2020年05月12日
「ローマの休日」1977年リバイバル新聞広告 神戸版
通院・手術の予定が転院となりました。ここのところの新規感染者数の少なさで、僕もついつい気が緩みそうになってしまうんですが、やっぱり医療現場はまだまだ大変だというのを実感します。

今回は1977年に「ローマの休日」がリバイバルした時の新聞(たぶん神戸新聞)の広告を紹介。
「ローマの休日」が1977年にリバイバルした頃は、まだ東京と地方で公開日が違いました。
今でこそデジタルで全国同時上映が可能ですが、昔はフィルムを回して上映していました。
となると、全国で何本フィルムがあったのかは知りませんが、その数だけしか全国の映画館で同時上映できないことになります。
期待作の初公開作品だとそれなりに本数はあるでしょうが、リバイバルともなるとそんなに本数はなかったと思われます。
なので、昔はまず東京や大阪で上映されてから、各地方に流れていく、という形式だったんですよね。
しかも映画のフィルムって1作品で1本じゃなくって、何十巻という本数で1作品分なんですよね。
なので映写技師さんが1つの巻が終わると、その次の巻がスムースに繋がるように上映していたんですよね。
今の方は知らないでしょうが、その巻が終わる寸前になると、四隅のどこだったかに三角の印みたいなのが点滅して次の巻に切り替わるんですよね。
そして次の巻になると、微妙に色が違ったりしてました。
例えば今の「シャレード」の正規版のDVDなどでも、ある部分はオードリーの顔色が普通なのに、別の部分では妙に紫色になってたりするのは、そういう元のフィルムの巻の状態がそれぞれ違うのに、安価にあげるために一緒くたにデジタルで色補正のリマスターかけてるからだと思います。
さて、そんな事情もあって、神戸では上映日が東京とは違ってました。
東宝さんの資料では東京が1977年7月2日(土)〜7月22日(金)まで3週間日比谷スカラ座で上映していました。
ちなみに3週間という数字はこの当時はあまりヒットしなかった、ということを意味しています。
この当時(70〜80年代)は大体4週間が上映の目安。それ以上だとヒットで、それ以下だとまあダメだった、と。
この年には11月12日から4週間「マイ・フェア・レディ」が同じスカラ座で公開されているので、1977年に関しては「マイ・フェア・レディ」の方が成績が上だった、ということになりますね。
「ローマの休日」は1963年と70年リバイバルはともかく、73年、77年と短期間でリバイバルを繰り返していたので、作品のパワーがどんどん落ちていってたと思います。
そしてこれを最後に、“「ローマの休日」はもう当たらない”と思われて、1985年の日本ヘラルドさんが上映してくれるまでリバイバルが途切れます。
元々の制作会社のパラマウントが上映してくれるのは、2003年のデジタル・ニューマスター版までなんと26年も間が開いてますね。
元に戻ると、この神戸のスカイシネマでは1977年8月20日から上映されたようです。7月22日にスカラ座で上映が終わってからは、どこかの地方で上映されてたんでしょうか。
この神戸の上映館の “スカイシネマ”は東宝系列のOSチェーンの小さな劇場で、200人〜300人くらいの規模だったと思います。1000人以上入れた新聞会館大劇場と同じ新聞会館の7階にあったと記憶しています。
後に常設の映画館を辞めてしまって、パイプ椅子で仮設の映画上映とかをしていました。今後仮設になってからの上映も紹介することがあるかと思います。
この残していた新聞切り抜き、右側が切れていますが、そこは同時上映の「ふたりだけの森」という作品が載っていたようですが、主演のリンダ・ブレアに全く興味がないので切り落としているようです。
1日の上映は「ローマの休日」が3回、「ふたりだけの森」が2回(日曜のみ3回)になってます。
コピーでは
“*愛の劇場に訪れる永遠のロマン!
オレンジ色の太陽にきらめく
ローマです オードリーです……
*もうこれっきり…です!ラストチャンスを貴女と!”
となっています。
オレンジ色というのは僕の「ローマの休日」に持っているイメージカラーと一緒なので嬉しいですね。
これは紙に貼って残しておいたんですが、そこに当時の自分の文章が一緒に貼って残されていました。
「いよいよまっていたオードリー、出世作『ローマの休日』がきました!が、この広告…もうこれっきり…です!とかいてあるが、この劇場でリバイバルするものはいつも『これでおわりです』とかいてある…。こんな名作はいつまでも上映するはずです!やはり客よせのデマ…。とにかくあした見にいくつもりです(1977.8.19)」
と一部省略しましたが、書いてありました。
確かにフィルムの権利が切れる時に「これが最後です!」なんて煽り文句が書いてあったりしますが、これもそういうたぐいなんでしょう。
まあ「ローマの休日」はその後も自主上映などで何度も来ていますので、これっきりというのは大げさでもあり、でも85年まで正式なリバイバルが来なかったことからすると、確かにしばらくこれっきりだったし…とどちらでも当てはまりますね。
当時まだ少年だった僕からすると、85年までの8年という年月はとても長かった記憶があります。
今なら8年前なんて昨日のようですけどね。
「ロビンとマリアン」から始まった映画館での体験は、日本ヘラルドが上映してくれるまでは、初公開が「華麗なる相続人」だけ、正式リバイバルは「ローマの休日」と「マイ・フェア・レディ」だけ、名画座でかろうじて観れたのが「戦争と平和」「暗くなるまで待って」だけ、あとは自主上映待ちという状態でしたから、ほんのちょっと前(74年まで)に続々とリバイバルしていた時期が本当に羨ましかったです。
なお、この「ローマの休日」の前売り券も持っていたはずでしょうが、高校生の時に一斉に一度手放したので、その時に手元からなくなったと思われます。
それにしても、「ローマの休日」のロゴがカッコイイですね!これぞ「ローマの休日」!って感じです。
「ローマの休日」のロゴは、54年タイプ、63年リバイバルタイプ、70・73・77年リバイバルタイプ、2003年リバイバルタイプとありますが、やっぱり「ローマの休日」はこれでなくっちゃ!と思います。

今回は1977年に「ローマの休日」がリバイバルした時の新聞(たぶん神戸新聞)の広告を紹介。
「ローマの休日」が1977年にリバイバルした頃は、まだ東京と地方で公開日が違いました。
今でこそデジタルで全国同時上映が可能ですが、昔はフィルムを回して上映していました。
となると、全国で何本フィルムがあったのかは知りませんが、その数だけしか全国の映画館で同時上映できないことになります。
期待作の初公開作品だとそれなりに本数はあるでしょうが、リバイバルともなるとそんなに本数はなかったと思われます。
なので、昔はまず東京や大阪で上映されてから、各地方に流れていく、という形式だったんですよね。
しかも映画のフィルムって1作品で1本じゃなくって、何十巻という本数で1作品分なんですよね。
なので映写技師さんが1つの巻が終わると、その次の巻がスムースに繋がるように上映していたんですよね。
今の方は知らないでしょうが、その巻が終わる寸前になると、四隅のどこだったかに三角の印みたいなのが点滅して次の巻に切り替わるんですよね。
そして次の巻になると、微妙に色が違ったりしてました。
例えば今の「シャレード」の正規版のDVDなどでも、ある部分はオードリーの顔色が普通なのに、別の部分では妙に紫色になってたりするのは、そういう元のフィルムの巻の状態がそれぞれ違うのに、安価にあげるために一緒くたにデジタルで色補正のリマスターかけてるからだと思います。
さて、そんな事情もあって、神戸では上映日が東京とは違ってました。
東宝さんの資料では東京が1977年7月2日(土)〜7月22日(金)まで3週間日比谷スカラ座で上映していました。
ちなみに3週間という数字はこの当時はあまりヒットしなかった、ということを意味しています。
この当時(70〜80年代)は大体4週間が上映の目安。それ以上だとヒットで、それ以下だとまあダメだった、と。
この年には11月12日から4週間「マイ・フェア・レディ」が同じスカラ座で公開されているので、1977年に関しては「マイ・フェア・レディ」の方が成績が上だった、ということになりますね。
「ローマの休日」は1963年と70年リバイバルはともかく、73年、77年と短期間でリバイバルを繰り返していたので、作品のパワーがどんどん落ちていってたと思います。
そしてこれを最後に、“「ローマの休日」はもう当たらない”と思われて、1985年の日本ヘラルドさんが上映してくれるまでリバイバルが途切れます。
元々の制作会社のパラマウントが上映してくれるのは、2003年のデジタル・ニューマスター版までなんと26年も間が開いてますね。
元に戻ると、この神戸のスカイシネマでは1977年8月20日から上映されたようです。7月22日にスカラ座で上映が終わってからは、どこかの地方で上映されてたんでしょうか。
この神戸の上映館の “スカイシネマ”は東宝系列のOSチェーンの小さな劇場で、200人〜300人くらいの規模だったと思います。1000人以上入れた新聞会館大劇場と同じ新聞会館の7階にあったと記憶しています。
後に常設の映画館を辞めてしまって、パイプ椅子で仮設の映画上映とかをしていました。今後仮設になってからの上映も紹介することがあるかと思います。
この残していた新聞切り抜き、右側が切れていますが、そこは同時上映の「ふたりだけの森」という作品が載っていたようですが、主演のリンダ・ブレアに全く興味がないので切り落としているようです。
1日の上映は「ローマの休日」が3回、「ふたりだけの森」が2回(日曜のみ3回)になってます。
コピーでは
“*愛の劇場に訪れる永遠のロマン!
オレンジ色の太陽にきらめく
ローマです オードリーです……
*もうこれっきり…です!ラストチャンスを貴女と!”
となっています。
オレンジ色というのは僕の「ローマの休日」に持っているイメージカラーと一緒なので嬉しいですね。
これは紙に貼って残しておいたんですが、そこに当時の自分の文章が一緒に貼って残されていました。
「いよいよまっていたオードリー、出世作『ローマの休日』がきました!が、この広告…もうこれっきり…です!とかいてあるが、この劇場でリバイバルするものはいつも『これでおわりです』とかいてある…。こんな名作はいつまでも上映するはずです!やはり客よせのデマ…。とにかくあした見にいくつもりです(1977.8.19)」
と一部省略しましたが、書いてありました。
確かにフィルムの権利が切れる時に「これが最後です!」なんて煽り文句が書いてあったりしますが、これもそういうたぐいなんでしょう。
まあ「ローマの休日」はその後も自主上映などで何度も来ていますので、これっきりというのは大げさでもあり、でも85年まで正式なリバイバルが来なかったことからすると、確かにしばらくこれっきりだったし…とどちらでも当てはまりますね。
当時まだ少年だった僕からすると、85年までの8年という年月はとても長かった記憶があります。
今なら8年前なんて昨日のようですけどね。
「ロビンとマリアン」から始まった映画館での体験は、日本ヘラルドが上映してくれるまでは、初公開が「華麗なる相続人」だけ、正式リバイバルは「ローマの休日」と「マイ・フェア・レディ」だけ、名画座でかろうじて観れたのが「戦争と平和」「暗くなるまで待って」だけ、あとは自主上映待ちという状態でしたから、ほんのちょっと前(74年まで)に続々とリバイバルしていた時期が本当に羨ましかったです。
なお、この「ローマの休日」の前売り券も持っていたはずでしょうが、高校生の時に一斉に一度手放したので、その時に手元からなくなったと思われます。
それにしても、「ローマの休日」のロゴがカッコイイですね!これぞ「ローマの休日」!って感じです。
「ローマの休日」のロゴは、54年タイプ、63年リバイバルタイプ、70・73・77年リバイバルタイプ、2003年リバイバルタイプとありますが、やっぱり「ローマの休日」はこれでなくっちゃ!と思います。
Posted by みつお at 21:00│Comments(0)
│ローマの休日