2023年08月14日

「ローマの休日」リバイバル直前「サンデー毎日」1954年7月4日号“ヘップバーン旋風”

「ローマの休日」リバイバル直前「サンデー毎日」1954年7月4日号“ヘップバーン旋風” さて、「ローマの休日」4K版リバイバルもあとちょっとに迫ってきました。
 皆さんはもう観に行かれる予定はたてられましたか?8月25日からですよー。

 今回はそんな「ローマの休日」リバイバル応援で1954年発売の週刊 “サンデー毎日”の紹介。

 これ、本当は来年紹介しようと思ってたんです。来年は日本公開70周年ですからね。
 でもまあ今年正式リバイバルが来ちゃいましたんで、先にやっちゃいます。

 で、この “サンデー毎日”1954年7月4日号ですけど、いったい本当はいつ発行されたんでしょうね。

 本って、普通の本の奥付も週刊誌や月刊誌の発行日も、本当の発売日じゃなくてだいぶ先のことが書いてあるんで、非常に困ります。
 いつからこんな風習が始まったんでしょうね。

 さて、この内容は1987年の写真集「AUDREY HIGHNESS &SABRINA」をお持ちの方ならご存知かと思います。付録で縮刷版が載ってましたもんね。

 でも87年に買った時は、その縮刷されてものすごく小さな文字も平気で読めたんですけど、いまはかなり苦しい。
 スマホで撮影して大きくして読むしかないでしょうね。

 さてこの “サンデー毎日”、表紙は薄っぺらいマットコートのような紙。
 中身もほとんどがわら半紙的な上質紙で、8ページだけ薄いモノクログラビアが真ん中のページにあります。

「ローマの休日」リバイバル直前「サンデー毎日」1954年7月4日号“ヘップバーン旋風” 本文は上質紙なんでだいぶ黄色く変色してて、スキャナして一所懸命黄色味を取ろうとしたんですけど、うまくいかなくて、一旦グレー化しました。
 そしたらコピーしたみたいになって。まあ元からそんなに鮮明ではないのですが。
 今回は画像があまり綺麗じゃなくてすみません。

 まず表紙をめくると、右は表紙裏の広告、そして左が目次のページ。そこには既に“ヘップバーン旋風 五つの秘密”という題字が。もう巻頭特集が始まっているんですね。

 これは公開当時の日比谷映画劇場でしょうか?懐かしい手書きの看板、そしてキャビネや四つ切りなどの写真が展示されているのもわかります。
 昭和レトロな映画館そのものの風景ですね。

 めくると「この荒稼ぎレコード破り」と大きく書かれていて、最初の見出しの文章では「ローマの休日」が「君の名は」や「七人の侍」を蹴とばして大当たりになった、アメリカでは平凡な成績であった、日本では今「ヘップバーン旋風」が吹きまくっている。ということが書かれています。

 そうそう、オードリーの伝記でも書かれていましたが、実は「ローマの休日」はアメリカではそんなに大ヒットしてないんですよね。
 もちろんヒットではあるのですが、予想をだいぶ下回ってたそうです。

 「ローマの休日」が大ヒットだったのはヨーロッパ、アジア、その中でも特に日本だったんですよね。
 日本での大ヒットぶりは「ローマの休日」の制作費の1/3が日本で回収出来たというくらいだったそうですからね。

 内容は、まず映画の大ヒットぶりが書かれています。3週の予定だったものが5週と3日になって、洋画の興行記録を作ってしまったこと、大阪でも大ヒットだったこと。ダフ屋が氾濫して300円の指定席が1000円で売られていたこと。

 まず今と物価が全然違いますからね。1954年は大卒初任給が8700円くらい。元々の封切館(日比谷映劇)の指定席300円でも今の7000円程度で、映画1本見るには超高額。

 今の新宿ピカデリーのプラチナシートやグランドシネマサンシャイン池袋のグランドクラスで約5000円ですからね。
 当時は封切館というのがいかに格があったかということですよね。

 それがダフ屋で1000円って、今の25000円くらいですよ!ぼったくりもいいとこですね。今の転売ヤーさんと同じですね。


「ローマの休日」リバイバル直前「サンデー毎日」1954年7月4日号“ヘップバーン旋風”

 洋画興行の常識として、都市人口の10%が動員可能限界なのに、「ローマの休日」は各地の1番館だけで10%〜23%も来たそうです。
 それまで洋画の最高だった「風と共に去りぬ」で東京の封切りで84日で28万6953人だったのに、「ローマの休日」は38日間で32万3885人も動員したそう!

 多い日には5月2日で13633人も入ったそうです!再度「AUDREY HIGHNESS &SABRINA」の付録の当時の日比谷映劇の広告を見ると、「ローマの休日」は平日も休日も1日6回上映なので、1回に2272人も入ったことになります!

 いくら当時は日比谷映劇が1500人規模の大劇場だったからといって、1回に700人くらい立ち見が出たということになりますね!座席の半分規模じゃないですか!1階2階とも通路や後ろまで人でギッシリだったことでしょうね。

 また映画館ではオードリーが髪を着る場面では決まって若い女性の嘆声が聞こえるそうです。

 アメリカでは製作費が200万ドルだったのに、純益が100万ドルがやっとの不成績だったと書かれています。オードリーの伝記本などでも300万ドルとよく出て来ますので、当時はアメリカでも配給収入(興行収入から映画館の取り分を引いた額)で成績が出ていましたから、まあそんな感じですよね。興行収入に直すと600万ドル稼げたということになります。

 次になぜ日本でこんな記録的ヒットになったのかの分析がされていて、日本人の皇室というものに対する憧れの根強さ、ロマンスと別れものへの人気、そして肉体派女優へのアンチテーゼとしての清純派オードリーが挙げられています。

 さらに書かれているのは、“ヘップバーンが美人型のスターではないため、一般女性が親近感をもった”“ヘップバーンの髪型が目新しくジャーナリズムが騒いだため”とも分析されてます。


「ローマの休日」リバイバル直前「サンデー毎日」1954年7月4日号“ヘップバーン旋風”

 オードリーが美人型ではない。今の女性ならオードリーが最高の美人という女性も多いんですけど、当時の美人の基準が違いますからね。
 当時は作家橋本治氏の言葉を借りると、「エリザベス・テイラーこそ美の基準とする」とされてましたもんね。そりゃオードリー外れますよね。

 今の若い子だと、エリザベス・テイラーを見せても美人だと思わない人も多そうですね。“濃い!”で片付けられそう…。
 オードリーはいわば自分では意図せずに美の基準を変えた人ですよね。

 さて記事に戻って、海外の「タイム」誌、「ライフ」誌のオードリーの最大級の賛辞と取り上げ方を皮切りに、まだオードリーの映画は1本も公開されていないのに新聞や雑誌に取り上げられまくり、53年年末から54年5月末までに東京の主要紙が「ローマの休日」やオードリーの記事を掲載したのはざっと170回。映画雑誌が表紙や特集でオードリーを載せると、売れ行きはてきめんだったそう。

 あー、なんかこれ僕も見たことある風景。80年代後半からのブームがそんな感じでしたよね。いろんな雑誌でオードリーの特集が組まれて、オードリーを載せるとめっちゃ売上が上がったとか。93年にオードリーが亡くなってしばらくまでそんな感じで続いてました。

 次は「百貨店では禁止令」って見出しで出ています。東京のあるデパートで、「ヘップバーン刈りなどという奇矯な髪型は当社の方針にそぐわないから慎むよう」とお達しがあったとか。

 デパートって、当時は流行を生むという勢いのあった所なので、「ローマの休日」が公開されるやあっという間に900人の女性従業員のうち1割が“ヘップバーン刈”になったそう。

 それを男性経営陣がおふれを出したため、女性の側から女性の命であるオシャレに干渉するとは!ということで “これはヘップバーン刈を禁止する意味なりや否や”と掛け合ったそう。

 それに対する某幹部の意見では「あの髪型がいけないという意味ではないのです。ただ、ああいう髪型はとかく手入れが不十分になり不快な感じをお客様に与えがちなので」とのこと。


「ローマの休日」リバイバル直前「サンデー毎日」1954年7月4日号“ヘップバーン旋風”

 お手入れが不十分ってどゆこと?って思いますけど、当時はブローという技術がないので、何でもかんでもパーマ&ピンカール、あるいはカーラー。
 その上、50年代は髪の毛を洗うのは1週間に1度みたいな状況ですから(詳しくは「93.『昼下りの情事』と洗髪事情に関して」で)、不十分かどうかは知りませんが、まあ確かに自分で毎日やる手入れが大変なのは間違いないと思います。

 映画界でもオードリーの髪型を真似る女優が続出ということで、久我美子さんがオードリーそのままの髪型のほか、淡島千景さん、美空ひばりさん、有馬稲子さんらが“ヘップバーン・スタイル”をご愛用とのことです。

 街の生態ってとこでは、“ヘップバーン刈”は公開1ヶ月前の4月初旬には少数ながら見受けられ、封切と同時に堰を切ったように広がったそうです。
 しかも昭和らしく、普通は東京から地方への流行は6ヶ月ほどかかるらしいのに、今回は東京と時を同じくして東北や九州でも広がったとのこと。

 ここでは何も書かれていませんが、実は「ローマの休日」は全国的に公開が早かったんですよね。東京は4月27日ですけど、佐世保・名古屋・四日市・新潟・広島では東京より早く、甲府・浜松では東京と同時公開、みたいな感じ。
 全都道府県の「ローマの休日」公開日を調べていますので、詳しくは「『ローマの休日』記録室」で。

 当時は東京のチェーン・マスターの劇場で公開の後、大阪、名古屋の1番館と東京の東宝チェーンや松竹チェーンなどへ。そしてその後当時の政令指定都市の1番館へ、さらに地方の1番館や大都市の2番・3番館へ、さらには地方の2番館へ、みたいな流れでしたから、東京から半年ほど遅れるのは当たり前。
 だから「ローマの休日」は異例の速さで地方で公開されたんですよね。


「ローマの休日」リバイバル直前「サンデー毎日」1954年7月4日号“ヘップバーン旋風”

 まあそれだから日本で同時にオードリーの髪型が流行ったんですよね。
 福島では東京から美容師を招いてヘップバーン刈の講習会が開かれたり、沼津ではヘップバーン刈の美人コンテストが開かれたことも書かれています。

 美容師の意見では映画が公開されたのが初夏で、快適なショートカットにしたいと考える季節だった、銀座界隈では10代よりも、20代・30代の女性に好まれている、と答えています。

 さらには文化服装学院、ドレスメーカー女子学院、慶応女子高校にアンケートを取っています。

 「ローマの休日」をご覧になりましたか?ヘップバーンのヘヤー・スタイルをどうお思いになりますか?ヘップバーンのヘヤー・スタイルはあなたに似合うとお思いですか?あのヘヤー・スタイルを他の人がしてるのをどうお思いですか?
などから、「ローマの休日」とは関係ないことまで質問されています。 なので、その辺は飛ばして…。

 最後に身だしなみに気を遣う男性からの意見として、“ヘップバーン嬢の方は髪や襟足の手入れが大変だそうですから、無精なお嬢さんやお金のないお嬢さんには向きません。ただ、こういう流行を追うお嬢さんにケチをつけるジャーナリストがいて、大抵それらは身だしなみに関心を持たない評論家や新聞記者という連中です。新鮮な感覚の女優を見て、及ばずながら髪型だけでも真似したいと思うのは若い女性の心意気というものです。”と述べています。

 全体で、ここでは現在言われているような“ヘプバーン・カット”ではなく、“ヘップバーン刈”だの“ヘップバーン・スタイル”などと色々な呼び方で呼ばれているのが当時の空気感を醸し出していますね。

 「ローマの休日」初公開当時のもの凄い稼ぎっぷりや、貴重なデータが色々と読める特集でした。



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この記事へのコメント
お邪魔いたします。
美空ひばりはのちに「魅惑のワルツ」をカバーしていますね。(CMで耳にしたことがあります)

美空ひばり「魅惑のワルツ」(1965年録音)
https://youtu.be/M_6SPz-8q78
Posted by take at 2023年08月16日 16:54
美空ひばりさんはムーン・リバーは歌ってないんですかね?
バラ色の人生はありそうですけど。
越路吹雪さんの魅惑のワルツも有れば聞いてみたいところです。
Posted by みつお at 2023年08月16日 21:07
>みつおさんへ

「バラ色の人生」は早い段階(1955年)でカバーしていました。

美空ひばり「薔薇色の人生」
https://youtu.be/qz0l21xLjSs

*「ムーン・リバー」は見つかりませんでした

実現はしなかったようですが、越路バージョンも気になります。
Posted by take at 2023年08月16日 21:41
ひばりさんの「バラ色の人生」、聞いてみると音の響きが「素敵なランデブー」に似てるなーと思って調べたら、どちらも1955年の「ジャンケン娘」の曲だったんですね!
我ながらいい耳してる!と自画自賛笑。
どちらも残響とか音のクリアさの雰囲気が同じ感じでした。
越路吹雪さんはレアな「暗くなるまで待って」を残してくださったので、良しとしときます。
Posted by みつおみつお at 2023年08月16日 23:17
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