2025年03月31日
「マイ・フェア・レディ」1995年リバイバルと「スクリーン」1995年4月号

今日は「マイ・フェア・レディ」1995年リバイバルが東京の銀座文化劇場から始まった日からちょうど30年です。
30年前の1995年3月31日〜4月27日まで上映された後、全国で上映されました。
銀座文化劇場では、朝の10時の1回のみ4月13日までは「カサブランカ」、14日からは「哀愁」と併映でした。
それ以外の昼からの回はずっと「マイ・フェア・レディ」の上映です。
さて、この95年リバイバルのメイン画像は一新されて、以前紹介したB1ポスターのようになっていました。
この時のメインイメージは、1994年に本国アメリカでデジタル・リマスターされてリバイバルされた際に使用されたものを使用。

でもデジタル・リマスター版とはポスターのどこにも書いてないんですよね。
それで一抹の不安を抱えながら、それでもやっぱり何か月か後の大阪か神戸で見に行きました。85年からオードリー作品の日本ヘラルドによるリバイバルが始まって、「マイ・フェア・レディ」も86年にリバイバルされたので、そこから何回行ったのかもう覚えてないですけどね。
それまで日本ヘラルドのリバイバルは上映前に“この映画は製作されて長い年月が経っております。そのためキズや雑音がある場合がありますが、ご了承ください。”というテロップが映し出されるんですよね。
それで、そのテロップが流れたらリマスターしてないフィルム、流れなかったらリマスター、と思って見たんですが、やっぱり最初に “この映画は製作されて長い年月が…”と出てきました。
せっかくリマスター版が見れるかと思ったのですが、のちに日本ヘラルドさんに直接電話で問い合わせると、やはり95年リバイバルは86年のフィルムの使い回しでした。
それと、日本ではこの95年リバイバルの後、「マイ・フェア・レディ」が劇場でリバイバルされたのは2015年11月4日まで20年来ませんでしたから、この1994年のデジタル・リマスター版は日本では1度も上映されないまま終わりました。

2015年リバイバル以降は、2014年にさらに新しく4Kデジタル・リマスターされたものが上映されたんで、この1995年リバイバルは、94年リマスター版を上映できる唯一のチャンスだったんですけど、残念です!日本ヘラルドさんがフィルムを再度取り寄せてくれたら良かったんですけどね。

94年リマスター版は、今やDVDやブルーレイの初期版でのみ見ることができる物になっています。
さて、3月リバイバルなら、「スクリーン」では3月3日にリバイバルされた「ティファニーで朝食を」とともにリバイバル紹介が4月号(2月21日発売)で載るか、5月号(3月21日発売)で載るか、なんですが、やはり日本ヘラルド公開で、しかもフィルムは使い回しなので、どちらにも載っていません。
その代わりに4月号(表紙はオードリーのことを大好きなジュリア・ロバーツ)にはとうとう日本でも出る「マイ・フェア・レディ」のデジタル・リマスター版のビデオ(VHS)の紹介が載っています。
今年、耐久年数からもう見れなくなってしまうと言われているビデオですね。

もちろん実際にはセシル・ビートンによって1963年に撮影されてますんで、突然湧いて出たものではないんですが、それまでは全く流通してなかったんですよね。特に日本では。
この全く新しい画像を使って、アメリカでの94年リバイバル、リマスター版のビデオ・LD、セシル・ビートンの「マイ・フェア・レディ日記」、が売り出されたんですよね。
後年発売されたブルーレイの初期版もこのイメージでした。

でも2014年イメージの写真に偽物のサインをして、“オードリー直筆サイン”と騙ってヤフオクで売ってる輩がいた時はめっちゃ腹立ちましたけどね。
しかもそれを落札してる人がいました!
さて、この95年4月号の「スクリーン」では、まず最初の方のグラビアページに混じってまずコート紙での広告が1ページ。
高いお金を掛けて広告を打つなんて、当時いかにフォックスが力を入れていたかがわかりますよね。

さて「スクリーン」本文でも、マットコート紙の見開き2ページを使ってこのビデオを紹介しています。
というのも、当時はデジタル・リマスターの黎明期で、今なら簡単にできるちょっとのことでもすごいお金がかかった時代で画期的だったわけですね。
この「マイ・フェア・レディ」も当時の60万ドルものお金をかけて半年かかってリマスターされたことが書かれています。

94〜95年当時は、オードリーの歌が残っているだけでも凄いことでしたし、製作当時と現在(94年)を組み合わせたメイキングが見れるというのもファンからしたらめっちゃ嬉しいことでしたね。
でも、オードリーの歌は完成版ではなく練習版(完成版はCBSが価値をわからず、愚かにも捨ててしまっている)、オードリーの歌を吹き替えたマーニ・ニクソンはオードリーのことを悪く言っているのが腹が立って嫌いになりましたし(後年、4K版の時はだいぶ言い分を変更している)、何より「マイ・フェア・レディ」クラスの名作のフィルムが劣化するままに放置されていたことが大問題!だと思ったものです。

この紹介ページでは、「マイ・フェア・レディ」の珍しい本物のカラー画像が多く見られるのが嬉しいところ。
LDのブックレットにも載っていない画像なので、「スクリーン」が準備したのでしょうか。素晴らしい画像の選択ですね!
それと、近代映画社の本の紹介ページでは、さすがに85年からのオードリーブームも落ち着いて来たからか、以前のようにオードリーだけでドーンと、ってことは無くなっていますが、オードリーだけの本も入れて、ここに画像を載せなかった分も含めて全部で9冊もオードリーが表紙で使われています。
また、当時は阪神大震災直後。編集後記でも被災地や被災者を心配する声が書いてありますし、劇場の上映案内で神戸のアサヒシネマが休館、となっているのが当時の神戸の状況を思い出してしまいますね。
2025年03月26日
1975年11月14日“ゴールデン洋画劇場”放映「いつも2人で」雑誌紹介

これは1975年12月号(10月21日発売)だと思うのですが、これまた中学生の時に買った古本なので、切り抜きの後廃棄してしまって残っていません。
他のラインナップは広告から「宇宙水爆戦」「マーベリックの黄金」「危険がいっぱい」ですが、両誌に掲載された広告を見ると「いつも2人で」が1推し。
ゴールデン洋画劇場の季刊パンフレットでも「いつも2人で」がイチオシでした。
ここでの広告のキャッチコピーは「いつも2人で」初公開時のキャッチコピーに準じたものになっていますね。
“こんにちは!
風に手をふって旅をする恋のふたり
チャーミングな恋と
素敵なモードの華麗な花束!”
こんな感じです。まあ「いつも2人で」って紹介するのも見所を伝えるのも難しい映画ですもんね。
広告できちんと「いつも2人で」公開時のロゴを使ってくれているのが嬉しいです。
僕にとってのオードリーとの出会いはこの「いつも2人で」が最初でした。
以前はなんか深夜のテレビ洋画番組で見たはず、と思っていましたが、時期的にどうやらこの1975年の初放映が僕のオードリーとの最初の出会いだったようです。

サブブログの“おしゃれ泥棒、オードリー・ヘップバーン!”でも僕がオードリーに興味を持ったきっかけを書いてますが、小学校の時に仲の良かった同級生の女子たちが、1人はヴィヴィアン・リー、もう1人がオードリー・ヘプバーンを好きだと言っていて、それで見てみようと思ったのが最初のきっかけです。
小学生でヴィヴィアン・リーやオードリー・ヘプバーンが好きなんて、なんとおませさん!と今なら思いますが、当時は別に背伸びでもなんでもなかったですね。
そしてたまたまテレビでやるこの「いつも2人で」を最初に見た、というわけですね。
まず、最初のタイトルバックからしておお〜!と思いましたね。
いろんな道路標識が次々現れては動いて消えて行くのが、切り絵のような車や森のデザインとも相まってすぐにやられてしまいました。
ストーリーも小学生にはまだ早い内容でしたが、それでも次々と入れ替わる時間軸に惹きつけられて、一気に見てしまいました。
「いつも2人で」のオードリーは “魅力も褪せて…”なんて書かれることも多いですが、小学生からしたら別にそんなことは思わずに、“綺麗なお姉さん”って思ってました。そして可愛い!!すぐに好きな女優さんになりました。
小学生だから、映画の作り方なんてわかるわけもなく、最初に見た時に、この映画は5年〜10年かけて撮ったんかな?などと思っていました。
でもオードリーが撮影時は37才などとは思ってなく(小学生からしたら当時の37才って母親の年齢ですもんね)、10代後半から20代だと思っていました。

でも、今考えても「いつも2人で」が僕のオードリー人生の最初で良かったー!と思いますね。
一般的には「いつも2人で」ではなく「おしゃれ泥棒」の方が最初がいいんじゃないかと思ってるんですけど、僕にはこれで良かった!
「おしゃれ泥棒」や「いつも2人で」が最初だったら何がいいかって、どの時代のオードリーにも分け隔てなく入っていけるからですよね。
「ローマの休日」からだと、その時代をオードリーと歩んだ人じゃなく、途中から入ってきた人だと若いオードリーばっかりに目がいってしまう。
でも「おしゃれ泥棒」や「いつも2人で」が最初だと、歳をとった「ロビンとマリアン」にも若い「昼下りの情事」にも違和感なくすぐに映画に入り込めるんですよね。
なので、僕は「いつも2人で」で良かった!と思ってるわけです。
というわけで、僕の人生を変えたこの時の放映の「いつも2人で」ですが、あまりにオシャレで新鮮な感覚に恋い焦がれてしまってて、ずっともう1度見たいと思っていました。
でも深夜放映であった時は新聞を見逃して翌朝気づく、ロイヤルホテルで自主上映があった時もその月だけ情報誌を見逃す、などということがあって、次に見れたのは高校も卒業して、ロイヤルホテルで見逃した時に再度上映してもらえるようにお願いして叶った時か、レーザーディスクで「いつも2人で」が出て、友人のお母さんが買った時かのどちらかです。

それだけ待って再見しても、やっぱり素晴らしい映画でした!今でも僕のベスト1オードリー作品です!
さて、そんなゴールデン洋画劇場で放映された吹替版ですが、これまた僕は長い年月見ることができませんでした。DVDにも収録されなかったし。
でもこちらにお越しいただいているwimpoleさんに、1987年に日テレで再放映されたものの録画のを2019年に見せていただき、44年ぶりに見ることができました!本当にありがとうございました!
池田昌子さんの吹替がとっても素敵でした!
2025年03月21日
1975年4月13日“日曜洋画劇場”放映「暗くなるまで待って」雑誌紹介

今日は4月13日にテレビ初放映された「暗くなるまで待って」の紹介。
前回紹介した4/4に初放映された「おしゃれ泥棒」からわずか9日で、今度は「暗くなるまで待って」。
これはオードリーファンは狂喜したでしょうね。
「おしゃれ泥棒」も「暗くなるまで待って」も1971年にリバイバルされて以来、映画館には来ませんでしたから(その後も「おしゃれ泥棒」は1991年まで、「暗くなるまで待って」は1987年まで延々リバイバルは来なかった)、家庭で観れるオードリーはめっちゃファンには嬉しいですよね。
そしてこの「暗くなるまで待って」(と前回紹介の「おしゃれ泥棒」も)の紹介が載っている1975年の5月号の「スクリーン」は年に1度の読者の人気投票の発表のある号。
オードリーファンはドキドキしながらページをめくったことでしょうね。
この時のカラーグラビアも紹介しておきますが、1975年は第2位になったオードリー。
評価の対象の1974年は「マイ・フェア・レディ」の3回目の日本公開だけで、新作はありませんでした。
並みいる若手の女優さんたちを差し置いて、引退状態のオードリーがそれでも2位というのは本当に凄いことなんですが、オードリーファンとしては72年から74年までは3年連続で1位でしたから、きっとちょっと悔しかったでしょうね。
でもこの75年から84年まではオードリーファンにとっては試練の暗黒時代が続くんですけどね。リバイバル来ない、人気投票ではどんどん順位下がっていく…というのは当時を経験した人ならわかっていただけるはずです。
さて、このカラーグラビアでは台本(「暗くなるまで待って」のもの)を持つオードリーですけど、当時は知られてなかったんですが、この台本カバー、ルイ・ヴィトンですよね。おそらく特注。
バッグでもルイ・ヴィトンを持ち歩くオードリーですから、オードリーの信頼が篤いのでしょうね。

先ほど書いた暗黒時代が始まるので、完全な王座奪還はこの後2007年まで待たないといけないんですけどね。
本題の「暗くなるまで待って」の紹介ですが…
「スクリーン」では
“スクリーン復帰が実現しないオードリーだが、これは今のところ最後の作品。劇場公開の時クライマックスで思わず「キャーッ!」と叫び声が上がったほどのショッキングな場面がある。ヒッチコックに負けないヤング監督のサスペンス映画の秀作である。”
「ロードショー」では
“オードリー・ヘップバーンが明き盲目の難しい演技を無難にこなしている。妖精スターのオードリーがミステリードラマで新境地を開いた話題作。電話線が切られてからの30分間の恐怖のクライマックス。殺害寸前に追い込まれるあたりの緊迫感はヤング監督の真価発揮。この1作を最後にオードリーの長い「休養」が始まったのは惜しまれてならない。”
と書かれています。
さて、この「暗くなるまで待って」ですが、今発売されているDVDには吹替が収録されていませんし、何度もいろんなオードリー作品の吹替が発掘されて放映されているのに、この作品だけは吹替版が放映されませんよね。
これは一体なぜ?と思ってらっしゃる方もいるかもしれませんが、僕は80年代にテレビで放映していた時の録画したビデオをを持っていますので、見たところ、これだろうなーというのがわかります。
実はこの吹替版が製作されるときに、セリフのない音楽と効果音だけの音源が無かったようなのですよね。

この音源がない作品がある、というのは昔の吹替版で苦労していたことのようで、当時の「スクリーン」などでも書かれていました。
というわけで、この「暗くなるまで待って」もサントラとして発売されていたEPレコードからメインタイトルは流していましたが、もちろんこれもヘンリー・マンシーニがレコード用は新たに録音し直して発売するので、映画とは違う響きがします。
そしてそれ以外の部分はマンシーニでもないという音楽が取って付けられてしまっているのです!
「暗くなるまで待って」を劇場や字幕で見た人からすると、違和感ありまくりの安っぽいサスペンスやホラー映画の伴奏がつけられて吹替られているので、ユルかった昔ならともかく、今は著作権的にアウトなんだろうなーというのはわかります。
マンシーニ的にも、ワーナー映画的にも、安っぽい何かの伴奏曲の作曲者(不明)的にもアウトだし、今後も放映は難しいと思います。
せっかくの池田昌子さんの吹替なのに、めっちゃもったいない!
これは日曜洋画劇場のスタッフが悪かったのではなく、音源を送って来なかったワーナーが悪い!
今の技術なら音楽は消して、吹き替えた池田昌子さんらの日本語だけを取り出して、本来の音楽と効果音の音源と合体ってできないんですかね?
でもこれもそうすることに対して利益が出るならどこかがしてくれるでしょうが、何も収入を生まなければ会社としてはやってくれませんよね。お蔵入りになるなんて、あー勿体無い!
2025年03月16日
1975年4月4日“ゴールデン洋画劇場”放映「おしゃれ泥棒」雑誌紹介

まず、1975年に東京地区をはじめとする全国(一部地域は除く)でテレビ放映されたオードリー映画は4本あります。
4/4に「おしゃれ泥棒」、4/13に「暗くなるまで待って」、5/21に「パリの恋人」、11/14に「いつも2人で」。
このうち「パリの恋人」は再放映。75年の「ロードショー」での紹介はこちらの記事で既に紹介済み。
この時は1970年の素材を使っていて、オードリーの吹替は池田昌子さんではなく阪口美奈子さんで、のちにサンテレビ?か何かの局で見た時は正直違和感ありまくりでした。
1975年だと僕はまだ小学校の同級生の女子から聞いてオードリーを初めて知った頃で、この中だとたぶん「いつも2人で」しか見れていません。
さて、今日は4/4にテレビ初放映した「おしゃれ泥棒」の紹介。
放映したのはフジテレビの“ゴールデン洋画劇場”。この当時は毎週金曜日の午後9時からスタートしていました。
“ゴールデン洋画劇場”、かなりフジテレビも力入れてたんでしょうね。この「スクリーン」と「ロードショー」の両誌でも宣伝かましていますし、この当時はなんと!“ゴールデン洋画劇場”だけの季刊パンフレットまで製作していました!

この記事を紹介しているのは両誌とも1975年5月号(3/21発売)だと思いますが、本体はとっくの昔にバラしてしまっていて、この記事しか残っていません。
この時の3月〜4月のラインナップは「地獄のパスポート」「ビスマルク号を撃沈せよ」「おしゃれ泥棒」「猿の惑星」「西部番外地」。
この中で強力なのは「おしゃれ泥棒」と「猿の惑星」だと思うのですが、「猿の惑星」は以前TBSに既に放映されていたのと、初公開時の配給収入で「おしゃれ泥棒」の方が上回っていたためにきっと1推しは「おしゃれ泥棒」になったのでしょう。
なので“ゴールデン洋画劇場”のパンフでも、「スクリーン」と「ロードショー」の広告でも、「おしゃれ泥棒」が最推しになってます。嬉しいですよね!
フジテレビ独自のキャッチコピーは
“オードリー・ヘプバーン、
すばらしく愛らしく笑うひと……。
「おしゃれ泥棒」でその魅力を
ふんだんに披露します。”

さて、「スクリーン」ではえんじ色1色のグラビアページ(コート紙)、「ロードショー」はマットコート紙での墨一色ページに載っています。
そのため、デザイン的にも色的にも「スクリーン」の方が相変わらずモッサリしているんですけど、紙がコート紙なので、この50年という半世紀もの時間を経ても、黄ばみの圧倒的に少ないのは「スクリーン」。
「ロードショー」の方はかなり変色しているので、ここでは修正をかけています。
やはりコート紙は時の流れにも強いですね。
今やマットコートともっと悪い上質紙になってしまった「SCREEN」ですけど、今の号の方が長い歳月には耐えられないかもしれません。
最近写真集などでもやたら使用頻度が高いマットコートですけど、経年劣化に弱く発色も悪いのに、なぜそんな紙を使うのか、僕には理解できません。
ちょっとオードリーの写真集を出すような会社には物申したいです!
さて、「スクリーン」での洋画劇場でのグラビア紹介では、「おしゃれ泥棒」がトップ。
文章では “名匠ウィリアム・ワイラーがオードリー・ヘプバーンの魅力を知り尽くして作ったロマンティック・コメディ。オードリーの着るジバンシィのシックなファッションも見もの。”と書いてます。

こういう風に書かれてる文章が今だにあって、なんだかな〜と思ってしまいます。
「ロードショー」の方でも “100万ドルで売り込んだ!”って書いてあって、みんな映画を見てないのかな?と思ってしまいます。
「ロードショー」での “見どころ”では “痛快な泥棒映画である。ワイラーは文芸対策と取り組む時の姿勢をガラリと崩してすこぶる気軽に作り、「ローマの休日」を思わせる粋で楽しいロマンティック・コメディにしている。大人のおとぎ話もここまでうまくシャレていれば文句なし。ビーナスの奪還シーンの迫力はヒッチコックも顔負け。”と書いてます。
2025年03月03日
「ティファニーで朝食を」1995年リバイバルチラシ

というわけで、今回は1995年リバイバル時のチラシを紹介。
1995年リバイバルは3月3日から30日まで東京の銀座文化劇場で最初に公開されました。
当時、朝の10時の1回だけの「サウンド・オブ・ミュージック」と併映だったようです。
1日の残りの4回(金曜はさらにもう1回)が「ティファニーで朝食を」だったというわけですね。
この記事のアップもその時の最初の「ティファニーで朝食を」上映の13:10にしてみました。
ちなみに銀座文化劇場で「ティファニーで朝食を」が終わった3月31日からは、「マイ・フェア・レディ」の1995年リバイバルに突入します。
どちらの映画も1993年に“I’ll オードリー・シアター”として上映しているのに、2年でまたリバイバルの先鞭を引き受けるとは、さすが当時“オードリー専用劇場”と言われただけのことはありますね。
95年の「ティファニーで朝食を」リバイバルでは、このチラシと、さらに同柄のB1ポスターが新たにデザインされて制作されました。
でもこのチラシ、なんかメインの画像が暗いんですよね。もっと綺麗なカラーを使えばいいのに、なんでこんなの選んできたんでしょうね。それにメインの画像の切り抜きが雑。
全体にあんまりいい出来だとは思わない。
メインの画像の下には、ティファニー本店の前に立つホリー、ニューヨークで歩くポールとホリー、夜にポールの部屋に逃れてきたホリーの3点の画像があしらわれてますけど、全然映えてないし効果ない。
89年リバイバルの「昼下りの情事」のデザインがかなり気合入ってたのに比べると、また86年あたりのやっつけ仕事っぽい出来になってます。
予算カットのために日本ヘラルドさんの身内でデザインしたんでしょうか?

映画にはティファニー・ブルーの要素って全くないですもんね。
それになんとなく発色が良くないのは、紙がコート紙ではなくマットコート紙だから。
あきませんよ!チラシにマットコート使うのは!
それでなくてもメインの画像が暗いのに、ますます色が沈んでしまいます。
これはこの紙を選んだ担当者の失敗ですね。
チラシの裏面も墨一色で刷られていて、マットコート紙と合わさって華やかさや高級感とは無縁。
そういえば真ん中の上部にある画像、2Eとホリーとポールの画像ですけど、珍しく正向きで画像が載ってます。
チラシの解説では、“オードリー・ヘプバーンの代表作中の代表作” “オードリーの小粋な姿が多くの人の眼にいまなお深く強く焼き付いている都会映画の傑作である” “ヘンリー・マンシーニにとってもこれは生涯を代表する仕事となった”と書かれています。
この1985年に始まった日本ヘラルド配給のオードリー映画のリバイバル、86年からはオードリーが再ブームの大ブームになって、女性誌なんかでもオードリーを載せれば売れる!という時代でした。
でも1993年に「尼僧物語」と「許されざる者」と「ロビンとマリアン」以降を除く主な作品(「初恋」を含む15作品で17回)のリバイバルは全て終わってしまい(さらにこの時期には新作「オールウェイズ」上映と「おしゃれ泥棒2」ビデオ発売もあった)、同じ93年にオードリーが亡くなってしまうとさすがにそのブームもだんだんと落ち着き始め、1995年はもうオードリーブームにも翳りが見えてきました。
なので僕的にはこの85年から始まるオードリーの大ブームは、95年までの約10年というイメージで捉えています。
2025年02月28日
神戸阪急の“Audrey in Cinema”展、行って来ました!

画像は会場の様子(写していい場所だけ)と、神戸阪急にも置いてあった2月の催事のビラと当日の入場券です。
2月の催事のビラは新聞広告のチラシとしても全くおんなじものが入っていたので、実は僕はそのチラシを見て“おっ!オードリーの展示会やるんや!”と思ったのでした。
まず、催事場のある9階に行ったんですが、エレベーターで行ったのでいきなりフォトスポットの方に着きました。
こちらは出口側で、最初の写真の右手に物販の場所があり、「ローマの休日」のオードリーのポスターの左側に入口がありました。
もしエスカレーターで登ってきたら、エスカレーターを降りたところに「ティファニーで朝食を」のオードリーがお出迎え、という状態になっている、とこれはチケットのもぎりの方に教えていただいた情報。
エレベーターで来ると、その画像は見えないんですよね。もちろん後で写真は撮りましたが。
さて、前回の記事で載せた招待状を持っていたのですが、どうやら他の人の様子を見ていると、当日券のチケットにもオードリーの写真が付いている様子!
これは買うしかないと、招待状があるにもかかわらず当日券も買いました。その画像も載せましたよー。

でも当日券はまだこのブログで紹介していないので、招待状を使って入りました。
すると招待状の人だけなのか、前売券や当日券の人でも貰えるのかよくわからないのですが、2階で何かの抽選ができる券をもぎりの方にいただきました。
さて、中に入ってオードリーの画像を堪能したのですが、一部京都とは違っていました。
それと前回も書いたように、僕の今回のチェックポイントは、京都で間違っていた展示物(クレヴィス社さんに連絡済み)はきちんと訂正されているのか、というのもありました。

それと京都では「ローマの休日」のトップに「パリの恋人」の画像が使われていたのですが(写真集「Audrey in Cinema」ではp7の写真)今回はその画像は「ローマの休日」にところにはありませんでした。
そしてその画像は無事「パリの恋人」の中に展示されていました。
それと、やはり「ローマの休日」「麗しのサブリナ」「パリの恋人」などは画像の点数が多いですね。「戦争と平和」とか「許されざる者」とか、「シャレード」などは画像が少なく、3.4点しかありませんでした。
「緑の館」や「パリで一緒に」が意外と多めだったのは、やはりボブ・ウィロビーの画像を借りているからでしょうね。

映画作品が終わると、各国のポスターで1作品1枚飾られていました。
これは写真集には収録されていないので、展示会でだけ見れるというもの。
京都では後でまとめて、ではなく各作品のところに飾られていたと思います。
しかもその時は全作品は無かったのですが、神戸では「暗くなるまで待って」までは全作品揃っていました。
京都では「戦争と平和」のとこに日本版が飾られていたのですが、UIP配給のポスターなのに、京都では “1973年リバイバル版ポスター”などと書かれていましたが、これも今回は “1987年リバイバル版ポスター”に修正されていました。

そこには「マイヤーリング」や「おしゃれ泥棒2」などのテレビ作品も載っていたのですが、「エクスラン・ヴァリーエ」「銀座リザ」のCMのことは載っていませんでした。
結局最後まで行って出口は出ずにまた戻って始めから見直し、というので3往復プラス一部をさらに見直ししてきました。
出口を出てからは、もちろん物販コーナーに行ったのですが、「AUDREY HEPBURN オードリー・ヘプバーン」や「オードリー・スタイル」という過去の写真集は順調に版を重ねているのですが、「Audrey in Cinema」はまだ全部1刷でした。
ちょっと残念。

というわけで、京都で確実に間違っていたものは全部訂正されてて、トンデモ本も排除されてた!
唯一「昼下りの情事」のカラーのオードリーのアップの画像が裏焼きなんだけど、鼻で判断するしかなくて、僕は確実に裏焼き、ってわかるけど、多分クレヴィス社さんの方はそこまで自信を持てなかったんでしょうね。これのみ裏焼きのまま展示されてました。
とにかく、今回はクレヴィス社さん、やるやん!というのが感想でしょうか。
あとは「オードリー・スタイル」展を梅田阪急でやってたのですが、新型コロナで1度中止になって、その後再度開催されたのですが、その時は大幅に画像の展示を少なくして無料になってしまっていたので、その完全版をどこかで見てみたいです。

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2025年02月14日
神戸阪急で2月16日から24日まで “AUDREY in Cinema”展開催

時間は午前10時〜午後8時。最終日は午後5時終了だそうです。本館9階の催事場にて。
時間と場所が合えばぜひ!です。
今回はその神戸阪急のチラシと招待券を紹介。
“AUDREY in Cinema”展は23年4月に京都で開催されたあと、なかなか他で開催されなかったんですよね。
去年(2024年)に広島と花巻で開催されただけ。
クレヴィス社のオードリー展示会としては最初で、あまり出来の良くない “AUDREY HEPBURN オードリー・ヘプバーン”展は日本全国で何度も開催されているのに、その後クレヴィス社さんが頑張って、グッと質を上げた“オードリー・スタイル〜飾らない生き方”展や、この“AUDREY in Cinema”展はあまり開催されないのが残念ですね。
さて、この記事では非売品の招待券の画像を載せましたけど、前売券はローソン(Lコード:55137)だけの販売で、神戸阪急に行っても売っていません。
昔と違って紙のチケットはもう大々的には扱わないのでしょうね。昔はこういう前売券にもオードリーの画像が付いているので買うのが楽しみだったんですけどね。

当日券は大人1000円、前売券800円だというのに、おバカな出費ですよね。でもオードリーの画像の付いたチケットはこれしかなく、買ったものも別に欲しくないものではなく、普段から使用している消耗品だったので別に後悔はありません。
まあまんまと神戸阪急さんとショップさんの思う壺ですけどね笑。
さて “AUDREY in Cinema”展は約120点の画像が展示されているそうです。
前回京都で見たときに、1987年リバイバルの「戦争と平和」ポスターを1973年として展示してあったのと、「パリの恋人」の写真を「ローマの休日」として展示してあったのがめっちゃ気になりましたけど、今回は訂正されているんでしょうかね?
それをチェックするのも今回の楽しみ方ですね。
それと、このメインイメージの「ティファニーで朝食を」の画像は本来カラーなんですよね。
クレヴィス社さんの話によるとカラーのものが手に入れられなかったそうですけど、こういう本当はカラーなのにモノクロ化して使用しているってのは僕はキライなんですよね。
なんでオードリーをなんでもかんでもモノクロの世界に押し込めようとするわけ?
オードリーって時代的にももうカラーの時代のスターなんですけどね。

さて、このチラシの裏には経歴のところで、“「ローマの休日」「パリの恋人」「ティファニーで朝食を」「シャレード」「パリで一緒に」「マイ・フェア・レディ」「おしゃれ泥棒」など数多くの作品を大ヒットさせ” って書いてます。
これがクレヴィス社さんの考える代表作なんでしょうか?選択が面白いですよね。
オードリーの代表作って、「ローマの休日」「ティファニーで朝食を」「マイ・フェア・レディ」という絶対に入る3作品以外の選び方が過去の映画パンフレットでもそれぞれ違って、見ると面白いんです。
大ヒットってのも、どこの国基準なのかも興味深いところ。「ティファニーで朝食を」なんて、有名なわりにアメリカでも日本でもそれほどではない成績に終わってますしね。
あーでも、展示会のコースの最後にある物販コーナーで、やっぱりトンデモ本のマーティン・ギトリンのオードリーの伝記もどきをまだ重版して売ってるんだろうなと思うとちょっと気が滅入るというか、怒りさえおぼえるんだろうなー。
ほんと、あれは絶版にしてほしい。稚拙極まりないダメダメ本ですね。皆さんは行っても絶対にあれは買わないでくださいね!
2025年02月05日
日本旅行「忘れえぬヨーロッパの休日」パンフレット その2

30年前の1995年出発の販促パンフレットですね。
以前紹介したのが1994年11月〜1995年3月出発版でしたから、出発がちょうど1年後のものになります。
以前紹介した時に、“オードリーがグレゴリー・ペックに抱きついているタイプもあったはずなんですが…” てなことを書いてましたが、無事見つかりましたので、95年から30年後の今回、紹介しますね(でも想像していた絵柄とはちょっと違ったんですけどね)。
ちなみに、その時にさらに別のパターンのも見つかりましたので、それもまた今後紹介するかと思います。
さて、今回紹介のぶんは、日本旅行の三ノ宮支店の印が押してあるのですが、11月出発だったら30年前の今頃はもう駅に置いていたでしょうね。
僕も、JRの三ノ宮駅の柱のとこにあったスタンドで見つけてもらって帰った記憶があります。
でもちょっと待ってくださいね。以前の記事でも書きましたが、30年前の1月17日に実は震度7の阪神大震災が起こっています。

もちろん神戸の中心街の三宮も甚大な被害がありましたし、JRも阪急も阪神もレールはたわみ、高架や駅が落ちたりなどで、神戸の交通網はぐじゃぐじゃに寸断されていた頃。
なのでこのパンフレットは震災前にもらっていたのでしょうかね。でも裏には発行が95年であることがわかる印刷があります。
なのでもしかしたらボロボロになってしまった神戸の街で、僕にはオードリーがかすかな希望のように見えたのかもしれません。
今年は阪神大震災から30年ということで、1月には色んなテレビ番組でも阪神大震災のことが取り上げられていました。
そのうちの1つで倒れた阪神高速道路の下敷きになっているトラックやバスの映像を見た時は泣いてしまいました。
それらの車両の中にも人がいて、消防士さんが呼びかけても“ダメだ”と言っているのを聞くと、それらの人にも日常や家族があったはずなのに…と思うと涙が抑えられませんでした。
前回のパンフレットの出発は地震をまたいでいましたので、旅行から帰って地震に遭った人、旅行に出ている時に神戸で地震があったことを聞いた人、色んな人がきっといたのだろうと思っていました。

でも今回は地震後の出発ですよね。果たして地震の後に海外旅行に行く気分になれるだろうか?とも思いますが、崩れた神戸の街から精神的に逃れたい人、気分を一新して新たにやり直したい人、などもきっといたことでしょうね。
さて、神戸の話が長くなってしまいましたが、前回のパンフが巻き三つ折りだったのに対して、このパンフは、観音折りになっています。
A4サイズ1枚分紙が増えているということで、さらにパンフが豪華になっているということですね。
載せている写真は、上から順に表紙・中を開いた所・さらに観音開きの左を開いた所・右を開いた所・裏面、となっています。
前回と比べてオードリーの画像は増えているんですけど、小さくなってますね。
それと宣伝写真ではなく、すべて映画から直接キャプチャーした画像ばかりなので、珍しいものなどはありません。
それとCコースというのが場所が変更になっています。
前回はローマ・パリ・ジュネーブだったんですが、今回のではニース・ローマ・パリになってます。
他のは前回と同じ。Aコースがローマ・パリ。Bコースはロンドン・ローマ・パリ。Dコースはイタリア周遊。
どのコースも8日間です。

でも、前回も書きましたが、この日本旅行のコースは海外旅行もオードリーも初心者向き。
行く所も基本中の基本だし、「ローマの休日」のファンでもちょっとロケ地が数少なくて物足りないし。
パリは特に酷くて、パンフレットでも “「パリの恋人」「昼下がりの情事」「シャレード」「パリで一緒に」「麗しのサブリナ」「おしゃれ泥棒」と数えあげれば切りがないほど。”(原文ママ)と書いてるのに、行くのは “「シャレード」にも描かれていたノートルダム寺院は入場して見学”ってくらいで、エッフェル塔は眺めるだけ、オペラ座・凱旋門・シャンゼリゼはバスで通るだけ、という有様。
「昼下りの情事」の表記も間違えるほど、日本旅行でこの企画をした人もオードリーに対しては初心者っぽい。
「ローマの休日」も全然深くロケ地を掘り下げていないし、他のオードリーのパリ映画に至っては、全部見たのかどうかも怪しい。
なので僕もですけど、こちらにお越しいただいてるようなコアなオードリーファンの皆様だったら、きっとこんなツアーでは満足いただけないと思います。
きっとこのツアーで皆さんや僕が参加しているとしたら、みんなで相談してローマのフリータイムの日に「ローマの休日」のロケ地をもっと回るでしょうし、オードリーがローマでアンドレア・ドッティと住んでた家や、別居してからの家(現在のルカの家でしたっけ)も見にいく計画を立てるでしょうね。

南仏のニースまで行くのなら、もうこれは「いつも2人で」のロケ地のサン=トロペも行きたいですよね(ムリか?)。
この辺はやはり高くても “I’ll オードリーツアー”の方がコアなファン向けですよね。
というか、こちらに来ていただいているオードリーファンの方と、オードリーゆかりの地を旅行なんてめっちゃ楽しそうですよね!
70年代前半に名古屋にあったという300坪の明智常楽さんの泊まれるオードリーファンクラブの家に行くのに負けないくらい楽しそう!
というか、料金!安すぎませんか!?マジですか??
円高の昔だったからなのか、ヨーロッパ8日間で12万8000円とか安すぎなんですけどーっ!
今の円安だったら、絶対にできなさそうな価格設定ですよね!日本にチカラがあったからこそ出来ていた値段だった、ということですよね。
てか、今ならインバウンドの影響と物価高のダブルパンチで国内旅行でも8日間はムリそうですよね。
タグ :オードリーを使った宣伝
2025年01月26日
「華麗なる相続人」1980年初公開時 雑誌紹介記事

今日、2025年1月26日は「華麗なる相続人」が日本で初公開してちょうど45年になります。
今から45年前の1980年1月26日に松竹のチェーンマスター館である丸の内ピカデリーで封切って、2月22日まで4週間上映されました。
ちなみに京阪神地区では2月9日からだったのは、以前の記事で書いた通り。
でも本当は東京も2月9日からの予定だったっぽいのは、こちらの記事で書きました(その時は「華麗なる相続人」が何週上映されたかまだ調べてなかったんですが、その後きちんと調べました)。
さて、今日紹介するのは、僕の手元に大昔から切り抜きはあるんですが、雑誌が何かわからない「華麗なる相続人」初公開時の紹介記事。
サイズはB5なので、何かの週刊誌なんですかね?自分で買ったのか、もらったものなのかがはっきりしません。
まさかキネマ旬報ってことはないと思うんですが…。
というのも、書いてある文章で
“「ロビンとマリアン」以来3年ぶりのオードリー・ヘップバーン出演が話題となり、監督も「暗くなるまで待って」でコンビを組んだテレンス・ヤングということで期待は充分。”
なんて書いてあるから。

そう、まだ学生だった僕でも、映画を神戸の朝日会館で見て、これは双葉十三郎さんの採点が(悪い意味で)ヤバイぞ!と思ったものですしね。
まあでも出来はともかく、オードリーだからお客さんは入ると思われてたんでしょうし、だから松竹でトップの劇場である丸の内ピカデリーで上映されたんでしょうしね。
まあ大劇場の丸の内ピカデリーで興行の基本ラインの4週間は上映できたのなら、御の字ってとこですかね。
もっと大コケだと2週とかで打ち切られてしまいますからね。
さてここでは3ページ分割いて紹介されています。
といっても3ページ目はオマー・シャリフとミシェル・フィリップスの画像で、オードリー出てこないんですけどもね。
オードリーのめずらしい画像もなく、あんまり45周年にふさわしくないような気もしますが、もっといいのは50周年(2030年)用に取っておきますね。まああと5年なら僕もまだ大丈夫でしょう(たぶん)笑。
2025年01月19日
「おしゃれ泥棒」と可哀想な「噂の二人」 “スクリーン”1985年4月号

他の有名どころのオードリー作品が3年〜8年で最初のリバイバルがなされていたのに比べると、非常に遅い第1回目のリバイバルですね。
というか、当時の僕などは「噂の二人」はもうリバイバルされないと思っていました。
というのも、バブル前夜の当時の好景気で浮かれた日本にとって、「噂の二人」はモノクロ映画であまりに地味、あまりに暗かったから。
それに「噂の二人」は初公開時、どうやらオードリーとシャーリー・マクレーンの人気をもってしてもヒットしなかったらしいというのがわかってましたし。
その上、オードリーは当時「スクリーン」でも「ロードショー」でも人気投票のベスト10から落っこちていたし、オードリーではもう稼げないと業界では思われていたようなのですよね。
なので大のオードリーファンだった僕でも、「噂の二人」がリバイバルされるなんてこれっぽっちも思っていませんでした。一生劇場では見れないもんだと諦めてましたねー。
ところで、80年代前半に有名どころの映画が大手映画会社からリバイバルがされるようになり、84年には日本ヘラルドがリバイバルに参入。アメリカで映画会社ごとに直接契約を取って来るという方式で、最初に契約の取れたMGM/UA作品からリバイバルが始まりました。
この日本ヘラルドの凄いところは、ついこないだ別の映画会社がリバイバルした作品でもかまわずリバイバルしちゃうこと。
なので、ついこないだ84年10月にCICがリバイバルしたばかりのヴィヴィアン・リーの「哀愁」を、同じく84年にリバイバルの権利を取って、85年にはもうリバイバルしちゃうんですよねー。
これって87年に本家UIP(パラマウント/ユニバーサル映画の配給会社)がリバイバルした「戦争と平和」を89年にヘラルドがリバイバルしたり、同じく87年にワーナーがリバイバルした「暗くなるまで待って」を91年にヘラルドがリバイバルしたり、ってことにも繋がるんですよね。
もちろんオードリーファンとしては何回リバイバルしてもらってもいいんですけど。

さて、そんな最初に権利を取ったMGM/UA(MGMとユナイト)のオードリー作品の中から、日本ヘラルドさんは「緑の館」と「噂の二人」の権利を1984年に手に入れちゃうんですよね。これってすごくない!?
だってオードリー作品でも日本で最もヒットしなかった2作品なんですよ!?それを人気はもう無いと思われていたオードリー作品での最初のラインナップに入れるなんて!
僕がもし当時の日本ヘラルドの社員さんだったとしても、この2作品からリバイバルするっていう考えは、無い、全く無い!
もし他の人がそんな提案してきたら、“別の作品からにしたら?”って止めちゃう。
でもそれを当時の日本ヘラルドの方達はやっちゃった。なんて大胆!凄い!尊敬!
早速「噂の二人」と「緑の館」の復刻版パンフレットが印刷されるんですよね。なのでこの2作品の復刻版パンフの奥付は1984年になってる。
ただまあ「噂の二人」は順調に85年の1月19日にリバイバルされるんですけど、「緑の館」の方は結局フィルムの状態が悪いということで東京や大阪では公開されず、88年になってやっと名古屋や札幌でリバイバルされるんですけどね。
さて、「噂の二人」を最初にリバイバルしたのは1月19日〜2月1日までの上映だった新宿東映ホール1。ちなみに新宿東映ホール2では先ほど書いたヘラルドの「哀愁」がリバイバルだったよう。
さてさて、そんな「噂の二人」ですけど、封切り作品やリバイバル作品を紹介する雑誌「スクリーン」ではどうなっていたんでしょうか?
それがわかるのが今回紹介の「スクリーン」1985年4月号(2月21日発売)。
この時期はダイアン・レーン、ブルック・シールズ、ジャッキー・チェン、マット・ディロンなどが人気。
さて、「噂の二人」が載っているのは、最後の方のページ、「1月公開の外国映画一覧」っていうページ。

そこでは1月にリバイバルされた「噂の二人」が書いてあるのですが、ズズッと下の方をみると作品紹介をしたのは1962年5月号ってなってる!!リバイバル紹介をしてないんかーい!
いや、普通はリバイバルでもグラビアで紹介するんですけど、この日本ヘラルドのリバイバルはあんまり載せてくれないんです。
この号でも、大手の20世紀フォックスがリバイバルする「サウンド・オブ・ミュージック」や、IP映画配給の「シベールの日曜日」や「ミモザ館」といった作品はグラビア紹介されてるんですよね。
日本ヘラルドが配給のリバイバルだと、「暑いトタン屋根の猫」も59年1月号を見ろとか無茶を言う。かろうじて「死刑台のエレベーター」は3月号で紹介されていたようですけどもね。
でも「スクリーン」の1962年の5月号なんてどうやって手に入れろと??ネットの普及した今ならまだしも、当時は近所の古本屋で売ってなければ、もう手に入りませんもんね。古い「スクリーン」を置いてある国会図書館とかに行かないと見れないやんか!ってことになりますよね。
僕も1962年の5月号の「スクリーン」なんていまだに持っていませんとも。
「噂の二人」としてはせっかく23年ぶりの初リバイバルだったのに、紹介されないままに終わってしまうなんて、なんて勿体無い!
なのでオードリー作品は1年に3本ずつリバイバルされたこの時期の「スクリーン」を買っても、リバイバル紹介はされていません。それを期待して買っても無駄、ということですね。
というわけで、日本ヘラルドのリバイバルには冷たい「スクリーン」なのでした。
今でも“午前十時の映画祭”のリバイバルはあまり紹介してくれませんもんね。あんな感じです。
でも「噂の二人」の採点が70点になってますね。双葉十三郎さんの採点では75点のはずですが…。

というのも、実は「噂の二人」公開当時、双葉十三郎さんは第1級作品の採点はなさってなかったんですよね。
双葉さんの “ぼくの採点表”は、他の映画評論家さんが評論も書かないような落ちてしまった2流以下の作品を短く評価を書いて採点するっているコンセプトで始められたものなんですよね。
70年代半ばになると、「ロビンとマリアン」など他の映画評論家さんが評価した1流作品のものでも、短評で採点なさるようになっていましたが、60年代はまだ1流作品には点数がなかったんですよね。
なのでこれは85年にスクリーン編集部が「噂の二人」に付けた点数が70点、ということですね。ちょっと低くない?
そういえば、「戦争と平和」は逆に73年のスクリーンでは75点、双葉さんは70点でしたね、
さて、この号の「スクリーン」ですが、ほかにもオードリーが載っています。まだオードリーの再ブームは始まってないのですが、この号はちょっとオードリー多めで嬉しい。
まずは各号で1人ずつ取り上げてるようなのですが、“オードリー・ヘプバーンが演じた魅惑の女性像11”っていうグラビア4ページ。
文章はオードリー評論家の1人、南俊子さんが書いてくださってます。要約でお届け。
“オードリー・ヘプバーンは確実に1つの時代を築いた。オードリーほどファッショナブルなスターはいなかった。身長170cm体重50kgという数字は、当時のヤング女性たちを驚愕させたものだ。まさしく彼女は20世紀後半の女性美の概念を変えたのだ。気品があって清らか、可憐で優雅で侵しがたく、半ば妖精で半ば神様の人。夢のひと、憧れのひと、宝石のひと。実年齢は50代でも、イメージは永遠に輝く魅惑のスターである。”

そしてここで取り上げられた11作品は「ローマの休日」「麗しのサブリナ」「パリの恋人」「昼下りの情事」「尼僧物語」「ティファニーで朝食を」「噂の二人」「シャレード」「マイ・フェア・レディ」「暗くなるまで待って」「ロビンとマリアン」。
各作品ではあらすじしか書いてないので、ここで書くことは無いのですが、リバイバル紹介がされなかった可哀想な「噂の二人」がここで載っているのがかろうじての救い。
そしてもう1つのオードリーは、これまた毎号連載されていた過去の読者選出のベスト3作品を紹介していくというグラビア。
この号は1966年度作品(67年5月号発表)が紹介されていたので、オードリーが載っていたというわけ。
この年は1位が「ドクトル・ジバゴ」、そして2位が「おしゃれ泥棒」、3位は「幸福」となっています。
実は「スクリーン」の作品投票でオードリー作品で最も上位だったのがこの「おしゃれ泥棒」!
「ローマの休日」(3位)や「マイ・フェア・レディ」(3位)よりも上位だったのですよね。
これはオードリーの人気や作品の出来が良かったのはもちろんですけど、当時は「アラビアのロレンス」で大人気だったピーター・オトゥールのファンの票も取り込んだためと思われるんですよね。
それに監督の人気投票でも常にトップ3に入っていたウィリアム・ワイラー監督作品ですから、ここの票も取り込んでのオードリー最高位だったと思います。
ここでの文章は滋野辰彦さんという方。こちらも要約で。
“巨匠中の巨匠ウィリアム・ワイラーが珍しく気軽に楽しんで演出しているコメディ。場所はパリでチャールズ・ラングが風景を美しく撮影しているが、外景はあまり多くない。動きの少ない美術館の場面に、ワイラーはすごく緊張しきったスリルとサスペンスを滲み出させる。ヒッチコックとは違った沈静なスリルがあって、なかなか面白い。ワイラーにとっては題材が軽すぎる感はあるが、60歳を超えた彼が、ヘプバーンの魅力をたっぷり発揮させているのが楽しい。日本のファンがこの映画を喜んだのは、それを考えると不思議ではなく、71年にはリバイバルされている。”

まだオードリーの再ブームが起きていないので、近代映画社の出版本にもオードリーの物はなく、映画グッズのお店の広告でもオードリーの画像は全く使われていません。
でもこの「噂の二人」リバイバルを皮切りに、85年には「麗しのサブリナ」「ローマの休日」、翌86年には「ティファニーで朝食を」「パリの恋人」「マイ・フェア・レディ」と続々とリバイバルされ、あっという間にオードリーの大ブームが起きて、「スクリーン」も映画グッズのお店もオードリーを大きく扱うようになるんですよね。
この号は大ブーム前夜の序章のようなものでしょうか。
「噂の二人」1985年リバイバル 過去記事はこちら
スピード・ポスター
チラシ
復刻版パンフレット