2016年01月30日

オードリー再ブームの幕開けを告げる85年 “ゴールデンシアター” チラシ

オードリー再ブームの幕開けを告げる85年 “ゴールデンシアター” チラシ 今回は、1985年から始まるオードリーの再ブーム期の最初期(たぶん)のチラシの紹介。

 これは東京銀座文化2(現シネスイッチ銀座)での“ゴールデンシアター” というくくりでの上映の際のチラシです。
 掲載作品は「麗しのサブリナ」「噂の二人」「ローマの休日」の3本。

 1984年から日本ヘラルド映画株式会社(現:KADOKAWA)によるクラシックフィルムのリバイバルが続々と始まるのですが、オードリー作品では85年初頭に「噂の二人」という渋い作品からリバイバルがスタート。それに85年は「麗しのサブリナ」と「ローマの休日」が続きます。

 「噂の二人」は既にこの劇場で2回目、「麗しのサブリナ」と「ローマの休日」は最初の上映になるのがこの3作載っているチラシだと思われます。
 ちなみに最初の「噂の二人」のリバイバルチラシはおそらくあれだったのでしょう。

 85年公開時の「ローマの休日」と「麗しのサブリナ」のチラシって無いなあ〜と思っていたのですが、今回これをブログで取り上げるにあたって何年のものか万年歴で調べてビックリ!1985年でドンピシャでした!

 このチラシで見る限り、「麗しのサブリナ」の方を先に劇場に掛けたみたいですね。上映期間は11/30〜12/13が「麗しのサブリナ」、12/14〜12/27が「噂の二人」、12/28〜1/16が「ローマの休日」と、「ローマの休日」のみ少し長くなってますし、お正月にぶつけてきてますね。お客さんの入りを当て込んでるんでしょうねー。

 この日本ヘラルドのリバイバルは、これまで本来の権利元の配給会社が放置し打ち捨てていたような過去の名作を、続々と独自に買い付けて劇場で上映していくという企画。

 これが結構当たったのだと思いますが、1930年代〜1960年代の名作が日本ヘラルドによって次々にリバイバルされました。
 この時期、戦後すぐ(40年代後半〜50年代)に公開された作品の観客層がまだ50代〜60代で元気だった頃。往年の名作を懐かしもうと、劇場に訪れたのだろうと思います。

 その中でもちょっと変わっていたのがオードリーの諸作品。
 観客が、初公開時に見たお母さん方(40〜50代)とその娘さん(10〜20代)というパターンが多かったのだろうと思いますが、どうも他の作品群よりも興行収入が良かったのでしょうねー。やがて若い女性にも新たなオードリーファンがどんどん生産され、ついにはオードリーの作品のみが続々とリバイバルされていくようになります。

 やがてそれはオードリーの大ブームになっていき、多くの雑誌でオードリーの特集が組まれ、オードリーが載っていれば売り上げがグーンと伸びる、と言われるようになっていきます。そしてブームに気づいた大手各社が87年からCMでオードリーをバンバン使い始めるようになります。

 しかももうブーム最後の方には「パリで一緒に」までCMで使われるようになり、ああ、もうヘラルドにこれしか作品が残ってないんや〜!と驚嘆していたのを思い出します。
 90年代でのNHKの100万人アンケートでは、10代〜60代以上までの全世代でオードリーが好きな女優のトップ!という結果になっています。

オードリー再ブームの幕開けを告げる85年 “ゴールデンシアター” チラシ それまでオードリー作品はもう儲からないと見向きもしなかった本来の配給会社でも “儲かる” オードリー作品をリバイバルし始めるようになり、最終的には95年までに「尼僧物語」と「許されざる者」と「ロビンとマリアン」以降と初期未公開作品を除くなんと15作品が全部で19回もリバイバルされました!

 ホンと1975年〜1984年の暗黒期を知っている身からすると、85年〜93年くらいまでのオードリーの復権及び伝説化は目をみはるものがありました。
 関西でも、次から次へとあっちでもこっちでも間を置かずにオードリー映画が上映されていて、大阪や神戸をウロウロしていたものです。近畿でもそういう感じだったのですから、東京圏はもっと凄かったと思いますよー。

 「噂の二人」から始まったリバイバルは “えええ〜〜〜っ!” という驚きだったのを思い出しますが(なんせ絶対に劇場リバイバルは無いと思っていた「噂の二人」でしたしね)、もう既にあれから31年も経っているんですよねー。

 というわけで、これはまだ日本ヘラルドがオードリー作品をクラシック作品の一部と見なして公開していた時のリバイバルですけど、これがブームの前触れの最初期のチラシなんだなーとわかると感慨深いものがあります。

 裏面の解説ですが、ごく一部をちょっと抜粋。

「麗しのサブリナ」
 “第二次世界大戦の影響で若手男優が育たなかった為、オードリーの共演相手ももっぱら二十〜三十歳も年の違う中年ばかりであったわけだが、観る側にとっては『あの大スターまでもがオードリーに夢中になっている』という様な印象があっただろうし、またそのことがオードリーを大女優として成長させたとも言えるだろう。”

 「噂の二人」
 “テーマの上での本当の主役はむしろ共演のシャーリー・マクレーンであり、オードリーは作品の格調の高さを象徴する美しさと共に演技力で勝負させられ、そしてまた見事にその期待に応えたのである。”

 「ローマの休日」
 “オードリー以前のハリウッドの女優には常に美貌と共にグラマラスな肉体が要求されており、彼女の華奢であたかも妖精のような魅力は観る者に新鮮な驚きを与え、以後に登場した数多くの個性的な女優たちの魅力を認めさせる契機となったわけなのである。”

ということが書いてあります。

 表面の画像は「緑の館」の頃の宣伝写真のオードリー。メル・ファーラーとの仲がうまくいってたと思うのですが、オードリーにしてはちょっと太って、顔が丸くなっている時期のものですね(といっても充分細いですが)。



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この記事へのコメント
僕もこのチラシ持ってました!まだ捨てずにしまってありますよ~
裏面の文章が林冬子さんで、
『噂の二人』のことを“許せない映画”って書いてありませんでしたっけ?
懐かし~\(^o^)/

僕も『噂の二人』が劇場リバイバルされるなんて思ってもいませんでした。
それどころか、観ることもできないかもしれない映画のような気がしていましたから。
それが最初の、しかも第一弾だなんて。

ちなみにこれは、『噂の二人』2回目の公開になりますよね。
80年代半ばからの日本ヘラルド怒涛の旧作クラシックリバイバル
第一弾は、ハリウッド女優クラシックスで
M・モンロー『荒馬と女』
E・テイラー『熱いトタン屋根の猫』
A・ヘプバーン『噂の二人』
の3本だったと記憶しています。
今から見ても渋いというかなんかドロドロのドラマばっかですね~
Posted by まる at 2016年01月31日 18:45
おお、まるさんもお持ちでしたか!(^-^
今回調べてみて、これが1985年の「ローマの休日」「麗しのサブリナ」の最初のチラシだと知りました。

でも裏面の文章は林冬子さんのではないみたいですよ。これはだれが書いたか記名が無いです。
林冬子さんの“許せない映画”ってのは
http://audreyhepburn.ko-co.jp/e11412.html
↑こちらの裏面に載ってました。

でも、「噂の二人」のリバイバルから、もう31年も経ったってすごい不思議ですよねー。そんなに???みたいな…。(^^;A
でもリバイバル当時、僕と同じように“この作品がリバイバルされるなんて!!!”って思ってたオードリーファンがいたなんて嬉しいですよねー。
その当時は周りに全然オードリーファンだ!っていう仲間がいなかったもんで、まるさんのお話を伺って、同じように感激してくれていた人がいたと知ると、なんかほっこりします。(*^ ^*
当時からまるさんとお知り合いだったら、いっぱいその感動を話し合ったことでしょうね!
本当に絶対リバイバルは無いと諦めてました。

やっぱりこのリバイバルは80年から上演されていた有馬稲子さん、南風洋子さんの舞台に依るところが大きかったんでしょうかねー。
あの上演のおかげで知名度が上がって、リバイバルに結びついた…と。
もしそうなら、本当にあの上演には感謝感謝です。

「荒馬と女」「熱いトタン屋根の猫」「噂の二人」っていうプログラムは、以前にもまるさんに伺ってましたが、再度書いていただくと“あっ、そうやったそうやった!”とまるさんに教えていただいたのを思い出しました。
「荒馬と女」だけ内容がよくわからないのですが、決して楽しいラブロマンスではないのは理解しています。
さらに「熱いトタン屋根の猫」「噂の二人」と来ると、確かに重いドラマですよね。
「熱いトタン屋根の猫」は原作テネシー・ウィリアムズだし、読んだ事も観たこともないですが、「欲望という名の電車」から察するに、南部の蒸し蒸しと暑い感じが想像出来ます。
その3本って、立て続けには見に行きたくなーい(笑)。

というか、80年代の日本ヘラルドのリバイバルって、本当に凄いセレクトでリバイバルしてますよね。
キネマ旬報で選ばれるような高尚(?)なものばかりではなく、かといって出来の良い人気のある娯楽作品だけってわけでもなく、「荒馬と女」「喝采」「凱旋門」など、その主演者の作品としてはちょっと出来が劣る作品もバンバン公開してるんですね!
「魅惑の巴里」「ヘッドライト」「砂塵」「リリー」とかって80年代当時でも興行収入が心配になる作品もあったみたいですし…。
本当にこういう企画って賭けじゃなかったかと思うんですが、企画を出した人も凄いですが、それを通した上部の人も凄いですよね!
まあそのおかげで「噂の二人」や「緑の館」がリバイバル出来たわけですけど。…でも「緑の館」は観れなかったよー(泣)。

残念なのは、その時に「尼僧物語」と「許されざる者」がリバイバルされなかったことです。全盛期ではその2本のみ落ちてしまいましたよね。
おかげで、「初恋」でも2回公開されたのに、主演の2本が1度きりというおかしなことに…。
あの大ブーム時だったら、「尼僧物語」でも「許されざる者」でもいけたと思うので、あれがラストチャンスだったと思うと本当にもったいないです。
Posted by みつおみつお at 2016年02月01日 00:22
 最近オリコンチャートデータを何気なく見ていたら90年に「有頂天」というグループが「オードリー・ヘプバーン泥棒」という曲を出していたので少々驚きました。
 曲のタイトルもそうですし、90年で「ヘプバーン」という表記も当時としては珍しかったのでは?とも思いました・・・(歌詞検索サイトで歌詞が掲載されています)
Posted by FUMI at 2016年02月12日 21:03
FUMIさん、こんにちは。
そういえばそういう曲もありましたねー。
“おしゃれ泥棒 オードリー”で検索するとよくひっかかるので、僕はわりとおなじみの曲です。
あと、「オードリー・ヘプバーンズ・ネック」という本?もよくひっかかります。

“ヘプバーン”表記ですが、昔からオードリーをよく掲載してくれていた雑誌「スクリーン」ではそうでしたし、71年・74年発行のシネアルバムや、77年の「カタログ オードリー・ヘプバーン」もそうなので、わりとあったかと思います。
イメージ的にはオードリーのファンは“ヘプバーン”、一般的には“ヘップバーン”が多いかと。
ちなみに、このサイトも最初は“ヘプバーン”か“ヘップバーン”かで悩みましたが、ファンのこだわりとして“ヘプバーン”にしました。
Posted by みつおみつお at 2016年02月13日 04:24
イタリアンレストランのマネージャーになった頃です。
新メニューにサブリナとネーミング。
ローマの名所巡りのオードリーの写真を、客に配りました。

5年前、娘の結婚式の翌日。
大宮の近くのイタリアンレストラン。
真実のレプリカがあったので、手を入れましたよ。
Posted by 明智常楽 at 2018年12月09日 19:13
85年となると、明智常楽さんが30才頃になるのでしょうか?

その年その年でのオードリーとの思い出が色々と有るのですね(⌒‐⌒)
しかもその85年にサブリナとローマ巡りですか!
ピッタリのタイミング!

真実の口のレプリカ、今ではいろんな所にありますよね。
そこに手を入れてくれる人はやっぱり「ローマの休日」のファンなんですよね(*^^*)
Posted by みつお at 2018年12月09日 20:33
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