2022年02月13日

「噂の二人」公開60周年記念その1「映画の友」1961年9月号

 前回紹介した映画「オードリー・ヘプバーン」ですが、パンフレットは製作されるそうです!やったね!
 2014年「マイヤーリング」以来の公式パンフレットになりますね!
 オードリーの写真もいっぱい載ってそうで、今から楽しみです!

 あと、「昼下りの情事」ブルーレイ&DVDのジャケットが決まったようです!
 ちょっとオシャレですね。僕は写真のオードリーが好きなので、海外版のようなイラスト(それでもソール・バスのすごい絵柄だけど)にならなくて良かったー!と思ってます。


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「噂の二人」公開60周年記念その1「映画の友」1961年9月号 さて、また長く間が空いてしまいました。
 なんか書きたいことがいくつかアイディアが湧いてきて重なってしまったのに、書きたい方の作品がまだ発表する時期じゃなくて、それじゃあそれは後回しにしようかと思ってたら、今度は書きたいことが全部逃げてしまったという…。

 さて今年は「噂の二人」が日本公開60周年の年です!それなら紹介しないわけにはいきませんよね。
 ただ、初公開日はまだ先なので、今回は第1弾として「映画の友」誌1961年9月号の紹介をしたいと思います!表紙は「太陽がいっぱい」で60年代初めに人気のあったマリー・ラフォレ。

 この号では撮影が始まったばかりの時の紹介になっていますね。題名は完成版の「The Children's Hour(米版)」でも「The Loudest Whisper(英版)」でもない、「THE INFAMOUS」!ここでの邦題の仮題は「よからぬ噂」となってます。

 ちなみに、本文の「スタジオニュース」という欄で紹介されている場所では「評判の悪い女」って題名になってます。

 さてこの「噂の二人」、以前も書きましたが、この1961年9月号(7月発売)で初紹介されているのに、1961年12月にはアメリカで公開されていますよね。

「噂の二人」公開60周年記念その1「映画の友」1961年9月号 普通は撮影で約4か月、その後編集や音楽などで撮影から公開までに1年かかるのが普通のオードリー作品の中では、異常に早い公開。
 オードリー作品では最速ですね!

 よっぽど撮る前から脚本やカット割りのための絵コンテがしっかりしていたのでしょうか。

 この号での最初のオードリー登場は、目次ではアート口絵と書かれている白黒のグラビアページ。シャーリー・マクレーンと隣り合わせのページで載ってます。

 ここではオードリー、タバコ喫ってますねー。「噂の二人」の映画の中では喫煙シーンは全くありませんでしたけど、撮影の合間には緊張をほぐすためにもオードリーにタバコは手離せないものでした。

 キャプションでは “(銘柄は)ケントかな?セーラムかな?”って書いてますけど、オードリーのお気に入りはケントでしたね。「いつも2人で」の冒頭でもケントを買っているシーンがありましたよね。

 僕も昔はタバコを喫ってましたが、もちろんオードリーに倣ってケントにしてました。実際喫い比べてみたんですが、僕にとってはケントが一番美味しかったです。

「噂の二人」公開60周年記念その1「映画の友」1961年9月号 最後はケントワンになってましたけど、まあロングタイプで1箱300円だったかの時にやめたと思うので、1000円で3箱は買えてましたね。
 今は1000円でも2箱買えないんですよね?恐ろしい…。
 僕の時でも1000円で4箱買えなくなった時はブーブー言ってたんですけども。

 さて、脱線しましたが、次はカラーページの最後に、オードリーのここでしか見たことの無い飼い犬のフェイマスとの写真があって、そのままグリーンのグラビアページに突入します。

 フェイマスって、確かこの「噂の二人」撮影中に車に轢かれてなくなるんでしたよね。ある伝記では「マイ・フェア・レディ」の時と書いてあるものもありましたけど、「噂の二人」の時だと書いてある本が多いですよね。

 フェイマスはオードリーには忠実だったそうですけど、わりと他の人に対してはキャンキャン吠えたりイタズラしたり…とあまりいい話は聞こえてきませんね。「緑の館」で共演するためにオードリーが引き取っていた鹿のイップとは仲良しだったそうですけど。

 僕は犬を飼ったことがないので、フェイマスがいたとしても扱いがわからなくて、やっぱり吠えられそうです。

「噂の二人」公開60周年記念その1「映画の友」1961年9月号 さて、ここで「よからぬ噂」のことを書いているのは、のちに「噂の二人」を貶す最先鋒になる淀川長治さん。
 映画公開後は、他の批評家がみなさんこの年のベスト10には入る傑作!という評価なのに対して、淀川長治さんは主演2人が弱いって散々いろんなところで書いてましたね。

 アメリカでこの作品の評価が低かったのは、当時はまだまだアメリカでは同性愛に対して根深い偏見と拒否反応があったからですが、淀川長治さんはおそらく逆ですよね。むしろ同性愛がちゃんと捉えられていない!という評価ではなかったかと。
 これは淀川長治さん自身が同性愛だったので、当事者からするとここで描かれているのはまだまだ描き足りん!という評価だったのかなーと思います。

 淀川長治さんの何かの本でも、他の批評家の人との対談で、相手の人は1962年のベスト3か何かに「噂の二人」を推してましたけど、淀川長治さんは “いや、入れなくていいでしょう”ってなことを言ってました。

 あと、この文章では盗癖があるのを見つけられてメアリーに虐められる気の弱い役をワイラー監督の実の娘のメリンダ・ワイラーが演じる、って書いてて写真も載ってるんですけど、この役は実際にはヴェロニカ・カートライトが演じてますよね。

「噂の二人」公開60周年記念その1「映画の友」1961年9月号 メリンダは直毛の、オカッパ頭の子なんですけど、映画を見る限りではどこにも出てなさそうな…。
 演技力の問題とかで入れ替えられてしまったんでしょうかね?

 僕はもう見慣れてしまってますけど、ここでは撮影中だけの珍しいスナップ画像をいっぱい見ることができます。もちろんその後の写真集には未収録のものばかり!これが撮影当時の「映画の友」や「スクリーン」の醍醐味ですね。

 でも、アメリカ映画協会(日本の映倫みたいなもの)がまだ同性愛を描くのを認めてない時に、先に撮影してしまうなんてすごいことですよね!

 配給するユナイトからは圧力が入ったそうですけど、製作のミリッシュ・カンパニーはむしろ同性愛を描くのに積極的だったので、この作品を作ることが出来たんですよね。

 結局アメリカ映画協会の方が折れて、映倫みたいなのでこの「噂の二人」が初めて同性愛を描いた作品でOK出るんですけど、闘うウィリアム・ワイラー監督、すごいですよね。

「噂の二人」公開60周年記念その1「映画の友」1961年9月号 「ローマの休日」では赤狩りで仕事のなくなったダルトン・トランボの作品を撮ることになって、スタッフにも赤狩りで仕事のなくなった人を雇ってローマに連れて行ったそうですけど、ここではまた次に行ってますよね。

 僕の嫌いな映画評論家の人が「噂の二人」までまだ赤狩りと結びつけてますけど、いやいや、ワイラー監督はもうとっくに先に行ってるでしょ!いつまで昔の赤狩りと引っ付けてるの!って思います。

 この「噂の二人」のレビューで、このテーマの表層部分だけを見て “だんだん古くなっていく”って書いてる人がいますけど、いやいや、それも違うでしょー!って思ってました。

 ここで描かれているのは、デマを信用して自分で確認もせず、他の人を誹謗中傷してる、まさに今のSNS時代のことなんじゃないかなーと思います。
 古くなっているというより、むしろ今最も最先端の問題を提議しているやん!みたいな。

 そして、同性愛という面では確かに今の時代だとマーサは演じたシャーリー・マクレーンが言うようにもっと闘うべきだったのかもしれませんけど、SNSで誹謗中傷された人は必ずしもみんながみんな闘えるわけではなくて、お金の問題だったり、精神的なものだったりで諦めてしまう人も多いと思うんですよね。
 中にはここでのマーサのように自分を諦めてしまう人もいるかもしれない。

「噂の二人」公開60周年記念その1「映画の友」1961年9月号 この「噂の二人」では、製作時の時代の制約で同性愛は “許されないもの”として扱われていますけど、別に今の時代に置き換えても本当はそうでなくてもやっぱり何かが “許されないもの”だと思ってSNSで心が折れてしまう人がいるんじゃないかって思いますよね。

 さて、この号では僕の好きな「風と共に去りぬ」のリバイバルに合わせて、その記事もたくさん載っています。
 まずは表紙裏(表2)にはカラーの広告。壮大なラストシーンがあしらわれています。

 “西部暮しの手帖”というページでは、西部の女じゃなく南部の女なのにヴィヴィアン・リーのスカーレットのお話が。

 ヴィヴィアン・リーの扮したスカーレットは最高で、現在ではこのヒロインのイメージにピッタリなんて人は見当たりません、と書かれています。
 そしてその裏の次のページでは前年にヴィヴィアン・リーとローレンス・オリヴィエが離婚したことが書かれていました。

「噂の二人」公開60周年記念その1「映画の友」1961年9月号 続いてはまた淀川長治さんの書いた“ふたたびけんらんと「風と共に去りぬ」来る”という本文ページ。
 でもまあ内容的にはどうってことのない文章でした。

 この1961年のリバイバルでは、「風と共に去りぬ」は本来モノラルの音を分離してステレオの4本トラックにして、画面もメトロスコープというMGMのワイドスクリーンにしての上映でした。

 ここからは淀川長治さんの文章ではないですが、この時はアメリカでも南北戦争100周年記念のリバイバルだったそうですけど、まだ存命だったヴィヴィアン・リーとオリヴィア・デ・ハヴィランドとデイヴィッド・O・セルズニックが新装リバイバルのアトランタ・プレミアに参加したそうです。

 そのプレミアに参加するためにイギリスからニューヨークに渡ったヴィヴィアン・リーが、ニューヨークでのインタビューで、ある記者から“「風と共に去りぬ」で何の役を演じたんですか?”というめっちゃ失礼な質問をされて、“映画をご覧になってないのね。そんな人には何も話すことはありません。”と冷たく言い放って席を立って出ていったというエピソードが別の号で書かれていました。

「噂の二人」公開60周年記念その1「映画の友」1961年9月号 その場にいた記者たちは凍ったでしょうね〜。そんな質問をした厚顔無恥な記者は特に。記事が無くなったわけですし、そんな自分の失態を自社に記事として持ち帰られませんもんね。
 プライドの高いヴィヴィアンの、めっちゃヴィヴィアンらしいエピソードですね。オードリーだったら全然違う対応でしょうね。

 “ハリウッド通信”というコーナーでは、最初に書いたように撮影の始まった「噂の二人」が「評判の悪い女」として載ってますし、さらに後ろの方の “人さまざま”というページでは「ハワイ」の映画化のことが書かれています。

 ここでは「ハワイ」の主役はアレック・ギネスになったということ、共演がオードリー・ヘプバーンだということが書いてあります。
 製作には4〜5年かかりそうで、上映時間も4〜5時間になるだろうと書かれています。

「噂の二人」公開60周年記念その1「映画の友」1961年9月号 オードリーも「噂の二人」撮影中のインタビューで次は「ハワイ」になるだろうと答えていたことは以前の記事でも書きましたが、実際には「ハワイ」は延び延びになって、結局「マイ・フェア・レディ」と当たってしまい、オードリーは役を降りてしまいますよね。

 熱心にオードリーに「ハワイ」を演じるように口説いていたフレッド・ジンネマン監督もめっちゃがっかりしたのか監督を降りてしまいますし、結局「ハワイ」は監督も主演男優も主演女優も変わってしまいますね。
 オードリーの代わりに出たのがジュリー・アンドリュースだったのもこの時期のオードリーとジュリーの運命を感じますね。

 最後の方で、61年6月公開映画の採点とヒット具合が書かれていますが、今は忘れ去られたような「ブラック・タイツ」「馬上の二人」「忘れな草」なんてのがロードショーでヒットして、マリリン・モンロー、クラーク・ゲーブル、モンゴメリー・クリフトの3大スター競演の「荒馬と女」のような僕でも知っている作品が伸び悩んだそうで、興行成績と生き残る作品は比例しないんだねーとか思っちゃいました。



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Posted by みつお at 21:00│Comments(8)噂の二人映画の友
この記事へのコメント
みつお様、しばらく更新がないので気にしておりました。お変わりないようで安心です。当方は12月にまた入院し手術を受けました。と言っても足の付根から入れたカテーテルで心臓内をイジるという簡単なもので。まあ一年で二度目の全麻による術式なので、周囲は驚いてくれていますが。みつお様もご自愛ください。

さて「噂の二人」とマリー・ラフォレ、淀川長治氏で三題噺さながらに思い出したことが。四十年以上前ですが、吉行淳之介氏がホストの「恐怖対談」に淀川氏がゲストの回で談たまたま「太陽がいっぱい」に及び、淀川氏の
「あぁ、あれはホモセクシャル映画の第一号なんですよ」
との爆弾発言で、吉行氏と同席していた和田誠氏が揃って「えぇ!そんな馬鹿な?」と叫んだと。読んでいた当方も一緒でしたが。

ところが詳しくは省きますが淀川氏の分析は説得力豊かなもので、吉行和田両氏も当方も最後には納得いたしました。そのような淀川氏にとっては「噂の二人」が食い足りなく思えたのも無理ないのかも。後日「太陽〜」を愛して止まない愚兄にその対談を読ませたところ、
「それじゃマリー・ラフォレの立場はどうなるんだよ?」
とまことにつまらない感想が返って来ましたが。

またヴィヴィアン・リーのインタビューで思い出したのですが、大昔さる文学賞を受けた作家がインタビュアーの記者から「(受賞作の)内容を要約して話せ」と言われてブチ切れたとか。洋の東西を問わず不心得者は存在するようで。

‘69年の初オンエアで「噂の二人」は観たはずですが「おしゃれ泥棒」リバイバル以前であまり印象が…。その後も再見の機会はあったのですが、改めてきちんと観ようかと。オードリーと無関係な話ばかりで失礼しました…。
Posted by Edipo Re at 2022年02月14日 01:26
Edipo Re さん、嬉しいコメントをありがとうございます。

ご心配いただき、ありがとうございます。
でもEdipo Re さんが手術をなさっていたとは!
えーと足から心臓と言うと、ステント(だったかな?)の手術ですか?
でも簡単と言えども手術後はしばらく動けなかったでしょうし、やはり大変なことですよね。
Edipo Re さんもお大事になさってください。

淀長さんの「太陽がいっぱい」の話はわりと有名ですよね。
僕はどんなことを喋っていたのかは知らないんですが、実際リメイクで「リプリー」が出た時はゲイ的要素がかなり描写されていて、原作にもあったらしいんですが、そういうのをきちんと掴み取っていたというのが淀長さんの、あの時代の映画評論家のすごいところですよね。

淀長さんはオードリー作品に関しては意見をコロコロ変えたりしてたので、僕はあんまり…ではあるのですが、やはり一目置いてしまいますね。
そこが最近の自称映画評論家の人たちとは違うところです。
最近の映画評論家は、偏った自分の好みや考えでしか映画の良し悪しを語れない僕の大嫌いな人とか、安易にWikipediaに載ってること(出典なしの文章。その後消されている)そのままをオードリーのエピソードとして話したりする人とか、きちんと伝記本を精査せずに悪名高いダイアナ・メイチックの本を基にオードリーの文章書いたりする人がいるもんで、尊敬どころかむしろ映画評論家の地位を下げてるなー、そやから映画評論家って不要になってるんやなーとか思ってます。

マリー・ラフォレは後続の映画が良くなかったのか、すぐに人気は廃れてしまってましたよね。ここでの表紙もあんまり魅力がないです。

Edipo Re さんの作家さんのエピソードも、その記者はひどく偉そうですね。〜という文章を書いた作家◯◯◯◯さん、とかって書くつもりだったんでしょうかね。自分でまとめなくていいから楽だったんでしょうね。
まあその記者は自分の仕事に情熱を持ってやってないということですよね。

「噂の二人」、前に見たのがかなり前のようですので、今見ると昔とは違う発見や感じ方があるかもしれませんよ。
長い時間を開けてもう一度見るのは、そういう楽しみ方もあるのでなんか久々に見るとワクワクしますよね。
Posted by みつおみつお at 2022年02月14日 20:14
お元気そうで安心しました。
この記事、かなり以前に古本屋で見つけました。でも高くて買えなかったので購入は断念したような苦い記憶が・・・無理してでも買っとけばよかったかな。
今となっては珍しい画像ばかりですよね。
淀川さんの酷評がご自身の身の上からきているという意見には賛成です。
若干感情論も入っているような気もします。
僕は同性愛描写にもっと踏み込んだ演出が必要だとも、主演2女優が拙いとも思わないのですが、そういう意見もあるだろうなとは思うので否定はしません。(淀川さんご本人にお会いしたことが何度かあるのですが、結構なオネェキャラなのでびっくりしました、TVのイメージとは違うんです)
オードリィがとにかく役にはまっている、似合っている感がすごくて、存在しているだけで説得力あるなーという感覚が強いので、迫真の演技力はあってもなくてもあんまり気にならないのです。
どうしても持って回った描写になるのは、アメリカ映画界に1930年代から1960年代後半まで設けられた検閲制度「ヘイズ・コード」の存在が強いせいですよね。汚い言葉や性的描写を中心に、道徳的でないとアメリカ映画協会(MPAA)が判断するものは作品に登場させないという制約があったから。
とはいえ直截な表現よりも、婉曲的な表現のほうがよりタブー感は増すし、撮影当時の社会常識が演出や俳優たちの演技に反映されていて、かえってリアリティーが作品全体に漂っているとも思います。
オードリィってどういう気持ちでこの役を引き受けたんでしょうね。
「尼僧物語」や「マイ・フェア・レディ」や「暗くなるまで待って」なんかだと入念な準備やリサーチを行って臨んだけど、これはどうだったんでしょう。
でもこの時代に引き受けるのは簡単ではなかったはず。ましてやスター女優ですしね、その意義は大きいですね。勇気ある決断といえるのではないでしょうか。
それだけに、シャーリーの後年のインタヴューで
「マーサは闘うべきだった」発言は今だから言えることで、原作に忠実とはいえ、当時の状況でも良く描いているし、誠実に演じたと思ってます。
今だってそうそう闘えませんよー、そのあたりの偏見は今生きている人が生きている限り今後もずっと続くのではないかと思ってます。
一方で「自分たちが先駆的な立場にいるという自覚がまるでなかった。オードリィとも役について一度も話し合ったことがなかったなんて、今更ながらオドロキ」という発言にはこちらもオドロキましたね。
だから思うのです。二人ともそんな気構えでなんで引き受けたんだろうって。
おそらく別の観点もあるんでしょうかね。
「噂の二人」は、世代間のギャップ、地域社会の閉鎖性、ゴシップの危険性、信念を貫く困難さ、友情だって愛情ともいえるということ・・・いろんなテーマをはらんでますからね。
あと未成年の犯罪問題にもリンクする怖さを持ったドラマとも。あんなサイコパスはガキがいたら、周りの大人はどうしたらよいのだろう?とかも
“子供は素直な生きもの”という大人の願望交じりの思い込みに痛烈な一撃を与えてきて、さらに恐ろしいのは、実はメアリーが“真実を見抜く”という大人が子供に対して抱くもう一つの理想を体現しているという・・・皮肉ですね。

淀川さん以外の当時の日本の映画評論家は概ね高評価だったのを覚えています。双葉さんはさすがワイラーだねと演出力に感心されてました。荻昌弘さんは、マーサの告白を受け止めるオードリィの受けの芝居の方がしんどいこと、それをアップで持たせられる表情(顔)の良さを評価してました。ティルフォード邸での階段の段差を使った切り替えしの演出をほめていた評論家もいました。
心が折れてしまうマーサに対して、カレンはひたすら強い。自分にも他人にも厳しく正論と正義を貫く。その厳しさがメアリーの歪んだ反乱を招き、親友や婚約者を追いつめる一因にもなったのではないかと。カレン自身を孤独にしてもなお信念を貫き通す演技については、オードリィの個性だけでもうまくいっているなぁとほれぼれします。精神性が強いだけではなくてどこかに可憐さがある彼女なだけに、冷たさはなく暖かい威厳を感じさせると。
ただティルフォード夫人への激高演技は下手っぽいと感じた件については以前にも書きましたね~

「風と共に去りぬ」の失礼なインタヴューの記事、驚きました。今だったら炎上しますね。不勉強にもほどがある。主役に向かって言えるか~というか主役を知らないなんて、仮に別畑の記者だったとしてもありえません。
退席する気持ちも分かるけど、そこは相手をからかって後で反省させるような機転を利かせた応対ができたら面白いでしょうね。
さてオードリィだったらどうしたでしょう・・・
Posted by まる at 2022年02月14日 23:35
まるさん、ご心配おかけしました。
古本って店や手に入れる方法で大きく値段が変わりますよね。
やたら高かったんでしたら、やっぱり買えなくても仕方ないです。
画像は確かに珍しいものなんでしょうが、これは僕の中学時代からあるものなので、僕にとっては目新しさがないんです。
他にも他にもってキリがなくて、ファンって本当に貪欲ですよね。

淀川長治さんだけが「噂の二人」批判をするのは、淀川長治さんの身上から…という意見に同意してくださって、ありがとうございます。
なんかどうも淀長さんだけが貶すのはどこから来ているのだろうと思ったら、ああそうか!と思い至りました。
確かにマーサの告白があったあとのカレンの反応が激情型ではない演技なので、そういうのに不満だったのかもって思います。
でも、今オードリーのその部分の演技を見ていると、その抑えた演技が、たとえマーサがそういう気持ちであっても、カレンの気持ちは変わらない(偏見を持たない)というむしろ今見た方が時代に合ってる演技なような気がしました。
カレンの友情は変わらない=マーサの恋心は一生報われない(と思ってしまう)
ということも言えるかもしれないので、それはそれでやっぱり悲劇なのかもしれませんが。
でもメアリーの嘘が始まるのは、さすがにメアリーのわがまま放題から来ているので、他の女の子が素直な子が多い中で、カレンのせいではないと思いますが。
メアリさえいなければ、学校も順調だったでしょうし、マーサも生きていたと思うと、やっぱりメアリーって存在が怖い…。

淀川長治さん、普段はオネェキャラというのはびっくりしました。いつもテレビで見る感じなのかと思っていたので。
淀長さんのお眼鏡にはかなわなかったかもなのですが、ヘイズコード(そうだった!この言い方でしたね!)と当時のアメリカの状況では、これが限界だったのだと思います。
むしろ当時の日本の方がそういう意味ではまだ緩そうだったと思いますね。
なので、当時のモンゴメリー・クリフトやロック・ハドソンなんかは、世間に知られないようにするのが大変だっただろうなと思います。

オードリーの役に合ってる感はすごいですよね!
ワイラー監督にも“君の素のままで演じてくれればいいんだ”と言われて口説き落とされたのかもと思います。あとはワイラー監督を信頼していたということで引き受けた、みたいな。
でもシャーリー・マクレーンとは冗談は言い合っていたのに、役のすり合わせみたいなのが無かったとは僕も伺って驚きです!
でも本当に強い人は戦えるんでしょうが、誰もが強いわけではないですもんね。本文では書きませんでしたが、昨年の神田沙也加さんのことも思い出してしまいました。
シャーリーは後年本当に戦う人になってましたからそう言えたんでしょうけど、そう言えない人だってやっぱりまだ多いと思います。

子供は純粋…僕は自分で自分の子供時代を知っているので、あんまりそうは思っていません。メアリーみたいに裏表のある子は、きっといっぱいいると思っています。SNSでの学校裏サイトなんてものがあるっていうのを聞くと、やっぱりなと思います。
でも基本性善説の僕は、言われたことであんまり深読みとかしないんですよねー。いまの時代、甘いのかもしれないんですが。
本当に「噂の二人」は見方によっていろんな問題が浮き彫りになりますよね。

それと、当時の他の映画評論家の方のお話も教えていただき、ありがとうございます!やっぱり淀長さん以外の批評は高評価ですね。
あのクライマックスシーン、オードリーが庭を走り出してからはオードリーのアップが多用されてますよね。
マーサの部屋への階段を昇り降りするカレンの足のアップを写すところも含めて、編集でめっちゃ緊迫感を出していると思います。
DVDに入っている予告編とか見ると、バレエの素養があってキビキビ動くオードリーでも、ドアの叩き方や動きがのんびり見えてしまうんですが、オードリーのアップ、伯母さんの顔、走る足のアップという編集で一気に切羽詰まった緊張感が出ています。

「風と共に去りぬ」の記者は、たとえ自分が映画に興味なくても、インタビューするという仕事を受けたのなら、当時でも何かの本をちょっと見れば主演の名前が誰かとか、今日は自分がなんという名前のスターにインタビューするのかくらいはわかって当然ですよね。それすらしないで会見に臨むということは、やっぱり仕事に対する姿勢がいい加減ですよね。僕なら席を立ったヴィヴィアン・リーに拍手してしまいそうです笑。
そしてオードリーだったら…
1.ちょと困った顔になって、自分が主演だとバツが悪そうに言うでしょうか。
2.それとも笑って私が主演なんですよ、って言うでしょうか。
でも僕は
3.その場にいた他の誰か(エージェント、他社の記者、主催者など)がオードリーが主演ですよって言ってくれそうな気がします。
オードリーって誰かがきっと守ってくれそうですもんね。
Posted by みつおみつお at 2022年02月15日 19:05
小森和子さんは高いギャラを要求したので御縁がありませんでした。増田貴光さんはノーギャラで名古屋に来てくれました。交通費も受け取らず、逆に数軒ハシゴしたお店の支払いもしてくれました。
Posted by 明智常楽 at 2022年02月16日 21:55
『風と共に去りぬ』ブルーレイの特典映像の一つとして、この61年(南北戦争開戦100年)3月にアトランタで行われたイベントのニュース映像が収録されていました。前年に没したクラーク・ゲーブルと原作者マーガレット・ミッチェルの肖像画がお披露目された場面もありましたね。

※アン・エドワーズ『ヴィヴィアン・リー』ではなぜかこの時点でセルズニックが故人ということになっていました…(セルズニックは1965年没、この時もジェニファー・ジョーンズと夫妻揃って参加していたはず)
Posted by take at 2022年02月16日 23:28
>明智常楽さん

「ヴァリーエ」上映会、小森のおばちゃまは高額ギャラを要求したんでしたか!
なんかおばちゃまだと素人には安くしてくれそうなんですけどね。
もしかしたらおばちゃまは大丈夫でも、事務所が許さないのかもしれませんね。

増田貴光さんはそんなに優しい人だったのに、どうして詐欺とかクスリに手を出してしまったんでしょうね…。
今だったら逆にゲイであることをうりに映画評論家を続けていけたでしょうに、時代が悪かったのかもしれませんね。
Posted by みつおみつお at 2022年02月17日 14:11
>takeさん

ありましたありました!クラーク・ゲーブルの肖像画の布を外して、ヴィヴィアン・リーが拍手する映像がありましたよね。

アン・エドワーズの伝記ではセルズニック、亡くなってましたか!笑
やっぱり伝記本って100%信用したらダメですよね。
オードリーのはいくつも出版されているのである程度本当のものが掴めてきますけど、ヴィヴィアン・リーの伝記で翻訳されたのはエドワーズのだけで、本当に少ないですよね。
海外では何冊もあるのに、日本ではなんか偏ったものしかわからないですよね。
他のを読めば、また別のヴィヴィアン・リーが見えてきそうですよね。
Posted by みつおみつお at 2022年02月17日 14:20
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