2007年01月08日
本命版「戦争と平和」初版セントラル・シアター版パンフレット

本命版とはなんでしょう?それは東京の銀座界隈でロードショー公開された時のパンフレットのことをさすのだそうです。
特に50年代はその劇場オリジナルで、館名が入っているパンフを言います。
だから、特別な場合を除いて関西や地方館名はダメ、東京でも銀座界隈のでなければダメなんだそうです。
昔は今とは違うロードショー形式というのがあり、まず銀座にある大きな格のある劇場で平均3週間ほど公開された後(料金も他より高い)、地方の格のある劇場や6~8館の東京の2番館と言われる劇場で公開されて、さらに3番館などに降りていき、最後は安い名画座へ、という流れだったようです。
ただ、地方先行の場合でも銀座の劇場のパンフが本命版になります。(「ローマの休日」名古屋ミリオン座のところをご覧ください)
神戸の僕としては“なんやと!?”って納得できませんけど、コレクター間ではそういう決まりになっているようです。
さて、こちらのパンフ。本命版にしては広告ページが多くて、読む部分が少ないです。なんか松竹のパンフってそういうのが当時は多いらしいです。
で、読んでいて思うのは、当時は本当に「戦争と平和」に対する期待度と評価が高かったっていうこと。大作だし有名だけれども現在のオードリー映画としての地位はわりとマイナー。
でもこのパンフでは「風と共に去りぬ」をはるかにしのぐ、とか、文学的価値を考えると比べるのがおかしいくらい!などという表現でいっぱいです。
今でこそ映画パンフってたとえその作品が失敗作であっても美辞麗句で飾るのが常ですけど、この当時は違います!パンフに寄稿してる人でも、その作品がダメダメだと思ったら、辛辣な批評をしていた時代なんですよねー。
だからこの当時は真剣にみんながこの「戦争と平和」をほめたたえていた、というわけですよね。あの厳しいキネマ旬報ですら「戦争と平和」を56年度のベスト10に入れていたくらいですし。
この公開した松竹セントラル劇場でも、パンフの最後に書いています。
「映画史上に最高の栄誉に輝くこの大作をセントラル劇場にて公開することが出来た事は劇場と致しましても光栄の至りであります。この公開に当り御後援を頂いた関係者…(以下略)」
ん~、劇場もめっちゃ誇らしげですよね。後半を読むと、同じ松竹系の劇場でも、「こっちが、こっちが!」的な争奪戦が繰り広げられていたことがわかります。
他に松竹ピカデリーとか、東劇なんかも上映したがったんでしょうねー。
さて、「戦争と平和」の松竹セントラルでの公開は1956.12.22から。
この作品はアメリカでも日本でも大々々々ヒット!でしたから、ちょうど50年前の今頃、松竹セントラル劇場は「戦争と平和」を観るお客さんが“押すな押すな!”の大騒ぎであふれかえっていたんでしょうねー。
レア度:★(ちょっと待つだけで簡単に手に入ります)