2021年02月03日

「おしゃれ泥棒」1971年リバイバル時 「スクリーン」紹介グラビア

「おしゃれ泥棒」1971年リバイバル時 「スクリーン」紹介グラビア

 この間の1月20日はオードリーの命日でしたね。そのための記事をと、1994年以降の追悼記事を探しましたがなぜか見当たらなくて、断念してしまいました。

 さて、前回「トホホ人物伝」を取り上げたところ、明智常楽さんから「エクスラン・ヴァリーエ」が50周年であることをご指摘いただきました。
 ほんとだ!すっかり忘れてました…。

 改めて今年は何かの記念の年かな?と考えると、まず「ティファニーで朝食を」と「噂の二人」が製作60周年ですね。

 まあ「噂の二人」の方は日本公開は1962年だったので、来年紹介になるかもしれませんが…。
 「ティファニーで朝食を」の方はきちんと日本公開の11月ごろにやりたいと思っています。

 さて、それ以外で言うともちろん1971年の「エクスラン・ヴァリーエ」が50周年ですよね。細かく刻むと1956年の「戦争と平和」が公開65周年でもあります。なんかこう書くと、オードリーの映画もえらく昔のものになったなーって思いますね。

 10代20代の方たちには50年とか60年って想像もできないでしょうし、遥か昔のことなんだろうなーと思いますね。自分もそうでしたからね。
 でも意外と50年とかって来るのが早いんですよー、ホントに。

 さて、それ以外にも「おしゃれ泥棒」と「暗くなるまで待って」が日本で1971年にリバイバルして50年になります。
 というわけで、今回は「おしゃれ泥棒」のリバイバル時の雑誌“スクリーン”の紹介グラビアの紹介。

 これも切り抜きのみで、本体は捨てちゃってるので、何月号かはっきりしません。おそらく1971年5月号(3月発売)か6月号(4月発売)だろうと。

 1971年というと、実は洋画雑誌は“スクリーン”しかなかったんですよね。“映画の友”は68年早々に廃刊になっているし、“ロードショー”は72年に創刊なので、“スクリーン”の独壇場なんですよね。

 まあそのため同じ71年の「エクスラン・ヴァリーエ」の紹介が“スクリーン”しかなくて残念だなーと思うんですけどね。もし“ロードショー”の創刊があと1年早かったら「エクスラン・ヴァリーエ」はもっと記事が残っていただろうと思ってめっちゃ惜しいなーと思うんです。

 さて、1971年の「おしゃれ泥棒」リバイバルは東宝サイトの資料室によると、1971年5月22日。
 パンフレットで71年も66年初公開時と同じ日比谷スカラ座だったのは知ってましたけどね。

 次の作品が6月19日に始まっていますから、上映期間は4週間ですね。まあ平均的な上映期間ですけど、初公開時の12週続映に比べたらちょっとさみしい…。

 でも66年に初公開で1971年にリバイバルって、たった5年しか空いてませんからね。ちょっとリバイバルには早いんじゃないの?と昔っから思ってました。まあ「暗くなるまで待って」なんてたった3年でリバイバルですけどね。

 それを考えると、アメリカン・ニューシネマ全盛の時代に4週は頑張ったと思います。初公開時とは違い、共演のピーター・オトゥールの人気は急速になくなってましたからね。オードリー1人で支えたようなもんです。

 そしてこのころは、明智常楽さんが会長だったオードリー・ヘプバーン・ファンクラブが全盛だったんですよね?
 300坪の敷地にファンがお泊まりも可能な「オードリー・ヘプバーン会館」とでも呼べそうな大規模な豪邸があったとか…。行ってみたかったー!

 同じくこちらに来ていただいているEdipo Reさんもこの「おしゃれ泥棒」リバイバルからオードリーのファンになってらっしゃいますし、オードリーは引退中といえども、まだまだオードリー人気に活気があった時代ですよね。うらやまし〜〜い!僕もそんな体験してみたかった!!

 さて、本題の記事ですが、写真は僕にとってはわりと見慣れたものばかり。でも右ページの上のシャルル・ボワイエとヒユー・グリフィスの顔合わせ写真は今みると不思議。こんなシーン無いし!

 去年「おしゃれ泥棒」の記事を紹介したときに書いた「シャルル・ボワイエとの顔合わせシーンから撮影を開始」というのがやっぱりあったんでしょうね。
 なのでボネ邸かどこかで会うシャルル・ボワイエとオードリーとヒユー・グリフィスのシーンが有ったと。

 文章はあらすじがほとんどなんですけど、ジョン・ウィリアムズの紹介で “「哀愁の花びら」「ジェーン・エア」のジョニー・ウィリアムズ”って書いてます。まだ、これ!という代表作が出てないんですね。もう数年すると時代の寵児、その後は巨匠となるんですけどね。

 さて、この時は僕はまだ幼く劇場では見れませんでしたが、その後の自主上映やテレビ放映で見ると、「おしゃれ泥棒」は日本にきたフィルムの色彩が本当に悪くて、映画開始後しばらくは慣れなかったですね。

 今のDVDやBSで放送されているのを見ると、あののっぺりとして汚いプリントはなんだったんだ!と思います。「カタログ オードリー・ヘプバーン」に載っていた初公開時の批評でも、“色彩が悪い”って書かれるほどだったんですよねー。

 さて今回記事のお世話になった“スクリーン”ですけど、本屋に行って今月号を見に行ったらなんか見つからないんですよね。あれあれ?と思って、売上が悪いので本屋で取り扱いがなくなったのかと思ったら、オール マットコート紙に変更になっていて、なんかムック本みたいになってました!

 えー!なんでコート紙やめちゃうかなー!スターの写真はやっぱり発色の綺麗なアート紙やコート紙で欲しいでしょー!って思いましたが、まあ今の編集部の方針ですからね。

 今月号、オードリーも載ってましたけど、載ってる写真はいつでもどこでも見れるものだったし、先月号のオードリー・カレンダーで1954年の「麗しのサブリナ」の宣伝写真を1960年と載せちゃうような編集部のレベルなので、もう買う気も起きません。洋画雑誌なのに日本映画もかなりなページを咲いてるし、末期症状を感じるばかり。“SCREEN”は本当にどうなっちゃうんだろう…。不安しか感じません。初心に戻って!



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この記事へのコメント
またお邪魔致します。「おしゃれ泥棒」リヴァイヴァル観賞から50年ですが、何か他の作品を観に行って予告編に接し、その時点で既にオードリーの虜と化していた(笑)ように記憶しているのです。で、「おしゃれ〜」予告編がかかったのは何だったか、記憶と記録に当たって見たのですがどうやらコスタ・ガヴラス監督イヴ・モンタン主演「告白」でした。’50年代のチェコスロバキアでの政治的迫害を題材にした暗く重い作でしたが、前年に同監督同主演「Z」に感銘を受けていたので出かけたのでした。’70年安保改定などで軟弱な東京の中学生でも政治的関心が高まっていたのですが、結果オードリーファンと化したのですから分からないもので。

また「おしゃれ〜」のプリントの色彩、当時は余り意識していませんでした。まあロードショーでは2回ほどであとは名画座でしたから。ただ日本に送られて来るプリントは玉石混交だったのかも。アナログ時代で字幕を入れる段階での劣化もあるでしょうし。レーザーディスク時代でも劇場公開した字幕付きプリントから起こしたソフトの画質には閉口しましたから(ロベール・アンリコ「冒険者たち」など)。

LP盤でもドイツ・グラモフォンやデッカ(ロンドン)は金属マザーを取り寄せて日本国内ではプレスだけだったのですが、東芝EMIやCBSソニーは孫か曾孫テープを使ってるなどと言われてました。デジタル化がこういう問題の大半を解決したのも事実でしょうが。

また私事なのですが日曜夕刻に転倒し、右肩を強打して救急搬送されました。昨年と同じ病院で骨折の診断を受け、このご時世で少し待たされ来週月曜から半年間で3度目の入院即手術と相成りました。もう我ながら呆れんばかりのドタバタですが。改めてですがみつお様もくれぐれもご自愛下さいませ…。
Posted by Edipo Re at 2021年02月04日 08:50
長女に連れられ、初めての
オードリーがこの映画
私がのめり込み、次女三女も。
神保町徘徊が有名になり、
口コミで増田貴光さんも名古屋に来てくださいました。
エクスランも大阪に招いてくださり、ポスターと16ミリがお土産。集英社が草月ホールを手配
Posted by 明智常楽 at 2021年02月05日 18:57
>Edipo Re さん

日本版の予告編ってどうなるんでしょうね。DVDなどが発売されても入っていないことが普通ですもんね。日本でどのように紹介されていたのか、とても知りたいです。

プリントは、アメリカ本国でも大都市ほど良い状態のプリントが選ばれて上映されるそうですから、日本に送られて来た「おしゃれ泥棒」のはだいぶ落ちた状態のものだったんだろうなーと思います。
最近はよくデジタルリマスターされていますけど、そういう場合でもアメリカの地方で上映されたプリントだと色の見本にはならないそうです。
今でも覚えていますけど、「おしゃれ泥棒」のは黄土色っぽく、奥行きのないのっぺりしたプリントでした。シネアルバムで「おしゃれ泥棒」は“デラックスカラー”てなっていましたから、FOXのデラックス・カラーってこんなに汚いんだ〜と子供の僕にはインプットされました笑。シネアルバムでは「いつも2人で」はテクニカラーになっていたので、「おしゃれ泥棒」だけのものだと。
レーザーディスクはどうだったのかな?あまり印象には残っていませんが、また見てみたいですね。

東芝EMIのレコードの音は悪いとよく言われますよね。僕はあんまり気にならなかったのですが、なんかむしろ帯などではいいことが書いてあったので、いい音に違いないと思ってました。
カラヤンのR・シュトラウスやドヴォルザーク、マルティノンのイベールの祝典序曲、バーンスタインの「イタリアのハロルド」なんかの愛聴盤は東芝EMIだったので。
あ、クライバーのドヴォルザークのピアコンもEMIでしたよね。
でも僕のイメージでのレコード会社のランクだと、
グラモフォン>東芝EMI>その他色々>>>>>メロディア
という感じでした。
メロディアはチャイコが好きな関係でそこそこ買っていたのですが、ソ連当時はかなり音も酷かったと思います。

それと、入院手術とは!
Edipo Re さん、どうかお身体を大切にしてください。
気持ちだけは僕も若いままなので、身体がダメになると、なんとなく映画の「永遠に美しく」のような感じを想像してしまいます。
Posted by みつおみつお at 2021年02月06日 17:50
>明智常楽さん

おー!明智常楽さんの最初はこのオードリーでしたか!
本当に「おしゃれ泥棒」のオードリーはステキですよね!
オードリー・ヘプバーン・ファンクラブの最後はいつまでだったんでしょうねー。明智常楽さんとは袂を分かっていたとはいえ、ファンクラブの後世に残る最大の功績は「カタログ オードリー・ヘプバーン」だったんでしょうね。その礎を明智常楽さんが作ったと考えています。
いつかファンクラブの会報を見てみたいです…。
Posted by みつおみつお at 2021年02月06日 17:54
残念なことに、
ほとんど燃やされ残っていません。価値観の差が妻と私に。k4c
Posted by 明智常楽 at 2021年02月07日 19:54
そうでしたよねー。
どなたか当時のファンクラブの方がお持ちだといいなあと思っています。
「カタログ オードリー・ヘプバーン」をお作りになった方とかはお持ちじゃないんでしょうかね?
こちらのブログを見つけて、来てくれたら…と願っています。
Posted by みつおみつお at 2021年02月08日 00:07
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