2022年03月01日
「ジジ」上演70周年「THEATRE arts」1952年7月号
「いつも2人で」…「午前十時の映画祭12」にて上映。4/29(金)〜5/12(木)TOHOシネマズなど全国で上映!
「オードリー・ヘプバーン」…5/6(金)からTOHOシネマズなど全国で上映!
あれっ!この2作品、被ってる時期があるじゃないですかーっ!5/6〜5/12は両方やっている劇場がありますね!すごいすごい!
それと、今年の「SCREEN」での人気投票ですが、オードリーは第6位でした!
凄いことですが、でも昔と比べて全体の投票者数が圧倒的に少ないので…。
さて今日は1952年から70周年ということで、70年前のちょうど今頃(1951年11月24日から1952年5月末まで)オードリーがブロードウェイのフルトン劇場で演じていた「ジジ」が載ったアメリカの雑誌、“THEATRE arts”1952年7月号を紹介!
これ、今年になって手に入りました!
1952年のことでは何も書けないかなーと思っていたので、記事に出来て良かったです!
表紙は全くオードリーとは関係ないですね。表紙だけだったら、絶対買ってない。
でもよく見ると表紙の最下段に
“Complete Play: Colette's Gigi, Dramatized by Anita Loos”
と書いてますね。これに気づけばすごいことだとわかりますね!
なんせオードリーの演じた「ジジ」の台本がそのまま完全版で載っている!ということになりますからね。
まあ買うときにはそこまで気づいてなかったんですけれども。
これ、アメリカの発行している雑誌なんですけど、1952年なのに、紙は薄いんですけど全ページコート紙みたいなので刷られてます。さすがアメリカですね。
当時の日本の雑誌って、必ずわら半紙みたいな紙を使ってて、保存状態は良くても茶色く変色してますもんね。
それがこの時代でこの紙で刷れるのがやっぱりアメリカですね。
さて、最初に登場するオードリーは、演劇界で話題になっているニュースを取り上げた「オフステージ」っていうページで、「ジジ」の演技でシアター・ワールド賞を取ったオードリー。
記事にも“この賞はブロードウェイの舞台で最も有望な人物に贈られた”と書いてますね。
オードリーがその人生で数多くもらうことになる賞の1番最初のものです。
「ジジ」では次にビルボード誌のドナルドソン賞の女性最優秀デビュー演技賞ってのも獲ってますね。
でも「ジジ」でオードリーは羽ばたいたのは確かですけど、「ジジ」と「ローマの休日」はなんというか重要度が繋がってないんですよね。
「ジジ」を見たパラマウントから「ローマの休日」に抜擢されたわけではなく「素晴らしき遺産」を見たパラマウントに見出されたわけなので、「ジジ」が無くても、オードリーは「ローマの休日」でスターにはなっていたんでしょうね。
次に収録されている「ジジ」の完全版台本に移る前に、この雑誌って、ちょっと不思議構成。
ところどころに黄緑一色で刷られたアートのページが見開きであるんです。ほとんど白いページのままですこーし黄緑のアート。
最初は印刷ミスで黒を刷り忘れたんかと思いましたよ。
全16ページ。まあ印刷では元の紙では同じ1面×2だけに刷ってあるんでしょうけどね。
印刷って、A4の雑誌なら、その見開きのA3で刷るわけじゃなくて、大きな紙(A判なら菊判、B判なら四六判)で一気に刷って本のように綴じてから断裁するんですよね。
まあそういうのは専門用語で面付けとか折丁とかって言うんですけど、興味があれば調べてください。
なのでこの16ページだけ黄緑ということは、印刷する際に2面だけ黄緑で刷ったんだなーとわかるわけですね。
さて、次はページが飛んで、真ん中辺にある「ジジ」の完全版台本ですね。オードリーの有名なセーラー服の写真を使って扉としています。
この台本と、さらにその真ん中で「ジジを探して」っていう解説みたいなものもあって、全27ページも「ジジ」のために費やしてくれています!
この雑誌、ノンブル(ページ数)のあるところまでで全96ページ、表紙周りを入れて全100ページですから、「ジジ」に割いているページがめっちゃ多いことがおわかりいただけますよね?
この扉のページには“コレットの小説からのアニタ・ルースによる2幕のドラマ化”って書いてあります。
次のページからいよいよ台本が始まるんですけど、キャストや監督なんかの名前が載ってます。
でもフルトン・シアターで1950年11月24日に初演って書いてますけど、1年日付を間違えてますね笑。
正確には1951年11月24日です。
1950年だったら、オードリーはコレットに発見された「モンテカルロへ行こう」の撮影どころか、「初恋」の撮影すら始まってないので、全然ムリですがな。
この見開きページの画像は扉と同じもの。うーん、よく見る画像だし、ありがたみがない…。
次の見開きとその次の見開きは文字ばかりでさらにありがたみがない。

その次の見開きから「ジジを探して」のページになるんですが、ここで原作者であり、「モンテカルロへ行こう」撮影中のオードリーを見て「私のジジがいるわ!」と発見したガブリエル・コレットとオードリーの画像。別ショットの写真はよく見るんですけど、このショットは初めてじゃないかな?
てか、この時ってコレットとオードリーだけじゃなくて、後ろにプロデューサーのギルバート・ミラーもいたんですね。
ここと次の見開きで「ジジを探して」というこの舞台のプロデューサーであるギルバート・ミラーによる寄稿が挟まれてるんですが、3ページめではオードリーの伝記に出て来るアニタ・ルースさんのお顔を見ることができます。
右のページには1949年のフランス映画版「ジジ」でジジ役を演じたDaniele Delorme(ダニエル・デローメ?)という人が載っています、。
てか、1958年の「恋の手ほどき」以外に、1949年にも映画化されていたとは知らなかったです。
この4ページに書かれていることは、きっとものすごい興味深いことが書かれているのでしょうが、詳しくは読めないので…。
でも、僕でもわかる単語が目に入ってきたんですが、それがピア・アンジェリ!
その周辺を読むと、このアメリカ舞台版を上演するに当たって、ジジ役の候補になっていたのがまずピア・アンジェリだったということ。
でも彼女の英語にはイタリアのアクセントが強くて、とても越えられそうもない高いハードルだったということ。
それでその次の候補がレスリー・キャロンだったけれども、こちらはあまりにもフランス人っぽいということだったそうです。
このピア・アンジェリとレスリー・キャロンって、よくオードリーと候補が被ってますよね。
ピアは清純派、キャロンはファニー・フェイスってとこがオードリーと重なってるんですかね。
「緑の館」はピア・アンジェリで考えられていたそうですし、レスリー・キャロンの「ファニー」も元々はオードリーが演じる予定でした。キャロンの「がちょうのおやじ」もオードリーに最初オファーが行ってたそうですし、この「ジジ」の映画版「恋の手ほどき」でジジを演じたのがレスリー・キャロン。
50年代はこの2人と役柄が被ってて、60年代になるとジュリー・アンドリュースと被りますよね。

さて、モンテカルロでコレットがオードリーを見て喋ったことが載ってるんですが、ギルバート・ミラーが喋ってるので間違いないでしょうと思うのですが、実際にはコレットは“This would be a very good Gigi.”と喋ったそうです。
“私のジジを見つけたわ!”とはちょっとニュアンスが違いますね。
そしてまだ「ローマの休日」はこの雑誌が出た段階では撮影もされてないのですが、すでに映画に関わる人たちには未来の1流スターだとみなされている、と書かれていることです!オードリーのオーラ、半端ないですね!
それと、この「ジジ」の監督として最初に決まっていたのはなんとジョージ・キューカーだったということ!
ところがハリウッドで「The Marrying Kind」という作品を撮ることになって降りたということが書かれていました。
もし実現していたら「マイ・フェア・レディ」以前にジョージ・キューカーに監督してもらっていたのかもしれませんね。
それと、「ジジ」はイタリアでの映画の撮影のため5月末で終了しました。と書いてあるんですが、これ7月号なのに5月末のことが書かれているなんて、昔のアメリカは7月号って本当に7月に発売されていたんでしょうかね?
そして次のシーズンでは全国ツアーを行うことが書いてあります。
70年前の今年の後半にはオードリーはアメリカ各地で「ジジ」を上演してたことになるわけですね。
次の見開きからまた台本に戻りますが、ここでの画像も良く見るもの。
さらにその次の見開きで初めてレアな画像にお目にかかれます!はい、キター!これこれ!こういうのが嬉しいんですよね!
ジジとガストンが向かい合って座っている横にジジのお母さん。
次からまた文章だけの見開きが4ページ続いて、さらにその次にはまた珍しい画像!
オードリーと(オードリーの伝記でお馴染みの)キャスリーン・ネスビット、そしてガストン役の俳優さん。
そしてまた画像のない見開き、ガストンとネスビットだけの画像の見開き、そしてあの黄緑のページと続いて、「ジジ」の最終見開きのページへ。
ここではまた珍しい画像が見れます。

それと、もう終演してるんで売ってないと思うんですけど、「ジジ」のチケット代が載ってます。
昼間の水曜日は3.6ドル、昼間の土曜日も3.6ドル、夜は4.8ドルだそうです。
やすっ!って思ったらダメですよ。今の感覚とレートの400円とか500円じゃないですからね。
当時は1ドル360円の時代。そして公務員の初任給は6500円の時代ですから、今に換算すると昼間で40000円くらい、夜は50000円超えですからね。
以前別の記事で書きましたけど、アメリカって昼間は映画もやってないんですよね。
だから今回も納得しましたが、「ジジ」も昼間にやってるのは水曜と土曜だけなんですね。あとは夜公演のみ、と。
70年前の当時だからわかることも多くて、とっても実りある雑誌でした!
オードリーはやっぱりこの時代からすでにオードリーですよね!かわいい!
「ジジ」の時期の貴重な動画を埋め込んでおきます。↓
「オードリー・ヘプバーン」…5/6(金)からTOHOシネマズなど全国で上映!
あれっ!この2作品、被ってる時期があるじゃないですかーっ!5/6〜5/12は両方やっている劇場がありますね!すごいすごい!
それと、今年の「SCREEN」での人気投票ですが、オードリーは第6位でした!
凄いことですが、でも昔と比べて全体の投票者数が圧倒的に少ないので…。

これ、今年になって手に入りました!
1952年のことでは何も書けないかなーと思っていたので、記事に出来て良かったです!
表紙は全くオードリーとは関係ないですね。表紙だけだったら、絶対買ってない。
でもよく見ると表紙の最下段に
“Complete Play: Colette's Gigi, Dramatized by Anita Loos”
と書いてますね。これに気づけばすごいことだとわかりますね!
なんせオードリーの演じた「ジジ」の台本がそのまま完全版で載っている!ということになりますからね。
まあ買うときにはそこまで気づいてなかったんですけれども。

当時の日本の雑誌って、必ずわら半紙みたいな紙を使ってて、保存状態は良くても茶色く変色してますもんね。
それがこの時代でこの紙で刷れるのがやっぱりアメリカですね。
さて、最初に登場するオードリーは、演劇界で話題になっているニュースを取り上げた「オフステージ」っていうページで、「ジジ」の演技でシアター・ワールド賞を取ったオードリー。
記事にも“この賞はブロードウェイの舞台で最も有望な人物に贈られた”と書いてますね。
オードリーがその人生で数多くもらうことになる賞の1番最初のものです。
「ジジ」では次にビルボード誌のドナルドソン賞の女性最優秀デビュー演技賞ってのも獲ってますね。
でも「ジジ」でオードリーは羽ばたいたのは確かですけど、「ジジ」と「ローマの休日」はなんというか重要度が繋がってないんですよね。
「ジジ」を見たパラマウントから「ローマの休日」に抜擢されたわけではなく「素晴らしき遺産」を見たパラマウントに見出されたわけなので、「ジジ」が無くても、オードリーは「ローマの休日」でスターにはなっていたんでしょうね。

ところどころに黄緑一色で刷られたアートのページが見開きであるんです。ほとんど白いページのままですこーし黄緑のアート。
最初は印刷ミスで黒を刷り忘れたんかと思いましたよ。
全16ページ。まあ印刷では元の紙では同じ1面×2だけに刷ってあるんでしょうけどね。
印刷って、A4の雑誌なら、その見開きのA3で刷るわけじゃなくて、大きな紙(A判なら菊判、B判なら四六判)で一気に刷って本のように綴じてから断裁するんですよね。
まあそういうのは専門用語で面付けとか折丁とかって言うんですけど、興味があれば調べてください。
なのでこの16ページだけ黄緑ということは、印刷する際に2面だけ黄緑で刷ったんだなーとわかるわけですね。
さて、次はページが飛んで、真ん中辺にある「ジジ」の完全版台本ですね。オードリーの有名なセーラー服の写真を使って扉としています。
この台本と、さらにその真ん中で「ジジを探して」っていう解説みたいなものもあって、全27ページも「ジジ」のために費やしてくれています!
この雑誌、ノンブル(ページ数)のあるところまでで全96ページ、表紙周りを入れて全100ページですから、「ジジ」に割いているページがめっちゃ多いことがおわかりいただけますよね?

次のページからいよいよ台本が始まるんですけど、キャストや監督なんかの名前が載ってます。
でもフルトン・シアターで1950年11月24日に初演って書いてますけど、1年日付を間違えてますね笑。
正確には1951年11月24日です。
1950年だったら、オードリーはコレットに発見された「モンテカルロへ行こう」の撮影どころか、「初恋」の撮影すら始まってないので、全然ムリですがな。
この見開きページの画像は扉と同じもの。うーん、よく見る画像だし、ありがたみがない…。
次の見開きとその次の見開きは文字ばかりでさらにありがたみがない。

その次の見開きから「ジジを探して」のページになるんですが、ここで原作者であり、「モンテカルロへ行こう」撮影中のオードリーを見て「私のジジがいるわ!」と発見したガブリエル・コレットとオードリーの画像。別ショットの写真はよく見るんですけど、このショットは初めてじゃないかな?
てか、この時ってコレットとオードリーだけじゃなくて、後ろにプロデューサーのギルバート・ミラーもいたんですね。
ここと次の見開きで「ジジを探して」というこの舞台のプロデューサーであるギルバート・ミラーによる寄稿が挟まれてるんですが、3ページめではオードリーの伝記に出て来るアニタ・ルースさんのお顔を見ることができます。

てか、1958年の「恋の手ほどき」以外に、1949年にも映画化されていたとは知らなかったです。
この4ページに書かれていることは、きっとものすごい興味深いことが書かれているのでしょうが、詳しくは読めないので…。
でも、僕でもわかる単語が目に入ってきたんですが、それがピア・アンジェリ!
その周辺を読むと、このアメリカ舞台版を上演するに当たって、ジジ役の候補になっていたのがまずピア・アンジェリだったということ。
でも彼女の英語にはイタリアのアクセントが強くて、とても越えられそうもない高いハードルだったということ。

このピア・アンジェリとレスリー・キャロンって、よくオードリーと候補が被ってますよね。
ピアは清純派、キャロンはファニー・フェイスってとこがオードリーと重なってるんですかね。
「緑の館」はピア・アンジェリで考えられていたそうですし、レスリー・キャロンの「ファニー」も元々はオードリーが演じる予定でした。キャロンの「がちょうのおやじ」もオードリーに最初オファーが行ってたそうですし、この「ジジ」の映画版「恋の手ほどき」でジジを演じたのがレスリー・キャロン。
50年代はこの2人と役柄が被ってて、60年代になるとジュリー・アンドリュースと被りますよね。

さて、モンテカルロでコレットがオードリーを見て喋ったことが載ってるんですが、ギルバート・ミラーが喋ってるので間違いないでしょうと思うのですが、実際にはコレットは“This would be a very good Gigi.”と喋ったそうです。
“私のジジを見つけたわ!”とはちょっとニュアンスが違いますね。
そしてまだ「ローマの休日」はこの雑誌が出た段階では撮影もされてないのですが、すでに映画に関わる人たちには未来の1流スターだとみなされている、と書かれていることです!オードリーのオーラ、半端ないですね!

ところがハリウッドで「The Marrying Kind」という作品を撮ることになって降りたということが書かれていました。
もし実現していたら「マイ・フェア・レディ」以前にジョージ・キューカーに監督してもらっていたのかもしれませんね。
それと、「ジジ」はイタリアでの映画の撮影のため5月末で終了しました。と書いてあるんですが、これ7月号なのに5月末のことが書かれているなんて、昔のアメリカは7月号って本当に7月に発売されていたんでしょうかね?
そして次のシーズンでは全国ツアーを行うことが書いてあります。
70年前の今年の後半にはオードリーはアメリカ各地で「ジジ」を上演してたことになるわけですね。
次の見開きからまた台本に戻りますが、ここでの画像も良く見るもの。
さらにその次の見開きで初めてレアな画像にお目にかかれます!はい、キター!これこれ!こういうのが嬉しいんですよね!
ジジとガストンが向かい合って座っている横にジジのお母さん。
次からまた文章だけの見開きが4ページ続いて、さらにその次にはまた珍しい画像!
オードリーと(オードリーの伝記でお馴染みの)キャスリーン・ネスビット、そしてガストン役の俳優さん。
そしてまた画像のない見開き、ガストンとネスビットだけの画像の見開き、そしてあの黄緑のページと続いて、「ジジ」の最終見開きのページへ。
ここではまた珍しい画像が見れます。

それと、もう終演してるんで売ってないと思うんですけど、「ジジ」のチケット代が載ってます。
昼間の水曜日は3.6ドル、昼間の土曜日も3.6ドル、夜は4.8ドルだそうです。
やすっ!って思ったらダメですよ。今の感覚とレートの400円とか500円じゃないですからね。
当時は1ドル360円の時代。そして公務員の初任給は6500円の時代ですから、今に換算すると昼間で40000円くらい、夜は50000円超えですからね。
以前別の記事で書きましたけど、アメリカって昼間は映画もやってないんですよね。
だから今回も納得しましたが、「ジジ」も昼間にやってるのは水曜と土曜だけなんですね。あとは夜公演のみ、と。
70年前の当時だからわかることも多くて、とっても実りある雑誌でした!
オードリーはやっぱりこの時代からすでにオードリーですよね!かわいい!
「ジジ」の時期の貴重な動画を埋め込んでおきます。↓
2007年11月25日
「ジジ」ブロードウェイ公演プログラム フルトン劇場版
表紙にオードリーで、中身もさぞや…って日本の映画パンフレットみたいなのを想像したら全然違います!
中には一切画像なし。ちょっとキャスト表やスタッフ表がある程度で、ほとんどは広告ページ。オードリーの画像なんて表紙だけです。
ひどいですよねー!中にもオードリーがいるって期待しますもんねー!
ま、でもよく考えたらまだ本公演ですから、当然公演中の画像なんかは存在しないわけで、当たり前っちゃあ当たり前。
だから写真集「the audrey hepburn treasures」に付いてた地方公演の方のプログラムの方が、ブロードウェイ公演での画像もついてて、見るには絶対そっちがオススメ!
これは歴史的価値と、表紙を愛でるだけのプログラム、というわけですね。