2024年06月04日
上演70周年「オンディーヌ」が表紙の“THEATRE ART”1954年6月号
今年は舞台「オンディーヌ」上演から70周年ということで、「オンディーヌ」が表紙の“THEATRE ART”1954年6月号を紹介。
といっても、こういう海外の雑誌でありがちな、表紙はオードリーだけど中身には載ってない、というもの。
「オンディーヌ」は表紙だけです。
この表紙の写真自体はレアなものですが、この“THEATRE ART”の表紙として載っている写真集がいくつかあるので(これとかこれとかこれ)、雑誌の表紙としてはよく見るもの。
でもこれ、なんか写真が裏焼きクサイんですよね。
「デラックスカラーシネアルバム」とか見ると、海藻がオードリーの肩にかかっているのは左肩っぽいし、オードリーの髪型の分け目も逆に感じるんですよね。
メル・ファーラーとか、左右対称な衣装なので、見分けようがないし。
昔はオードリーが裏焼きだと、すぐにわかったんですが、最近のあまりの裏焼きの多さに、裏からでも見慣れてしまって、すぐに判断できなくなってきました。
本当に最近は画像の管理がなってないですね。
この号は「ジジ」の1952年の時よりもザラッとした紙(マットコート紙)が増えて、コート紙もあるんですけど、なんか質が落ちている気もします。
さて本文では現在上演中の舞台の一覧があるのですが、ブロードウェイではオンディーヌが46番通りシアターで上演中のこと、オードリーがメル・ファーラーと観客を魅了します、って書いてますが、そのすぐ下が「サブリナ・フェア」って書いてて、「麗しのサブリナ」の舞台版も上演中であることがわかります(さらにその下は「お茶と同情」)。
たぶんね、一般人から見た時系列では「ジジ」地方公演→「ローマの休日」公開→「オンディーヌ」→「麗しのサブリナ」公開なもんで、いくつかの誤ったオードリー本でも、オードリーが「麗しのサブリナ」の舞台を見て自分も演じたい、と言ったとかってデマが書かれてるんです。
でもオードリー本人の時系列で言うと、「ローマの休日」撮影→「ジジ」地方公演→「麗しのサブリナ」撮影→「オンディーヌ」だから、この段階ではとっくに「麗しのサブリナ」の撮影は終了してるんですよね。
舞台版「麗しのサブリナ」のスタートは1953年11月なんで、とっくに映画は撮影が始まってるんですよね。
別のページの広告では「オンディーヌ」のチケット料金が載っています。
「オンディーヌ」の昼興行は3.6ドル、土曜の昼興行は4.2ドル、夜興行は4.8ドルだそうです。
「ジジ」と比べると、土曜の昼が0.6ドル高くなってますね。
今見るとやすっ!て思いますけど、安くないですからね。
「ジジ」の時も書きましたが、今と物価も為替レートも違いますからね。1954年だと、大卒初任給が8700円。「ジジ」の頃よりも良くなってますね。
そしてドルの為替レートは1ドル360円だった時代。
なので「オンディーヌ」だと、昼間は30000円くらい、土曜の昼は35000円くらい、夜は40000円くらいの感覚。
これでも「ジジ」の時よりは日本が豊かになってきてますね。
まあでも、ナマのオードリーが間近で見られるんですから、そんな高くは感じないですね。
なんか中森明菜さんが今度久々にディナーショーのようなイベントをやるそうなんですが、それが約8万円なので、それに比べたらむしろお安いほうかも。
「オンディーヌ」は素晴らしい演技で、舞台で最も権威あるトニー賞の1954年の主演女優賞をもらいましたが、結果的にブロードウェイでのオードリー最後の舞台となりました。
でも「ジジ」と「オンディーヌ」しか演じていないのに、1968年にはトニー賞の特別賞をもらっているのがちょっと不思議。
「オンディーヌ」はオードリー主演でメル・ファーラーが映画化しようと、各映画スタジオに持ちかけましたが、当時はどこにも受け入れてもらえませんでしたね。
まあ1950年代の映像技術では、海の中のそれっぽさとか出すのはムリだったでしょうし、わざとらしいセットなどは当時でも滑稽だったでしょうし、映画会社の判断は正しかったと思います。
それでメル・ファーラーはもっと現実的な「緑の館」製作へと向かうのですが、今の発達したCGならむしろ「オンディーヌ」の方が説得力があったでしょうね。「オンディーヌ」を映画化するには70年早かった、というわけですね。
さて、中身には「オンディーヌ」の記事は無し、と書きましたが、“off stage…”ってページで、オードリーの写真が載っています。
キャプションでは、“オードリー・ヘプバーンは今シーズン、ほぼ全ての賞を手に入れたが、少なくとも1つの賞は逃した。今シーズンで最もソウルフルな瞳はオンディーヌのスターのものでなく、ここで一緒に写っている馬の友人のものだ。彼女のもう1人の友人はジャン・ジロドゥの戯曲で彼女の相手役のソウルフルな瞳のメル・ファーラーだ。”と書かれています。
結局別にオードリーは賞を逃したのではないのですね?
まあこの年にはオードリーは映画のアカデミー賞と舞台のトニー賞をダブルで獲ってますからね。
またそのページの右下には、“オードリー・ヘプバーンはアカデミー賞を受賞した翌日、35人の記者と写真家が彼女にインタビューしに来たのを知り、「Oh, boy!(なんてこと!の意)」と言いました。”と書かれています。
しょうもない記事のようですが、「ローマの休日」で成功を手に入れたばかりのオードリーにとってはめっちゃ多い取材陣にびっくりしたのでしょうね。
ということでオードリーがびっくりしたよーってだけの記事なんですが、実はその時にオードリーは自分の好きに動ける、という自由を永遠に失ったのだ、というのがわかります。スターであるためにはどうしようもないのですが、一般人との決別ですよね。
これ以降は、必ずどこへ行くにもマスコミやファンが付いて回り、「暗くなるまで待って」以降の家庭に入っていた時代にもパパラッチに狙われてしまう生活を続けなければいけなくなるんですよね。
オードリーの人気が無くなってしまえばパパラッチからも価値が無くなって、また一般人に戻れたんでしょうが、オードリーの場合は一生スターのままでしたから、二度と普通の一般人には戻れませんでした。
何かの雑誌に、オードリーの隠し撮りは海外でも高く雑誌に売れた、と書かれていました。
日本でも80年代〜90年代は写真週刊誌によく載ってましたね。ただし当時は必ずしも好意的な記事ばかりではなかったですが。
付きまとわれるのをずっと嫌っていて自分のことを話さないオードリーでしたが、晩年は注目を浴びるのを利用して世界の子どもたちに目を向けさせるユニセフの活動に舵を切ったオードリーって、凄い芯がありますね。
といっても、こういう海外の雑誌でありがちな、表紙はオードリーだけど中身には載ってない、というもの。
「オンディーヌ」は表紙だけです。
この表紙の写真自体はレアなものですが、この“THEATRE ART”の表紙として載っている写真集がいくつかあるので(これとかこれとかこれ)、雑誌の表紙としてはよく見るもの。
でもこれ、なんか写真が裏焼きクサイんですよね。
「デラックスカラーシネアルバム」とか見ると、海藻がオードリーの肩にかかっているのは左肩っぽいし、オードリーの髪型の分け目も逆に感じるんですよね。
メル・ファーラーとか、左右対称な衣装なので、見分けようがないし。
昔はオードリーが裏焼きだと、すぐにわかったんですが、最近のあまりの裏焼きの多さに、裏からでも見慣れてしまって、すぐに判断できなくなってきました。
本当に最近は画像の管理がなってないですね。
この号は「ジジ」の1952年の時よりもザラッとした紙(マットコート紙)が増えて、コート紙もあるんですけど、なんか質が落ちている気もします。
さて本文では現在上演中の舞台の一覧があるのですが、ブロードウェイではオンディーヌが46番通りシアターで上演中のこと、オードリーがメル・ファーラーと観客を魅了します、って書いてますが、そのすぐ下が「サブリナ・フェア」って書いてて、「麗しのサブリナ」の舞台版も上演中であることがわかります(さらにその下は「お茶と同情」)。
たぶんね、一般人から見た時系列では「ジジ」地方公演→「ローマの休日」公開→「オンディーヌ」→「麗しのサブリナ」公開なもんで、いくつかの誤ったオードリー本でも、オードリーが「麗しのサブリナ」の舞台を見て自分も演じたい、と言ったとかってデマが書かれてるんです。
でもオードリー本人の時系列で言うと、「ローマの休日」撮影→「ジジ」地方公演→「麗しのサブリナ」撮影→「オンディーヌ」だから、この段階ではとっくに「麗しのサブリナ」の撮影は終了してるんですよね。
舞台版「麗しのサブリナ」のスタートは1953年11月なんで、とっくに映画は撮影が始まってるんですよね。
別のページの広告では「オンディーヌ」のチケット料金が載っています。
「オンディーヌ」の昼興行は3.6ドル、土曜の昼興行は4.2ドル、夜興行は4.8ドルだそうです。
「ジジ」と比べると、土曜の昼が0.6ドル高くなってますね。
今見るとやすっ!て思いますけど、安くないですからね。
「ジジ」の時も書きましたが、今と物価も為替レートも違いますからね。1954年だと、大卒初任給が8700円。「ジジ」の頃よりも良くなってますね。
そしてドルの為替レートは1ドル360円だった時代。
なので「オンディーヌ」だと、昼間は30000円くらい、土曜の昼は35000円くらい、夜は40000円くらいの感覚。
これでも「ジジ」の時よりは日本が豊かになってきてますね。
まあでも、ナマのオードリーが間近で見られるんですから、そんな高くは感じないですね。
なんか中森明菜さんが今度久々にディナーショーのようなイベントをやるそうなんですが、それが約8万円なので、それに比べたらむしろお安いほうかも。
「オンディーヌ」は素晴らしい演技で、舞台で最も権威あるトニー賞の1954年の主演女優賞をもらいましたが、結果的にブロードウェイでのオードリー最後の舞台となりました。
でも「ジジ」と「オンディーヌ」しか演じていないのに、1968年にはトニー賞の特別賞をもらっているのがちょっと不思議。
「オンディーヌ」はオードリー主演でメル・ファーラーが映画化しようと、各映画スタジオに持ちかけましたが、当時はどこにも受け入れてもらえませんでしたね。
まあ1950年代の映像技術では、海の中のそれっぽさとか出すのはムリだったでしょうし、わざとらしいセットなどは当時でも滑稽だったでしょうし、映画会社の判断は正しかったと思います。
それでメル・ファーラーはもっと現実的な「緑の館」製作へと向かうのですが、今の発達したCGならむしろ「オンディーヌ」の方が説得力があったでしょうね。「オンディーヌ」を映画化するには70年早かった、というわけですね。
さて、中身には「オンディーヌ」の記事は無し、と書きましたが、“off stage…”ってページで、オードリーの写真が載っています。
キャプションでは、“オードリー・ヘプバーンは今シーズン、ほぼ全ての賞を手に入れたが、少なくとも1つの賞は逃した。今シーズンで最もソウルフルな瞳はオンディーヌのスターのものでなく、ここで一緒に写っている馬の友人のものだ。彼女のもう1人の友人はジャン・ジロドゥの戯曲で彼女の相手役のソウルフルな瞳のメル・ファーラーだ。”と書かれています。
結局別にオードリーは賞を逃したのではないのですね?
まあこの年にはオードリーは映画のアカデミー賞と舞台のトニー賞をダブルで獲ってますからね。
またそのページの右下には、“オードリー・ヘプバーンはアカデミー賞を受賞した翌日、35人の記者と写真家が彼女にインタビューしに来たのを知り、「Oh, boy!(なんてこと!の意)」と言いました。”と書かれています。
しょうもない記事のようですが、「ローマの休日」で成功を手に入れたばかりのオードリーにとってはめっちゃ多い取材陣にびっくりしたのでしょうね。
ということでオードリーがびっくりしたよーってだけの記事なんですが、実はその時にオードリーは自分の好きに動ける、という自由を永遠に失ったのだ、というのがわかります。スターであるためにはどうしようもないのですが、一般人との決別ですよね。
これ以降は、必ずどこへ行くにもマスコミやファンが付いて回り、「暗くなるまで待って」以降の家庭に入っていた時代にもパパラッチに狙われてしまう生活を続けなければいけなくなるんですよね。
オードリーの人気が無くなってしまえばパパラッチからも価値が無くなって、また一般人に戻れたんでしょうが、オードリーの場合は一生スターのままでしたから、二度と普通の一般人には戻れませんでした。
何かの雑誌に、オードリーの隠し撮りは海外でも高く雑誌に売れた、と書かれていました。
日本でも80年代〜90年代は写真週刊誌によく載ってましたね。ただし当時は必ずしも好意的な記事ばかりではなかったですが。
付きまとわれるのをずっと嫌っていて自分のことを話さないオードリーでしたが、晩年は注目を浴びるのを利用して世界の子どもたちに目を向けさせるユニセフの活動に舵を切ったオードリーって、凄い芯がありますね。
この記事へのコメント
この表紙の写真もそうですが、「オンディーヌ」のオードリィって結構大胆ですよね。デラックスシネアルバムの画像もそうでしたし。
ある年配の男性が、当時海外の雑誌に体の線がはっきり分かるような衣装を着た実にチャーミングな女性の写真が載っていたので、スクラップにして大切に保存していたそうで、随分後になって「オンディーヌ」のオードリィだと知って大層驚いたということでした。映画入り前のヘプバーンって随分色っぽかったんだなーと言ってましたが、厳密には映画入り後なんですよねー
オードリィって超のつく清純派扱いのわりに、意外と色気なしっていう表現はそれほどされてなかったような印象もあるわけですが、それはキスシーンの表現のうまさと、今回も紹介されているように露出している脚のせいかも。
オードリィって本当に脚の露出には平気なんですよね。
サブリナのときのショートパンツとか、LIFEの初表紙&特集のときとか、自宅の庭での花摘みなどのスナップとか
勿論、官能的とかセクスィーとかいうのとはちょっと違うのでしょうが、清純ぶっててお堅いとか味気なしとかいうのとは全然違うんですよね~
妙にガードが固くなく、でも絶妙にバリアをかけているこの独特なバランスが、同じ清純派でも当時の日本の女優さんとかアイドルとかとは違うところかな
まぁ日本はキスやハグの文化じゃないのってのもありますが。
オードリィを色気なしと断じる方は、胸の大きさにこだわる人なんでしょうね。
オードリィのスナップ写真と記事、昔の映画雑誌にいろいろありましたね。確かに好意的でないものもありました。
でも今思い出すのは、印象の良かった記事のほうです。
スイスの自宅近くの山道を、愛犬を連れて散歩するオードリィの超美麗カラーショット・・・たぶん「ロードショー」だったと思うのですが、保存しておく前に紛失してしまいました。( ノД`)シクシク…
あの頃のカラーグラビアには今思うとスゴイものがいろいろあって、ちゃんと保管しておけばよかったと悔やまれます。
ある年配の男性が、当時海外の雑誌に体の線がはっきり分かるような衣装を着た実にチャーミングな女性の写真が載っていたので、スクラップにして大切に保存していたそうで、随分後になって「オンディーヌ」のオードリィだと知って大層驚いたということでした。映画入り前のヘプバーンって随分色っぽかったんだなーと言ってましたが、厳密には映画入り後なんですよねー
オードリィって超のつく清純派扱いのわりに、意外と色気なしっていう表現はそれほどされてなかったような印象もあるわけですが、それはキスシーンの表現のうまさと、今回も紹介されているように露出している脚のせいかも。
オードリィって本当に脚の露出には平気なんですよね。
サブリナのときのショートパンツとか、LIFEの初表紙&特集のときとか、自宅の庭での花摘みなどのスナップとか
勿論、官能的とかセクスィーとかいうのとはちょっと違うのでしょうが、清純ぶっててお堅いとか味気なしとかいうのとは全然違うんですよね~
妙にガードが固くなく、でも絶妙にバリアをかけているこの独特なバランスが、同じ清純派でも当時の日本の女優さんとかアイドルとかとは違うところかな
まぁ日本はキスやハグの文化じゃないのってのもありますが。
オードリィを色気なしと断じる方は、胸の大きさにこだわる人なんでしょうね。
オードリィのスナップ写真と記事、昔の映画雑誌にいろいろありましたね。確かに好意的でないものもありました。
でも今思い出すのは、印象の良かった記事のほうです。
スイスの自宅近くの山道を、愛犬を連れて散歩するオードリィの超美麗カラーショット・・・たぶん「ロードショー」だったと思うのですが、保存しておく前に紛失してしまいました。( ノД`)シクシク…
あの頃のカラーグラビアには今思うとスゴイものがいろいろあって、ちゃんと保管しておけばよかったと悔やまれます。
Posted by まる at 2024年06月04日 23:12
そうですよね、「オンディーヌ」の衣装は、オードリーの肌色に合わせた衣装をつけているとはいえ、なんか昔のスクール水着みたいなものですもんね。
それで確かにオードリーは足の露出には無頓着ですよね。
メル・ファーラーと海辺で撮った「パリの恋人」の頃の画像(56年)の写真でもホットパンツみたいなのを履いてましたよね。
まあその時代は女性の足をそんな目で見る人はそんなにいなかったのでしょうか。
と言っても、モンローの「七年目の浮気」であれほどスカートがまくれる写真が騒がれたのはやはりモンローの足が見えるから、なわけで、なんででしょうね。うーん。
まあオードリーだと、色気がないというより、あまりにも健康的だからでしょうかね。お耽美とは逆のベクトルにいそうですもんね。
でも「オンディーヌ」を映画入り前と言っていた男性の話は面白いですね。本当は「ローマの休日」も「麗しのサブリナ」も撮った後ですもんね。
別にオードリーは色気を封印も何もしてなくて、必要だったら演じる、という感じだったんでしょうかね。「オンディーヌ」「緑の館」「パリで一緒に」がオードリーの色気が良くわかる作品でしょうか。
「いつも2人で」のジョアンナはあっけらかーんとしてますし、「暗くなるまで待って」のスージーや「おしゃれ泥棒」のニコルのそこはかとなく自然と出る色気、みたいなものはもちろん別として、ですが。
まあオードリーって、本当はすけべなおじさんも、「守ってあげなきゃ」と思わせてしまうオーラを持っているので、ある程度無防備でも大丈夫なのかもしれません。
でも今の欧米の女性って、胸(というかデコルテ)は見えてても平気なのに、足は見せませんよね。これは上はしっかりした服で、スカートは短く、という日本とは真逆ですよね。
いつの間に欧米ではスカートを履かなくなったんだろう…と思います。
それと、80年代後半〜90年代の「フライデー」とか「フォーカス」あたりが酷かったイメージです。“ああ、妖精が魔女に…”みたいな記事名をつけて、庭の掃除をするオードリーの隠し撮りを載せたり、みたいな。
僕の持っているあるそういう写真週刊誌の記事でも、“愛人とヨットを楽しむオードリー”みたいな悪意ある書き方でした。
でも一緒に写っているのがロバート・ウォルダーズじゃないんで、一体誰やこれ、みたいな感じでしたが。記事を書いたライターも、オードリーの愛人だと思ったのでしょうけど、オードリーのことをよく知らないからこんな「誰これ?」って人を載せてしまったんでしょうね。
まるさん、「スイスの自宅近くの山道を、愛犬を連れて散歩するオードリィの超美麗カラーショット」って「華麗なる相続人」の頃のですか?
もしそうなら「スクリーン」ですよ!僕もその画像はめっちゃ綺麗!と思って、当時はなかなかオードリーがもう載らなかった頃だったので、すっごい嬉しくて買った記憶があります。
あんなに綺麗なのに、その後写真集で1回も再掲されないのがまた希少感を出していますね。
それで確かにオードリーは足の露出には無頓着ですよね。
メル・ファーラーと海辺で撮った「パリの恋人」の頃の画像(56年)の写真でもホットパンツみたいなのを履いてましたよね。
まあその時代は女性の足をそんな目で見る人はそんなにいなかったのでしょうか。
と言っても、モンローの「七年目の浮気」であれほどスカートがまくれる写真が騒がれたのはやはりモンローの足が見えるから、なわけで、なんででしょうね。うーん。
まあオードリーだと、色気がないというより、あまりにも健康的だからでしょうかね。お耽美とは逆のベクトルにいそうですもんね。
でも「オンディーヌ」を映画入り前と言っていた男性の話は面白いですね。本当は「ローマの休日」も「麗しのサブリナ」も撮った後ですもんね。
別にオードリーは色気を封印も何もしてなくて、必要だったら演じる、という感じだったんでしょうかね。「オンディーヌ」「緑の館」「パリで一緒に」がオードリーの色気が良くわかる作品でしょうか。
「いつも2人で」のジョアンナはあっけらかーんとしてますし、「暗くなるまで待って」のスージーや「おしゃれ泥棒」のニコルのそこはかとなく自然と出る色気、みたいなものはもちろん別として、ですが。
まあオードリーって、本当はすけべなおじさんも、「守ってあげなきゃ」と思わせてしまうオーラを持っているので、ある程度無防備でも大丈夫なのかもしれません。
でも今の欧米の女性って、胸(というかデコルテ)は見えてても平気なのに、足は見せませんよね。これは上はしっかりした服で、スカートは短く、という日本とは真逆ですよね。
いつの間に欧米ではスカートを履かなくなったんだろう…と思います。
それと、80年代後半〜90年代の「フライデー」とか「フォーカス」あたりが酷かったイメージです。“ああ、妖精が魔女に…”みたいな記事名をつけて、庭の掃除をするオードリーの隠し撮りを載せたり、みたいな。
僕の持っているあるそういう写真週刊誌の記事でも、“愛人とヨットを楽しむオードリー”みたいな悪意ある書き方でした。
でも一緒に写っているのがロバート・ウォルダーズじゃないんで、一体誰やこれ、みたいな感じでしたが。記事を書いたライターも、オードリーの愛人だと思ったのでしょうけど、オードリーのことをよく知らないからこんな「誰これ?」って人を載せてしまったんでしょうね。
まるさん、「スイスの自宅近くの山道を、愛犬を連れて散歩するオードリィの超美麗カラーショット」って「華麗なる相続人」の頃のですか?
もしそうなら「スクリーン」ですよ!僕もその画像はめっちゃ綺麗!と思って、当時はなかなかオードリーがもう載らなかった頃だったので、すっごい嬉しくて買った記憶があります。
あんなに綺麗なのに、その後写真集で1回も再掲されないのがまた希少感を出していますね。
Posted by みつお at 2024年06月05日 21:47