2021年03月14日
「噂の二人」撮影時の「スクリーン」切り抜き
今回は「噂の二人」の撮影時の雑誌“スクリーン”からの切り抜きの紹介です。
でもねーこれ、最初のページが無いんですよ。何度探しても見当たらない。
これ、僕が雑誌から切り取ったんでしょうかねー。そしたら最初のページがあるはずなんですけど…。
でもたまに切り抜きだけ買ってたこともあるんで、そういう一環で手に入れたのかもしれません。
なんか切り抜き方も雑ですしね。
でももし自分で買ったものなら、最初のページを無くしたり、切り抜きが汚かったり、こんなの自分をシバキですね。
さて、これまた本体が失われてるんですが、これが“スクリーン”だとわかるのは、“オードリイ・ヘプバアン”という表記と、オードリーにインタビューしているのがヤニ・ベガキスって人になってるから。
このヤニ・ベガキスさんって、僕が“スクリーン”を買っていた70年台後半でもインタビュアーとして載ってました。懐かしいですねー。
それと、もしライバルの“映画の友”誌だったら“ヘップバアン”表記でしょうからね。
でも60年代初期はまだ“スクリーン”は“オードリイ・ヘプバアン”って表記だったんですね。
最後のページの裏面はカーク・ダグラスの記事なんですけど、そこでも「許されざる者」でオードリーと共演したバート・ランカスターのことが書いてるんですが、表記は“バアト・ランカスタア”になってます。でもカーク・ダグラスは“カーク・ダグラス”で、「ア」とか「イ」とかと「ー」の表記の違いがわかりません。
さて、この記事ですが、題名の表記は「子供の時間」と原題そのものになっています。まだ撮影中は「噂の二人」とは決まってなかったんですね。
というか、原題が「子供の時間」になっているのも新鮮。
というのも、またいつか紹介するかと思いますが、撮影が始まった頃は「よからぬ噂」(THE INFAMOUS)って原題だったようなんです。
撮っている最中に原作と同じ「子供の時間」になったんだなーと経過がわかったり…。
さて、この記事ですが、失われた最初のページはどうやらあらすじを書いていたようで、失われてますが、まああんまり支障は無いかも。
肝心のオードリーのインタビューですが、やっぱりこういうオードリーとの証拠の2ショットを撮っていると本当にインタビューしたんだなーとわかりますよね。
以前紹介した1959年の胡散臭いインタビュー記事なんてものもありましたしね。
なので、そういう本当にインタビューしたかどうかわからんようないかがわしい人は切って、この信頼のおけるヤニ・ベガキス氏にしたのかもしれません。
内容は、まず会ったのは歯医者に行く寸前のシャーリー・マクレーンで、彼女が表紙になった“スクリーン”1961年6月号(4月発売)を渡したらマクレーンは大喜び、近いうちに6月号を手にした写真を撮らせてくれるとのこと。
次に会ったのはジェームズ・ガーナーで、ベガキス氏とジェームズ・ガーナーは彼が出征した朝鮮戦争の話をしていたとか。
そしてオードリーがセットに姿を現して、セットが組み上がるまでに話をしていたそうです。
まずプレゼント用に持っていったオードリーが表紙になった“スクリーン”8月号(6月発売、「ティファニーで朝食を」の正面写真が表紙)を見せたら自分が表紙になっているので嬉しそうだったとのこと。
でも中身にはパーティーで会ったゲーリー・クーパー(61年5月に亡くなったばかり)とオードリーの写真が載っていたそうで、この写真を見つけるととても悲しそうな表情になったそうです。
そしてオードリーはこの雑誌を記念に頂けないか?と遠慮がちに訊いてきたそうです。
もちろん元々オードリーにプレゼントする用のものなので、ベガキス氏は面食らったそうですけど、おずおずともらってもいいかと訊くオードリーと、嬉しそうに受け取るマクレーンっていうのがそれぞれの性格がそのまま出ていてどちらも素敵ですね。
あと、ベガキス氏がオードリーが日本で一番人気のある女優だと話すと、オードリーは驚いていたそうです。
まだオードリーは何年も読者投票で1位を取っているというのを知らなかったんでしょうね。60年台前半はオードリーの日本での人気の絶頂期でしたもんね。
そして日本のファンにお礼の意味で是非一度日本に行きたいと言っていたそうです。数年前、流産の為にせっかく予定していた日本行きが取りやめになったことをとても残念そうに話していたそうです。「許されざる者」撮影後の、1959年「緑の館」宣伝のための来日予定のことですね。その時の詳しい話はこちらの記事で。
それと、今後の予定は「子供の時間」の後少し休みたいということ、まだパラマウントと契約があること、「子供の時間」の次に出るのは「ハワイ」になるだろうとのことでした。
「ハワイ」!…ちょっと脱線しますが、結局オードリーは「噂の二人」の次は1962年にパラマウントとの契約で「パリで一緒に」になりましたし、1963年は「マイ・フェア・レディ」に出演のためフレッド・ジンネマン監督に決まっていた「ハワイ」を降りてしまってますよね。
「噂の二人」は1961年撮影ですから、62年に出演が決まった「マイ・フェア・レディ」はまだ影も形もない頃。
「ハワイ」と「卑怯者の勲章」、それと「公衆の目」はオードリーに決まっていたものの、すべて「マイ・フェア・レディ」のためにキャンセルになって、3本ともジュリー・アンドリュースに役が回りました。
そのうち「公衆の目」はさらにミア・ファローに流れて「フォロー・ミー」になっています。
でもこのころって、最初にオードリーにオファーのあった「サウンド・オブ・ミュージック」もですけど、オードリーとジュリーって役が交換出来るくらいだったんですね。どちらも清潔感のある女優さんですもんね。
さて、インタビューに戻りますが、オードリーは近作の「ティファニーで朝食を」が大変お気に入りとのこと。試写を2回見たそうですが、自分の映画ながら観ていて楽しめたと語ったそうです。ベガキス氏にも「ティファニーで朝食を」は見るように勧めてくれたとのこと。
オードリー、「ティファニーで朝食を」の撮影に入る前はあまりにも自分とは違うので不安だったようですが、完成後すぐに気に入っていたようで安心しました。後年、最後のパートナー、ロバート・ウォルダースに「ティファニーで朝食を」をテレビで見て“なかなかいいじゃない?”と言っていたというのは知っていましたが、最初からお気に入りだったんですね!
そして「噂の二人」を撮り終わったら、夫のメル・ファーラーがいるイタリアに行くとのこと。
息子ショーンについている乳母もイタリア人で、彼女を信頼している、などと話しているうちにセットが組み上がって、オードリーの出番になり、礼儀正しくチャーミングにウィリアム・ワイラー監督、マクレーン、ガーナーの待つ方へ行ってしまったそうです。
こういう撮影当時の貴重なインタビューとかが読めるのは昔の雑誌の特権ですね。
でもこの印刷、2ページ目(オードリーがインタビュー受けてる写真があるもの)がめっちゃ傾いてる!
表のページ(マクレーンがコート着てる写真があるもの)は普通なので、裏面を印刷するときに製版フィルムがめっちゃ傾いてしまったんでしょうね。
さて「噂の二人」って1961年12月にアメリカ公開なんですけど、撮影中に“スクリーン”の8月号(6月21日発売)が渡せるほどって、物凄く撮影→編集→ポストプロダクション(作曲・効果音・試写など)が短期間で済んだ映画だったんですね!
普通、オードリーの作品って撮影から1年後に公開ってのが多いので、オードリーの主演映画では撮影から公開までが最速なんじゃないでしょうか。
「噂の二人」、初公開当時は同性愛というテーマがまだまだ同性愛に偏見のあったアメリカの男性批評家にはウケが悪かったんですが、三島由紀夫の文学などであまり同性愛に抵抗のない日本の批評家には評価が非常に高かったですよね(淀川長治氏を除く)。
ただ、オードリーには清純でロマンティック・コメディを求める一般の人には「噂の二人」はあまりにも重いテーマで、初公開当時最もヒットしなかったオードリー映画になってしまったのも以前書いている通りです。
なのでもう絶対にリバイバルなんて無いと諦めていたので、1985年にリバイバルした時は本当にびっくりしてめっちゃ嬉しかったですけどね!
でもねーこれ、最初のページが無いんですよ。何度探しても見当たらない。
これ、僕が雑誌から切り取ったんでしょうかねー。そしたら最初のページがあるはずなんですけど…。
でもたまに切り抜きだけ買ってたこともあるんで、そういう一環で手に入れたのかもしれません。
なんか切り抜き方も雑ですしね。
でももし自分で買ったものなら、最初のページを無くしたり、切り抜きが汚かったり、こんなの自分をシバキですね。
さて、これまた本体が失われてるんですが、これが“スクリーン”だとわかるのは、“オードリイ・ヘプバアン”という表記と、オードリーにインタビューしているのがヤニ・ベガキスって人になってるから。
このヤニ・ベガキスさんって、僕が“スクリーン”を買っていた70年台後半でもインタビュアーとして載ってました。懐かしいですねー。
それと、もしライバルの“映画の友”誌だったら“ヘップバアン”表記でしょうからね。
でも60年代初期はまだ“スクリーン”は“オードリイ・ヘプバアン”って表記だったんですね。
最後のページの裏面はカーク・ダグラスの記事なんですけど、そこでも「許されざる者」でオードリーと共演したバート・ランカスターのことが書いてるんですが、表記は“バアト・ランカスタア”になってます。でもカーク・ダグラスは“カーク・ダグラス”で、「ア」とか「イ」とかと「ー」の表記の違いがわかりません。
さて、この記事ですが、題名の表記は「子供の時間」と原題そのものになっています。まだ撮影中は「噂の二人」とは決まってなかったんですね。
というか、原題が「子供の時間」になっているのも新鮮。
というのも、またいつか紹介するかと思いますが、撮影が始まった頃は「よからぬ噂」(THE INFAMOUS)って原題だったようなんです。
撮っている最中に原作と同じ「子供の時間」になったんだなーと経過がわかったり…。
さて、この記事ですが、失われた最初のページはどうやらあらすじを書いていたようで、失われてますが、まああんまり支障は無いかも。
肝心のオードリーのインタビューですが、やっぱりこういうオードリーとの証拠の2ショットを撮っていると本当にインタビューしたんだなーとわかりますよね。
以前紹介した1959年の胡散臭いインタビュー記事なんてものもありましたしね。
なので、そういう本当にインタビューしたかどうかわからんようないかがわしい人は切って、この信頼のおけるヤニ・ベガキス氏にしたのかもしれません。
内容は、まず会ったのは歯医者に行く寸前のシャーリー・マクレーンで、彼女が表紙になった“スクリーン”1961年6月号(4月発売)を渡したらマクレーンは大喜び、近いうちに6月号を手にした写真を撮らせてくれるとのこと。
次に会ったのはジェームズ・ガーナーで、ベガキス氏とジェームズ・ガーナーは彼が出征した朝鮮戦争の話をしていたとか。
そしてオードリーがセットに姿を現して、セットが組み上がるまでに話をしていたそうです。
まずプレゼント用に持っていったオードリーが表紙になった“スクリーン”8月号(6月発売、「ティファニーで朝食を」の正面写真が表紙)を見せたら自分が表紙になっているので嬉しそうだったとのこと。
でも中身にはパーティーで会ったゲーリー・クーパー(61年5月に亡くなったばかり)とオードリーの写真が載っていたそうで、この写真を見つけるととても悲しそうな表情になったそうです。
そしてオードリーはこの雑誌を記念に頂けないか?と遠慮がちに訊いてきたそうです。
もちろん元々オードリーにプレゼントする用のものなので、ベガキス氏は面食らったそうですけど、おずおずともらってもいいかと訊くオードリーと、嬉しそうに受け取るマクレーンっていうのがそれぞれの性格がそのまま出ていてどちらも素敵ですね。
あと、ベガキス氏がオードリーが日本で一番人気のある女優だと話すと、オードリーは驚いていたそうです。
まだオードリーは何年も読者投票で1位を取っているというのを知らなかったんでしょうね。60年台前半はオードリーの日本での人気の絶頂期でしたもんね。
そして日本のファンにお礼の意味で是非一度日本に行きたいと言っていたそうです。数年前、流産の為にせっかく予定していた日本行きが取りやめになったことをとても残念そうに話していたそうです。「許されざる者」撮影後の、1959年「緑の館」宣伝のための来日予定のことですね。その時の詳しい話はこちらの記事で。
それと、今後の予定は「子供の時間」の後少し休みたいということ、まだパラマウントと契約があること、「子供の時間」の次に出るのは「ハワイ」になるだろうとのことでした。
「ハワイ」!…ちょっと脱線しますが、結局オードリーは「噂の二人」の次は1962年にパラマウントとの契約で「パリで一緒に」になりましたし、1963年は「マイ・フェア・レディ」に出演のためフレッド・ジンネマン監督に決まっていた「ハワイ」を降りてしまってますよね。
「噂の二人」は1961年撮影ですから、62年に出演が決まった「マイ・フェア・レディ」はまだ影も形もない頃。
「ハワイ」と「卑怯者の勲章」、それと「公衆の目」はオードリーに決まっていたものの、すべて「マイ・フェア・レディ」のためにキャンセルになって、3本ともジュリー・アンドリュースに役が回りました。
そのうち「公衆の目」はさらにミア・ファローに流れて「フォロー・ミー」になっています。
でもこのころって、最初にオードリーにオファーのあった「サウンド・オブ・ミュージック」もですけど、オードリーとジュリーって役が交換出来るくらいだったんですね。どちらも清潔感のある女優さんですもんね。
さて、インタビューに戻りますが、オードリーは近作の「ティファニーで朝食を」が大変お気に入りとのこと。試写を2回見たそうですが、自分の映画ながら観ていて楽しめたと語ったそうです。ベガキス氏にも「ティファニーで朝食を」は見るように勧めてくれたとのこと。
オードリー、「ティファニーで朝食を」の撮影に入る前はあまりにも自分とは違うので不安だったようですが、完成後すぐに気に入っていたようで安心しました。後年、最後のパートナー、ロバート・ウォルダースに「ティファニーで朝食を」をテレビで見て“なかなかいいじゃない?”と言っていたというのは知っていましたが、最初からお気に入りだったんですね!
そして「噂の二人」を撮り終わったら、夫のメル・ファーラーがいるイタリアに行くとのこと。
息子ショーンについている乳母もイタリア人で、彼女を信頼している、などと話しているうちにセットが組み上がって、オードリーの出番になり、礼儀正しくチャーミングにウィリアム・ワイラー監督、マクレーン、ガーナーの待つ方へ行ってしまったそうです。
こういう撮影当時の貴重なインタビューとかが読めるのは昔の雑誌の特権ですね。
でもこの印刷、2ページ目(オードリーがインタビュー受けてる写真があるもの)がめっちゃ傾いてる!
表のページ(マクレーンがコート着てる写真があるもの)は普通なので、裏面を印刷するときに製版フィルムがめっちゃ傾いてしまったんでしょうね。
さて「噂の二人」って1961年12月にアメリカ公開なんですけど、撮影中に“スクリーン”の8月号(6月21日発売)が渡せるほどって、物凄く撮影→編集→ポストプロダクション(作曲・効果音・試写など)が短期間で済んだ映画だったんですね!
普通、オードリーの作品って撮影から1年後に公開ってのが多いので、オードリーの主演映画では撮影から公開までが最速なんじゃないでしょうか。
「噂の二人」、初公開当時は同性愛というテーマがまだまだ同性愛に偏見のあったアメリカの男性批評家にはウケが悪かったんですが、三島由紀夫の文学などであまり同性愛に抵抗のない日本の批評家には評価が非常に高かったですよね(淀川長治氏を除く)。
ただ、オードリーには清純でロマンティック・コメディを求める一般の人には「噂の二人」はあまりにも重いテーマで、初公開当時最もヒットしなかったオードリー映画になってしまったのも以前書いている通りです。
なのでもう絶対にリバイバルなんて無いと諦めていたので、1985年にリバイバルした時は本当にびっくりしてめっちゃ嬉しかったですけどね!
この記事へのコメント
お久しぶりです。
お体の具合、良くないとのこと、心配しています。
どうか養生なさってください。
もしこのブログが元気のもとになっているのなら幸いですけど、
あんまり負担になさらないでくださいね。
このハリウッド通信員ヤニ・ベガキスさんの記事、僕も持っていました。
印象に残っていますし今でもよく覚えています。
いいインタヴュアーでしたよね。どこの出身の方なんだろう?
自分が表紙になったスクリーン誌を遠慮がちにいただけないかという申し出
ありましたねぇ~、いかにもオードリィらしいです。
そのスクリーン誌を手にした写真もありましたね。
ヘプバアンなのかヘップバアンなのか
バーンかバアンか、なぜそこに当時こだわっていたのか不明ですね。
どうせなら “プ” を省略する選択肢もあってほしかった。
だって実際は “P” はサイレントっぽいので、
ヘッバーンかヘバーンに聞こえます。
ヘプバーンは発音しにくいので、やはり促音の “ッ” が入るべきなような気がしますが、ヘップって響きがなんかいいので、ヘッバーンだと下品かな?
「噂の二人」は確かに短期間で完成したんですね。データベースによっては1962年作品のものもあるけど、1961年度が正しいですもんね。
以前にふとティファニーと連続なんだなぁと妙に驚いていました。
その次の「パリで一緒に」は逆に長くかかりましたね。通常なら62年度か63年度作品になるべきでしょうが、う~ん今でもなんでお蔵入りにしかけたのかパラマウントの対応に解せません。
髪型がおでこに垂らす⇒横分け(シャレード)⇒おでこに垂らすって、当時のオードリィが戻るわけないのにって、昔っから違和感ありました。
あ、僕がオードリーではなく、オードリィという表記にしてしまうのも、
当時のスクリーンか映画の友のなごりかもしれません。
淀川さんの評価が低いのは、なんとなく分かります。
同性愛描写についての掘り下げが弱いということもあるようです。
1967年の「女狐」を絶賛していらして、う~んなんというか
それに比べたら「噂の二人」はおままごとみたいというような・・・
ご自身の”公然の秘密だった”指向も評価に影響しているという話ですね。
で確かに日本の評論家の評価はオードリィ映画のなかでも断トツでした。
最高作だと書いてあったのを複数覚えています。なので観たくてしょうがなかったので、まさかの劇場リバイバルは本当に嬉しかったです。
お体の具合、良くないとのこと、心配しています。
どうか養生なさってください。
もしこのブログが元気のもとになっているのなら幸いですけど、
あんまり負担になさらないでくださいね。
このハリウッド通信員ヤニ・ベガキスさんの記事、僕も持っていました。
印象に残っていますし今でもよく覚えています。
いいインタヴュアーでしたよね。どこの出身の方なんだろう?
自分が表紙になったスクリーン誌を遠慮がちにいただけないかという申し出
ありましたねぇ~、いかにもオードリィらしいです。
そのスクリーン誌を手にした写真もありましたね。
ヘプバアンなのかヘップバアンなのか
バーンかバアンか、なぜそこに当時こだわっていたのか不明ですね。
どうせなら “プ” を省略する選択肢もあってほしかった。
だって実際は “P” はサイレントっぽいので、
ヘッバーンかヘバーンに聞こえます。
ヘプバーンは発音しにくいので、やはり促音の “ッ” が入るべきなような気がしますが、ヘップって響きがなんかいいので、ヘッバーンだと下品かな?
「噂の二人」は確かに短期間で完成したんですね。データベースによっては1962年作品のものもあるけど、1961年度が正しいですもんね。
以前にふとティファニーと連続なんだなぁと妙に驚いていました。
その次の「パリで一緒に」は逆に長くかかりましたね。通常なら62年度か63年度作品になるべきでしょうが、う~ん今でもなんでお蔵入りにしかけたのかパラマウントの対応に解せません。
髪型がおでこに垂らす⇒横分け(シャレード)⇒おでこに垂らすって、当時のオードリィが戻るわけないのにって、昔っから違和感ありました。
あ、僕がオードリーではなく、オードリィという表記にしてしまうのも、
当時のスクリーンか映画の友のなごりかもしれません。
淀川さんの評価が低いのは、なんとなく分かります。
同性愛描写についての掘り下げが弱いということもあるようです。
1967年の「女狐」を絶賛していらして、う~んなんというか
それに比べたら「噂の二人」はおままごとみたいというような・・・
ご自身の”公然の秘密だった”指向も評価に影響しているという話ですね。
で確かに日本の評論家の評価はオードリィ映画のなかでも断トツでした。
最高作だと書いてあったのを複数覚えています。なので観たくてしょうがなかったので、まさかの劇場リバイバルは本当に嬉しかったです。
Posted by まる at 2021年03月15日 23:49
ご無沙汰してます。
お体大丈夫ですか?、と言いながら私も大病を患い入院中です。おそらく同年代(50半ば)さと思いますが、お互いくれぐれも気をつけてゆっくりやっていきましょう!
別に返事などせずにゆっくり養生してください。元気になってますますいろんな記事を見せてくださいね。
取り急ぎお見舞いまで。
お体大丈夫ですか?、と言いながら私も大病を患い入院中です。おそらく同年代(50半ば)さと思いますが、お互いくれぐれも気をつけてゆっくりやっていきましょう!
別に返事などせずにゆっくり養生してください。元気になってますますいろんな記事を見せてくださいね。
取り急ぎお見舞いまで。
Posted by KG at 2021年03月17日 00:44
>まるさん
わっ!お久しぶりです!まるさんが来てくださらないと不安になります。
まるさんの長文、本当に毎回楽しみにしてますよ!
今日はこれから病院です。
でも今週はわりと体調いいんですよ。
月曜も血液検査でいい数値が出てましたし。
それと、この記事をお持ちでしたか!
自分が表紙の雑誌をその出版社が持ってきたら、貰えると思うのが普通でしょうに、もらえるかどうか訊くってのがやっぱりオードリーですよね。
ていうか、まあ俳優本人は知らないのでしょうが、この当時は表紙に自分の画像が使われていてものんびりしていますよね。
今だったら権利がどうこうとか言ってくる俳優本人多そうですもんね。
昔でもユル・ブリンナーとか「荒野の七人」のポスターのこともあるし、やっぱりうるさそう。見た目どっしりしてそうなのに、意外と細かくて口うるさいというそういうのがドリス・ブリンナーに嫌がられたんかなーとも思いますし。
そういえば、シネアルバムで怒った俳優もいましたね。それもユル・ブリンナーでしたっけ?
それとこの時の「スクリーン」を持つ写真、ありましたねー!確か「スクリーン」の付録のクリアファイルで付いていたこともあったかと。
それと、呼び名ですけど、そうそう!ヘプバーンでもヘップバーンでも、結局「プ」って本来発音しないんですよね。
僕もフランスのジバンシイの店で、「ヘプバーン」じゃ通じなくて、「ヘッバーン」で通じたので、その思いを強くしますねー。
でもヘップって響きは確かにいいですよね。ヘップ履きなんて名称はまさにそこから付いたんでしょうし。
こういう表記も、「ローマの休日」で最初に書かれた宣伝資料みたいなのを出したパラマウント日本支社のだれかの翻訳で決まったんでしょうね。
まるさんのオードリィ表記はそうだろうなーと思ってますよー。
「噂の二人」、本当に短期間過ぎてビックリです。
年末に公開なら、きっと61年1〜4月くらいの撮影かと勝手に思っていましたが、にしては最初のサイクリングするタイトルバックやらがあまりにも春すぎておかしいですもんね。
以前takeさんが何かの授賞式でのオードリーの写真を紹介してくれて、それが明らかに「ティファニーで朝食を」風の頭だったのに、61年4月でえーっ!と思って確認したんですが、やっぱり4月で、とっくに「噂の二人」の撮影は始まっていると思い込んでいたので衝撃でした。
でもよく考えると60年11月に始まった「ティファニーで朝食を」の撮影も、61年2月〜4月くらいまではかかったでしょうし、61年初頭には「噂の二人」はまだ撮影できないですよね。
「ティファニーで朝食を」の後、「噂の二人」の前髪の長さになるにはそれなりに何ヶ月かはかかるでしょうし、「噂の二人」の撮影は夏〜秋だと考えるのが妥当でしょうね。最後とかコート着てますしね。
そしたら本当にすごい短期間!
「噂の二人」の宣伝写真で、オードリーの前髪が短くて分けておでこを見せているものがあるのは、まだ前髪が伸びてないんだろうなーとか色々考えますね。
それと対照的に「パリで一緒に」は長いですよね。公開まで2年ですもんね。63年に公開されると思って、「スクリーン」ではリバイバルの「ローマの休日」との合同特集号まで出たのに、結局公開はその翌年でしたもんね。
それと、お蔵入りになりかけたというのも、不思議ですよね。
「パリで一緒に」ってそこまで悪い作品ではなくて、駄作なんてもっとあるのに、これほどのスターが出ていてそれでお蔵入りなんてことあるんでしょうかね?
もしかしたら同時期にパラマウントに入った泥棒がオードリー作品だけ盗んで行ったということと関係してたりして。編集済みの原版を盗まれた、とか?
今ではすっかり「噂の二人」「シャレード」「パリで一緒に」の順にされていますけど、昔の「スクリーン」では「噂の二人」「パリで一緒に」「シャレード」で並べられていましたから、僕はそっちで覚えてしまってるんですけどねー。
ここのブログでもカテゴリーはオードリーの撮影順ですし。
でも確かに髪型を見て、今の人たちって「噂の二人」と「パリで一緒に」の相似性に気づかないもんなんですかね?
まあ「シャレード」の後に、「マイ・フェア・レディ」でまた前髪を下ろすので、僕も「パリで一緒に」と「マイ・フェア・レディ」の時期の宣伝写真で難しいものがあるんですけれども。
淀川長治さんの「噂の二人」の酷評は結構凄まじいですよね笑。
ご自身の指向からも「噂の二人」は表層だけのものに感じるのかと思いますね。
でも「噂の二人」はそれに気づくことによって起こるマーサの悲劇を描いているので、気づくまでのお話ですもんね。そこから先の話ではないような…。
「噂の二人」、僕もすごくいいとは思ってるんですが、「火垂るの墓」と同じで、結末があれなので見るのにすごいパワーが必要になります。
好きだけど僕自身のベスト10に入るかどうかな所にいるのはやっぱりそこが原因ですよね。
批評家さんの最高評価、僕も見たことがあるような感じですけど、見当たらないなー…。立ち読みで済ませたんでしょうかね。またじっくり探して見ますね。
わっ!お久しぶりです!まるさんが来てくださらないと不安になります。
まるさんの長文、本当に毎回楽しみにしてますよ!
今日はこれから病院です。
でも今週はわりと体調いいんですよ。
月曜も血液検査でいい数値が出てましたし。
それと、この記事をお持ちでしたか!
自分が表紙の雑誌をその出版社が持ってきたら、貰えると思うのが普通でしょうに、もらえるかどうか訊くってのがやっぱりオードリーですよね。
ていうか、まあ俳優本人は知らないのでしょうが、この当時は表紙に自分の画像が使われていてものんびりしていますよね。
今だったら権利がどうこうとか言ってくる俳優本人多そうですもんね。
昔でもユル・ブリンナーとか「荒野の七人」のポスターのこともあるし、やっぱりうるさそう。見た目どっしりしてそうなのに、意外と細かくて口うるさいというそういうのがドリス・ブリンナーに嫌がられたんかなーとも思いますし。
そういえば、シネアルバムで怒った俳優もいましたね。それもユル・ブリンナーでしたっけ?
それとこの時の「スクリーン」を持つ写真、ありましたねー!確か「スクリーン」の付録のクリアファイルで付いていたこともあったかと。
それと、呼び名ですけど、そうそう!ヘプバーンでもヘップバーンでも、結局「プ」って本来発音しないんですよね。
僕もフランスのジバンシイの店で、「ヘプバーン」じゃ通じなくて、「ヘッバーン」で通じたので、その思いを強くしますねー。
でもヘップって響きは確かにいいですよね。ヘップ履きなんて名称はまさにそこから付いたんでしょうし。
こういう表記も、「ローマの休日」で最初に書かれた宣伝資料みたいなのを出したパラマウント日本支社のだれかの翻訳で決まったんでしょうね。
まるさんのオードリィ表記はそうだろうなーと思ってますよー。
「噂の二人」、本当に短期間過ぎてビックリです。
年末に公開なら、きっと61年1〜4月くらいの撮影かと勝手に思っていましたが、にしては最初のサイクリングするタイトルバックやらがあまりにも春すぎておかしいですもんね。
以前takeさんが何かの授賞式でのオードリーの写真を紹介してくれて、それが明らかに「ティファニーで朝食を」風の頭だったのに、61年4月でえーっ!と思って確認したんですが、やっぱり4月で、とっくに「噂の二人」の撮影は始まっていると思い込んでいたので衝撃でした。
でもよく考えると60年11月に始まった「ティファニーで朝食を」の撮影も、61年2月〜4月くらいまではかかったでしょうし、61年初頭には「噂の二人」はまだ撮影できないですよね。
「ティファニーで朝食を」の後、「噂の二人」の前髪の長さになるにはそれなりに何ヶ月かはかかるでしょうし、「噂の二人」の撮影は夏〜秋だと考えるのが妥当でしょうね。最後とかコート着てますしね。
そしたら本当にすごい短期間!
「噂の二人」の宣伝写真で、オードリーの前髪が短くて分けておでこを見せているものがあるのは、まだ前髪が伸びてないんだろうなーとか色々考えますね。
それと対照的に「パリで一緒に」は長いですよね。公開まで2年ですもんね。63年に公開されると思って、「スクリーン」ではリバイバルの「ローマの休日」との合同特集号まで出たのに、結局公開はその翌年でしたもんね。
それと、お蔵入りになりかけたというのも、不思議ですよね。
「パリで一緒に」ってそこまで悪い作品ではなくて、駄作なんてもっとあるのに、これほどのスターが出ていてそれでお蔵入りなんてことあるんでしょうかね?
もしかしたら同時期にパラマウントに入った泥棒がオードリー作品だけ盗んで行ったということと関係してたりして。編集済みの原版を盗まれた、とか?
今ではすっかり「噂の二人」「シャレード」「パリで一緒に」の順にされていますけど、昔の「スクリーン」では「噂の二人」「パリで一緒に」「シャレード」で並べられていましたから、僕はそっちで覚えてしまってるんですけどねー。
ここのブログでもカテゴリーはオードリーの撮影順ですし。
でも確かに髪型を見て、今の人たちって「噂の二人」と「パリで一緒に」の相似性に気づかないもんなんですかね?
まあ「シャレード」の後に、「マイ・フェア・レディ」でまた前髪を下ろすので、僕も「パリで一緒に」と「マイ・フェア・レディ」の時期の宣伝写真で難しいものがあるんですけれども。
淀川長治さんの「噂の二人」の酷評は結構凄まじいですよね笑。
ご自身の指向からも「噂の二人」は表層だけのものに感じるのかと思いますね。
でも「噂の二人」はそれに気づくことによって起こるマーサの悲劇を描いているので、気づくまでのお話ですもんね。そこから先の話ではないような…。
「噂の二人」、僕もすごくいいとは思ってるんですが、「火垂るの墓」と同じで、結末があれなので見るのにすごいパワーが必要になります。
好きだけど僕自身のベスト10に入るかどうかな所にいるのはやっぱりそこが原因ですよね。
批評家さんの最高評価、僕も見たことがあるような感じですけど、見当たらないなー…。立ち読みで済ませたんでしょうかね。またじっくり探して見ますね。
Posted by みつお at 2021年03月17日 10:22
>KGさん
わー、めっちゃお久しぶりです!すっごく嬉しいです!!
…と思ったら大病で入院中とのこと、お大事になさってください。
僕もこれから病院で色々とまた検査があります。
そんな中、わざわざ書き込んでくださってありがとうございます。
僕も健康だけが取り柄だったのに、こんな状態で情けないなーと思ってしまいます。
これでは家族など、大事な人を助けるどころではなく、逆になってしまってます。
お互い気をつけていきましょうね!
わー、めっちゃお久しぶりです!すっごく嬉しいです!!
…と思ったら大病で入院中とのこと、お大事になさってください。
僕もこれから病院で色々とまた検査があります。
そんな中、わざわざ書き込んでくださってありがとうございます。
僕も健康だけが取り柄だったのに、こんな状態で情けないなーと思ってしまいます。
これでは家族など、大事な人を助けるどころではなく、逆になってしまってます。
お互い気をつけていきましょうね!
Posted by みつお at 2021年03月17日 10:28
その後、具合はいかがですか?
>ユル・ブリンナー
イメージとはだいぶ異なる話をよく目にしますね。タフガイのようでいて器が小さいとか言われてます。ヒーローイメージのスターって意外とそういうものなのかもしれませんね。
でもドリスは離婚後も姓は呼び名として変えなかったんですかね?
ワイラー監督は自作をわざわざリメイクするくらいだから、やる気満々だったような気がします。「ベン・ハー」の大成功でかなり自分の要望が強気に通せるようになったともいいます。なので短期間のやっつけ仕事ではなかったはずなんですが、いかにスケールの小さい地味な作品とはいえあまりにも短すぎますよね。
この髪型が一番似合っていると確信していて本当に綺麗なのと、オードリィ作品では極めて注目されない作品だったので、(緑の館よりもずっとスルーされていた感じがしていました)
かえって興味が湧いて古本屋でよく探していろんな記事やグラビアを結構持っていました。この記事前後の特集記事で”撮影は完了したが、完全主義者のワイラーなのでこれからが大変だ。公開はだいぶ後になるかと思われる”という旨のコメントの記事があったのを覚えています。・・・実際は違いましたね。
そういえば完成品を見るとあれれ・・・な箇所もあるんですよ。
冒頭の父兄会で、カレンの立つ位置が最初と最後で変わっているんです。ピアノ演奏が終わるときにはいつの間にかマーサのいた場所に立っています。スクリプターのミスでしょうが、相続人ほどではないにせよ結構ずさん?
この役はオードリィ向きではないとかいう意見をよく目にしますが、
僕はなんか適役な感じがします。同性に好かれる個性という意味でも、母性的という意味でもはまっているのではないかなぁ。
演技する以前に存在しているだけで説得力がある。これは最重要で僕にとっては決定的です。映画の俳優さんとしては本格的なのではないですかね。
その点では淀川さんの批評とは正反対の感想を抱いていますね。
確かに演技となるとちょっと弱いと感じるところも・・・僕にとってオードリィではほとんど例外的ですが、ちょっと力不足かなと感じたのは否めません。
どこかというと、謝罪に来たティルフォード夫人に対し”許すもんですかッ”って激高するところです。シャーリーならともかくオードリィには合わないのかも。う~んちょっと下手っぽく見えました。
ただしここは演技というより演出の問題かもしれませんね。そもそもカレン的ではなく、原作にあるようにあくまで冷静に応対するほうがキャラに相応しい。
「私にとってはもう終わったことですが、あなたにはこれからも一生続いていくことなんですね」
ああいう脚本と演技をさせたことが間違いだったのかもしれません。
批評家の方がこれが最高作だという記事は、
デラックスカラーシネアルバムの作品紹介や60年代の特集号(スクリーンのほうだったかな?)に記載があったような気がします。
ガーナーにシャーリーが共演だったら、本来なら都会派のロマンティックコメディが王道でしょうね。この二人は話がとにかく面白くて笑わせてくれるので、オードリィはとても嬉しかったそうですね。
バッドエンディングな重い作品、歳のせいもあってか敬遠するようになってきました。確かにパワーが要ります。「噂の二人」はなんか清々しい感じがするのと結末に潔さがあるせいなのか、例外的に割と平気なんですよ。
>ユル・ブリンナー
イメージとはだいぶ異なる話をよく目にしますね。タフガイのようでいて器が小さいとか言われてます。ヒーローイメージのスターって意外とそういうものなのかもしれませんね。
でもドリスは離婚後も姓は呼び名として変えなかったんですかね?
ワイラー監督は自作をわざわざリメイクするくらいだから、やる気満々だったような気がします。「ベン・ハー」の大成功でかなり自分の要望が強気に通せるようになったともいいます。なので短期間のやっつけ仕事ではなかったはずなんですが、いかにスケールの小さい地味な作品とはいえあまりにも短すぎますよね。
この髪型が一番似合っていると確信していて本当に綺麗なのと、オードリィ作品では極めて注目されない作品だったので、(緑の館よりもずっとスルーされていた感じがしていました)
かえって興味が湧いて古本屋でよく探していろんな記事やグラビアを結構持っていました。この記事前後の特集記事で”撮影は完了したが、完全主義者のワイラーなのでこれからが大変だ。公開はだいぶ後になるかと思われる”という旨のコメントの記事があったのを覚えています。・・・実際は違いましたね。
そういえば完成品を見るとあれれ・・・な箇所もあるんですよ。
冒頭の父兄会で、カレンの立つ位置が最初と最後で変わっているんです。ピアノ演奏が終わるときにはいつの間にかマーサのいた場所に立っています。スクリプターのミスでしょうが、相続人ほどではないにせよ結構ずさん?
この役はオードリィ向きではないとかいう意見をよく目にしますが、
僕はなんか適役な感じがします。同性に好かれる個性という意味でも、母性的という意味でもはまっているのではないかなぁ。
演技する以前に存在しているだけで説得力がある。これは最重要で僕にとっては決定的です。映画の俳優さんとしては本格的なのではないですかね。
その点では淀川さんの批評とは正反対の感想を抱いていますね。
確かに演技となるとちょっと弱いと感じるところも・・・僕にとってオードリィではほとんど例外的ですが、ちょっと力不足かなと感じたのは否めません。
どこかというと、謝罪に来たティルフォード夫人に対し”許すもんですかッ”って激高するところです。シャーリーならともかくオードリィには合わないのかも。う~んちょっと下手っぽく見えました。
ただしここは演技というより演出の問題かもしれませんね。そもそもカレン的ではなく、原作にあるようにあくまで冷静に応対するほうがキャラに相応しい。
「私にとってはもう終わったことですが、あなたにはこれからも一生続いていくことなんですね」
ああいう脚本と演技をさせたことが間違いだったのかもしれません。
批評家の方がこれが最高作だという記事は、
デラックスカラーシネアルバムの作品紹介や60年代の特集号(スクリーンのほうだったかな?)に記載があったような気がします。
ガーナーにシャーリーが共演だったら、本来なら都会派のロマンティックコメディが王道でしょうね。この二人は話がとにかく面白くて笑わせてくれるので、オードリィはとても嬉しかったそうですね。
バッドエンディングな重い作品、歳のせいもあってか敬遠するようになってきました。確かにパワーが要ります。「噂の二人」はなんか清々しい感じがするのと結末に潔さがあるせいなのか、例外的に割と平気なんですよ。
Posted by まる at 2021年03月21日 00:16
体調、昨日も数字的には良くないみたいなんですが、身体が慣れてきたのか、苦しさが減っていて、それもまた警告しなくなってきた身体ということで、良いのやら悪いのやら…。
ユル・ブリンナー、あの見た目で口うるさかったら、確かに女性はガッカリかもしれませんよね。オードリーと繋がっていたのもドリスの方で、離婚後のユル・ブリンナーとオードリーの接点ってあまりなさそうですよね。
まあそれはオードリーもお互い様で、オードリーと離婚後のメル・ファーラーにはあまり好意的な意見って聞きませんよね。
ドリス・ブリンナーって、オードリーの伝記ではみんなブリンナーって書いてますけど、ネットで調べようと思うと別の姓で載ってますよね。離婚後の姓はどうしてたんでしょうね。
「噂の二人」、撮影後はポスト・プロダクションが時間かかりそうだと思われていたんですね。その辺の当時の雑誌って持ってないので、あまり事情がわからないんですよー。なんせ優先順位が「いつも2人で」→「パリで一緒に」→「緑の館」ってな感じなので(今は手に入りにくいものの中で、思い入れのある作品順)。
なのでまるさんの情報が貴重です。ありがとうございます!
ピアノ演奏時のカレンの立ち位置。つい確認して見てしまいました。
そしたらまたその先も見たくなってしまって、結局最後まで…笑。
ついでに見た予告編には本編に使われていないシーンがあって、前にも見て、ほー!って思ってたんでしょうが、忘れててまたほーって思いました。
カレンがマーサのドアを壊すところですが、オードリーの最初の緊張感のない叩き方やトロフィーの向きをひっくり返すところなどです。叔母さんのアップもありましたね。
「噂の二人」は本当にオードリーそのもので、まるさんもおっしゃるように適役ですよね。存在そのものがオードリーだから成り立つ、みたいな。まだ60年代初頭なので、男勝りの女性を好きになる、という感じではなくて、女性らしさの凛々しさを愛してしまう、というのも納得です。
ティルフォード夫人を許さないところは、そう言われてみればオードリーなのでそういう激昂ってのが不似合いなのかもしれませんね。おそらくその後現実でメル・ファーラーにしたような、冷たい怒りみたいな方がオードリーにはらしいのかもしれないです。
シャーリー・マクレーンが怒りを表現したら…現実のシャーリーならめっちゃ合ってますけど、この役のマーサのキャラにはちょっと合わないかもですね。
「私にとってはもう終わったことですが、あなたにはこれからも一生続いていくことなんですね」これ、いつも映画を見るときには思い出します。映画と原作のカレンの違いですね。
それと、デラックスカラーシネアルバム見てきました。ホントですね!
すっかり忘れてました。ということは渡辺祥子さんはそう思っていた、ということなんでしょうかね?
もう一つの特集号の方では今日は見つけられませんでした。作品紹介のところではないんですかね。
でもジェームズ・ガーナーの演技がけなされることがありますが、確かにどうにもひょうきんな顔立ちなので、お葬式での表情がちょっと…とは思ってしまいます。ラストのオードリーの凛とした表情と比較してしまうので。
「噂の二人」で気になるのは、やっぱり最後まで「同性愛は罪」的な考えに役の上でみんなが思っていることでしょうか。
製作当時では画期的だったこの「噂の二人」の内容も、年月とともに「これも同性愛差別だ!」なんて言われてしまわないか心配です。
製作当時最大限に黒人に配慮した「風と共に去りぬ」も今では度々差別扱いされるのを見て、しかもそれが「当時はあんなに黒人は大事にされていなかった!本当の奴隷制度を描いていない!」という理由だったりするみたいなので、もうどうしていいかと思います。きっと黒人を乱暴に扱う描写だったとしてもそれはそれで差別だと言われるでしょうし。
過去のは過去の基準で作られたもの、という割り切りはダメなんでしょうか。
この「噂の二人」もオードリーの伝記だと同性愛を描くためにワイラー監督はアメリカの映画協会と戦っていたみたいですし、それで同性愛を描く素地ができたのに、それものちの基準で差別扱いとかになってくると、なんだろなーと思ってしまいます。そうならないことを願っています。
ユル・ブリンナー、あの見た目で口うるさかったら、確かに女性はガッカリかもしれませんよね。オードリーと繋がっていたのもドリスの方で、離婚後のユル・ブリンナーとオードリーの接点ってあまりなさそうですよね。
まあそれはオードリーもお互い様で、オードリーと離婚後のメル・ファーラーにはあまり好意的な意見って聞きませんよね。
ドリス・ブリンナーって、オードリーの伝記ではみんなブリンナーって書いてますけど、ネットで調べようと思うと別の姓で載ってますよね。離婚後の姓はどうしてたんでしょうね。
「噂の二人」、撮影後はポスト・プロダクションが時間かかりそうだと思われていたんですね。その辺の当時の雑誌って持ってないので、あまり事情がわからないんですよー。なんせ優先順位が「いつも2人で」→「パリで一緒に」→「緑の館」ってな感じなので(今は手に入りにくいものの中で、思い入れのある作品順)。
なのでまるさんの情報が貴重です。ありがとうございます!
ピアノ演奏時のカレンの立ち位置。つい確認して見てしまいました。
そしたらまたその先も見たくなってしまって、結局最後まで…笑。
ついでに見た予告編には本編に使われていないシーンがあって、前にも見て、ほー!って思ってたんでしょうが、忘れててまたほーって思いました。
カレンがマーサのドアを壊すところですが、オードリーの最初の緊張感のない叩き方やトロフィーの向きをひっくり返すところなどです。叔母さんのアップもありましたね。
「噂の二人」は本当にオードリーそのもので、まるさんもおっしゃるように適役ですよね。存在そのものがオードリーだから成り立つ、みたいな。まだ60年代初頭なので、男勝りの女性を好きになる、という感じではなくて、女性らしさの凛々しさを愛してしまう、というのも納得です。
ティルフォード夫人を許さないところは、そう言われてみればオードリーなのでそういう激昂ってのが不似合いなのかもしれませんね。おそらくその後現実でメル・ファーラーにしたような、冷たい怒りみたいな方がオードリーにはらしいのかもしれないです。
シャーリー・マクレーンが怒りを表現したら…現実のシャーリーならめっちゃ合ってますけど、この役のマーサのキャラにはちょっと合わないかもですね。
「私にとってはもう終わったことですが、あなたにはこれからも一生続いていくことなんですね」これ、いつも映画を見るときには思い出します。映画と原作のカレンの違いですね。
それと、デラックスカラーシネアルバム見てきました。ホントですね!
すっかり忘れてました。ということは渡辺祥子さんはそう思っていた、ということなんでしょうかね?
もう一つの特集号の方では今日は見つけられませんでした。作品紹介のところではないんですかね。
でもジェームズ・ガーナーの演技がけなされることがありますが、確かにどうにもひょうきんな顔立ちなので、お葬式での表情がちょっと…とは思ってしまいます。ラストのオードリーの凛とした表情と比較してしまうので。
「噂の二人」で気になるのは、やっぱり最後まで「同性愛は罪」的な考えに役の上でみんなが思っていることでしょうか。
製作当時では画期的だったこの「噂の二人」の内容も、年月とともに「これも同性愛差別だ!」なんて言われてしまわないか心配です。
製作当時最大限に黒人に配慮した「風と共に去りぬ」も今では度々差別扱いされるのを見て、しかもそれが「当時はあんなに黒人は大事にされていなかった!本当の奴隷制度を描いていない!」という理由だったりするみたいなので、もうどうしていいかと思います。きっと黒人を乱暴に扱う描写だったとしてもそれはそれで差別だと言われるでしょうし。
過去のは過去の基準で作られたもの、という割り切りはダメなんでしょうか。
この「噂の二人」もオードリーの伝記だと同性愛を描くためにワイラー監督はアメリカの映画協会と戦っていたみたいですし、それで同性愛を描く素地ができたのに、それものちの基準で差別扱いとかになってくると、なんだろなーと思ってしまいます。そうならないことを願っています。
Posted by みつお at 2021年03月22日 01:12