2023年04月13日

「パラマウント友の会」1953年11月号 会報No.5「ローマの休日」紹介

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「パラマウント友の会」1953年11月号  会報No.5「ローマの休日」紹介 今回はアメリカ公開70周年の「ローマの休日」関連で、日本のパラマウント映画のファンクラブ、“パラマウント友の会”会報のNo.5を紹介。

 まだ何月号とは書いていませんが、裏表紙には“昭和28年11月15日発行”と書いてます。
 サイズは小さくて、A5サイズですね。

 今の雑誌なら、“11月15日発行”って多分に眉唾もので、絶対それよりも1〜2か月早く発行されているんですけども、10月17日に名古屋で試写会しましたとかって書いてるので、本当に11月15日発行(会員の手元に届く日)だった可能性が高いです。

 で、この “パラマウント友の会”ですが、パラマウントの公認ではあるみたいですが、運営はパラマウント日本支社ではなく、どうやら有志のようです。
 というのも東京地区に住んでいる会員はパラマウント映画を試写会で観れるようなのですが、中の文章で “パラマウントのご好意で見せて頂くもの”と書いてあるので、主体はパラマウントではない、ということですね。

 今はだいたい制作会社と配給会社が違うので、どの映画会社の作品かと言われてもわかりませんが、昔は製作も配給も映画会社でやっていたので、会社によって独自のカラーがあり、ワーナーならギャングもの、MGMならミュージカルなどという感じだったようです。

 その中でパラマウントは都会的で洗練されててオシャレ、というイメージがあったようです。
 なので昔の映画評論家の方の文章では、“オードリーのデビューがパラマウントでよかった”とか“「パリの恋人」はパラマウントらしい傑作”などと言われていたものです。

 20世紀フォックスなどは「いつも2人で」の1967年頃に最初は20世紀フォックスが作ったFOXスクリーンフレンドという友の会みたいなのがやっとできますが、パラマウントはファンが多かったのでしょうね。10年以上先行していますね。

 さて、1953年11月というと日本ではまだまだ「ローマの休日」の公開は先。
 でもアメリカではもう公開が始まっていますから、オードリーの劇的な登場は知れ渡っているのでしょうね。

 ここでは「54年度輸入作品紹介」というページで「ローマの休日」の紹介があります。
 写真も載っていて、文章でも“何といっても話題中の話題は、ウイリアム・ワイラー監督作品の「ローマの春風」”と紹介されています。

「パラマウント友の会」1953年11月号  会報No.5「ローマの休日」紹介 おやおや?題名が「ローマの休日」ではありませんね。このころはまだ仮題だったのでしょうね。

 その名も「ローマの春風」!
 爽やかなオードリーを見て“春風”という題名にしたくなる気持ちもわかりますね。

 でも「ローマの休日」の撮影は52年の夏だし、春じゃないですよね。スイカとか出てくるし。

 文章では“とりわけヘプバーンの個性的魅力とその美しさは、この作品が封切りされた時には一大センセイションをまきおこすでしょう。”と書かれています。

 でもそしたら「ローマの休日」の最初に考えられていた邦題は「ローマの春風」かというとそうではなくって、これより前の「パラマウント」の号では「ローマの休日」となっているので、題名はまだ決定されておらず揺れていた、と考えるのが正しいんじゃないかと思います。

 「ローマの休日」の次に書かれている作品は最終的には「巨象の道」となる「巨象の歩み」。

 この作品はヴィヴィアン・リーで撮影が始まったものの、ロケ地で双極性障害を発症して倒れてしまったことからエリザベス・テイラーに主演が変わったもの。
 ここでもヴィヴィアン・リーのことが述べられています。

 最後の方にはまだ製作中のものがずらずらっと主演者と題名が並べられているのですが、その中の有名どころとしては「第十七捕虜収容所」「裏窓」、そして最後にオードリー、ハンフリー・ボガート、ウィリアム・ホールデンの「サブリナ・フェア」が書かれています。

 さて、途中には会員の投稿も紹介されているのですが、どうやらこの友の会の第1回例会というものが開かれたらしく、その例会の会費が(当時の)50円だったようで、その会費を全部例会に充てたそうです。

 そうすると“なんでみんな例会に使ったんだ!おかしいじゃないか、お金は余っているはずだ!試写会を2回、3回ともっと開けばいいじゃないか!”って要約すればそういう意見が載っていました。
 例会では双葉十三郎氏ともう一人の映画評論家も講演をしてくれたようなのですが、それも物足りない的なことを書いていました。

 そうすると運営の人が、現在の会費は月33円、会報は1部原価25円くらい、発送費が8円、封筒代が3円ですでに赤字だってことを書いてました。
 例会もホールを借りるのに無料で借りれるでしょうか?フィルムの運搬費もかかっている、例会も長くしたければホールもそれだけ料金がかさむ、もしこれらを考慮してもおかしいと思うなら一度来社してください。よくお話ししましょう、と書いてます。

 確かに!
 オードリーが晩年携わっていたユニセフのことでも色々言う人がいましたよね。ユニセフに寄付しても100%届かないとか何とか。

 それって当たり前じゃないの?と思いますけどね。子供達のために薬を買うのもタダじゃないですよね。それを輸送する飛行機やトラックやそれを動かす人も、ユニセフの人が食べる現地の食料も、タダじゃないですし。ユニセフ以外の人も関わってくるんで、仕方ないことです。

 いくらオードリーが年たった1ドルの報酬でユニセフの親善大使を頑張って務めても、「オールウェイズ」や「庭園紀行」のギャラを寄付しても、どうしてもお金がかかるところにはかかりますからね。

「パラマウント友の会」1953年11月号  会報No.5「ローマの休日」紹介 さて、最後の方のクイズ・ルームというところでもオードリーの名前がちょっと出てきます。

 クイズの正解者にはもれなくオードリーのキャビネ・ポートレートを差し上げるとのことです。先ほどの封筒代や写真の現像代を入れると太っ腹!と思いますね。
 しかも特に正確に書いた人5名には同じポートレートのAX10型なるものをもらえるそうです。

 AX10型って聞いたことないけど、きっと大きいんでしょうね。イメージではA4かA3ほどのデカさかなーと。

 クイズは英語で書くみたいで、オードリーの問題は “ウイリヤム・ワイラーの最新作「ローマの春風」で一躍抜擢された新人女優”(原文ママ)ってことで、一番上の横列です。

 で、結局縦読みする答えは “PARAMOUNT”ってなるみたいです。

 送り先は日活国際会館。現在は高級ホテルのザ・ペニンシュラ東京があるところだそうですけど、今の感覚では、赤字の友の会の事務所が有楽町のビルに入ってるなんてすごくない??と思ってしまいますが、ごく普通の家庭の設定のサザエさん一家が世田谷区に一軒家を持ててたんですから、今とは全然賃貸オフィスの感覚も違うのでしょうね。



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この記事へのコメント
みつお様、日活国際会館は建設当時は上層階に日活国際ホテルがあり、当時は珍しいスモールラグジュアリーホテルだったかと。並びの帝国ホテルは存在しましたが、その後御三家と称されるオークラとニューオータニはまだ形もなかったので。日活所属の石原裕次郎・北原三枝夫妻の結婚式が大々的に行われたことでも著名に。

その一方、下層階には多彩なテナントが入居していました。1階の銀座寄りにはアメリカンファーマシーなる元祖ドラッグストアがあり、商品万般英語の商札が付いておりました。また銀座で商いをしていた亡母がレリーフ刷りの名刺を会館内の店に発注していました。

日活所有のビルでしたからその縁で洋画配給会社のパラマウントも入居したのかと。ただし日活の経営危機で’70年代には三菱地所に売却され日比谷パークビルと改称し、解体後ペニンシュラ東京が出来て久しいですが。

サザエさん一家が世田谷区在住の設定なのは原作者の長谷川町子氏が上京後に居住したからで、原作には具体的に明記されていないかと。ただし世田谷区は戦前までは村であったので、それこそ裕次郎夫妻の住んだ成城などを除き必ずしも高級住宅街ばかりではないかと(在住の皆様、ご無礼をば!)。

それにしても「ローマの春風」が吹かず良かったかと。とは言え「ローマの休日」では本来の「ローマ人の休日」の「他人の犠牲の上に成り立つ休日(の愉しみ)」のニュアンスが伝わらないので、当時の関係者は苦慮したのでしょうが。タイトルで成功した作品、失敗した作品は山ほどありますが、長くなりますので…。
Posted by Edipo Re at 2023年04月15日 00:46
日活国際会館のお話、ありがとうございます!
そういう昔の知らないお話を伺うのってすっごい好きなんですよー!
現代に戻ってこられるなら、ちょっと見に行ってみたいですよね。
戦後すぐの建物だとすると、当時はピカピカだったでしょうし。
高い建物が無い東京ってのも感激しそうです。

1200席超えの大劇場があった神戸の新聞会館も、中学の時に行くと1Fや地階には小さなお店がいっぱいあって、当時「宇宙大作戦」にもハマっていた僕は洋書屋さんにも通っていたものです。なんかそんな感じなのかなーって想像してました。ワクワクしますね!

サザエさんの世田谷区は公式ではありませんでしたか!それは失礼しました。
でも世田谷区と言うと今は泥棒も狙う高級住宅地のイメージがあります。まあでも東京では港区や文京区の方がさらに上なんでしたっけ?

そういえば「ローマの休日」の“他人の犠牲の上に”ってのもごくたまに見かけますけど、パラマウント公式や、オードリーの伝記本などでは見たことないのですよ。これもサザエさんと同じく公式ではないのでしょうか?
と言うのも、「ローマの休日」では誰も犠牲になってるようには思えないのですよね。グレゴリー・ペック?は犠牲になったとは思ってないでしょうし、御付きの人たちは振り回されてますけど、彼らが主観の映画ではないと思いますし…。どうなんでしょうね?
Posted by みつおみつお at 2023年04月15日 16:23
みつお様。「ローマの休日」の原題"Roman Holiday"が何故"Holiday in Rome"でないのかは初見の中学当時から疑問に感じていました。そこで辞書に当たり、本来の意味を知ったのですが。

レスピーギ「ローマの祭り」にも描かれていますが、帝政ローマ人は奴隷を猛獣と闘わせるなどという他者の犠牲の上に成り立つ愉しみを享受していたわけで、その辺りの悲哀を脚本家ダルトン・トランボは赤狩りでハリウッドで指弾を受けた自身を重ねつつ本作を書き上げたのかと。つまりアン王女は自身の立場と国民への責任感ゆえに初めての熱烈な恋をあきらめ、ジョー・ブラッドレーもまた自身の真情で支局長との賭け金と特ダネをものして故郷に錦を飾る夢を棄てると。またカメラマンのアーヴィング・ラドヴィッチもそのジョーの気持ちを理解し、特ダネ写真を王女に託すわけで。また大使館関係者も二人の暴走スクーターで大迷惑を蒙ったローマの善良な人々も皆全員がこの素晴らしく美しいお伽噺中の犠牲となる存在に他ならないわけで。つまりは登場人物の全てが自身を犠牲にして他者に尽くすその思いをトランボはタイトルに託したのではないかと。

本作がオードリーの代表作のみならず永遠の悲恋ものとして愛され続けているのも、まさにその多層な意味合いのせいと思っているのですが。
Posted by Edipo Re at 2023年04月15日 18:58
Edipo Re さん、僕はそれでも「ローマの休日」は負の犠牲の物語ではなく、愛と信頼の物語であると信じています。
トランボも赤狩りで追放されたからこそ、信頼と絆を信じたかったと思うのです。追放されていても名義を貸してくれる友人がいる、追放されている自分の原案と脚本を良いと言って使ってくれる監督がいる、そんな人が犠牲で成り立つ物語を書くだろうか?と思うのです。
もちろんトランボ自身がそう書いていたり、パラマウントが公式で発表したなら別ですが、「ローマの休日」はみんながお互いを信頼して成り立っていると思うのです。アン王女も国民が信頼してくれているからこそ国に戻った、ジョーもそれがわかるからこそアン王女を戻した、アーヴィングもジョーとの友情を優先した、御付きの人たちもアン王女が「ローマです!」と言っても止めなかった、みんなみんな信頼だと思うのです。

それと、“◯◯の休日”という題名の映画で、元々が全然違う題名のは別として、「パリの休日」「地中海の休日」という映画は共に“Paris Holiday”“Mediterranean Holiday”というので、必ずしもわざと裏の意味を持たせた特殊な題名の付け方ではないのかも?と思うのです。

ちょっと甘い考えかもしれないのですが、僕はなるべく良い方に考えたいので、Edipo Re さんとは違う見方をしてるかもしれません。
Posted by みつおみつお at 2023年04月17日 21:29
つい先週、NHK「ラジオ深夜便」を聴いていたのでした。もともと若い頃からの宵っ張りでしたが十数年前に亡母の介護で深夜に起き出し本人の体位変換と水分補給をし、ウィスキー片手に耳を傾ける習慣が身についてしまったので。

その晩の特集は「原題と違う邦題の映画の音楽」で、それで「ローマの休日」を思い出していたのでした。

繰り返しですが"Rome Holiday"でなく"Roman Holiday"であるのが重要で正確に訳すならやはり「ローマ人の休日」もしくは「ローマ式の休日」であるべきで、当時のパラマウントの「〜春風」案も苦慮の末だったろうと。結局誤訳のそしりを覚悟で「〜休日」に落ち着いたのでしょう。

ただ、ダルトン・トランボが若き日に書き上げた原作小説から後年ハリウッドへ復帰してから自らの手で心血を注ぎ制作した「ジョニーは戦場へ行った」を高校時代に観て衝撃を受けた当方などは、ずっと後年に「ローマの休日」の真の脚本家がトランボと知った時に強いバイアスがかかってしまったのでした。それまではみつお様同様、信頼の物語と思っていたからこそなお。

「ジョニー〜」の原題"Johnny got his Gun"もまた第一次大戦中のスローガン「ジョニーよ銃を取れ」="Johnny,Get your Gun"のもじりであり、その銃を取った一兵士の悲劇なのですが、そのタイトルに込めた皮肉なダブルミーニングこそがトランボの真骨頂と思えたので。

みつお様のおっしゃる通り、誰もが自分を犠牲にしたなどとは思ってもいないでしょう。アン王女もジョーもアーヴィングもそして大使以下もローマの一日の出来事を自分の心の中の宝石箱にのみ留め置き、そして我々観客もその想いに共感するからこそ「ローマ〜」は永遠の名作たり得たのでしょうから。
Posted by Edipo Re at 2023年04月18日 04:31
「ジョニーは戦場へ行った」、名前は知っていましたが内容を知らなかったので調べてみました。すると、これは!…
あまりにも主人公の運命が悲惨で、多分一生見ることの出来ない映画だろうなーと思いました。僕が主人公の立場でも“殺してくれ!”としか思えないだろうと。それでも病院としては殺せないし、絶望しかありません。
でもここで描かれているのは強烈な反戦のメッセージですよね。自分名義で脚本も監督も出来るようになってしたことは赤狩りへの恨みつらみではなく、反戦のメッセージだったっていうのは凄いなーと思います。もう恨みつらみなんかは捨てて、先へ進んでるんですよね?
「ローマの休日」のウィリアム・ワイラー監督も色々と問題を織り込む人ですが、61年には「噂の二人」でLGBTの問題まで進んでいますよね。ちなみに「噂の二人」まで “赤狩りのことだ”という人がいますが、それは全く同意できません。
でも、やっぱり「ローマの休日」は負の感情から生まれた作品ではなく、愛と信頼だと思います。ダブルミーニングだとしても、“側からすると犠牲だと見えているかもしれないけれど、こんなに人の心に信頼と成長を与えることもあるんだよ”という意味でも良いのではないかと。もしかしたらトランボ自身も赤狩りという犠牲にあって、本当の愛と友情を見つけられたのかもしれませんし、「ローマの休日」は正の感情の作品だと思うのです。トランボ自身が負の意味で創り上げたと発言していないのなら、ワイラーの演出も、ペックもオードリーも、みんなここでは愛と信頼の物語、として作っていると思うのです。
Posted by みつおみつお at 2023年04月19日 09:38
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