2023年10月09日

1986年 “オードリー・フェスティバル”時 B2ポスター

1986年 “オードリー・フェスティバル”時 B2ポスター 今回は、年度は今年とは“何周年”とかの関係はありませんけど、上映されていた日付がちょうど今頃だった、1986年の“オードリー・フェスティバル”時のB2ポスターの紹介。

 この時は「ローマの休日」「麗しのサブリナ」「パリの恋人」が上映されていますね。
 でもこの時のメインは、画像でもわかるように「パリの恋人」!

 というのも、「ローマの休日」と「麗しのサブリナ」は既に1985年の年末に上映されているので。
 その時の詳しいお話は、“ゴールデンシアター” チラシの記事で。

 80年代後半〜90年代初期のオードリーの大ブーム時には“オードリー・シアター”と呼ばれていたらしいというほど、オードリーの映画をよく掛けてくれていた銀座文化劇場では、85年11月30日「麗しのサブリナ」から始まって、86年1月16日で「ローマの休日」の上映が終わったのに、8か月でまた「ローマの休日」から上映していることになります。

 この85年の「噂の二人」「麗しのサブリナ」「ローマの休日」で手応えがあったのか、86年からは日本ヘラルド配給による怒涛のオードリー作品リバイバルが始まります。

 そのリバイバルされたオードリー作品全ての好調っぷりを見て、慌てて本家の配給会社も追随してまだ残っている作品をリバイバルするという過熱っぷり。

 それまで、70年代後半から80年代前半のオードリー作品の粗末な扱われ方を知っていた僕なんかは本当にビックリしました。

 “オードリー作品ではもうお客を呼べない”なんて言われていましたが、そうではなくて、「ローマの休日」と「マイ・フェア・レディ」ばっかりバカのひとつ覚えみたいに数年ごとにリバイバルしてちゃ、そりゃお客さんも飽きて動員数も減ります。

 オードリーのファンが望んでいたのは、「ローマの休日」「マイ・フェア・レディ」だけではなく、全部の作品だったことがこの時に証明されたんですよね。

 85年には「噂の二人」「麗しのサブリナ」「ローマの休日」
 86年に「ティファニーで朝食を」「パリの恋人」「マイ・フェア・レディ」
 87年に「シャレード」「暗くなるまで待って」(ワーナー配給)「戦争と平和」(UIP配給)
 88年に「パリで一緒に」「緑の館」
 89年に「昼下りの情事」「戦争と平和」(日本ヘラルド配給)
 90年には「オールウェイズ」初公開
 91年に「おしゃれ泥棒」「いつも2人で」「暗くなるまで待って」(日本ヘラルド配給)

と、14作品で16回のリバイバル、新作1本、が来てますし、さらには「おしゃれ泥棒2」と「ニューヨークの恋人たち」もこの時期にVHSビデオで発売(日本初紹介)されています。

 日本ヘラルドも、最初は各製作会社別に買い付けて、MGM/UA、パラマウント、などと他の往年の映画とともにテーマを決めて他作品とオードリー作品を混ぜて公開していたようなのですが、あまりにも突出してオードリー作品の興行成績がよかったんでしょうね、段々オードリー作品のみの買い付け&オードリー作品だけをまとめた上映になっていきます。

 さて、ここでの「パリの恋人」のリバイバルは、1966年以来実に20年ぶりの上映になります。
 「パリの恋人」が上映される!ってんで、舞い上がった僕は高校時代の先輩後輩に連絡をして、10人くらいで梅田に観に行きました。

 大阪は87年になってからの上映でした。(大阪版のチラシの記事はこちら
 というのも、86年当時はまだ今のようなデジタルではなく、フィルムでの上映。

 全国一斉に上映する新作ではなく、リバイバルの場合、フィルムをそんな何十本も取り寄せないんですよね。
 なので、全国分でも数本しか準備されていなかったと思います。

 このポスターで見ると、銀座文化と自由が丘武蔵野館で同じ作品が被っている期間がありますので、2本はある事になりますね。
 さらに予備などであと数本はあるでしょうけど、全国別の場所でそんなたくさん上映できるほどのフィルムは無かったと思われるんですよね。

 何かあった時用に予備は必ず準備しておかなければならないでしょうし、あるだけ全部使うわけにはいかないんですよね。

 なので、昔のロードショー方式のように、全国を順々に回していったと思われます。



(こちらの画像はゲッティイメージズ さんの無料でブログに埋め込み可の画像をお借りしました)


 さて、「パリの恋人」がリバイバルで見られる!ってだけでも嬉しかった僕ですが、劇場に行って驚愕! ロビーには既に予告としてこの「暗くなるまで待って」のポスターが貼ってありました!

 「暗くなるまで待って」のリバイバルを知らなかった僕は、えーーっ!!こんな連続してオードリー作品がリバイバルされるん!?って思ったのを覚えています。

 当時はまだ社会人じゃないし、貧乏な僕には、嬉しいけれどお金が心配になりました。
 それと、また一緒に行くメンバーを集めないといけないなーと思ってました。

 その時に劇場に貼ってあったこの “オードリー・フェスティバル”のポスター!

 当時はこの「パリの恋人」のオペラ座の画像はレアでしたし、なんとキラキラ輝いていたことか!
 僕は喉から手が出るほど欲しかったのを覚えています。

 今はこうして(大阪のじゃないけど)手元にある“オードリー・フェスティバル”のポスターですが、これを見ると当時の思い出が甦ります。

 初公開時の物でも66年リバイバルの物でもないし、「パリの恋人」だけのポスターでもないので、価値はそれほど高くないかとは思いますが、僕にとっては思い出のいっぱい詰まったポスターになります。

 さらに横には「暗くなるまで待って」のポスターも貼ってあったんですから、70年代後半から80年代前半にかけてオードリー作品のリバイバルに飢えていた僕にはいかに壮観で、ポスターだけでもう圧倒されていたのかがわかっていただけるかと思います。

 この時、短期間でこんなにオードリー作品が続々とリバイバルされるなんて、何かただならぬことが起こっている気配を感じたのでした。

 実はこの時に全国的にオードリーのブームは起き始めていて、1987年5月号の雑誌“スクリーン”の人気投票では6年ぶりにベスト10圏内(第7位)にオードリーは返り咲くんですよね。



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この記事へのコメント
 みつお様、オードリーからはいささか外れますが銀座文化劇場(現シネスイッチ銀座1.2)について少々。

 戦後’55年の創設と聞きますが、当方が映画館通いを始めた’70年頃には家から至近の二番館として重宝しました。最初に観たのはC・ルルーシュ「男と女」だったかと。

 公示地価日本一を争う銀座二丁目明治屋前と五丁目鳩居堂前からも目と鼻の先で、銀座四丁目交差点(亡母の世代は尾張町と呼んでいました)のランドマーク和光(服部時計店)の一本裏手ですから日本一家賃の高い映画館かと。もっともオーナーの籏(はた)興行本社ビル内ですから。籏興行は戦前から多数の映画館を有し戦後はボウリング場経営などにも乗り出していましたが、現在映画館は当館のみとか。

 昔は一館だけでしたが何時頃か二館となり、’87年に一方がシネスイッチ銀座となりやがて1.2と。オードリーフェスティバルの頃には足を向けることも少なかったのですが、ケン・ラッセル等英国のマニアックな作品を上映し、ミニシアターブームのきっかけだったとも。同じビル内に「オールドムービー」なる気軽なパブもあり、そちらには何度か立ち寄ったことが。

 昨今の銀座もインバウンドとやらでほとんど無国籍状態の混雑ぶりのようで、人混みの苦手な当方はまるで足など向かないのですが、あの場所で映画館がいつまで存続し得るのか、気になる点ではあります。ビル自体も間もなく築70年でしょうし。以上丸二年の停酒を解いて一年と少し、安酒をちびちび呑りながらの他愛もない雑言にて失礼しました…。
Posted by Edipo Re at 2023年10月13日 02:18
Edipo Re さん、こんばんは!

銀座文化、まだ名を変え生き残っていたんですね!
今はどうなっているのかと思っていましたので、その後が知れてホント良かったです!
オードリー・ヘプバーンにゆかりのある劇場のお話って、自分で調べたりもしますし、こうして伺えたりするのもとても嬉しいし興味があるんですよ!

元々はやはり二番館だったのですね。それを80年代からはリバイバルの作品の封切館となることでチェーンマスター館と同じ鑑賞料を取れたわけですね。
オードリー・ヘプバーンリバイバルのマスター館は銀座文化と言っても過言ではない状況でしたもんね。
大阪では同じ役割を梅田コマシルバーが担っていたように思いますが、銀座文化さんほどではなかったです。

東京といえば劇場オリジナルのパンフレットを作っていた本所映画館とかも気になるところです。

大阪も、梅田や難波では日本人より外国人の方が多いのでは??と思う大混雑ぶりですが、あまりに人が多くてうんざりします。またマナーを知らない人も多くて、平気で人波に逆流して我が物顔で横いっぱいに広がって歩いてる外国人には特に嫌気がさします。
神戸は元々の人口は多いわりにあまり外国人にとっての魅力ある観光地がないせいか、そこまで混雑せずに見て回れるのがありがたいです。
Posted by みつおみつお at 2023年10月13日 17:13
再ブームでオードリーを知った私としては
深く考えずに映画を観たりしていましたが
みつおさんのようにそれ以前からファンだった人にとっては
70年代後半から80年代前半の静まり返っていた時期を思えば
一体何が起こっているんだろうくらいの感じだったのでしょうか。

オードリーが雑誌スクリーンの人気投票で
10位以内に入った時は嬉しかったです
当時の若い女優に負けないくらいの人気がありましたよね。
Posted by りりあ at 2023年10月13日 20:22
りりあさん、こんばんは!

≫一体何が起こっているんだろうくらいの感じ

そーなんですよ!それまでは神戸の名画座の各映画館にオードリー映画(特に「いつも2人で」)を上映してください!ってオードリーのイラストまで書いてハガキを送っていたんですが、チェーン館は無しのつぶて、独立映画館はわざわざ僕を映画館に呼んでくださって、「尼僧物語」のカラーがいかに美しかったかの思い出までお話してくださったりしたんですが、その時に「今はもうオードリーではお客を呼べない」とも宣告されてしまったんですよね。

そんな頑張ってもムリな時代をじかに感じていた身としては、絶対にムリだと諦めていた、初公開時にヒットしてない「噂の二人」が最初にリバイバルされたのも超どビックリだったのに、そこからあれよあれよのリバイバルラッシュですから、あまりの風向きの変わりように嬉しい以上に驚きでしたよー。

「スクリーン」では7位くらいでしたけど、世間的にはオードリーが1位でしたよね。女性雑誌でのオードリーの取り上げ頻度や、NHKでやった100万人の人気投票では10代から60代以上まで全世代で1位だったのも嬉しかったです。
Posted by みつおみつお at 2023年10月13日 21:33
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