2023年05月04日

「マイ・フェア・レディ」あと1週間、応援記事「映画の友」切り抜き

 「ローマの休日」の4K版の70周年記念全国ロードショーが決まったそうです!

「マイ・フェア・レディ」あと1週間、応援記事「映画の友」切り抜き 本日はオードリー・ヘプバーンの94回目の誕生日です。

 オードリーっていつまでも憧れの、でも僕にとっては身近な存在なんですが、1929年生まれですよね。
 これだとなんとも思わないんですが、昭和で言うと昭和4年生まれ!ということになります。

 こう書くと僕の両親よりも年上ですし、かなりの年齢差を感じます。
 でも普段はちょっとだけ上のお姉さん的イメージなのが、映画という媒体に焼き付けられたスターってすごいなぁ!と。

 さて、今回はあと1週間の上映期間になった午前十時の映画祭13の「マイ・フェア・レディ」への、さらに応援記事を。

 今回紹介するのは、これまた40年以上前から保存しているオードリーの切り抜きから。
 買った段階ですでに古本だった、1964年の雑誌「映画の友」からの切り抜きになります。

 でもこれ、モノクログラビアの5ページ分の紹介だけなんですけど、切り抜かれてるのでこれで合ってるのかどうかよくわかりません。

 と言うのも、僕の保存しているクリアファイルには、その前に同じ「映画の友」からの「マイ・フェア・レディ」初公開時の“誌上プレビュー”っていうカラーで16ページもあるページが保存されているから。

 もしかしたら同じ号で、21ページにも及ぶ大特集だったのかもしれません。
 なのでここでモノクログラビアだけ紹介ってものどうかなーと思っているんですが、まあ21ページもの大部を一度に紹介などできないという理由をつけて自分を納得させて、今回モノクログラビアのみ紹介します。

 カラーの16ページは、また来年の「マイ・フェア・レディ」公開60周年にでも紹介します。

 さて、「マイ・フェア・レディ」は好評上映中のようですし、僕も観に行ってきましたが、その感想を書いている人の中で、もちろんとっても気に入ってくれた人もいるのですが、“ヒギンズの男尊女卑の考えがムカムカする”というのも結構見かけるんですよね。
 中にはそれで「マイ・フェア・レディ」の評価を低くしてる人とかね。

「マイ・フェア・レディ」あと1週間、応援記事「映画の友」切り抜き でもちょっと待って!これってもう60年も前の作品なんですよ。
 さらに言うと、その60年前の段階でもこれはそこからさらに50年も前の時代劇なんです。
 日本でいうと、明治時代のお話。

 その時代のお話に、今のポリコレを押し付けてもねぇ…。と思いつつも、今回見に行って少し納得したんですけどね。

 でも昔の話なのに、男尊女卑などありませんでした〜!とウソを描くのも違うと思いますよね。

 映画の中でも「運がよけりゃ」の歌の時に “女性に参政権を!”ってデモしてる女性が出てきますよね。そういう時代。

 だから身分が下でも淑女のように扱ってくれる大佐のような存在の方がむしろまれな時代ですよね。フレディもあの時代としてはやっぱりまれかと。
 うるさい!黙って俺について来い!の時代ですよね。

 ヒギンズ教授の僕は普通の男さとか男性讃歌の歌とかも、実は大佐の前だけで歌ってるじゃないですか。
 よく見たら身内だけに愚痴ってるような感じ。まあ要するに内弁慶なわけですよね。

 それにこれってあの皮肉屋で知られていたバーナード・ショーの原作ですよ?ヒギンズ教授もそのまま捉えたらダメダメ!

 原作の「ピグマリオン」を読むと、ヒギンズのもとから、イライザは出て行ってしまうところで終わっています。
 要するにヒギンズ教授を見限ってるんですよね。

 だからヒギンズの男尊女卑的なところを別に美化してるわけでも、認めてるってことでもないってこと。
 むしろあの時代には珍しく、女性の心はそんな男の都合よく意のままにはならないということを言ってて、ギリシャ神話でのピグマリオンのようにはなりませんよ〜という皮肉ですよね。

 でもバーナード・ショーが脚本を書いた、戦前の「ピグマリオン」の映画化では、ショーに気づかれないように、ハッピーエンドの結末にしてしまったらしいです。
 そしたらショーは「ピグマリオン」の原作の方に手を入れて、あとがきみたいなものを書いてしまった。

 その内容はというと…イライザはフレディと結婚、花屋を開店。ヒギンズ教授と大佐に資金を出してもらったけど、フレディも商才がないので潰してしまった。イライザとフレディは学校へ入り直すけど、花屋としては何の役にも立たないので中退。
 仕方ないので、もう一度大佐にお金を出してもらって花屋を開店、今度は他の人に花屋を任せてやっと軌道に乗った。
 イライザはお金を出してもらった分、今でもヒギンズ教授のところで身の回りの世話をしている、ヒギンズもイライザの性格を知っていて反撃されるので、あまり何も言わない、という結末なんですよね。

「マイ・フェア・レディ」あと1週間、応援記事「映画の友」切り抜き 結局これ、誰得なの?という内容。
 さすがにそれはミュージカルとしてはどうなの?ってことで最後ヒギンズ教授とイライザがひっついてる。

 まあね、これ原作でも映画でも何でこんなにヒギンズは “男の方が楽でいいんだ!”なんてことを言って50過ぎ(設定はもっと若いかもだけど)まで独身なのかと思いますけどね。

 当時のイギリスの上流階級の名家なのに結婚もせず、ってことはどれだけ変人であるかってことですよね。

 よっぽど若い頃に女性に手酷い扱われ方でもしたんでしょうか。実は僕はそうなんじゃないかと思っています。
 後半での“女というものは…”って聞いてると特にね。

 だからヒギンズ教授の場合、一生懸命 “女性を入れるなら男一人の方がマシさ”って歌ってごまかしてますよね。
 ヒギンズ教授からしたら、“あの人、女性に振られて女性恐怖症なんですってよ”なーんてさらに女性の噂話でばかにされるよりは、まだ“変人”の方がマシって思ったんでしょうなーと思うわけですよ。

 というのも、女性全般をバカにしてるわけではなく、むしろ見てるとお母さん(ヒギンズ夫人)には頼りっぱなしですよね。
 アスコット競馬場でもお母さんの席に招待って利用してますし、イライザがいなくなってもお母さんに泣きつきに来てる。

 だからあの女性を敵だとみなすのは、よっぽど過去に女性と何かあったのでは?と思うわけですよね。

 それで女性を心に入れないようにしていたけれども、教えているうちにイライザにいつの間にか惹かれてしまう。
 でも大使館の舞踏会が終わってもまだヒギンズはそれに気付かない。

 だからいつも通り大佐と2人で “ついにやった!”なんてはしゃいでて、イライザに対しての気遣いとかデリカシーが全くない。
 イライザが出て行って初めて自分の気持ちがわかるんですよね。一生懸命自分は悪くない!と思い込もうとしてるけど、もう隠せない。

「マイ・フェア・レディ」あと1週間、応援記事「映画の友」切り抜き だからヒギンズ教授は今まで “自分の生活に女性は入れない!”って言ってたのは全部強がりだったっていうのが観客にも見えてしまうんですよね。
 自分で言ってたように、いわゆる“フツーの男”だったということで。

 だからヒギンズ教授を根っからの男尊女卑と捉えてしまうのは違うと思うんですよね。
 自分の傷ついた心を隠す鎧のようなものだったということですね。

 イライザは“大佐は花売り娘でも貴婦人として扱ってくれます!”というと、ヒギンズは“私は貴婦人も花売り娘として扱うんだ!”と言ってイライザもハッとしますけど、ヒギンズ教授は誰に対しても一緒なんですよね。

 さて、そんなヒギンズ教授ですけど、最後、イライザが恋しくて恋しくて、録音した声を聞いているところへ本物のイライザが帰ってくる。
 “汚かねぇよ。顔も手も洗ってきたよ。”ってイライザが言うと、本当は嬉しくてたまらないのに、にやけてしまう自分の顔を見られたくなくて帽子で顔を隠して“僕のスリッパはどこだい?”って通常運転のようなフリをする。

 でもイライザの顔を見るとそんなのとっくにバレちゃってるのが丸わかりですよね。
 結局、ピグマリオンのように作り変えられたのはビギンズ教授自身だったというね。

 前に書いたことがありますが、「マイ・フェア・レディ」って、今までのオードリー映画なら“大使館の舞踏会で成功しました。それで教授とも結ばれました。めでたしめでたし。”で終わるところを、その先へ行っているわけですよね。
 “そのお話のお姫様は怒って別の王子様と出て行ってしまいました。”という。

 お母さんに相談に行くと、イライザは見つけられたけども、そこでまたイライザの神経を逆なでするようなアホなことを言ってしまう。
 ダメダメやなーと思いますけど、でもこういうアホなことってやってしまうんですよねー。

 特にヒギンズ教授はそれまで女性を意識的に遠ざけてきてしまってたわけですし、女心が汲み取れない。
 “またやっちまったよー!”と思ってお母さんに“イライザが行ってしまった!”って泣きを入れるんですけど、映画のヒギンズ夫人は息子を突っぱねるんですよね。

「マイ・フェア・レディ」あと1週間、応援記事「映画の友」切り抜き 原作ではこのヒギンズ夫人と教授の間には入り込めない!とイライザが思ってしまうくらいマザコン度がきついのですが、映画のお母さんは息子とそんなべったりしないので、イライザも戻ってきやすいですよね。

 でもヒギンズ教授はまだイジイジしてる。自分からイライザを迎えにも行かない。というか行く勇気がない。
 普段は強がってますけど、実は弱い人間なんですよね。

 結局そんなヒギンズ教授の心の弱い面も把握したイライザが戻ってくるんですけど、ここも“何で戻ってくるの!?”って納得してない若い人もいるようですね。
 僕も若い頃は、僕がイライザならフレディに行くよなーって思ってましたけどね。まあ原作の通りなら、フレディと結婚したところで幸せにはなってないようなんですが。

 でも最後のイライザを見てると、これは絶対今後はイライザがヒギンズを操縦するんだろうなーと思うんですよね。
 イライザは何となく戻ってきたんじゃない、選びとって自分の意思でヒギンズ教授のところに戻ってきたんだ、という。

 男尊女卑のようだったヒギンズ教授なのに、今後はイライザの好きなように動かされるんだろうなーというのが見えるんですよね。
 オードリーは「おしゃれ泥棒」でも、最後サイモンとの主導権が逆転するだろうなーというのがわかるセリフを言ってましたけど、それと同じ。

 このオードリーの系譜は、「いつも2人で」の対等にモノを言うジョアンナ、「暗くなるまで待って」のひとりで何とかするスージーへと繋がって行くんだなーってのがわかりますよね。

 50年代の、途中までは色々自分で動くんだけれども、結局最後は男性から来てもらっている「麗しのサブリナ」「パリの恋人」「昼下りの情事」の結末とは違って、60年代のオードリー作品はどれも最後決断しているのはオードリーの側なんですよね。「パリで一緒に」も「噂の二人」も「ティファニーで朝食を」も。「シャレード」も迫るのは常にオードリー。

 “男性にしてもらうまで待ってるオードリー”ではなく、そういう“自分から選び取って動くオードリー”である60年代のオードリーの素晴らしさを見ていただけたらなーと思います。

 なお、この画像の中では2枚目と3枚目のものが、オードリーのアゴのラインもシャープで、絶対オードリーも気に入っただろうなーって画像です。



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この記事へのコメント
 GW終盤、TOHO日本橋は前売りで4割、新宿は5割くらい売れています。いいことですね。

 今回の「男尊女卑」のテーマを、みつおさんは過去に扱ったことがありましたっけ?

 原作者であるショーは、イライザとヒギンズ教授の物語に『ピグマリオン』と題をつけた。そして劇のジャンルを「ロマンス」とした。この劇は社会風刺でも、マザコンの強がりでもないのです。

 ギリシャ神話のピグマリオンは、世の女の醜さに絶望した男が彫刻で理想の女を作り上げ、恋をする話です。そしてショーは「理想の女を作ったって、自分を好きになってくれるとは限らないよ」という皮肉で締めくくっている。それが、この物語の本来の結末だと思います。

 『ピグマリオン』の続編をご存知なら、イライザとヒギンズが結ばれるありきたりな結末を、ショーが「ハッピーエンド印の古着屋」とあざ笑っていたこともご存知ですよね。

 ミュージカルの、そして映画のプロデューサーがタイトルを変更したのは、ショーに反旗を翻したからです。善男善女が望んでいるのは「ハッピーエンド印の古着」であるから。その結果として『マイ・フェア・レディ』は、とても複雑で、賛否両論の多い、あらすじが書きにくい物語になった。

 私は最初にこの映画に魅了されて以来、ずっと疑問なのです。なぜ、イライザはヒギンズの許に帰ってきたのか。女をスリッパほども大事にしてくれない男であるのに。

 その答えを見つけたくて、何十年も、繰り返し映画を鑑賞していると言えます。休み明けに観劇に行ってきます。
Posted by wimpole at 2023年05月05日 23:33
wimpoleさん、こんにちは。

返事を差し上げるのが遅れてしまって申し訳ありません。
5月2日頃から調子悪くなってしまって、こないだの月曜には熱も出る始末。まあ土曜には内科に行ってきまして、抗原検査でもコロナは陰性だったのですが、とてもお返事できる状態ではなく、すみません。

それとこの記事も前々から「マイ・フェア・レディ」に関して書きたかったことではあったのですが、オードリーの誕生日に間に合わせようと予定と体調にも無理をして、ナマ煮えのような文章のまま発表になってしまっています。
そんな状態なので、しばらく自分のサイトの確認にもくるのがイヤだったのですが、そんな文章にもwimpoleさんはコメントをくださっていて、ありがたいです。

東京は人口が多い分、やはり見にきていただける人も多くていいですよね!劇場のあちこちで笑いが起きて楽しそうです。

男尊女卑のテーマは過去には僕は書いてないですね。だから今回書いてみたかったというのがあります。
前に書いたのは、ここでも書いてますけどオードリーのめでたしめでたしのお話のその後とか、動くオードリーのお話ですよね。

「理想の女を作ったって、自分を好きになってくれるとは限らないよ」という皮肉、そうですよね、ショーの原作はそういう意味ですよね。

映画の「マイ・フェア・レディ」は、確かに純粋なハッピーエンドを目的として製作されたのだと僕も思いますが、色々今の時代と合わせてみるとそれこそ考えさせられる結末だと思いますね。
なぜあんなヒギンズ教授のもとに戻ってくるのか、“イライザ、僕のスリッパはどこだい?”ですもんね。
確かにこれは表面ヅラだけを見るとヒギンズは一緒で、女性をバカにしてるのでは?と思います。きっと1964年当時はそういう男性でもまあゴロゴロ普通に居たということで、深い意味はなかったのかもしれません。僕も77年に初めて見たときは普通のめでたしめでたしだと思いましたし、オードリーやレックス・ハリソンやキューカー監督が深い意味を持たせていたかどうかも怪しいです。

でも現代の目で見ると、こんな女性をバカにする映画が許されるのか?という男尊女卑の問題をはらんでしまってますよね。
でもこれを演じたのは動く女性を演じる60年代のオードリー・ヘプバーンであった、その後の人生でも自分の意思を持つオードリーが演じたということでさらに少し別の見え方を持っていると僕は思います。

結局情けないことに自分からは動けなくて解決もできなかったヒギンズですけど、その代わりイライザが自分で動けるようになっていた。そうであるならば、ここでのヒギンズとイライザは今後は立場が変化してもおかしくないのでは?と思います。
少なくとも、今後は対等に話すヒギンズとイライザは容易に想像がつきますし、その時代の男性らしくヒギンズがその後も “女というものは”などと言っていても、イライザは軽くあしらうスキルは身につけたと思うのです。それはヒギンズ夫人の家での会話で想像がつくのです。
そういう意図まで持っていたかどうかはわかりませんが、オードリーがイライザを演じたことで、そういう芯の強さはジュリーが演じた場合よりも強く出せたように思います。
Posted by みつおみつお at 2023年05月10日 17:12
 最終日に観賞してきました。TOHO池袋は2割くらいの入り。額縁上映を想定して最前列中央に座りました。字幕は名作に見劣りする平凡な出来でしたが、今さらストーリーを追う必要もなく、オードリーばかりずっと見ていました。トイレに立つのを我慢できたのは、インターミッションがどこで来るか分かっていたからです。(笑い)

 1950年代、このミュージカルが書かれた時代は女性差別、人種差別、階級差別か広く認識されたと理解しています。古めかしい『ピグマリオン』を脚本家がリメイクしたのは、まさに劇画化された男女差別を売り物にしたのでしょう。当時から劇評は賛否両論であったようです。
 その意味では、この脚本家の狙いは現代にも生きている。

 インターミッションの直前、ヒギンズ教授がイライザをエスコートするシーンは、この物語の白眉です。おそらくイライザが、シンデレラ・ストーリーとして最高の表情を見せた瞬間。しかし映画のオードリーは後ろ姿なんですね。私は、そこに監督の意志があると思う。

 イライザが別れを告げ、ヒギンズが強がりを言うところが『ピグマリオン』のラストシーンです。映画はその後に、7分間のオリジナルを付け加えている。イライザの出番は1分間に満たない。そこでどんな表情をするかを、オードリーや監督が考えなかったわけがない。

 みつおさんが『いつも2人で』の翻訳で譲れないところがあるように、私にも『マイ・フェア・レデイ』では絶対に間違えてほしくない場面があります。ヒギンズ夫人宅での言い争いで、イライザがヒギンズに「careful you」と言う。これを「好きになった」と訳したら駄訳です。

 ごめんなさい。全編を通しで鑑賞するのは久しぶりで、ちょっとひとりよがりなことを書いてしまいました。お体を大事に、ゆっくり続けて下さい。
Posted by wimpole at 2023年05月11日 23:35
池袋で2割はちょっと寂しい感じですね。
やはり銀座・有楽町地区の方が多いんでしょうか?

字幕はですねー、僕も観ながら「マイ・フェア・レディ」の良さ、全然でてへんなと思ってモヤモヤしてました。
まず、発音の違いを日本語に全然置き換えられていない。
方言で表現すると、今の日本は叩かれるのはわかりますが、ガラの良い悪いくらいはもっと表現できるでしょー!って思って、こんなので「マイ・フェア・レディ」を評価しなくちゃいけない今の人たちが可哀想だと思いました。
86年リバイバルの日本ヘラルドのまでは、まだきちんと字幕でも笑わせられていたと思うのですがね。
高槻アレックスシネマでも、本来なら笑いが起こるところが、高齢の方も誰一人クスリともしてなくて、翻訳者がひど過ぎる!と思っていました。
発音の違い・訛りを字幕に置き換えようという努力が見受けられません。
でもこれは市販の字幕そのものですから、こんなレベルのものでOKを出してしまう、全ての権利を持つCBSが悪いのでしょう。

「careful you」の部分、今回も「好きになって」と字幕が出ていましたよね。これも僕は観ながら “こんな訳で良かったっけ?”と引っかかっていました。NHKでの字幕も確認しましたが、これまた「好きになって」と訳してました。NHKのものは市販とは字幕が違うのが良いのに、「マイ・フェア・レディ」に関しては似たり寄ったり。訛りが日本語にうまく移植できていません。
次回「マイ・フェア・レディ」で書くことリストの中にも翻訳の件はしっかり入ってました。

吹き替え版も確認しました。3種類の吹き替え版、全部「大事に思うようになって」でした。こちらの方がしっくりきましたが、英語力のない僕にはそれも良いのかどうかはわかりません。
でもいきなり「好きになって」は無いよなーと思います。ヒギンズ、反応してないし。
86年版の翻訳、それ以前の翻訳がどうなっていたか、知りたいですね。

インターミッション前の手を差し出されたイライザの表情の動きは、僕もいつも注視して観ています。でもその後ろ姿の意図までは考えてなかったなぁ…。
ラストシーンも併せて、 wimpoleさんのご意見を伺えたらと思います。僕にとっての思わぬ発見があるかもですもんね。

ここにお越し頂いているみなさんは、みんな昔からのオードリーファンなので、そういう方々の意見を伺えると、新しい気づきがあるのが嬉しいです。自分の底の浅さに嫌になることもあるんですけどね。
Posted by みつおみつお at 2023年05月12日 19:30
 連休中は前売りで半分以上が売れていたようなので、平日朝の上映の2割は仕方ないように思います。私はいつも涙ぐんでしまうので、あまり混雑した劇場には行きたくないです。(笑い)

 翻訳はね、少なくとも昔の翻訳者は原作『ピグマリオン』を読んでいたことでしょう。小田島雄志の邦訳をセリフ回しに使っているようにも思えます。
 そういう「こだわり」がないから、現代の観衆には響かない。ヒギンズ風に言えば「シンデレラ・ストーリーだって? ハッ!」てなもんです。

 ラストシーンの解釈、みつおさんとそんなに違うと思いません。ちょっとしつこく書いてみます。

 まずヒギンズは、若く美しくて気配りの出来るイライザに心魅かれている。しかし恋することは出来ない。なぜなら彼女は、自分の「作品」だからです。親が子を愛するのが恋愛ではないように、作者が作品を愛しても対等な恋愛は生まれない。

 イライザにとってヒギンズの第一印象は最悪。しかし音声学にかける情熱に圧倒され、魅かれていく。よくあるラブコメです。
 男が自分を認めてくれれば簡単に恋に落ちる。そういう結末を迎えるために彼女は全力を尽くした。ここまでがインターミッション。

 で、舞踏会で予想を上回る成功を収めた彼女は、奈落に突き落とされる。男は自分の作品より、作品を生んだ自分の技量に惚れ込んでいる。ゴミ清掃人ドゥーリトルが酒を楽しむように、音声学者ヒギンズにとって花売り娘は娯楽の材料にすぎない。

 自分が男にとって唯一無二の存在にはなれないことを知って、イライザは悲しみ、怒る。家を飛び出て「川だわ。飛び込むのよ」ってなもんです。「こんな思いをさせられた女が、男と結ばれるわけないだろ」というのが原作者のショーの意見で、私も賛成です。

 でもまあ、脚本家と監督は、その結論に満足しなかった。どうにか「ハッピーエンド印の古着」に着せ替えようと画策した。そしてラストシーンを付け加えた。

 対等な恋愛は無理。けど男は自分を必要とし、失えばしょぼくれてしまうことは分かった。自分は男の足の下の泥じゃない。そこで手を打ちましょう-と。
 フレディと築く相思相愛の家庭より、偉い紳士の変人に尽くすことを彼女は選んだ。「何のために私は戻るの?」「いた方が楽しいからだ、それだけだ」。

 ね、これって男にとって都合が良すぎるでしょ。(笑い) そこまで理解した女性陣が総スカンするのも当然かも知れません。でも、こういう「ハッピーエンド印」こそ善男善女が望んでいる奇跡なのだと思います。

 2人が結ばれたかどうかは分からない。ただ2人の関係は、男は女を必要としているのに愛していなくて、女は男を尊敬するあまり、時々かんしゃくを起こしながらも男に尽くす。それはショーの『ビグマリオン続編』とあまり変わらないです。ただフレディには出番がない。
 
 映画のラストカット。ヒギンズを見下ろすオードリーの表情は、そりゃ見事なものです。困ったような、嬉しいような、自分でもあきれてしまうような「苦笑」です。冴えわたる美貌じゃないからアップしてないし、宣材にもならない。でも、これが監督の意図した結末と思います。

 『マイ・フェア・レデイ』は決してシンデレラ・ストーリーじゃない。私は近年の舞台も『プリティ・ウーマン』も観ていませんから評価できないけれど、同じストーリーは再現できないと思っています。

 長文、失礼しました。
Posted by wimpole at 2023年05月13日 03:00
wimpoleさん、またまたありがとうございます!
「マイ・フェア・レディ」、連休中はそんなに売れてましたか!
それを聞くと来年もオードリー映画は安泰だなと思いますね。

そういえば昔はバーナード・ショーの作品って人気あったんですよね。今じゃほとんど絶版のようですが…。
僕が物心ついた時はすでにそんなに文庫では無かったようですが、その頃の大人の人たちはもろ世代でしょうから、いろんな作品を知ってたんでしょうね。

あーでもwimpoleさんの解釈だとビギンズはイライザに恋していないんですね?それはちょっと悲しい…。イライザのために、ビギンズはイライザに恋をしていたと思いたいし、そう思ってました。
ビギンズはイライザに恋していた、そう思わせたいのがピグマリオンから「マイ・フェア・レディ」に作り変えた人たちの意図だとすると、僕はまんまと嵌ってることになりますね。
「おしゃれ泥棒」のニコルとサイモンのその後のように、イライザとビギンズもあって欲しいと思います。それでないとあまりにイライザが可哀想で…。

でも「マイ・フェア・レディ」でのフレディの描かれ方だと、深く掘り下げられてないからか、そこまで生活力がないようには感じませんけどね。
貴族のボンボンだし、働かなくてもお金はありそうだし、生活には困らなそうですよね。
それでもショーの言うように生活に困るのなら、長男ではなく次男か三男かで、家を出ないといけないんですかね。
現代なら、あれだけの美貌ならモデルや俳優(芸名はジェレミー・ブレット)でやっていけそうですけどね。
あー、現代ならイライザとフレディでユーチューバーでも出来そうですよね。
Posted by みつおみつお at 2023年05月13日 20:37
 『マイ・フェア・レディ』のセリフは驚くくらい原作『ビクマリオン』に忠実で、実にまっとうな映画化作品と思います。
 貧乏貴族のフトコロ事情は、おそらくみつおさんが想像しているより過酷です。フレディは良い服を着ていても、タクシー代すらない文無しです。

 ラストの解釈は、人それぞれでいいんじゃないかな。ヒギンズはイライザに恋していたけれど、それを最後まで認められなかった。あるいはイライザに脱帽して求愛した。
 ただし「似合いの男女が幾多の障害を乗り越えて結ばれる」という典型的なロマンスではない。最初にコメントしたように、この作品は「とても複雑で、賛否両論の多い、あらすじが書きにくい物語」なのです。

 イライザは居場所を手に入れた。それは「素敵じゃない?」で夢見た生活とは違うかも知れないけど、一人前のレディにとって、ひとつの幸せの形であろうと私は解釈しています。

 長々とおつきあい頂いて、有り難うございました。
Posted by wimpole at 2023年05月13日 23:18
フレディの金銭事情は、これまたショーの原作ですし、皮肉が入っているのかもしれませんね。「タイタニック」などを見ても、貴族であるが故に体裁を保つので精一杯だったようですしね。
となると最初にフレディがイライザに花束を持ってきてたのも、それだけ好きになって頑張ったのか、なけなしのお金まで花で使ってしまうほど金銭感覚が無いボンボンの意味合いなのか…。
そう考えるとビギンズもピッカリングもリッチなんですね。これまたビギンズなら、独身だからだ!とでも言いそうですけどね。

ラストの解釈はそれまでのオードリー映画とは違って、幾つにも、幾重にも取れるようになっているのですね。
今回wimpoleさんのおかげで
そういう気付きをさせていただき、また「マイ・フェア・レディ」を見る楽しみが増えました!
まあでも僕はやっぱりオードリーが幸せなハッピーエンドがいいんですけどね。
イライザは今後も秘書的な役割をこなしていきながら、ビギンズを操縦していくという感じですかね。
でも次見ると違う感想になるかもしれません。ありがとうございました。
Posted by みつおみつお at 2023年05月15日 17:39
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