2014年05月30日
「パリで一緒に」公開50周年記念 キャビネ写真 その1
いよいよ来月全国のイオンシネマの先陣を切って、シネパスのグループ1で「いつも2人で」がリバイバル上映されます!
★グループ1
北海道 イオンシネマ江別・イオンシネマ小樽・イオンシネマ北見・イオンシネマ釧路
宮城 イオンシネマ名取・イオンシネマ石巻
山形 イオンシネマ天童
新潟 イオンシネマ県央・イオンシネマ新潟西・イオンシネマ新潟南
群馬 イオンシネマ太田・イオンシネマ高崎
天童のみ6/14~20、それ以外は6/16~20。
色々事情もあるのでしょうが、僕なんかは同じ県はむしろグループを分けた方が、最初の時期は見逃しても、別の時に近所で行けるからいいんじゃないの?って思うんですけどね〜。どうなんでしょう…。
みなさんこんにちは。今日2014年5月30日は「パリで一緒に」日本初公開からちょうど50年にあたります。
1964年5月30日に東京のスカラ座で初日が行なわれています。
なので、今回と次回は「パリで一緒に」のグッズ。昭和の時代に、映画館の入口あたりにガラスのショーウインドウに入って展示されていたキャビネサイズのスチール写真です。
残念ながら初公開時の物ではなく、1972年リバイバル時の物ですけど。(^^;A
元々自分が持っていた物と、常楽さんにいただいた画像とがあります。ダブっていた物は常楽さんに頂いた方がプリントの質が高いので、そちらを載せています。「総天然色 パリで一緒に」とプリントに入っている物が常楽さんに頂いた物です。
ただ残念なのは、ほんっっっとうに綺麗な水色のナイトガウン姿で歩くオードリーの画像が1枚もないこと!それに、そのスチールを見たこともありません。これはスチールカメラマンの大失態ですね。
そして今回は「パリで一緒に」のように、ここでの文章も二重構造になってます。「パリで一緒に」に対する文章と、画像に対する文章。画像に関する方は(カッコ)付きで書いてます。読みにくいんですが、ご了承ください。m(_ _;)m
これ、わざとそうしようと思ったんじゃないんですが、「パリで一緒に」の事も書きたいし、画像に関しても書きたいな〜って書いてたら、こうなってしまいました。“「パリで一緒に」みたいな二重構造”というのは後付けです。(^^;;;
(最初の画像は72年リバイバル時のメインデザイン。ポスター・プレスシート・チラシ・パンフレットはみんなこのデザインでした。「パリで一緒に」に関しては、現在でも世界で最も優れたアートワークだと思います。)
(続いての2枚は、オープニングのシーン。左の画像のメリーゴーラウンドの場所は、次に撮った「シャレード」でも使われていましたね。ライトグリーンのジバンシィのスーツがとても美しく、且つこの時期のオードリーにとても良く似合ってます。そしてどっちの画像もめちゃくちゃオードリーがキレイ!!)
この時期、63年12月には「シャレード」、64年5月にこの「パリで一緒に」、そして64年12月には「マイ・フェア・レディ」と、オードリーの新作が立て続けに来てます。64年10月には「戦争と平和」の1回めのリバイバルもありましたし、1964年は1年中どこかで何かしらのオードリー映画を上映していたという、夢のようなオードリーイヤーだったんですね。
オードリーって、1年に1本っていうイメージがありますけど、実際に公開初日を調べると、実は何本か固まって公開、1年以上間が空いてまた何本か公開、ってパターンが多いです。
(これもオードリーがすっごくカワイイ!左の写真は、オードリーのスーツのライト・グリーンと、鳥かごのイエローの組み合わせもステキでした。右のシーンは、実際の映画ではまだスーツの上着を脱いでません。こういうスチール写真って、リハーサル時に撮影されるんでしょうかね。)
さて「パリで一緒に」、作品の評価はあまり芳しくありません。
僕はと言うと、最初小学生だか中学生だかにテレビで見た時はめちゃくちゃ面白くて、それまで一番好きだったヴィヴィアン・リーを抜いて、僕の一番好きな女優さんになったという作品です。
その後長い間見れなくて(昔はビデオとかもないので、自主上映やテレビ放映、運が良ければリバイバルされるまで我慢強く待つしかなかったんです。)、ずっとまた見たいと思ってたんですけど、やっと次に見れたのは大学生の頃。自主上映の大阪ロイヤルホテルでした。
待ちに待った「パリで一緒に」がまた見れる、しかも初めてのノーカット版!ってんでめっちゃ嬉しくて、高校時代のクラブの男女の友達を何人も引き連れて“僕の一番好きな映画やねん!”って言いまくってから観たんですけど、再度観ると後半が特に“あれ、あれれ?”って感じで、こんなダレた作品やったかなー?ってちょっと評価が落ちてしまいました。マイフェイバリット!って言ったのがちょっと恥ずかしいような、この作品を見に連れてきたことが申し訳ないような…。(^^;;;
(左のオードリーはやっぱり美しい!右は特別出演のマレーネ・ディートリッヒ。撮影時には60才だったんですが、まだこの美しさ!オードリーとは「麗しのサブリナ」の頃に一緒に写っている画像が残されています。ディートリッヒがオードリーを気に入っていたとか。
そして、ディートリッヒはこうしてプリントがあるんですが、もっと重要な役で出ていたトニー・カーティスは全くキャビネ写真が無いんです。なんででしょうねー。)
で、それまで「パリで一緒に」と「いつも2人で」で争っていた僕のベスト1は「いつも2人で」固定になり、そのままずっと現在まで続いてるんですけれども。(^^;;
作品的には確かにオードリー作品としては下位に置かれる「パリで一緒に」なんでしょうけど、この「パリで一緒に」には監督と脚本のダメダメさを補ってあまりあるオードリーの美しさ&可愛さがありますよね!
なので、僕の思い入れは非常に大きく、今でも好きなオードリー作品第5位に入ります。
オードリーだけを観てたら、本当にこの作品は素晴らしい!おそらく美しさの絶頂だと思われるこの時期のオードリー。過去にも書いてますし、「マイヤーリング」パンフレットでも書かせてもらいましたけど、念願の息子ショーンは生まれたばかりで夫メル・ファーラーとの仲も順調という、私生活では一番充実していた頃。
さらに、出来はともかくキャストやスタッフには恵まれたようで、オードリーはのびのびしてて、本当に撮影が楽しそう!
伝記ではウィリアム・ホールデンがアルコール中毒で、撮影が大変だったと書かれてて、それを鵜呑みにしてる人もいるみたいですけど、これはオードリーのコアなファンならオードリーを見ているだけでわかるんですよね〜!少なくともオードリーは大変じゃないなって。
案の定息子ショーンの伝記ではオードリー自身は撮影は楽しかったと言ってたそうだし。
(こちらは2枚ともオードリーの嫌いな右からの画像…なんですが、左の画像はやっぱりこの時期のオードリーだけあって、72年リバイバルポスターなどのメインイメージになったほどの美しさ&可愛さ!ホントに綺麗〜!)
メイクも50年代と比べると眉の描き方が物凄くナチュラルになってるし、目も自然。
髪型はおそらく一番オードリーに似合うんじゃないかという、前髪ありの、トップを盛りに盛ったスタイル。
実際、このヘアスタイルがオードリーのイメージだった時期もあったしね。
この時期のオードリーのポートレートやスナップは、どこから撮っても誰が撮っても、美しく撮れています。
あ、そうそう!「パリで一緒に」の紹介で“ウィリアム・ホールデン3役”なんて書かれてますけど、それ間違いですよ!
映画を見れば一目瞭然なんですが、ホールデンは2役だっていうのがわかります。“リチャード、リック、フィリップの3役”なんて書いてありますけど、フィリップはトニー・カーティスの役ですってば!
昔っからパラマウントの公式でもそういう風にアナウンスしてるからたちが悪い!今も「パリで一緒に」の紹介をしている有名な各映画サイトでもみんなそう書いてます。どこも映画観て書いてなくて、コピペしただけの間違い垂れ流しなんだねーみたいな。
(上の左の画像は、64年日本初公開時にポスターになった画像。右の画像は、馬車に乗って逃げようとするオードリーの変な顔がめっちゃカワイイ!シネアルバムで見る事が出来ます。)
(今回最後の画像は、最初に書いていた、超絶美しいブルーのナイトガウンのオードリーが寝るシーン。やはりこのオードリーもめちゃくちゃ綺麗です!でも化粧は全然落とさないで寝てるけど…。映画でもほぼ真ん中辺りで、これで前半は終了します。)
ではでは、次回も引き続き50周年の「パリで一緒に」のキャビネ画像でお楽しみください。
★グループ1
北海道 イオンシネマ江別・イオンシネマ小樽・イオンシネマ北見・イオンシネマ釧路
宮城 イオンシネマ名取・イオンシネマ石巻
山形 イオンシネマ天童
新潟 イオンシネマ県央・イオンシネマ新潟西・イオンシネマ新潟南
群馬 イオンシネマ太田・イオンシネマ高崎
天童のみ6/14~20、それ以外は6/16~20。
色々事情もあるのでしょうが、僕なんかは同じ県はむしろグループを分けた方が、最初の時期は見逃しても、別の時に近所で行けるからいいんじゃないの?って思うんですけどね〜。どうなんでしょう…。
みなさんこんにちは。今日2014年5月30日は「パリで一緒に」日本初公開からちょうど50年にあたります。
1964年5月30日に東京のスカラ座で初日が行なわれています。
なので、今回と次回は「パリで一緒に」のグッズ。昭和の時代に、映画館の入口あたりにガラスのショーウインドウに入って展示されていたキャビネサイズのスチール写真です。
残念ながら初公開時の物ではなく、1972年リバイバル時の物ですけど。(^^;A
元々自分が持っていた物と、常楽さんにいただいた画像とがあります。ダブっていた物は常楽さんに頂いた方がプリントの質が高いので、そちらを載せています。「総天然色 パリで一緒に」とプリントに入っている物が常楽さんに頂いた物です。
ただ残念なのは、ほんっっっとうに綺麗な水色のナイトガウン姿で歩くオードリーの画像が1枚もないこと!それに、そのスチールを見たこともありません。これはスチールカメラマンの大失態ですね。
そして今回は「パリで一緒に」のように、ここでの文章も二重構造になってます。「パリで一緒に」に対する文章と、画像に対する文章。画像に関する方は(カッコ)付きで書いてます。読みにくいんですが、ご了承ください。m(_ _;)m
これ、わざとそうしようと思ったんじゃないんですが、「パリで一緒に」の事も書きたいし、画像に関しても書きたいな〜って書いてたら、こうなってしまいました。“「パリで一緒に」みたいな二重構造”というのは後付けです。(^^;;;
(最初の画像は72年リバイバル時のメインデザイン。ポスター・プレスシート・チラシ・パンフレットはみんなこのデザインでした。「パリで一緒に」に関しては、現在でも世界で最も優れたアートワークだと思います。)
(続いての2枚は、オープニングのシーン。左の画像のメリーゴーラウンドの場所は、次に撮った「シャレード」でも使われていましたね。ライトグリーンのジバンシィのスーツがとても美しく、且つこの時期のオードリーにとても良く似合ってます。そしてどっちの画像もめちゃくちゃオードリーがキレイ!!)
この時期、63年12月には「シャレード」、64年5月にこの「パリで一緒に」、そして64年12月には「マイ・フェア・レディ」と、オードリーの新作が立て続けに来てます。64年10月には「戦争と平和」の1回めのリバイバルもありましたし、1964年は1年中どこかで何かしらのオードリー映画を上映していたという、夢のようなオードリーイヤーだったんですね。
オードリーって、1年に1本っていうイメージがありますけど、実際に公開初日を調べると、実は何本か固まって公開、1年以上間が空いてまた何本か公開、ってパターンが多いです。
(これもオードリーがすっごくカワイイ!左の写真は、オードリーのスーツのライト・グリーンと、鳥かごのイエローの組み合わせもステキでした。右のシーンは、実際の映画ではまだスーツの上着を脱いでません。こういうスチール写真って、リハーサル時に撮影されるんでしょうかね。)
さて「パリで一緒に」、作品の評価はあまり芳しくありません。
僕はと言うと、最初小学生だか中学生だかにテレビで見た時はめちゃくちゃ面白くて、それまで一番好きだったヴィヴィアン・リーを抜いて、僕の一番好きな女優さんになったという作品です。
その後長い間見れなくて(昔はビデオとかもないので、自主上映やテレビ放映、運が良ければリバイバルされるまで我慢強く待つしかなかったんです。)、ずっとまた見たいと思ってたんですけど、やっと次に見れたのは大学生の頃。自主上映の大阪ロイヤルホテルでした。
待ちに待った「パリで一緒に」がまた見れる、しかも初めてのノーカット版!ってんでめっちゃ嬉しくて、高校時代のクラブの男女の友達を何人も引き連れて“僕の一番好きな映画やねん!”って言いまくってから観たんですけど、再度観ると後半が特に“あれ、あれれ?”って感じで、こんなダレた作品やったかなー?ってちょっと評価が落ちてしまいました。マイフェイバリット!って言ったのがちょっと恥ずかしいような、この作品を見に連れてきたことが申し訳ないような…。(^^;;;
(左のオードリーはやっぱり美しい!右は特別出演のマレーネ・ディートリッヒ。撮影時には60才だったんですが、まだこの美しさ!オードリーとは「麗しのサブリナ」の頃に一緒に写っている画像が残されています。ディートリッヒがオードリーを気に入っていたとか。
そして、ディートリッヒはこうしてプリントがあるんですが、もっと重要な役で出ていたトニー・カーティスは全くキャビネ写真が無いんです。なんででしょうねー。)
で、それまで「パリで一緒に」と「いつも2人で」で争っていた僕のベスト1は「いつも2人で」固定になり、そのままずっと現在まで続いてるんですけれども。(^^;;
作品的には確かにオードリー作品としては下位に置かれる「パリで一緒に」なんでしょうけど、この「パリで一緒に」には監督と脚本のダメダメさを補ってあまりあるオードリーの美しさ&可愛さがありますよね!
なので、僕の思い入れは非常に大きく、今でも好きなオードリー作品第5位に入ります。
オードリーだけを観てたら、本当にこの作品は素晴らしい!おそらく美しさの絶頂だと思われるこの時期のオードリー。過去にも書いてますし、「マイヤーリング」パンフレットでも書かせてもらいましたけど、念願の息子ショーンは生まれたばかりで夫メル・ファーラーとの仲も順調という、私生活では一番充実していた頃。
さらに、出来はともかくキャストやスタッフには恵まれたようで、オードリーはのびのびしてて、本当に撮影が楽しそう!
伝記ではウィリアム・ホールデンがアルコール中毒で、撮影が大変だったと書かれてて、それを鵜呑みにしてる人もいるみたいですけど、これはオードリーのコアなファンならオードリーを見ているだけでわかるんですよね〜!少なくともオードリーは大変じゃないなって。
案の定息子ショーンの伝記ではオードリー自身は撮影は楽しかったと言ってたそうだし。
(こちらは2枚ともオードリーの嫌いな右からの画像…なんですが、左の画像はやっぱりこの時期のオードリーだけあって、72年リバイバルポスターなどのメインイメージになったほどの美しさ&可愛さ!ホントに綺麗〜!)
メイクも50年代と比べると眉の描き方が物凄くナチュラルになってるし、目も自然。
髪型はおそらく一番オードリーに似合うんじゃないかという、前髪ありの、トップを盛りに盛ったスタイル。
実際、このヘアスタイルがオードリーのイメージだった時期もあったしね。
この時期のオードリーのポートレートやスナップは、どこから撮っても誰が撮っても、美しく撮れています。
あ、そうそう!「パリで一緒に」の紹介で“ウィリアム・ホールデン3役”なんて書かれてますけど、それ間違いですよ!
映画を見れば一目瞭然なんですが、ホールデンは2役だっていうのがわかります。“リチャード、リック、フィリップの3役”なんて書いてありますけど、フィリップはトニー・カーティスの役ですってば!
昔っからパラマウントの公式でもそういう風にアナウンスしてるからたちが悪い!今も「パリで一緒に」の紹介をしている有名な各映画サイトでもみんなそう書いてます。どこも映画観て書いてなくて、コピペしただけの間違い垂れ流しなんだねーみたいな。
(上の左の画像は、64年日本初公開時にポスターになった画像。右の画像は、馬車に乗って逃げようとするオードリーの変な顔がめっちゃカワイイ!シネアルバムで見る事が出来ます。)
(今回最後の画像は、最初に書いていた、超絶美しいブルーのナイトガウンのオードリーが寝るシーン。やはりこのオードリーもめちゃくちゃ綺麗です!でも化粧は全然落とさないで寝てるけど…。映画でもほぼ真ん中辺りで、これで前半は終了します。)
ではでは、次回も引き続き50周年の「パリで一緒に」のキャビネ画像でお楽しみください。
Posted by みつお at 09:00│Comments(0)
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