2020年09月01日

「マイ・フェア・レディ」1977年リバイバル時 新聞広告

「マイ・フェア・レディ」1977年リバイバル時 新聞広告

 今回は「マイ・フェア・レディ」が1977年にリバイバルした時の新聞広告を紹介。

 上映館は神戸の新聞会館大劇場です。当時は1200席超えの本当に名前負けしない大劇場でした。
 そんな大劇場だったのに、神戸の東宝系(OSチェーン)では阪急会館(1300席以上)に次ぐ2番手の劇場でした。
 まあ阪急会館と新聞会館大劇場は神戸では遜色無い大劇場だった、ということですね。

 でも「マイ・フェア・レディ」を2番手にした1番手の作品はなんだったんでしょうね。
 東宝の資料室を見てくると、東京と神戸は77年リバイバルは「マイ・フェア・レディ」同時公開。

 77年の東京での「マイ・フェア・レディ」は74年リバイバルと同じスカラ座でしたが、その時の東京は有楽座が「さすらいの航海」、日比谷映画劇場が邦画ですが「人間の証明」。

 今残ってる度でいくと「さすらいの航海」には勝ったやろーと思っていましたが、意外とこれが3ヶ月近く上映というロングラン。キャサリン・ロス、フェイ・ダナウェーなどオールスター・キャストの大作だったみたいですね。
 そして「人間の証明」は松田優作のヒット作。これはしょうがないですね。

 以前同じ77年リバイバルの「ローマの休日」の新聞広告の紹介で書きましたが、当時の興行は4週間が1つの基準みたいになっていました。
 4週だと水準ヒット、それ以下だとヒットしてなくて、それ以上だと大ヒット、みたいな。

 「マイ・フェア・レディ」はこの77年リバイバルは東京で4週上映していますから、まあまあそこそこお客さんは入ったのでしょうね。
 少なくとも1977年のリバイバルに関しては3週間だった「ローマの休日」よりは成績は上だった、と。

 その東京での様子を見て、神戸では「ローマの休日」は「ふたりだけの森」という二本立てで、しかも300席ほどの“スカイシネマ”で、「マイ・フェア・レディ」は1200席超えの“新聞会館大劇場”での上映となったのだと思います。

 初公開時の「ローマの休日」と「マイ・フェア・レディ」の興行成績(配給収入)は、

・「ローマの休日」2億8404万円(当時歴代配給収入1位)、1回目リバイバル(63年)の入らない最終配給収入2億9618万8000円(1965年で19位)、
  63年リバイバルの成績込みで4億7119万3000円(67年歴代13位)。

・「マイ・フェア・レディ」7億8867万4000円(67年歴代第4位)。

ですから、圧倒的に「マイ・フェア・レディ」の勝ちなのですが、「ローマの休日」初公開当時は普通作品は2週で終わり、そこそこヒットで3週みたいな時代で、そこで5週と3日というロングランだったのですから、これはすごいことですよね。「マイ・フェア・レディ」の時代なら、長期ロングランになっていたと思います。

 「マイ・フェア・レディ」の方は、有楽座で294日も上映。
 シネラマという上映形態で、上映作品がほとんど無いのでいつまでも上映していたのは別として、通常作品で長期ロングランが始まったのは1959年の「ベン・ハー」からじゃ無いかと思うのですが、「ウエストサイド物語」や「アラビアのロレンス」という超ロングランを差し置いての当時歴代第4位はこれまた「マイ・フェア・レディ」も凄いですよね。

 初公開時に「マイ・フェア・レディ」より配給収入が多かったのは、10億円超えの「007/サンダーボール作戦」、10億円弱の「ベン・ハー」、9億円の「史上最大の作戦」だけというのが凄いですね。

 ちなみに「マイ・フェア・レディ」の下の5位は「クレオパトラ」(7億7000万円)と書いてるのと、「ウエストサイド物語」(7億8500万円)というのがありますが、どっちでしょうね。

 この77年リバイバルは僕が最初に見た「マイ・フェア・レディ」になります。母親と一緒に行きましたが、映画を観終わって感激していた僕が母親に「すっごい良かったよね?どうやった?」って訊くと「別に」と答えたので、その後何十年も一緒に映画に行くのが途絶えました笑。
 最近になって午前十時の映画祭で数回叔母や近所の母のお友達と一緒に行きましたが。

 この時、観に行った回が悪かったのか、あんまり神戸ではお客さんが入っていない感じでした。もちろん1200席以上の大劇場ですから、相対的に人が少なく見えただけかもしれませんが。

 「マイ・フェア・レディ」は1964年、1969年、1974年、1977年、1981年、1986年、1995年、2015年、2016年と公開されていますから、オードリー作品では「ローマの休日」に次いで日本ではリバイバルが多いです。



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この記事へのコメント
ごぶさたしています。お元気そうで何よりです。

私自身がオードリーだけでなく『マイ・フェア・レディ』のファン-
すなわち原作であるショーの『ピクマリオン』という話が好きなので
どうしても見方が偏ってしまうのですが・・・

モノクロの『ローマの休日』と極彩色の『マイ・フェア・レディ』を
同じように並べて興行したら、そりゃ総天然色の作品に人が集まって
当然という感じがするんですよね。特に初見の人には。

それと、私の中のイメージでは
『ローマの休日』が「オードリーの出世作」
『マイ・フェア・レディ』が「ミュージカル映画の最高峰」
なんだなあ。
前者はオードリー人気と不可分。つまり役者の力がメーン。
後者は主演が他の女優でも成り立つ。つまり作品の力がメーン。

そう分析したら、怒られるかなぁ。
映画『マイ・フェア・レディ』の主演がジュリー・アンドリュースであっても
私にとっては大好きな作品になっていたように思います。
たくさん異論があることは認めます。
Posted by wimpole at 2020年09月01日 21:52
wimpoleさん、こんにちは。(^-^

実はあんまり元気じゃないんです…。
ここのところ写真の少ない記事ばかりになってるのも、それが原因で…。
8月に実は入院もしていましたし、救急車でも何度か運ばれていました。

「ローマの休日」と「マイ・フェア・レディ」、もし同時に60年代〜70年代に初公開したら、“今更なんで白黒…。”とか思われるかもしれませんが、「ローマの休日」には今や確固たる評価が付いてますからねー。

逆に昔は純粋に観客も楽しんでいた「マイ・フェア・レディ」、今やオードリーが吹き替えられたなどの色眼鏡で見てしまう人が多くて、かなり可哀想に思います。

それと、オードリーの作品はどれもオードリーの魔法がかかっているように思います。
別にオードリーじゃなくてもいい作品でも、オードリーだからこれほど楽しく仕上がった、みたいな。
スタンリー・ドーネン監督の作品にそれは顕著だと思っていますけど。

実は「ローマの休日」でも僕はオードリーじゃなくてもいい作品だと思っています。あれはワイラー監督の作品のイメージが強いです。
むしろオードリーだから出来たのは、評判のよろしくない「緑の館」かなーとか。あの妖精的雰囲気はオードリーでないと出来なかった役柄じゃないかと。
でもそれと作品の出来栄えはまた別の話ですもんね。
「暗くなるまで待って」もオードリーじゃなくても出来そうで、その後テレビ映画や演劇でもありますけど、あの華奢な弱々しそうな雰囲気と、それでいて意志の強そうなところはオードリーならではだと思っています。

「マイ・フェア・レディ」、いまでもジュリーの方が良かったという人もいますが、舞台も映画もセシル・ビートンがデザインしたのに、やっぱりあのアスコットの衣装は圧倒的にオードリーにインスパイアされた映画版が優っているように、貴婦人としてのオーラはオードリーだから出来たクオリティだと思っています。
歌がジュリーに負けるのはオードリーの責任じゃないですしね。
花売り娘があんまり可愛く見えないのは残念です笑。
花売り娘のテストの時にはもっと可愛い写真もあるんですけど、もっとみすぼらしく見せようとして、あんな若くも見えない変な感じになってしまってますよね。

もしジュリーが「マイ・フェア・レディ」に出ていたら…そしたらオードリーは「サウンド・オブ・ミュージック」や「ロシュフォールの恋人たち」に出ていたかもというのはどっちが良かったのか考えてしまいます。
Posted by みつおみつお at 2020年09月02日 08:59
救急車とは、ただ事ではない。
どうがご自愛下さい。

作品については、さすがに考察が深い。
『マイ・フェア・レディ』の歌の吹き替えを言う人が可哀想というのは至言ですね。
作品よりデータを愛している人なんだろうと思います。
末永く作品を楽しむファンでありたいものです。
Posted by wimpole at 2020年09月05日 22:56
お母様とご一緒の初「マイ・フェア・レディ」少々残念な想い出ですね。当方はオンエアでは幾つか共に観ていましたが、劇場では'72年の「パリで一緒に」が唯一だったと思います。朝の一回目を目指して家を出たら店に向かう母と一緒になったのでそのまま丸の内ピカデリーに入りました。まあ愉しんでいたと思いますが。

ところで当方も実は先月末から突然の入院中なのです。三年振り生涯ニ度目なのですが、慣れるということでもなしひたすら穏やかに過ごしています。病院では常日頃の当方のアルコール摂取料を心配されているのですが、今のところ(?)トラブルフリーでやっております。

お互い無罪放免となる日を念じつつ、またよろしくお願いいたします(^_^;)。
Posted by Edipo Re at 2020年09月06日 10:20
>winpoleさん

救急車では1度運ばれて元気になって帰った後、翌日また運ばれて入院となってしまいました。
1度目は僕が呼んだのではないのですが…。

「マイ・フェア・レディ」はあまりにも簡単にネットにつながる環境も悪いのでしょうね。
誰でも簡単にオードリーが吹き替えられた、というのがわかってしまうので、作品そのものよりも、まずそこで評価してしまう人がいるのでしょうね。
しかもそれが間違っていて、ウィキでも最近まで “全曲吹きかえられた”というデマが載ってましたし。
データだけの人は本当にそういうことをなんの疑念も抱かずに信じてしまい、オードリーの努力も知らずに初めから吹きかえられることを知っていたとかっていう思い込みで「マイ・フェア・レディ」がダメだ!と言う人が世の中には多いなー、怖いなーと思ってました。

初公開時などの昔に見た人は純粋に映画だけを楽しんでいたから、そしてみんなが評価したからこその大ヒットだっただろうに、と思ってしまいます。

でも世の中の人も「ロシュフォールの恋人たち」「シェルブールの雨傘」「ウエストサイド物語」「王様と私」などには何にもいわないのはどうしてでしょうね。
Posted by みつおみつお at 2020年09月06日 18:24
>Edipo Reさん

おお!Edipo Reさんも入院でしたか!
幸い僕は10日ほどの入院で退院できましたが、その後の方が体調が悪いのはどういうことでしょうね。
もしこのブログで更新が無くなったら…そういうことかもしれません。
Edipo Reさんもお身体を大事にしてください。

さてさてEdipo Reさんは「パリで一緒に」をお母様と愉しめるって羨ましいですね!
何と言っても「パリで一緒に」は愛すべきおバカ映画ですし、悲劇の好きなうちの母などとは絶対に一緒に見れない作品です。

当時の映画館は1館1作品だし、凄いことですよね。
そのため今と違ってポスターや看板なんかもその作品だけで構成されていたでしょうし、宣伝写真も飾られていたでしょうし、パンフレットも山積みだったんでしょうねー。ほあ〜。
僕もこの「マイ・フェア・レディ」などでその雰囲気を味わっていた立場ですが、「ローマの休日」と「マイ・フェア・レディ」と「ロビンとマリアン」以降を除く作品でそれを実感出来た、というのは本当に羨ましい限りです。
Posted by みつおみつお at 2020年09月06日 18:34
以前にも書いたような気がしますが、映画版の「踊り明かそう」はオードリーの声質に合わせたのかジュリー・アンドリュース版よりも低く移調してありますね。

改めましてみつおさん・Edipo Reさんもご自愛くださいませ。

1956年の「踊り明かそう」を歌うジュリー
https://www.youtube.com/watch?v=X269B9gLwz0

1956年7月15日放送の『エド・サリヴァン・ショー』ではジュリーと山口淑子(アメリカ向けの芸名はシャーリー・ヤマグチ)氏が共演
https://www.imdb.com/title/tt0725348/
Posted by take at 2020年09月09日 01:01
映画版の「踊り明かそう」はオードリーも吹き込んでいましたから、やはりマーニ・ニクソンだけじゃなく、オードリーも出る声域に設定されたのかもしれませんね。

ジュリーバージョンのを見ましたが、楽々と歌っていますよね。
ジュリーにとっては全然苦にならない声域なんだろうなーと。
オードリーにももう少し声域があれば!
ただ、ジュリーも立ちんぼで歌うのではなく、もっと動いて欲しかったですね。
まあ黎明期のテレビなので、あまり動いて撮れなかったのかなーと思いますが、勿体無いですよね。
でもジュリーにこの髪型は全然似合ってないように思います。
「マイ・フェア・レディ」の時のジュリーってこんな髪型だったんでしょうかね?

takeさん、ありがとうございます。
コロナは今の僕には絶対に罹ってはいけない病気ですね。
何事もなく過ごせればいいのですが…。
Posted by みつおみつお at 2020年09月09日 13:55
こんにちわ
オードリーの代表作というか最高傑作って、日本では「ローマの休日」という
事になってますけど、欧米では「マイ・フェア・レディ」と「ティファニーで朝食を」みたいですね。私、「写真で見るアメリカ映画史」という洋書をもっていますが、「ローマ・・」よりこの2本の方が大きくスペースをとって紹介されてますものね。
私も過去に様々な女優さんがイライザを演じるのを観てきましたが、オードリーが一番適役好演でしたね。舞踏会のシーンで、トランシルバニアの女王が、イライザの顔を見ながら「なんとまあ、お美しい」というところは、オードリー位美しくないと成立しないんですよね。戦前にレスリー・ハワードのヒギンズ教授を相手にイライザを演じたウエンディ・ヒラーなんて、やぶにらみみたいな目をしたおっかない顔の女優で、少しも美しくなかったし、ジュリー・アンドリューズだって舞台だからやれたのであって、映像では無理だったろうとおもいます。
今、アメリカ映画界はリメイクばやりで、「ウエストサイド物語」まで再映画化されているわけですが、「マイ・フェア・・」はオードリー級の魅力的な女優さんが出現しないかぎり、映画化は無理でしょう。
Posted by ヴェロニカ・ハメル at 2020年09月10日 08:30
こんにちは。

体調があまり良くなく、返事を差し上げるのが遅れてすみません。

アメリカでは「ローマの休日」はあまり重きをおかれていませんよね。
確かに出来は良いのだけど、過去の名作の1本というだけで、日本でのエポックメイキング的な事はなかったのだと思います。興行成績も良くなかったみたいですし。
オードリーの登場だけだとアメリカでは「麗しのサブリナ」の方が大きかったみたいですよね。

あと、ヴェロニカ・ハメルさんが色々なイライザをご覧になったというのが凄いですね!それは日本のみならず、海外でも、ということでしょうか?
確かにトランシルバニア女王のシーンはオードリーあってこその「お美しい」ですよね。アスコット以降(僕的には「今に見てろ!」以降)は他の女優さんでは太刀打ちできないと思っています。

「マイ・フェア・レディ」、2004年頃からリメイクの話はありましたけど、脚本家がオードリーを貶める発言をしたりして、結局今に至るまで進行していませんね。
まあリメイクされても見に行かないと思います。「サブリナ」もそうでしたが、どうやってもオードリーを超える女優さんなど出てこないので。
結局オリジナルと比較されて興行がコケたり酷評されて埋もれてしまうようなら、ビジネスとしては失敗ですもんね。
Posted by みつおみつお at 2020年09月13日 08:13
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