2015年07月04日

BS朝日「ヨーロッパいちばん旅行記 オードリー・ヘップバーンの愛したイタリア」

 昨日(2015年7月3日)BS朝日で「ヨーロッパいちばん旅行記 オードリー・ヘップバーンの愛したイタリア・ローマのいちばん」の放送があり、HDDに録画されていたので見ました。
 途中までは「ローマの休日」ロケ地の現在の様子などが映し出されて、“ほ〜〜〜。”って思いながら見てたんですが、後半イヤな気持ちになりました。

 というのも、オードリーが通っていたレストランということで「リストランテ・アルフレード」が映ったのですが、(必ずしも断言はしていないのですが)そこで展示してあるオードリーの画像を見ながら「『ローマの休日』撮影中に撮った」と誤解させるような編集がなされていたこと。

 この画像をオードリーの熱心なファンが見たら一発でわかるのですが、レストランに展示されているオードリーの画像は1958年〜59年のもの。
 「オードリーのローマ」という写真集を持っていれば、その画像の時期が1958〜59年だとわかるはずです。
 髪の長さも髪型もメイクも全然「ローマの休日」じゃないのにな〜って思ってました。

 確かに店にもオードリーが実際に来店してた時代を知ってる人などはもういないだろうし、だんだん情報がいい加減になっていくのでしょうけど、1958年頃の画像に1952年の逸話をくっつけるのはどうよ?と思ってました。

 それに “オードリーが愛したローマ” と謳ってるので、オードリーが実際に住んでいたアンドレア・ドッティとの結婚生活時代の話が出てくるのかとそちらを期待していたのに、一言も出ませんでした。
 その時代のオードリーこそが一番ファンにも知られてなくて、興味があったのに…。

 結局最後まで見ても、オードリーがローマを愛していたってことは何の根拠も示されずに、「ローマの休日」ロケ地めぐりと撮影中の1952年の話に終始していただけでした。
 それに、「戦争と平和」(1955年撮影)や「尼僧物語」(1958年撮影)での撮影でもオードリーはチネチッタ撮影所のあるローマにいたのに、そういうことも全く無し(あのレストランの画像は、むしろ「尼僧物語」撮影中の頃ではないでしょうか)。

 今のマルグッタ街51番地が初めて写ったり、アン王女が睡眠薬が効いてきて、凱旋門前で寝ていた場所が今は道が無くなっている、というのがわかった映像はよかったですが、“オードリーが愛した” ってのは大風呂敷広げた割りにナレーションでも全然見えてこなかったので、印象はまあまあという程度です。

 ※明日も記事をアップします。


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