2025年04月30日

オードリー・ヘプバーンのカムバックを報じる1975年の「ロードショー」

オードリー・ヘプバーンのカムバックを報じる1975年の「ロードショー」

 今年は「ロビンとマリアン」の撮影からちょうど50年に当たります。
 5年前にオードリーのカムバックを知らせる「スクリーン」の記事を載せたので、今回はライバル誌「ロードショー」での記事を紹介。

 本体はもうとっくに潰してしまって、74〜75年であることはわかりますが、何月号かはわかりません。

 19●5年という年は、僕らみたいな一般人からすると、活躍してたオードリーには縁遠い年ばかりなのですよね。

 例えば55年はオードリーの新作は日米とも公開されてないし、65年も75年も85年もそう(65年は前年からの超大ヒットで「マイ・フェア・レディ」は上映され続けてるけど)。

 でもオードリーの立場に立ってそれらの年を眺めてみると、違った景色が見えてくるんですよね。

 それらの年はみんなオードリーからすると、再起を賭けた年ばかりになるんです。

 というのも55年は「ローマの休日」「麗しのサブリナ」と公開された後で、センセーショナルなオードリーの登場から54年にはメル・ファーラーとの結婚を経て、約1年オードリーはお休みするんですよね。

 当時の若い女優さんは結婚というものが人気にはマイナスになることも多く、日米とも人気が落ち着いて、映画界に復帰するにもファンにも忘れられてないか、オードリーはちょっと不安だったんじゃないかなーと思うんですよ。

 なんせ若い頃のオードリーは「果たして次の役はあるのかしら?」ってずっと不安だったと後年のオードリーが告白していますもんね。

 そんな中、「戦争と平和」に復帰・主演することになって、当時の日本の雑誌でもオードリーの再起という見方をしてたし、 “それにしては作品が大きすぎる”と言われていたほどの超大作。

 失敗は許されなかったでしょうし、オードリーの肩にのしかかる重圧も相当なものだったんだろうなーと思いますよね。
 これがオードリーから見た1955年。

オードリー・ヘプバーンのカムバックを報じる1975年の「ロードショー」 64年は「マイ・フェア・レディ」バッシングが起きたので、オードリーは精神的に相当やられてましたからね。
 それまで “老けない”と言われていたオードリーだったのに、バッシングのストレスで体重も落ちて痩せてしまい、顔にもシワが刻まれてしまうことになりました。

 63年の12月に「マイ・フェア・レディ」の撮影が終わったオードリーでしたが、そのバッシングのせいなのか、1年7ヶ月も映画に出ませんでした。

 そんな中、65年に恩師ウィリアム・ワイラー監督の「おしゃれ泥棒」で再びカメラの前に立ったオードリーでしたけど、世間から受け入れてもらえるかすっごい不安だったと思います。

 この時、相手役がオードリーを笑わせてくれるピーター・オトゥールで本当に良かった!この時の相手役がハンフリー・ボガートやレックス・ハリスンだったら、余計にオードリーはストレス溜まったでしょうねー。

 そしてこの75年。8年という家庭と子育てを大事にした長いブランクの後に、「ロビンとマリアン」で復帰することになるんですよね。

 オードリー自身は“カムバックなんて言わないでください。私は引退したつもりはありませんでしたから。”って言ってますけど、8年も音沙汰無かったら、そりゃ世間は完全に引退したと思いますよね。

 実際、この「ロビンとマリアン」の時でも、“でも今後はもう映画に出ません”なんて言ってるし。

 それにオードリー自身がインタビューで答えているように、8年も映画に出ない間にハリウッドでも “アメリカン・ニューシネマ”の風が吹き荒れて映画の作り方は変わっているし、最初はオードリーもリチャード・レスター監督の早撮りについていくのが大変だったそうですしね。

 さてさて「ロードショー」での復帰記事は第1報は別にあったかもなんですが今見つからずで、ここでの最初のはオードリーがフランケンハイマー監督の「デス・オブ・ロビン・フッド」という作品でポール・ニューマンと共演、という記事。

 ジョン・フランケンハイマーは確かに最初「ロビンとマリアン」の監督でした。
 その後、リチャード・レスターが自分がどうしても監督をしたいと言って交代になったんですよね。

 ジョン・フランケンハイマーは「ティファニーで朝食を」でも監督の予定だったのに交替になってしまっているので、オードリーとはよくよく縁がないですね。

オードリー・ヘプバーンのカムバックを報じる1975年の「ロードショー」 そしてこの時はポール・ニューマンが相手役の候補だったんですね。彼は「いつも2人で」でも相手役の第一候補でしたよね。他にも「いつも2人で」つながりのアルバート・フォニーにロビン役のオファーが行ったという話も聞きますね。

 でもポール・ニューマンのロビンはちょっと想像できないかな。マリアンを思うというより、自分のこと優先しそうだしね。
 マリアンを愛で包み込むという設定を信じられるのはショーン・コネリーのほうがピッタリ!

 さらにこの記事では、“オードリーは映画に出たがっている” “彼女の家のあるイタリア近くで撮影されなければ、子供たちの夏休みの間に撮影しなければならない”と書かれています。

 当時、オードリーはそろそろ夫のアンドレア・ドッティとの仲が行き詰まり始めていた頃。

 家庭にばかり居て夫の度重なる浮気を目の当たりにしてストレスを溜めるより、映画に出て気分転換にもなるだろうし、外に出ることによって、ドッティに家に居る妻のありがたみをわかってもらおうという考えもあったのかも。

 ここでの記事では家族全員同伴、という条件があったと書かれていますが、実際には次男のまだ当時5歳のルカだけを伴って夏休み中にロケに出かけていきましたね。

 まあドッティは精神科医の仕事でそんなに家を空けるのは無理でしょうし、ショーンはもう14〜15歳で学校があるでしょうし、全員はもともと無理ですよね。

 でもこの記事は作品名も共演者も監督も違うし、契約もまだという、かなり初期のニュースですよね。
 74年〜75年の記事だと思います。

 次の記事ではもっとしっかりした情報が出てきています。
 コロムビア社の発表によれば、同社の新作にオードリーの出演が決定、契約も終わったとのこと。

 映画の題名はまだ決まっていないものの、ロビン・フッドの冒険をもとに、ジェームス・ゴールドマンが脚本、リチャード・レスターが監督、ショーン・コネリーが共演、と実際の「ロビンとマリアン」との齟齬がない情報。

 「スクリーン」でのソース元はバラエティ誌の3月12日号、となっていましたから、この記事もおそらく「ロードショー」の1975年6月号(4月21日発売)くらいの記事。

 そして「スクリーン」でも載っていた、まだ契約していない次の新作「父の日」のことも書いてます。

 こちらは20世紀フォックス作品で、エリザベス・テイラーとパティ・デュークとの共演。
 夫に先立たれて、苦悩する3人の未亡人の1人、という役柄であったようです。

オードリー・ヘプバーンのカムバックを報じる1975年の「ロードショー」 さて、同じ頃の「ロードショー」だと思うのですが、マットコート紙のピンナップページで「シャレード」のオードリーが。

 “ヘップバーン・ファンに快ニュース。「暗くなるまで待って」以来9年ぶりに映画出演が決定。パートナーはショーン・コネリーとか。”って書いてます。
 でもこれ、1975年時点では「暗くなるまで待って」からは8年なのにね。

 さて「ロードショー」での次は、2ページを使って、森杏子さんという方が書いておられます。

 でもここは見出しで書いてあるだけで、「ロビンとマリアン」の話ではありません。
 オードリーの過去から最近の話までについて語られています。

 よく「許されざる者」の落馬で入院した時に、病室が白一色で覆われていた、という話が、ここでは「尼僧物語」のインタビュー中の話になっています。

 どっちが本当かはわかりませんが、部屋を全部白にするなんて、自宅でインタビューをしたとは思えないオードリーにとって、まあ病室の方がありえそうだなあとは思いますね。

 メル・ファーラーとの結婚では、いつの間にか “かばわれる”側から “被害を受ける”側に変わって、年齢差が気にならなくなっていた、という部分が印象的。

 あと、3人の母である、と書かれているのが、おや?と思いますよね。
 これ、74年にオードリーが妊娠、という記事が「ロードショー」で出ていましたから、その後産まれた、と勘違いしているのかもですね。

 そして “46歳の女性のカムバックをこれほど心待ちにする現象が起こり得るだろうか。「いつも2人で」や「暗くなるまで待って」さえもあり得ないはずなのに…”と書いておられます。

 実際には71年の「エクスラン・ヴァリーエ」で日本にはお目見えしてるので、4年ぶりくらいだし、「ロードショー」や「スクリーン」で頻繁に最近のスナップ記事は載っていたはずなんですよね。

 でもオードリーにそれほど関心がないと、それらを見ていなければ確かに「暗くなるまで待って」の後8年も経ち、一体どうなっているんだろうという思いも出てきますよね。

 それでもこの森杏子さんはオードリーがカムバックするのを楽しみに待ってくれているようです。
 「スクリーン」でカムバック記事を書いた渡辺祥子さんが “出てきてほしくない”と書いたのとは対照的。

 ところで、「ロビンとマリアン」の次の作品が、ここではジョージ・シーガル共演の「チェンジ・オブ・シーズンズ」になる模様、と書かれています。既に「父の日」の話は無くなっていますね。

 そして過去にオードリーが出演するんじゃないかと言われていた「ジャック・ポット」という作品はシャーロット・ランプリングに役が回ったと書かれています。

オードリー・ヘプバーンのカムバックを報じる1975年の「ロードショー」 結局調べても「父の日」も「チェンジ・オブ・シーズンズ」も「ジャック・ポット」もその後製作されていないようですね。

 最近のこととして、アンソニー・パーキンスとその妻のベリーはローマでオードリーに何度も招待されて食事をしたけど、会話は映画の話ではなく、ほとんど双方とも子供の話だった、というのがわかってほーって思います。

 でもこのアンソニー・パーキンスの奥様って、9.11のアメリカ同時多発テロの時に飛行機に乗っていて命を落とすんですよね…。

 後、ものすごい気になる部分が、“彼女の作品の中でいちばん好きといわれる「いつも2人で」に似たロマンティックな役を求めている”という部分。

 裏面の2ページ目には「いつも2人で」の画像も載っているのですが、そのキャプションも“彼女がいちばん好きだった作品「いつも2人で」”と書いてます。

 まあ出典が無いので話半分ですけど、それでも「いつも2人で」をオードリーが気に入っていた、というのはよく聞きますよね。

 最後に書かれているのは、オードリーの出演の条件は厳しくて、(当時)住んでいるローマの近郊で撮影するか、夫や子供がバカンスの夏休みの間だけか、遠いロケ地の場合は家族の同行を認める、ということ。

 オードリーは「決してスターの贅沢やわがままではありません。これが私の生活の態度なんです。」と語ったそう。
 森杏子さんも “いい奥さんです”と書いておられます。

 確かにショーンが子供の頃は女優を続けていてすっごく寂しかったそうですし、演じていても気になって仕方なかったそうです。演技が終わると即家に電話をかけてショーンがどうしているか聞いていたそう。

 さらに離れてることでメル・ファーラーも浮気…となるともう家族と離れたくない!自分の女優業のせいで家庭を崩壊させたくない!というオードリーの考えは一貫してますし、わかりますよね。

 女優もめっちゃしたくてわがままを言ってるんではなく、家族と離れるくらいなら別にその作品には出なくてもいい、という70年代以降のオードリーの姿勢ですよね。

 女優という仕事に貪欲で無くなったオードリーの「ロビンとマリアン」より後ろの4作品はどれもパッとしませんでしたし、「愛と喝采の日々」「愛と哀しみの果て」という2大傑作を逃してしまったというのはほんと残念なんですけどね。

 でもオードリー的には家庭に入れて、これで充実してたんでしょうね。



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この記事へのコメント
お疲れ様です。
至近距離に姪がおり、妻が会いに行くというので、お土産を頼みました。サプライズです。
Posted by 明智常楽 at 2025年04月30日 19:14
明智常楽さん、こんばんは!

「おしゃれ泥棒」受け取りましたよー!ありがとうございます!!
でもあまりに突然で、家でゴロゴロしていたので、Tシャツにスウェットという格好で奥様に会うことになってしまいました…。

そのため、ちょっと動転してしまって、明智常楽さんへのお礼の言伝をお願いするでもなく、明智常楽さんから伺っていた奥様の「昼下りの情事」だけが好きとか、「緑の館」がお嫌い、という会話になってしまいました汗。

それと、オードリーは今海外でも人気だから、ポスターとか何十万もするのがあるんですよーとかって言ってたら、奥様は売ればいいのに!とおっしゃってました。

なんかわざわざ遠方からお越しいただいたのにとんでもない格好で、本当に申し訳なかったです。

でも本当にありがとうございました!
今年は「おしゃれ泥棒」も撮影の年なので、その時に今回いただいたのも紹介させていただきますね!
Posted by みつおみつお at 2025年04月30日 23:10
ひのもといちの
オードリーファン
みつお様に
拝謁したかった。
直前に腰を痛めて断念。妻から、みつおさんが若々しいと聞きました。
俺も72に見えないだろ?妻から
あんたは
馬鹿馬鹿しい。
Posted by 明智常楽 at 2025年05月01日 07:01
いやいや、明智常楽さんは「ロードショー」でイケメンだと言われてましたよね?

あ、それとポスターは何十万もするのがあるんですよーってのは、これ以上奥様が明智常楽さんのオードリーの物を勝手に捨てたりしないようにってつもりで、奥様が「売ればいいのに」っていうのも、明智常楽さんのオードリーグッズについて言ってましたよー。
まだオードリーの物をお持ちなら、ぜひ死守してくださいねー!
Posted by みつおみつお at 2025年05月02日 10:55
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