2024年09月07日
「麗しのサブリナ」公開70周年直前 月刊「パラマウント」1954年9月号
今年日本公開70周年なのは「ローマの休日」だけではありません。「麗しのサブリナ」も9月17日に公開70周年になります。
ということで、今日はプレ公開記念ということで、月刊「パラマウント」1954年9月号を紹介。
この月刊「パラマウント」は、パラマウント友の会が本当に9月号は9月1日に発行していたようです。
この号は「麗しのサブリナ」のデコルテ・サブリナ(肩にリボンのあるジバンシィデザインのドレスで、ライナスの社長室に行く際に着ていたドレス)の装いのオードリーが表紙です。
月刊「パラマウント」で表紙になるのは1953年12月号に次いで2回目。
もちろんこの段階で2度も表紙になったのはオードリーのみ。それだけ大ブームだったということですね。
さて、この号は「ローマの休日」と「麗しのサブリナ」封切りの狭間の時期で、あまりオードリーの話題はありません。
と言っても、この号の編集の8月までには「ローマの休日」は全国主要都市での公開は終わってますし、主要都市での2番館、3番館や、地方都市での公開の真っ只中。
なので、読者のページ(4P)ではオードリーのイラストが2点あったり、「ローマの休日」を話題にしている人も多いです。
最初の方の、ヘップバーン型ヘアスタイル、「ローマの休日」型ブラウスに次いで、福岡では“脚のヘップバーンは〇〇靴店で”という広告が出た、というのが興味深いですね。
投稿された方は “靴をまさぐるアン王女のたくましい足”などと書いてますが、足そのものではなく、ヘップバーンからとった、いわゆる“ヘップ履き”と言われる現代のミュールのことでしょうか?
ちなみにオードリーの足が筋肉質なのはバレエをやっていたからですね。
他にも、「ローマの休日」がすばらしすぎて「サブリナ」が待ち遠しい、などの文面が載っています。
別の方の投稿では、“「ローマの休日」で大当たりを取ったパラマウントは、すぐさまロードショーから2番館へと矢継ぎ早に流し、今3番館で上映の看板を掲げている。驚き入った次第だ。”というのもあります。
当時は好評だった作品はそんなすぐに2番館や3番館に流すことはなかったそうなのですが、「ローマの休日」は違ったそうです。
やはり世間でオードリーが大ブームで、稼げる時にどんどん稼ごうという魂胆なんですかね。
さらにまもなく「麗しのサブリナ」の公開も控えていますからね。
この「パラマウント」では読者の採点ということで、本年(1954年)封切りのパラマウント作品での発表も行っています。
読者には100点、90点、80点などと1桁には端数をつけずに採点してもらい、ハガキで応募してもらう。
合計点を投票してくれた人数で割る、という方式です。
毎月新作が封切られたり、どんどん応募総数も多くなっていくので点数は変動するのですが、この号(集計は8月6日)では「ローマの休日」が107人で9640点ということで、90点でトップになっています。やっぱりもの凄い好評だったんですね。
ふつう、前評判があまりにも高いと、見たら “なーんだ”って思われることも多いんですが、「ローマの休日」は前評判通り、というかそれ以上だったということですね。
でも編集後記の欄で“あんまり「ローマの休日」が当たったので最初褒めていた人たちがなんのかんのと文句をつけ始めた(ああ、島国根性よ!)”ということで、世間一般では難癖を付ける人が出てきたようですが、我が友の会はさすが!ということでそんな人もいなかったようです。
でも島国根性って言葉、最近は全く聞かないですよね。
さて、本文には春美栄光堂というブロマイド屋さんの宣伝が載っているのですけど、戦後すぐに人気の出たイングリッド・バーグマンやジューン・アリスンの70種というのには負けてますが、まだ「ローマの休日」でお目見えしたばかりのオードリーが既に50種類はスゴイ!
ヴィヴィアン・リーやエリザベス・テイラーともう肩を並べています。
春美栄光堂さん、一体どこから写真の原版の仕入れてるんでしょうねー。
「風と共に去りぬ」公開時にMGM日本支社が、アメリカからいつまでたっても宣伝写真を送ってこないので、春美栄光堂さんから借りて宣伝で使った、MGMから届いたのは公開が終わってからだった、とのことなので、どこかのパクリではなさそうです。
70年代後半、僕がオードリーのファンになった頃は春美栄光堂さんの「スクリーン」での広告ではオードリーは最高の100種類になっていました。いつか全種類買いたいと思っていましたが、学生時代にはお金が足りず、90年代にはオードリーは256種類にもなっていて、社会人でも一度に買うには手痛い出費になることから、ずるずると後回しにしていたら春美栄光堂さんがいつの間にか閉業してしまっていました…。
一度全種類見てみたかったですねー。
そして原版はどこへ行ってしまったんでしょうか。
さて、「麗しのサブリナ」の続きのお話は次回…ではなく、17日に。
ということで、今日はプレ公開記念ということで、月刊「パラマウント」1954年9月号を紹介。
この月刊「パラマウント」は、パラマウント友の会が本当に9月号は9月1日に発行していたようです。
この号は「麗しのサブリナ」のデコルテ・サブリナ(肩にリボンのあるジバンシィデザインのドレスで、ライナスの社長室に行く際に着ていたドレス)の装いのオードリーが表紙です。
月刊「パラマウント」で表紙になるのは1953年12月号に次いで2回目。
もちろんこの段階で2度も表紙になったのはオードリーのみ。それだけ大ブームだったということですね。
さて、この号は「ローマの休日」と「麗しのサブリナ」封切りの狭間の時期で、あまりオードリーの話題はありません。
と言っても、この号の編集の8月までには「ローマの休日」は全国主要都市での公開は終わってますし、主要都市での2番館、3番館や、地方都市での公開の真っ只中。
なので、読者のページ(4P)ではオードリーのイラストが2点あったり、「ローマの休日」を話題にしている人も多いです。
最初の方の、ヘップバーン型ヘアスタイル、「ローマの休日」型ブラウスに次いで、福岡では“脚のヘップバーンは〇〇靴店で”という広告が出た、というのが興味深いですね。
投稿された方は “靴をまさぐるアン王女のたくましい足”などと書いてますが、足そのものではなく、ヘップバーンからとった、いわゆる“ヘップ履き”と言われる現代のミュールのことでしょうか?
ちなみにオードリーの足が筋肉質なのはバレエをやっていたからですね。
他にも、「ローマの休日」がすばらしすぎて「サブリナ」が待ち遠しい、などの文面が載っています。
別の方の投稿では、“「ローマの休日」で大当たりを取ったパラマウントは、すぐさまロードショーから2番館へと矢継ぎ早に流し、今3番館で上映の看板を掲げている。驚き入った次第だ。”というのもあります。
当時は好評だった作品はそんなすぐに2番館や3番館に流すことはなかったそうなのですが、「ローマの休日」は違ったそうです。
やはり世間でオードリーが大ブームで、稼げる時にどんどん稼ごうという魂胆なんですかね。
さらにまもなく「麗しのサブリナ」の公開も控えていますからね。
この「パラマウント」では読者の採点ということで、本年(1954年)封切りのパラマウント作品での発表も行っています。
読者には100点、90点、80点などと1桁には端数をつけずに採点してもらい、ハガキで応募してもらう。
合計点を投票してくれた人数で割る、という方式です。
毎月新作が封切られたり、どんどん応募総数も多くなっていくので点数は変動するのですが、この号(集計は8月6日)では「ローマの休日」が107人で9640点ということで、90点でトップになっています。やっぱりもの凄い好評だったんですね。
ふつう、前評判があまりにも高いと、見たら “なーんだ”って思われることも多いんですが、「ローマの休日」は前評判通り、というかそれ以上だったということですね。
でも編集後記の欄で“あんまり「ローマの休日」が当たったので最初褒めていた人たちがなんのかんのと文句をつけ始めた(ああ、島国根性よ!)”ということで、世間一般では難癖を付ける人が出てきたようですが、我が友の会はさすが!ということでそんな人もいなかったようです。
でも島国根性って言葉、最近は全く聞かないですよね。
さて、本文には春美栄光堂というブロマイド屋さんの宣伝が載っているのですけど、戦後すぐに人気の出たイングリッド・バーグマンやジューン・アリスンの70種というのには負けてますが、まだ「ローマの休日」でお目見えしたばかりのオードリーが既に50種類はスゴイ!
ヴィヴィアン・リーやエリザベス・テイラーともう肩を並べています。
春美栄光堂さん、一体どこから写真の原版の仕入れてるんでしょうねー。
「風と共に去りぬ」公開時にMGM日本支社が、アメリカからいつまでたっても宣伝写真を送ってこないので、春美栄光堂さんから借りて宣伝で使った、MGMから届いたのは公開が終わってからだった、とのことなので、どこかのパクリではなさそうです。
70年代後半、僕がオードリーのファンになった頃は春美栄光堂さんの「スクリーン」での広告ではオードリーは最高の100種類になっていました。いつか全種類買いたいと思っていましたが、学生時代にはお金が足りず、90年代にはオードリーは256種類にもなっていて、社会人でも一度に買うには手痛い出費になることから、ずるずると後回しにしていたら春美栄光堂さんがいつの間にか閉業してしまっていました…。
一度全種類見てみたかったですねー。
そして原版はどこへ行ってしまったんでしょうか。
さて、「麗しのサブリナ」の続きのお話は次回…ではなく、17日に。