2024年01月20日
没後1年の時の「ロードショー」1994年2月号
今日は、オードリーの没後31年になります。
(といっても、スイスと日本では時差があるので、オードリーが亡くなったのは日本では21日の午前3時。)
ということで、今回は没後1年の時の雑誌「ロードショー」1994年2月号(93年12月21日発売)でのオードリー・ヘプバーン特集を紹介。
「ロードショー」なので、“よみがえるオードリー・ヘップバーン”とヘップバーン表記になっていますね。
表紙はメグ・ライアン。90年代はロマンティック・コメディの女王って言われて人気がありましたね。
でもロマコメばっかりじゃない感じもあって、なんか全然毛色の違う似合わない作品にも出てたイメージがあるんですよね。
この号ではまず目次のページにカラーの「マイ・フェア・レディ」が小さく載っています。
コート紙を使っているんですけども、紙の厚さがペラッペラなので、あまり印刷も綺麗じゃありません。
次のオードリーは、本文のペラッペラマットコート紙のFOXスクリーンフレンドの広告。
この頃になると、FOXスクリーンフレンドもチラシ屋さんみたいになってますね。
オードリーはまだまだ人気があるので、オードリーだけのコーナーも設けられています。
載っている画像は89年リバイバルの「戦争と平和」のもの。あとはカラーポートレートでも「マイ・フェア・レディ」のものが載っていますね。
その次は毎月読者投票されていた“あなたが選ぶ3大ベスト”っていうページでの発表。
当時人気のあったジョディ・フォスター、シャロン・ストーン、デミ・ムーア、ウィノナ・ライダーなどの当時の超売れっ子たちに混じって、メグ・ライアンとジュリア・ロバーツに挟まれた第6位。
先月の11位からジャンプアップしています。
男優ではこの号で特集されていた突然死のリバー・フェニックスが2位に入っているのと、この当時はまだ代表作は出ていないものの、ブラッド・ピットが3位、レオナルド・ディカプリオが10位と、イケメンには敏感ですね。
当時から今でもずっと大人気のトム・クルーズもいれば、最近はトンとお見かけしないケビン・コスナー、エドワード・ファーロングなどの名前が見えますね。
その次は1993年に公開された作品のチラシ図鑑のページ。
1993年というと、「初恋」がリバイバルされてますよね。ここでは6月公開のページに登場。(あ、去年リバイバル30周年の紹介するの忘れた!)
当時はビデオ時代だったので、ビデオ発売されているものはその情報も載っています。
「初恋」はフナイから3500円で出てたのがわかりますね。
さて今号の目玉、オードリーの特集は巻末です。モノクロで14ページ。
紙がペラッペラマットコートなので、黄色く変色してしまってます。ホント、マットコート嫌い!
文章は和久本みさ子さんって方なのですが、オードリーの経歴に結構お詳しいようなのです!
オードリーの兄のアレクサンデルがシェル石油で横浜にいた、そのため母エッラが横浜で「昼下りの情事」を見た、CMはウィッグとワールド、などなど。
結構コアなファンでないと知らないようなことも書いています。
いやー、ちょっとお話ししたいなー。
最初にめくると、有名な「ローマの休日」や「初恋」の画像。
このページは「麗しのサブリナ」も「戦争と平和」のダンスの練習をするオードリーも含めて、割と平凡な画像。
次にめくったページでは、大きく扱われているショーンとの写真や、「ローマの休日」でアカデミー賞を受賞した時のものではなく、小さく扱われている「噂の二人」撮影時のメルとの画像や、ドッティと一緒の写真の方がレア。
次のページにはオランダの“オードリー・ヘプバーン通り”の写真が大きいのが嬉しいですね。あとお葬式の写真。
前にも書きましたが、“オードリー・ヘプバーン通り”は今も有りますが、かなりひっそりとした小径です。一部は工事中で道が無くなっています。
その次は「パリの恋人」と「ローマの休日」のポートレート。
「ローマの休日」と言っても、実際は「ローマの休日」と「麗しのサブリナ」の撮影の間に撮られたポートレート。髪型が「ローマの休日」でも「麗しのサブリナ」でもないでしょ?
でも日本では「ローマの休日」公開が54年までずれ込んだため、このポートレートもよく「ローマの休日」のパンフレットなどで使われていました。
次の見開きページではオードリーのファッションを紹介。
特に目新しい画像はないけど、一般的には「おしゃれ泥棒」のものがレアかな?でもこれは本当はカラーです。
その次と最後のページではオードリーの日本公開作品を画像と主に紹介。
なので、「ニューヨークの恋人たち」や「モンテカルロへ行こう」のものはありません。
なんとなく、写真の大きいのは代表作という扱いなんじゃないか?という気がします。
さて、「ロードショー」がオードリーを大事にしてくれなかったことは、ここでも折に触れては書いているのを以前から来てくださってる方はご存知だと思います。
「ロードショー」の黎明期(72年〜74年)はオードリーをたくさん載せてくれていましたが、「ロビンとマリアン」以降はみるみる扱いが小さく雑になってしまいます。
というか、ほとんど取り上げてくれませんでした。
オードリーが亡くなった時も追悼写真集を出すことはおろか、本誌の表紙にすら取り上げてくれなかったという…。
それでもまだこの没後1年の時はモノクロながら特集を組んでくれていましたが、多分これが本誌での最後のオードリー特集だったと思います。
これ以降は鼻にも引っ掛けないようになっていきます。
このあとは1995年4月号で “Roadshow文庫”という付録でオードリーを特集しましたが、それが本当に最後。
以降は僕も「ロードショー」を一切買っていません。
「スクリーン」はその後も没後何年とか生誕何年、あるいは「スクリーン」の記念号などでオードリーを取り上げてくれるのですが、「ロードショー」は本当に何もなし。
時折過去の表紙でオードリーの画像が載ることもありましたが、それくらいで買うほどのこともなく、という感じでした。
そしてそのまま紙媒体の「ロードショー」は2009年1月号(2008年11月21発売)をもって廃刊になっていますね。
かつては“感じる洋画雑誌”とか“洋画雑誌のNo.1” を謳っていたのに、末期は邦画の割合も多くて、なんの雑誌やらわからなくなっていました。
そのころの「SCREEN」はまだ完全な洋画雑誌でしたが、今や「SCREEN」も邦画の割合がすっごく高くなってますね。これも末期症状なのでしょうか?
この「ロードショー」と同時発売だった1994年2月号の「スクリーン」でも、もちろんオードリーの没後1年ということで特集があるのですが、そちらは10ページしかなくて、画像の点数も圧倒的にこの時は「ロードショー」の方が多かったんですよね。
まあ「スクリーン」の方は使っている紙がコート紙だったんで、今でもそんなに変色しておらず、その点では勝ってるんですが、なんか「ロードショー」の方が画像とかが充実してたというのは意外な感じもします。
結果的にはこの号は「ロードショー」によるオードリーへの最後のはなむけだったのでしょうかね。
同じ1994年2月号の「スクリーン」の紹介は、またいつか機会があればということで。
(といっても、スイスと日本では時差があるので、オードリーが亡くなったのは日本では21日の午前3時。)
ということで、今回は没後1年の時の雑誌「ロードショー」1994年2月号(93年12月21日発売)でのオードリー・ヘプバーン特集を紹介。
「ロードショー」なので、“よみがえるオードリー・ヘップバーン”とヘップバーン表記になっていますね。
表紙はメグ・ライアン。90年代はロマンティック・コメディの女王って言われて人気がありましたね。
でもロマコメばっかりじゃない感じもあって、なんか全然毛色の違う似合わない作品にも出てたイメージがあるんですよね。
この号ではまず目次のページにカラーの「マイ・フェア・レディ」が小さく載っています。
コート紙を使っているんですけども、紙の厚さがペラッペラなので、あまり印刷も綺麗じゃありません。
次のオードリーは、本文のペラッペラマットコート紙のFOXスクリーンフレンドの広告。
この頃になると、FOXスクリーンフレンドもチラシ屋さんみたいになってますね。
オードリーはまだまだ人気があるので、オードリーだけのコーナーも設けられています。
載っている画像は89年リバイバルの「戦争と平和」のもの。あとはカラーポートレートでも「マイ・フェア・レディ」のものが載っていますね。
その次は毎月読者投票されていた“あなたが選ぶ3大ベスト”っていうページでの発表。
当時人気のあったジョディ・フォスター、シャロン・ストーン、デミ・ムーア、ウィノナ・ライダーなどの当時の超売れっ子たちに混じって、メグ・ライアンとジュリア・ロバーツに挟まれた第6位。
先月の11位からジャンプアップしています。
男優ではこの号で特集されていた突然死のリバー・フェニックスが2位に入っているのと、この当時はまだ代表作は出ていないものの、ブラッド・ピットが3位、レオナルド・ディカプリオが10位と、イケメンには敏感ですね。
当時から今でもずっと大人気のトム・クルーズもいれば、最近はトンとお見かけしないケビン・コスナー、エドワード・ファーロングなどの名前が見えますね。
その次は1993年に公開された作品のチラシ図鑑のページ。
1993年というと、「初恋」がリバイバルされてますよね。ここでは6月公開のページに登場。(あ、去年リバイバル30周年の紹介するの忘れた!)
当時はビデオ時代だったので、ビデオ発売されているものはその情報も載っています。
「初恋」はフナイから3500円で出てたのがわかりますね。
さて今号の目玉、オードリーの特集は巻末です。モノクロで14ページ。
紙がペラッペラマットコートなので、黄色く変色してしまってます。ホント、マットコート嫌い!
文章は和久本みさ子さんって方なのですが、オードリーの経歴に結構お詳しいようなのです!
オードリーの兄のアレクサンデルがシェル石油で横浜にいた、そのため母エッラが横浜で「昼下りの情事」を見た、CMはウィッグとワールド、などなど。
結構コアなファンでないと知らないようなことも書いています。
いやー、ちょっとお話ししたいなー。
最初にめくると、有名な「ローマの休日」や「初恋」の画像。
このページは「麗しのサブリナ」も「戦争と平和」のダンスの練習をするオードリーも含めて、割と平凡な画像。
次にめくったページでは、大きく扱われているショーンとの写真や、「ローマの休日」でアカデミー賞を受賞した時のものではなく、小さく扱われている「噂の二人」撮影時のメルとの画像や、ドッティと一緒の写真の方がレア。
次のページにはオランダの“オードリー・ヘプバーン通り”の写真が大きいのが嬉しいですね。あとお葬式の写真。
前にも書きましたが、“オードリー・ヘプバーン通り”は今も有りますが、かなりひっそりとした小径です。一部は工事中で道が無くなっています。
その次は「パリの恋人」と「ローマの休日」のポートレート。
「ローマの休日」と言っても、実際は「ローマの休日」と「麗しのサブリナ」の撮影の間に撮られたポートレート。髪型が「ローマの休日」でも「麗しのサブリナ」でもないでしょ?
でも日本では「ローマの休日」公開が54年までずれ込んだため、このポートレートもよく「ローマの休日」のパンフレットなどで使われていました。
次の見開きページではオードリーのファッションを紹介。
特に目新しい画像はないけど、一般的には「おしゃれ泥棒」のものがレアかな?でもこれは本当はカラーです。
その次と最後のページではオードリーの日本公開作品を画像と主に紹介。
なので、「ニューヨークの恋人たち」や「モンテカルロへ行こう」のものはありません。
なんとなく、写真の大きいのは代表作という扱いなんじゃないか?という気がします。
さて、「ロードショー」がオードリーを大事にしてくれなかったことは、ここでも折に触れては書いているのを以前から来てくださってる方はご存知だと思います。
「ロードショー」の黎明期(72年〜74年)はオードリーをたくさん載せてくれていましたが、「ロビンとマリアン」以降はみるみる扱いが小さく雑になってしまいます。
というか、ほとんど取り上げてくれませんでした。
オードリーが亡くなった時も追悼写真集を出すことはおろか、本誌の表紙にすら取り上げてくれなかったという…。
それでもまだこの没後1年の時はモノクロながら特集を組んでくれていましたが、多分これが本誌での最後のオードリー特集だったと思います。
これ以降は鼻にも引っ掛けないようになっていきます。
このあとは1995年4月号で “Roadshow文庫”という付録でオードリーを特集しましたが、それが本当に最後。
以降は僕も「ロードショー」を一切買っていません。
「スクリーン」はその後も没後何年とか生誕何年、あるいは「スクリーン」の記念号などでオードリーを取り上げてくれるのですが、「ロードショー」は本当に何もなし。
時折過去の表紙でオードリーの画像が載ることもありましたが、それくらいで買うほどのこともなく、という感じでした。
そしてそのまま紙媒体の「ロードショー」は2009年1月号(2008年11月21発売)をもって廃刊になっていますね。
かつては“感じる洋画雑誌”とか“洋画雑誌のNo.1” を謳っていたのに、末期は邦画の割合も多くて、なんの雑誌やらわからなくなっていました。
そのころの「SCREEN」はまだ完全な洋画雑誌でしたが、今や「SCREEN」も邦画の割合がすっごく高くなってますね。これも末期症状なのでしょうか?
この「ロードショー」と同時発売だった1994年2月号の「スクリーン」でも、もちろんオードリーの没後1年ということで特集があるのですが、そちらは10ページしかなくて、画像の点数も圧倒的にこの時は「ロードショー」の方が多かったんですよね。
まあ「スクリーン」の方は使っている紙がコート紙だったんで、今でもそんなに変色しておらず、その点では勝ってるんですが、なんか「ロードショー」の方が画像とかが充実してたというのは意外な感じもします。
結果的にはこの号は「ロードショー」によるオードリーへの最後のはなむけだったのでしょうかね。
同じ1994年2月号の「スクリーン」の紹介は、またいつか機会があればということで。
Posted by みつお at 19:00│Comments(0)
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