2023年01月09日
「BS fan」1993年3月号 “永遠にチャーミング オードリー・ヘプバーン”
みなさま、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
さて、今月号(2月号)の「SCREEN」ですが、今年はオードリーの没後30年だし、きっと何らかのオードリーの記事が載るだろうと思っていたのですが、本屋で確認しましたが、オードリーのことはなーんにも載っていませんでした!
数年前までは毎年2月号はオードリーのことが載っていたので、要チェックだったのですが、2019年の生誕90周年を最後に、2月号には何にも記事が無い状態が続いています。ますます縁遠くなる「SCREEN」…。
本という昔ながらの媒体で、若者だけを狙っているのでしょうかね?
なんか廃刊した「ロードショー」を思い出しました。あちらもあまりに若者だけにフォーカスし過ぎて、オードリーなどは鼻も引っ掛けませんでしたね。
今の「SCREEN」はファン雑誌ではなく、単なる情報誌ですね。
情報はネットで取れるんですけどね。
もう「SCREEN」には何も期待しないことにします。
さて、今回は雑誌「BS fan」の1993年3月号の紹介。これも当時のオードリー追悼雑誌の1つとなります。
表紙はオードリーですね。写真を見ると、「ローマの休日」と「麗しのサブリナ」の間の時期の宣伝写真。
髪型が1952年夏撮影の「ローマの休日」でもない、1953年9月から撮影の「麗しのサブリナ」でもないという1953年前半のものになっていますね。
この時期はパラマウントが舞台「ジジ」の地方巡業が終わったオードリーの写真をバンバン撮って売り出そうとしていた時期ですね。
オードリーが亡くなった1993年は、追悼特集が組まれた雑誌で、海外のものは「シャレード」や「マイ・フェア・レディ」のものが多かったのですが、もう日本ではすっかり若い時期のオードリーだけがもてはやされるようになった後。
だから「BS fan」もこの写真なのですね。今では海外でも日本の影響で若いオードリーいっぺんとうになってきてますよね。
85年からのオードリー作品のリバイバルとそれに伴うオードリーの大ブームは嬉しかったのですが、若いオードリーだけになっていくメディアを見て、全時代のオードリーが好きな僕は複雑な思いを抱いて見ていましたねー。
さてこの号は1993年1月20日に亡くなったオードリーの映画の追悼特集が2月にいち早くWOWOWで組まれた時の号です。
地上波ではフジテレビの「ゴールデン洋画劇場」で「パリで一緒に」が1月23日に放映されましたが、ガチガチに決まっている地上波とは違い、わりとBSでは柔軟に番組を入れ替えることができるので、2月にオードリー特集が早速組まれたんですよね。
と言っても1993年当時のBSって、NHKの衛星第1と衛星第2とWOWOWくらいしかなかったんじゃないかなー。
しかも当時はアナログBSだったんですよね。
この時のオードリー映画の追悼特集は2月14日に集中放映。
「暗くなるまで待って」「ティファニーで朝食を」「ローマの休日」「麗しのサブリナ」を午後4時から深夜0時まで2時間ずつ連続放映してます。
表紙には
“「ローマの休日」「麗しのサブリナ」「ティファニーで朝食を」 永遠にチャーミング オードリー・ヘプバーン”
と書かれていますね。
オードリーではまずはカセットラベルなるものが最初に登場。
これは切り取ってVHSテープのカセット本体の側面に貼るものですね。
VHSのカセットなんて見たことない!っていう30才以下の若い人は「おしゃれ泥棒2」のビデオの紹介記事でカセット本体の写真を載せていますので、そちらをご覧ください。
でもここでは4本中の3本分しかないですね。「暗くなるまで待って」のがありません。
こういうのはちょっと憤ってしまいます。
オードリーの特集はp12から始まって8ページ分載っています。
カラーページは薄くて裏が透けて写ってますけど、堂々たるコート紙。
p12は「麗しのサブリナ」の真っ赤なコートを着るオードリーですね。
髪型を見ると「麗しのサブリナ」だと1発でわかりますね。
そしてこの太い眉、わざと唇をはみ出して描かれた口紅。「麗しのサブリナ」そのものです。
この写真の別カットはカラーで存在するのですが、この画像はモノクロなのでしょうか?
でも顔の陰影を見ると、どうやらこれもカラーをモノクロ化したものに見えます。
当時はオードリーの画像はなんでもモノクロにされていました。せっかくのカラーページなのにね。
まあ今のモノクロをカラー化した着色カラーを載せるというのもどうかと思いますが。
p13からp15までの文章は高橋瑛一さんという方が書いています。ディオールのマーケティング部長だそうです。
文章は “オードリーは 「救世主」だそうである。銀座の映画館はオードリーを上映すれば、新作以上にお客さんが入るし、ビデオの超ベストセラーは「ローマの休日」だ。なぜオードリーばかり、そんなに人気があるのだろうか。”と始まっています。
そのあとは今回の特集の「ローマの休日」「麗しのサブリナ」「ティファニーで朝食を」のファッションについて語られています。
でも…それらファッションに目が行きがちな作品だけじゃなく、オードリーが自分で既製服を選んだ「暗くなるまで待って」にも言及して欲しかったなー。
「暗くなるまで待って」も既製服と言いながら、ゴミ捨てに行く時のジャケットはエルメスだし、最初のジャガード織りのコートも素敵でオードリーがプライベートでも着ていたほど。
そして最後の対決となるピンクのニットとかはオードリーかわいいっ!っていつも思うのですよねー。
p16にはオードリーを輝かせた3人の天才デザイナーということで、イーディス・ヘッド、ユベール・ド・ジバンシィ、セシル・ビートンのことが書かれています。
p17からはカラーではなく濃い赤茶色の単色ページ。
「オードリーと映画音楽」「オードリーとダンス」という文章はオードリー本人に直接会ったことのある日野康一氏。
p18-19はオードリー映画のリストと「ローマの休日」に至るまでのオードリーの経歴が載っています。
p19の左下には1992年の12月号に全映画解説が載っているとバックナンバーの紹介が乗っています。
これも表紙はオードリーですね。いかに当時再ブームでオードリーの人気があったかがうかがい知れますね。
出演作リストに「おしゃれ泥棒2」はあっても、「マイヤーリング」が無いのは時代的に全く知られてなかったから。
「マイヤーリング」の存在は1974年の写真集「デラックスカラー・シネアルバム」や1986年から発売され始めたオードリーの伝記を真剣に読んだごく一部の熱心なオードリー・ファンでないと知られていませんでした。
なので2002年ごろだったかな?僕は20世紀フォックスやパラマウントやユニバーサルに直接電話して埋れた作品「マイヤーリング」をDVDで出してもらえるようにお願いしたものでした。
2007年ごろには自分で出そうかとも思って悩んでいたほど。
のちにブロードメディア・スタジオさんからお話をいただいてプレスシートやパンフレットの文章を書くことになり、一部はDVDにも掲載されてパラマウントから発売され、池田昌子さんにも一部僕の書いた文章を読んでもらえるという僥倖に恵まれました。ありがたいことですね。
特集は以上なのですが、ビデオカセットに貼る小さなシールのページにオードリーの4作品(ここでは「暗くなるまで待って」もある)のものがありました。
当時はNHKとWOWOWだけだったので、タイトルの上に小さくWと書いてあるのがWOWOW、Nと書いてあるのがNHKだそうです。
また、BSの番組表のページの左端には “Who's Who”のページがあって、同じ2月14日の「暗くなるまで待って」の前に放映しているヴィヴィアン・リーの「哀愁」からロバート・テイラーが紹介されています。
“Who's Who”は有名な主演俳優ではない、(その当時)もう知られなくなった主演や脇役の俳優さんを紹介するコーナーでしたね。
あとはムービーガイドのページで、オードリーの4作品や「哀愁」などの今月(1993年2月)に放映される映画の案内が載っていますが、ここは切り取ってビデオカセットの天面に貼ることが出来るサイズになっていました。
ビデオカセットの天面がどんな風なのかはまた「おしゃれ泥棒2」の記事で見てください。
なお、このムービーガイドの中にダイヤ・ハート・スペード・クラブのマークがある場所があるのですが、これって編集部の4人とかのオススメ度合いなんでしょうか?1つも無い作品や1つだけ、2つだけ、3つなどがありますが、オードリーの4作品と「哀愁」は見事4つともマークが付いています。
今年もよろしくお願いいたします。
さて、今月号(2月号)の「SCREEN」ですが、今年はオードリーの没後30年だし、きっと何らかのオードリーの記事が載るだろうと思っていたのですが、本屋で確認しましたが、オードリーのことはなーんにも載っていませんでした!
数年前までは毎年2月号はオードリーのことが載っていたので、要チェックだったのですが、2019年の生誕90周年を最後に、2月号には何にも記事が無い状態が続いています。ますます縁遠くなる「SCREEN」…。
本という昔ながらの媒体で、若者だけを狙っているのでしょうかね?
なんか廃刊した「ロードショー」を思い出しました。あちらもあまりに若者だけにフォーカスし過ぎて、オードリーなどは鼻も引っ掛けませんでしたね。
今の「SCREEN」はファン雑誌ではなく、単なる情報誌ですね。
情報はネットで取れるんですけどね。
もう「SCREEN」には何も期待しないことにします。
さて、今回は雑誌「BS fan」の1993年3月号の紹介。これも当時のオードリー追悼雑誌の1つとなります。
表紙はオードリーですね。写真を見ると、「ローマの休日」と「麗しのサブリナ」の間の時期の宣伝写真。
髪型が1952年夏撮影の「ローマの休日」でもない、1953年9月から撮影の「麗しのサブリナ」でもないという1953年前半のものになっていますね。
この時期はパラマウントが舞台「ジジ」の地方巡業が終わったオードリーの写真をバンバン撮って売り出そうとしていた時期ですね。
オードリーが亡くなった1993年は、追悼特集が組まれた雑誌で、海外のものは「シャレード」や「マイ・フェア・レディ」のものが多かったのですが、もう日本ではすっかり若い時期のオードリーだけがもてはやされるようになった後。
だから「BS fan」もこの写真なのですね。今では海外でも日本の影響で若いオードリーいっぺんとうになってきてますよね。
85年からのオードリー作品のリバイバルとそれに伴うオードリーの大ブームは嬉しかったのですが、若いオードリーだけになっていくメディアを見て、全時代のオードリーが好きな僕は複雑な思いを抱いて見ていましたねー。
さてこの号は1993年1月20日に亡くなったオードリーの映画の追悼特集が2月にいち早くWOWOWで組まれた時の号です。
地上波ではフジテレビの「ゴールデン洋画劇場」で「パリで一緒に」が1月23日に放映されましたが、ガチガチに決まっている地上波とは違い、わりとBSでは柔軟に番組を入れ替えることができるので、2月にオードリー特集が早速組まれたんですよね。
と言っても1993年当時のBSって、NHKの衛星第1と衛星第2とWOWOWくらいしかなかったんじゃないかなー。
しかも当時はアナログBSだったんですよね。
この時のオードリー映画の追悼特集は2月14日に集中放映。
「暗くなるまで待って」「ティファニーで朝食を」「ローマの休日」「麗しのサブリナ」を午後4時から深夜0時まで2時間ずつ連続放映してます。
表紙には
“「ローマの休日」「麗しのサブリナ」「ティファニーで朝食を」 永遠にチャーミング オードリー・ヘプバーン”
と書かれていますね。
オードリーではまずはカセットラベルなるものが最初に登場。
これは切り取ってVHSテープのカセット本体の側面に貼るものですね。
VHSのカセットなんて見たことない!っていう30才以下の若い人は「おしゃれ泥棒2」のビデオの紹介記事でカセット本体の写真を載せていますので、そちらをご覧ください。
でもここでは4本中の3本分しかないですね。「暗くなるまで待って」のがありません。
こういうのはちょっと憤ってしまいます。
オードリーの特集はp12から始まって8ページ分載っています。
カラーページは薄くて裏が透けて写ってますけど、堂々たるコート紙。
p12は「麗しのサブリナ」の真っ赤なコートを着るオードリーですね。
髪型を見ると「麗しのサブリナ」だと1発でわかりますね。
そしてこの太い眉、わざと唇をはみ出して描かれた口紅。「麗しのサブリナ」そのものです。
この写真の別カットはカラーで存在するのですが、この画像はモノクロなのでしょうか?
でも顔の陰影を見ると、どうやらこれもカラーをモノクロ化したものに見えます。
当時はオードリーの画像はなんでもモノクロにされていました。せっかくのカラーページなのにね。
まあ今のモノクロをカラー化した着色カラーを載せるというのもどうかと思いますが。
p13からp15までの文章は高橋瑛一さんという方が書いています。ディオールのマーケティング部長だそうです。
文章は “オードリーは 「救世主」だそうである。銀座の映画館はオードリーを上映すれば、新作以上にお客さんが入るし、ビデオの超ベストセラーは「ローマの休日」だ。なぜオードリーばかり、そんなに人気があるのだろうか。”と始まっています。
そのあとは今回の特集の「ローマの休日」「麗しのサブリナ」「ティファニーで朝食を」のファッションについて語られています。
でも…それらファッションに目が行きがちな作品だけじゃなく、オードリーが自分で既製服を選んだ「暗くなるまで待って」にも言及して欲しかったなー。
「暗くなるまで待って」も既製服と言いながら、ゴミ捨てに行く時のジャケットはエルメスだし、最初のジャガード織りのコートも素敵でオードリーがプライベートでも着ていたほど。
そして最後の対決となるピンクのニットとかはオードリーかわいいっ!っていつも思うのですよねー。
p16にはオードリーを輝かせた3人の天才デザイナーということで、イーディス・ヘッド、ユベール・ド・ジバンシィ、セシル・ビートンのことが書かれています。
p17からはカラーではなく濃い赤茶色の単色ページ。
「オードリーと映画音楽」「オードリーとダンス」という文章はオードリー本人に直接会ったことのある日野康一氏。
p18-19はオードリー映画のリストと「ローマの休日」に至るまでのオードリーの経歴が載っています。
p19の左下には1992年の12月号に全映画解説が載っているとバックナンバーの紹介が乗っています。
これも表紙はオードリーですね。いかに当時再ブームでオードリーの人気があったかがうかがい知れますね。
出演作リストに「おしゃれ泥棒2」はあっても、「マイヤーリング」が無いのは時代的に全く知られてなかったから。
「マイヤーリング」の存在は1974年の写真集「デラックスカラー・シネアルバム」や1986年から発売され始めたオードリーの伝記を真剣に読んだごく一部の熱心なオードリー・ファンでないと知られていませんでした。
なので2002年ごろだったかな?僕は20世紀フォックスやパラマウントやユニバーサルに直接電話して埋れた作品「マイヤーリング」をDVDで出してもらえるようにお願いしたものでした。
2007年ごろには自分で出そうかとも思って悩んでいたほど。
のちにブロードメディア・スタジオさんからお話をいただいてプレスシートやパンフレットの文章を書くことになり、一部はDVDにも掲載されてパラマウントから発売され、池田昌子さんにも一部僕の書いた文章を読んでもらえるという僥倖に恵まれました。ありがたいことですね。
特集は以上なのですが、ビデオカセットに貼る小さなシールのページにオードリーの4作品(ここでは「暗くなるまで待って」もある)のものがありました。
当時はNHKとWOWOWだけだったので、タイトルの上に小さくWと書いてあるのがWOWOW、Nと書いてあるのがNHKだそうです。
また、BSの番組表のページの左端には “Who's Who”のページがあって、同じ2月14日の「暗くなるまで待って」の前に放映しているヴィヴィアン・リーの「哀愁」からロバート・テイラーが紹介されています。
“Who's Who”は有名な主演俳優ではない、(その当時)もう知られなくなった主演や脇役の俳優さんを紹介するコーナーでしたね。
あとはムービーガイドのページで、オードリーの4作品や「哀愁」などの今月(1993年2月)に放映される映画の案内が載っていますが、ここは切り取ってビデオカセットの天面に貼ることが出来るサイズになっていました。
ビデオカセットの天面がどんな風なのかはまた「おしゃれ泥棒2」の記事で見てください。
なお、このムービーガイドの中にダイヤ・ハート・スペード・クラブのマークがある場所があるのですが、これって編集部の4人とかのオススメ度合いなんでしょうか?1つも無い作品や1つだけ、2つだけ、3つなどがありますが、オードリーの4作品と「哀愁」は見事4つともマークが付いています。
Posted by みつお at 22:00│Comments(4)
│その他日本の雑誌
この記事へのコメント
明けましておめでとうございます。
Posted by 明智常楽 at 2023年01月12日 10:28
(ご挨拶が随分遅くなりましたが)
明けましておめでとうございます。
今年も、みつおさんの記事をとても楽しみにしております。
どうぞ宜しくお願い致します。
とは言うものの、くれぐれも、お身体にご無理のないようにされてくださいね。
当方、いつも拝見させて頂くばかりで、全く投稿出来ておらず、ごめんなさいm(__)m
良い一年となりますように。
明けましておめでとうございます。
今年も、みつおさんの記事をとても楽しみにしております。
どうぞ宜しくお願い致します。
とは言うものの、くれぐれも、お身体にご無理のないようにされてくださいね。
当方、いつも拝見させて頂くばかりで、全く投稿出来ておらず、ごめんなさいm(__)m
良い一年となりますように。
Posted by 寝ても覚めても。 at 2023年01月12日 15:16
>明智常楽さん
明けましておめでとうございます。
今年も明智常楽さんのオードリーのお話をいっぱい聞かせてくださいねー!
明けましておめでとうございます。
今年も明智常楽さんのオードリーのお話をいっぱい聞かせてくださいねー!
Posted by みつお at 2023年01月12日 20:56
>寝ても覚めても。さん
楽しみにしていただいてて、ありがとうございます!
こちらこそ励みになります!
僕の方も寝ても覚めても。さんのコメントを楽しみにしております。
また今年もぜひ書いていただけると嬉しいです!
楽しみにしていただいてて、ありがとうございます!
こちらこそ励みになります!
僕の方も寝ても覚めても。さんのコメントを楽しみにしております。
また今年もぜひ書いていただけると嬉しいです!
Posted by みつお at 2023年01月12日 20:59