2021年09月11日

「ロビンとマリアン」1976年初公開時 B1ポスター

 今日は1976年日本公開の「ロビンとマリアン」のB1(B全)ポスターの紹介。サイズは728 × 1030 mm。
 相変わらずポスターの撮影が下手くそですよねー。どなたかに綺麗にポスターを撮る方法を教えていただきたいです。

 ポスターって、日本の場合通常はB2サイズ(515 × 728 mm)で制作されるんですよね。
 現在のシネコンなんかでも、入るシアターの入り口に掲げられているのがB2サイズ。

「ロビンとマリアン」1976年初公開時 B1ポスター でもそれとは別に、B1ポスターも数はずっと少ないものの制作されます。
 家だとB2でも充分大きなサイズなんですが、大きな劇場の入口やロビーで掲示するにはかなり小さく見えます。
 そこでB1サイズというものも必要になるんですよね。このサイズだと劇場でも充分迫力が出せます。

 オードリー作品も「ローマの休日」1954年日本初公開の昔から2014年公開の「マイヤーリング」までB1サイズというポスターは作られ続けてきました。

 でも数が少ないだけあって、入手はわりと困難。昔の作品だとB2ポスターですら入手が難しいのに、B1なんてもっと難しい。
 僕もあんまり持っていません。高いしね。

 それで、オードリー作品ではB2ポスターの入手の簡単な「ロビンとマリアン」でもなかなか手に入らなかったし、あの販促物だけを集めた写真集の「オードリー玉手箱」にも載ってないので絵柄すら知らなかったんです。

 B1ポスターって、B2とおんなじデザインのこともあれば(「マイヤーリング」など)全く違うこともあるんで(「マイ・フェア・レディ」など)、「ロビンとマリアン」はどんなんだろうとずっと思ってました。

 予想ではB2ポスター2種のどちらかと一緒だろうと予測していて、おそらくイラストタイプの方だろうと思っていたのですが、もしかすると大穴でプレスシートのタイプだったりして…などとも思っていたのですが、手に入ってオードリーの宣伝写真のタイプだとわかりました!

 このデザインはチラシでも使われていましたよね。宣伝写真の美しいオードリーがこちらを見つめるという画像。オードリーにぴったりのピンクの衣装はジバンシィではなく、当時オードリーが住んでいたイタリアでお気に入りだったヴァレンティノ・ガラヴァーニ。

 でもこっちがメインだなんて、やっぱり当時いかにオードリーの復帰が待たれていたかがわかりますよね。
 相手役、1流のショーン・コネリーですよ?それでもオードリー1人の方をメインで使っちゃう。本当に凄いですよね!

 オードリー作品って、相手役が誰であろうと日本のポスターのメインはオードリーのアップ、ってものばかりです。相手役が当時人気があってもやっぱりオードリー1人。公開当時「アラビアのロレンス」で大人気だったピーター・オトゥールが共演の「おしゃれ泥棒」であってもオードリー1人。
 相手役は隅に小さく載ってるだけ、ってのが多いですよね。

 オードリー主演作品で、オードリーの相手役がオードリーと対等にB2ポスターに載ったのは、たぶん「緑の館」のアンソニー・パーキンスただ1人だと思います。あー「噂の二人」でジェームズ・ガーナーも載ってましたけど、あれはオマケっぽい感じでしたよね。それに「噂の二人」での相手役はシャーリー・マクレーンかと。

 でもこの「ロビンとマリアン」、イラストタイプがB1サイズじゃなくてよかったー!と思ってます。
 というのも、イラストはあくまでもイラスト、本物のオードリーじゃありませんからね。

 「ティファニーで朝食を」で有名なアメリカ版のポスターに何の興味も湧かないのも、あれがイラストだから。
 しかも顔もスタイルもオードリーと違いますしね。衣装までスリットの入った映画と違う衣装になってます。

 さてここからはちょっとネタバレになるので、「ロビンとマリアン」未見の方は読まない方がいいと思いますよ。
 一生に1回しか初めの気持ちって持てないですからね。オードリーファンなら「ロビンとマリアン」は最後の代表作なので、ぜひ!見てください。

 「ロビンとマリアン」、公開当時からラストシーンが色々と言われてますよね。

 僕はまだ少年の頃に最初に劇場で見た時から
 “ロビンがもう助からないとわかったマリアンが、ロビンが苦しみながら死ななくていいように毒薬を飲ませた。そしてロビンを愛する自分も一緒について行くために先に毒を飲んだ。”
 という見方なんで見ながら泣いてしまって、劇場で明かりが点くのが困ったんですが、公開当時の「スクリーン」なんかを見ても、ネットでのレビューとか見ても、どうやらそうではないと思っている人が一定数いるみたいなんですよね。

 “単にこれはマリアンのエゴで、ロビンを自分のものにしておきたい為に、助かるはずだったロビンと無理心中した”という見方ですね。
 でもこの見方はどうなの?ってずっと思ってます。

 このラストシーンがどうだったかというのは、次の3つのことを踏まえるとわかってくると思います。
1.「ロビンとマリアン」の脚本家ジェームズ・ゴールドマンの考え
2.オードリーはなぜこの作品に出演したか
3.舞台となった1200年頃のイギリスの当時の医療

 まず1の脚本家ジェームズ・ゴールドマンですが、初公開時東宝事業部から「ロビンとマリアン」という本が出版されていて、そこにジェームズ・ゴールドマン自身が語る「ロビンとマリアン」が出来るまで、それと「ロビンとマリアン」の小説が載っています。

 それを読むと、ゴールドマンが見つけたバラードに、戦で傷ついたロビンが修道院を訪れるとマリアンがいて、憎んでいたロビンに毒を飲ませる、というものがあったらしいですが、そんなドス黒い内容はロビン・フッドの物語には合わないということで、ロビンが死ぬのは愛のため、マリアンがロビンに毒を飲ませることがあればそれだけマリアンはロビンを愛していたということなのだ、と書いています。

 そしてその考えに基づいて作られた「ロビンとマリアン」ですが、そこでの小説版を読むと、
 “シェリフの剣はロビンの脇腹に深く喰い込んだ。”
 “マリアンが二人のところに駆け寄った。(中略)マリアン「ああ、神様。ひどい……」”
 “ジョン「助かるのか?」 その時彼女(マリアン)はもっとも可憐な、そしてもっとも寂しげな笑みを浮かべて振り向き伸び上がって彼の頰に唇を触れた。”
 “彼女(マリアン)は彼(ロビン)の脇腹の深い傷を見ながらうなずいた。”
 “それから彼が言った言葉も真実だった。ロビン「こういう勝利の日は、俺には二度と訪れるはずはなかったのだな?」彼女はうなずいた。”

 これらを読むと、どういうことであったかはだいたいわかりますよね。

 次の2のオードリーのことですが、76年だかの「スクリーン」のインタビューで書かれていましたが、リチャード・レスター監督がリアリズムを追求するあまり、愛の場面を相当カットしたそうですが、オードリーは愛の場面がなくならないように頑張ったということが書いてありました。

 そこでわかるのがオードリーも愛を描きたくてこの映画に出演したということ。もしマリアンが助かるはずのロビンを独占する為に殺して心中するような話だったら、普段のオードリーの言動から考えても、決して出演しなかったと思うんですよね。

 3つ目の当時の医療ですが、ちょうど1200年くらいの中世の時代に、外科手術がどれほどのものであったかですよね。
 まあ僕の知ってる限りでは、当時は1800年代から始まった麻酔もないですし、それより後の消毒や滅菌などの意識もなかった時代。人々は外科手術的なものが必要になると、そのまま死んでしまうか、外科手術そのもので死んでしまうか、みたいな一か八かみたいなものだったんですよね。生存率は物凄く低かったと思います。

 そんな時代に脇腹を深く斬られたロビンが生きていけるのか、という問題ですよね。あのシーンを見ても医者は全くいませんでしたし、せいぜい薬剤師兼看護師兼介護士のようなマリアンがいるだけでしたよね。
 切れた肉や内臓を縫う医療技術など、誰も持っていなかったものと思います。

 とそれらを考えると、マリアンはロビンが助かるならばなんでもしたでしょうが、当時の技術では成す術がなかった、と考える方が正しいと思います。そしてまたロビンに置いていかれるよりも自分も一緒にいこう、あるいはロビンをたったひとりで寂しくいかせたりはしまいと決意したのだと思われます。

 それがマリアンの最期の言葉、「日の光、いのち、そして神よりも深くあなたを愛しています……」というこのポスターにも書かれている言葉に繋がっているんですよね。尼僧でもあるマリアンが、「神よりも」って言葉を使うってことは、どれだけ深い意味のある言葉か、ってことですよね。

 なので、単純な心中物語としか見てない人のレビューを読んだりすると、なんだかなーと思ってしまうんですよね。
 僕はこれは本当にオードリー・ヘプバーン渾身の最後の代表作であり、大傑作!だと思っています。



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この記事へのコメント
またお邪魔いたします。B全ポスターの入手も保管もさぞ大変とお察しします。程々になさって下さいませ。

「ロビンとマリアン」、何故か公開当時観ていないのです。'76年夏で浪人中だったのですが予備校より輸入レコード店にいたようなものでしたから。映画館にも通っていたのに理由は不明です。ただ父親が東宝勤務でやはり映画好きの同級生から「良かったよ」と聞いた覚えはあるのですが。結局'80年のオンエアが初見だったのですが、ラストを「無理心中」だなんて考える向きが少なくないとは驚きです。

みつお様のお考えが100%正しいと思います。またやはり中世の悲恋伝承「トリスタンとイゾルデ」でも様々な結末がありますが、今日最も名高いワーグナーの楽劇ではショーペンハウアー哲学の影響もあり自ら深傷を負ったトリスタンの後をイゾルデが追うというラストなのは必然で、ロビン・フッドとマリアン姫の物語はあのような美しい結末が相応しく感じます。

初見では9年振りのオードリーが時来たると選択したシナリオと納得もしましたし、コネリーとロバート・ショウの一騎討ちが「ロシアより愛をこめて」のリターンマッチだなんて面白がってもいましたが、今改めて40代オードリーの代表作と痛感します。

ついでながら、「華麗なる相続人」については正直存在すら忘却の彼方へ追い遣りたいほどなのですが。テレンス・ヤング監督自身がどうも'70年代後半からトンデモ路線まっしぐらだったような…。
Posted by Edipo Re at 2021年09月12日 13:01
Edipo Reさん、こんばんは。

B全ポスターは本当に収納が困ります。
B1ポスター用クリアファイルが出てくれるといいんですが、今の所最大はLARGEサイズと言われる920×620mmまでです。あと少しなんですけどねー。

なので、今は1つのフレームに同時に何枚も入れて保管しているので(×3)、見たいポスターがすぐに見れません。
またフレームも安くて弱いものなので、ポスターの出し入れや入れ替えの度にフレームが崩れそうになって非常に面倒臭く、今持っているかどうか確認したいポスターがあるのに、億劫で確認できていません。

「ロビンとマリアン」のラストシーンは、ありがとうございます!
なんだか同意していただけると後ろ盾ができたような自信が持てますよね。

また「トリスタンとイゾルデ」もそのような内容なのですね。昔は後追いみたいな内容のものが多かったのですね。
それはそういう悲劇的なドラマが好まれていたんでしょうか。それともそれを美徳だと思う考え方だったのでしょうか。

ショーン・コネリーとロバート・ショウの一騎打ちは、この映画のもう一つのテーマ “老い”を考えると、007の時とは違う中年の(中世当時の平均寿命を考えると晩年かも)よたよたした感じがリアルなのですが、それもまた「モタモタしてる」「もっさり」みたいな個人のレビューがいくつもあって、うーん…と思ってしまいます。
そういう映画がきちんと読み解けない個人のために、昔は指針となる映画評論家という人たちが居たような気がしますが、SNSで私が私がみたいな、人の話は聞く耳持たない人たちが増えてしまうと、生き残っていけませんよね。
日本でも個人レビューを書き込める映画サイトはいっぱいありますが、映画評論家を集めてしっかりした評価をしてくれるサイトは一つもありませんよね。

「華麗なる相続人」はそんなにお嫌いですか?
僕はオードリーはまともな役だし、なんといっても音楽が美しいのと、この時期のオードリーを観れる数少ない映画のひとつであり、リアルタイムで映画館で観れた!という貴重な体験の思い出補正が入っているので、そこまで悪く感じてないんですけどねー。
でもテレンス・ヤング監督は007と「暗くなるまで待って」をピークに、あとは落ちていく一方だった感じですよね。
Posted by みつおみつお at 2021年09月12日 19:13
こんにちは
「ロビンとマリアン」のラストシーンで、マリアンの無理心中という解釈があるとは
どーしてそうなるのだろう・・・
ロビンがもう助かる見込みがないという描写もはっきりあるし、
一旦はリトルジョンへ助けを求めるが、その後マリアンの至上の愛を受け入れ、
同意し共に旅立とうと弓矢を射るというのにね。
僕がこのラストでちょっと惜しいと思うのは、リトルジョンが駆け付けるのが時間かかり過ぎで、まるでマリアンの告白に忖度してるかのようになっていることです。
この作品、見るたびにオードリィの孤軍奮闘ぶりにも切なくなります。
レスター監督がもう少し愛の情緒を取り入れた演出をしてくれていたらなぁとタラレバになります。「ロビンとマリアン」が佳作になりえたのは、オードリィのおかげですね。
そう考えると、ポスターにどどんとオードリィのポートレイトを使用するのも、
感謝と慰労を兼ねてアリかもしれません。恰好が作品と全然違うし、ちょいと詐欺っぽい気もしますが、「初恋」ほどではないですしね。
ところで髪型は時代考証的にアリだったのでしょうか?ぼさぼさなだけよ的な感じなんでしょうかね。
ところで、日本版B1B2ポスターって、共演者対等なのは「緑の館」だけでしたっけ?「許されざる者」あたりだと違うような・・・
パンフの表紙だと、オードリィ独占状態のがほとんどだったけど・・・
Posted by まる at 2021年09月12日 19:19
まるさん、こんばんは!

僕も「ロビンとマリアン」無理心中の解釈はなぜ??と思っています。
当時の描写で、血は生々しく見せない、という映画のセオリーのせいで、ロビンがあんまり瀕死の重傷に見えないからなんでしょうかね?

でも自分の解釈が間違っているのに、それで判断して「凡作」とか「駄作」とかって書くのはやめて欲しいですよね。
こないだ放送のあった「暗くなるまで待って」も伏線を全部見落として感心できないって判断している人のサイトが検索で上位に来てて、すっごい嫌な気分になりました。
いや、感心しないのはあんたの見落としの方や!みたいな。

リトル・ジョンの上がってくるのが遅いのはそうですよね。
僕も思ってましたが、確かにこれはマリアンの告白の時間を捻出するための演出ですよね。
いくら塔の最上階とはいえ、リトル・ジョンならすぐに上がってこれそうですもんね。
レスター監督、なかなかいいのですが、やっぱり愛のシーン(当然オードリーの出番)をカットしていったのはもったいないですよね。
当時の「スクリーン」でもマリアンの愛の感情が時に途切れていると書かれていましたよね。
本人はそう言っては無いのですが、オードリーの大事な人の中にはリチャード・レスター監督の名前は無いだろうなどと言われていますもんね。最初の予定のジョン・フランケンハイマーが監督だったら、また変わっていたのでしょうかね。

ポスターは日本独自のデザインですが、格好は地味な映画の衣装ではなく、ヴァレンティノの衣装で似合っているのが好きです。
でも「初恋」が例えで出て来て笑ってしまいました。確かに!ですよね。

髪型の問題は、これもインタビューで語っていました。
インタビュアーが、「髪型もとても素敵ですが、中世の尼さんはそんな髪型をしていたのかしら?」と問われたオードリーは、「当時の尼さんと言えば、長く伸ばしているか剃っているかだと思うでしょうが、実際は短く刈っていたそうよ。それでこの髪型にしました。」と言っていました。
まあもっともこの髪型って、73年くらいからのプライベートなオードリーの髪型のアレンジバージョンですよね。
この髪型のまま「華麗なる相続人」「ニューヨークの恋人たち」と続いて、その後は亡くなるまで短いひっつめになってしまいますから、もうちょっと違う髪型も見てみたかったですね。

共演者対等は、確かにまるさんに言われて思い出しましたが、「許されざる者」の僕の持っているバージョンのポスターもそうでしたね!
でももう一つのバージョンはオードリードーン!なので、やっぱり比重はオードリー>バート・ランカスターなんでしょうねー。
「許されざる者」はパンフレットも珍しくバート・ランカスターと対等でしたね!(5種類中4種類)
Posted by みつおみつお at 2021年09月12日 22:56
二人が川辺で語り合うシーンで、マリアンがロビンに抱かれながら切実に言いますよね。
Make Me Cry
このセリフが強烈に響きました。今でもオードリィが映画で話したセリフのベストです。すごいセリフです。この後確か私を傷つけてとかいう意味合いの言葉もあったような気がします。
日本語吹き替えか字幕かどちらかでは、「20年分愛して」となっていたように記憶してます。それくらいの重みと凄みのある愛の真情!
他にも新生活について語り合うシーンでの、マリアンとロビンの表情の微妙な違い(ロビンは僅かに困惑気味で、それを払拭するかのようにキスする)
加齢と恋心・愛情について描いた、とても味わい深い逸品で今更のように感動します。
だからこそ惜しい気持ちも強いのです。
レスター監督流の手際の良さや、皮肉のこもったユーモアや軽快な活劇調なんかは魅力的なんですけどね。
オードリィがゴールデングローブのセシル・B・デミル賞受賞時の謝辞で、レスター監督の名を挙げなかったのも、やっぱりこの作品での情緒とか情熱とかよりビジネスライクな仕事ぶりがあまり気に入らなかったんでしょうかね。
Posted by まる at 2021年09月13日 19:55
Make Me Cry、僕もすごい印象に残っているセリフです!ほんとにマリアンの長い長い時間をかけてきた思いのこもったセリフですよね。
困惑するロビンのシーンはすぐには思い出せませんが…。でも次見るときは、“あっ、ここだな!”って思って見ますね。

オードリー、ゴールデングローブ賞でレスター監督を省いてましたっけ!
なんかアルバート・フィニーを外してた方は印象に残っているのですが。
レスター監督はやはりラッシュや取り直し無しですごいスピードで撮っていったのが合わなかったんですかね?それもまたもったいないですね。
レスター監督はこの脚本をものすごい気に入って、わざわざゴールドマンにどうしても自分が監督したいと言ったくらいだったのに…ですよね。
でもファンからすると、最後の代表作を作ってくれたレスター監督には感謝ですよね。
「ロビンとマリアン」って、76年の初公開以降、リバイバルが無いので、僕もオードリーが来日した83年を最後に劇場では見てないです。また映画館で見てみたいと思ってます。

でも現代劇でも最後に代表作は欲しかったなーとか。無いものねだりですかね。
Posted by みつおみつお at 2021年09月13日 21:25
"Make me cry"の台詞から、ヘンデルのオペラ「リナルド」の有名なアリア「私を泣かせて下さい」を思い出しました。"cry"とイタリア語"pianga"ではいささか意味が違いますが、近い感情の発露かと。あの場面にもぴったりな曲に思えます。

リチャード・レスターはビートルズ物やスーパーマンシリーズで作風は把握しているつもりでしたが、当初予定のジョン・フランケンハイマーの名は少なからず驚きでした。'6〜70年代に骨太な作品を多く撮りましたが、およそ女優を活かす作風ではなかったので。「さすらいの大空」('69)ではデボラ・カーを脱がせましたから。もしフランケンハイマーのメガホンならオードリーが拒否したかと。数ヶ月前に三船敏郎や中村敦夫を起用して大々的日本ロケを敢行しながら本邦未公開だった「最後のサムライ ザ・チャレンジ」('82)なる怪作を観たばかりですのでむしろホッとしました。

晩年はテレンス・ヤングとどっこいのトンデモ路線だったらしく、やはり監督にも賞味期限があるようで…。
Posted by Edipo Re at 2021年09月14日 10:55
おー、ヘンデルにも同名のアリアがありましたか!
ただ、バロックは僕は全く聞かないので、全然知らないのが申し訳ないです…。

それとフランケンハイマー!あの上品の代表デボラ・カーが脱いでたなんて、知りませんでした!それはリチャード・レスターに代わってて良かったかも!

監督さんがあまりにも老齢になってくると、やはり他の芸術などと同じように質が落ちたりするんでしょうかね?
そういえばオードリー作品にものすごい貢献をしたスタンリー・ドーネン監督も、最後の方はアレレ?っていう作品ばかりになってますよね。
これは他の監督さんの作品も調べてみる価値がありそうですね。
Posted by みつおみつお at 2021年09月15日 00:17
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