2021年08月18日

マンスリー・ミキハウス 1990年プレ創刊号

マンスリー・ミキハウス 1990年プレ創刊号 以前、ロシアのオードリーファンのLizaさんに画像を送ってもらった日本の雑誌がありました。それがこの「monthly miki house(マンスリー・ミキハウス)」のプレ創刊号。裏表紙には1990年7月10日発行となっていますので、6月末か7月はじめに発行されたのだと思います。

 正直、こんな雑誌でオードリーが載っていたことなど、教えてもらうまで全く知りませんでした。
 逆輸入のような形で知ったわけですね。

 この“マンスリー・ミキハウス”はもう刊行していませんね。調べてみると94年くらいには廃刊になったようです。
 もしかしたら「マンスリー・ミキハウス」→「ミキハウス・マイア」→「ミキハウス・ラブ」って変遷していったのかもしれませんが、詳しくはわかりません。

 まだ当時は今のような出版不況ってわけでもなかったと思いますが、あんまり売れなかったのでしょうか。

 さて、さっきも書いたように、これはプレ創刊号。創刊号が出る前にお試しで出るものですね。

マンスリー・ミキハウス 1990年プレ創刊号 プレ創刊号といえば、「メンズノンノ」の創刊号が出る前に、non・no特別編集としてピンク系の阿部ちゃん(阿部寛)の表紙の「メンズノンノ」が出ていましたし(買って持ってた。今でも押入れにあるはず。)、「関西ウォーカー」(もしかしたら「神戸ウォーカー」かもしれない…)のプレ創刊号は仕事でほんのちょっと関わったので、見ていました。

 この入手方法は、フライヤーで確認したら「マンスリー・ミキハウス」を1年間定期購読の契約をすればもらえるというもの。非売品だったのか〜!どうりであんまり見かけないわけです。

 さて、この本でのオードリーは巻頭インタビューなんですが、表紙には全くオードリーのことは書かれてないんですよね。
 これでよくLizaさんは見つけたなーと感心します。

マンスリー・ミキハウス 1990年プレ創刊号 さて、オードリーにインタビューするのはオードリーの友人、加藤タキさん。
 最初のページに撮影地が書いてあるのですが、京都 南禅寺と松下美術館 真々庵って書いてあります。そして時期は1990年…。

 そう!これが「オードリー・ヘプバーンの庭園紀行」の撮影で、ちょうど来日していた時の証拠になっています!

 こちらに来ていただいているヴェロニカ・ハメルさんもおっしゃってましたが「当時の“スクリーン”にも記事が無い」ほど90年の3回目の来日は本当に秘密だったのか慌ただしかったのか、ほとんど資料がないんです!

マンスリー・ミキハウス 1990年プレ創刊号 映画雑誌「スクリーン」では来日は83年と87年の2回だけ、なんて書いてましたけど、僕は以前から「オードリー・ヘプバーンの庭園紀行」が1993年にアメリカで初放送されていることからして87年に撮影したとは考えられず、絶対もう1回来てるはず!と思って、2003年くらいに真々庵に直接電話したり、苔寺(西芳寺)に行った時に尋ねたりして、実際には1990年5月に来日して撮影していたことがわかりました。

 でも自分では確かめてウラも取ってあるので、僕はこちらでももう一つの僕のブログ “おしゃれ泥棒、オードリー・ヘップバーン!”でも、さらにそれ以前の今は亡き“みつおの映画とオードリーのお話”でも90年の来日のことは書いていましたが、「スクリーン」でも知らないし他の雑誌でも一切載ってもいないという世の中の人は誰も知らない来日だったのですよね。

マンスリー・ミキハウス 1990年プレ創刊号 そして証拠になるものが今まで見つからなかったのですが、Lizaさんのおかげでその証拠となるこのミキハウスがとうとう見つかったというわけです。
 でもこれがプレ創刊号じゃなくて、普通の創刊号だったら、もっとみんなに周知されていたんだろうか…とも思いますね。

 当時大ブーム真っ只中のオードリーのインタビューがありながら、それをウリにもしないし、プレ創刊号に掲載だなんてなんてもったいない使い方!と思ってしまいます。そういえばちょうどこの時期は日本で「オールウェイズ」が公開したとこですよね。タイミング的にもバッチリだったのに、ですね。

マンスリー・ミキハウス 1990年プレ創刊号 オードリー側からしても、実際に店頭に並ぶ通常の創刊号の方が、日本人にユニセフの活動を知ってもらえて良かったのにねって思います。

 さてさて、肝心のインタビューの内容ですが、なんせ全8ページも使ってのインタビューなので全部採録するわけにもいかないのが残念です。

☆エクスラン・ヴァリーエの時の撮影の話
 打ち合わせの途中、スタッフの意見が一致しなくて気まずい雰囲気になったときに、オードリーがルカを抱いて来たので、みんなの気持ちが和らいだ。

☆ユニセフの話
 親善大使は今年が3年目。初代のダニー・ケイは30年も務めたけれど、これから30年だと私は90歳になるので、あまり時間がない。
 大使を引き受けるまでは何かをしたかったけど、どうしたらいいのかわからなかった。そんな時にチャンスが与えられたので私は感激して感謝した。

マンスリー・ミキハウス 1990年プレ創刊号 もちろん、ここでオードリーはユニセフのことをたくさん喋っているのですが、日本で赤十字やユニセフの広報活動が周知徹底されていないのではないか、という加藤タキさんの言葉にオードリーが、
“今度私は、日本のツアーをしようかしら…”
と答えていて、もしもっとオードリーが生きていたら、4回目の来日もあったのかもしれないなーと思いました。

 以前、オードリーの言葉で“東アジアの経済の75%は日本”と語っていたように、当時のバブル期の日本はすごかったですからね。

マンスリー・ミキハウス 1990年プレ創刊号 インタビューの写真は、もちろんここでしか見れない画像ばかりでとても貴重。
 詳しくは知らないのですが、戸外の写真が南禅寺、室内の写真が真々庵なのじゃないでしょうか。(衣装からして、逆でした。赤い衣装が真々庵、白い方が南禅寺ですね。)
 「オードリー・ヘプバーンの庭園紀行」では南禅寺は無かったと思うので、貴重ですよね。

 でも綺麗に撮ろうとするあまり、常にソフトフォーカスをかけて撮影しているのが、僕からしたらかなりジャマ。
 別にハッキリ写ったって、僕はオードリーのシワも含めて大好きなので、むしろそっちの方が素敵だったのに!って思ってしまいます。

 唯一室内で加藤タキさんと話してる時の写真が紗をかけてなくてハッキリ写ってるんですが、もちろんめっちゃ綺麗です。こんな風にみんな撮って欲しかった。

マンスリー・ミキハウス 1990年プレ創刊号 それとその写真ではテーブルにこの創刊の案内のフライヤー(パンフレット。全8p。←左の写真)が乗っています。
 おそらくそのフライヤーをオードリーに見せて、こんな子育て世代に読んでもらう新しい雑誌ができるので、ってインタビューを受けてもらってたんでしょうね。そう考えると、このフライヤーをオードリーも見てたんだ…って感慨深いです。

 オードリーが唯一気にする、必ず顔の左側から撮る、というのは今回も全画像で守られています。
 加藤タキさんはこの号から30年も経っているのに、今もこの時と全然変わらないのが凄いですね!今もお若いです。

 オールコート紙のフルカラー。表紙周りを入れると196pの230mm×297mmのA4変型(A4より横が長い女性雑誌サイズ)。
 とてもお金のかかっている雑誌だなあーと思います。

オススメ度:★★★(90年来日時の証拠としてとても価値のあるもの。でも見つけるのは難しいかも。コアなファン向き。)


タグ :来日雑誌

同じカテゴリー(その他日本の雑誌)の記事
 「華麗なる相続人」1980年初公開時 雑誌紹介記事 (2025-01-26 12:00)
 「麗しのサブリナ」日本公開70周年記念 月刊「パラマウント」11月号 (2024-09-17 12:00)
 「麗しのサブリナ」公開70周年直前 月刊「パラマウント」1954年9月号 (2024-09-07 18:00)
 「Esquire エスクァイア日本版 別冊」1991年12月号 (2024-08-16 18:00)
 講談社「DAYS JAPAN」 1989年3月号 (2024-06-25 21:00)
 「ローマの休日」上映直前 月刊「パラマウント」1954年4月号 (2024-04-04 21:00)

この記事へのコメント
ほんと、よく見つけられましたね~。

めっちゃ、見てみたいけど~~~。
非売品ですかぁ~。

ご紹介くださり、ありがとうございました!
Posted by 寝ても覚めても。 at 2021年08月20日 14:30
寝ても覚めても。さん、こんばんは!

本当にお見せしたいんですけどねー。

オードリーが日本について喋っている貴重なインタビューですよね。
日本のツアーを考えていたっていうのがすごいですよね。
東京だけじゃなくて、各地でユニセフへの関心を持ってもらうために講演するってことですもんね。

当時の日本はGDPがアメリカを脅かすほどの世界2位でしたから、当時大ブームだったオードリーが言えば、もっと日本人も関心を持ってくれたかも知れませんね。
Posted by みつおみつお at 2021年08月20日 18:40
この記事、覚えていますし、持ってました。
たぶん今でもあるはずです。押し入れの中のファイリングのどこかに・・・
これってmiki-houseだったんですね。創刊号でしかもプレとは!
昔よくやっていた切り抜きとファイリングって、中身に応じた分類に特化していて、出典が何なのか全然記録していないものだから、
いつぐらいの時代なのかしか分からなくなっていますね。
資料としては半端だし、説明するときイマイチ信ぴょう性に困るときがあります。
今なら目録リストか紙自体の余白かに必ず記しておきますね~昔はいろんなことが無頓着だったです。(皺を気にしないとか、妙な切り方したりとか)

記事の内容もさることながら、特に強烈だったのはファッションコーディネイト
真っ赤なシャツにゴールドのパンツ!
ゴールドなんってねぇ、なかなか履きませんよ日本人、しかも赤に金とは!
それでもって関西のオバチャンみたいにならないのがさすが
ゴージャスど真ん中なんですよね、自分の色として着こなしている。
バレリーナ時代からなんですけど、オードリィってオフショット結構大胆なの多いですよね。
タキさんがこの頃と今もあまり変わらないのもオドロキです。
若々しい人って時間を味方にできるんですね。

ユニセフ活動としてはまだ楽観視していた頃の話ですが、これより後のソマリア訪問時の記事(オールカラー)もあって、こちらも強烈でした。
公式というより、パートナーのロビーが撮った写真が中心で、
現場のあまりの惨状にオードリィが憔悴しきっている様子が写されてました。もちろん紗をかけるなんてことは一切されてません。
なかでも亡くなった子供たちがトラックの荷台に大量の荷物のような扱いで搬出されていて、その荷台にオードリィがとりすがって泣き崩れている写真には絶句します。
活動中は笑顔を絶やさないよう努めていたとありますが、もう耐えられなかったのでしょう。正直見ているこちらもこたえました。
ただこれも切り抜いてファイルしているだけで、出典が分かりません。
結局今の時点でも他では決して出てこなかった貴重な貴重な内容となっているだけに、あまりに大雑把な保存をしてきた昔の自分を叱ってやりたいです。

それにしてもmiki-houseプレ創刊号なんかを、ワタクシはどうやってどうして入手したのだろう?このブランドとは全く縁がないし、なんとも謎です。
昔の自分に教えてほしいです。
Posted by まる at 2021年08月21日 17:52
まるさん、さすが!これをお持ちだったとは!

でも僕もあります!ファイルしているのは作品別だったりして、一体どこからの切り抜きか、何年何月号か分からないものが多いです。
「スクリーン」とか「映画の友」とか「ロードショー」だったら、まだ雑誌名まではわかるのですが、それ以外はさっぱり…。
僕もここ最近ではもし雑誌を潰す際は表紙は残しておいて、その号の記事は全部ひとまとめにしています。
そうしないと、このブログでも紹介しにくいです。
変な切り方も、本当にそうで、すっごい雑だったりして一瞬の手間を惜しんで!って思いますね。

ファッション、まるさんも思ってましたか!笑
僕も紅色のシャツはともかく、このパンツ、金色だよな〜?って思ってました。
生地的にもこの当時はストレッチパンツとかも無く、素材的に通気性も悪そうで、日本には向いてないかもねーなんて思ってました。
オードリーに金、確かに大阪のおばちゃんにはならずに、なんか観音様的な感じがします。
「庭園紀行」の撮影のためだったら、おそらくラルフ・ローレンのものなんでしょうが、日本にわざわざ持ってきた、ということは、神社仏閣に合うと思ったんでしょうかね。まさに金閣寺か観音様か、って感じです。
そう言えば、「オードリーに魅せられて」でも載っていた、モノクロなので白のブラウスと黒のパンツに見える組み合わせも、実際はピンクのシャツと真っ赤なパンツだったそうで、それも大胆ですよね。
意外とデザインは冒険しなくても、色や素材で冒険してますね。
「いつも2人で」も自分で選んだそうですけど、宣伝写真も含めるとかなり大胆な衣装もありますもんね。

加藤タキさんは凄いですよね。別に整形とかの不自然な感じじゃなく、自然で30年以上同じ感じを維持するって、並みじゃできないです。
この90年当時から既に白髪染めをやめてらっしゃるので、雰囲気が変わらないんでしょうか。

それと、まるさんのおっしゃってるソマリアの記事、もうオードリーの死の迫る92年の記事なのでしょうが、すごい見てみたいです。そんな悲惨な記事と写真があったとは知りませんでした…。
トラックの荷台にすがって泣き崩れている写真など、今まで見たことも聞いたこともありませんでした。
バリー・パリスやウォーカーの伝記でソマリアでのトラックの荷台で運ばれていく死体のことは書いてありましたが、実際の写真があったとは…。
まるさんの文章だけでも心が締め付けられる思いです。
確かにソマリア以前は笑顔のオードリーでしたけど、ソマリアは笑顔が少ないですもんね。それでもオードリーの写真であまりに悲惨なのは今は再録されないので、本当にそのまるさんのお持ちの資料は貴重だと思います。
もし雑誌名といつの号かがわかれば、僕も探して手に入れたいくらいです。そういう悲惨なのをわざと乗せてた、フォーカスとかフライデーとかそういう系でしょうかね?

まるさんのお持ちのこの切り抜きは、もしかしてご家族の誰か女性の方からもらった、とかではないですか?
僕も「エクスラン・ヴァリーエ」の「スクリーン」じゃない雑誌の切り抜きなんかは友人にもらったりして、全然なんなのかわかりませんけど、とても大事にしています。
Posted by みつおみつお at 2021年08月21日 23:33
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。