは好演しているが重大なミスキャスト。彼の起用でソフィスティケーションに徹することが出来ず、中途半端になってしまっている。脚色が良かっただけに特に惜しまれる。小生のアルバイト先の横浜国際劇場でアメリカのGIが『全く素晴らしい映画だ』と言っていた。」
また、読者の採点から、と幾人か評価をしているのが載せられています。“憎らしいたらありゃしない”などと、ものすごく時代を感じる言い回しが気になったりもしますが、みなさん高得点なのが嬉しいところ。90点、90点、80点、90点、100点、70点となっています。
文章ではオードリーが女優くさくなっている、と書いている人も点数は70点でそこそこ高いんですよね。
でもこの人はオードリーファンではなく、「ローマの休日」ファンになっていく原型のような感じもしますね。
それと、この号では国際出版社の「麗しのサブリナ」英和対訳シナリオの宣伝があります。
国際出版社は同じ絵柄の表紙で一般用の映画パンフレットも作っていますが、この時期は乱立していた映画パンフレットの制作会社が淘汰されていく時期。
国際出版社もこの「麗しのサブリナ」以降、映画パンフレットも英和対訳シナリオでも全く見なくなります。
最末期の国際出版社の状況に思いを馳せて合掌。
読者のページでも相変わらずオードリー大人気ですが、この号では「麗しのサブリナ」のことももちろんあるのですが、地方では公開がまだの「麗しのサブリナ」より、むしろ9月25日にメル・ファーラーと結婚したことの方がみんなビックリのようです。
編集後記では、パラマウント友の会の原稿用紙が売られているようなのですが、オードリーの写真とパラマウントのマーク入りで、1冊送料込みで30円だそうです。わー、どんなのだったのか見てみたいですねー。
さらに雄鶏社の「オードリー・ヘップバーン特集号」を定価100円のところ、パラマウント友の会に頼むと送料込みで84円で買えることも書いています。
そして最後の読者の採点コーナーでは「麗しのサブリナ」が87点で「ローマの休日」の90点に次ぐ第2位に入ってきています。
まだまだ集計時点では東京などの大都市だけでの上映だったので投票数は少ないのですが、満足度が高いということですね。
さて「麗しのサブリナ」、最近のBSプレミアムで放映の際、画角(スクリーン・サイズ)が2種類になっています。
通常の画質で放映されるときはスタンダードサイズ、そして4Kで放映されるときはビスタビジョンサイズで放映されています。
正式なビスタビジョンが作られたのは1954年なので(月刊「パラマウント」54年4月号で紹介)、1953年に撮影している「麗しのサブリナ」はどう考えてもスタンダードサイズで撮影されているはずなのです。
でも芳賀書店のシネアルバムでも「麗しのサブリナ」はビスタビジョンサイズだと書かれているので、公開はアメリカでも1954年9月だったので、当時横に広い大画面で話題をさらっていた20世紀フォックスのシネマスコープに対抗して、もしかしたらビスタサイズに上下をカットして上映されていたのかもしれません。
そういえばパラマウント日本支社は「ローマの休日」で大当たりをとって日本全国でオードリーの大ブームが起きていたので、タイミングを逃さず鉄は熱いうちに打てとばかりに「麗しのサブリナ」は日米同時公開にしようと奔走していたようです。
今はデジタル上映なので、別に日米同時公開など別に珍しくも難しくもありませんが、1954年は10巻以上もあるフィルムをアメリカから取り寄せて、翻訳してスーパー(字幕)を1コマずつ焼き入れしなければならず、それを全国で上映できるように何十本という複製も作らねばならず、ものすごい大変だったことと思います。
日米同時公開を目指していた「麗しのサブリナ」は、結局一般公開はアメリカよりも日本の方が早くなってしまいました。
まあでもその結果54年の第4位配給収入だったんですから、パラマウント日本支社の目論見はいい意味でまんまと当たったわけですね。
さて、そんな高度成長期に汗を流しながら勝ち取った日米同時公開でしたが、日本が豊かな80年代〜90年代にはわりと普通だったのに、なんか最近は日本での公開がやたら遅いことが多いですよね。
あれっ?と思ったのが「アナと雪の女王」から。当時主要国では日本が公開が最後だと言われてましたんで、なんで?と思いましたが、その後どうやら日本はかなり他の国と比べて洋画の公開が遅いみたいです。
昔はビデオで日本の洋画ビデオが先に販売してアメリカに逆輸入されたりするため、DVDの規格を決めるときに日本とアメリカでリージョンが分けられてしまうくらいだったのに、やはり国力が落ちてしまうと重要視されなくなったんでしょうか?
そういえば、最近は欧米の主演スターが来日して映画をアピール、ってこともめっきり無くなりましたよね。
日本が貧しくて呼べなくなったのか、昔の洋高邦低だった時代と違って、邦高洋低の現代では日本のマーケットが小さくなりすぎて宣伝しても効果薄だとアメリカに思われてるんでしょうかね?
ちなみに、「麗しのサブリナ」は来年、とうとう映画の著作権が切れますが、それに付随するポスターや宣伝写真などは美術品扱いで、デザイナーやカメラマンが亡くなってから著作権が切れますので、まだ自由には使えないようです。