2023年04月26日

午前十時の映画祭13「マイ・フェア・レディ」公開直前!応援記事 週刊平凡1964年12月3日号

 
4/28追記:TOHOシネマズなんばでは、5/4までは通常のスクリーンでは1番大きなスクリーン1番で上映しています!しかもスクリーン1番は4K上映です!大劇場での「マイ・フェア・レディ」を体感したい方はぜひお早めに!ただし額縁上映ですので、少し前寄りの席が良いと思われます。
高槻アレックスシネマさんは2K上映ですが、ズーム上映なので、画面いっぱいに「マイ・フェア・レディ」を見れます!映画に没入したい方はこちらがいいです!

午前十時の映画祭13「マイ・フェア・レディ」公開直前!応援記事 週刊平凡1964年12月3日号 さて、いよいよ28日(金)から5月11日(木)まで、ゴールデンウィーク中に“午前十時の映画祭13”にて「マイ・フェア・レディ」が上映されます!

 今日はそれを応援するために、雑誌「週刊平凡」の1964年12月3日号(実際の発売日不明)を紹介。

 この号でも1964年12月1日にいよいよ初公開される「マイ・フェア・レディ」への熱狂的な前評判ぶりに、オードリーの特集が組まれています。

 まず表紙でも「特集オードリー・ヘップバーン」と書かれています。
 表紙はジェリー藤尾さん、渡辺トモコさん夫妻と、坂本九さんになっています。ジェリー藤尾さん、坂本九さんはわかりますが、僕でも渡辺トモコさんという方は存じません。

午前十時の映画祭13「マイ・フェア・レディ」公開直前!応援記事 週刊平凡1964年12月3日号 表紙をめくると、毎号付いていたらしい“Weekly Jacket”ってページからまず「マイ・フェア・レディ」のオードリー。
 うっ、美しい!

 印刷技術は今より劣るものの、使っている写真が今のような劣化したポジから起こしたデジタル画像ではなく、オリジナルに近いものだったので、こないだ行ってきた“Audrey in Cinema”の展示会のカラーよりよっぽど美麗。粒子も全然荒れていません。

 “Weekly Jacket”に関しては2014年に記事にしています。こちら

 カラーグラフでは女優の佐久間良子さん、高島忠夫さん・寿美花代さん夫婦などのことがあり、モノクログラフでは皇太子殿下・美智子妃ご夫妻(現上皇陛下・上皇后陛下ご夫妻)や西郷輝彦さんなどが載っています。

 西郷輝彦さんには本文でも記事があるのですが、デビューから9か月で2億円稼いだと書かれていました。これで前途が危ぶまれたレコード会社のクラウンを救ったとか。

 大卒初任給が17100円の時代に、純利益だけで2億円って凄いですね!今の23億円くらい利益だけで出したことになりますね。

 おかげで9月のクラウン創立1周年記念日には社員は全員50%の昇級、暮れのボーナスは3か月分は下らないだろうと書かれています。景気がいいですね。

午前十時の映画祭13「マイ・フェア・レディ」公開直前!応援記事 週刊平凡1964年12月3日号 さて、脱線しましたが、本文のオードリーの記事を。
 特集では本文の5ページ分を使ってオードリーのことが書かれています。

 大見出しは “特別よみもの 世界の恋人オードリー・ヘプバーンの波乱に富んだ半生記”となっています。
 ここでオードリーの特集が組まれるのは、もちろん「マイ・フェア・レディ」の封切りが近いから。

 どれも一流作品で、会社もそれなりにお金を掛けているオードリー作品ですが、超大作と呼ばれるのは「戦争と平和」と「マイ・フェア・レディ」のみ。

 製作のワーナー・ブラザース映画としては史上最高額の制作費をかけた社運をかけた映画でしたし、この段階では既にアメリカでの公開は始まり、日本の映画評論家への試写は終わり、アメリカでの大行列や新たな傑作が誕生したことは知れ渡っていたでしょうし、日本でもオードリーファンのみならず、一般のお客さんや俳優などの業界人を巻き込んでの大盛り上がりになっていたものと思われます。

 ここでも小見出しや本文で “前評判がスゴイ!”と書かれています。
 そこでオードリーについて半生記を書いているのですが、最初の見出しが “おとろえぬ若さ、不滅の人気”。

午前十時の映画祭13「マイ・フェア・レディ」公開直前!応援記事 週刊平凡1964年12月3日号 今の映画の全国一斉公開の状況とは違い、当時の映画は大都市から順々にロードショーしていく形態のため、「マイ・フェア・レディ」を12月1日からまず東京の有楽座と大阪の梅田スカラ座・千日前スバル座の3館から上映していくことが語られています。

 その有楽座では前売り開始日の10月30日には4000人余りの人が切符売り場に駆けつけ、劇場の周りは長蛇の列だったそうです。
 最近の週刊現代のネット記事でも、前売り券を求めて並ぶ長い4列縦隊の列ができ、その中には長嶋茂雄さんもいたと言うことを書いたのがありましたね。

 エリザベス・テイラーの「クレオパトラ」の前売り初日は約2000名だったそうで、それと比べると2倍以上の人が集まったそうです。
 それ以外の方法でも、手紙による申し込みが既に18000人だとか。

 前売りの行列もその後も毎日2000〜3000人が並んでいるそうで、驚異的な売り上げだったことがわかりますね。

 そしてオードリーの初々しさがいつまでも失われないこと、ハッとするほどの若い輝きによって見る人の心を奪うことが書かれており、この若さの秘密は一体どこにあるのだろうか?と不思議がっています。

午前十時の映画祭13「マイ・フェア・レディ」公開直前!応援記事 週刊平凡1964年12月3日号 まあこの「マイ・フェア・レディ」のその後のバッシングでやつれて行くオードリーを知っている身としては、「マイ・フェア・レディ」が最後の若々しいオードリーだったんだなーと思うわけですが(もちろん「おしゃれ泥棒」以降も若く美しいオードリーなんですけど、「マイ・フェア・レディ」までとは明らかに違うんですよね)。

 その後はご存知のオードリーの生い立ちが語られていくわけですけれども、ほかのスターのような派手さや浮ついたところがなかったエピソードとして、うるさ型の女優ジョーン・クロフォードでさえパーティーで彼女を見たのは1回だけだと言った、と書かれています。

 また、ブルゲンシュトックで結婚後はルツェルン湖畔の11部屋ある邸宅で暮らしている、と書かれているので、まだトロシュナの家に住む前で、ブルゲンシュトックに住んでいた頃のお話であることがわかりますね。

 これは旅行会社の方に教えていただいたことですが、オードリーがブルゲンシュトックで借りていた家は、現在取り壊されてホテルの敷地に取り込まれているそうです。現存しないのは残念ですね。

 そしてこの段階ですでにオードリーは「映画出演のたびに、フランスやアメリカに出かけて、家を留守にしなければならないのが、一番辛いことです」と語っています。

 「スイスではショーンが色々な国籍の子供達と一緒に、のびのびと育っています。それが彼にとって一番良いことだと思います。わたしは今の所、アメリカで生活する気は全くありません」「夫と子供との一家の睦まじさを保つためにはわたしは何を犠牲にしてもかまわない」とも答えていて、家庭を大事にして、その後は半引退状態になるオードリーがこの段階でわかりますね。

午前十時の映画祭13「マイ・フェア・レディ」公開直前!応援記事 週刊平凡1964年12月3日号 さて、本文のオードリーはこれで終了なのですが、後ろの方のモノクログラビアページで再度登場します。
 このグラビアページでは女性歌手の特集もあって、デビュー当時の10歳の小林幸子さんも載っていました。

 「マイ・フェア・レディ」のグラビアでは、“封切り前に大当たり!「マイ・フェア・レディ」に人気集中”と見出しがついて、まず大使館のシーンの珍しいオードリーの画像が載っています。

 次の見開きでは、画像自体はもう公開前なので宣伝写真が決まってきているからか、珍しい画像は1つもありません。
 ここで興味深いのは文章の方。

 11月30日(10月30日の間違い)の前売り開始から半月で35000枚をさばいたこと、これだけで3000万円を集めたということ、4億5000万円の興行収入を挙げた「ウエスト・サイド物語」に、封切り前にして早くもその記録に挑戦しようとしていること、映画界の神秘とまで言われるオードリーの定評ある人気、昨年東宝が江利チエミ主演で舞台をしたこと、男性4:女性6の比率であること、不振と言われる映画界で何年かぶりに訪れた景気のいい話題だということが書かれています。

 その後「マイ・フェア・レディ」は1965年のお正月映画として1964年12月1日に公開され、有楽座では294日の超ロングランになりました。

 結果、1964年度(64年1月〜65年6月)配給収入(興行収入から映画館の取り分を引いたもの)で4億7601万円、1965年度(65年1月〜12月)の配給収入6億5282万円と2年に渡って第2位に入り、トータルの配給収入でも7億8867万円(64年度と65年度の単なる足し算ではないのは、集計時期がダブってるから)をあげて、当時の全洋画で「クレオパトラ」を抜いて歴代第4位になったこともわかっています。

午前十時の映画祭13「マイ・フェア・レディ」公開直前!応援記事 週刊平凡1964年12月3日号 当時は配給収入が1億円を超えると大ヒットと呼ばれていたので、8億に迫るとは、いかに桁外れの大ヒットだったかがわかりますよね。

 ちなみに「ローマの休日」は63年のリバイバル分を足して4億ちょっと、「ティファニーで朝食を」は8000万円台だったので、「マイ・フェア・レディ」の凄さがわかりますよね。

 本当に当時はスゴい話題と興奮ぶりだったんですね。
 ぜひ今回の“午前十時の映画祭13”でも当時の熱狂を思いながら見ていただけるといいなあと思います。

 なお、上映館では小さく額縁上映になるところが多いので、お気をつけください。
 当時の本来の70mm上映館で見たら、迫力がすごかったんだろうなーと思いますね。



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この記事へのコメント
 初日に行こうかと思ったら、TOHOシネマズ日本橋、新宿、池袋とも前売りで7割方埋まっていました。結構な人気ですね。せっかく暇人になったので(笑い)平日に行くことにします。
Posted by wimpole at 2023年04月30日 11:06
おお!wimpoleさん、7割も埋まっていましたか!
さすが東京ですね!
去年の「いつも2人で」はドキドキして毎日東京もチェックしてましたが、今回はノーチェックだったので、伺って嬉しくなりました!
Twitterで「マイ・フェア・レディ」をチェックしていますが、盛岡の劇場の公式の呟きでも「マイ・フェア・レディ」は好調のようで安心しています。
僕ももうすぐ見にいく予定です!今回もトーホーシネマズなんばと高槻アレックスシネマで2回見ようと思っています。
Posted by みつおみつお at 2023年04月30日 19:12
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