2022年05月16日

映画「オードリー・ヘプバーン」シネ・リーブル神戸版チラシ

映画「オードリー・ヘプバーン」シネ・リーブル神戸版チラシ 今回は現在公開中の映画「オードリー・ヘプバーン」のチラシを紹介。

 これ、なかなか手に入れられなかったんですよーっ!
 大阪梅田に出たときに大阪ステーションシティシネマでもらってこようと思っていたのにケロッと忘れていたり、TOHOシネマズなんばで「いつも2人で」を見に行ったときには別館でも本館でも “無いんです”と言われてしまったり。

 でもチラシの配布って映画が公開する前までなんで、ヤバイと思ってシネ・リーブル神戸に行ってきました。
 そこでもチラシの置いてあるコーナーには無くって、映画館の人に伺ったら、外に置いてある分はなくなったけど中の壁際にあるかも、と教えていただいてやっと見つかったのがこれというわけです。

 でもこのチラシ、館名を入れるスペースが裏にも表にもないですねー。
 このシネ・リーブル神戸の館名は裏面のわずかな空きスペースにスタンプで押されています。
 大阪ステーションシティシネマのとかはどうだったんだろう…。

 メインイメージはいつもの「麗しのサブリナ」の宣伝写真のもの。
 眉も全部の映画の中で最も太く、唇も全ての映画の中で最も厚く描かれてますよね。口紅は唇をわざとはみ出るように塗られています。
 これが「麗しのサブリナ」の時期のオードリーお抱えのアルベルト・デ・ロッシによるメイクですね。

 さて今回、映画を見て思ったのは、アーカイブ映像は物凄い貴重ですごいんですけど、インタビューされた人やナレーターが喋ってる内容はいたって普通だったこと。
 これは誰が悪いわけではなく、オードリーのコアなファンだともう既に知っている内容を映像でなぞっているだけにも思えました。

 もちろん、愛情に飢えていたオードリーのことを言われて、その立場になるとうるうるきちゃうんですが、全く知らなかった!ということはなかったです。
 これは単に僕がオードリーのことを調べすぎているからで、一般のライトなオードリー・ファンが見たときは、もちろん新しく聞くことは多いと思います。

 でも気になったのは「ティファニーで朝食を」の身内の試写で、「ムーン・リバー」をカットすると言われたときにオードリーが立ち上がって怒ったという例のエピソードですね。あー、これやっちゃうんや、みたいな。

 これはプロデューサーだったリチャード・シェファードが、「ティファニーで朝食を」のブルーレイの音声解説で “自分が言った”と言ってるのに、まだオードリーが言ったことにするんや、みたいな。

 まあ確かにプロデューサーが言うよりオードリーが言ったほうが劇的なんでしょうが、現場にいた人が違うって言ってるのに、そういうのは調べてないんか、みたいな。

 それを否定もしない息子のショーンは、やっぱり “女優オードリー”に関してはあんまり詳しくない、というのを露呈してるかなーと思いました。
 もちろんオードリーには芯があった、というのは否定しませんけどね。

 あと、オードリーの両親が2人もオードリーを愛してなかったというのは言い過ぎ!だと思いました。
 本当にヴィクトリア朝の時代の人に育てられたオードリーの両親は、愛情はあっても厳しかったんだと思います。

 愛情は物凄いあるのに、それをオードリーに見せることは自分たちが育てられた時の規範として出来なかったんですよね。
 だからそれは両親とも苦しかったと思います。

 実際、オードリーの父ジョゼフはオードリーではなくロバート・ウォルダーズに死去する際にオードリーへの愛情を伝えてますよね。
 一度は捨てたはずのオードリーに“愛してるよ”とはあまりにも後ろめたく、態度でも言葉でも表すことができなかったんだろうなーと思います。

 母のエラはオードリーが生まれた時から“可愛い可愛い”と手紙に書いてますし、「パリの恋人」でエラと友人になった脚本家のレナード・ガーシュにもオードリーへの愛情を話していますが、やはりこれまた本人には愛情を表せないままに死去、という現実。

 でもオードリー自身も目に見えない母エラの愛情は伝わってたと思いますよね。加藤タキさんへ送った手紙には母のエラが亡くなった時は悲しいと書いてますもんね。

映画「オードリー・ヘプバーン」シネ・リーブル神戸版チラシ 多分オードリーはギュッとハグしてお互いにいっぱい話をして笑いあって…と愛情を見せてもらいたかったんだろうと思いますけど、両親から愛情を受けてなかった、ということはさすがにないでしょー!

 そういう部分でオードリーがメル・ファーラーに惹かれたというのはわかりますよね。オードリーがメル・ファーラーと結婚したとき、ちょうどメルの年齢は失踪した父くらいの年齢なんですよね。

 きっと最初の頃のメルはオードリーをギュッとしてくれたでしょうし、楽しく話をして笑いあって…とオードリーが求めていた愛情がそこにあったんだと思います。守られてるだけで幸せだったんでしょう。

 でも長年連れ添ってくると、オードリーに対する愛情の傘を広げてくれていたメル・ファーラーも、いつしかオードリーを自分に従わそうとする占有欲の強い独裁者みたいになってきて、“夫婦”という関係でベストな状態を作ろうとした30代になったオードリーにはちょっと違うってことになってきたんだろうなーと思います。

 逆に対等であろうとした2番目の夫アンドレア・ドッティに関しては、今度はあまりにもオードリーは神々しすぎたのかもしれない。
 だってですね、家に40代のオードリーがいるんですよ!?“可愛い!ナデナデ”ってオードリーに出来ます??

 まあ僕ならたとえ中学時代であってもドッティと同じ年齢であってもなでなで出来る自信がありますけど、というかむしろそうしたいですけど、今度は40代のオードリーだったらそういうのは逆に嫌がるかもしれないですよね汗。

 まあ映画で言ってた200人以上の女の人とデートしていたドッティってのもええええっ!そんなに!?って思いましたけど、パーッと遊びたいドッティからしたら、家でじっとしてたいオードリーは連れ歩くには向いてないんでしょうね。

 僕ならオードリーと昼間に色々観光したいですけど、ドッティがしたいのは夜遊びだから、まあ難しいですよね。オードリーもドッティも相手に合わすのは難しい。

 でもメルもドッティもオードリーへの愛情をなくしてたわけじゃなかったみたいなので、それならもっとオードリーを大事にして欲しかったです。

 あと、今回もショーンだけで、次男のルカが全然出てきませんでしたよね。

 2017年に遺産相続の争いに終止符、とかって記事が出てたのに、そこでもまだ火種が燻っているのは感じましたし、2019年にはこんなのも出てました。(こちらも

 もう兄弟の仲は修復できなさそう…と思うと悲しくなりますね。まさかオードリーの息子2人が泥沼の争いになるなんて、思いもしませんでした。

 オードリーはもっと思ってなかったと思います。今生きてたら、まさかあんなに仲の良かった自分の子ども2人が自分の権利のことで裁判沙汰だなんて、どんなに悲しい顔をすることかと思ってしまいますよね。草葉の陰でオードリー泣いてるよ、ホントに…。

 2009年の「オードリーのローマ」展の時が最後の仲のいい兄弟だったんでしょうね。もう10年以上絶縁状態なんでしょうか…。

 ショーンは今回の映画でも “みんながオードリーを囲んで”と最期のオードリーを看取ったことを言ってましたが、ショーン自身の書いた本では急に呼ばれた、となっていて、あれ、ちょっと違うやん、と思いました。ましてやルカは自分の本でショーンに言われて映画館で過ごしている時にオードリーが亡くなった知らせを聞いたって書いてますしね。ルカのことはなかったことになってますやん。

 なんかコアなファンになると、そういう裏側もわかってしまうのが悲しいです。


同じカテゴリー(その他のパンフ・ポスター・チラシ)の記事
 1989年「パリ名画ウィーク」チラシ (2024-09-12 18:00)
 1982年〜84年 神戸名画サロン (2024-07-28 18:00)
 1994年「オードリー・ヘプバーンの世界展」チラシ (2024-06-20 18:00)
 1994年「オードリー・ヘップバーン ボブ・ウィロビー写真展」チラシ (2024-06-14 19:00)
 1978年「水野晴郎のおしゃべりによる 映画名場面音楽集」ポスター (2023-11-09 20:00)
 2003「ローマの休日」DVD発売 パラマウント版チラシ (2023-06-11 21:00)

この記事へのコメント
みつおさん、やっぱ200でしたよね?
僕は字幕読み間違えたかと思っていて敢えて書きませんでしたが、
20人かと自分に納得させていました。それでも多いよぉ・・・
本作、先にも書きましたが好印象で後半は感動しましたが、
僕も内容的には新鮮なものはなく、その点は普通かな~とは思ってました。
本物の資料映像が持つ説得力と語り口のせいなのか、単に自分が歳を取って涙腺が緩くなっているのか分かりません。
話している内容と資料映像のリンクにハマったんじゃないかな~ということにしておきます。
これまでオードリィのドキュメンタリー何本か観てますが、一ミリも感動してこなかったので今回は嬉しい誤算でしたよ~
(あ、でも日本のTVで、ルカ側の立場からの番組で、お孫さんが墓参りして泣いているのがありましたが、あれにはちょっとうるっときました)
で今回ので得た新情報は、それこそ200人ですね、これはヒドイ、呆れてしまうし、あまりにひどくて笑ってしまいます。奴はカサノバか?
アンドレアはなかなかのイケメンですけど、オードリィとは合わんでしょう。
ルカには悪いけど結婚したのが間違いだったと思います。悪い人ではないのは複数の表記からも分かりますが、絶賛恋愛中だと過去の経験があっても見えてこないことがありますよね。
僕はアンドレアも含めて、オードリィの夫二人を悪者とは思えないので、あまりに否定的な表現がなされると残念に思うことがあります。
特にメルにはある意味同情的になるんです。風采はあまり好きではなく、オードリィの(スターとしての)最盛期にやたら隣に写っているのが邪魔で邪魔で、いなくなればいいとさえ思っていたのにゲンキンですよね~
同業者っていうのがまず良くなかったんじゃないでしょうか。
最初は父親の不在を埋めてくれるような存在かつ尊敬できる指導者で包容力もあったけど、そのうちにパワーバランスが崩れて格差婚のような状態に陥っていく、辛いですよぉこれは・・・
かかってくる電話が自分(メル)ではなく妻ばかりを必要としてくる・・・
どんなに愛を誓っていても、捻じれたバランスが何年も続いていくと誰だってスポイルされていくのではないでしょうか、ましてや最初はヒギンズ教授のような立場だったのなら尚更でしょうね。結局メルは今でいうモラハラのような夫になってしまっていたんでしょう。
でもオードリィはメルに関しては頑なに避け続けていたんですよね~ショーンの胸中いかばかりかとよく思うのですが、母オードリィと一番長く共にいたわけですから必ずそのあたりは心開いて話し合ってきたのでしょうし、当事者以外には分からない何かがあるのでしょうね。
父ジョーゼフについては掴みどころがなく、実は結構スルーしてきました。
僕も今回、死の直前にロビーにオードリィへの愛と後悔を伝えた話を思い出していました。すっかり忘れていました。僕はその程度だったんです。ただジョーゼフって1980年に亡くなったんですよね。ロビーとの交際開始も1980年、まぁギリで重なりますが、そんな重大な立ち合いかつダブリンまで出かけるようなご足労を、まだ付き合い初めの恋人に依頼するものなんですねぇと今更ながら妙に感心しました。信頼の度合いが確信的だったんですね。
母エラはどうして肝心の本人へ愛情を表現できなかったのか不思議で仕様がなかったのですが、そういう不器用な方って意外といるのですよ。
僕の祖母と母がまさにそんな関係でした。いくら僕が母に伝えてもやはり本人が示してあげないと、息子のお愛想に過ぎない感じでもどかしかったです。態度に出さなくても伝わっていればいいですが、オードリィの場合は絶対に周囲の人が色んな形で伝えてくれていたはずですし、届いていたと信じたいですね。
イメージ映像が不要と書きましたが、なかでも父親の家出のシーンが嫌で、あぁもうやめてと心で叫んでいました。茶番ですよね、アレ。
でもバレリーナの大人二人はどうやら錚々たる方のようですね。

話は別になりますが、最近wikiでオードリィの記事を見たら、内容がかなり変わっていました。実は前からかもしれませんが、随分詳しく充実した内容になっています。
各映画作品についてもかなり変わっています。全体的に良くなっている印象です。公開日あたりになると僕は良く分からないのでそのへんはみつおさんからしたらミスの指摘があるのかもしれません。
で、「いつも2人で」についてもまたまた内容が変わっています。
スピルバーグ監督のエピソード≪リトマス試験紙≫が載っていることからすると改変はつい最近のような気がします。
いずれについてもみつさんは無関係です・・よね?
Posted by まる at 2022年05月16日 22:25
まるさん、こんばんは!

ええ、200人って言ってました!僕もせいぜい20人くらいの女性と浮名を流していたのかと思っていたので、ケタが1つ違っていてのけぞりました。ルカの本でも“父がおびただしい不貞を働いた”と書いてありましたけど、まさかこれほどまでとは思っていませんでした。むしろ、よくオードリーは80年の別居まで続いたなーと思います。愛想をつかしてウォルダーズへ気持ちが動いたのも仕方ないと思います。
でも、今回ルカは関わってなさそうなのに、こんなドッティのプライベートな内容をさらけ出してしまっていいんでしょうか?

あの映画でウルウルきたのはまるさんだけじゃないですよー。なんかツイッターとかでは号泣してる人とか居たそうです。
僕もオードリーの立場に立ったら、自分に向けられてる愛情の無さに荒涼としたオードリーの気持ちになってしまって、ものすごく苦しくなりました。あー、こんな気持ちでオードリーは居たんや…と。本当にオードリーをぎゅっと抱きしめたくなりました。
オードリーが最後のクリスマスで、今年のクリスマスが一番幸せだった、と言ったときに、ショーンがなぜ?と訊いたら、こんなにも私が愛されていたのがわかったからと言ってたというのがよくわかった気がしました。
まあだからこそショーンとルカが仲違いするのをやめて欲しいんですけどね。

でもメルもドッティもオードリーへの愛情を失っているようには思えなかったので、僕もあんまり悪人には思えないんですよね。
メル・ファーラーも、オードリーが映画史に残る大スターになるなら、僕が専業主夫になるよ!みたいな自分を引くことができたら良かったんでしょうけど、結婚した当初の関係や、自分の方がずっと年上だったということから出来なかったんだろうなーと思います。昔の人だから、男女の役割もこうだ!って意識があったでしょうしね。どうあがいてもオードリーのレベルには行けそうも無いのに、やっぱり認めたくなかったんでしょうね。
まるさんのおっしゃるモラハラ、というのがピッタリきますね。こじれたヒギンズですね。
メルトは会おうとしなかったというのは、やっぱりオードリーの結婚観を壊した人間だからでしょうね。結婚はお互いのどちらかが死ぬまで続くと思っていたし、そうしようとしていたのに、結局自分の両親みたいになってしまったから、許せなかったのか、それとも会うと挫折感を味わってしまうだけだからなのか…。

オードリーの父が亡くなったのは1980年でしたか。
まあエラより早いわけだし、そんなものですよね。でもまだ戸籍上はドッティ夫人だったのに、ロブを伴ったというのは確かにびっくりですよね。
エラは、オードリーと一緒に写っている写真が多いので、ハイアムの伝記が出るまでは、愛情を表現できない間柄だったとは思いもしませんでしたよね。きっと冗談を言ったりし合える仲のいい親子だと思っていたので…。
現実ではそういえば僕と父もそんな感じだったっけ、と思っていました。でも僕が父が入院していた病院で父の背中を拭いてあげたときに、後で母から父が僕に背中を拭いてもらったと話していたと聞いたので、やっぱり態度で出さなくても、他の人からオードリーにも伝わってたと思います。
でも本当に今はみんな天国で愛情を素直に表現できていると思いたいです。エラとオードリーは笑いあってて欲しいですし、メルとももう一度笑顔で話をしていて欲しいです。

父の家出のシーンは確かになぜかバレエの動きを入れたりして、バレエを見ない人間からするとどうにもチグハグでしたよね。あれはせっかく話に入っていた僕らを急に映画館の観客に引き戻してしまうマズイ演出だったと思います。家出は家出、バレエはバレエでやった方がまだマシですよね。でも正直バレエシーンは全部不要なような…。映画を見ながら、バレエのシーンを省いたら何分短縮できるんかなーとか考えていたことを白状します。
でもそうなんです!大人二人はそうそうたるバレリーナですよね。トゥを見ていたのですが、「初恋」でオードリーがやってなかったトゥでこの映画の大人は踊ってましたよね。普通にやってるけど、これってすごいことなんやなーと思ってました。

ウィキはとりあえずお答えできませんが、リトマス試験紙の話はまるさんに伺ってから僕も書いましたよ〜!
Posted by みつおみつお at 2022年05月19日 18:41
こんばんは
やっぱりそうだったんですね、ナットクです。('◇')ゞ

父ジョーゼフについて結構スルーと書いてしまいましたが、
オードリィの人生にとてつもない影を落としていたことは認識していたので、
父の不在とその後の再会(一回目)についてはずっと心に残っていたことを補足しておきます。
90年代に入ってからかな…女性記者(?)によるインタヴュー記事(FLIXでしたっけ?)で、今となっては最晩年になりますがかなり具体的な回答の内容が掲載されていたことがありました。その中で「私にとって本当に大変だったのは、戦争体験や夢の挫折ではなくて、父がいなくなったことなんです。正直なところ未だに乗り越えられていないところがあります」という言葉が今でも強烈に印象に残っています。
夫であったメルもそれがオードリィのトラウマであること、心の平安にとって深刻かつ解決すべき問題であることを悟って、いろいろと腐心したんですよね。
おそらくそんな気遣いは200人男にはなかったでしょう。
ダブリンでの再会はショーンの本でいきさつを読んでその悲しさがこれまた今でも印象に残っています。
またそのインタヴューではこんなことも言ってました。
「男性から学ぶことなんてないんじゃないかと思っています。彼らはわたしたち女性より傷つきやすい存在なのかもしれません」
これ読んだ当時、あちゃ~ってこたえました。that's tough on me...
いかに傷ついて諦めてきたのか・・・でも最後はタキさんへ理想の男として即答した”Strong Man"であるロビーに巡り合えたんですよね。
実際、ロビーといるときのオードリィの表情にいつもホッとします。
かつてオードリィは「私は一人でいることが好きなの。でもそれは孤独ということではなくて、例えば隣の部屋には大切な人がいて安心できることが分かっているような状態よ」というようなことを言ってました。なんか分かるな~
でもこれは200人男からすればもってのほかなんでしょうね。
ロビーはその状況をも作ってやれる人だんだろうなと、だから・・・うんやっぱり晩年のオードリィは(ソマリアの大ショックはあったとはいえ)幸福で充実していたんだと再認識しました。
今回のドキュメンタリーで、大成功し幸福の象徴のようだったスター女優が、実生活では愛を得られず愛に飢えて不幸だった・・・というような書かれ方や感想が見受けられるので、なんか違うなと引っ掛かっていました。いや、不幸な出来事もあったけど幸福で立派な人生を生き遂げた人だったんですよと言いたい。なんか海外の女優さんて、悲惨な人生を送った方や最期が残念な方が多いので余計にそう思うのです。

でもオードリィの考える”愛”ってどういうものだったんでしょうね?
前述の記事で「私は聖書ではないから、定義なんてできないけど・・・」って言ってた記憶があるけど、その後を忘れてしまいました。
Posted by まる at 2022年05月19日 23:58
父ジョゼフのことでは、今回の映画でオードリーはせっかく1964年に再会したけれども、父はやっぱり愛情を見せるタイプではなかったので、父は私を愛していないと泣いていた、と言ってましたね。せっかく探しあてた父だったのに、それでも愛情を見せてくれないという、トラウマの解消にはならなかったわけですよね。
でもこうしてメルが探し出してくれたおかげで、とりあえず前に進むことは出来たわけなので、オードリーにとっては良しということなんでしょうね。
それと、オードリーの父を探し出そうと思って手を尽くしてくれたのはメル・ファーラーだったわけで、64年に再会ということは動き出したのは62年か63年ということでしょうね。となるとショーンが産まれて、というやっぱりあの夫婦仲がうまくいってた時期になるんでしょうか。
そしてドッティだったら、探し出す、ということは確かにしてくれなさそう、というかそこまで気が回らないんでしょうね。

「男性から学ぶことなんてないんじゃないかと思っています。彼らはわたしたち女性より傷つきやすい存在なのかもしれません」というのは僕もかなり心に痛い言葉でした。確かにそうでしょうね。オードリーは父、メル、アンドレアと見てきてそういう悟りの境地を開いたのでしょう。もし今のショーンとルカを見たらさらにその思いを強めただろうと思います。
オードリーは頼もしい男性として好感を持っていたゲーリー・クーパーやケーリー・グラントも、その配偶者からしたらまた別の見え方をするでしょうしね。
ウォルダーズも、オードリーの死後すぐの頃の何かの本で、最後の方は何か揉め事があった的な書き方をされていたのがあったので、もし健康なままでオードリーが生きていたら別れたのかも…とモヤモヤしている自分もいます。ガンが発見されてからは再度結びつきは強くなったようですけどね。

確かに映画はそうですよね。なんか不幸の塊みたいな描かれ方をされていたオードリーですけど、そうじゃなくて、かなり幸せな人生だったと思いますよね。ヴィヴィアン・リーなんかと比較しても、相当幸せに映ります。むしろ僕はオードリーの人生は割と普通の人の人生に近いんじゃないかとも思ってて、伝記とかってどうやって盛り上げようと著者が考えてたんだろうなーと思ったりしてました。オードリー自身も、戦争や離婚はあったけれども、かなり自分は恵まれた人生を歩めたんじゃないかと晩年は感謝してたんじゃないかなーと思います。きっとそれがユニセフへの活動につながっていったんだろうと思いますね。

「私は聖書ではないから、定義なんてできないけど・・・」ってその後の文章が気になりますね〜!僕は読んだ記憶ないですねー。まあ忘れてるだけかもしれませんが…。
Posted by みつおみつお at 2022年05月20日 21:58
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。