2024年09月25日

オードリーとメル・ファーラー 結婚70年


(↑舞台「オンディーヌ」の楽屋での2人。舞台の初日だそうです。知り合いからのおめでとうの電報でも読んでいるのでしょうか?)

 今日は、オードリーとメル・ファーラーの結婚からちょうど70年になります。
 それで今回はゲッティイメージズ さんの無料の画像をお借りして、オードリーとメルのことについて書きます。

 知り合ったのはパーティーの時でしたね。
 グレゴリー・ペックがメル・ファーラーをオードリーに紹介したのが最初。

 伝記ではこのパーティーは「ローマの休日」のロンドン・プレミアの後の豪華パーティーだったという説、ロンドンで映画を撮っていたグレゴリー・ペックがオードリーのために開いたパーティーだったという説、オードリーの母エッラが催したものであるという説、など色々になっています。

 その後メルの尽力でブロードウェイの舞台「オンディーヌ」で共演することとなり、急速に接近、そして54年9月24日と25日に結婚式、ということになります。



(↑ブルゲンシュトックでの結婚式の様子)

 24日はルツェルン湖畔のブオスクにて町長に執り行ってもらったオードリーとメル・ファーラー以外には2人だけ(誰だか不明)というもの、そして25日に親族を招いてブルゲンシュトックにて盛大なもの、ということが公開当時のスクリーンに書いてました。

 なので、ショーンやバリー・パリスは24日と書いてるし、ハイアムや「timeless audrey」では25日と書いてるしで、どちらが正式なものかがわかりません。

 まあどちらにしても、日本とは時差もあることですし、だいたい25日ということでいいんじゃないでしょうか。

 さて、この25日の方の結婚式の写真はわりと出回っていますよね。オードリーがジバンシィのウエディングドレスを着ているものです。



(↑オードリーとメルが新婚旅行で訪れたアルバーノというところで、マスコミに追いかけられて逃げる2人)

 でもこれ、オードリーは結婚式でマスコミをシャットアウトしていて、結婚式の写真(職業カメラマンだか身内だかに撮ってもらったもの)は限られた出席者に送る際もマスコミに出さないように、と厳命していたのに、オードリーの祖母がマスコミに売ってしまい、オードリーが激怒した、って書いてあるものがありましたね。

 さて、この祖母ってのが不明。オードリーの母方なのか父方なのかも書いてなかったし、オードリーの伝記で、祖母ってこの時しか出てこないんですよ。フラウ・フォン・フォレッガーって名前にフォンって貴族の称号がついてるので、母方?

 でもとなると有名な祖父のヘームストラ男爵の妻ということになるし、苗字が違うんですよね。英語版のWikiのヘームストラ男爵の欄の妻の欄にもそんな名前なし。 いったいこの祖母ってのは誰???

 なのでその文章を読んだときは結構衝撃でした。オードリーのお祖母さんって生きてたん!?みたいな。



(↑1955年「戦争と平和」の頃の2人。見たらわかるように写真のキャプションが間違ってますね。1960年だと、オードリーのメイクも髪の長さも流行りのスカートの形も全く違います。だいたい、1960年ならオードリーは妊娠中or「ティファニーで朝食を」だし。髪の毛の後ろに付けている髪飾りも、オードリーが髪の毛を伸ばし始めた1955年後半によく付けていたもの)

 当時その祖母は困窮していたそうで、マスコミに売ってしまったそうです。
 まあその後オードリーとの関係はすぐに修復されたそうですけど、二束三文で写真を売らなくても、当時はもうオードリーに言えば助けてくれたでしょうにね(出演料、「ローマの休日」1万2500ドル、「麗しのサブリナ」1万5000ドル、「オンディーヌ」3万ドル)。

 さて、結婚式が終わって観光地グシュタートのホテルに行こうとすると、ホテルがオードリーが居ると漏らしたためにマスコミが山のように居て、どこに行くにも付いて回る付いて回る!
 ゲッティイメージズ さんの画像にも追いかけ回される2人の画像がありますね。

 オードリーはもう精神的にやられてしまって、結局グシュタートをやめて、簡単に連絡の取れないブルゲンシュトックの別荘を借りることになりましたね。



(↑2人とネコ。オードリーと猫はプライベートでは珍しいですね。オードリーは完全に犬派なので。でもこれもキャプションが1955年って間違ってると思います。この感じは「パリの恋人」の1956年ごろですね)

 これがオードリーにとってのブルゲンシュトックに住むきっかけになりましたし、その後トロシュナの家を買うことに繋がりますけど、プライバシーが守られるからですよね。

 そういえば、このメルとの結婚から「戦争と平和」の撮影が始まる1955年7月までは、オードリーが自分でメイクしているからか、オードリーの眉毛が前後の「麗しのサブリナ」「オンディーヌ」や「戦争と平和」と違って細眉で長く描いているのが特徴ですね。

 まあでもメルとの関係は最初のうちはとても良さそうでしたよね。「パリの恋人」の頃にメルのコートに2人一緒入る写真やら、海辺の写真なんかを見ると本当にお互いを大事に思ってそうだし。

 「許されざる者」で落馬したオードリーが運ばれて行くときのメルの表情も本当に心配している様子が伺えますしね。



(↑1959年1月、「許されざる者」撮影中に落馬して骨折し、飛行機で緊急搬送されるオードリーに寄り添うメル。みんなを心配にさせまいと、健気にマスコミに笑顔を絶やさないオードリー)

 父がいなくなったオードリーにとって、尊敬できる男性に一生庇護されるという愛され方は、当時のオードリーの理想だったでしょうし、オードリーの持っていた結婚観にもピッタリ合っていたのでしょう。

 それにメル・ファーラーも同じ俳優だったからか、出る・出ないで女優オードリーへの助言は的確なものが多く、それはオードリーが出演してきた50年代60年代16本の作品を見れば明らかですよね。

 自身が監督をした「緑の館」はオードリーを客観的に見れなかったのか、出来がいまいちでしたけど、それでもオードリーのイメージを壊すようなものではなく、やはりオードリーだから出来た役でした。

 結婚から、ショーンが生まれた翌々年の1962年くらいまでがオードリーとメルの幸福な時代だったんじゃないかと思います。



(↑1959年12月、再度妊娠したオードリーとメルが花?を買って歩いているところ。マスコミに追いかけられて、メルはちょっとお怒りモード。オードリーが長い髪をおろしてそのままに歩くのはめっちゃ珍しいこと。生涯でこの時期だけですね)

 でも「パリの恋人」の頃に何かの集まりで酔っ払ってしまったオードリーが醜態を晒しそうになっていると、メルが乱暴に怒鳴って連れ帰ったり、高圧的なところ(今でいうモラハラ?)が出てくるようになると、ちょっとずつ違うと感じたのかなーと。

 決定的にズレてきたのは、ジバンシィがオードリーのために作った香水「ランテルディ」を63年ごろに一般発売した時にオードリーの宣伝写真を1枚使った時、メルがジバンシィに、オードリーはランテルディを定価で買っている。タダでもらってもいいくらいなのに、なんでジバンシィは写真の権利金を払わずに宣伝しているんだ!と言ったこと。

 それと同時期にカンヌ映画祭に来て欲しいとエージェントを通して頼まれたオードリーですけど、その時にオードリーに何かの賞を与えるべきだとメルが言ったこと。

 どちらもメルから直接ではなく、代理人を使ったようですけど、結局それでその代理人をクビにせざるをえなかったというのが2つ続けてあったようですしね。



(これも画像のキャプションが大間違いのもの。これは髪型でわかるように完全に1962年「パリで一緒に」撮影中の時期のもの。1960年カンヌ映画祭に出席するオードリーとメルなんて書いてますが、本当は1962年10月「史上最大の作戦」のフランス試写会に行く2人。この時期辺りまでが2人の幸せな結婚生活だったころ)

 それでもメルとの関係を修復したいと思っていたオードリーだったようで、その後も2度(か1度)妊娠もしますけど、どちらも流産。

 メルはその後浮気。66年夏の「いつも2人で」撮影中はオードリーはめっちゃやつれていましたし、撮影中にオードリーにインタビューした日野康一さんによると、「この映画には私の苦悩が織り込まれています」と語ったそうです。
 67年の7月にはもう修復不可能で別居、その後68年には離婚となります。

 雑誌「FLIX」の1993年3月号に載っていた晩年のインタビューで、「あなたは54年のファーラー氏との結婚以来、ずっと男性と暮らして来ましたね。彼らから何か学びましたか?」と聞かれて「何もないわ。何を学ぶことができて?彼らも弱さを持った人間なのよ。」と答えていたオードリー。



(↑1965年、映画の試写会に参加するオードリーとメル。モナコの公族と同じ席で同じ扱いを受けるオードリーとメル。もちろんこれはオードリーがいるからですね。メルだけだとこういう扱いはありません。オードリーの隣はモナコ公レーニエ3世、向こうを向いて笑っているのはオードリーとも仲の良いモナコ公妃のグレース・ケリーですね)

 2度の結婚の失敗、特にメルとの離婚はオードリーが結婚というものに抱いていた理想や幻想をズタズタに壊してしまい、一生消えない大きな傷を残してしまったと思います。

 なのでメルと会えば心の傷が疼くんでしょう、その後オードリーはメルと会うことはほぼなかったようです。
 2番目の夫ドッティの浮気も凄まじく、それでもメルとの結婚で悟っていたのか諦めていたのか(諦観という言葉がしっくりきますね)、メルとのときほど傷つかずに、オードリーは心を “無”の状態にしていたのかなーと思います。

 その後ロバート・ウォルダーズとの出会いで再びオードリーの心も溶けて良かったなーと思います。



(↑1966年8月、「いつも2人で」撮影時期のオードリーとメル。顔はにこやかですが、もうオードリーはメルとの離婚を考え始めていますね)

 でもロバート・ウォルダーズって、オードリーの死後、94年から95年にはレスリー・キャロンとパートナーになって、その後は95年から2018年に亡くなるまでヘンリー・フォンダの奥さんだったシャーリー・フォンダとパートナーだったそうですから、時期が被ってないとはいえ、知った時にはちょっとびっくりしたんですよね。

 そういえば1980年にオードリーに出会う前もマール・オベロンと結婚していましたし(79年にオベロンの死によって寡夫となっていた)、常に女性のそばにいる感じです。

 ちょっと脱線しましたけど、オードリーのお葬式にもメルが来てましたが、メルの泣いている辛そうな顔を見ると、やはりメルなりにオードリーを愛してはいたんだろうなーと思いました。



(↑オードリーのお葬式に参列するメル・ファーラー。他の珍しい画像にしようと思いましたが、メルの心痛が現れているのがこの写真だったので、写真集でも見たこの写真にしました)

 最後に2000年初期、日本でオードリーのサイトを作ってらしたTさんのサイトで中学生の女の子が書き込みをしてたんですけど、その子がのちに短期間別のオードリーのサイトを立ち上げたことがあったんですよね。

 そこでオードリーとメル・ファーラーの結婚を美化したようなページを作ったんで、“なんでオードリーに結婚や男性に不信感を抱かせるような原因となったメルとのことを美化してるの?”と当時思ったんですが、今回、僕のページもそんな感じ?とか思ってちょっと自嘲気味に笑ったり…。

 まあ僕にはメル・ファーラーを美化するつもりなどは全くないんですけどね。

 それでもオードリーは70年前の今日、確かに幸せの絶頂だったんだろうなーと思うのです。


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この記事へのコメント
ロバート・ウォルダーズって結婚していたマール・オベロンとは随分年の差がありましたよね。
オードリーやレスリー・キャロンもそうなんですが年上の女性が好きなのかなと思っていました。

俳優の仕事は若い時に引退してしまったんでしょうか。

モナコのレーニエ3世、グレース・ケリーとの写真は初めて見ました、メルだけだったらこういった場所に同席はできなかったんでしょうね。

みつおさんの記事、メルを美化した感じにはなっていないですよ。

仲の良い時もあったけど次第に関係が壊れていったという感じで事実を書いてあって分かりやすいと思います。
Posted by りりあ at 2024年10月01日 20:44
りりあさん、こんにちは!

そうですよね、ロバート・ウォルダーズは常に年上の女性と付き合っていますよね。
ほとんど間を置かずに次の女性と付き合っているのをみると、何か女性を惹きつけるものがあったんでしょうかね。

俳優としては、マール・オベロンとの結婚で実質廃業したのではないでしょうか。ヒモみたいな感じに思えますが、マール・オベロンは気がキツイようですので、常に側にいるように仕事をさせなかったのかもしれません。
そのオベロンの遺産であとは悠々自適の生活を送れるので、働く必要も無く常にパートナーに寄り添えることもできたでしょうし、特にお互いこれ以上あくせく働く必要もないセレブな者同士、一緒にいる時間の方が大切だったのかもしれません。

レーニエ3世、グレース・ケリーとの画像は、グレースがこっちを向いているショットも見たことがありますが、ゲッティイメージズさんの無料で使える画像ではこれしかなかったんですよねー。
もちろん、こういう場に居ることができるのは、オードリーあってのことですよね。
オードリーが映画史や全世界に与えた影響はすごいものがありますけど、メルは「オードリーの夫だった人物」という肩書き以外では、残りそうもないですもんね。

あと、メルを美化もしてないとのこと、伺ってほっとしました。
またコメントよろしくお願いします!
Posted by みつおみつお at 2024年10月02日 14:54
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