2024年05月15日

「緑の館」公開65周年 1959年関西版新聞広告2種


 今年は「緑の館」公開65周年でもあります。
 オードリー作品の中でも今はあまり取り上げられない作品ですね。

 さて、今回はそんな「緑の館」が初公開された時の、新聞広告を紹介。朝日新聞版、だったかな?

 関西の映画館の雄、北野劇場で日本で最初に封切されました。
 東宝のチェーンマスター館の東京の有楽座よりも4日早い1959年5月16日公開になります。

 この北野劇場での公開は、ヒットしようがしまいが初めから1週間限り、という期限付き。
 その後は、ほかの東宝系の関西の劇場で、拡大上映が決まっていたようです。

 この広告を見ると、“緑の館公開記念 六甲を緑にする会協賛 阪急少年音楽隊舞台演奏 緑のコンサート 4曲 5月17日 午後2時30分より” と書いてあります。

 なんと、1回だけ舞台で演奏もあったのですね!
 果たしてオードリーやアンソニー・パーキンスを見に来た人たちが関係のない曲のコンサートを見たいのか?と思いますが、どうなんでしょうね?

 まあ、その演奏する少年達の家族も見に来るでしょうし、その日のその回の上映では人でいっぱいだったことでしょうね。

 阪急少年音楽隊について調べると、1957年に創設され、現在も “早稲田摂陵高等学校ウィンドバンド”として生き残っていました。
 詳しい歩みはこちら

 「緑の館」の映画パンフレットはどれも元々入手困難なんですが、北野劇場での公開は1週間だったことで、その中でも特に東宝関西支社から発売された北野劇場版映画パンフレットは、非常に入手困難になっています。

 表紙は東京の有楽座版のと同じなんですが、館名が違いますし、内容がこれまた違うんですよね。

 映画館独自のパンフレットは50年代前半までは多かったのですが、急速に廃れていて、この1959年ごろが関西では映画館独自のパンフレットを作る最後だったころ。東京では1962年ごろまでは生き残るんですけどね。
 それ以降は映画館の館名が入っていても、一般のパンフレットに館名を印刷しただけ、というものになっていきます。

 2つめはその1週間後、23日で上映を終わる北野劇場から引き継いで、24日から大阪だけではなく、京阪神で拡大上映される関西の劇場の広告。

 今度は千日前スバル座と神戸の雄・阪急会館というOSチェーン、そして梅田シネマ・あべの劇場・京都京宝という東宝系の劇場で公開されたのがわかります。
 北野劇場ではゆとりを持って1日5回の上映でしたが、拡大上映では1日6回になっています。

 そして北野劇場の広告では料金が書いてなかったのですが、こちらでは一般170円と書いてますね。
 この当時はチェーンマスター館の料金は一般より高かった時代。おそらく北野劇場ではもっと高くて、200円〜300円ほどしたのではないかと。措定席だとさらに高くなります。

 ちなみに1959年は大卒初任給が10200円だった時代。今の大卒初任給と考えると、拡大上映でも今の3400円くらいでしょうか。
 となると、北野劇場では今の5000円ほどの感覚だったんでしょうね。

 やはり庶民は2番館、3番館、名画座とやってくるまでなかなか見れないですよね。

 こちらの上映館でも、OSチェーンは独自の映画パンフレットを製作しています。これまた超入手困難な映画パンフレットとなっています。
 と言っても内容はショボくて、一般館のパンフレットの方が内容はいいのですが…。

 「緑の館」は、オードリーの映画としては57年9月に公開された「パリの恋人」以来1年8か月ぶりの映画。
 「ローマの休日」「麗しのサブリナ」の上映後は人気が凋落したオードリーでしたが、「昼下りの情事」と「パリの恋人」で見事復活して人気は安定。

 この公開前の1959年5月号(発売は3月21日)の読者人気投票でも、「スクリーン」では2位、「映画の友」では1位になっています。前年の1958年には1作も映画は来なかったのに!です。

 いかに当時人気があったか、期待されていたかがわかりますよね。

 さて、新聞の批評も載せておきます。
 “幻想的な雰囲気がよく出ていた。準佳作。”という評価をしてくれていて、ちょっと嬉しいですね。

 でも映画評論家には酷評されていた「緑の館」。
 1年8か月ぶりのオードリー、それと当時女性にアイドル的人気だったアンソニー・パーキンスですが、はたして観客の方は喜んでいただけたのでしょうかね?

 配給収入は公開当時オードリー作品では最下位(その後「噂の二人」がさらに下回る)。封切館では早々に上映を終わりますが、その後名画座に流れた時が凄かった!とレーザーディスクの解説に書いてありましたね。

 名画座で何度上映してもリクエストが絶えず、結局上映し過ぎてフィルムにいっぱい傷がついてしまい、配給元のMGMがフィルムの回収をして、映画館への貸し出しをやめた、と書かれてました。

 評価は低くてもファンには根強い人気があったということで、嬉しくなりますね。

 僕も「緑の館」は、出来は “??”とは思いますが、オードリーはすんごい綺麗だし、原作は大好きで何度も読んだので、思い入れの強い作品です!
  
タグ :緑の館


Posted by みつお at 18:00Comments(0)緑の館

2024年05月10日

「パリで一緒に」公開60周年直前 「映画の友」1964年切り抜き

 今年は「パリで一緒に」公開60周年になります。
 「ローマの休日」公開70周年ばかりもてはやされていますが、他にも今年はオードリーの記念日がいっぱい!

 1月は「マイヤーリング」公開10周年でしたし、9月には「麗しのサブリナ」公開70周年、12月は「マイ・フェア・レディ」公開60周年などなど。
 そんな中、「パリで一緒に」も5月30日に公開60周年を迎えます!

 「ローマの休日」ばっかりじゃなく、オードリーファンならこういう埋れがちな他の作品にも目を向けてあげてほしいです。
 オードリー作品は他にも珠玉のものが多く、どの作品にも良いところがあるのが嬉しい!

 で、「パリで一緒に」の特徴は何かというと、やはりオードリーの可愛さ・美しさが頂点を迎えているということ!

 「パリで一緒に」の撮影は1962年5月からでしたが、この時期のオードリーというと、60年7月に待望の息子ショーンが生まれ、可愛いさかり。
 また、念願の赤ちゃんが生まれたことで夫のメル・ファーラーとの仲も順調だったと思われます。

 オードリーって顔にすぐその時の状態が出る人なんですが、「パリで一緒に」のこの幸せそうな顔は、本当にオードリーが私生活で充実していたんだろうなーとわかります。

 もうもう本当に「パリで一緒に」のオードリーは可愛い!
 可愛いにも程がある!っていうほどかわいい!



 出来がちょっと…なんてことは気にならないくらい(いや、出来がよかったらもっと良かったんですけどね)、この作品のオードリーはズバ抜けています。
 映画で動いているオードリーも素晴らしいのですが、宣伝写真のオードリーも素晴らしい!

 僕にとっては「いつも2人で」と同等に思い入れの最もある作品です。

 さて、公開日にはまた別の記事をアップするつもりですが、ここでは初公開時の映画雑誌「映画の友」の誌上プレビューの切り抜きを紹介。

 この号、大昔(僕が中学時代)に古本屋で買ったもので、とっくに本はバラしてしまっており、本誌は残っていません。
 「パリで一緒に」はファンになった頃から大好きな作品だったので、古本屋で「パリで一緒に」時代のオードリーを手に入れられるなんて、めっちゃ嬉しかったですねー。

 長年連れ添ってきた切り抜きなので、僕的には珍しい画像ではなくなってしまってますが、実はかなり珍しい画像なんじゃね?ってのもあります。

 グラビア7ページも使ってプレビューしてるので、映画会社的には期待されていたのがわかりますよね。

 原題の “Paris When It Sizzles”は、「パリがじりじりする暑さの時」と小さな字で訳されています。
 確かにちょっと日本語に訳し難い原題。 

 最初のページは、撮影スタジオのセットのバブルバスに浸かるギャビー(オードリー)の画像。
 「パリで一緒に」というと、このお風呂のイメージか、白の麦わら帽子とオレンジのジバンシィを着るオードリーが思い浮かびますね。

 次のページは見開きでリチャード・ベンソンのタイピストとして雇われたガブリエル。
 このグリーンのスーツも大好き!「パリで一緒に」では2番目に好きな衣装かな。

 最も好きな衣装はブルーのナイトガウンの衣装なんですが、あの衣装、ほとんど写真が無いんですよね。勿体無い!
 なぜあの衣装でガンガン宣伝写真を撮らないのか理解できません。



 映画史上、最も美しいネグリジェだと言われています。
 が、この誌上プレビューでも画像が無いんです!あ〜、残念!

 ここのページでも、可愛すぎるオードリーがいますね。

 次は劇中劇のギャビーと、現実のタイピストのガブリエルの2人が載ってます。
 ここでもガブリエルがちょこんとリチャードの腕に頭載っけてるのがかわいー!

 これ、映画本編にはないスナップ写真なんですけど、ウィリアム・ホールデン、愛するオードリーにこんなことされたら冷静でいられないですよね。
 ウィリアム・ホールデン、リアルでオードリーを一生愛していたそうですからね。

 逆にオードリーからしたら、もう友達だからできる仕草で、恋愛感情入ってませんね。
 これはオードリーに真剣な愛情を抱いているホールデンからしたら、嬉しいけど酷な行動。

 「麗しのサブリナ」では本当に手を伸ばせばそこにいた両思いのオードリーなのに、「パリで一緒に」では別の男性の妻になって、遠いところにいるオードリー。

 それで映画では愛を囁くわけですから、ホールデンからしたらお酒飲まなきゃやってられない!って感じだったのかなーと思います。

 次はギャビーとガブリエル、オードリー2役のそれぞれの結末ですよね。
 僕はおでこを出したオードリーがあまり好きではないので、このパーティーの装いのギャビーはあまり好きではないのですが、ガブリエルの方の最後のシーンはオードリーの好きなピンクの衣装も相まって、本当にかわいい!

 噴水の間を歩いていくリチャードとガブリエルの画像、めっちゃ好きです!(しかもレア画像)
 そして、こんなところを歩いたら、きっと水でジバンシィ濡れるやろなーとか余計なこと考えてしまいます。



 撮影スナップをみると、このシーンの合間にはオードリーは上に羽織っています。

 映画は7月14日のパリ祭の夏の日のお話ですが、順撮り基本のオードリー作品では噴水シーンは最後の方に撮影されたと思われ、撮影期間が延びに延びた「パリで一緒に」では62年の11月に撮影されたと思われます。

 そしたら夏の雰囲気を出すためにオードリーはノースリーブの衣装ですが、実際にはもうすっかり寒かったと思います。

 オードリーの伝記を読むと、撮影期間が押した「パリで一緒に」が終わると、すぐに「シャレード」の撮影に入ったそうですから、長袖の分厚いコート着ててもおかしくない気温の中でノースリーブですからね。

 そんな寒空の中、水しぶきが掛かりながら笑顔で演じるって大変だっただろうなーと思います。
  


Posted by みつお at 21:00Comments(6)パリで一緒に映画の友

2024年05月04日

オードリー・ヘプバーン生誕95年! 「ロードショー」1974年8月号

 今日はオードリーのお誕生日になります。もしまだ生きていたら95歳ですね。
 そう考えると、たった63年の生涯がやっぱり少なく感じてしまうのと、もう亡くなってから32年も経ったのか…と思いますね。

 さて、なので今回はオードリーの特集をしている記事を紹介しようと思いました。

 「ロードショー」から1973年8月号と1974年の8月号、どちらにもオードリー特集があるのでどっちにしようかと考えましたが、74年の方はカラーで綺麗なんですが、文章が渡辺祥子さん。

 読んでみると、うーん…。これは渡辺さんのいつもの “本当にオードリーを好きなの?”という違和感があって、文章をこき下ろしそうなので、それはオードリーの誕生日にふさわしくない!ということで73年の方にしました。

 73年の方はオードリー評論家としてオードリーのファンにも人気の高い南俊子さん。
 これなら安心して読めますね。

 さて表紙は発売時の73年ではなく60年代前半の若い頃のアラン・ドロン。
 やっぱり今見てもとんでもなくイケメン!惚れ惚れしてしまいますね。

 70年代は映画雑誌の表紙は女性だった時代。その中で表紙を取れるんですから、いかに当時人気があったかですよね。
 「ロードショー」の毎度ながらの印刷の綺麗さも相まって、ものすごく美麗なアラン・ドロンになっています。ファンは喜んだでしょうねー。

 この号では特集以外では毎月の人気投票とヘンリー・フォンダのページにオードリーがいます。

 今月のオードリーは先月から1歩後退して第2位。写真は「暗くなるまで待って」のもの。1位はナタリー・ドロンです。
 ヘンリー・フォンダのページでは「戦争と平和」の画像が載っています。
 
 さて早速オードリーのページですが、2色刷りのところで8ページの特集。

 最初のページは「麗しのサブリナ」のおなじみの画像と、「おしゃれ泥棒」のアメリカ版ポスターのイラスト。

 このイラスト、僕は嫌いなんですよね。オードリーの顔も怖いし、衣装がダサい!「おしゃれ泥棒」でのオードリー、こんなダサい服着てません!
 現在発売されているブルーレイがこのイラストのジャケットなんですけど、このダサさのために買ってません。

 次のページは “ヘアーと帽子とオードリー”というページ。
 帽子はオードリーと帽子で写真集が作られるほどなので、どれも似合ってますね。

 そして髪型は「いつも2人で」のものが多いですね。そして、オードリーが女優時代に一番長くやっていた「噂の二人」や「パリで一緒に」「マイ・フェア・レディ」の頃の髪型が無いですね。

 めくってその次のページはオードリーの映画と相手役を載せたページ。なので、主な男性共演者が2人いる「麗しのサブリナ」と「戦争と平和」は2枚載っています。

 文章では共演者がおじさまが多いということで、例によってオードリーはおじさまキラーだと書かれていますが、僕はそれがなぜなのかというのは以前もうひとつのブログ「おしゃれ泥棒、オードリー・ヘップバーン!」の方で考察しています。

 次のページは “オードリーのおしゃれコレクション”ということで長沢節さんが書いておられますが、オードリーのページにオードリーと関係ないこんな1ページ丸々使った大きなイラストはいらないです。
 やはりオードリーのページですから、オードリーの画像を載せて欲しかったです。

 ここでの長沢節さんの文章では、10年前にバレンシアガのファッションショーで正面にオードリーが座ったこと、大きく開いた襟ぐりからオードリーの洗濯板のような胸が丸見えだったこと、ショーが終わった時に立ち上がったオードリーの脚が意外と太いのでびっくりしたことが書かれています。

 別にがっかりしたとかそういうことはなくて、痩せた女性が好きな長沢節さんはすっかり興奮してたそうで、オードリーの後ろに貼り付いて階段を降りたそうです。

 ここで乗っている画像は、「ティファニーで朝食を」「マイ・フェア・レディ」「シャレード」「暗くなるまで待って」のものは本来カラーですね。

 最後のページは「いつも2人で」のものが多いですね。70年代前半にファッションのことを語ろうとすると、やはり時代の流行的に「いつも2人で」関連が多くなるのは当然かなーとも思います。
  


Posted by みつお at 12:00Comments(2)ロードショー

2024年04月29日

リバイバル35周年! 89年「昼下りの情事」リバイバル チラシ

 さて今日は1989年4月29日に「昼下りの情事」がリバイバルしてから35年になります。

 ということで今日は「昼下りの情事」の1989年版リバイバルチラシの紹介。

 この「昼下りの情事」リバイバルは、まさに待望の!だったんですよね。

 何と言っても、当時は「昼下りの情事」が全く見れない状況だったから。

 「昼下りの情事」は1957年に初公開。57年の第5位に入るほどの大ヒットで、1965年にもリバイバル。
 72年頃には、映画雑誌の「スクリーン」でリバイバルの希望を募る3作品(だったかな?)の候補にも入っていました。

 ところが、同時に候補だったのが「ウエスト・サイド物語」だったかで負けてしまい、その話は立ち消えに…。
 65年リバイバルのフィルムは権利の都合上1972年で切れるので、各地の名画座で最後に上映されて終了。劇場での公開が途絶えます。

 テレビも1970年、73年と放映された後、1975年を最後に、一切放映されなくなります。

 さあ、ここから「昼下りの情事」を見るのが極めて困難になります。
 当時はまだ配信どころか、個人向けの映画のビデオも販売されてなかった時代。

 どうしても見たければ、16mmフィルム(普通の映画は35mm)の貸し出しをしている会社にフィルムと機材と場所と技師を借りて上映しなければいけなかったんですよね。
 僕も資料を取り寄せて「いつも2人で」などが個人上映できないかと検討しましたが、当時の10万円以上もかかることがわかって断念。

 しかも中にはちょっと安いけど日本語字幕がない、というフィルムまでありました(「昼下りの情事」もそんな1本)。そんなの上映できませんよね?

 僕みたいに70年代後半にファンになった人間からすると、「昼下りの情事」はまぼろし化してしまっていたんですよね。
 70年代は暴力とリアリズムの映画がメイン。当時はロマンティックなオードリー映画ではもう稼げないと思われてた時代。

 75年から84年の10年間で映画館に来たオードリー映画は、新作の「ロビンとマリアン」と「華麗なる相続人」以外では、「マイ・フェア・レディ」と「ローマの休日」しか上映されませんでした。

 本当にファンからしたら、テレビで放映するのを待つしかない、という受け身の状態。75年から84年はオードリーの暗黒時代だったんですよね。
 映画雑誌でも「ロビンとマリアン」以降はほとんどオードリーを取り上げなくなってしまいましたし、まさにオードリーファン受難の時代。

 それが84年に日本ヘラルドによるリバイバルが始まって、85年の「噂の二人」を皮切りに、「麗しのサブリナ」「ローマの休日」、86年「ティファニーで朝食を」「パリの恋人」「マイ・フェア・レディ」、87年「シャレード」「暗くなるまで待って」「戦争と平和」、88年「パリで一緒に」「緑の館」と信じられない勢いでオードリー作品のリバイバルがやってきます。

 もう決して劇場で見ることはできないだろうと思われていた「噂の二人」「パリで一緒に」まで!
(「緑の館」もですが、結局「緑の館」は関東や関西では公開されず、僕は見れませんでした)

 もうもうファンからしたらうれしい悲鳴ですよね。1年に3本のペースで次々リバイバル!
 当時のリバイバルでもオードリー作品は群を抜いてお客さんを集められたようなので、これ以外にもオードリー特集があって、同じ作品も何度も何度も劇場にやってくるんです!

 そしてオードリーの大ブームが起こり、世は派手派手のバブル時代なのに、なぜか清純派のオードリーが同居しているという不思議。

 となると、まだリバイバルされてない作品が気になってくるわけですよね。
 僕にとっては筆頭は「いつも2人で」でしたが、世間的には「昼下りの情事」だっただろうと。

 「昼下りの情事」、今でこそオードリー作品では2番手、3番手のイメージがありますが、60年代〜80年代はオードリー作品でもトップクラスの代表作。
 当時「スクリーン」などの雑誌で、オードリー特集で代表作5本を選ぶ際に絶対に入ってくる4作品というのがありまして、それが「ローマの休日」「昼下りの情事」「ティファニーで朝食を」「マイ・フェア・レディ」(順不同)。

 後の1本はその時々で「暗くなるまで待って」だったり「シャレード」だったり「戦争と平和」だったりしてましたが、「昼下りの情事」は外せない作品だったんです。
 もちろん「麗しのサブリナ」よりもずっと上の扱い。

 そんなトップの代表作なのにテレビやビデオでも全く見れない「昼下りの情事」ですから、オードリーの大ブームに乗って、ものすごいリバイバルが熱望されていたわけですよ。

 でもこの「昼下りの情事」のリバイバルが遅れたのは、製作会社がアライド・アーティスツという、もうその頃は無くなっていたような小さな会社だったので、権利元が移っていたからだと思うのですよね。

 65年リバイバルや、72年にリバイバルしそうになった時は名前の似ているユナイト(ユナイテッド・アーティスツ)が配給・宣伝を出していたので、僕は権利はユナイトだと思っていたのですがね。

 そんな、どこが現在の権利元かわからないような「昼下りの情事」ですから、日本ヘラルドも権利を取るのが遅れたんでしょうね。
 その後も現在に至るまで「昼下りの情事」は権利元が転々としています。

 やっと権利が取れた日本ヘラルドは、「昼下りの情事」をそれまでのリバイバルとは違う扱いにします。
 それまでの80年代後半の日本ヘラルドのオードリー作品のリバイバルでは、単独のポスターが1種類でも作られたら良い方(B2は「マイ・フェア・レディ」「シャレード」くらい)。せっかく作ったそのポスターも素人が適当に作ったのが丸わかりだったり(「シャレード」)。

 チラシすらまともに1作品で、というのは「マイ・フェア・レディ」くらいじゃね?っていう程度だったのですが、この「昼下りの情事」はオードリー大ブームが起きてからのリバイバルなので、日本ヘラルドも本気を出して来ました!

 まずは新作映画や、大々的なリバイバルのみで製作されるプレスシートを製作。マスコミや映画関係者などの各方面にリバイバルを周知して行きます。

 さらにそれまではやる気のなかったポスターも、きちんとデザイン会社に発注したんだろうなーというのがわかる力の入れ具合のB2、さらには大きなサイズのB1も製作。それぞれでデザインも違っています。

 さらにさらに、これまでの80年代リバイバルでは安直に、過去のパンフレットを原稿に作った復刻版もやめ、新たに1から映画パンフレットを作っています。

 劇場でもそれまでのリバイバルは2週間〜3週間と公開期間を先に決めて上映していましたが、「昼下りの情事」は期間を設けず、ヒットする限り続ける、という新作と同じような上映方式になっています。
 本当に何から何まで別格の扱いでした。

 東京では4月29日からテアトル新宿、銀座文化、自由が丘武蔵野館で上映開始。
 テアトル新宿では6月9日まで、自由が丘武蔵野館では7月7日まで、銀座文化ではなんと7月27日までと、どの劇場も1か月以上のロングランとなっています。銀座文化に至っては3か月の超ロングラン!

 いかに「昼下りの情事」が熱望されていたか、大ヒットしたかがわかりますよね。

 僕の持っている「昼下りの情事」のチラシは梅田コマシルバーのもの。
 これは「昼下りの情事」が来る!ってわかった時点で前売り券を買って郵送してもらったもの。

 そのため封筒に入れる際にこのチラシには折り目ができていますが、それでもこれは僕が実際に見に行った証となっており、大事なチラシです。
 なにせファンになってからやっとやっとで見ることが出来た「昼下りの情事」ですからね!

 一緒に見に行った子と帰りに茶屋町の居酒屋で食べたんですが、鍬の先に料理を載せて渡してくれるスタイルだったんですが、それが僕のとこで落ちたんですよね。

 当時はバブルで、僕も金糸を使ったオシャレだけど結構派手な(当時は普通)お気に入りのベストとクリーム色のシャツ、それと茶色のパンツを着ていて、幸いなことに汁ものじゃなかったので見たところ大して汚れていなかったんですが、お店の人がえらく恐縮して謝ってくれました。
 見に行った時の服装まで覚えているのは、料理を落とされたおかげですね笑。

 チラシの裏には、「ローマの休日」「ティファニーで朝食を」に並ぶ代表作です、と解説で書かれています。
 さらにはオードリーの紹介欄では、上記以外の代表作として「麗しのサブリナ」「戦争と平和」「パリの恋人」「シャレード」「パリで一緒に」「マイ・フェア・レディ」が挙げられています。

 これって〜…日本ヘラルドがリバイバルした作品(まもなくする「戦争と平和」も含む)を載せていますよね?って感じですね。「噂の二人」だけ載ってませんけどね。「おしゃれ泥棒」とか「暗くなるまで待って」とかが載ってないのはおかしいですもんね(その後1991年に「おしゃれ泥棒」も「暗くなるまで待って」も日本ヘラルドで配給)。

 このように89年に大ヒットした「昼下りの情事」は、上映後今度はビデオ化の権利争奪戦が起こるんですけど、その話はまた今年の終わり頃に。
  


Posted by みつお at 18:00Comments(2)昼下りの情事

2024年04月26日

「ローマの休日」日本公開70周年記念、「映画の友」1954年5月号の紹介

 今年は1954年4月21日に「ローマの休日」が佐世保の富士映画劇場で日本で最初に初公開されて、ちょうど70年になります。

 その後23日には名古屋ミリオン座と四日市の三重劇場、25日には新潟の大竹座、26日には広島宝塚劇場と次々に地方から公開。

 そして27日にはいよいよ東京の東宝チェーンマスター館の日比谷映画劇場で封切り!
 同じ27日には甲府の電気館、浜松の松菱劇場でも同時公開。

 4月中には28日に宇都宮の電気館・香川の高松大劇・愛媛の松山有楽座・高知のモデル劇場、29日に札幌の松竹座、30日には福岡東宝劇場、5月1日には函館・大阪梅田・大阪難波・京都・神戸と続々と全国公開していきます。

 この当時、まずは東京で封切って、その後京阪神から名古屋、福岡、札幌と “ロードショー”していくのが普通で、東京や大都市の反応を見てから地方へ、という流れが当たり前だったのですが、この「ローマの休日」に関しては東京の反応を待たずに地方公開が始まっていますね。

 「ローマの休日」に関しては今までの「月刊パラマウント」などでも紹介済みのように、アメリカから聞こえてきた作品の出来の良さと話題の新星オードリー・ヘプバーンが大きく取り上げられていました。

 54年には「麗しのサブリナ」も撮影済みになっていたため(「麗しのサブリナ」撮影は1953年9月から12月)、「ローマの休日」共々その髪型やファッションが雑誌や新聞に載っていました。
 日本のスターも真似して、何か月も前から女性の熱狂的なブームを巻き起こしていたことなどでオードリーの認知度が既に全国区であったことで、地方で公開しても大丈夫だと思われたのではないでしょうか。

 それに公開前からオードリーの髪型コンテストや日本のオードリーコンテストなども始まっており、3月にアカデミー賞の発表があってオードリーが主演女優賞を獲ると、ますますブームが加熱、前売り券の売り上げも上々だったのではないでしょうか。

 今と違って、各々がそれぞれの個性で、という時代ではなく、全国で同じ流行だった時代なので、日本全国がオードリー!って大興奮状態だったわけですよね。
 
 結果的には配給収入で1954年はもちろん、「風と共に去りぬ」を抜いてそれまでの洋画での配給収入の日本新記録を叩き出していますね。「風と共に去りぬ」は1952年に東京では108日間の上映でしたけど、「ローマの休日」は東京で38日間でひっくり返してしまったわけですね。

 当時は一部の高額な指定席を除いてほとんど自由席でしたから、どれだけ劇場に人が入ったか想像すると席取り合戦が怖いですよね。
 日本のテレビ放送は始まったばかりで、まだ受像機自体がほとんどなく、娯楽の主役は映画だった時代。

 「ローマの休日」はその製作費の1/3を日本で回収したと言われるほど。
 「キネマ旬報」だったかの対談で、(戦後で)貧乏な日本からそんなに持っていかないで欲しいねと冗談を言われていました。

 さて、前置きが長くなってしまいましたが今日の紹介は雑誌「映画の友」の1954年5月号。
 5月号と言っても発売は3月21日なので、「ローマの休日」は公開前で、アカデミー賞の発表もまだですが、この号では「ローマの休日」関連の大特集が組まれるほど。

 それだけ世間では「ローマの休日」とオードリーに対する期待が高まっていたんですね。表紙もオードリー。

 この号は、目次も「麗しのサブリナ」のオードリーが載ってる。
 新作映画紹介にもグラビアで2ページぶん「ローマの休日」があります。

 もうこの段階では既に試写は終わっており、映画評論家の人たちは「ローマの休日」を見た後。
 なので映画評論家の清水俊二さんの解説と評価が載ってるし、同じページにウィリアム・ワイラー監督との問答もあります。
 これが4ページ分。
 
 さらに “オードリイ・ヘップバーン特集”というのが本文とグラビアで12ページも使ってあるし、裏表紙も「ローマの休日」の(当時は貴重なカラーの)宣伝。

 全体では22ページも費やして「ローマの休日」とオードリー関連のページがあります。初公開当時は今ではほぼ見ないレアな画像も多く使っているし、文章は濃いしで、読み応えも見応えも充分!

 青っぽいグラビアの新作映画紹介のページですが、撮影中の王女の衣装を着た写真以外はレアな画像ばかりの撮影スナップでまとめられています。

 横向きの画像は、今となっては考えられませんが、これよりちょっと前の号の「スクリーン」だったか「映画の友」だったかで載ってた時は、端っこのオードリーの顔の部分が削られていました。
 ワイラー監督と踊る後ろ姿のオードリーの画像も珍しいですね。

 清水俊二さんの文章では、やはりワイラー監督の腕が冴え渡っていることが書かれており、「ローマの休日」のロケーション・マネージャーが53年年末〜54年正月に日本に滞在していたことで話を聞くことができ、ワイラー監督が心から演出を楽しんでいたことが書かれています。

 また、「映画の友」がウィリアム・ワイラー監督との問答を試みていて、それが載っているのですが、グレゴリー・ペックの喜劇出演はこれが初めてだったと書いてあってちょっとビックリしました。そう言われてペックの出演作を見てみると、確かにコメディってほとんどない!これは新しい発見ですね。

 “オードリイ・ヘップバーン特集”では「ローマの休日」でたちまち2つの賞を獲得したことが書かれていますが、アカデミー賞の発表は3月25日なので、この号発売の3月21日の段階ではフィルム・デイリー誌の最優秀主演女優賞とニューヨーク批評家協会賞の女優賞をもらったことが書かれています。

 次の見開きでは上段に当時の皇太子殿下(現:上皇陛下)がニューヨークで「ローマの休日」をご覧になったことが書かれています。殿下や随員御一行の席は王女が謁見する場面や王女がヒステリーを起こす場面で常にクスクスと笑いが起きていたこと、映画が終わると皇太子さまは「こう警備が厳重だと、僕は抜け出せないね」と語って周りが大笑いしていたことが書かれています。

 でももしこれが戦前だったら、この映画を皇太子殿下にはお見せしなかったであろうし、日本へは輸入禁止になっていただろうと書かれています。

 下段ではオードリーに対するインタビューがありますが、割と今では知られていることばかりなので、特にここで書くことは何もないかも。
 珍しくジェームス・ハンスンとの別れのことがオードリー本人の口から語られています。

 続いては茶色のグラビア4ページ分を使ってオードリーの写真が載っています。最初は「麗しのサブリナ」の宣伝写真。次はオードリーのスナップ集ですが、「ジジ」以降のものが多いため、珍しい画像は3点ほど。その次は「ローマの休日」撮影中のものになっています。

 最初の謁見のシーンで着る金色のドレスの場面ではグレゴリー・ペックの出演シーンは無いのですが、ここでのスナップでは楽しそうに談笑していますね。
 撮影は始めの方だったでしょうし、ペックがオードリーと親しくなっておこうとわざわざ顔合わせに来てくれたんでしょうね。

 その次の本文ページでは演技について淀川長治氏が、個性については山本恭子さんが、そして岡俊雄さんはスバリ “オードリー”ということで文章を書いています。

 後年、オードリーに対して辛辣な淀川長治氏ですが、ここでは“見るまでは個性八分、演技二分だと思っていたが、個性と演技が五分五分だ”と書いています。“ヴィヴィアン・リーの再来か…と言ったら大げさな、とどこからか声が入りそうではあるが、若いくせに早くも演技を楽しんでいる”と書いています。

 岡俊雄さんのページに載っているセシル・B・デミル監督と同席しているオードリーの写真が、めっちゃ可愛く写っています。

 そういえば、裏表紙のパラマウントの宣伝ですが、ここでは “オードリイ・ヘップバーン”表記ですね。
 初公開時のパラマウントでの表記は “オードリイ・ヘップバーン”と“オードリー・ヘップバーン”が混在しているのですが、“オードリイ”の方が優勢。

 次の「麗しのサブリナ」から「パリの恋人」は“オードリー・ヘップバーン”で統一。

 ところが1961年の「ティファニーで朝食を」以降はリバイバルも含めてパラマウントでは “オードリー・ヘプバーン”で統一となり、2003年の「ローマの休日」のリバイバルも、現在発売されているDVDやブルーレイも “オードリー・ヘプバーン”です。

 でもなぜだか1980年に公開された「華麗なる相続人」だけはまた “オードリー・ヘップバーン”表記に一瞬戻っているんですよね。
  


2024年04月23日

「ティファニーで朝食を」86年リバイバル 梅田東映ホールチラシ

 大変大変!
 ちょっと更新をサボっていたら、4月21日の「ローマの休日」日本公開70周年の記念日に記事をアップ出来ませんでした。

 まあそれは4月27日の東京公開日に回すとして、先に間もなく “午前十時の映画祭14”で4/26(金)〜5/09(木)にリバイバルされる「ティファニーで朝食を」の応援記事をやってしまいます。

 今日は1986年の「ティファニーで朝食を」リバイバルでの梅田東映ホールのチラシの紹介。

 「ティファニーで朝食を」というと、初公開時に日本では話題になったわりには中ヒットで終わってしまった作品。
 映画評論家の批評も良かったのに何ででしょうね?

 東京のメインのスカラ座では1961年11月4日から12月22日まで7週の上映。
 もっとヒットしてたらそのままお正月映画、ということもあり得たのでしょうが、年越しは出来ないまま終わりました。

 大阪の北野劇場や松竹座での興行成績はもっと悪くて、11月23日から12月6日というわずか2週間で上映を終えています。

 ほとんど同じ時期である11月12日に上映が始まった1966年の「おしゃれ泥棒」は大ヒットだったため年越しをして、1967年2月3日まで上映が続いたのとはえらい違い。

 当時はオードリー演じるホリーが高級売春婦、ということでなにかいかがわしさを感じてしまった良家の若い女性客が警戒してあまり出かけなかったのでしょうかね。

 「ティファニーで朝食を」は今でこそオードリームード満点というイメージですけど、演じるオードリー的にはかなりの挑戦的な役柄だったし、“オードリーらしくない”と思われてしまったんじゃないかと思います。

 結果的に50〜60年代のオードリー作品ではワースト4位の興行成績で終わり、61年の初公開の後のリバイバルは69年になりました。その69年リバイバルも成績はそこそこだったようなのですよね。

 その間には63年公開の大ヒット「シャレード」が68年と73年にもリバイバル、と成績もリバイバル回数も抜かされてますし、「ティファニーで朝食を」は “代表作なんだけど…”ってイメージだったんですよね。

 そんな中84年から始まった日本ヘラルドによる往年の名画の怒涛のリバイバルは、MGM/UAとの契約から始まって、85年にはパラマウントとも契約。
 85年年末に「麗しのサブリナ」「ローマの休日」のリバイバルがあった後、86年6月にはこの「ティファニーで朝食を」リバイバルとなります。

 大阪では1986年の6月21日〜7月4日の上映だったようですね。
 この時はまだオードリー作品で揃えられるほどリバイバル作品の権利を獲得したわけではなく、当時契約されたパラマウント作品でまとめられています。

 「泥棒成金」「ペーパー・ムーン」共々、2週間ずつの上映。

 80年代の日本ヘラルドのリバイバルは、プレスシートが作られるわけでもなく、映画会社ごとにまとめて順番に公開されて、映画パンフレットも過去のパンフレットを原稿に復刻版をササっと作って発売、みたいな感じでしたから、映画雑誌の「スクリーン」でも紹介されないんですよね。紹介されてもまとめて、とかね。

 なので80年代後半の「スクリーン」を買っても “リバイバル作品紹介”って出てこないんです。買ってガッカリですよね。今の“午前十時の映画祭”みたいな扱い。

 このチラシはオモテ面赤黒2色、裏面茶色1色刷り。
 メインの「ティファニーで朝食を」の画像も鮮明ではないし、あまり “嬉しい!”ってものでもないんですが、大阪地区でのチラシですからね。

 裏面で「ウインドーをのぞきながらパンをかじるなんて、ちょっとクリスタルな気分じゃない?」って文章が書いてあって、あー、バブル前夜の80年代のニオイがプンプンするなーって思います。

 この当時は何でもかんでもおシャレ “風”なんですよね。そういえば僕もバイトしてDCブランド着てた着てた!みたいな。

 梅田東映ホールは、梅田コマシルバーとともに、80年代によくオードリーの作品を掛けてくれてましたよね。
 87年に大阪に来た「パリの恋人」や「暗くなるまで待って」もここだったと思います。

 さて、86年に、69年以来久々にリバイバルした「ティファニーで朝食を」ですけど、その後は80年代後半〜90年代前半のオードリーの大ブームに乗って、オードリー作品だけをまとめた上映でもよく取り上げられてましたし、95年にももう一度大々的にリバイバル。

 徐々に作品の評価と興行成績が揃うようになってきて、その後は2013年「スクリーン ・ビューティーズ」でのリバイバルもありましたし、2016年の“午前十時の映画祭7”でのリバイバルでは大ヒット!当時の“午前十時の映画祭”では最もヒットした作品になりましたし(同年上映の「七人の侍」に抜かれましたが)、その後は2021年、そして今年と“午前十時の映画祭”で上映。

 気づけば1961年、1969年、1986年、1995年、2013年、2016年、2021年、2024年と合計8回も日本で上映。「シャレード」の6回を抜かして、今や「ローマの休日」(14回)、「マイ・フェア・レディ」(10回)に次ぐオードリーの劇場公開数第3位を誇ります。

 今年は初の4Kでのリバイバルになりますね。
 「ティファニーで朝食を」のパラマウント公式の4Kリマスターブルーレイと同じ素材でしょうから、まあ「ティファニーで朝食を」に関しては綺麗にできている方だと思います。

 昔の映画のリマスターだと、鮮明にするために粒子が荒れたり、最近の流行で地味な色目に合わせるために昔より却って色が褪せてたり、顔の色が紫になってたり、ってこともあるので…(「シャレード」とか「パリで一緒に」)。

 それでは、26日からの“午前十時の映画祭14”をお楽しみください。
  


Posted by みつお at 18:00Comments(0)ティファニーで朝食を

2024年04月08日

宝島社ムック本「オードリー・ヘプバーン『永遠の妖精』の素顔」

 「ローマの休日」吹替版の公開が始まりました!上映期間が1週間しかないところが多いので、鑑賞はお早めに!さらに12日からは「マイ・フェア・レディ」が1週間、26日からは「ティファニーで朝食を」が“午前十時の映画祭14”で2週間、全国で公開されます!

 今回は出たばかりの宝島社のTJ MOOKというムック本、「Legenf Star Graffiti」の「オードリー・ヘプバーン『永遠の妖精』の素顔」という写真集をご紹介。

 2009年にも宝島社は別冊宝島「オードリー・シネマスタイル」というDVD付きのムック本を出していましたので、作り方もサイズもそんな感じかと思って買いましたが、届いてビックリ!

 サイズはA4だし、表紙はしっかり巻いてあるものだし、中身の紙もしっかりしたマットコートだしで、ペラッペラだった「オードリー・シネマスタイル」とは全然別物。

 そういえば表紙もゴチャゴチャして品のない感じだった「オードリー・シネマスタイル」とは違ってスッキリしています。
 かなりな好印象。

 でもオードリーの写真集って、★★★★とか★★★★★とか取るのはほんっとに難しい。

 なんといっても国内外でオードリーの写真集・特集号は100冊以上出版されているので、その中でその本だけの個性を出せなかったり、レアな写真を揃えられなければ結局平凡な出来に終わって埋もれてしまうんですよね。

 このムック本も、やっぱり★★★★にはできない。

 表紙には“秘蔵写真で振り返る真実のオードリー”って買いてますけど、その秘蔵写真ってのがあまりにも少ない。
 もちろんほんの少しだけ珍しい画像もあるのですが、あとはほぼどこかで見た画像。

 それと、オードリーにそれほど詳しくない人が編集すると起こる、写真の間違いやキャプションの間違いがここでも気になります。
 あー、この人絶対オードリーのことあんまり知らないんだろうなーってわかってしまいます。

 これも、画像を借りるレンタル写真素材のところのキャプションが既に間違っているのだろうなーと思うのですが、一応“使用する際はご確認ください”と注意書きがあるのですよね。
 でもオードリーに詳しくなければ、それをそのまま鵜呑みにして載っけちゃう。

 本来最も詳しくないといけないはずの映画雑誌の「キネマ旬報」のオードリー特集でも、やはり鵜呑みにした編集者が、どう見ても「シャレード」の画像なのに、「暗くなるまで待って」として写真素材のアフロのそのままのキャプションで載せていたのには、映画雑誌としての矜持はどないなっとんねんとガッカリしましたが、今回は映画とは直接関係のない宝島社ですもんね。

 まずは12p「バレリーナ〜演劇人へ」のメインで「女優への道を歩み始めたころのオードリー」ってページで載っているのは「パリの恋人」のオードリー。
 いやもう、これ、明らかに初期のメイクと違うやん!髪はポニーテールで眉はキリリとまっすぐに濃く、アイラインもしっかりと口紅の色も濃い。

 後半の初期作品が集まっているページを見れば、この写真だけが化粧の仕方が違うやん!って丸わかりなんですけどね。
 初期のイギリス時代〜「ジジ」のメイクはあくまでも薄く、アイメイクもほとんどなく、眉毛も細くて丸い中で、どう見ても違うんですよね。

 これはオードリーにちょっと詳しい人なら誰が見ても「パリの恋人」ってわかる有名な画像。これを初期のオードリーだって載せちゃうのが、もうね。

 まあ「パリの恋人」だってハリウッドでは初期ですけど、次のページを思わず確認すると「ローマの休日」〜メル・ファーラーと結婚ってなってますんで、明らかに「ローマの休日」以前だと思って載せてますよね。

 次に38pの「ブラックドレス」のページで、やはり白黒写真を持ってきて“はい、ブラックドレスです”ってのをやってしまってます。
 僕はこのスカート持ってる53年〜54年ごろの写真の本当のカラーって見たことないんですけど、どこからブラックだってわかったんでしょうかね。
 その横のジバンシィのカクテルドレスも怪しいです。

 過去に同じ間違いを「週刊オードリー・ヘプバーン」第8号(目の覚めるようなブルーの衣装をブラックとホワイトだと掲載、カラー2色の縞模様のカットソーを白黒だと掲載)やクレヴィス社の写真集(ピンクのシャツと赤のパンツをホワイトシャツとブラックのパンツだと掲載)でもやってましたけど、またですか!って感じ。

 ブラックドレスとして載せたかったら、有名なドレスでもない限りカラー写真を持ってくるのが最低限の常識ってもんでしょう!
 知らないのに知ったかで書くのは、編集者として本当に恥ずかしいです。

 オードリーって、「ティファニーで朝食を」でブラックドレスのイメージがついちゃってますけど、本当のオードリーはいろんな色の洋服を着てました。
 今となっては街中を歩くのはちょっと勇気のいる色でも、50年代〜60年代は女性の着る色としてカラフルなのが当たり前でしたからね(逆に男性が着る色が派手になったのは60年代後半からですね)。

 42pの「ストライプアイテム」のページはパッと見「いつも2人で」で統一したのかな?と思ったんです。ところがキャプションでは左上の画像のキャプションは「1964年のオードリー」って書いてある!

 これまた髪型といい、メイクや衣装の感じといい、どう見ても「いつも2人で」やーん!
 1964年って「マイ・フェア・レディ」撮り終わったあとでしょう?その頃のオードリーって髪型もメイクもまだ「マイ・フェア・レディ」してるころですがなー!

 オードリーがこの髪型にしたのは「おしゃれ泥棒」の撮影入る直前から。そしてこの写真の撮影は夏で、「いつも2人で」の宣伝写真にも入ってますがな!

 あとひとつ、作品紹介のページで「若気のいたり」の画像が「初恋」のものになってます。

 これ海外の写真集などでもよくやってる間違いなんですけど、写真素材のキャプションを鵜呑みのまま載せて、本当に著者が「若気のいたり」を見てないんだろうなーってわかりますよね。本当にオードリーのファンなのか、にわかなのか、みたいなのがここでバレる、みたいな。

 「若気のいたり」のオードリーって、だいたい髪の毛短いんですよね。こんな「初恋」のカツラみたいに長くない。
 だいたいこの編集者は「初恋」すら見たかどうかアヤシイ…。

 それに今に至るまで「若気のいたり」の宣伝写真のオードリーって見たことないです。
 宣伝写真がないもんで、正しい画像を載せている本は映画から直接キャプチャーしたものになっています。

 あと、この作品紹介のページの使い方も疑問に思うことがチラホラ。

 この編集者さんの好きなオードリーでページが割かれているのか、「ローマの休日」「麗しのサブリナ」「ティファニーで朝食を」「マイ・フェア・レディ」が4pぶん、「パリの恋人」「昼下りの情事」「シャレード」が2pぶんなのはまだいいのですが、それ以外がちょっと僕にはわからない。

 1pぶんが「モンテカルロへ行こう」「戦争と平和」「許されざる者」「おしゃれ泥棒」(ただし最下部に「おしゃれ泥棒2」も載っている)はまだしも、「華麗なる相続人」で、“え?”っとなって、「庭園紀行」と「映画オードリー・ヘプバーン」も1pで“えええ??”。

 半ページが「尼僧物語」「パリで一緒に」「暗くなるまで待って」「ロビンとマリアン」「オールウェイズ」ですよ?
 さらに言うと「緑の館」「噂の二人」「いつも2人で」なんかは1/4ページ。

 それらが「華麗なる相続人」「庭園紀行」「映画オードリー・ヘプバーン」に負けている(オードリー的に価値が低い)とは到底思えないのですよね。

 この違和感はその後に続く「共演者たち」「監督たち」でも感じます。

 共演者ではハンフリー・ボガートやヘンリー・フォンダは載っていても、ウィリアム・ホールデンは無し。
 映画史的にはともかく、オードリー史的にはホールデンの方がずっと重要。

 監督でもワイラー、ワイルダーと来て、めくるとテレンス・ヤングにスピルバーグ。
 えーーっ!スタンリー・ドーネンは外されへんやろー!ってオードリーファンなら思いますよね。

 結局オードリーを最も生かしたドーネンではなく、テレンス・ヤングを持ってくるのがこの編集者の趣味に合ってるのかな?と思います。
 そうすると「いつも2人で」の紹介は1/4ページしかないのに、「華麗なる相続人」を丸々1ページ使うのも納得というわけで。

 どうもこの編集者の知らない・自分の好みと合わなかった作品の紹介はWikipediaからの丸々コピペなんですよね。あー、そっかーみたいな。
 そういえば出演作一覧もウィキペディアそのまんまだしね。

 さて、この本の中で一番良かったのは加藤タキさんのインタビュー。

 4ページに渡るものなのですが、今までテレビで1回しか言ったことがない「エクスラン・ヴァリーエ」の打ち合わせで最初にオードリーに会いに言ったらカーラーを巻いたまま出て来たときのエピソード、初めて語られる「庭園紀行」の来日時のエピソードや写真、そしてオードリーからもらったプレゼントの数々やテレビでは一瞬の直筆の手紙などをじっくり見られるのが嬉しいです。

 加藤タキさんもとてもお美しく写っていますし、加藤タキさんの衣装にも、オードリーのイメージにも合わせたかのようなピンクバックも綺麗で、ここがこの本の白眉でしょうか。

 そういえば、裏表紙とかはオードリーのイメージではなく、ティファニーのイメージであるティファニー・ブルーが使われています。

 クレヴィス 社といい、あまりにもこの色使いだとちょっとねー。オードリーのイメージで、オードリーも大好きだったピンク系でやって欲しいものです。

 それと、気になったのがカラー写真の色あせ具合。これが全体に及ぶんですよねー。
 前の宝島社の「オードリー・シネマスタイル」でも色褪せが気になりましたけど、今回も、ですか。レンタル画像の退色の修正とかしないんですね。

 表紙の色もイマイチ。この写真、裏焼きで使われることも多いのですが(この写真集とかこの「SCREEN」とか)、それは今回は正向きで嬉しいのですが、オードリーの顔が紫色っぽくなっており、写真が濃すぎて口紅の色も悪く、肌も日焼け痕みたいになってしまってます。

 あ、宝島社さんに言いましたけど、2刷があれば間違いが変更されるかもだそうです(12pの「パリの恋人」の画像や、「若気のいたり」の画像は変更が難しそうだけど…)。

オススメ度:★★(出版されたのは嬉しいけど、内容は平凡の極み)




(アマゾンのリンク→)https://amzn.to/43QERO9  
タグ :写真集


Posted by みつお at 21:00Comments(6)日本の写真集

2024年04月04日

「ローマの休日」上映直前 月刊「パラマウント」1954年4月号

 さて、いよいよ明日から「ローマの休日」の吹替版が上映されますが、今回はそれに合わせてパラマウント友の会発行の月刊「パラマウント」の1954年4月号を紹介。
 表紙はパット・クローリーって方。1作も見たことないな〜。

 1953年は月刊「パラマウント」は15日発売でしたが、1954年になると、1日発行になっています。
 ということで、この号も1954年4月1日に発行されたことになります。

 いやもうこの号は「ローマの休日」推しがすごい!
 表紙周りを入れて全24ページなんですけど、そのうち11ページが「ローマの休日」およびウィリアム・ワイラー関連。

 ここでは画像を紹介しませんが、グラビア2ページのあとの本文最初のページでもパラマウントファンクラブの運営責任者が本国アメリカのパラマウントに宛てた手紙をそのまま紹介してるのですが、そこでも「ローマの休日」とオードリー・ヘプバーンが公開前から日本を席巻していること、とても期待していることが英語で書かれています。

 そして次のページは “ウィリアム・ワイラーのこと”という見出しで映画評論家の清水俊二さんの文章が2ページに渡って掲載。
 そこではレアな「ローマの休日」のオードリーの画像が見れます。

 今でこそ、「ローマの休日」は赤狩りに対抗したワイラーの作品であったことが語られていますが、初公開当時は全く知られていなかったこと。
 それでもこの清水俊二氏は “材料としてはとくにとりあげて云々すべきものが一つもないのに、できあがったものはいかにもワイラー作品らしい名作になっている”と評価しています。

 それに続いて、

“ものを云っているのはワイラーの演出だけというわけである(もちろん、オードリー・ヘップバーンの存在を忘れるわけにはいかないが、オードリーの素質をあれだけ生かしたのはやはりワイラーの演出である。) その演出もどこといってハデな手法がもちいられているわけではない。あくまでも正攻法でおしていって、えがくものをあやまたずにえがき出しているのである。喜劇のなかにかぞえられる作品でありながら、その気品と風格とに堂々としておかしがたいものがあるところなど、ウィリアム・ワイラーの面目をはっきりあらわしているものと云えよう。”

と書かれています。文章の最後は

“「ローマの休日」のウィリアム・ワイラーの演出がすぐれていることがはっきりわかるはずである。”と締めくくっています。

 赤狩り云々は興味ある人が考察すればいいこと。赤狩りを考えない人は「ローマの休日」を楽しんではいけない、ということではないはずです。ウィリアム・ワイラーももちろんそんなことは考えろとはその生涯で一言も言っていません。

 赤狩りなど全く考えなくても、「ローマの休日」はやっぱり傑作なのですよね。

 オードリーが亡くなった時の“キネマ旬報”の追悼特集号で、山田洋次監督がかちんこ係だった時代に「ローマの休日」のどこがいいかわからなくて、ついていた渋谷実監督に訊いてみたところ、

「例えばあのラストシーンを思い出してごらん。あの記者会見の場面でオードリー・ヘップバーンとグレゴリー・ペックの間に交わされる会話には愛に関するセリフは一言もないのに、観客はワンカットワンカットに二人の愛の言葉を聞いているんだよ。あれが演出というもんだぜ。」

 と言われたこと。劇場で「ローマの休日」を見直して、渋谷実監督の言うとおりだった、映画とはこういうものなのかと考えさせられた、と書いています。

 僕などは素人なので、渋谷実監督のように具体的にはこれが凄いのだ!なんてことは言えませんが、それでも「ローマの休日」の持つ輝きというか凄みというか格が違う感は感じ取れますよね。

 次からは4ページ使ってウィリアム・ワイラー監督作品のリストが載っています。最初に「ローマの休日」の画像もありますね。
 戦前の一部の作品には評価も書いてくれていて、なじみのないものは実際に見た人が書いてくれているのが興味をそそります。

 今や遠くになりにけりの第二次世界大戦ですけど、1954年当時の1930年の作品など、現在2024年において2000年の作品を語っているようなものですから、大人の人にとってはついこの間の映画ですもんね。

 この作品リストの最後はもちろん「ローマの休日」なのですが、ここでは3月に発表のあったアカデミー賞がもう載っています。
 そしてその下部には「日本のオードリー・ヘップバーン募集」という記事が!

 当時、ヘップバーンカットのコンテストなどもありましたが、ここでもこういう催しがあったのですね!

 ここでの条件は、1:18才〜24才の未婚の女性、2:身長150cm(以上?)、3:キャビネ写真2枚(全身と横顔)、4:本人の履歴書、となっています。締切は5月31日。

 審査は3次まであり、1次審査は6月上旬ブロック別の写真選考。2次審査は新聞社も交えたブロック別の面接で1位を選定、計10名。最終審査は6月中旬に東京の日比谷公会堂または共立講堂で地区代表の決戦。アンコールで「ローマの休日」上映あり。

 審査員は13人で、中には宇野重吉、香川京子、水の江瀧子、淀川長治らの、名前を知っている面々も入っています。

 賞金は無いみたいで賞品なのですが、
 日本のヘップバーン賞(1名、優勝)は服装ひとそろい、ダイヤモンドリング、森永チョコレート1年分、東京招待。
 準日本のヘップバーン賞(1名、第2位)は服装ひとそろい、ダイヤモンドリング、森永チョコレート半年分、東京招待。
 地区優勝者(8名)はオパールリング、森永チョコレート1か月分、東京招待。
 地区別候補者(300名)サファイヤリング、ヘップバーン・ブローチ、だそうです。

 それと、最後に “なお、オードリイ・ヘップバーン来日実現されれば「東京の休日」を共に楽しむ”とびっくりすることが書かれています。

 えーっ!この時期にもオードリーに来日してもらう計画があったんやー!とも思いますし、もし来日したとしても、オードリーからしたらこんな自分のあずかり知らぬところで行われたコンテストの入賞者たちと東京をウロウロさせられたらたまったもんじゃないやろうなと思います。なんせオードリーは内向的な性格ですからね。 

 実際にはオードリーの1954年というと2月からは舞台「オンディーヌ」がありましたし、舞台は好評だったので、もしオードリーが体調を崩さなければ7月3日以降ももっとロングランしていたはずですし、体調を崩してはもちろん遠い日本には来れませんし、その後すぐにメル・ファーラーとの交際スタート、9月には結婚とオードリー的には怒涛の予定があったわけで、もちろん来日は叶いませんでした。
 
 次のページは前号で募集がかけられていた “「ローマの休日」に期待するもの”というテーマでの発表が載っています。誰もみなワイラーの演出と、まだ1本も見たことのないのに大騒ぎとなっているオードリー・ヘプバーンという新人に対する期待の文章となっています。

 さらにその次は “ウィリアム・ワイラーについて”という読者投稿、および国際出版社による「ローマの休日」の英和対訳シナリオの宣伝になっています。
 この国際出版社って映画のパンフレットも作っていた会社ですね。

 1954年当時はまだ配給会社が統一の映画パンフレットを作るということはなくて、映画館独自で作成したり、パンフレットの会社も乱立していたりで、「ローマの休日」初公開時にはわかっているだけで13種類もの映画パンフレットが存在しています。

 国際出版社だけでも表紙の違う3種類もの「ローマの休日」初公開時のパンフレットがあるんですよ!
 さらにまだ見つけられていない地方の劇場のパンフレットもあるかもしれません。

 やがて映画パンフレットの会社は淘汰されていって映画パンフレットの種類も減っていくのですが、この国際出版社も早くも次の「麗しのサブリナ」を最後に映画パンフレットが存在しなくなります。

 この英和対訳シナリオってのも同じく「麗しのサブリナ」が最後だったかな?と思うのですが、外国映画出版社や南雲堂ってとこが引き継いで、「パリで一緒に」くらいまではあったように思います。その次の「マイ・フェア・レディ」のは見たことないです。

 オードリーには関係ない“パラマウント・スタジオ・ニュース”という欄で、ヴィスタヴィジョンを発表という記事があります。この方式が「戦争と平和」や「パリの恋人」で使われることになりますね。今でもビスタサイズという名称が残っており、今でも映画はそのサイズで作られることも多いです。今のテレビの縦横比に近いものですね。

 さらに映画雑誌「スクリーン」で50年代〜90年代までよく見かけたブロマイドの春美栄光堂さんが出版していた「スクリーン・ピクトリアル」という雑誌の宣伝も載っており、そこでも “今年のホープ、オードリイ・ヘップバーン”と書かれています。

 さらにこの号では2月に81人も佐世保で1度に入会があったそうで、びっくりしていると書かれています。
 というのも当時の佐世保ナンバー1の劇場である富士映画劇場の支配人がこの友の会のことを地元のファンに話したら、我も我もと入会ということになったそうです。

 そう、この佐世保富士映画劇場というのは日本で1番早く4月21日に「ローマの休日」を公開した劇場です!
 他にも1952年の初公開時に「風と共に去りぬ」を佐世保で上映した劇場でもありますし、その際には劇場独自の映画パンフレットも製作しています。

 人口では1950年には全国で26位、1955年は全国で23位を誇ったパワーのある佐世保市ですから(2020年は93位)、そりゃまあ「ローマの休日」を日本で最初に上映しても何もおかしくないわけです。

 最後の「ローマの休日」は裏表紙の裏(表3)の編集後記に載っています。その最後に、“「ローマの休日」試写を四月上旬東京及び各支部所在地で行います。”と書かれています。

 当時パラマウント友の会の支部がどこにあったのかは知りませんが、友の会の人々は世間より早く「ローマの休日」が見れた、ということになりますね。
  


2024年03月31日

“心躍るミュージカル映画”「マイ・フェア・レディ」上映


(画像はブログなら無料で埋め込めるゲッティイメージズ さんのものをお借りしました。パリでのプレミア上映会でのレックス・ハリスン、オードリー、メル・ファーラー)

 さて、しばらく更新しないうちに書かなければいけない記事がどんどん溜まってきました。
 なので、これからちょっと短い期間で次々記事をアップして行きます。

 さて、今日はまず大急ぎでお伝えしないといけない特集上映について。

 2024年4月12日(金)〜18日(木)の1週間、特集上映“心躍るミュージカル映画”として「マイ・フェア・レディ」「ブルース・ブラザース」「シカゴ(2002年)」の3本が劇場に掛かります。

 上映劇場は少ないのですが、

北海道 サツゲキ
東京 109シネマズプレミアム新宿
東京 グランドシネマサンシャイン
神奈川 ムービル
神奈川 小田原コロナワールド
埼玉 MOVIXさいたま
愛知 ミッドランドスクエア シネマ
愛知 中川コロナワールド
愛知 豊川コロナワールド
岐阜 大垣コロナワールド
京都 MOVIX京都
大阪 大阪ステーションシティシネマ
福岡 小倉コロナワールド

での上映になるようです。
 昨年の“午前十時の映画祭13”で「マイ・フェア・レディ」を逃してしまった方達は今回はお見逃しなく!


(「ローマの休日」でアカデミー賞を受賞した時のオードリー)

 4月5日からの「ローマの休日」の吹替版の上映劇場の情報も出ましたので書いておきます。

北海道 札幌シネマフロンティア
北海道 ディノスシネマズ苫小牧
北海道 イオンシネマ北見
宮城イオンシネマ新利府
宮城MOVIX仙台
山形イオンシネマ米沢
山形イオンシネマ天童
山形イオンシネマ三川
東京丸の内ピカデリー
東京新宿ピカデリー
東京グランドシネマサンシャイン 池袋
東京109シネマズ木場
東京MOVIX亀有
東京イオンシネマ板橋
東京イオンシネマ多摩センター
東京イオンシネマむさし村山
東京イオンシネマ日の出
神奈川 イオンシネマみなとみらい
神奈川 イオンシネマ港北ニュータウン
神奈川 チネチッタ
神奈川 横須賀HUMAXシネマズ
神奈川 イオンシネマ座間
神奈川 イオンシネマ茅ヶ崎
神奈川 小田原コロナシネマワールド(5/10から)
千葉MOVIX柏の葉
千葉イオンシネマ銚子
千葉シネマイクスピアリ(4/12から)
埼玉MOVIXさいたま
埼玉MOVIX三郷
埼玉シネプレックス幸手
埼玉イオンシネマ羽生
茨城MOVIXつくば
茨城イオンシネマ守屋
茨城イオンシネマ下妻
茨城シネプレックスつくば
栃木MOVIX宇都宮
栃木小山シネマロブレ
群馬MOVIX伊勢崎
群馬109シネマズ高崎
群馬イオンシネマ太田
新潟イオンシネマ県央
新潟イオンシネマ新潟西
石川イオンシネマ金沢フォーラス
静岡MOVIX清水
静岡イオンシネマ富士宮
愛知ミッドランドスクエア シネマ
愛知中川コロナシネマワールド(5/10から)
愛知イオンシネマ岡崎
愛知MOVIX三好
愛知イオンシネマ長久手
愛知イオンシネマ豊田KiTARA
三重イオンシネマ桑名
大阪なんばパークスシネマ
大阪イオンシネマ シアタス心斎橋
大阪MOVIX堺
大阪イオンシネマ茨木
大阪イオンシネマりんくう泉南
京都MOVIX京都
兵庫kino cinéma神戸国際
兵庫MOVIXあまがさき
兵庫イオンシネマ明石
奈良シネマサンシャイン大和郡山
和歌山 イオンシネマ和歌山
岡山MOVIX倉敷
広島イオンシネマ広島西風新都
香川イオンシネマ宇多津
愛媛ユナイテッド・シネマ フジグラン今治
愛媛シネマサンシャイン エミフルMASAKI
福岡小倉コロナシネマワールド(5/10から)
福岡ユナイテッド・シネマ福岡ももち
福岡イオンシネマ福岡
福岡イオンシネマ大野城
佐賀イオンシネマ佐賀大和
熊本熊本ピカデリー
鹿児島 シネマサンシャイン姶良

こちらは多いですね。
  


2024年03月01日

今年はTCエンタテインメントさんの吹替版「ローマの休日」上映!

今回の画像の権利は、©️TCエンタテインメントさんになります。
もちろん無断転載は禁止です。

 新しい情報が入って来ました!

 今年もTCエンタテインメントさんから、日本初公開70周年を記念して「ローマの休日」がリバイバルされると情報を教えていただきました!
 公開は4月5日(金)から、新宿ピカデリーほか全国の映画館で!

 そして今年の「ローマの休日」はなんと池田昌子さんの吹替版での上映!

 1979年版のテレビ朝日の吹き替えを使うそうです。これはまたまた上映前後に付くという淀川長治さんの「日曜洋画劇場」でのものですね。

 でもテレビ放映の吹替って、カット部分があって、そこは吹き替えられてないはずなのにどうするんだろう?と一瞬思いましたが、欠損部分は1994年吹き込みの、現在市販されているDVD/BD収録のバージョンを使うのだそうです。

 一部の役の声優さんが途中で変わってしまう違和感はないのかなー?とも思いますが、市販されているものをそのまま流すよりも、これは面白い試み!だと思いました。

 なんといってもこういう上映方法自体がレアで、おそらく今後はないだろうと思いますし。

 池田昌子さんや城達也さんの声も、当然1979年版の方がお若いわけですし、それを劇場で聴けるというのは楽しみですね!
 むしろ去年より今年の方がワクワクしてきました!

 ただし、今回のパンフレットは、昨年のものと同じだそうで、今年バージョンは作られないそうです。残念!

 でもエンボス加工だけの真っ白なパンフレットだったので、映画館でも目立たなかったそうで、今回はポスターと同じ色の帯が巻かれるそうです。

 帯のないのは2023年版、帯のあるのが2024年版として、今回も買おうと思います。やっぱり映画パンフレットは記念品・お土産ですからね。

 そういえば、まだここで昨年のパンフレットの紹介をしていませんでしたね。また2024年版と共に紹介したいと思います。

 掲載したポスターの絵柄は、今年の吹替版のものです。
 昨年のポスターと比べると、昨年は白文字で “制作70周年”と書いてありましたが、今年は黒文字で “日本公開70周年”と書かれており、その横にも日本語吹替版であることが書かれていますね。あと、当然ですが公開日が違います。今回のポスターはこの1種類だけだそうです。

 公式サイトはこちら

 今年はこの「ローマの休日」に続いて、“午前十時の映画祭14”での「ティファニーで朝食を」と4月は連続でオードリーが劇場にかかりますね。

 昨年の「ローマの休日」は、2週間で上映が終わったところもありますので、予定を組んで、お早めにご鑑賞ください。


声の出演 1979年版(テレビ朝日版)

アン王女 …………………… 池田昌子
ジョー ……………………… 城 達也
アーヴィング ……………… 木村 幌
マリオ ……………………… 広川太一郎
大使 ………………………… 槐 柳二
プロヴノ将軍 ……………… 大久保正信
ヴィアバーグ伯爵夫人 …… 幸田弘子
タクシー運転手 …………… 及川ヒロオ
式部官 ……………………… 寄山 弘
博士 ………………………… 緑川 稔
解説者 ……………………… 篠原大作
ジョバンニ ………………… 上田敏也
私服 ………………………… 寺島幹夫
ルイサ ……………………… 沼波輝枝
花屋 ………………………… 村松康雄
ラジオ ……………………… 作間 功
靴屋 ………………………… 峰あつ子
メロン売り ………………… 石井敏郎
フランチェスカ …………… 三浦潤子
女生徒(1) ………………… 永井悦子
女生徒(2) ………………… 相見陽子

<日本語版制作スタッフ>
演出:小林守夫
翻訳:木原たけし
制作:東北新社

-------------------------------------
声の出演 補完部分(1994年ソフト版)

アン王女 …………………… 池田昌子
ジョー ……………………… 城 達也
アーヴィング ……………… 大塚明夫
大使 ………………………… 北村弘一
式部官 ……………………… 大木民夫
ジョバンニ ………………… (北村弘一)
キャッシュ ………………… 辻 親八
ウィリー …………………… 有本欽隆
エディ ……………………… 金尾哲夫
マック ……………………… 山寺宏一
イアン ……………………… 島香 裕
リカルディ ………………… 礒辺万沙子
ヘネシー編集長 …………… 中 庸助
ウェイター ………………… 丸山詠二
パオロ ……………………… (辻 親八)
サラ ………………………… 荘司美代子
カリーニ …………………… (丸山詠二)
子供1 ……………………… 竹口安芸子
子供2 ……………………… 岡村明美
子供3 ……………………… 引田有美
子供4 ……………………… (礒辺万沙子)
子供5 ……………………… (荘司美代子)

※(カッコ)付きの声優さんは、同じ役を79年版・ソフト版の2人の声優さんで当てることになる方だそうです。TCエンタテインメント株式会社の方から直接伺いました。

<日本語版制作スタッフ>
演出:佐藤敏夫
翻訳:木原たけし
制作:東北新社