2024年05月30日

「パリで一緒に」公開60周年記念! 1964年初公開時B1横型ポスター

 さて、今日は日本で「パリで一緒に」が公開されてちょうど60年になります!
 なので今回は初公開当時の「パリで一緒に」B1ポスターを紹介します。

 B2ポスターもB1ポスターも、普通は縦型で作られるのに、このポスターは横型ですよね?
 次の公開の「マイ・フェア・レディ」もB1サイズは横型でしたけど、なんででしょうね。

 まあ当時は今みたいに映画館に額があって、そこに入れている、って感じじゃなくて、柱とかにベタベタ貼ってたので、こういう横型でも大丈夫だったのかな?と思います。

 デザインは何と言ってもオードリー推しですよね。
 アメリカでも日本でも、ビリング(序列)はウィリアム・ホールデンの方が上。

 でも5点ある画像でもほとんどがオードリー単独。ホールデンは左隅の方に1点オードリーと一緒のがあるだけ(元の写真は一緒じゃないけど)。
 60年代前半の、人気が頂点だったオードリーと、落ち目になったホールデンの扱いの差がまざまざと出ていますね。



 左側にあるバック付きの写真は本当のカラー写真ですけど、ほかの写真は着色カラーですね。
 右上のオードリーの衣装なんて、本当はグリーンなのにブルーにされていますね。

 さて、「パリで一緒に」は1964年公開ですけど、実際の撮影は1962年。
 2年とまでは言いませんが、アメリカでも撮影終了後、公開までに1年半かかっています。

 前作「噂の二人」が61年7月くらいから撮影が始まったのに、61年12月にはもうアメリカで公開していたのとはえらい違い。

 なにせ「パリで一緒に」は63年秋に日本で公開予定で、63年5月にリバイバルする「ローマの休日」と組んだ特集号まで出たというのにアメリカで公開が遅れ、結局日本でも約1年公開が遅れました。

 映画雑誌では62年のから紹介され始めているのに、ファンからしたら、なんでこんなに公開が遅れてるの?って感じだったでしょうね。

 なので「パリで一緒に」について書かれた文章で、オードリー35才って書いてるのがありますが、騙されちゃダメですよ。33才ですからね。

 だいたいアメリカでは64年の4月に公開されているので、公開時でもオードリーまだ35才になってませんからね。
 オードリー35才って書くのは、オードリーについてよく知らないか、きちんと「パリで一緒に」を調べずに書いたいいかげんな文章ですからね。信用しないでください。

 さて、撮影も公開も遅れに遅れた「パリで一緒に」、日本でもアメリカでも公開はこの次に撮って大ヒットした「シャレード」の後になりました。
 そしてその半年後にはさらに超大作「マイ・フェア・レディ」が控えていて、その間に挟まれた「パリで一緒に」。

 なんかいつも「パリで一緒に」を思う時、ベートーヴェンの聳え立つ交響曲第3番「英雄」と交響曲第5番「運命」に挟まれた交響曲第4番を思ってしまうのですよねー。

 公開当時でも、埋もれてしまってヒットしなかったのではないか?と思われそうですが、どうしてどうして!

 「パリで一緒に」、目立たないようですが、オードリー的にはチャレンジした役柄の前作の「ティファニーで朝食を」「噂の二人」は、出来はともかく興行的にはどちらもあまり日本では成功しなかったのですが、オードリーらしさが戻ってきた!と当時のオードリーファンに思われた「シャレード」の大ヒットを受けて、「パリで一緒に」も当時の大ヒットの基準である配給収入1億円を突破しています。

 まあ、当時の封切館の館名入り映画パンフレットのレアさをみると、昔から「ティファニーで朝食を」より「パリで一緒に」の方が手に入りやすいのはヒットの差なんでしょうね。

 やはり当時人気絶頂のオードリーは強いですねー。その勢いのまま、「マイ・フェア・レディ」は大大大大ヒットします。

 60年前の今日、「パリで一緒に」封切館、日比谷スカラ座は東宝チェーンマスター館の1つで1339席の大劇場でしたが、きっとオードリーファンが押しかけて満員だったんでしょうねー。

 そういえば「パリで一緒に」は、ビデオやレーザーディスクの時代はオードリー作品でもトップで色彩が綺麗に保存されていましたが、DVDやブルーレイになると変なリマスターのためか、却って色褪せてしまってとっても残念です。

 この「パリで一緒に」のB1ポスター、オードリーの写真集でもよく見かけますが、やっぱり内容的に華やかで明るいので、雰囲気もそうなっていますね。
 「パリで一緒に」好きの僕としてはとっても好きなポスターで、手に入ったときはこのポスター用にB1のポスターフレームを買い足しました。
  


Posted by みつお at 12:00Comments(10)パリで一緒にポスター

2023年11月09日

1978年「水野晴郎のおしゃべりによる 映画名場面音楽集」ポスター

 今回は1978年5月16日(火)に神戸文化ホールの大ホールで行われた「水野晴郎のおしゃべりによる 映画名場面音楽集」のポスターの紹介。
 主催は右上を見ると民音のようです。サイズはB2。一般的な映画ポスターと同じサイズです。

 これ、僕の手元にあるのは本当にボロッボロ。
 なので、かなり縦の両端(特に左側)を修正しています。

 今でもよくある、映画音楽の演奏ですよね。
 ここでの演奏は指揮が小高光って方で、演奏はストリングス・ファンタジック・オーケストラってとこ。

 検索すると、ストリングス・ファンタジック・オーケストラはレコードで数枚ヒットするんですが、小高光さんはヒットしないです。

 昨年、15年ぶりにオーケストラの演奏で舞台に乗りましたが(まさにこの神戸文化ホール!)、その時の打ち上げで指揮者である後輩くんに教えてもらいましたけど、やっぱりクラシックじゃなくて映画音楽を指揮してしまうと、“映画音楽の指揮者”って見られてしまって、クラシックの演奏をさせてもらえなくなってしまうそうです。

 なので彼としてはクラシックを振りたいので映画音楽は振らないそう。まあヘンリー・マンシーニとかは無理として、「ローマの休日」みたいに元々クラシックの作曲家だったジョルジュ・オーリックは?と聞くと、その辺は難しいところだそうです。

 まあ映画音楽って言っても、クラシックの作曲家として完全に認められているイベールやオネゲルなどは大丈夫そうでしたが、映画音楽の方が有名になってしまったオーリックだと厳しいみたいですね。

 さて、ここでの「ストリングス・ファンタジック・オーケストラ」って名前ってことは、弦楽器だけなんでしょうかね?
 弦楽器って普通はバイオリン(1stバイオリン・2ndバイオリン)・ビオラ・チェロ・コントラバスのことを指します。

 管楽器が無いと、映画音楽としてはちょっと音の広がりには乏しい気もしますが、どうなんでしょうね?

 曲目は「ムーン・リバー」「ハタリ」より子象の行進、「ピンク・パンサー」「サウンド・オブ・ミュージック」「007」「ブルー・ハワイ」よりハワイの結婚式、「モダン・タイムス」「第三の男」「青い山脈」他、と書いてますね。

 選曲を見ると、1949年の「青い山脈」があるので、78年当時に40〜50才代の方を狙ってるんでしょうかね?

 メインの画像はオードリーの「ティファニーで朝食を」。

 でもこのオードリーは見るからに着色カラーですよね。
 本物のカラー写真だと、ポットの色とか全然違いますもんね。

 でも当時、Photoshopなど無いころに、こうしてポスターで使えるように大きく着色してたってのはすごいこと。
 60年代とかの本当の映画ポスターなんかは見事な着色をしていましたけど、今はこの技術はきっともう失われてしまってるんでしょうね。勿体無いです。

 70年代後半ですから、全然オードリー映画のリバイバルが無くて、僕がオードリーに飢えていたころ。
 なのでオードリーを使ってくれているのはすっごく嬉しかったですよね。

 あ、そうそう、「ティファニーで朝食を」を原作と映画で比較するときによく書かれてるんですが、“映画は主人公の2人が結ばれて終わるが、小説は結ばれない”ってのはあるんですけど、なんでそうなのかってのは書かれてるのを見たことがないです。

 だって原作の主人公の男性である“私”はゲイなんですから、ホリーと結ばれるわけないですよね。そんな選択肢は元々無い。
 そこを書かずに、まるでホリーは自由だから“私”と結ばれなかったみたいな書き方は違うと思うんですよね。

 それに映画の製作当時、まだゲイをアメリカの映画で描くのは許されてなかったんですから、原作通りに作れるわけないですよね。
 同性愛をアメリカ映画が描けるようになったのは、オードリーの次の作品の「噂の二人」からですからね。

 別に「ティファニーで朝食を」の映画のプロデューサーのマーティン・ジュロウとリチャード・シェファードはお上に逆らって、そこまで踏み込んで描こうとはしてなかったわけです。

 なので、僕は映画は映画で完成されてるし、小説は小説、と別物だと考えています。
 ラストだけじゃなく、映画ってだいぶオリジナルにしてますもんね。

 さて、ポスターの下部に、モーリス・ベジャール率いる20世紀バレエ団が来るってのもすごいこと!
 しかも演目がストラヴィンスキーの3大バレエの「火の鳥」「春の祭典」「ペトルーシュカ」を全部やっちゃうなんてゴージャス過ぎる!

 このポスターはオードリーで嬉しいですけど、映画そのものの通りに演奏してくれないなら、ただのイージー・リスニングになってしまう映画音楽の演奏よりも、僕ならベジャールの20世紀バレエ団の方を見に行くかな〜。
  


2023年10月09日

1986年 “オードリー・フェスティバル”時 B2ポスター

 今回は、年度は今年とは“何周年”とかの関係はありませんけど、上映されていた日付がちょうど今頃だった、1986年の“オードリー・フェスティバル”時のB2ポスターの紹介。

 この時は「ローマの休日」「麗しのサブリナ」「パリの恋人」が上映されていますね。
 でもこの時のメインは、画像でもわかるように「パリの恋人」!

 というのも、「ローマの休日」と「麗しのサブリナ」は既に1985年の年末に上映されているので。
 その時の詳しいお話は、“ゴールデンシアター” チラシの記事で。

 80年代後半〜90年代初期のオードリーの大ブーム時には“オードリー・シアター”と呼ばれていたらしいというほど、オードリーの映画をよく掛けてくれていた銀座文化劇場では、85年11月30日「麗しのサブリナ」から始まって、86年1月16日で「ローマの休日」の上映が終わったのに、8か月でまた「ローマの休日」から上映していることになります。

 この85年の「噂の二人」「麗しのサブリナ」「ローマの休日」で手応えがあったのか、86年からは日本ヘラルド配給による怒涛のオードリー作品リバイバルが始まります。

 そのリバイバルされたオードリー作品全ての好調っぷりを見て、慌てて本家の配給会社も追随してまだ残っている作品をリバイバルするという過熱っぷり。

 それまで、70年代後半から80年代前半のオードリー作品の粗末な扱われ方を知っていた僕なんかは本当にビックリしました。

 “オードリー作品ではもうお客を呼べない”なんて言われていましたが、そうではなくて、「ローマの休日」と「マイ・フェア・レディ」ばっかりバカのひとつ覚えみたいに数年ごとにリバイバルしてちゃ、そりゃお客さんも飽きて動員数も減ります。

 オードリーのファンが望んでいたのは、「ローマの休日」「マイ・フェア・レディ」だけではなく、全部の作品だったことがこの時に証明されたんですよね。

 85年には「噂の二人」「麗しのサブリナ」「ローマの休日」
 86年に「ティファニーで朝食を」「パリの恋人」「マイ・フェア・レディ」
 87年に「シャレード」「暗くなるまで待って」(ワーナー配給)「戦争と平和」(UIP配給)
 88年に「パリで一緒に」「緑の館」
 89年に「昼下りの情事」「戦争と平和」(日本ヘラルド配給)
 90年には「オールウェイズ」初公開
 91年に「おしゃれ泥棒」「いつも2人で」「暗くなるまで待って」(日本ヘラルド配給)

と、14作品で16回のリバイバル、新作1本、が来てますし、さらには「おしゃれ泥棒2」と「ニューヨークの恋人たち」もこの時期にVHSビデオで発売(日本初紹介)されています。

 日本ヘラルドも、最初は各製作会社別に買い付けて、MGM/UA、パラマウント、などと他の往年の映画とともにテーマを決めて他作品とオードリー作品を混ぜて公開していたようなのですが、あまりにも突出してオードリー作品の興行成績がよかったんでしょうね、段々オードリー作品のみの買い付け&オードリー作品だけをまとめた上映になっていきます。

 さて、ここでの「パリの恋人」のリバイバルは、1966年以来実に20年ぶりの上映になります。
 「パリの恋人」が上映される!ってんで、舞い上がった僕は高校時代の先輩後輩に連絡をして、10人くらいで梅田に観に行きました。

 大阪は87年になってからの上映でした。(大阪版のチラシの記事はこちら
 というのも、86年当時はまだ今のようなデジタルではなく、フィルムでの上映。

 全国一斉に上映する新作ではなく、リバイバルの場合、フィルムをそんな何十本も取り寄せないんですよね。
 なので、全国分でも数本しか準備されていなかったと思います。

 このポスターで見ると、銀座文化と自由が丘武蔵野館で同じ作品が被っている期間がありますので、2本はある事になりますね。
 さらに予備などであと数本はあるでしょうけど、全国別の場所でそんなたくさん上映できるほどのフィルムは無かったと思われるんですよね。

 何かあった時用に予備は必ず準備しておかなければならないでしょうし、あるだけ全部使うわけにはいかないんですよね。

 なので、昔のロードショー方式のように、全国を順々に回していったと思われます。



(こちらの画像はゲッティイメージズ さんの無料でブログに埋め込み可の画像をお借りしました)


 さて、「パリの恋人」がリバイバルで見られる!ってだけでも嬉しかった僕ですが、劇場に行って驚愕! ロビーには既に予告としてこの「暗くなるまで待って」のポスターが貼ってありました!

 「暗くなるまで待って」のリバイバルを知らなかった僕は、えーーっ!!こんな連続してオードリー作品がリバイバルされるん!?って思ったのを覚えています。

 当時はまだ社会人じゃないし、貧乏な僕には、嬉しいけれどお金が心配になりました。
 それと、また一緒に行くメンバーを集めないといけないなーと思ってました。

 その時に劇場に貼ってあったこの “オードリー・フェスティバル”のポスター!

 当時はこの「パリの恋人」のオペラ座の画像はレアでしたし、なんとキラキラ輝いていたことか!
 僕は喉から手が出るほど欲しかったのを覚えています。

 今はこうして(大阪のじゃないけど)手元にある“オードリー・フェスティバル”のポスターですが、これを見ると当時の思い出が甦ります。

 初公開時の物でも66年リバイバルの物でもないし、「パリの恋人」だけのポスターでもないので、価値はそれほど高くないかとは思いますが、僕にとっては思い出のいっぱい詰まったポスターになります。

 さらに横には「暗くなるまで待って」のポスターも貼ってあったんですから、70年代後半から80年代前半にかけてオードリー作品のリバイバルに飢えていた僕にはいかに壮観で、ポスターだけでもう圧倒されていたのかがわかっていただけるかと思います。

 この時、短期間でこんなにオードリー作品が続々とリバイバルされるなんて、何かただならぬことが起こっている気配を感じたのでした。

 実はこの時に全国的にオードリーのブームは起き始めていて、1987年5月号の雑誌“スクリーン”の人気投票では6年ぶりにベスト10圏内(第7位)にオードリーは返り咲くんですよね。
  


2023年09月23日

1990年 帯広シネマアポロン版 “ヘプバーンの魅力” ポスター

(今回も無料の画像をゲッティイメージズ さんからお借りしました。)

 ここのところ、オードリーのポスターを全然紹介してなかったなーと思い、今回は劇場版ポスターの紹介をします。

 まあもともと僕はポスターの撮影がヘタクソで綺麗に撮れないので、ちょっと後回しのつもりにしていたら、相当長い間ポスターって紹介してませんでした。
 特に劇場版というと、1921年9月11日の記事で紹介した「ロビンとマリアン」のB1ポスター以来2年ぶりですね。

 ポスターって、撮るのが面倒くさいんですよ。まずポスターを収納しているところから取り出さないといけないんですよね。
 B2サイズはまだポスターファイルから取り出せばいいんですけど(それでも面倒くさい)、B1ポスターだとポスターフレームのネジを外して必要なポスターを抜かないといけなくて、そのポスターフレームが開けると崩れるみたいな物なので、撮影後に戻すのも大変で本当に面倒くさいんです。

 B1は大きいので、普段はタンスの後ろに置いてて、フレーム→買った時のビニール→プチプチ、の順に収納されているので、まず出すのも面倒くさいんですよねー。

 それに撮影はうまく反射や影が入らないようにしないといけないし、それでも失敗すると2枚の画像を繋ぎ合わせたりとかって、結構大変。
 それでついつい後回しになるんですよねー。

 今回思い切って、えいやっ!とポスターをいくつかまとめて撮影しましたので、順次紹介出来たら、と思います。

 今回はレアものの、帯広版B2劇場ポスター。
 “ヘプバーンの魅力”と銘打って、オードリーの3作品が連続上映された時のものです。

 80年代後半のオードリーブームの際の、札幌版はいくつか製作されているのは知ってましたが、まさか帯広にも劇場独自版のポスターがあったとは!
 (札幌版は「麗しのサブリナ」「ティファニーで朝食を」「パリで一緒に」で見てね)

 というのも、印刷って最低1000枚は刷らないと、かなり割高になるんです。今ならオンデマンド印刷という手がありますんで(と言っても品質はめっちゃ落ちる。プリンター並み)、少部数でも対応できるんですが、80年代90年代はまだそんなものありませんからねー。

 全国で同じものを使うなら、1000部くらいは簡単に超えるかもしれませんけど、帯広独自のポスターとなると100部も要るかどうかですよねー。
 なのでこのポスターはピンクと黒の2色刷りですけど、単価はものすごく高いと思います。

 さて、これが帯広とわかったのは、住所から。
 シネマアポロンというのは札幌とか旭川とか釧路にもあったみたいなので、チェーン館だったのかなーと思いますが、西4南9(西4条南9丁目)という住所で帯広のものだとわかりました。

 そしてそして!メインは「マイ・フェア・レディ」の画像なんですが、このポスターでおおおっ!と思ったのはそこではありません。
 なんとなんと、もひとつなんと!「緑の館」が上映されているではありませんかーーっっっ!!




 このブログで以前から読んでいただいている方は何度も書いているのでもうご存知だと思いますが、「緑の館」は80年代後半のオードリー作品続々リバイバルの中で、日本ヘラルドが84年にリバイバルの権利は取って映画パンフレットまで準備されていたものの、フィルムの状態が良くなくて、なんと日本で最も集客のできる東京地区と大阪地区ではリバイバルされなかったんです!

 88年に名古屋や札幌など地方でリバイバルされましたが、結局東京と大阪は無し。
 なので「緑の館」のリバイバルを見れた幸運な人は、ほんの一握りの人達だけになってしまったんですよね。

 こちらのブログに来ていただいている方でも、名古屋にいらした明智常楽さん以外は「緑の館」をリバイバルではご覧になってないみたいなんですよねー。

 東京では93年にオードリーが亡くなったときに(企画自体はオードリーが元気な時から準備されていた)、JALと日本ヘラルドと銀座文化が組んで半年間オードリー作品だけを連続上映した、「I'll AUDREY THEATER」でも、日本ヘラルドが当時権利を持っていた14作品のうち、「緑の館」と「戦争と平和」だけが外されたんですよねー。ほんともったいない!

 今ならいろんな情報がネットで見れるので、名古屋で「緑の館」のリバイバルがある!ってわかったら新幹線や近鉄特急使ってでも行きますが、なんせ88年ですからねー。そんな情報は全く知らないので…。
 いつか大阪や神戸でも上映するやろと呑気に構えていたら、そんな日は来ませんでした…。

 なので、「緑の館」リバイバルはとっても貴重で、名古屋と札幌以外でも熊本や長崎でリバイバルされたらしいのですが、それ以外は全く不明でした。
 それが帯広ではわずか6日間だけですけど、こうしてリバイバル公開されていたなんて!

 今は亡きシネマアポロンさんですが、上映してくださってありがとうございます!
 帯広にも「緑の館」をご覧になった貴重な方がいらっしゃったことになりますね。当時の思い出話とか聞いてみたいですねー。




 さて、「緑の館」自体は1984年からリバイバルの権利が日本ヘラルドにありましたが、同時にポスターに載っている「マイ・フェア・レディ」と「戦争と平和」のリバイバルの権利を取れたのが、それぞれ1986年、1989年になるので、載っている日付と照らし合わせて1990年のポスターだとわかりました。

 「緑の館」、オードリーの主演では最も出来が悪いと言われているので、さすがに “午前十時の映画祭”でもリバイバルされるのはないと思います。そう考えると本当に88年のリバイバルは貴重だったんですよね〜。

 「戦争と平和」はゲッティイメージズ さんから画像をお借りしましたが、オードリーと一緒に写っているヴィットリオ・ガスマンをちょっと調べてみましたら、イタリア映画などでは主演を張ってた人だったんですね!

 なぜいつもオードリーと大きく取り上げられるんだろう…などと思っていましたが、それならクレジットもオードリー、ヘンリー・フォンダ、メル・ファーラーに次いで4番目なのもわかります。
 役としてはナポレオンやドーロホフの方が大きいですもんね。

 オードリーとの身長差から考えて、きっと身長も190cm近くあっただろうと思いますし、欧米人といえども1950年代では非常に高かったことと思います。
 きっと実際はカッコ良かったんでしょうね。

 今まではチョイ役の顔の濃い人、というくらいのイメージしかありませんでした。
 でも逆にそうなるとなぜこんな小さな役に出演したんだろう、とも思います。
  


2023年06月28日

8月25日公開「ローマの休日」ポスター発表!

今回の画像の権利は、©️TCエンタテインメント さんになります。もちろん無断転載は禁止です。

 今年、TCエンタテインメントさん配給で8月25日からリバイバルされる「ローマの休日」のポスタービジュアルが届きました!

 TCエンタテインメントさんいわく、
“ベスパに二人乗りする名シーンをピンク色のポップで新鮮なバージョンと、ティアラを被ったアン王女のクラッシックなバージョンの2種類です。”
だそうです。

 というか、今回のビジュアルで気になることがいくつか。

 まず、タイトルロゴが2003年版と全く同じですね。
 配給会社が変わるので、ロゴも変わるもんだと思っていましたが。というか、変わることを楽しみにしていたのですが…。

 まあこれは70年・73年・77年と同じロゴってのもありましたから、アリなのか?
 でもその時は全部権利元のパラマウントだったからそういうもんかーって感じでしたが、今回は配給会社が変わるので、ガラッと変えてくるかと思っていました。

 それと、正直今回はわりと地味なビジュアルかなーと思いました。
 墨とピンクの2色刷りだし、画像は最近ありがちな着色してないし。

 TCエンタテインメントさんが “新鮮”と呼ぶピンクバージョンの方がレトロな感じがします。

 いつものティアラバージョンの方は見慣れてる分、“これぞ「ローマの休日」!”って感じですが、こちらは色が少ないので、地味さはこっちが勝ってますかね。

 1970年・73年・77年版や、2003年版のポスターのイメージを持っていると、映画は白黒といえども華やかな感じな仕上がりだったので、ある意味意表を突かれました。

 ティアラバージョンでも写真は2点だし、ティアラの画像もフチの加工は何もせずに四角くそのまま載せてるだけだし、なんとなく正式な公開というより、ホールチラシのようなそんな感じに見えます。今回はシンプル・イズ・ザ・ベストって主張でしょうか。

 皆さんもこのビジュアルの感想をお聞かせください。
 公式サイトはこちら
  


Posted by みつお at 08:00Comments(0)ポスター

2021年09月11日

「ロビンとマリアン」1976年初公開時 B1ポスター

 今日は1976年日本公開の「ロビンとマリアン」のB1(B全)ポスターの紹介。サイズは728 × 1030 mm。
 相変わらずポスターの撮影が下手くそですよねー。どなたかに綺麗にポスターを撮る方法を教えていただきたいです。

 ポスターって、日本の場合通常はB2サイズ(515 × 728 mm)で制作されるんですよね。
 現在のシネコンなんかでも、入るシアターの入り口に掲げられているのがB2サイズ。

 でもそれとは別に、B1ポスターも数はずっと少ないものの制作されます。
 家だとB2でも充分大きなサイズなんですが、大きな劇場の入口やロビーで掲示するにはかなり小さく見えます。
 そこでB1サイズというものも必要になるんですよね。このサイズだと劇場でも充分迫力が出せます。

 オードリー作品も「ローマの休日」1954年日本初公開の昔から2014年公開の「マイヤーリング」までB1サイズというポスターは作られ続けてきました。

 でも数が少ないだけあって、入手はわりと困難。昔の作品だとB2ポスターですら入手が難しいのに、B1なんてもっと難しい。
 僕もあんまり持っていません。高いしね。

 それで、オードリー作品ではB2ポスターの入手の簡単な「ロビンとマリアン」でもなかなか手に入らなかったし、あの販促物だけを集めた写真集の「オードリー玉手箱」にも載ってないので絵柄すら知らなかったんです。

 B1ポスターって、B2とおんなじデザインのこともあれば(「マイヤーリング」など)全く違うこともあるんで(「マイ・フェア・レディ」など)、「ロビンとマリアン」はどんなんだろうとずっと思ってました。

 予想ではB2ポスター2種のどちらかと一緒だろうと予測していて、おそらくイラストタイプの方だろうと思っていたのですが、もしかすると大穴でプレスシートのタイプだったりして…などとも思っていたのですが、手に入ってオードリーの宣伝写真のタイプだとわかりました!

 このデザインはチラシでも使われていましたよね。宣伝写真の美しいオードリーがこちらを見つめるという画像。オードリーにぴったりのピンクの衣装はジバンシィではなく、当時オードリーが住んでいたイタリアでお気に入りだったヴァレンティノ・ガラヴァーニ。

 でもこっちがメインだなんて、やっぱり当時いかにオードリーの復帰が待たれていたかがわかりますよね。
 相手役、1流のショーン・コネリーですよ?それでもオードリー1人の方をメインで使っちゃう。本当に凄いですよね!

 オードリー作品って、相手役が誰であろうと日本のポスターのメインはオードリーのアップ、ってものばかりです。相手役が当時人気があってもやっぱりオードリー1人。公開当時「アラビアのロレンス」で大人気だったピーター・オトゥールが共演の「おしゃれ泥棒」であってもオードリー1人。
 相手役は隅に小さく載ってるだけ、ってのが多いですよね。

 オードリー主演作品で、オードリーの相手役がオードリーと対等にB2ポスターに載ったのは、たぶん「緑の館」のアンソニー・パーキンスただ1人だと思います。あー「噂の二人」でジェームズ・ガーナーも載ってましたけど、あれはオマケっぽい感じでしたよね。それに「噂の二人」での相手役はシャーリー・マクレーンかと。

 でもこの「ロビンとマリアン」、イラストタイプがB1サイズじゃなくてよかったー!と思ってます。
 というのも、イラストはあくまでもイラスト、本物のオードリーじゃありませんからね。

 「ティファニーで朝食を」で有名なアメリカ版のポスターに何の興味も湧かないのも、あれがイラストだから。
 しかも顔もスタイルもオードリーと違いますしね。衣装までスリットの入った映画と違う衣装になってます。

 さてここからはちょっとネタバレになるので、「ロビンとマリアン」未見の方は読まない方がいいと思いますよ。
 一生に1回しか初めの気持ちって持てないですからね。オードリーファンなら「ロビンとマリアン」は最後の代表作なので、ぜひ!見てください。

 「ロビンとマリアン」、公開当時からラストシーンが色々と言われてますよね。

 僕はまだ少年の頃に最初に劇場で見た時から
 “ロビンがもう助からないとわかったマリアンが、ロビンが苦しみながら死ななくていいように毒薬を飲ませた。そしてロビンを愛する自分も一緒について行くために先に毒を飲んだ。”
 という見方なんで見ながら泣いてしまって、劇場で明かりが点くのが困ったんですが、公開当時の「スクリーン」なんかを見ても、ネットでのレビューとか見ても、どうやらそうではないと思っている人が一定数いるみたいなんですよね。

 “単にこれはマリアンのエゴで、ロビンを自分のものにしておきたい為に、助かるはずだったロビンと無理心中した”という見方ですね。
 でもこの見方はどうなの?ってずっと思ってます。

 このラストシーンがどうだったかというのは、次の3つのことを踏まえるとわかってくると思います。
1.「ロビンとマリアン」の脚本家ジェームズ・ゴールドマンの考え
2.オードリーはなぜこの作品に出演したか
3.舞台となった1200年頃のイギリスの当時の医療

 まず1の脚本家ジェームズ・ゴールドマンですが、初公開時東宝事業部から「ロビンとマリアン」という本が出版されていて、そこにジェームズ・ゴールドマン自身が語る「ロビンとマリアン」が出来るまで、それと「ロビンとマリアン」の小説が載っています。

 それを読むと、ゴールドマンが見つけたバラードに、戦で傷ついたロビンが修道院を訪れるとマリアンがいて、憎んでいたロビンに毒を飲ませる、というものがあったらしいですが、そんなドス黒い内容はロビン・フッドの物語には合わないということで、ロビンが死ぬのは愛のため、マリアンがロビンに毒を飲ませることがあればそれだけマリアンはロビンを愛していたということなのだ、と書いています。

 そしてその考えに基づいて作られた「ロビンとマリアン」ですが、そこでの小説版を読むと、
 “シェリフの剣はロビンの脇腹に深く喰い込んだ。”
 “マリアンが二人のところに駆け寄った。(中略)マリアン「ああ、神様。ひどい……」”
 “ジョン「助かるのか?」 その時彼女(マリアン)はもっとも可憐な、そしてもっとも寂しげな笑みを浮かべて振り向き伸び上がって彼の頰に唇を触れた。”
 “彼女(マリアン)は彼(ロビン)の脇腹の深い傷を見ながらうなずいた。”
 “それから彼が言った言葉も真実だった。ロビン「こういう勝利の日は、俺には二度と訪れるはずはなかったのだな?」彼女はうなずいた。”

 これらを読むと、どういうことであったかはだいたいわかりますよね。

 次の2のオードリーのことですが、76年だかの「スクリーン」のインタビューで書かれていましたが、リチャード・レスター監督がリアリズムを追求するあまり、愛の場面を相当カットしたそうですが、オードリーは愛の場面がなくならないように頑張ったということが書いてありました。

 そこでわかるのがオードリーも愛を描きたくてこの映画に出演したということ。もしマリアンが助かるはずのロビンを独占する為に殺して心中するような話だったら、普段のオードリーの言動から考えても、決して出演しなかったと思うんですよね。

 3つ目の当時の医療ですが、ちょうど1200年くらいの中世の時代に、外科手術がどれほどのものであったかですよね。
 まあ僕の知ってる限りでは、当時は1800年代から始まった麻酔もないですし、それより後の消毒や滅菌などの意識もなかった時代。人々は外科手術的なものが必要になると、そのまま死んでしまうか、外科手術そのもので死んでしまうか、みたいな一か八かみたいなものだったんですよね。生存率は物凄く低かったと思います。

 そんな時代に脇腹を深く斬られたロビンが生きていけるのか、という問題ですよね。あのシーンを見ても医者は全くいませんでしたし、せいぜい薬剤師兼看護師兼介護士のようなマリアンがいるだけでしたよね。
 切れた肉や内臓を縫う医療技術など、誰も持っていなかったものと思います。

 とそれらを考えると、マリアンはロビンが助かるならばなんでもしたでしょうが、当時の技術では成す術がなかった、と考える方が正しいと思います。そしてまたロビンに置いていかれるよりも自分も一緒にいこう、あるいはロビンをたったひとりで寂しくいかせたりはしまいと決意したのだと思われます。

 それがマリアンの最期の言葉、「日の光、いのち、そして神よりも深くあなたを愛しています……」というこのポスターにも書かれている言葉に繋がっているんですよね。尼僧でもあるマリアンが、「神よりも」って言葉を使うってことは、どれだけ深い意味のある言葉か、ってことですよね。

 なので、単純な心中物語としか見てない人のレビューを読んだりすると、なんだかなーと思ってしまうんですよね。
 僕はこれは本当にオードリー・ヘプバーン渾身の最後の代表作であり、大傑作!だと思っています。
  


Posted by みつお at 21:00Comments(8)ロビンとマリアンポスター

2020年01月04日

「マイヤーリング」B1劇場ポスター ピンク版

 さて今日は「マイヤーリング」劇場公開からちょうど6年です。
 2014年1月4日からまずTOHOシネマズ六本木、梅田、二条で公開。その後11日から全国で上映されていきました。

 なんかついこの間のように感じてしまいますが、もう6年…早いですねー。
 今回は記事のアップも、僕が見に行った6年前の大阪の初回と東京での2回目の上映開始時刻11時30分に合わせてアップしています。

 初めて井上由一さんから「マイヤーリング」のパンフレットへの寄稿のお話を頂いたのが2013年の9月。もうもう超驚いて嬉しくて感激しました!
 大急ぎで原稿を仕上げて、プレスシートになった時は嬉しかったですね〜!

 そして9月30日12時に情報解禁日があって、このブログでも晴れて記事をアップ出来ました!その時はこんなビッグニュースを皆さんに伝えできることが嬉しくて、皆さんの反応が楽しみでワクワクしてました。

 初日はみんなが劇場に見にきてくれるのかが心配でしたが、僕が行ったTOHOシネマズ梅田では1日3回しか上映されなかったのに、なんと初回の上映に行った段階で1・2回目はSOLD OUT!

 そうとは知らず見に来てくれたお客さんたちに、劇場の方が売り切れの説明をしていて、まだ11時台なのに、19時50分の3回目ならまだ席が残っていますと申し訳なさそうに案内していたのが印象に残っています。
 そして見終わって帰るときにチェックしたら、その3回目もすでに半分以下になっていました。

 井上由一さんに訊いたら、初日は大阪は完売、六本木もほぼ満席だったそうです。これは劇場側も予想もしないヒットだったんですね。二条はどうだったんだろ?

 さて、そんな「マイヤーリング」ですが、このあいだの井上由一さんの「オードリー・ヘプバーン 映画ポスター・コレクション」でひとつわかったことがありました。

 無料で寄稿する代わりに、宣材は全ていただくと言うことになっていたのですが、「映画ポスター・コレクション」に載っていた「マイヤーリング」のB2版ピンクポスターはいただいてましたが、B1ポスターピンク版を頂いてないことがわかって、その事を井上さんにお伝えすると、なんと!公開から6年近く経っていたのに、会社の方から送っていただけるように手配してくださいました!ありがたいことです。m(_ _)m

 ポスターといえば、井上さんの写真集でも書かれていましたが、最近は全世界同一イメージでポスターが作られることが多いんですが、もちろん「マイヤーリング」は世界中のどこでも劇場公開されていませんから、往年のように日本で完全オリジナルのポスターを作ることが出来たんですよね。

 ちなみに “ヨーロッパのどこかで劇場公開された” と書かれているオードリーの伝記がありますが、生放送中の当時のごく小さい湾曲しまくったテレビを、テレビとフィルムを同期させるために、超高価な機材を使ってフィルムでモノクロ撮影するというキネスコープ・レコーディングしかテレビを保存する方法が無かった時代ですから(現存するのはごくまれ)、デジタル・リマスターも無い時代に劇場で掛けることは不可能です。

 伝記でもどこの国か書いていませんし、劇場公開したのならあるはずの証拠の劇場ポスターも無い。もう完全な都市伝説(デマ)ですね。英語版Wikipediaの「マイヤーリング」やIMDbなどではやっぱり “ヨーロッパで劇場公開された” というデマがなんの検証もされず、証拠もなくそのまま載っています。

 さて、このポスターについても当時井上さんに色々と質問していましたが、当初はこのピンク版が社内でも好評だったそうで、こちらで行く予定だったそうです。

 ところが元々はカラー作品でしたが現存するのはモノクロ版のみなので、上司の方から “上映するのはモノクロなのに、カラーでポスターを作るのはおかしい” と横槍が入り、モノクロ版のポスターが作られたそうです。

 なので僕が「マイヤーリング」を見に行った大阪や神戸ではモノクロ版のみしか掲出されていませんでしたし、カラー版はめっちゃ貴重です。
 今回井上さんにお訊きしたところ、このカラー版は劇場に送るか、関係者に配布した程度だそうです。

 「マイヤーリング」を劇場でご覧になった皆さんはこのピンク版のポスターはご覧になったことはありましたか?もし見ることができてたら、めっちゃラッキー!

 今回6年ぶりに「マイヤーリング」の新しいポスターが手に入るなんて思っても見ませんでしたし、こうして久しぶりに「マイヤーリング」のポスターを紹介出来ることが嬉しいです!

 カテゴリーを見ていただくとわかるんですが、オードリーのチャレンジ3部作(「尼僧物語」「緑の館」「許されざる者」)はもちろん、「昼下りの情事」「シャレード」「暗くなるまで待って」という錚々たる作品よりも「マイヤーリング」の方が紹介数が多いんですよ!

 ただしこんな風に切り抜きされてますけど、本当のこの時のオードリーの髪型はロングヘアのカツラなんですよ〜。

レア度:★★★★★(相変わらずポスターの撮影がヘタですみません…。本当はもっとキレイです!)
  


Posted by みつお at 11:30Comments(5)マイヤーリングポスター

2015年05月17日

ミニチュア版「ティファニーで朝食を」1969年リバイバル立看ポスター

 さて、ミニチュア版ポスターの紹介も最後になりました。今回は「ティファニーで朝食を」の1969年リバイバル時の立看ポスター。

 これ結構有名な絵柄で、僕もこのミニチュア版で持っているせいか、本物を持っていると錯覚してしまいます。実際に持っているのは初公開時の立看ポスターなんですけれども…。
 それに、入っている要素はB2ポスターと同じで、イメージがダブります。

 これも英国のポスター蒐集家であり、“リール・ポスター・ギャラリー”も経営しているトニー・ヌールマンドの「華麗なるパラマウント映画時代」という写真集でも掲載されていました。

 「ティファニーで朝食を」のアートワークというとロバート・E・マッギニス(マクギニス)作のイラストポスターが超有名。最近でも本物のサントラCDのジャケットに採用されてました。

 「ティファニーで朝食を」は世界的にはオードリーでは一番の人気作なので、マッギニスのポスターはおそらくオードリー作品では世界で一番値段の高いポスターなんでしょうが、残念ながらオードリーはイラストなので、僕的にはあんまり興味はありません。そこで描かれるオードリーは顔もプロポーションもオードリーじゃないですしね。衣装もジバンシィのとちょっと違うし。

 あとは、かつて “サントラ”と称して売られていたヘンリー・マンシーニが演奏し直した盤のジャケットが有名ですね。こちらはオードリーは写真。

 それらと比べると、1969年リバイバルの立看ポスターはちょっとマイナーかな?とは思いますねー。色使いも「ティファニーで朝食を」のイメージではない赤〜朱色系の部分が大きいし。

 僕の持つ「ティファニーで朝食を」のイメージは原色に近い青だし、“ティファニー” だけだとやっぱりミントグリーン色のティファニーブルー。おそらく今「ティファニーで朝食を」だけの映画ポスターを制作したら、デザイナーさんは映画と関係なくティファニーブルーを使用するんじゃないかなー。

 でもやはり1960年代後半の作だけあって、充分世界レベルのデザインになっていると思います。写真を使用したポスターとしては僕はB2ポスターと共に一番好き!です。(^-^
  


2015年05月11日

ミニチュア版「パリの恋人」1966年リバイバル 立看ポスター

 さて、今回は「パリの恋人」の1966年リバイバル時の立看ポスターです。

 このミニチュア版の元になったポスターの状態があんまり良くないのか、発色も悪いですし、折り目がしっかり入っていますね。

 そして、サントラジャケットでも使われていたオードリーの顔だけのアップもありますが、角度が良くないのと、下半分がスカスカ気味で、出来はちょっと残念賞。
 1960年代後半のデザインというより、60年代前半風のデザイン。傑作の森には入り損ねています。

 「パリの恋人」という題字のロゴは初公開時よりもずっと躍動的になっていますね。こちらの方が「パリの恋人」にはふさわしいと思います。
 公開年を判断するのに、この題字のロゴはかなり役に立つ判別方法だと思います。

 さて1966年というと、オードリー作品では1月に旧作の「初恋」が日本初公開、4月にこの「パリの恋人」のリバイバル、11月に「おしゃれ泥棒」の初公開と正式に3本の映画が見れた年です。

 この当時のオードリーの最大のライバルと目されていたのは、前年「サウンド・オブ・ミュージック」と「メリー・ポピンズ」で大ブレイクしたジュリー・アンドリュース。
 「映画の友」「スクリーン」両誌で連続1位記録を続けていたオードリーを、1966年5月号発表の1965年度人気投票でどちらも破って1位になっていました。

 ところがこの1966年のジュリーの作品は「引き裂かれたカーテン」と「ハワイ」。どちらもファンの求めるジュリー像ではなく、1位はわずか前年の1回限り。

 逆にオードリーは「おしゃれ泥棒」での好評によって1967年5月号での人気投票で「映画の友」では再び1位に。男優1位のアラン・ドロンの786票、女優2位のジュリーの975票に大差をつけての1501票で1位になっています。本文でも可哀想にジュリーは “作品が悪い。” と一蹴されていました。

 「パリの恋人」66年リバイバルは東京では「戦争と平和」「昼下りの情事」「噂の二人」とオードリーと縁が深い松竹セントラルでのリバイバルでした。→
(画像は「カタログ オードリー・ヘプバーン」より)

 1962年の「噂の二人」ではまだ松竹セントラル独自のパンフレットが存在していましたが、66年の「パリの恋人」にはもう館名入りすら存在しません。
 この4年の間にすっかり廃れてしまったのでしょうね。

 で、この1966年リバイバルの「パリの恋人」ですが、意外とヒットしなかったようです。というのもパンフレットの種類及び流通量が少ないです。ピンク版大阪映実版のみ。
 外映版パンフは1965年で会社をたたんでしまったようなので存在しないのは仕方ないとして、発行されたピンク版にしろ大阪映実版にしろ、たった2種類なのに出回ってる数がやたら少ないですね。

 全国で売っていたであろうピンク版はまだしも、関西圏で売っていたであろう大阪映実版はオークションでもほとんど出てくることはありません。
 1966年という時期のものでありながら、オードリーパンフの中でも最高級に入手が難しいパンフの1つとなっています。
 これはもしかしたら大阪ではリバイバルしたけれども、京都や神戸ではリバイバルがなかったのかもしれませんね。

 あと、ピンク版にしろ大阪映実版にしろ、カラーページはあるのですがどちらも着色カラーで印刷が悪く、パンフの出来は悪いです。
 「パリの恋人」なら本来は “これってファッション雑誌?” と見紛うばかりの華やかでオシャレなカラー満載のパンフを作るべきだと思うんですけどね〜。

 あと、1966年リバイバルのフィルムで権利の切れる前の72年にも劇場公開されたみたいで、その時に「シャレード」版「パリの恋人」パンフが新たに作られました。
 え?なんで「パリの恋人」なのに「シャレード」版かって?それはリンクで行っていただいて見ていただくとわかります。(^^;

 それと皆さんは「タイピスト!」という映画をご覧になりましたか?2012年の作品で、日本では2013年に公開されましたが、僕も劇場に友人と見に行きました。
 で、タイトルバックがめっちゃ「パリの恋人」してるな〜!と思いました。

 でもこれはあながち間違いでは無いようで、レジス・ロワンサル監督は主演のデボラ・フランソワにオードリーの「麗しのサブリナ」「パリの恋人」「昼下りの情事」「マイ・フェア・レディ」を見て参考にするように指示した、と「タイピスト!」公式サイトのプロダクションノート2ページ目に書いてあります。

 しかもデボラの映画でのポニーテールはそのままオードリーの髪型を使ったとか!この映画でのポニーテールは「麗しのサブリナ」のものではなく、「パリの恋人」のものですよね。

 というわけで、かなり「パリの恋人」を意識した作りとなっているようです。

 「タイピスト!」は楽しい映画で、見ながら “姪っ子にも見せてあげたいな〜…。” なんて考えていましたが、途中でHシーンが出てきたのでぶちこわし。小学生と一緒に見れる映画ではありませんでした。(^^;A

 製作国のフランスでは2000年代にも昨年あたりにもオードリーの作品は続々とリバイバルされているようで、それだけまだまだオードリーの人気は高いのかなーと思っています。
  


Posted by みつお at 18:00Comments(0)パリの恋人ポスター

2015年05月04日

ミニチュア版「昼下りの情事」1965年リバイバル時 立看ポスター

 今日はオードリーの86回目のお誕生日です!

 ミニチュア版のポスター紹介も、次はぐっと飛んで、1965年「昼下りの情事」リバイバル時の立看ポスターです。

 お気づきかと思いますが、現在のDVDではこの65年リバイバル時の「昼下りの情事」というタイトルロゴが使われています。

 そして前回の1959年の「緑の館」に比べて相当垢抜けているのがおわかりですよね?

 1950年代の “レトロ”、1960年代前半の “スカスカ” 感から抜け出して、一気に洗練された60年代後半に突入しています。

 もちろんまだまだ時代は昭和なんですけど、今の人が思う “昭和” な感じは微塵も無いですよね。

 グラフィック・デザイナーさんも、このころにきっと若くて凄い人が出てきたんだろうなーと思います。
 戦前・戦中時代のデザイナーさんの、どうも堅い&重い…っていう感じはなくなって、効果的な白の空間の使い方や、パステル色の多用など、今でも充分通用するデザインが続々と生まれてきます。

 1960年代後半〜1970年代前半にかけてのポスターは、1966年の「パリの恋人」リバイバル、「おしゃれ泥棒」鉄兜バージョン、1967年「いつも2人で」サングラスバージョン、1968年「暗くなるまで待って」、「シャレード」リバイバルB2&立看ポスター、1970年「ローマの休日」リバイバル(73年・77年も同じ)、1972年「パリで一緒に」リバイバル、1973年「戦争と平和」リバイバル「シャレード」リバイバルと、傑作の森が続きます。

 それらは約50年経った今でも世界でトップのデザイン!
 「暗くなるまで待って」のように世界でのDVDのジャケットに採用されたものもあるし、「おしゃれ泥棒」のように今でも全世界でこれを超えるデザインが出てないもの、ポスター蒐集兼展示販売の「リール・ポスター・ギャラリー」で堂々飾られていた「パリで一緒に」72年リバイバル、世界で賞賛される「シャレード」73年リバイバル、今でもデザインが踏襲される「ローマの休日」70年リバイバルなど、本当に凄いです!

 というか、50年経っても超えられない…って!この当時のグラフィックデザイナーさんのレベルがスゴ過ぎますよね!

 昔ってアドビの Photoshop や Illustrator などというものはなかった超アナログな手作業だったわけで、かかる手間ひまは今の比ではなかったと思います。
 配置するだけ…ってわけじゃないし、ぼかすための透明機能なんてものはないわけだし。

 実際このポスターもそうですけど、モノクロ画像を使う場合は、ポスターサイズの大きな画像に綺麗に着色して…という気の遠くなるような作業がまず有ったわけで、それが今の Photoshop で作業するよりも自然で繊細な仕事っぷりっていうのがホンとびっくり仰天です。日本の職人技ってすっごいですねー!

 「パリで一緒に」72年とか「おしゃれ泥棒」の鉄兜とか、あまりにも精巧で、本当はモノクロ画像なんだよってことに気づかない人も多いんじゃないでしょうか。

 これだけの世界に誇れるデザイン力を持っているのに、それぞれのポスターにはデザイナーの名前はどこにも無いという…。本当にもったいないですね。

 当時のデザイナーさんはもう亡くなってらっしゃるかもしれませんが、こうして世界がいまだに絶賛していますよ!っていうのは、ぜひ!ここに書き留めておきたいですね。

 きっと当時の映画会社も、これだけズバ抜けたデザイン力を持っているデザイナーさんだと、“またお願いします!” ってことに当然なってたんだろうなーと思います。そしてそれに感化された周りのデザイナーさんのレベルもこの時期に大きく上がっていったんだろうなと。

 ちなみに立看ポスターって、B2サイズのポスターを2枚上下に並べて(あるいは貼り合わせて)使うものなので、少しダブる部分があります。
 なので、ズレてしまうとこの画像のように “昼” の部分が2重になったりするわけですね。(^^;

 「昼下りの情事」って、1965年リバイバルの次は1989年までないんですよね。「スクリーン」とかを見ると、1972年頃にユナイトが「ウエストサイド物語」「2001年宇宙の旅」などと共に正式リバイバルする予定があったようなんですけど、実現せずに終わってしまいました。

 でも、1972年頃までは名画座での上映はあったようで(ちょうどフィルムの7年契約が切れる時期)、実際に1972年に名画座で見た人の話を伺うと、この立看ポスターが階段上に貼られたのを見ながら、降りていって名画座に行ったそうです。想像するだけでもぞくぞくっとしますね。羨ましいです。

 その後は1975年にテレビ放送されたのを最後に、1989年リバイバルまで「昼下りの情事」は一切テレビでも劇場でもビデオでも見ることの出来ない幻の作品となっていました。僕なんかも1989年まで全然見れなかったクチです。本当に恋い焦がれたものでした。
  


Posted by みつお at 09:00Comments(16)昼下りの情事ポスター