2025年01月06日
「戦争と平和」1964年12月21日新聞広告

さて、2025年になりましたが、60年前の1965年のお正月映画で、1964年の12月1日からずっと東京の有楽座では「マイ・フェア・レディ」が上映中だったことは昨年の記事でも書きました。
でもその有楽座という東宝のチェーンマスター館以外でも1965年のお正月映画として上映されていたオードリー映画がもう一つありました。
それが「戦争と平和」。

昔のロードショーは全国一斉上映ではなく、まずは東京や大阪のチェーンマスター館から始まって、政令指定都市、東京のチェーン館、地方都市、主要都市の二番館、三番館、四番館、…名画座と順々に公開していくスタイル。
東宝はTYチェーン(東宝洋画チェーン)、松竹はSYチェーン(松竹洋画チェーン)などと、各劇場の系列で直営の映画館を持っており、チェーンマスターで上映の終わった作品を何ヶ月か開けてから上映していました。
この「戦争と平和」も1964年10月7日から30日まで東急の渋谷東急・新宿東急・上野東急での上映が終わった作品を、東急チェーンの関東の劇場に降ろしてきたもの。
東急って、松竹と組むことがあって、その際は東京劇場・渋谷パンテオン・新宿ミラノ座という巨大劇場を使ってたんですけど(オードリー作品では「許されざる者」が松竹=東急系での公開)、東急単独だと当時最も格上だとされていた銀座にチェーンマスター劇場もないし、ちょっと東宝や松竹に比べると地味な感じでしたね。
さて、この「戦争と平和」はその東急の二番館・三番館的なチェーン劇場でのお正月映画に選ばれたようですね。
上映劇場は渋谷東急パラス・新宿ヒカリ座・池袋東急・上野パーク、中野東急・目黒ライオン・丸の内東急カジバシ座・川崎スカラ座・横浜東急といった面々。
よくは知らないのですが、それぞれ300〜500人の劇場だったようです。
チェーンマスター館が1500人前後の規模だったのに比べると、だいぶ少ないように感じますが、今300人〜500人だと、かなり大きい方の劇場になりますね。

ちなみに「パリの恋人」まではオードリーの表記が混在していたパラマウントですけど、1961年公開の「ティファニーで朝食を」以降は現在まで “オードリー・ヘプバーン”で統一となります。なぜか1980年公開の「華麗なる相続人」だけ、“オードリー・ヘップバーン”表記なんですけどね。
あと、3時間半もある「戦争と平和」ですけど、それに同時上映で短編の「スポーツ・ラマ」って映画を付けてるのが凄いですね。こんなの付ける必要ある?って感じ。僕なら「戦争と平和」見終わったらさっさと帰りますし、「戦争と平和」の前にやってる時は、自由席だった昔なら席取りに必死で、そんな短編見てない笑。
さて、65年のお正月にオードリー作品が2本も上映中なんて嬉しいですよね!よく考えたら、オードリー作品でも特に上映時間の長い2作品ですよね。
当時の劇場の椅子は、今と違って疲れのことなんて全く考えられてないし、席も狭くて3時間以上も座ってるのがとても辛かったんじゃないかなーと思いますけど、世の中みんなそんな感じなので、みなさんそんなもんだと思ってたんでしょうねー。
さて、1965年はオードリーの新作は来ませんでしたけど、4月には「麗しのサブリナ」リバイバル、7月には「昼下りの情事」のリバイバル、と続きますし、夏には「おしゃれ泥棒」の撮影も開始されて映画雑誌にも載るので、オードリーファンには嬉しい日々が続きますね。
Posted by みつお at 12:00│Comments(0)
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