2020年08月04日

1974〜75年「10年前のスクリーンから」

1974〜75年「10年前のスクリーンから」 今回は1974年と1975年の「スクリーン」からの切り抜きの紹介。

 この辺りの「スクリーン」は僕がオードリーに興味を持った時期の数年前になるため、古本屋で割と簡単に手に入りました。

 そこで愕然としたのが、自分が買っていた「スクリーン」とは違って、その頃は毎号オードリーを(主にカラーグラビアで)取り上げていたこと。
 全然オードリーは活動していないにもかかわらず、です。

 僕の買っていた頃にはもう「ロビンとマリアン」も撮影が終わり、テレビでオードリー映画が放送されるなどがないとオードリーが掲載されていなかったので、ほんの数年前ならいっぱいオードリーが見れたのに!と本当にその落差にがっくりしていました。

 古本屋ではどれくらいオードリーが載っているかで判断して買っていました。まだ子供なので、お金にそんなに自由が利かなかったんですよね。

 さて今回のは1974年1月号、5月号、それと1975年5月号に載っていた「10年前のスクリーンから」というシリーズの切り抜き。

 もちろん毎号オードリーが取り上げられているわけでもないので、オードリーの載っているものだけを切り抜きしています。

 まずは1964年1月号(1973年11月発売)の「シャレード」の新作紹介が載っているページ。

 “今はもうすっかりオジサマになったスターたちが男ざかりの魅力を誇ってました。今月号にリバイバル2度目の紹介の「シャレード」がここでは封切り紹介。オードリーの人気の息の長さには全く驚かされますね。”

 と書いてあります。「シャレード」は1963年、68年、73年、86年、11年、14年と公開されてますから、1973年ということはリバイバルとしてはもう2回目なんですよね。

 73年リバイバル時の「スクリーン」の「シャレード」紹介の記事も、1963年時のここに載っている「シャレード」の新作紹介も切り抜きで持っていますので、またいつか紹介できるかもしれません。

1974〜75年「10年前のスクリーンから」 次は1974年5月号からの1964年5月号の紹介。
 当時の「スクリーン」の5月号というのはもちろん人気投票の結果の発表の号。

 ちなみに1974年5月号でもオードリーは1位、そして10年前の1964年5月号も1位。
 そしてここには、

 “十年前もオードリーは人気のトップ。リズはこの年を最後にベストテンから姿を消した。花の命はみじかいのか、それとも長いと言うべきか…?”

 と書かれています。それまではベストテンの常連だったエリザベス・テイラーも、超大作「クレオパトラ」を最後に若者の心を捉えられなくなってしまったんですね。

 何かの本に、“「クレオパトラ」で性的な熟れ方を見せて以降、人気は下がる一方”と書かれていたのを思い出します。

 この元の64年5月号は持っていないので、ここで見られる「パリで一緒に」の写真が珍しくていいですね!「パリで一緒に」大好きな僕としてはぜひ手に入れたい1冊です。

 最後はその一年後。1965年5月号の人気投票が載った1975年5月号のページ。
 「シャレード」の衣装のようでいて、そうじゃない赤のジャケットを着ていますね。髪の毛も「シャレード」の前髪が崩れたような感じ。

 オードリーは62年〜64年はこのヘアスタイルでしたから、冬服だし一応「シャレード」扱いで僕は切り抜きを保存していますが、もしかしたら違っているかもですね。

1974〜75年「10年前のスクリーンから」 ここでの文章は

 “十年前すでにオードリー・ヘプバーンは人気No.1でした。No.2男優のショーン・コネリーは今年40位内に姿なく、3位だったクラウディア・カルディナーレは34位にかろうじて。8位ミレーヌ・ドモンジョも今は姿を消しました。”

 となっています。ちなみに1975年のオードリーは第2位でした。1位は「いつも2人で」では脇役だったジャクリーン・ビセット。

 1970年代半ばはジャクリーン・ビセットの全盛期でしたね。
 「ブリット」や「アメリカの夜」などがあるものの、“これ!”という代表作が無いようなイメージを持っています。

 この古本を手に入れた当時の僕は、ショーン・コネリーはもちろん「ロビンとマリアン」で知っていましたが、クラウディア・カルディナーレはとっても昔の人の古めかしいイメージ、ミレーヌ・ドモンジョに至っては誰それ?状態でした。

 僕はもともと細い人が好きなので、ミレーヌ・ドモンジョのプクッとしたほっぺたを見て、なんでこんな人が人気あったんやろ。とか失礼なことを考えていたのを白状します。そして今に至るまでミレーヌ・ドモンジョの映画は見たことがありません。

 ここで見られるオードリーが、印刷が濃いのか、肌もかなり黄色く写っており、あまり綺麗ではありません。持ってないのでわかりませんが、元の号はどうなんでしょうねー。



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この記事へのコメント
またお邪魔いたします。'69年に中学入学し晴れて?一人もしくは友達同士で映画館に通えるようになり、「スクリーン」もその頃から定期購読を始めました。留学していた兄が買っていたバックナンバーも家にありましたが。でも高校に進んでからはキネ旬に鞍替えしましたが。

'60年代でオードリーが人気No.1を譲ったのはジュリー・アンドリュース(アンドルーズ)とオリヴィア・ハッセー(ハシー)の各一年だけでしたよね。今更ながら凄いなあと。

クラウディア・カルディナーレはやはりリアルタイムとは言えないのですが、ヴィスコンティ「山猫」フェリーニ「81/2」などの印象が強いので。あとブレイク・エドワーズ「ピンクの豹」も。余談ですがデビュー当時年の離れた弟とインタビューに応じていたのですが、後年実の息子だったなんてバレたことが。

またミレーヌ・ドモンジョはジャン・マレーの「ファントマ」シリーズなどが記憶にあります。母がマレーファンでしたので。また以前どなたか書き込んでおられた武田鉄矢主演の「ローマの休日」オマージュ?「ヨーロッパ特急」にも出演してたとか。ああいうぽっちゃりブロンドはいつでもどこでも一定の需要があるのかも?

そういえば「007は二度死ぬ」のロケで来日したショーン・コネリーが「日本の女の子は皆オードリーみたいだなあ」と洩らしたとやら。まさか数年後に共演するとは思ってなかったでしょうね。

つい先日、オリヴィア・デ・ハヴィランドが長逝しましたが、海外の女優は皆さんお元気ですね。そう考えるとやはりオードリーは早すぎた感が強いです。でもその早すぎた晩年まで精一杯生きた証をUNICEFにああいう形で遺したのですから、やはり唯一無二の存在だったと感じます。
Posted by Edipo Re at 2020年08月05日 12:22
Edipo Reさん、こんにちは。

キネ旬は僕には高尚すぎて、とてもついていけない印象でした。
やっぱりカラーグラビアでお気に入りのスターが見れる方がよかったですねー。

さて、60年代でオードリーが1位じゃなかったのは、66年5月号のジュリー・アンドリュースの時と、その翌年67年5月号でアン・マーグレットの時です。オリヴィア・ハッセーのは70年5月号でした。
66年は前年に「サウンド・オブ・ミュージック」があったので仕方ないにしても、67年は「おしゃれ泥棒」があったのに3位とは解せませんね〜。
まあ68年は「いつも2人で」で1位に戻りますけど。

あ、カルディナーレの年の離れた弟が実は息子だった、っていうのは僕も「スクリーン」だかで見ました!
ファンはショックだったんでしょうかね?

それと「ヨーロッパ特急」って全然知らなくて、wiki見に行ったら確かに「ローマの休日」オマージュって書いてましたね!
でも「ローマの休日」ってジョーとアン王女とアーヴィングしかほとんど出番ないのに、脇役にミレーヌ・ドモンジョとはえらく豪華なキャストだったんですね。

「007は二度死ぬ」のロケでのショーン・コネリーの発言も何かで読みました!オードリーに例えられるなんて、日本の女性も嬉しいでしょうね。

それと、オリヴィア・デ・ハヴィランドの件はEdipo Reさんの文章で初めて知りました!なんと7月25日に亡くなられたんですね!
なんだかとても長生きだとは思っていましたが、亡くなってしまうイメージも無かったので…。
でもとうとうこれで「風と共に去りぬ」のキャスト(&スタッフ)も全滅なんじゃないでしょうか?
確かに彼女に比べるとオードリーは短命ですよね。
でもオードリーにしてもヴィヴィアン・リーにしても、晩年は急激に老けていた気がしますので(でも大好きですけど)、やっぱり早く老ける人っていうのは早逝なのかなーと思ってしまいます。

オードリーは生きてる時の悔いはないでしょうが、もし今のショーンとルカの確執を見たら心が痛いだろうなーと思います。
Posted by みつおみつお at 2020年08月06日 19:37
'70年代初めのキネ旬のキャッチコピーは「ファン雑誌を卒業した貴方にキネ旬!」で、まんまと乗せられたわけです。また写真をやっていて映画志向もあり、高2の学祭で学校から予算を分捕ってスーパー8で記録映画を撮ることになってキネ旬が役に立ったのかも。

一級上に某国民的人気歌手の子息がいて、前年の学祭の同じく記録映画を持ち出しで撮っていたのですが何ともひどい代物で、こちらは予算を貰う以上もっとマシなものをと意気込んだのですが、出来映えは五十歩百歩のお恥ずかしい限りでした。この一本で自分の才能の限界を思い知りました(笑)。

'67年にアン・マーグレットが1位だったとは!でもその年にそれほどのヒットがあったかどうか。ドロンとの「泥棒を消せ」かマックイーンの「シンシナティ・キッド」かなぁ。ラクエル・ウェルチはランク入りしてたでしょうか。まあ数年後のジャクリーン・ビセットも何があったかなあって感じですから。

ショーンとルカは十歳ほどの差でしたか。また私事ですが、当方も兄とは九つ違いで、やはり母が兄弟仲に気を揉んでおりました。ただ兄が若い頃から海外暮らしがほとんどで、一つ屋根で共に過ごしたのは通算七~八年ほどなので、これまた母が「一人っ子が二人いるみたい」と言ってましたが。オードリーがわが母と同じような悩みを抱いていたのだとしたら、何かファンとしての思いと全く別の、奇妙な親近感を覚えます。

例によって脱線、失礼しました…。
Posted by Edipo Re at 2020年08月07日 01:23
《10年前のスクリーンから》、これ覚えてます。結構好きな企画でした。
1974年1月号のこの記事を見たとき、オリジナルをぜひ見たくなって、
古本屋で1964年1月号を探して実物を見たとき感激しました。
カラーがだいぶ違いますよね、総天然色印刷という独特の色彩と質感だったのを覚えています。切り抜きはまだ大事に持っていて、押し入れの中の資料保管ファイルにしまってあります。
74年のほうは、レジーのクライマックスのコートがオレンジ色になってますね。映画を観た後だったけど、記憶補正をかけられててっきりこういう色だと信じ込んでいました。
同様のケースで「ティファニーで朝食を」の五番街デートでのホリーが纏ったコートの色合いも、印刷の色で覚えてしまっていたことがあったのも懐かしいです。
『スクリーン』誌のカラー頁は色彩が今一つでした。このへんは『ロードショーー』に軍配が上がります。特に70年代前半の両方の差は顕著でしたね。

1964年5月号の「パリで一緒に」も持ってたんじゃないかなー、今となってはレア画像ですね。なんてオードリィらしい、とてもオードリィな感じで素敵です。
1965年5月号のオードリィ・スナップで着ている赤いジャケット(?)
「シャレード」のセーヌ川散歩での衣装をアレンジしてますね。
確かボタンを金色のに変えてませんでしたっけ?
映画使用の最新コレクションを購入(自費でしたよね、べらぼうに高い)
赤いボンボンのボタンを何らかの事情で金ボタンに変えたのでしょう。
感心したのはメイク、ほとんどスッピンだったと思いますが綺麗で自然体。
目元のアイラインの上側だけスイッと軽くひいてあっただけ、
リップはきっと塗ってるんでしょうがほぼナチュラル(喫煙のせいもあり荒れ性だったというのでハニーかオイルでコーティング)
オリジナルを今の印刷技術で見てみたいなぁ。
Posted by まる at 2020年08月08日 06:37
>Edipo Re さん

おー!Edipo Re さんは映画も撮ってらしたんですね!
それならキネ旬が役に立つのかも…(買わないのでわからない)。
映画ファンではなく、単なるオードリーファンの僕としては、キネ旬は本当に縁遠いものでした。
「ロビンとマリアン」が載っている号(あるのかどうか知りませんが)ですら持ってないです。
でも僕の中でのキネ旬は、オードリーの追悼号で吉村英夫氏の文章をメインで使ったこと、「オールタイム・ベスト映画遺産 外国映画男優・女優100」の編集がボロボロだったこと、「いつも2人で」を20年の旅などと書いてたことなどなどで地に落ちました。

アン・マーグレットは調べたところ、66年には「駅馬車」と「メイド・イン・パリ 」の2本が公開されているだけでした。それだけだと1位になるには弱い気がしますよね。
もちろん当時は毎号グラビアや撮影中の情報はあったと思うので、かつての「ロードショー」でのトレーシー・ハイドのような、アイドル的人気で1位だったのかなーと思います。

ラクエル・ウェルチは調べましたが、1度も10位内に入っていませんでした。やはり日本というお国柄と、「スクリーン」という低年齢層の雑誌には、やはり1度もベストテンに入らなかったマリリン・モンローなどと共に、性的な魅力をウリにした女優さんは人気ないですね。
アン・マーグレットも日本で人気が出たのは「バイバイ・バーディー」などの歌って踊れる、という部分だったのに、アメリカではセクシー路線で行こうとしててそれが失敗してる、と当時の雑誌でも書かれていました。

オードリーは生きてる時は、ショーンとルカ、仲よかったんですよー。なのでそこは安心してたでしょうに、まさか自分の死後に揉めるとは思ってもみなかったでしょうねー。
結局お金のことで揉めているみたいだし、オードリーもしっかりショーンとルカで分けておけばよかったですね。僕も残念です。
Posted by みつおみつお at 2020年08月08日 11:37
>まるさん

カラーが違う…あれっ、そうだったっけ?って64年の実物を確認してきました。
確かに!本当はこれ黄色ですよね。
この当時なので、おそらく10年前のスクリーンを台に置いて撮影してたんでしょうが、やっぱりフィルムなどで変わってしまいますよね。
当時はフョトショップのカラー補正などなかったでしょうし。
ということは、65年1月号のオードリーも、本当は綺麗に撮れていて、こんな日焼けしてやつれたオードリーじゃ無いんでしょうね。

まるさんは「ティファニーで朝食を」のコートも印刷の色で覚えてたんですね!
1957年だかの「スクリーン」の表紙でも「パリの恋人」のブルーのサテンのコートが緑色になってましたね。当時は印刷技術が未熟だったとはいえ、なぜ目も覚めるようなブルーが緑に??って思ってます。

70年代の「スクリーン」と「ロードショー」、表紙はもう圧倒的に「ロードショー」でしたね。色もオシャレ度も圧勝でした。
でも中のカラーグラビアは「ロードショー」初期の頃は粒子が酷くて、それは「スクリーン」の方が上でした。

「パリで一緒に」、元の号をお持ちとは羨ましい!
確かに撮影中とかは見た事のないカラー写真って多いですよね。
ところが公開後は同じ写真ばかりになってつまらないですよね。
だからこそ昔の古本を漁ってしまってました。
「パリで一緒に」、72年のリバイバルパンフのカラーがかなり粗いので、初公開時はさぞや綺麗なカラーが!と期待してたんですが、初公開時のパンフにはカラーがありませんでした…。めっちゃガッカリしたのを強烈に覚えています。

それとこの赤いジャケットは「シャレード」のアレンジものですか!
元々の赤いくるみボタンの方がいいと思うんですが、なんで変えちゃったんでしょうね。
色は…うーん、ここでは黒っぽくなっちゃってます。黒が光ってる感じ。印刷のせいでしょうね。
それとくるみボタンと数が合わないのは、飾りだけのボタンが交互にあったという事でしょうね。
まあ確かにくるみボタンの方は街中で着るのは目立つからかな?とか。

過去のオードリーの写真、一般人のネガと違ってプロはポジで撮ってるでしょうから、いまの印刷技術で見るとどれも物凄い綺麗なんでしょうね!
写真集「妖精の詩」のカラーなんかも今の印刷技術で見てみたいなー。
Posted by みつおみつお at 2020年08月08日 12:21
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