2025年04月20日

「ローマの休日」1970年リバイバル55周年 「スクリーン」1970年4月号

「ローマの休日」1970年リバイバル55周年 「スクリーン」1970年4月号 今日は「ローマの休日」1970年のリバイバルから55周年ということで、その紹介の載った1970年4月号(発売2月21日)の「スクリーン」を紹介。

 今年2025年には大阪万博がありますが、この1970年も最初の大阪万博の年ですね。

 この時の封切館はテアトル銀座と新宿武蔵野館で、4月4日〜6月12日までの上映ののち、全国で上映されました。
 はい、55年前の今、まさに上映中ですね。

 東京テアトル株式会社のテアトル銀座と、武蔵野興業の新宿武蔵野館はこの当時はロードショー館として組んでいて、前年(1969年)の「ティファニーで朝食を」のリバイバルもこの2館から同時スタートでした。

 当時の定員は、同じ70年の別の号の「スクリーン」によると、テアトル銀座が831人、新宿武蔵野館が500人だったそうです。

 定員というのが座席数なんですが、館によっては座席よりも多く消防署に届け出てた劇場もあったそうです。
 まあ当時は指定席じゃないんで、通路に座ったり、座席の最後部に立って見る人もいたりしたので、そういうのも多少含んでいたのかもしれません。

 さて、同じ劇場での69年の「ティファニーで朝食を」が4週間の上映だったのに比べて、こちらの「ローマの休日」は2ヶ月以上の堂々70日(10週)のロングラン!

「ローマの休日」1970年リバイバル55周年 「スクリーン」1970年4月号 当時は「ティファニーで朝食を」のみんなの抱いているイメージが低めだったのと、「ローマの休日」は1963年リバイバル以来の公開ということで、“映画館の観客は7年で入れ替わる”のセオリー通りに上映したこともあり、またまた大ヒットとなったようです。

 そして54年初公開時にはポスターからプレスシートからパンフレットからなんでもヘプバーンカット推しでしたが、63年リバイバルのパンフレットでティアラオードリーが出始めて、この70年リバイバルからはポスター、プレスシート、パンフレットでメインイメージは徹底的にティアラオードリーでグイグイ押してます。

 このティアラオードリーそのままに73年・77年リバイバルまで行きましたし、VHSのビデオジャケットもLDもティアラオードリー、その後も2003年リバイバルやDVD、昨年と一昨年のリバイバル時のビジュアルまで影響を及ぼすなど、今や日本で「ローマの休日」と言えばティアラオードリーになってますよね。

 さてこの1970年というと、同じ洋画ファン雑誌だった「映画の友」は廃刊になってるし、「ロードショー」は創刊前。
 なので「スクリーン」の独壇場だった頃ですね。

 まずはモノクログラビアページで「おしゃれ泥棒」のオードリーが載っています。
 左1ページと、右ページにも少し食い込んでます。

 でもこれ、「ロードショー」の創刊2号だった1972年6月号の表紙のカラーの別ショット。
 なので、このモノクロでも不自然な感じがあって、本来はカラーなんだろうなという陰影がついています。

「ローマの休日」1970年リバイバル55周年 「スクリーン」1970年4月号 とにかく70年代前半は化粧の流行もあって、「おしゃれ泥棒」のオードリーが使われることが多かった!

 当時は濃いマスカラとつけまつげで、芸能人もこういうメイクの人が多かったんです。弘田三枝子さん、山本リンダさん、奥村チヨさん、辺見マリさん、和田アキ子さん、天地真理さんなどなど。

 オードリーの「おしゃれ泥棒」が公開された1966年頃は “オードリーも濃いメイクになって…”なんて言われていましたが、やっと時代が追いついてきた、ということですね。
 当時は世間でも濃いアイメイクと付けまつげが多かったです。

 なので、古本を集めていた中学時代の僕にとって、オードリーの1番のイメージと言えば「おしゃれ泥棒」のオードリーでしたね。

 でも文章は “「マイ・フェア・レディ」の再公開でオードリー・ヘプバーンの魅力をはじめて知った人もいるんじゃないかしら?”と69年年末に70年のお正月映画として公開された「マイ・フェア・レディ」のことが書かれています。

 「マイ・フェア・レディ」の69年リバイバルは69年12月13日〜70年2月20日まで松竹系の劇場の頂点、丸の内ピカデリーなど全国の最大の松竹系劇場で封切りでしたから、まさにこの「スクリーン」の発売日前日までロングランしてたんですね。

 このころの「スクリーン」だと、オードリーは引退中なので、カラーやモノクロのグラビアで載るくらいで、あんまり記事って無いんですが、スターの近況欄でオードリーがルカを出産したことが載っています。

 そういえば長男ショーンの誕生日はオードリーの伝記で間違えられていることが多くて、逆に7月17日って覚えちゃいましたが、次男ルカの誕生日って覚えてないなーと思いましたが、この記事で2月8日かーと思いました。

「ローマの休日」1970年リバイバル55周年 「スクリーン」1970年4月号 このルカ誕生の記事って、次号にもなぜか載ってるんですよね。しかも詳細ではなく、より簡素になってるし。

 あとは「ローマの休日」のリバイバル紹介のグラビアと、ブロマイド専門店の春美栄光堂さんの紹介でオードリーは出てくるだけですね。

 「ローマの休日」は2回目のリバイバルなので、残念ながらもう珍しい画像とかは無し。

 こないだの2023年字幕版・2024年吹替版のリバイバルもそうでしたけど、もうリバイバルとなると権利元のパラマウントも同じ画像しか出してくれないんですよね。

 そりゃもう100年以上も映画を作ってきたパラマウントですから膨大な作品があるはずで、なんでもかんでも画像って残しとくわけにもいかないですよね。

 特に「ローマの休日」は漁り尽くされて珍しい画像が少ない作品ですよね。

 解説では
「今でも絶対の人気をもつオードリー・ヘプバーンをして彗星のようにスターの座につかせたばかりでなく、ロマンティック・コメディーとしても、一世を風靡したほどのすぐれた出来ばえの作品である。」
と書かれています。

「ローマの休日」1970年リバイバル55周年 「スクリーン」1970年4月号 とまあそれはいいんですけどね。3カ月後の号(7月号)では4月リバイバル公開作品として「ローマの休日」も載っているんですが、採点が☆☆☆☆の80点なんですよね。

 「スクリーン」で“ぼくの祭典表”というコーナーをお持ちだった双葉十三郎さんの採点では☆☆☆☆★の85点なんですけどね。
 まあ☆☆☆☆は「スクリーン」編集部の採点なんでしょうね。

 でも今でこそ「ローマの休日」って他に並ぶべくも無いロマンティック・コメディーの最高峰の100点!みたいに扱われますけど、確かにこの当時は出来の良いロマンティック・コメディーの中の1本という扱いでしたね。
 それが80点という採点にも現れてますよね。

 オードリーは以上ですが、「世界映画のあのスター」という連載で、この号は1948年なんですが、そこではヴィヴィアン・リーの「アンナ・カレニナ」がちょこっと載っています。

「ジュリアン・デュビビエの『アンナ・カレニナ』は気分的によろしいのが取り柄だが、ヴィヴィアン・リーのおかげで見られたようなものだった」
と褒めているのか貶しているのか、ごちゃまぜのような評価ですね。

 「欲望という名の電車」でわざとやつれメイクを施すヴィヴィアン・リーにとって、「アンナ・カレニナ」は最後の若く美しい映画でしたね。本当に美しい!
 どなたかが言ったように、“あんなに可憐にな”なヴィヴィアン・リーでした。

 この号、表紙はミア・ファローですね。
 オードリーが「暗くなるまで待って」で半引退状態になった時に、「今後は私の役柄はミア・ファローが継いでくれるでしょう」と言ってましたね。

「ローマの休日」1970年リバイバル55周年 「スクリーン」1970年4月号 でもミアは「ローズマリーの赤ちゃん」が代表作なように、オードリーよりもかなりエキセントリック。活動家の一面もあったりで、オードリーの後は継いでないですよね。

 それでもオードリーが出演予定だったけど、「マイ・フェア・レディ」のために役を降りた「公衆の目」という作品は、オードリーの代わりにジュリー・アンドリュースに回り、結局ジュリーも演じずにミア・ファローに回って「フォロー・ミー」という作品になりますので、この作品だけはオードリーを継いだのかも。

 さて、そういえば「午前十時の映画祭」、今年はまさかの「ローマの休日」だそうです。

 本当に映画の選定委員を殴ってやりたいような気分です。
 こんな「ローマの休日」ばっかり選ぶって、もう老害ですよ、ほんま。

 昨年も一昨年も「ローマの休日」は正式にリバイバルされたのに、またやるの???
 こんな安易に「ローマの休日」を上映して欲しく無いし、「ローマの休日」が雑に扱われるのもイヤ。

 僕にとっては23年に松竹座の特別上映でも見たし、字幕版のリバイバルも見たし、24年の吹替版も見たから、もうお腹いっぱい。

 何回も何回も立て続けに見て「ローマの休日」への感動や愛情をすり減らしたく無いから、今年の「午前十時の映画祭」は応援しません。

 いい加減に「暗くなるまで待って」「噂の二人」「尼僧物語」「ロビンとマリアン」をやってよ!って感じですね。プンプン。

「ローマの休日」1970年リバイバル 過去記事
立看ポスター
プレスシート
パンフレット



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この記事へのコメント
「ローマの休日」って当時はまあまあな感じの評価だったんですね、再ブームの頃は高く評価されていたような気がしました。
時代によって変わるものなんだなと思いました。

ミア・ファローの事をオードリーが後継者のような感じで高く評価していたのは初めて知りました。
確かにエキセントリックな感じで痩せていてスタイルが良いという事以外は共通点が無いような気がしました。
オードリーのイメージとは重なりませんね。
「ローズマリーの赤ちゃん」が代表作のようですが、ウディ・アレンと交際して彼の作品にヒロインとして出演していなかったら80年代のミア・ファローってどうなっていたのかなと思った事があります。
もっと早くに低迷して忘れられていたかもしれないと思ったり。

午前十時の映画祭って一般からもリクエスト形式で投票がありますよね。
それだけ人気が高いって事でしょうか、とりあえず「ローマ休日」にしておけば無難だろうって感じだったら嫌ですよね。
最終的に選出している人ってどんな人達なのかなと思います、オードリーファンもまた「ローマの休日」かって思っている人多いと思います。
Posted by りりあ at 2025年04月23日 13:03
りりあさん、こんばんは!

「ローマの休日」、もちろん昔から傑作の扱いですが、今のような名作中の名作という扱いではなく、名作の中の1本という扱いだったように思います。
確か、名画の人気投票をすると、時代と共に「ローマの休日」の順位も上がっていってたはずです。
ま、それによって昔は人気が分散されていたオードリー作品が、「ローマの休日」一極集中になってしまってそれもどうかと思うのですけどね。

ミア・ファローは70年代後半には既に過去の人っぽいイメージでしたが(「ナイル殺人事件」しか見たことない)、80年代にウディ・アレンと組んで再生された感はありますよね。
僕も後年オードリーがミア・ファローを後継者だと言っていたと知った時は、あまりにも2人のイメージが違うので、びっくりしたものです。

午前十時の映画祭は、「ローマの休日」に投票する人はライトファンだと思います。
オードリーを本当に好きなファンなら、昨年と一昨年に来た正式リバイバルで見に行ってるはずなので、別の作品に投票するでしょうし。
73年ごろに東急の劇場の支配人が言ってたように、「ローマの休日」はリクエストする人は多い。でも上映するとお客さんは来なくてダメ、と言っていたように、ライトファンは投票はするくせに、見に行かない人が多いんじゃないでしょうか。

午前十時の映画祭での作品の選考をしている人は、公式サイトに載ってますが、この人たちも映画界にいるというのに、昨年一昨年と「ローマの休日」がリバイバルされたばかりのを知らないのでしょうか。
そのような調査力しかないのなら、さっさと交代してほしいですね。
もともと午前十時の映画祭のコンセプトは、「一度映画館で見たかった、もう一度映画館で見たかった」なので、「ローマの休日」はあまりに頻繁にやりすぎて、とっくにそのコンセプトから外れた作品になってしまってます。
ここまで「ローマの休日」をやると、オードリーファン以外にも反発を買うでしょうし、「ローマの休日」に対しても本当に迷惑です。
Posted by みつおみつお at 2025年04月23日 20:39
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