2022年10月30日
「女性自身」1993年2月9日号 “ああ、麗しのヘプバーン!”追悼大特集
来年の1月20日で、オードリーが亡くなってから30年が経ちます。
以前オードリーの記事を何か探しているときに、オードリーが亡くなった時の追悼特集がたくさん出てきたので、来年にかけてしばらくそういった特集や記事などをちょくちょく紹介していこうかと思っています。
でもそれだけだと暗くなってしまいそうなので、合間には普通の記事も織り交ぜていくつもりです。
さてそんな追悼記事の最初はこの週刊誌「女性自身」1993年2月9日号です。
これは表紙のメインもオードリーですね。
この表紙を見ていただくとお分かりのように、この時って皇太子殿下(現:天皇陛下)と小和田雅子さま(現;皇后陛下)のご婚約とも重なっていて、どっちが表紙になるかっていう問題もあったんですよね。
この「女性自身」ではオードリーが表紙のメインになりましたが、ほかの雑誌では逆のもあったんですよね。
さて、この表紙にはオードリーの画像が4点使われていますけども、その中でのメインは「パリで一緒に」のもの。
今だったら絶対に50年代のオードリーになりそうですけど、最高にキレイでカワイイ「パリで一緒に」を使ってくれているのが嬉しいですよね!
でもこの「パリで一緒に」は裏焼きですね。鼻を見るとわかるんですけど、裏焼きにはうるさい僕が違和感なく見ていられるのは、この裏焼きに慣れているからです。
だいぶ前に記事にしてるんですけど、この画像で大型パネルを持っているからなんですね。
下の3点には「ローマの休日」「いつも2人で」「パリの恋人」の画像が使われています。
「ローマの休日」はいつもの画像。日本で「ローマの休日」と言ったらこの画像ですね。
「いつも2人で」はこれまた過去に「映画の友」誌の切り抜きで記事にしてますが、「いつも2人で」の中でもトップクラスにオードリーが美しい画像。
「パリの恋人」は本当に右側から写させている珍しいもの。でもやっぱりちょっとお鼻が気になります。
表紙では一番上に『ああ、麗しのオードリー・ヘプバーン!愛と波乱の生涯!!「私が死んでも、この花を…」清らかな“遺言”をのこして』と書いてあります。
グラビアページでは3ページ分でオードリーが登場。最初のページは表紙と同じティアラの「ローマの休日」。
めくると「ティファニーで朝食を」と1953年(「ローマの休日」と「麗しのサブリナ」の間)のポートレート。
ここでは
『1月20日、オードリー・ヘプバーンが大腸ガンのため死去。63才だった。去年ソマリアの難民救済活動中に病状が悪化。手術を受けたが、余命3カ月と宣告されていた。「大好きなスイスの雪を見て死にたい」と、ローザンヌの別荘に帰って彼女は死を迎えた。』
と書かれています。ちょっと何箇所か間違ってますけどね。
オレンジ色の本文ページでは5ページ分がオードリーのために割かれています。表紙は晩年のオードリー。
一番上には『体重34キロで壮絶なガン死!!』とショッキングなことが書かれています。
身長170cmで34kgはちょっと軽すぎますよね。
確かメル・ファーラーとの別居だったか離婚だったかの直後もそれくらいに落ちてました。
本文ではまず衰弱したオードリーをスイスへ戻すために、グレゴリー・ペックの自家用機が使われたことになっています。
これ、確かに当時はそう言われてましたけど、実際にはジバンシィの顧客のメロン財閥の夫人の自家用ジェットが使われましたよね。
それと、ここではオードリーの末期の癌のことをスッパ抜いた「ナショナル・エンクワイアラー」誌の記事のことが載っています。
「大腸ガンは末期に達していて、われわれができたことは腫瘍の一部を切除し、彼女の苦痛をやわらげることでしかなかった」ということだったようです。
そういえば、30年前の今頃はオードリーはもう入院していたのでしょうね。11月1日には手術が行われています。
スイスに戻ってからのオードリーは、身体中にチューブをつけられ、激痛を抑えるためにモルヒネが投与される生活だったと書かれており、オードリーの伝記でも詳しく載っていなかったことがリアルに書かれていて、オードリーの苦しみを考えるととても悲しくなります。
なぜ慈しみに溢れたオードリーがそんなに苦しまなければならなかったのでしょうね…。
3ページめにはロバート・ウォルダーズとドリス・ブリンナー(?)と庭で写るオードリー(おそらくパパラッチに撮られたもの)の写真が載っています。
最後の2ページでは、大きく加藤タキさんが語るオードリーがありますが、見出しになっている「皺だらけになったぶん、心で」っていう書き方がヒドイ。実際に文章を読むとオードリーは「私も年を重ねて皺も増えました。」って言ってるだけなんですよね。それを「皺だらけになった」って…。
昭和の悪い所が出てますね。この見出しを付けたのも男性編集者なんでしょうが、年をとった人の容姿をあげつらうという。
下には淀川長治さん、水野晴郎さん、大内順子さん、黒柳徹子さん、小森和子さん、赤塚不二夫さん、水木しげるさんなどの追悼の言葉が載っています。
以前オードリーの記事を何か探しているときに、オードリーが亡くなった時の追悼特集がたくさん出てきたので、来年にかけてしばらくそういった特集や記事などをちょくちょく紹介していこうかと思っています。
でもそれだけだと暗くなってしまいそうなので、合間には普通の記事も織り交ぜていくつもりです。
さてそんな追悼記事の最初はこの週刊誌「女性自身」1993年2月9日号です。
これは表紙のメインもオードリーですね。
この表紙を見ていただくとお分かりのように、この時って皇太子殿下(現:天皇陛下)と小和田雅子さま(現;皇后陛下)のご婚約とも重なっていて、どっちが表紙になるかっていう問題もあったんですよね。
この「女性自身」ではオードリーが表紙のメインになりましたが、ほかの雑誌では逆のもあったんですよね。
さて、この表紙にはオードリーの画像が4点使われていますけども、その中でのメインは「パリで一緒に」のもの。
今だったら絶対に50年代のオードリーになりそうですけど、最高にキレイでカワイイ「パリで一緒に」を使ってくれているのが嬉しいですよね!
でもこの「パリで一緒に」は裏焼きですね。鼻を見るとわかるんですけど、裏焼きにはうるさい僕が違和感なく見ていられるのは、この裏焼きに慣れているからです。
だいぶ前に記事にしてるんですけど、この画像で大型パネルを持っているからなんですね。
下の3点には「ローマの休日」「いつも2人で」「パリの恋人」の画像が使われています。
「ローマの休日」はいつもの画像。日本で「ローマの休日」と言ったらこの画像ですね。
「いつも2人で」はこれまた過去に「映画の友」誌の切り抜きで記事にしてますが、「いつも2人で」の中でもトップクラスにオードリーが美しい画像。
「パリの恋人」は本当に右側から写させている珍しいもの。でもやっぱりちょっとお鼻が気になります。
表紙では一番上に『ああ、麗しのオードリー・ヘプバーン!愛と波乱の生涯!!「私が死んでも、この花を…」清らかな“遺言”をのこして』と書いてあります。
グラビアページでは3ページ分でオードリーが登場。最初のページは表紙と同じティアラの「ローマの休日」。
めくると「ティファニーで朝食を」と1953年(「ローマの休日」と「麗しのサブリナ」の間)のポートレート。
ここでは
『1月20日、オードリー・ヘプバーンが大腸ガンのため死去。63才だった。去年ソマリアの難民救済活動中に病状が悪化。手術を受けたが、余命3カ月と宣告されていた。「大好きなスイスの雪を見て死にたい」と、ローザンヌの別荘に帰って彼女は死を迎えた。』
と書かれています。ちょっと何箇所か間違ってますけどね。
オレンジ色の本文ページでは5ページ分がオードリーのために割かれています。表紙は晩年のオードリー。
一番上には『体重34キロで壮絶なガン死!!』とショッキングなことが書かれています。
身長170cmで34kgはちょっと軽すぎますよね。
確かメル・ファーラーとの別居だったか離婚だったかの直後もそれくらいに落ちてました。
本文ではまず衰弱したオードリーをスイスへ戻すために、グレゴリー・ペックの自家用機が使われたことになっています。
これ、確かに当時はそう言われてましたけど、実際にはジバンシィの顧客のメロン財閥の夫人の自家用ジェットが使われましたよね。
それと、ここではオードリーの末期の癌のことをスッパ抜いた「ナショナル・エンクワイアラー」誌の記事のことが載っています。
「大腸ガンは末期に達していて、われわれができたことは腫瘍の一部を切除し、彼女の苦痛をやわらげることでしかなかった」ということだったようです。
そういえば、30年前の今頃はオードリーはもう入院していたのでしょうね。11月1日には手術が行われています。
スイスに戻ってからのオードリーは、身体中にチューブをつけられ、激痛を抑えるためにモルヒネが投与される生活だったと書かれており、オードリーの伝記でも詳しく載っていなかったことがリアルに書かれていて、オードリーの苦しみを考えるととても悲しくなります。
なぜ慈しみに溢れたオードリーがそんなに苦しまなければならなかったのでしょうね…。
3ページめにはロバート・ウォルダーズとドリス・ブリンナー(?)と庭で写るオードリー(おそらくパパラッチに撮られたもの)の写真が載っています。
最後の2ページでは、大きく加藤タキさんが語るオードリーがありますが、見出しになっている「皺だらけになったぶん、心で」っていう書き方がヒドイ。実際に文章を読むとオードリーは「私も年を重ねて皺も増えました。」って言ってるだけなんですよね。それを「皺だらけになった」って…。
昭和の悪い所が出てますね。この見出しを付けたのも男性編集者なんでしょうが、年をとった人の容姿をあげつらうという。
下には淀川長治さん、水野晴郎さん、大内順子さん、黒柳徹子さん、小森和子さん、赤塚不二夫さん、水木しげるさんなどの追悼の言葉が載っています。
Posted by みつお at 18:00│Comments(4)
│その他日本の雑誌
この記事へのコメント
みつおさん、このタイミングでこのテーマを取り上げてくださり、ありがとうございますm(__)m
拝読し、久しぶりにウルッときています
拝読し、久しぶりにウルッときています
Posted by 寝ても覚めても。 at 2022年11月01日 20:28
みつおさんは無事に退院されたのでしょうか。快癒を祈念します。
30年前の1月、私は複雑骨折で長期入院中でした。雑誌の追悼特集もほとんど見ていないし、テレビのさよなら吹き替特番も一本も録画していません。
私は昔のロマンティック・コメディが好きで、言ってみればその頂点としてしてオードリーのファンなのです。でもロマ・コメの中でもドタ・コメ寄りの「パリで一緒に」なんかの評価は低いから、あまり再放送もされません。
没後30年で、いろいろな作品の放送があると期待しましょう。
30年前の1月、私は複雑骨折で長期入院中でした。雑誌の追悼特集もほとんど見ていないし、テレビのさよなら吹き替特番も一本も録画していません。
私は昔のロマンティック・コメディが好きで、言ってみればその頂点としてしてオードリーのファンなのです。でもロマ・コメの中でもドタ・コメ寄りの「パリで一緒に」なんかの評価は低いから、あまり再放送もされません。
没後30年で、いろいろな作品の放送があると期待しましょう。
Posted by wimpole at 2022年11月03日 11:51
>寝ても覚めてもさん
ちょうど30年前に、オードリーの余命3か月というニュースが駆け巡りましたよね。 僕は当時あまり信用してなかったのですが、本当でしたね。
ちょうど30年前に、オードリーの余命3か月というニュースが駆け巡りましたよね。 僕は当時あまり信用してなかったのですが、本当でしたね。
Posted by みつお at 2022年11月03日 20:40
>wimpoleさん
退院しましたよー。ご心配おかけしました。
wimpole さんは30年前にそんなことがあったのですね!僕は昨年初めてちょっと骨折しましたが、それでもあの騒ぎだったので、複雑骨折となると、想像もつかないです!リハビリが大変だったでしょうね。
僕も楽しく見れて、品は落ちないロマンティック・コメディが大好きなのですが、「パリで一緒に」のドタ・コメという表現にふふっと笑いました。
でも確か、どこかの局がオードリーの追悼で「パリで一緒に」を新録で放映してましたよね。テレ東だったかな?
僕は関西なので見れませんでしたけど。
最近は字幕がメインなので、来年は吹替を多く放映してほしいですよね。
退院しましたよー。ご心配おかけしました。
wimpole さんは30年前にそんなことがあったのですね!僕は昨年初めてちょっと骨折しましたが、それでもあの騒ぎだったので、複雑骨折となると、想像もつかないです!リハビリが大変だったでしょうね。
僕も楽しく見れて、品は落ちないロマンティック・コメディが大好きなのですが、「パリで一緒に」のドタ・コメという表現にふふっと笑いました。
でも確か、どこかの局がオードリーの追悼で「パリで一緒に」を新録で放映してましたよね。テレ東だったかな?
僕は関西なので見れませんでしたけど。
最近は字幕がメインなので、来年は吹替を多く放映してほしいですよね。
Posted by みつお at 2022年11月03日 20:52