2025年04月10日

「麗しのサブリナ」ポストカード1 1965年リバイバルと著作権切れについて

「麗しのサブリナ」ポストカード1 1965年リバイバルと著作権切れについて はい、今年は「麗しのサブリナ」の1965年リバイバルからちょうど60年に当たるのと、とうとうパラマウントの著作権が切れてしまったことについて。

 僕の持っている「麗しのサブリナ」のポストカードの一部の紹介とともに書いていこうと思います。

 さて、まず1965年のリバイバルですが、東京のニュー東宝で4月3日〜4月27日まで上映されました。
 60年前の今頃はちょうど上映中だったわけですよね。

 「麗しのサブリナ」としては初めてのリバイバルだったのですが、3週間と4日だなんて、案外ふるってませんね。そのため65年のニュー東宝館名入りパンフレットもあまり出回っていません。

 というのもきっと、「麗しのサブリナ」は初公開時に男性がほとんどだった映画評論家の方たちに受けが良くなかったから。
 批評家によっては失敗とまで言われてました。

 まあ内容的に、女性が男性2人の間で揺れるものだしね。
 この当時の映画評論家って、戦前生まれの人も多くいたでしょうし、女性が主導権を握って男を乗り換えるなんてけしからん!って感覚だったんでしょうね。

 かくいう僕も、デイビッドの立場になると、ちょっと怪我して治ったら、彼女はお兄さんに取られていた!ってなんか最悪じゃ無いですか?
 映画のように僕はお兄さんとサブリナを祝福なんて出来ないかも…って思っちゃいます。

「麗しのサブリナ」ポストカード1 1965年リバイバルと著作権切れについて なので昔から「麗しのサブリナ」は女性のファンが多いと思います。
 女性が主導権を握る恋愛って、初公開時もリバイバル時にも珍しかったし、そんなサブリナに感情移入すると心地よかったのではないでしょうか。

 1996年に、JALの93年I’ll オードリーツアーに行った人の集いに僕も講演と演奏で参加させてもらいましたけど、女性の方には「麗しのサブリナ」が一番好きって方が数名いらっしゃいました。

 さてさて、当時の東宝というと、1500席規模の有楽座、日比谷映劇、スカラ座、テアトル東京などのチェーンマスター館がありましたから、ニュー東宝は封切館といえども規模も小さいんですよね(と言っても今なら大劇場)。

 「麗しのサブリナ」自体、今でこそ日本でもオードリーの代表作の1本ですけど、当時はビリー・ワイルダーなら「昼下りの情事」の方が圧倒的に上の扱いでしたからねー。

 というわけで、初のリバイバルでしたけど、水準の成績しか残せなかったんではないかと。
 その後は日本ヘラルドのパラマウント映画のリバイバルの一環として上映された1985年まで正式リバイバルが途切れます。

 でもその後は95年までのオードリーの大ブームや、2013年の「スクリーン・ビューティーズ」や、2011年・2012年・2013年・2017年の午前十時の映画祭と何度も何度も上映されているのはご存知の通り。

「麗しのサブリナ」ポストカード1 1965年リバイバルと著作権切れについて …とまあパラマウントのドル箱映画の1本だった「麗しのサブリナ」ですけど、昨年2024年をもって日本での70年という著作権が切れ、今年からは著作権フリーになりました。

 2003年にそれまで50年だった著作権が2004年から70年に延長されることになり、1953年の「ローマの休日」は2003年に切れていましたが、とうとうそこからさらに20年経って、「麗しのサブリナ」も切れることになったんですよね。

 海外でも70年で切れたところがあるのか、早速YouTubeには「麗しのサブリナ」のカラーライズ化されたものとか挙がってますよね。

 まあでもまだ動画のカラーライズ化は一般的ではないので、どこかがクラウド・ファンディングでやっていた「ローマの休日」のカラーライズ化とともにまだまだな出来ですけどね。

 だいたい、カラーライズ化する人ってのがきちんと調べてないので、「ローマの休日」のスカートが本来ベージュ(淡いブラウン)なのに水色だったりとか、そういう映画に対して知識もリスペクトも無い人がしたりするのはやめて欲しいですね。

 さて、これから27年には「戦争と平和」が、28年には「パリの恋人」と「昼下りの情事」と「マイヤーリング」が、と次々に著作権が切れていきます。

 でも、「麗しのサブリナ」の画像やポスターや宣材とかは、肖像権やらカメラマンやデザイナーの著作権やら別の権利が絡んできますので、安易に使ってもいい、というわけでもないです。

 さて、今回紹介したポストカードにも説明を入れていきますね。

「麗しのサブリナ」ポストカード1 1965年リバイバルと著作権切れについて まずメインで使ったのは「麗しのサブリナ」の宣伝写真。これ、夕方か朝に撮ったんだと思うんですが、全体的に本当の色が難しい。ここのもちょっと濃いすぎですよね。

 それと、この画像が使われるのって「アルバム オードリー・ヘップバーン」くらいからなんですけど、その時から「SCREEN」の2008年に表紙になった時も、そしてこのポストカードも裏焼き。

 オードリーの「麗しのサブリナ」の髪型って、左分けなんですよね。映画を見てもわかりますけど、何でこんなに裏焼きが多いんでしょうね。

 というわけで、ここでは正向きに訂正したものをまず1番に載せてみました。2番目のがポストカードに印刷されているものです。
 正向きで載せてくれたのって、宝島のムック本くらいでしたっけ。でもあれは発色が悪いんですよね。オードリーの顔が紫。

 3番目と4番目のは「麗しのサブリナ」ビデオを売るためにパラマウントの販促で作られた非売品のポストカード。
 僕は「麗しのサブリナ」の字幕版ビデオって持ってないんですけど、吹替版ビデオを買った時にでもらったのかな?

 3番目のはここではサブリナ扱いですけど、これって1953年の「ローマの休日」と「麗しのサブリナ」の撮影の間の時期にバド・フレイカーが撮った一連の宣伝写真ですね。髪型が「ローマの休日」でも「麗しのサブリナ」でもありません。

 ていうか、この時にネグリジェ着て「ローマの休日」用の宣伝写真を撮ったりしてるんですよね。でもまあ時期的にギリ「麗しのサブリナ」として使われても許せる範囲。

「麗しのサブリナ」ポストカード1 1965年リバイバルと著作権切れについて パラマウントって、他にも「パリの恋人」の画像を「麗しのサブリナ」扱いで使ったりもするんで(別のポストカードやクレジットカードでも)、公式のものといえどもあんまり信用できないんですよね。

 まあこれもパラマウント内にもうオードリーと同時期を生きた人がいないからなんでしょうけどね。
 公式が間違った発信をするのはちょっとなーと思います。 

 4枚目は本国アメリカでのポスターをあしらったもの。こちらは写真を使って着色していますね。

 5枚目も海外のポスターですけど、こちらはイラスト。

 海外のイラストのオードリーって、なんかオードリーの優しさを捉えられてないことが多いんですよね。
 有名な「ティファニーで朝食を」のもそうなんですけど、どうしてもエヴァ・ガードナーとか、グラマー系のものになっちゃうんですよね。

 このポスターでは、1952年「アフリカの女王」で主演男優賞を獲ったハンフリー・ボガート、54年に「第十七捕虜収容所」で主演男優賞のウィリアム・ホールデンと同じく54年に「ローマの休日」で主演女優賞を獲ったオードリーのアカデミー賞があしらわれています。

 6枚目はマーク・ショウの撮った「麗しのサブリナ」撮影時期のプライベート・オードリー。
 これ、モノクロなので白のシャツに黒のパンツみたいに見えますけど、マーク・ショウの写真集に載ってましたが、実際はピンクのシャツに真っ赤のパンツ。

 オードリーのファッションについて、とても詳しく素晴らしいサイトがありまして、僕もいつも楽しく読ませていただいてるんですけど、残念ながら書いてらっしゃる方がファッションには詳しくても、実際はどういう色かということは調査不足のよう。

「麗しのサブリナ」ポストカード1 1965年リバイバルと著作権切れについて それに本物のカラー写真なのか、後年誰かが勝手にカラーライズした着色カラーなのかの分別もイマイチなようなのですよね。
 まあ一般の方はネットを見ても見分けられない方ばかりなようなのですけど。

 僕は逆にジバンシィとかイーディス・ヘッドとかドロシー・ジーキンズ以外の誰それのデザインとかってのは全然詳しくないんですが、仕事柄フォトショで着色されたものはすぐわかるんです。

 なので、着色カラーの「ローマの休日」の大使館のドレスをピンクだと書いてたり、街着のスカートを着色の水色カラーの画像で載せていたりするのが、せっかくの内容なのにとっても残念なんですよね。

 このモノクロ画像と同じ衣装も「白のシャツに黒のパンツ」って書かれてるんですが、モノクロ写真で色のこと書いちゃダメなんですよね。
 白と黒って書きたかったら、絶対的にカラー写真が必要なんです。もちろん偽物の着色カラーじゃなく。

 クレヴィス社の写真展と写真集でも同じ衣装で同じこと書いてて、僕がクレヴィス社さんに連絡したら、2刷りからはその文章が変更されましたが、そのファッションサイトさんも同じ間違いをしてるので、そこはとても残念。

 この衣装で別のカラーショットも現存してて「SCREEN」でもシャツが写ってるのが載りましたけど、やはりピンクなんですよね。

 さて、最後はジャンパー・スカートを着て頬杖をつくオードリー。
 これも有名な画像ですよね。

「麗しのサブリナ」ポストカード1 1965年リバイバルと著作権切れについて でもこのポストカードの画像はどえらいピンボケ。本来の画像はめっちゃ鮮明なんですけどね。
 よくまあこれをポストカードにしようと思ったなーと思います。

 そして今回見てて思ったんですが、なんか保存年月日もだいぶ経つので、カビが生えたように見えるのが、よく見たら模様なんですよね、これ。

 こんなピンボケ画像に、カビに見える模様って…。だれやー!デザインしたの!

 これと同じ画像で、別のポストカードも持っているんですが、そちらは鮮明。
 そちらはまた別の機会に。

65年リバイバルの過去の記事
B2ポスター Aタイプ
プレスシート
キャビネ写真
パンフレット(東宝版)
パンフレット(大阪映実版)
パンフレット(一般用A)
パンフレット(一般用B)
パンフレット(一般用C)



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この記事へのコメント
白黒映画や写真の実際が何色だったかというのは後から間違った着色をされてそれが認識されてしまうと、そう思い込んでしまいますよね。
ローマの休日のスカートは水色だと思っている人は多いのかもしれません。広告会社などが適当といっては何ですが、なぜきちんと調査しないで行ってしまうのかなと思っていました。
1990年代にオードリーツアーがあったなんて当時は知りませんでした、ドッティと住んでいた家って外観だけでもいいので見てみたかったなと思いました。
まだインターネットが普及する前なのにその集いで講演をしたって、みつおさんはオードリー関連の人達からはすでに名前が知られていたんですね。
どんな講演内容だったのかなと思いました。
最後のジャンパースカートのオードリーの写真はよく見かけますが非売品とはいえピンボケした写真をポストカードにするって関係者はチェックしなかったのかな~。
これだと郵便として送るのにも考えてしまいますよね。
Posted by りりあ at 2025年04月13日 14:06
本当に、「ローマの休日」のスカートの水色の着色にはうんざりします。
こんなに世界に誤った情報を広めてしまった午後の紅茶のCMを恨みます笑。
当時はまさか着色カラーを本当だと信じる人がこんなにいるとは思いませんでした。

90年代はオードリーの大ブームだったのと、まだバブルの時期の名残があったので、高くてもツアーに参加できる方が多かったのだと思います。
そのツアーではオードリーが住んでいたローマの家には行ってなかったそうなのですが、オードリーがドッティと暮らしていたマンションは、どなたかのブログで上げられていました。白い外観のマンションでした。ドッティの死後もドッティの名前が掲げられていたそうです。
きっとそこへ加藤タキさんがお邪魔されたんでしょうね。

ドッティと別居してからは、斜め向かい(だったかな?)の家にオードリーは移り、確かルカが今暮らしているのがその家だったはずです。
外観はレンガ色でしたね。

オードリーツアーの集いで講演したのは、たまたまツアーの企画の方と飲み屋でお知り合いになれたからです。
もう何を喋ったか覚えてないんですが、当時はまだ僕も若かったので、皆さん年上の方ばかりで、緊張しました。

あ、それと最後のポストカードは売られていたものですよ。
画像3枚目と4枚目のだけが非売品です。書き方悪くて誤解を招いてしまって申し訳ないです。
でも、売り物だともっと悪いですよね。カビみたいな模様と合わせて、人に送れるようなものじゃないですよね。
Posted by みつおみつお at 2025年04月15日 12:02
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