2020年03月14日

「マイ・フェア・レディ」1970年ミニカレンダー

 NHKの「よみがえるオードリー・ヘプバーン」という番組ですが、やはり予想通りカズ・ヒロさんのお話で、オードリーは胸像を作る過程で出てきただけでしたね。

 それと、番組の皆さんはオードリーの胸像を絶賛してましたけど、僕には2体ともあんまり似てるようには思えませんでした。
 部分部分では似ている部分もあるのですが、トータルすると何かオードリーの持つ生命力というか溌剌とした感じが完全に無いのが気になりました。

 特に若い方のオードリーは全然生きた感じが無かったです。それにあまりにも西洋人っぽさが前に出てるのも違うかなーと。
 後年のオードリーの方はまだ雰囲気はありましたが、オードリーの持つ慈愛が抜け落ちてる感じでしたね。
 カズ・ヒロさんには大変申し訳ないのですが…。

「マイ・フェア・レディ」1970年ミニカレンダー 今回は1969年にリバイバルされた「マイ・フェア・レディ」の販促物として配られた、1970年のミニカレンダーを紹介。

 こういう販促物、昔はよくありましたよね。薬屋さんとかでも配られていました。
 サイズはクレジットカードや病院の診察券くらい。

 「マイ・フェア・レディ」は1964年12月1日から1965年のお正月映画として東京の有楽座、大阪キタの梅田劇場、大阪ミナミの千日前スバル座から大々的にロードショーがスタートしました。

 結果は64年・65年両方の年で配給収入第2位になるほどの大ヒット!
 トータルでも当時の日本の全公開洋画の中でも第4位になるほどの特大ヒットになっています。もちろんオードリー作品でも最大のヒット!

 そんな超大ヒットの「マイ・フェア・レディ」なので、初公開からわずか5年で1969年の年末に今度は1970年のお正月映画としてリバイバル公開されています。

 初公開は東宝で公開されましたが、この1969年のリバイバルは松竹系。リバイバルにもかかわらず、東京では松竹で最も格の高い&収容人数の多い丸の内ピカデリーで公開されています。それだけ期待されていたんでしょうねー。

 また実際、出回っている1969年のパンフレット(初公開時と同じ海外版の翻訳物だが、表紙を開くとリバイバル版はアカデミー賞が印刷されている)の数をみると、大ヒットしたんだろうなーとわかります。

 そんな期待の「マイ・フェア・レディ」の販促のために用意されたこのミニカレンダー。
 1970年といえば大阪万博の年でもありますし、高度成長期の中、日本中が期待で活気に満ち溢れていた頃ですね。

 そして裏面の宣伝はCBSソニーの「マイ・フェア・レディ」のオリジナル・サウンドトラック・レコードの宣伝なんですが、CBSソニーって権利元なのに「マイ・フェア・レディー」って最後に伸ばしの棒がついて誤表記になってしまってるのがご愛嬌。

 サントラLP盤の値段は2100円ってなってますけど、これ、当時の物価から考えるとそんなに安くはないと思うんですよね。

「マイ・フェア・レディ」1970年ミニカレンダー 1969年当時の大卒初任給が34100円だそうなので、レコードも今の価値だと1万2000円超え!?結構 “よいしょ!”と思わないと買えない値段。

 当時は家にステレオセットがあることがステイタスの1つでしたから、まあレコードもこういう値段だったんですかね。

 ちなみにEP盤も600円、400円になってますから、それぞれ今の3500円、2300円相当。たかーい!

 さて、ここでも大ヒットした「マイ・フェア・レディ」、「風と共に去りぬ」のように数年おきにリバイバルしても稼げると思ったのか、この後1974年、1977年、1981年とムチャなリバイバルを繰り返します。

 「観客は7年で入れ替わる」と言われるように、たった3〜5年おきのリバイバルは作品を疲弊させてしまいます。
 そんなに短期間に何度も来ても、オードリーのファンですら行かなくなりますよね。

 最近では「午前十時の映画祭」が10年で6回も「ローマの休日」を取り上げて、作品を疲弊させていましたね。

 なので1981年のテアトル東京&大阪OS劇場でのリバイバルなどでは出回ってるパンフレットの数も少ないですし、おそらく相当劇場はスカスカだったと思われます。

 同じように「ローマの休日」も1970年、1973年、1977年と超短期間でリバイバルしてて、こちらもどんどんお客さんが減っていったようです。

 短期間で何度も公開する配給会社側が悪いのに、結果的に“オードリー・ヘプバーンではもうお客が呼べない”という映画会社側の誤った認識になってしまって、その後オードリーが長い間不遇をかこったのは僕なんかはリアルタイムで感じてました。

 再びオードリーが脚光を浴びるのは、85年から「噂の二人」からリバイバルをスタートさせた日本ヘラルド映画さんのおかげですよね。

 日本ヘラルドさんは「尼僧物語」「許されざる者」と「ロビンとマリアン」以降の作品を除く、主演14本をリバイバル。
 オードリーにパワーがないのではなく、配給会社の興行の方法がマズかったのを見事に証明してみせましたよね。


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この記事へのコメント
カズ・ヒロさんの番組、観ました。
作品としては素晴らしいし、作製過程もとても面白かったです。
しかし、二つ並べて展示された左やや斜めの横顔(オードリィおなじみの角度)
似ていないな~というのが第一印象でした。
なぜなんでしょうね?
パーツそれぞれはなるほどと思うのですが・・・
なぜ似ていないのかよく分かりません。目?眉毛?鼻?

よく海外のサイトでティファニーのホリーに扮したオードリィの蝋人形(マネキン?)やそれと一緒にポーズとる人の写真を見かけますが、
あの人形もさっぱり似ていなくて、格好で分かるだけなんです。
スイスのオードリー博物館(だっけ?)に胸像がありましたよね?
今、どこにあるのか知りませんが、あれも全然似ていなくて、なぜ?でした。
海外の画家やイラストレータのスケッチしかり・・・
海外の人には、僕らと違うように目に映るのでしょうか?

今回のカズさんの作品は、実際に真近に見たら違うのかもしれません。
角度を変えたり照明の加減で印象が違うのかも・・・
で、僕も晩年のほうが比較的似ていると思いました。
でシャーリーズ・セロンも言うように、そちらをよく見てしまいますね。
背景を感じさせる何かがあるというのかな・・・
あえて言うなら、晩年のほうは眉と目の下側のアイラインが違うかなと。
若いほうはなぜ”違う”のか分かりません。
しかし静脈を描くために最初にブルーを吹き付けて、
毛細血管を次工程で表現して・・・とかびっくりでした。
産毛の表現もスゴイし、眼球の血管(京都の着物生地)とかもね。
あ、眼の色は正しく表現されていましたね。ヘイゼル(茶色主体で光線の加減ではブルーグリーン)

でもでも、すごく個性的なのに誰がやってもなぜ似てこないんだろう?
マリリンだと違和感なくなるほど作品が多いのに・・・
僕らがファンだから厳しく見てるから?
アートにすると何か抜け落ちる要素が大きいから?
う~ん・・・

今まで似ているもしくはいいセンいっていると感じたのは
スクリーンなどの映画雑誌の目次やなんかで乗っているイラストでいくつかありましたが、誰だったか忘れました。というか当時意識していませんでした。
著名なイラストレーターでは和田誠さんのがあります。
皮肉にも和田さんはオードリィにはあまり肯定的ではありませんでしたが・・・
僕のおススメは・・・
①パリで一緒に 「お楽しみはこれからだ」第1巻
②麗しのサブリナ 同上第3巻
③67年はじめ頃のポートレート 同上第4巻
あと「昼下りの情事」アリアーヌは複数の媒体に登場しているのですが、
どれもいい感じです。
逆に「マイ・フェア・レディ」になるとそれ誰?状態のものが多いです。
あまりファンでない方だから客観的に見れるのかなとも思いましたが、
対象に愛があるほうが、やはり本質を掴むような気もします。
機会があれば見てください。

顔の輪郭だけでなく、目元や鼻をどう描くか
目元を吊り上げるのは間違いのもとだけど、難しいところですよね。
鼻孔の大きさも同様で、ここを描くとダメなんですよね・・・
う~ん、分からん

WOWOWで「ハリウッド映画の一世紀」という番組をやっていて、
60年代の回で、「ティファニーで朝食を」「マイ・フェア・レディ」が取り上げられました。
やはりこの2作品は強いですね。
「マイ・フェア・レディ」の当時の熱狂ぶりはすごくて、
アメリカでも劇場前に1万数千人の少女が押しかけてきて、
まるでビートルズが来たのかというような騒ぎだったとか。
しかし、日本では歴代4位のヒットだったんですね。
ただ日米ともにどうもバッシングやメリーポピンズ持ち上げ気風が出来上がっていて、どこか否定的な風潮がずぅっと続いてしまったのが残念でなりません。
「ティファニーで朝食を」では、ジュリア・ロバーツがコメントで出演していて、
「彼女のあの明るさが何よりいいの。それにとても繊細な演技をする人よ」
で、今回も出ましたよ~あの発言
「オードリーの映画には駄作なんて一本もないの」
僕も主演作品の【傑作の森】状態が、最初に惹かれる要素だったんだけれども、
前にも書いたように「あれれ?ビミョーなのあるよなぁ」
多くの人にそのことを忘れ去てしまうマジックのような魅力があるのかもしれませんね。
それに魅了する大きな要素に”明るさ”というのは、僕も感じますね。
前向きな姿勢とか微笑や選んだ役柄(それが悲劇的であっても)
例えば「暗くなるまで待って」の主人公を気の毒だなんてぜぇ~んぜん感じさせませんもの。
あとボグダノヴィッチ監督が、
「あんなに病弱でタバコ中毒な彼女が、カメラが回りだすと(そういったものを一切感じさせず)、逆に芯の強さを発揮するのがとにかく凄い」
というようなことを言っていました。
カズ・ヒロさんの作品は、そういった“ひそかな強さ”のようなものも表現できていたと思います。
各パーツの造形や質感、可憐さや表情に加えて、例えば顎のラインとか口元など意志の出そうな場所に感じさせるものがありました。
それでも似てこないというのが僕には分かりません。
他の作品、リンカーンやダリやフリーダそれにジミヘンには素直に頷けるのですが・・・
やっぱりファンの欲目なのかなァ~
(・・・いやいや、違うと抵抗したい)
Posted by まる at 2020年03月15日 17:56
うおおおお、まるさん、長文をありがとうございます!!(^-^

そうですよねー。カズ・ヒロさんの作品、目のアップなどでは「あっ!オードリー!」と思うのですが、全体でみるとなんか違う。
どこが違うって言えないんですが、本当になんか違う。全然オードリーの魂というか、オードリーらしさが微塵もない。

鼻は違いましたね。オードリーが左側から撮られるのが多いというのは気づいてらっしゃったようなのですが、それを顔の筋肉の違いだと捉えてしまって、鼻が左右で違うというのは気づかなかったようです。
どちらの胸像も、正面から見ると、鼻がまっすぐなんです。オードリーが気にした鼻筋がまっすぐじゃないというのが残念ながらお気づきにならなかったようで…。
なので、右から見ても鼻が綺麗。これはオードリーじゃありません。
そういえば、途中で「ティファニーで朝食を」の裏焼き写真(本来右から撮られた写真)を見て作っていたシーンがありました。

それとどちらにも気品が足りなかったように思います。
でも目がヘーゼルになってたって気づいたまるさんもすごいですし、カズ・ヒロさんも凄いですね!

それと、世界各地にあるオードリーの人形や銅像がまるで似てないというのは、僕も思ってました。
今までは結局、それらを作った人は「お仕事」で作っているだけで、オードリーに対して、愛情や思い入れが無いからだと判断して割り切ってました。
ということは、結局カズ・ヒロさんもそういうことになるのでしょうかねー。

まあ作品にはどうしてもその人なりの感性や特徴が入ってきてしまうし、また限界にもなってしまうので、“蝋人形を作った人のオードリー”、“スイスの胸像を作った人のオードリー”、そして今回は “カズ・ヒロさんのオードリー”ということになるんでしょうかね。
詳しく知らないそれ以外の作品が素晴らしいのに…と思うってしまうのは、僕も同じでした。

それと、マリリンだと似るのに、オードリーだと…というのも本当だ!と思いました。
やはりマリリンほどオードリーが一般的な認知度がないのでしょうか。作っている男性の性的な興奮を作り出さないので、思い入れが少なくなるのも似ない理由の一つなのかも…。

まるさんに挙げていただいたイラストはどれも存じ上げなくてすみませんー。ホント、機会があれば見てみたいですね。
それと「昼下りの情事」は似るのに、「マイ・フェア・レディ」は似ないというのも、ふんふんって納得してしまいました。
「マイ・フェア・レディ」は衣装が特徴的なので、愛がなくても描きやすいからでしょうかね。

WOWOWの番組は見れていませんが、「マイ・フェア・レディ」のアメリカでの熱狂ぶりを教えていただいて嬉しいです!
そんなにみんな見にきてくれてたと知って、なんか心のつかえが取れたようです。批判ばっかりかと思っていたので…。(T T

日本で第4位だったというのはキネマ旬報で書いてることなので、間違いはまずないと思います。確か「ベン・ハー」「史上最大の作戦」「007サンダーボール作戦」に次いでだったかと。
あの「ウエストサイド物語」や「アラビアのロレンス」などよりもヒットだったというのが凄いことですよね。

「オードリーの映画には駄作が一本もない」という発言、昔からありますよね。それを見る度に「緑の館」がスーッと頭をよぎります。
「パリで一緒に」「華麗なる相続人」「ニューヨークの恋人たち」は駄作ではなく凡作だし、「緑の館」はオードリーの美しさで見せてしまうので、まあ確かにオードリーのイメージを貶める作品は1本もないのですが。なので、駄作がない=イメージを落とす作品はない と置き換えて読んでます。

そして「暗くなるまで待って」を気の毒だと思わない…。確かにそうですよね。スージーがなぜ盲目になったのかとかの身の上話をしていても、スージーの健気さで気の毒だとは思わせないですよね。
スージーを演じていても重くならないのがオードリーの特徴のひとつであり、オードリーが適役だった理由のひとつですよね。
Posted by みつおみつお at 2020年03月15日 21:51
病み上がりに長文読ませてスミマセン
つい調子に乗ってしまいました。

駄作がない=イメージを落とす作品はない なぁるほどそういう解釈でいけばいいですね。
ジャングルガールが真夏のパリで社長になったら皆が笑った
(愛すべき)失敗作かもしれないけれど、駄作ってことはないですもんね。
Posted by まる at 2020年03月16日 21:01
まるさん、もうかなり元気ですよ!
それに安静にしとかないといけないからこそ、ゆっくり読めるまるさんの長文はありがたいですよー。(^-^)

ジャングル・ガールのくだりは巧い!
そうですよ、「パリで一緒に」なんて僕らは大好きですもんね!(*^^*)
Posted by みつおみつお at 2020年03月17日 18:34
「公衆の眼」(後の「フォロー・ミー」)の依頼は1962〜63年頃にはあったはずで、当時の雑誌にも載っていました。
1963年にオードリーが出演するはずだった作品は、「ハワイ」「卑怯者の勲章」それと「公衆の眼」だったはずで(そんなにたくさん出演できるわけもないのですが)、それらはずべて「マイ・フェア・レディ」出演決定のためにキャンセルされました。それだけオードリーはイライザ役に賭けてたんでしょうねー。

ちなみに断った3作品は、全てジュリー・アンドリュースに回ったそうですが、「公衆の眼」だけはジュリーも結局出演してませんね。

でも昔の「スクリーン」とかを見ていても、「フォロー・ミー」はバイクに二人乗りしてるイメージで、なんかオードリーでは想像できませんねー。
でもオードリーは1967年以降しばらく引退する時に、「今後私の役はミア・ファローがやってくれるでしょう」って発言してましたが、どうもミアだと神経質というか、エキセントリックな感じがオードリーとは違いますよね。

「公衆の眼」の企画が出た当時の世間的には清純派や細い役をオファーするのは、オードリー・ヘプバーン→ジュリー・アンドリュース→ミア・ファローの流れだったんでしょうかね。
でもオードリーは引退、ジュリーはすぐに大コケ、ミアは「ローズマリーの赤ちゃん」で違うとわかって、70年代はその流れを汲む女優さんがいなくなりましたよね。
Posted by みつおみつお at 2020年03月18日 12:06
何と「公衆の眼」の話はそんな以前だったのですか!そう言えばやはり'70年代の前半に神田神保町や近所の古書店で「スクリーン」の'60年代バックナンバーをかなり買い求めたのですが、その中に記事があったかも。その頃だと「パリで一緒に」→「酷暑のパリ」「サウンド~」→「音楽の響き」なんて仮題が付いていたのも記憶が。'65年の何月号だったか兄がNYから投稿したのが掲載され(表紙はオードリー)、それを探し回ったのでした。

ピーター・シェーファーの戯曲の映画化は多いですが、個人的な意見ですが「アマデウス」を筆頭にやはり舞台が最上と思っています。もっとも「公衆の眼」は未見ですが。

オードリーがミア・ファローをそんなに評価してたとは。ブレイクが「ローズマリー~」ですから、最初からエキセントリックな印象で。余談ですがミアがアンドレ・プレヴィンとロンドン市内を散歩していて、不作法な若いカップルに
「アンタ、ミア・ファローでしょ?」と問われ
「いいえ、リズ・テイラーよ!」なんてやり返したとか。プレヴィンが
「僕はレナード・バーンスタインだよ」と言ったかは不明です(笑)。
Posted by Edipo Re at 2020年03月18日 14:07
「酷暑のパリ」!ありましたねー。まあ原題がそういうニュアンスですもんね。“シズルス”が当時はうまく説明できなかったでしょうねー。
「音楽の響き」も確かにその通りなんですが、雰囲気はまるで違いますよね。(^-^;)

お兄さんの投稿、どんな内容だったんでしょうか?でも65年の「スクリーン」も「映画の友」もあんまり持ってないなー。(-_-;)

僕もオードリーがミア・ファローをそんな風に思ってたとは意外です。
オードリーがミアの役をしたり、ミアがオードリーの役をするとか考えられませんもんね。細い、という以外、共通点がないような…。

街中での不躾な人の話、オードリーにもありましたよね。
「白状しちゃいなさいよ!あなたオードリー・ヘプバーンでしょ!」というオバサンに、オードリーは「違います!」と言ってその場を去ったそうですが、ミアはやり返すんですね。その辺がミアとオードリーの違いかも。
Posted by みつおみつお at 2020年03月19日 15:15
やはり「スクリーン」の記事で「さすらいの二人」「暗くなるまで待て」の仮題も記憶しています。まあ正式な邦題の決まる前の逐語訳ですから。

愚兄の投稿ですが「オン・ザ・ブロードウェイ」なる気取ったタイトルで、エリア・カザン「アメリカ アメリカ」のギリシャ人主人公に自らを準えた書き出しでNYでの映画三昧を記していたと記憶しています。口をあんぐりするような豪華な劇場からロビーもろくに無い簡素な小屋まであったとか。

最初に観たのはレスリー・キャロン主演の日本未公開作「L字形の部屋」だったとか。そう言えば「恋の手ほどき(Gigi)」は舞台でオードリーの主演だったのですね。「マイ・フェア・レディ」のオードリーの美しさに胸ときめいたとも。後日談ですが$=¥360の時代でしたが稿料が送金出来ないので、近代映画社から日本茶が一缶送られて来たと。ちなみに本人は古稀を過ぎ、豪ブリスベンで悠々自適?です。

ミア・ファローは芸能一家の生まれですから、幼少からいろいろ鍛えられていたのでしょうか。また父親ほどの年齢のフランク・シナトラと初婚で、プレヴィンと離婚の際も国外で一方的に届を提出したとか。ウッディ・アレンとの諸々も性格のキツさの現れかも。離婚のつど一層やせ細っていたオードリーとはやはり違うみたいで。ただしオードリーが亡くなったかなり後、ユニセフ親善大使に就任しているのがもしかしたら後継者たる点でしょうか…。
Posted by Edipo Re at 2020年03月20日 00:44
あー、Edipo Reさん、ありましたありました!
特に「さすらいの二人」はプレスシートが出る寸前まで20世紀フォックス公式の仮題でしたね。
まあ「いつも2人で」もインパクト弱い題名ですけど、「さすらいの二人」よりはだいぶマシです。

お兄さんの投稿は、アメリカのレポート記事みたいになってたんですね!
当時は海外で生活されてる方は少なかったでしょうから、貴重な記事だったんでしょうね。「マイ・フェア・レディ」が書かれてるのが嬉しい!
でも現在もオーストラリアで暮らしてるんですね!
僕の妹もオーストラリアで生活してますが、今はやっぱり新型コロナで買い占めが発生して大変なようです。

そういえばミアはプレヴィンやウッディ・アレンと結婚してたんでしたね!確かに気はキツそうだし、すぐに夫には当たり散らしそうですね。
オードリーはずっと一歩引いてそうですけど、限界に達すると毅然と関係を断ちそうです。結局どっちもこわい笑。
でも最後がユニセフ親善大使になってたなんて、ぐるっと回って繋がってたんですね!なんかいいお話ですね。
Posted by みつおみつお at 2020年03月20日 09:39
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